東京に出てきて数ヶ月間、俺はずっと頑張ってきたつもりや。
 ほやけど現実は俺が思うほど甘うはのうて、俺は中学の頃から全く成長しとらんどーしょーもないヘタレのままやと知った。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(1)


1.
 長い夏休みが終わった。
 ちゅーても、休みっぱなから色々有って、のんびりした記憶はほとんど無い。
 休みが始まってすぐに、三重に来たコトが無いまつながーを誘って伊勢に帰省した。あちこち一緒に遊び歩いとったら、高校時代に1番仲良しやった毛(もう)やんに偶然会えた。まつながーが気を遣うてくれたから、久々に毛(もう)やんと昔話に花を咲かせられた。
 予定外の要らんオプションが付いてしもたけど、嫌な事は全部無かった事にする。まつながーも楽しかった事以外は忘れたいやろうと思う。俺かて今も思い出すと腹立つし、全身に鳥肌が立つニアミス「事故(ここだけは強調したい気分)」まで有ったんやもん。
 東京に戻ってきてからは、2人とも盆明けまで連日朝から晩までバイト生活が続いた。
 盆が明けてまつながーは(かなりぐずぐずしとったけど)元カノさんときっちり話付ける為に、俺はそのオマケで日帰りで水戸に行った。まつながーが高校時代の親友さんで裕貴さんにも会えた。裕貴さんは変な人やけどメッチャ親切な人で、色々助けて貰うてまつながーのじーちゃんの墓参りも出来た。
 その後はため込んだレポートとバイト漬けの日々。先にレポートが終わったまつながーを水戸の実家に蹴り飛ばしとる間に、俺はアパートに残ってレポートを仕上げた。

 ほんで今日から学校が始まる。
 楽しい事も嬉しい事も一杯有った。悔しゅうて恥ずかしゅうて、思い出すのも嫌な事も有った。そういうのも全部今の俺の糧になっとるやろうから後悔はせん。
 なんが直接の原因か全然判らん、まつながーの巨大なアホスイッチ発生には、もう笑うしかないて感じや。なんも特別とちゃう俺を「天子様」て呼ぶなんて、まつながーの思考回路てホンマにどうなっとるんやろう。……不毛やからこれを考えるんは止めとこ。
 そういや、高校2年までは夏休みにもうちょい余裕も有って、だらだらしたり友達らと遊びまくっとったなぁ。その分のツケが全部3年の時に返って来て泣いたけど。
 第1志望大学に合格出来たんはほとんど奇跡なんて、恥ずかしゅうて努力家のまつながーにはとても言えん。
 ほやけど、あれだけ忙しかったのに、きっちり休みボケは頭と身体にきとって、初日の今日は講義中に何度も船をこぎかけた。動き回っとった分、じっと座って講義聴きながらノートとるんは結構疲れる。今日はバイトを休みにして良かった。
 まつながーも今日は休みたいて言うとったけど、急にシフトが変わって夕方から臨時バイトが入っとる。気の毒やから、晩ご飯はエネルギー摂れて消化のええモンにしよっと。
 納豆はまんま出すとして、チルド室には鶏の挽肉とサンマが有ったよな。ナスと挽肉のあんかけか、ナスとサンマを一緒に焼いておろしポン酢か悩むトコや。今日も暑いから汁モンはどないしよう。

 そんなコトを考えとると、校門前で真田さんの姿を見掛けた。美人さんやからすぐに判るんよな。
 休みが終わる前にも偶然会えたし、今も珍しく1人で歩いとる。これってもしかせんでもチャンス? 俺ってメッチャラッキーな男とちゃう? 真田さんの後ろ姿を追って自然と足が速うなった。
 夏休みの間にどんどん変わって、内面もずっとええ男に成長していくまつながーを間近で見とった俺は、1つ決心した事が有る。
 自分に自信が無いからなんてつまらん言い訳をして、逃げてばかりの俺はもう止める。思い立ったらぐずぐずせんと実行有るのみや。
「さ、ささささ、真田さん」
 うっはぁ。思い切って声を掛けたら豪快にどもってしもた。今の俺、メッチャ緊張しとる。それでもちゃんと声は届いたみたいで、真田さんは立ち止まって振り返ってくれた。
