「ヒロ、口に出して良い事と悪い事が有るだろ」
「それは俺がまつながーに対していつも思っとるコトや」


『ま、そんな日々 -2-』


1.

「てな調子でさ、毎日苦労してんだよ。たしか酒井の友達もそうだったろ」
 俺が住んどるトコと同じ様な古いアパートに1人暮らししとるバイト先の先輩が、開店前のフロアセッティング中に面白おかしく苦労話を聞かせてくれた。ちゅーても、俺には全く縁の無い話やったけど。
 まつながーがなぁ。……アカン。想像したら笑えてしゃーない。今日のシフトは裏方メインで良かったぁ。うっかりでもお客さんの前で吹きだしたらアウトやもん。
 バイトを終えてアパートに戻ったら、まつながーは晩ご飯の用意をしとるトコやった。
「ただいまー」
「おかえり。後はメインの味付けだけだ。もうしばらく煮込むから30分くらい待ってくれ」
「うん。おおきにー。今はあまりお腹減っとらんから安心してや。待つのは全然苦やないで」
 鞄を置いた俺が後ろに立つと、まつながーが流しの前を空けてくれた。このアパートは洗面台は無いんよな。けど、狭うても専用トイレと風呂が有るだけで充分や。
 お。生ゴミ入れにジャガイモとニンジンと玉ねぎの皮発見。昨夜は俺担当で焼き魚と味噌汁やったから今夜はシチューか肉じゃが辺りかいな。
 俺は丁寧に手と顔を洗ってうがいをした後に、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだ。エアコンは動いとるけど、省エネモードやからすだれ越しに西日が差す時間帯はチョット暑い。地球温暖化問題よりも経費削減と言い切ったまつながーの提案や。コンロの前に居るまつながーもかなりキツイんやないかな。元々暑さに弱い俺には、ホンマに夏バテ対策になってきとるから結果オーライやけど。
 麦茶をしまおうと冷蔵庫の取っ手に手を掛けかけて止める。やっぱし、まつながーにも聞いてみよっと。
「まつながーも喉乾いとるやろ。麦茶飲む?」
「サンキュ。今夜はカレーだから俺は水が良い」
「わかったー」
 カレーを作っとったんか。シチューも肉じゃがもカレーも基本的な具は全部一緒よなぁ。ニンニクとショウガの皮には気付かんかった。
 冷蔵庫には麦茶の他に、沸騰させてカルキ抜きした水と、無糖の炭酸水が冷やしてある。それにレモン汁やリンゴ酢を入れて、さっぱりした清涼飲料水の出来上がり。
 コーラや市販のジュースを飲むより健康的で安上がりなんで、最近は俺とまつながーは麦茶とインスタントのアイスコーヒー以外はこういうのばかり飲んどる。
 2人共夏休みが終わるまでバイト時間を長めにしとるから、ビールやチューハイが出てくるのは風呂上がりくらい。
 あ、カレー独特のツンツンする臭いがしてきた。市販のカレールーを包丁で細かく刻んどるまつながーの側に水入りのコップを置いて、俺は料理の邪魔にならんテーブル前に座った。
 ホンマにまつながーはマメなやっちゃなぁ。俺がご飯担当の時はカレールーを切り目で割ってそのまま鍋にドボンや。ズボラする分ルーを綺麗に溶かすのはチョット面倒。
 古い構造のアパートやからか、俺はそれほど気にならないシンクの高さが、まつながーにはかなり低く見える。ほんでも器用なまつながーの手先は全然狂わんのよな。あ、そやった。
「なあ、まつながー」
「何だ?」
 刻んだルーを鍋の中に入れて、お玉でかき混ぜながらまつながーが振り返る。
「運がええコトに1度も現場を見たコト無いし、臭いもしたコト無いんやけど、まつながーて俺の部屋でうんこしとるの?」
「はあ?」
「まつながーはうんこする時、トイレのドアを開ける派かなーて思って聞いとるん」