「あ、酒井君だ。今帰り?」
「う、うん。ささ真田さんも?」
 うがあ。普通にしゃべりたいのにさっきからまともに声が出とらん。いつもなら真田さん相手かて普通にしゃべれるのに。
「ひょっとして、あたしを見つけて走ってきてくれたの。顔が真っ赤だよ。大丈夫?」
 やっぱ顔が赤うなっとるんか。たしかに喉はカラカラやし気持も焦っとる。ほやけどちゃんと話しせな余計真田さんに変に思われる。
「ちょっと早足やったから。ほやけど俺の顔が赤いんは、真田さんの顔が見れて嬉しいからやと思う」
「え?」
 ……。やってしもたぁ。焦りすぎてしゃべる順番間違えてしもた。
 往来でいきなりなんを言い出すんや俺は。真田さんはホンマに訳わからんて顔で俺を見とる。勝手に自分に都合良う考えて、自分1人だけで盛り上がってどないするん。周囲に誤解されたら真田さんが困るだけやのに。
 真田さんはしばらく黙っとったけど、挙動不審状態な俺の顔を見て吹き出した。良かったぁ。真田さんは怒ったり嫌がったりはしとらん。そして、「そうだった」と軽く俺に頭を下げてきた。どないしたんやろう。
「この前は刺激の強い飲み物渡してごめんね。あれからお腹壊さなかった? 今朝、松永君から怒られちゃったよ。酒井君はお腹が弱いから、前知識無しで変な物を渡すなって」
 まつながーのアホ。やめれて言うたのに真田さんに文句言うたんか。
「腹が弱いんは俺の体質やから気にせんといて。真田さんは好意でくれたのに堪忍してや」
「ううん。あれはあたしが悪いよ。だから謝らせて」
 真田さんははっきりした視線を俺に向けて言い切った。こないな事して欲しゅうないのに。まつながーめ、ホンマに覚えとれや。
「ほやけど、俺は一口しか飲んどらんで。後はまつながーが……」
「うん。松永君から聞いたよ。好奇心でまた酒井君が飲まない様に、すぐに流しに捨てたんだってね。松永君はあのコーヒーをよく知ってるから」
 へ? まつながーが速攻でアレを捨てたんは、単に甘いモンが嫌いやからとちゃうの。
「だからあたしも安心して酒井君に渡したんだけど、まさか酒井君が松永君に見せる前に飲むとは思わなかったんだ。予想が甘かったよ」
「ほやからそれは」
「ちょっと待って。お願いだから最後まで言わせてよ」
 俺が心配せんといてと言う前に、真田さんは俺の口元に人差し指を突き出した。
「あれは地域限定品だから、地元民じゃない酒井君が何も知らなくて当然でしょ。あたしは酒井君の体質を知らなかったけど、知らなかったからじゃ済まない事なんていくらでも有るよね。松永君の機転が無かったら、あたしのいたずらで酒井君を寝込ませてたかもしれない。だから謝るのは当然。これはちゃんとけじめをつけたいあたしの気持の問題だよ」
 謝ってなんか欲しゅうないのに嬉しいて変やろか。なんてストレートに言葉に出せる人なんやろう。メッチャ気持がええ。やっぱ俺はこういう真田さんが好きや。
「あ、あの、真田さん」
 うう、なしてここでどもるんや。しっかりせい俺。今だけはまつながーのアホスイッチでもええから俺に憑依してくれんかなぁ。恥ずかしいて思う気持なんか全部吹っ飛ぶ様に。
「何?」
「もしこれから時間有るなら。お……俺、俺と一緒にお茶でも飲んでくれん? あ、当然お茶代は俺が出すから」
 い、言えたーっ。
 友達やったら普通に声を掛けられるのに、好きな女の子を誘うてこない気力と勇気が要るモンなんや。冷や汗たらたらな上に、マジで心臓が飛び出しそう。
 真田さんは少しだけびっくりしたて顔をして、そんですぐに笑ってくれた。
「今日はこのまま帰ろうと思ってたから時間は有るよ。お茶かぁ。喉も渇いてるけどちょっとつまみたい気分かな。あたしは基本割り勘派だけど、誘われて始めに言われたら断れないね。酒井君は甘いデザート系は大丈夫?」
「まつながーに比べたら平気やで」