「何だそりゃ?」
 まつながーは訳が判らないという顔で俺の顔をじっと見る。ああ、説明不足やったな。
「俺のバイト先の先輩が、まつながーと同じくらい背が高うてやっぱり筋肉質なん。んで、アパートのトイレは狭い棺桶みたいで落ち着かんから、うんこする時はいつもトイレのドアを開けっ放しでするんやて。ほやからまつながーもそうなんかなーって」
 まつながーは眉間に皺を寄せると鍋の火を消して俺の前に立った。
「あのな、ヒロ。これからカレーを食うって時にクソの話をするのは止めろ。気分が悪いだろ」
 ついでだと言わんばかりに手に持っとった団扇で頭を叩かれる。
「気になったからチョット聞いてみただけやんかー」
「俺は納豆効果で便秘と縁が無いから、クソの時もトイレに長時間居座わらない。ドアも閉める。大体そんな事をしたら部屋中がクソ臭くなって、とてもじゃないが居られなくなるだろ」
 ……。なんか妙に表現が具体的ちゅーか生々しいなぁ。
「もしかして経験したコト有るん? うんこの臭いで充満した部屋……うぎゃっ!」
 ゴキッって音がするくらい思いっきり脳天をまつながーにゲンコツで叩かれた。
 うーっ。目から星が出そうや。ずきずき痛む頭を押さえて見返すとまつながーが憤怒の顔で腕を組んどった。
「クソの話題から離れろって言ってるだろ。ヒロは平気かもしれないけど、これからカレーを食う俺の身にもなれ」
「まつながーかて前に俺が腹下ってキツイ思いしとる時に「整腸剤代わりにインド風カレーでも食うか。色が似てるし」なんて言って嫌がらせしたやろがー」
 あれ? 待てや。この展開って前にも有った気が……。
「あーっ」
 思いだした。これってまだまつながーの部屋に共同出費でエアコンを買う前、俺がアイスを一気食いした後に1晩中窓全開、扇風機最強にしたままにして、寝冷えした時の話や。
 あの翌日はずっとトイレと布団の往復で、ホンマにエライ目に遭ったんよなぁ。ほんで部屋の中がマジでうんこ臭うなって、見舞いの差し入れに来てくれたまつながーが我慢出来ずに、扇風機を最強にして窓の外に向けて、団扇や雑誌まで使うて部屋を強制換気をしたんやった。
 ほんで怒ったまつながーに「どれだけ暑くてもアイスは1日1個まで」て誓約書まで書かされたんやったな。
 まつながーやのうて原因は俺やんか。ううっ、メチャ怖いなぁ。おそるおそる顔を上げたら、まつながーは読みかけの雑誌を開いたまま眉間に皺を寄せて俺を睨んどる。
「思いだしたか?」
「うん。ホンマに堪忍なぁ」
 返す言葉が無い。綺麗好きのまつながーならどんだけ狭くて居心地悪うても、意地でもドアを閉めるよなぁ。
「夏バテ対策用に辛口カレーを作ったんだが、今すぐ食えるか?」
 まだチョット機嫌が悪そうやけど、まつながーは笑って聞いてくれた。
「うん。せっかくまつながーが作ってくれたし、実際にうんこの臭いする訳やないから食べられるで」
「だ・か・ら。さっきからクソの話題に戻すなって何度も言ってるだろーが!」
「いったーっ! 角で頭叩くなやー」
 俺が涙目になって訴えると、まつながーは雑誌を放り投げながら立ち上がって台所に移動した。
「俺はカレーを食うが、ヒロは未来形クソでも食ってろ」
 そう言ってまつながーはどんどんっと納豆カレーとスプーンをテーブルに置いた。
 未来形クソって何? たしかに食べたら出るモン出るけど。て……。
「うぎゃぁー!?」
 カレーがソレに見えてきてとてもやないけど手が出んー!
 ホンマなら美味しいカレーを前にして、俺がスプーン片手に落ち込んどるのを横目で見ながら、まつながーは豪快にカレーを食べきった。