「あはは。納豆命の松永君じゃ例が悪いよ。それならあたしが好きな所で良いかな」
「うん」
「こんな所で立ち話もなんだから行こうか」
 と真田さんは笑って歩き出した。俺もそれに合わせて隣を歩く。こないにトントン拍子で上手くいくなんて夢みたいや。

 真田さんが案内してくれたトコは、大学から駅に向かうには少しだけ離れたケーキがメインの喫茶店やった。まつながーなら店を見た瞬間に100パーセントUターンするで。
 俺かて店構えや内装がピンクやフリルやったら「お願いやから堪忍して」て言うてたけど、真田さんが選んだ店はお洒落やけどシンプルな内装で、味で勝負しとるて感じの店やった。
「あたしはレアチーズケーキとアップルティ。酒井君は?」
 メニューを回されてちょっとだけ混乱する。名前だけ見ても現物が想像つかん。
「えーと。堪忍な。俺、こういう店慣れて無うて、真田さんのお勧めが有ったらそれを一緒に頼んで貰うてもええ?」
「うん。良いよ」
 自分から誘っておいて、ケーキ屋やからて女の人に場所も食べるモンも全部お願いするなんて情けないて思う。ほやけど真田さんは全然気にしとらん風で、店員さんを呼んで俺の分のショコラケーキとアイスコーヒーを頼んでくれた。
「あはは。やっぱり酒井君でも駄目なんだ」
 真田さんはちょっと意地悪そうに冷や汗かいとる俺を見て笑う。
 あれ、もしかして微妙にイジメモード入っとるん? 真田さんのSはサドの……やめとこ。俺かて酒井で一応イニシャルはSや。
 一大決心した直後にマイナス思考は無しにしとこ。まつながーのアホスイッチ、アホスイッチ。普段なら見つけたら即捨てたるて思うスイッチやけど、今だけはまつながーの素直で正直なトコを見習いたい。

 さすがは真田さんちゅーか、俺に選んでくれたんはちょっと苦めのチョコレートケーキやった。飲み物もアイスコーヒーをブラックで頼んでくれたんで充分口直しになる。
 俺かて男やもんな。甘いモンも好きやけど、生クリームがどっぷり掛かったんは、こない人目の有るトコでは恥ずかしゅうて食いとうない。
 真田さんはごく自然にこういう気配りも出来る人なんや。こんだけ美人さんでスタイルも良うて性格もエエなんて完璧やろ。犬猿の仲っぽいまつながーはともかく、なして工学部の人らは真田さんを放っておけるんかなぁ。
 俺が真田さんにみとれとると真田さんの方が先に口を開いた。
「酒井君は夏休みに実家に帰った?」
「うん。バイトが有ったんで少しだけ」
「そっか。やっぱり定期バイト入れてると長期休みでもあまり自由にならないよね」
「真田さんは自宅組やったよな。休みの間は何しとったん?」
 やっぱ始めは普通の会話からが安心出来るよな。いきなり告白なんてようせん。どっかに呼び出して即告白なんて漫画かやアニメの世界や。
「あたしは休み中に自動車学校に通って免許を取ったよ。休み前に臨時バイトをして貯めたお金を全部使っちゃった。仮免から本試験まで一発合格できて良かった。親には学費以外でこれ以上負担掛けたくないから」
「へー。真田さんも偉いなぁ。まつながーもこの休みにお金貯めたから、冬か春に合宿で免許取るていうとったで」
「松永君が? まだ免許持って無いんだ。てっきり高校時代に取ってると思ってた」
 意外という顔をする真田さんに俺はちょっとだけフォローを入れてみた。
「まつながーは3月生まれやから、時期的に免許取るんは無理やったんやて」
「ああ、それはそうだね」
 ホンマは家の経済状態心配して高校時代には無理やったとは言えん。あれだけ俺に知られるのも嫌がったのに、余計な事言うたら後でまつながーに怒られる。
 俺がちょっとだけ視線を逸らしたら、真田さんが「うーん」と唸った。
「どないしたん?」
 真田さんは小さく首を振って、ケーキを突いとった手を止めると顔を上げた。
「あたしと酒井君てさ、学部も違うし酒井君はうちの学部に遊びに来てくれないでしょ。あたしも滅多にそっちに顔出さないし」