2.

 俺が無意識の内に独り言を言ったり、嫌な事が有った日の晩にでかい寝言を言うのは、なりゆきとはいえヒロが教えてくれた。
 伊勢で俺が逆切れしてヒロに酷い八つ当たりをしてしまったから、出来ればあの時の事は思い出したくない。そんな俺の気持ちを察して絶対にその話題には触れずにいてくれるヒロには感謝している。と言っても、ヒロも別の理由で鳥肌が立つから思い出したく無いらしい。
 あの時は寝起きが悪くて本当に悪かったっての。ニアミスで済んで良かったと、俺も本気で思っているんだ。
 それにしても裕貴の馬鹿野郎め。俺の寝言癖を知った段階で教えろよ。3年分の恥をどうしてくれる。
 寝相や寝言なんて自分じゃコントロール出来ないんだぞ。ヒロはともかく裕貴の前でどんな寝言を言ったのか、想像するだけで嫌な汗が出る。裕貴が俺のお袋と仲が良いのも、俺の寝言が原因なんだろうか。
「…………」
 お?
「…………」
 全然聞こえねぇ。
 俺専属お子ちゃま天子ことヒロは爆睡型だが時々寝言を言う。だた、いつも声が小さすぎて何を言っているのか全く判らない。
 これですぴすぴ犬みたいな寝息だけはしっかり聞こえるんだよな。
「……て……」
 お? どうやら言葉っぽいぞ。
「ま……ながー」
 おおっ。初の快挙か。これでヒロにばかり弱みを握られなくて済む。……じゃなくて、情けないぞ俺。ヒロは俺の夢を見ているのか。一体どんな夢を見ているんだろう。
 聞き逃さない様にベッドの隅に寄ってヒロの寝顔を見下ろす。
 ちっ。これは写真を撮る程の顔じゃないな。このレベルなら100枚単位で保存済みだ。大口を開けてだらーっとよだれで顔半分濡れているのから、正に天子様としか言い様が無い綺麗な顔まで何でもござれだから、最近は余程ネタになるのか良い顔しか撮さない。
 寝ながらヒロは得意の百面相をしてみせる。相変わらず表情筋の器用なヤツだ。
 お? 眉間に皺を寄せたぞ。

「まつながーのど変態! メッチャ気色悪っ!」

 ちょっと待てーっ! 裕貴じゃあるまいし変態呼ばわりだけはよせ。しかも気色悪いとはどういう言い草だ。
 今すぐヒロを起こして首をぐいぐい締め上げて、どんな夢を見ていたのか白状させてやりたい。
 だけど日頃から「意識的に言うなら嫌やけど、寝言に罪は無いやろぉ」と言ってくれるヒロにとてもそんな事は出来ない。ちくしょう。
 うっかりヒロを叩いてしまわない様に、俺が腕を組んで見下ろし続けていると、ヒロの表情が柔らかい笑顔に変わった。寝言一転シャッターチャンスか? そっと携帯に手を伸ばして待機する。
「チョット言うてみただけやてぇ。そないに怒らんといてやぁ」
 うおっ。俺の心を見透かしたみたいに絶妙な寝言が出た。
 俺は携帯から手を離して枕元に戻した。笑うヒロの寝顔はとても穏やかだ。記憶にだけ残したい顔ってのもあるんだな。
「けど、さっき言ったコトは全部本音やで」
 ……。
 そこで思いっきりトドメを刺すなよ。おいヒロ、本当に寝ているんだろうな?
「うん」
 …………怖っ!
 俺は全く声に出していないのになんてタイミングの良さだ。
 今度からヒロがどんな面白そうな寝言を言っても、聞き耳を立てるのは止めておこう。


3.