「そやなあ」
 まつながーから「オモチャにされるから工学部に来るな」て言われとるんは黙っとこ。真田さんの性格からしてまた喧嘩の種になりそうや。どっちも似たような性格しとるんやから仲良うすればええのに。
「授業に関係無い事であたし達の共通の話題って、腹が立つことに松永君しか無いんだよね」
 なんやえらい言われ様やで。まつながー、真田さんになんをしたん? まさかコーヒーの事でいつもの調子で喧嘩したんやないやろな。
 たしかに、真田さんと通じる話題がまつながーだけてちょっと寂しいなぁ。今更やけど、まつながーから何て言われても、時々工学部に顔を出しとけば良かった。
 真田さんは今は大きな髪留めで上げとる髪を一房掴むと指先ではじいた。
「あたしはもっと酒井君と話したいし、ちゃんと向き合いたいよ。せっかくの機会だから色々質問しても良い?」
 もしかして真田さんも俺に興味持ってくれとるん? ホンマなら嬉しいなぁ。なんやメッチャ都合のええ夢を見とる気分。
「俺の事やったらなんでも聞いてや。あ、ほやけど答えられん事なら無理て言うで」
 俺がそう答えると真田さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「あたしは酒井君の正直な所好きだよ」
「俺も真田さんのハッキリしたトコ好きやで」
 女の人相手に「好き」なんて言葉、こない自然に出てくるなんて思わんかった。俺、真田さんを好きになって良かったぁ。

 しばらく雑談をしながらケーキを食べ終わって、俺がコーヒーを一口飲んだところで真田さんが口を開いた。
「ねえ酒井君、どうして今日あたしを誘ってくれたの?」
「へ? あー」
 俺はホンマにアホや。自分でも信じられんくらいの間抜けっぷりやで。こない事にも気付んくらい脳みその容量ギリギリやったんか。
 夢みたいな状態がずっと続いとるから、完全に本来の目的を忘れとった。そら真田さんからしたら「いきなりなして?」思うて当然や。
 俺はテーブルに備え付けの紙ナプキンで口元を拭うと、真っ直ぐに真田さんの顔を見た。
 ……うっ。真っ正面に目が合うてコトは、俺と真田さんて身長ほとんど変わらんのや。いや、男の価値は身長や体格だけとちゃうて、何度も自分に言いきかせてきとるやろ。今が踏ん張り時や。
「あのな!」
「ちょっと、酒井君。声が大きいよ」
「あ、堪忍してな」
 真田さんが背を屈めて周囲の視線を気にしとる。俺の視界からも店の中の視線がこっちに集中しとってメッチャ気まずい。ああもう、さっきから真田さんの前でアホ丸出しや。
 緊張で自分の声の音量すら上手くコントロールができん。膝の上に置いた両手の平に汗もかいてきた。こんな状態じゃアカンやろ。ゆっくり息を吐いて落ち着けや俺。
 よし、言うで。
「お、俺、真田さんのコト好きなん。ほんで……良かったら俺と付き合うてくれん?」
 最後の方は下を向いて目も瞑ってしもた。とてもやないけど真田さんの顔を真っ直ぐに見れん。頑張って自分を変えようて決心したのに、相変わらずのヘタレ街道まっしぐら路線や。
 ゆっくり顔を上げると、真田さんがびっくりと複雑が入り交じったみたいな顔をして俺を見とる。やっぱこれって普通にお断りコースよなぁ。女の人を困らせたらアカン。男は退き際が肝心や。
「真田さん、嫌ならハッキリ断ってくれてええで。その……始めから玉砕覚悟で言うとるから」
 ほんのちょっとだけ期待してたなんて言わん。好きて思うんは俺の勝手やから、それを真田さんに押しつける気は無い。
 真田さんは少しだけ顔が赤うなって数回頭を横に振ると、真っ直ぐに俺の顔を見つめてくる。
「ありがとう。酒井君の気持ちは凄く嬉しいよ。だけど……」
 やっぱこの後は「ごめんなさい」やな。そらそうよなぁ。おとと。溜息は厳禁や。俺が視線を下げると慌てて真田さんは両手を振った。