 給料日翌日、駅前のATMに行ったまつながーは、アパートに帰って来るなり「ただいま」も言わんと通帳を開いてにんまりと笑った。まつながーの顔がキモかったんと行動が唐突やったんで、いつもの様に「おかえり」て言いそびれてしもた。
 8月は2人共かなりの時間をバイトに充てたんで、いつもより給料が倍以上増えとる。頑張った分がちゃんと結果に出たら誰かて嬉しいよな。……面倒やからそう思っとこっと。ココで下手にツッコミ入れちゃアカンよな。
 高校時代からやっとる(背が高こうて老け顔やからバレんちゅーても、メッチャ危ないコトをするなや)まつながーの副収入についてはノーコメント。俺がたまに行くと補導されかけるし、ど素人がパチンコしても損するだけやもん。慣れんコトに手出して大失敗するより、地道に働いて貯めるんが精神安静上1番ええ。
 通帳をしまったまつながーは、無言のまま煙草と灰皿を持って外に出た。この時間ならまだ他の住人さんらは帰ってこんから、風通しのええ階段に座ってホタルになる気やな。
「締め切ってエアコンを効かせた部屋で煙草吸うと、部屋中がヤニだらけになって掃除が大変だろ。真冬ならともかく夏場は日が差さない外で充分だ」
 ってのがまつながーの言い分。
 まつながーって時々嘘つくのが下手になるよなぁ。お盆にじーちゃんの供養でチョコっと窓を開けて吸わない煙草を置いとったのに。
 全然口にも態度にも出さんけど、いつも煙草の臭いが苦手な俺に気を遣ってくれとるんやろなぁ。悪いなぁと思いつつ、ありがたくまつながーの好意に甘えさせて貰うとる。
 しばらくして玄関の扉を開けたまつながーと目が合うた。にやりと歯を見せて俺に笑顔を向けてくる。爽やかさの欠片もない顔やから出来れば止めて欲しいて言うたら傷つくやろか。
「ただいま」
 今度はちゃんと言うた。
「おかえりー」
 俺が返事をすると、まつながーは今度は目も笑ってくれた。やっぱし笑顔て目が重要よなぁ。
 まつながーは草履を脱いで部屋に上がると、くしゃりと煙草の紙箱を丸めてゴミ箱に放り込んだ。吸い殻は少しだけ水で濡らしてから生ゴミ入れに入れて、灰皿を洗うとぞうきんで丁寧に拭く。いつものコトやけどマメなやっちゃ。
 普段なら本棚に置く100円ショップで買うたガラス製の灰皿を、まつながーは持ち上げて下から眺めとる。何をやっとんやろう。煙草吸って気持ちが落ち着いたかと思ったのに、挙動不審は継続中っぽい。
「なあ、ヒロ」
 およ? 考え中のまつながーから話振ってきた。
「何?」
「これ、使い道が有ると思うか?」
「灰皿やろ」
「……じゃなくて、他の用途にだっての」
 「漫才かよ」とまつながーは苦笑する。フツーに返事しただけなんやけどなぁ。
「携帯用以外の灰皿はそれしか無いんやから、他のコトに使うてしもたらまつながーが困るやない?」
 俺が聞き返すとまつながーはああって顔をして、灰皿をシンク下の戸棚に押し込んだ。
「今日で煙草は卒業っていうか、さっきので最後なんだ」
「へ?」
 益々訳判らん。俺がじっと顔を見上げとると、まつながーは冷蔵庫からビールを出して俺の前に座った。
「言い方が悪かった。いきなり話を振られたら誰だって困るよな。悪い。ヒロには言って無かったんだな。さっき俺は通帳を見てただろ」
「うん」
 俺が頷くとまつながーはチョットだけほっとしたって顔になってビールに口を付けた。
「俺の学部は完全専門に入る3年になったら、実習が忙しくてそうそうバイト出来ないだろ。だからパチンコで小銭を稼いでたんだよ。確認して計算したら1、2年の間にバイトを頑張れば3年以降は生活費を切り詰めれば仕送りだけでも何とかなりそうな金額まで貯まってた。もう危ない橋は渡らなくて済む」
 たしかに工学部は終電逃して泊まり込みが多いて聞いたコト有るけど、まつながーの説明はイマイチ話が見えんなぁ。禁煙宣言との繋がりが無いやん。
「危ない橋て何?」
 まつながーは今度は露骨に呆れたって顔で俺を見た。説明不足はそっちの責任やろ。
「あのな、ヒロ」
「何?」
「圧倒的に経営側に有利なパチンコで、いつも儲けられるヤツってどれくらい居ると思ってるんだ? パチプロなんてそうそう居ないっての。俺はせいぜい6割勝ちだ」
 勝率6割? なら4割負けて利益は良くて2割? 効率悪ーっ。
「そないリスクの高いギャンブルをなしてするん? パチンコする時間分、バイトを増やした方がええやん」
 チョットだけまつながーはしまったって顔をした。
「……そりゃバイトは確実だけど、パチンコは当たった時のリターンが大きいからな。他の人はどうか知らないけど、俺はいつも1発当てて出したら、続けずにさっさと勝ち逃げしている。負けている時も使う上限を決めてるから大きく損はしない」
 変なトコで堅実なまつながーらしいちゅーか、変わったパチンコの仕方やなぁ。学部でストレス解消や暇つぶしにパチンコしとる人らと全然ちゃう。
「聞いてもええ?」
「何だ?」
「さっきから不思議に思っとるんやけど、まつながーが好きな煙草止めるんと、パチンコ止めるんとどういう関係が有るん? ……って、なしてそこで露骨に視線を逸らすんや。始めに話振ってきたんはまつながーやろ」
 俺がしつこく食い下がると、まつながーは視線を戻してしぶしぶ答えた。
「カモフラージュと今大学側が進めてる構内全面禁煙化対策だ。一般教室やヒロの学部も室内は禁煙だろ」
「ああ、アレなぁ。今の喫煙所って隔離室みたいで、かなり見た目と雰囲気が悪いよな」
 公共施設での都内全面禁煙の影響か、最近学内全体にも禁煙化が広がっとるもんなぁ。愛煙家の人は皆苦労しとるんやろう。
「それに俺も実習中に煙草を吸いに手を止めるのは面倒なんだ」
「うん。それなら俺も解る。……あれ? まつながー、もう1個変なコト言っとたよな。カモフラージュて何?」
 まつながーはさすがに疲れたて顔をして額に手を当てた。
「あのなヒロ。いくら俺でも高1から堂々とパチンコ屋に通えねえよ。あの当時から身長180センチ近く有ったけど、プロが見たら一発で学生って判るだろ。サングラスはわざとらし過ぎてパスしたから、後は煙草ふかすくらいしか出来ないだろーが」
 そら、まつながーも3年前は今より若い顔をしとったやろうし当然かもしれん。ほやけど、まだなんか大切なコト隠してるっぽいんよなぁ。これはあくまで俺の勘やけど。
 じわじわと「ソフトに聞いてくれ」から「出来れば聞かないでくれ」オーラに変わっとる。ここで引いてもええけど、いつまで経ってもまつながーの1人っ子甘え癖が直らんよなぁ。やっぱここは心を鬼にしよっと。
「18歳未満のパチンコも未成年の喫煙も法律違反やし、見つかったら普通に退学やろ? なしてそこまで危険なコトしたん?」
 まつながーはギリギリ判るか判らないかってレベルで口の端をゆがめた。鈍い俺でもすぐ判るってコトはそうとう聞かれたくないコトなんやな。
「まつながぁ?」
 チョットだけ上目遣いで凄んでみたら効果覿面で、まつながーの頬が一気に赤面する。
「えーっと。ヒロは煙草臭いヤツと一緒に暮らすのは嫌だろ。いくら外で吸ってもどうしても服や髪に臭いは残るし、狭い部屋だからトイレと風呂以外は距離開けても2メートルが限界だろ。今もテーブルを挟んで1メートル以内じゃないか」
 待てい。俺を理由にすなや。しかも普段はお互いにスルーしとる話題に振りおって。全身に鳥肌が立ったで。
「気色の悪い言い訳まで付けて嘘をつくなー!」
「本当だっての」
「顔にしっかり嘘やて書いてあるわい」
「えっ?」
 まつながーは慌てて顔のあちこちをこする。メッチャアホや。ちゅーか、ここまで動揺するってコトはホンマに話すのが嫌なんやなぁ。
 けど、俺が知りたいんや。まつながーの気持ちの根っこの部分。これって絶対に大切なコトて気がする。
「えーっと……」
 ビールを一気飲みしたまつながーは、テーブルの端をつつきながらボソボソ話しだした。
「まず理由1つ目。IDカード導入で未成年者は自販機で煙草が買えなくなっただろ」
「まつながーはいつもコンビニで堂々と煙草と酒を買うとるやろが。心にも無いコト言うなちゅーねん」
「ちっ。気づきやがったか」
「何が「ちっ」や。気づかん訳無いやろ。いい加減にせんと怒るで」
 俺がわざとらしく手のストレッチを始めたら、まつながーは少しだけ後ずさりした。
「じゃあ理由2個目。ヒロと一緒に住む様になって、俺は煙草を吸う本数が減った。これは知ってるな」
「うん」
「で、元々ヘビースモーカーじゃ無かったからか、吸わないのに慣れてきたっていうか……」
「うん?」
「煙草を吸わない方が財布に優しいんだよ。煙草分食い物に回した方が良いしな。予想より早く目標金額が貯まったのは、同居も含めてヒロの協力が有ったからだと思ってる。その……サンキュ」