「あ、誤解させちゃったかな。ごめん」
「へ?」
 真田さんはどう言ったらええんやろうて感じの複雑な顔をしてぽつりと言った。
「返事をする前に聞きたい事がいくつか有るんだ。酒井君はあたしのどこを好きになったの? あ、ごめん。言い間違えたから今の無し。どうしてあたしを好きになったの? あたしと酒井君は直に話したのはまだ数回しか無いよね。酒井君に限ってそういう事は無いと思うけど、まさか見た目だけとか単に話しやすいとかそういうのじゃ無いよね」
 へ? 話しやすいはともかく見た目てなんなん?
 真田さんはそこまで言うと下を向いてしもた。もしかして真田さんはこない美人さんでスタイルもエエのに、自分の外見にコンプレックス持っとるんか?
 いや、逆や。真田さんていつもカジュアルな服装しとるけど、もしかせんでも強引なナンパや痴漢防止の為とちゃうか。真田さんの外側しか知らずに、勝手な妄想する奴は居るやろう。
 俺と似とる童顔の姉貴かて時々「見た目だけで判断して近寄ってくる男は超ウザイ」て言うとった。真田さんくらい美人さんなら、もっと色々と嫌な思いをしてきとるんやろう。ほしたら俺はちゃんとホンマの事言わなアカン。
「たしかにまだ数回しか話したコト無いけど、俺は真田さんの真っ直ぐなトコが好きや」
 はじける様に真田さんの顔が上がった。効果が有ったっぽい。やっぱりこういう時は正直が最強や。
「真田さんと話ししとると安心するちゅーか、とにかく真田さんの言葉て気持ええんな。真田さんは自分をよう見せようとしてつまらん見栄はって嘘を言うたり、周囲に媚びを売ったりせんやろ。まつながーのアホ発言なんかばっさり切り捨てとるし。俺は初めて会うた時から、真田さんのそういうトコええなて思っとるん」
「それはあたしが毒舌と言いたいのかな」
 拗ねた様な声やけど真田さんの顔は笑っとった。良かった。ちゃんと通じとる。
「毒舌と正直は違うやろ。俺かて正直ならなんを言うてもかまわんと思わんで。その点真田さんはしっかりしとるし、ちゃんと判断が出来る人や。尊敬もしとる。これって理由にはならん?」
 姉貴から「女を誉める時は必ず可愛いて言うんやで」てしつこう言われとったけど、真田さんはそういう言葉を聞きたいんとちゃうて思う。ほやから俺も思ったとおりの事を正直に言うてみた。
 真田さんはまだ少し信じられんて顔で首を傾げとる。俺ってそないに信用無いんかなぁ。
「ごめん。まだ納得出来ない。もう少し質問させて。なぜ今そういう事を言い出したの?」
 あー、そっかぁ。唐突やったんか。うーん。どないしたモンかなぁ。休み中のまつながーを見とったからなんて、知らん人に言うても通じんやろうし、言っちゃアカンて思う。
「夏休みの間に色々有って、ほんで俺も逃げてばっかやアカンて思うたん」
「逃げるって何から?」
 ホンマに真田さんの言葉は正面からストレートパンチが来る。避けるコトも出来ん。避ける気もないけど。
「ヘタレで情けない自分からや。なんもせずに後悔するだけの俺はもう止めたいて思ったん。ほやから、夏休みが終わったらちゃんと真田さんに話しよて思っとった。ほんで、今日偶然真田さんを見つけて、思わず追っかけてしもた」
「あたしは酒井君がヘタレとは思わないけど、酒井君の基準だとそうなんだ」
 真田さんの視線が柔らこうなった。真田さんは真っ直ぐな分、こっちの正直な言葉もちゃんと受け止めてくれるんやなぁ。
「始めはまつながーの事も有ってどないしよかて迷ったんやけど、まつながーに聞いたら真田さんとは付き合ってないし、特別な感情も持っていないて言われたん。ほやったら俺が真田さんに告白しても、まつながーと喧嘩せんで済むて思ったんな」
「ちょっと待ってよ!」
 いきなり真田さんが大声を上げたんで、俺は当然、周囲の人もびっくりして真田さんの顔を見た。真田さんは顔は真っ赤やけど、もしかせんでもこれは怒っとるて顔?