 ぷっつーん。

「さっきから嘘つくなて言うとるやろが。アホ!」
「嘘じゃないっての」
「まだ言うんか?」
 俺が立ち上がるとまつながーはベッドから枕を引っ張ってきてガードをする。こない小さいコトで殴りも蹴りも入れんちゅーに。失礼なやっちゃな。
 まあええ。まつながーが嘘で誤魔化し続ける続けるなら、俺にも考えがあるんやからな。無言でポケットから携帯を出してボタンを押す。
「こんちゃー、酒井や。裕貴さん、今チョット時間貰うてもええ?」
「げっ!!」
 この期に及んでやかましいわい。のらりくらり露骨に話逸らされ続けたら、俺でも切れるっちゅーねん。俺は玄関に向かいながらまつながーを振り返る。
「ええか。まつながー、電話の邪魔したら俺が作っといた晩飯、まつながーだけ抜きやからな。用が終わるまでそこで大人しくしとれ」
 まつながーは何かを言いかけて、数回口をぱくぱく開いた後、拗ねた顔で座り直した。

 踊り場に出て扉を閉める。よし。前みたいに追いかけては来んな。俺の部屋に退避はせんで済むみたいや。
「裕貴さん、いきなり騒がしゅうしてホンマに堪忍なぁ」
『ぷぷっ。あはははははははははははっ! 酒ちゃんて本当に最高。こんなサプライズならいつでも歓迎だよ』
 ……。今チョットだけ勢いで連絡とったのを後悔した。裕貴さんは全然変わっとらんなぁ。夏なのに背中がぞくぞくする。ほやけど、まつながーのコト知りたいて思うたら、裕貴さんに聞くんが1番早うて正確なんよなぁ。
『で、何? 酒ちゃんからわざわざ電話してきてくれたって事は、健の事で何か有ったのか?』
「相変わらず話早うて助かるでぇ。うん、まつながーのコトで裕貴さんに聞きたいコトが有るん」
 俺は出来るだけ簡潔に、今日まつながーが帰って来てからのいきさつを裕貴さんに話した。気配り上手な裕貴さんは、俺が話しやすい様に適度に相づちを打ってくれる。
『ああ、そういう事か。健が話すのを嫌がる理由は解るよ。さて、酒ちゃんに俺から逆質問。意固地になってる健を諦めて俺から全部話を聞きたい? それともヒントだけ欲しい?』
 うっ。裕貴さんのどサドも健在や。ちゅーかまだ俺のコト試しとるんか?
 ……ううん。そうとはちゃうな。好奇心で聞いてるなら教えない。事実を知ってもちゃんとまつながーに対処出来るだけの覚悟が有るのか。裕貴さんはそう俺に言うとるんや。
 まつながーが高校時代に色々苦労してきたんをは今の俺は知っとる。気色の悪い甘え方は何回止めれて言うてもするくせに、まつながーの口が重くなるんは、その手の話ばかりやもん。
「おおきに。ほなヒントだけ。誤解しとうないから追加で質問するかもしれんけどええ?」
 裕貴さんは嬉しそうに笑う。良かった。間違わんかったんや。
『健のじいさんは癌で長期入院してただろ』
「うん」
『手術が出来ない癌入院患者が居たら、その家の経済状態ってどうなっていくと思う?』
「あっ」
 癌治療ってメッチャお金掛かるんやったよなぁ。何年間も入院しとったらどんだけお金掛かるんやろう。
 ああ、もう。俺のアホーっ! 弱み見せるのが嫌いなまつながーが貝になるハズや。
『保険にはしっかり入ってたらしいけど、お袋さんは途中でパートを辞めて、じいさんに付きっきりになったしね。ねえ酒ちゃん、俺は酒ちゃんの高校時代を知らないけど、運動部って結構お金が掛かるって知ってる?』
「へ?」
『まずユニフォームと靴代だろ。合宿費用に練習試合と遠征移動費。うちは私立の進学校だからあまり運動部には予算を回して貰えなくてね。どこの部もほとんどの経費は部員の自費持ち。学校は当然バイト禁止。さて、酒ちゃん。君が健の立場ならどうする?』
 俺がまつながーの立場やったら貧乏を理由にさっさと部を辞めて、金の掛からん部に異動しとったやろう。無い袖は振れんもん。
 けど、まつながーは高校時代にかなり部活を頑張ってたっぽい。小学生時代からか中学からかまでは聞いとらんけど、ずっと好きでやっとるコトを、そうそう諦められるとは思えん。
 仕送りの額がギリギリで、それでも部活続けたいて思ったら、何とか自分でお金を稼ごうて思うよなぁ。例えそれが法律に触れるコトで、決して誉められたコトとちゃうとしても。
 見つかったらまつながー1人の問題とちゃう。バレー部自体廃部か休部にされかねん。親にも部にも学校にも迷惑を掛けずに、こっそり短時間でお金を稼ごうて思ったから、まつながーは変装するしか無かったんや。
 激しい運動部とは思えんくらい長い茶髪。ファッションでも散髪代をケチってるんやのうて、それもまつながーの計算やったとしたら?
『参考までに健は夜食を寮生同士のお菓子賭け麻雀で集めてたよ。大体勝率7割強だったかな。いつも勝ってたら誰も健の相手をしてくれなくなるからねぇ。同室の俺も手心無しで食料を取られたよ』
 うん。それも想像つく。カモにされかけた時にまつながーが助けてくれたもんなぁ。それにしても……。
「裕貴さん、まつながーってホンマに不器用でアホよなぁ」
『そうだねぇ。数少ない自宅通学組にはもっと上手くやってた奴も居たんだけどね。残念ながら健には縛りが多すぎた。そして変な才能は持っていた』
 最後の一言だけは明るく茶化す様に言う。裕貴さんもきっと俺と同じ気持ちなんやろう。
「その才能、宝くじに使えば良かったのに」
『ところがどっこい。健には運の才能は壊滅的に無かったらしい。酒ちゃんて本当に思考が健全で良いねぇ。俺なんか何度健に、パチンコじゃ効率悪いしリスクも高い。健はああ見えて男にももてるから3、4回我慢すれば……あ、今のは無し。考えたけど真面目な健ちゃんには言わなかったしね。やあねぇ。裕貴君ってばちょっと間違えちゃったぁ。酒ちゃん、お願いだから今のは聞かなかった事にしてねん』
 言われる前に完全思考停止したわい。絶対になんも想像すなや俺。一生後悔するモンを脳内妄想で見てしまいそうや。鳥肌と一緒に背中に冷や汗が流れてきた。
 裕貴さんてホンマに手段選ばんタイプやなぁ。まつながーはその手の話が1番大嫌いて知っとるくせに。
 俺は思わず首をぶんぶんと横に振った。パチンコよりタチの悪い犯罪行為やし、別の意味でも人生踏み外すやろが。うー、まだ気持ちが悪い。
 俺が無言でおると裕貴さんは真面目な声で『悪かった』て謝ってきた。
『あの当時はそれくらい危ない綱渡りだったんだよ。健本人は知らないけど、あんな稼ぎ方をして、普通に部活が出来て、卒業して、進学も出来たのは、寮の連中が健の家庭の事情を知って、寮監や先生にばれない様にこっそり協力してたからなんだ。身体に染み込んだ煙草の臭いは消臭スプレーじゃ消せない。風呂や洗濯場でどうしても誰かにはばれるだろ。寮生全員が孝行者の健に一肌脱いだって訳』
「俺も誰にもバレんのが不思議やったんよなぁ。まつながーの周囲がええ人ばかりで良かったなぁ」
 俺が正直に思ったコトを言うと、裕貴さんは小さく声を立てて笑った。
『健ちゃんは見た目はアレだけど、性格は真面目で可愛いいから愛されてたからねぇ。ライバルが多くて裕貴君泣いちゃうとこだったわ』
 メッチャええ話を聞いたなぁて思ったトコで寒い方向に落とすし。ホンマに裕貴さんって器用貧乏くじの人やなぁ。ほやけどおかげで大体の事情は解った。
「裕貴さん、話してくれておおきに。寮生さんらのコトはまつながーには内緒にしとけばええんやろ?」
『酒ちゃんも飲み込み早くて助かるよ。俺のヒントはここまでだ。後は酒ちゃんに委せるよ。健のフォローをくれぐれも宜しく』
 ほとんど話してくれたのにコレやもんな。マジで感謝やで。
「うん。分かった。ホンマにおおきにー。ほなまたー」
『うん。また。今度は東京で会おうね』
 俺が切る前に裕貴さんは笑って携帯を切った。最後のはどういう意味やろう? まあ、助けて貰うたからええか。