「真田さん?」
「酒井君てさ」
 真田さんは声のトーンを落として俺の顔を正面から見直した。
「うん」
「本当にあたしが好きなの?」
「ホンマに好きやで。俺はなんとも思っとらん人に、冗談でこないな事を言う悪趣味は無いで」
 真田さんは本気でイライラしてきたっぽくて「そうじゃなくって」と髪をかきむしった。せっかく綺麗にセットしとったのに台無しや。俺、そない悪い事言うたんか。
「酒井くんは先に松永君の気持を聞いて、それであたしとは何でもないから、安心してあたしに告白したって言ったよね」
「うん。好きな女の子の事で友達と喧嘩しとう無かったから」
「つまりさ」
 俺を睨み付ける様に真田さんは言い切った。
「酒井君の中じゃあたしのポジションは松永君以下って事だよね」
「なしてぇ? まつながーと真田さんは全然ちゃうやろ。性別はもちろんやけど、俺まつながーと付き合いたいなんて1度も思ったコト無いで」
 うげぇ。自分で言うてて鳥肌立った。なして真田さんに告白しとんのに、まつながーを比較対象に出さなアカンの。
「違うって。あたしもそういう気持の悪い意味で言ってないよ」
 真田さんも同時に鳥肌立ったみたいで自分の腕をこすっとる。当然の反応や。アホを言うてしもた。
「あたしが言いたいのは、酒井君は松永君が少しでもあたしに好意を持っていたなら、あっさり諦められる程度にしかあたしを好きじゃないのかって事」
「あ」
「それともう1つ。酒井君はあたしをちゃんと女として見てる? あたし酒井君から全然そういう雰囲気感じた事無いよ。こうして向かい合って好きって言われた今でもね。これがずっと引っかかってたんだ」
「へ?」
 どういうこっちゃ。
「始めの質問に戻るよ。酒井君は本当にあたしを女として意識した上で好きなの?」
「俺、真田さんの事ホンマに好きやで」
「好かれてるくらいは酒井君の顔を見てたら解るよ。だけど異性として意識してくれてないでしょ」
「真田さんは女の人やろ」
「当たり前でしょ」
 イライラしてきとるんか、真田さんはまた自分の髪をかきむしった。
「あー、もう。普段の酒井君ならちゃんと人の気持が解るし勘も良いのに、自分の事になるとどうしてこんな簡単な事がわかんないのかな。多分、酒井君はあたしを女として見てない」
「えーっ?」
 マジで訳解らんっちゅーか、なして真田さんはそう思うん? 俺はちゃんと真田さんが好きやて言うとるのに。
 俺が困惑しとると真田さんは溜息を吐いてテーブルの上に身を乗り出した。
「本当に鈍いよ。あまり大きな声で言えないからちょっと顔をこっち寄せて」
「あ、うん」
 俺も前のめりになると真田さんは口元に両手を寄せて小声で囁いた。
「これであたしが酒井君と付き合うと言ったとして、今からラブホテル行こうと言われたら、酒井君はあたしとセックス出来るかって聞いてるの」
 はあ? 真田さんいきなりなんを言い出すんや。これからホテルでせっ……。
 嘘やろ。ちょい待ってや。アカン。頭の中に白いもやが張ってグルグルしてきた。告白したら即えっちするなんてドラマだけやのうてホンマに有るん? ちゅーか、今時の大学生てそういうのがデフォルトなんか?
「馬鹿が付くくらい真面目な酒井君にはとても無理でしょ」
 一瞬頭のスイッチが切れただけやから断言せんといてや。……て言えたらどんだけ楽やろう。
 たしかに俺にはとても無理や。頭に血が上ってるっぽい今の真田さんに正直に言うて通じるやろうか。段々自信のうなってきたなぁ。
 いやそうとちゃう。俺は下らん男のプライド振りかざして真田さんを言い負かしたいんやない。頭切り替えよっと。
「えーとな。男の俺が女の真田さんにこないな事言うのも変やけど、ものには順序てモンが有るんとちゃう」
 俺が真面目に言うと真田さんは少しだけ顎を逸らした。雰囲気からして続きを言えてことっぽい。
「酒井君基準の普通ってどういうの?」
「ほやから、始めはこうして一緒にお茶したりご飯食べたり、映画を観たり、美術館とか行ってみたり、どっちかが行きたいトコに一緒に遊びに行ってみたりして、お互いが好きなモンを沢山知って……ほんで」
 あれ?
「とても酒井君らしい模範的回答だね。それで、そこから先はどうしたいの?」
「そこから先は……」
 あれ? 何も頭に浮かばん。
「時間を作って出来るだけ一緒に居って色々話して……ほんで……」
 あれ? これって先に進んどるん?
 真田さんは「やっぱり」と寂しそうな顔で小さく溜息を吐いた。
「真田さん、俺、俺は……」
「もういいよ。無理しなくても。酒井君、自分でも分かったでしょ。あたしの事を異性として見ていないって」
「ほやけど、俺は真田さんの事ホンマに」
「もう言わないで!」
 俺が全部言う前に真田さんは俺の言葉を遮った。
「酒井君の気持ちは本当だろうし、そこまで言って貰えるのは嬉しいけど」
 テーブルの上に置かれていた注文票を持って立ち上がった真田さんは、表現しようのない顔をして言うた。
「女の立場からしたら酒井君て最低。……違うな。凄く残酷な男だと思うよ。ここはあたしが払うね。この店に誘ったのはあたしだし、あたしは今の酒井君には奢られたくないよ。じゃあね」
 それきり黙ってしもた真田さんはバッグを持ってレジに行くと俺が食べた分まで精算した。1人で店を出て行った真田さんの姿が完全に見えんくなるまで、俺は全く動けんかった。


 どれくらい時間が経ったんやろう。店員さんがカップや皿を下げて良いか聞いてきたんで「すみません。出ます」とだけ言うて俺は席を立った。
 店を出る所で「大声出してたけど喧嘩じゃないみたいね。今の子って凄く可愛いけど男の子かな?」「えー、1人で店に残ってたくらいだし小柄で声も高かったよ。女の子でしょ」なんて、俺が1番聞きとうない会話が聞こえてきた。

 ――――――――――――――――っ!!

 俺は声にならん叫び声を上げながらアパートに駆け戻って畳の上に突っ伏した。
 真田さんは口調こそハッキリしとったけど、最後には今にも泣きそうな顔をしとった。
 真田さんは始めから俺の告白に違和感を持っとったんやろう。それでも最後まで理性的やった。鈍い俺の為なんかにあない恥ずかしい事も言うてくれた。
 俺の事を思いっきり罵倒してひっぱたいても構わんかったのにせんかった。
 自分から好きやから付き合ってて言うといて、その気持が友達以上やなかったなんて、しかも告白した相手に指摘されるまで、自分では全く気付けんかったなんて、俺はホンマに最低の男や。情けのう過ぎて涙も出ん。
 俺はあないに優しい真田さんを酷う傷付けた。謝って済む問題とちゃう。償う方法なんて思い付かん。まつながーに言われんくても2度と工学部には近寄れんな。真田さんにこれ以上嫌な思いはさせとうない。
 今までは可愛い子にあこがれるだけで、自分から積極的に声を掛けてみようなんて思わんかった。ほやから真田さんとはただの友達でおりとうなかった。
 俺はなして真田さんをちゃんと女の人として好きになれんのやろう。あないに真っ直ぐで気持のええ人は他には知らん。本気で好きやと思うたから告白したのに。
 俺は、俺は男としてどこか変なんか?