 玄関のドアを開けるとまつながーが正座して待っとった。余程緊張しとったんか握り拳の両手は真っ白や。裕貴さんが最後に言うてたんはコレや。
「まつながー」
 いつもと同じ様に声を掛けてみたけど、まつながーの緊張は解けとらん。俺はまつながーの正面に座ってガチガチに強ばって冷たくなった両手を開けさせると、手を握ったまま真っ直ぐにまつながーの顔を見た。
 まつながーは少しだけ驚いたって顔をして俺を見返してくる。
「まつながー、俺ってホンマに鈍くてアカンよなぁ。堪忍してなぁ。もう無理して何とか俺に説明しよなんて考えんといて。早う目標金額まで貯まって良かったなぁ。まつながーは俺と会うずっと前からちゃんと考えてそのとおり行動して結果を出した。もうやりとうない法律違反もせんでええ。そういうコトなんやろ」
 ホンマにまつながーが煙草好きなら、あっさり止めれるはずは無いよな。
 これまでのコトをチョット思い出してみる。まつながーが俺の前で煙草を吸ったのは途方に暮れた時と、精神的に疲れとる時と、考えコトをしとる時。意地悪で吸われた時も有ったけど、アレは俺がアホなコトを言うたりしたりして叩く代わりやった。
 実家と和解出来たからこれからは堂々とお墓参りに行ける。線香代わりの煙草はもう要らん。飲酒かて社会に出た時困らない程度にって俺にも言うてたやんか。
 あー。俺ってホンマにまつながーのコト見て無かったなぁ。真面目なまつながーが何の理由も無く法律違反を続けるハズなんてないのに全然気付かんかった。アホは俺の方や。
「まつながー、堪忍な」
 俺が繰り返して言うと、まつながーは真っ赤な顔をして俺の両手を振り払った。
「何でヒロが謝るんだ? 裕貴から全部聞いただろ。俺がヒロに本当の事を隠して、ずっと嘘をつき続けてきたから怒ったんだろ。俺がもっと……」
「ちょい待ったーっ!」
 俺は両手を伸ばして強引にまつながーの口を塞いだ。まつながーは悪い事と知りつつずっと無理して頑張ってきたのに、それを自分で否定させたらアカン。
「裕貴さんを信じたってや。大切な親友さんやろ。全部は聞いとらんで。いくつかヒント貰って俺が答えを出したん。理由が有って無謀に近い無茶なコトをするて決めても、それを最後まで貫けるなんて普通なら出来んやろ。俺は意地っ張りのまつながーをホンマに格好ええて思っとるんやで」
 まつながーは何度か顎をなでてどうしたら良いのか判らんて顔になる。今はそれでええよな。
「ヒロ?」
「この話はこれでもう終わりにしよや。それともまだ話したいコトある?」
 俺が聞くとまつながーはゆっくり首を横に振った。
「裕貴から聞いた事を全部俺に話してくれって頼んでも、ヒロは答えてくれる気は全く無いんだろ」
「うん」
 裕貴さんとの約束は守らなアカンもん。俺が正直に答えたら、まつながーはにやりと笑って、ポケットから保護ケース入りのミニSDカードを出すと、俺の目の前に突き出してきた。
「バックアップ無し。最新版ヒロの寝顔30枚セット。これならどうだ?」
「ぶはっ。アホかーっ! 返せ……やない。それを俺に渡せや。ぶっ壊す!」
 なんちゅーモンを交換条件に出すんや。最新版で30枚やてぇ? 一体何枚俺の写真盗撮しとるんや。このど変態があ!
 俺が手を伸ばす前に、まつながーはジーンズの後ろポケットにケースをしまった。うがー! カードは取り上げたいけど、まつながーのケツになんか触りとうない。
「まつながー、本気で怒るで。黙ってそれ渡せや」
「嫌なモンは嫌だ。ヒロが俺に隠し事しているんなら、俺だって多少の秘密は持っておきたい。そういうモンだろ」
「隠し撮りの何が秘密や」
「俺にとってはそうなんだ」
「アホもたいがいにせぇーーーーいっ!!」

 結局、散々文句を言うたけどまつながーは最後まで折れんくて、しゃーないから俺は裕貴さんとの約束を優先させた。
 更にむかつくコトにまつながーは破壊防止やと言って、またあちこちに俺のよだれ写真のバックアップを取ったらしい。
 お礼と報告ついでに裕貴さんにチョットだけ愚痴ったら盛大に笑われた。
 何か色々理不尽目に遭っとる思うんは俺の気のせい? 絶対にこのツケはいつかまつながーと裕貴さんに払わせたる。

 後日談。たまたま掃除しとる時にまつながーのベッドの下からCD−Rを見つけたんでパソコンで開いてみたら全部「大はずれ。ばーか」と書いて有るJPG画像やった。これって絶対わざと俺に見つけさせたなぁ。
 まつながーめ、覚えとれーっ!

おわり

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