 ジーンズのポケットに入れといた携帯がメールの着信を知らせてきた。差出人はまつながーで、予想よりバイトが早く終わってもうすぐ帰れるて内容やった。
 そうやった。今日は俺が食事当番なんやから、腹空かせて帰ってくるまつながーの為に晩ご飯つくらな。俺はとてもやないけど食欲無い。けどしっかりメシは食わなアカンよなぁ。
 まつながーは時々変な方向にアホになるけど、俺の感情を読むのはメッチャ上手い。ちょっとでもおかしな雰囲気みせたら、心配性のまつながーの事やからあれこれ聞いてくるやろう。
 少のうとも今日の俺はいつも通り元気でまつながーの大好きな天子のフリをせなアカン。
 天子なんて大層な肩書きは今かて俺には重すぎや。ほやけど、まつながーは俺にそれを望んどるんよな。
 俺はゆっくり息を吐くと荷物を置いて立ち上がった。

 鶏肉とナスに上手いコト味が染み込んだ頃、まつながーは「ただいま。やっぱり暑いな」と言いながら帰ってきた。
「おかえりー。タイミングピッタシやな。丁度ご飯出来たトコやで。ちょっとだけ粗熱取るから待ってー」
「事前にメールしといて良かった。お、美味そう」
 流しで手を洗ってうがいをしたまつながーは鍋の中を覗き込んでくる。ほんで俺の顔を見て少しだけ首を傾げた。
「ヒロ、何か有っただろ」
「へ?」
「声は明るいのに顔が暗いぞ」
「ああ、やっぱし顔に出とるんか。ちゅーか、人の表情を読むなていつも言うとるやろぉ」
 自分でも嫌になるくらいわざとらしい会話や。まつながーの顔が益々怪訝そうになる。
「ヒロ?」
 なんが有ったのか話せという無言の圧力をビリビリ感じる。自分で意識して天子らしゅう振る舞うなんて出来んのやな。さっきから演技が上滑りしとる。これ以上はやめとこ。虚しゅうなるだけや。
「まつながー、お願いや。報告したい事が有るからご飯食べた後にでも話聞いてくれん? それと、ナスの方に集中したいから納豆とご飯とお茶に箸の用意も頼んでええ?」
「……分かった。やっておく」
 まつながーはまだなんか言いたそうやったけど、俺の気持ちを察して引いてくれた。まつながーの中では俺は絶対に嘘を言わんらしいからなぁ。
 たしかにまつながー相手に嘘なんて言いとうないから言わんけど、嘘を言いとうないからこそ何も言わずに黙っとる時の方が多いんよな。
 俺はまつながーが考えとるほど綺麗な性格なんかしとらん。俺からしたらまつながーの方がっよっぽど綺麗で素直な性格や。いつもは羨ましいて思うけど、今日だけはうらめしい。

 まつながーに好評やったご飯も食べ終わって、俺らは冷たい麦茶を一気に飲んだ。あんかけは美味しいけど夏向きかて言われると少し微妙やなぁ。とろみで暑さが増すんよなぁ。
 茶碗を洗い終わったまつながーが、缶ビールと俺用にリンゴ酢ドリンクを持ってきてくれたんで礼を言う。そろそろタイミングええかな。
「まつながー」
「ん?」
 俺の顔を真っ直ぐに見返してくるまつながーに、俺は出来るだけ普段通りの顔と声て言うてみた。
「今日帰りに真田さんに会うたから、告ってみたけどあっさりふられたー。報告はこんだけ。俺かてへこむ時有るんやから、お願いやからそっとしといてな」
「えっ!?」

 もう限界や。これ以上笑顔のフリしとったら俺の心が折れてまう。
 俺は驚いとるまつながーの顔を見返せんくて風呂場に逃げ込んだ。


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