裕貴と一緒に晩飯の支度をしていたら、服部からメールが届いた。用事はその場で済ませたい主義の服部は、普段は口頭かメモを回してくるから珍しいな。

 件名:無題
 本文:明日の昼は酒井君の顔を立てて有希さんは行くって言ってるけどね、今度また有希さんを落ち込ませたり泣かしたら、皆が居る教室であんたを泣かす!

 本気で怖い。これは俺が裕貴の暴走を止めなかったからか? それとも俺が真田に直接何かやらかしたのか?
 携帯を片手に固まっていたら、今度は真田からもメールが来た。

 件名:無題
 本文:明日の昼は行くよ。あんたからのメールが来た時、奈留さんが横に居て怒ってた。
 悪いけど、あたしが彼女の立場ならやっぱり怒ると思うから庇えない。
 考え事をしていた松永は気づかなかったんだろうけど、あたし達、今日はずっとあんたの直ぐ後ろに居たからね。

 うわっ。やっちまった。
 後ろに居たのか。全く姿が見えないから、腹を立てて俺を避けていると思っていた。
 これは俺が、「明日で裕貴は帰るから来てくれ」と直に頼まなかったのが気に入らなかったんだな。というか、後ろに居たなら声を掛けてくれよ。2人共忍者か?

 携帯を抱えて動かない俺の顔を見た裕貴は、小さな溜息を吐くと眉を下げて笑顔を作る。
「今、健ちゃんに何か言をったら逆効果の予感しかしないから、俺はキャベツを切ってるよ。メインは料理の上手い健ちゃんに任せる。使い慣れない台所は緊張するから包丁を持っている間は俺に話し掛けないでね」
 いや、そこは一般論(裕貴を信じて嘘とは思わない)で良いから慰めてくれよ。俺達親友だろ!

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(27)

96.

「たった半日ではありますが自分を見つめ返した結果、酒井博敏様におかれましては、この度、多大なご迷惑とご心配をお掛けしました事を、心から反省しお詫び申し上げます」
 何なんこれ?
「また、酒井博敏様とご一緒にご迷惑をお掛けした、最上光様、石川信高様にも明日お詫びをする所存です。更に、一番ご迷惑をお掛けした真田有希様におかれましても、明日、誠心誠意を持って謝罪する事を誓います」
 えーと……。
「裕貴さんの気持ちは解った。謝罪も受けとる。夜も遅いしそろそろ俺は部屋に入りたいんやけどええかなぁ?」
 玄関の土間で土下座をしている裕貴さんが邪魔で部屋に入れないまま、俺は10分位扉を開けたまま立ちん坊をしている。
「裕貴、真っ先に謝りたい気持ちは解るけど、ヒロが部屋に入ってからにしろって言っただろ」
 まつながーが裕貴さんの両脇に手を入れて立たせると、ベッドの上に投げて転がした。
「コンクリートの上で正座してたから、足が痺れちゃって立てなくなった」
「帰宅メールと同時に玄関に座るからだろ」
「だって、迷惑を掛けた自覚が有るのに謝らないと人として駄目だと思うし、俺の気持ちも済まなかったんだよ」
 まつながーは呆れたように溜息を吐き、反論する裕貴さんはベッドから動けないまま四つん這いでブルブル震えとる。
「大体察した。繰り返しになるけど、謝罪はして貰ったからもう謝らんくてええから。ほやけど、裕貴さんもかなり……いや、マジでアホやな」
「アホって。そんな事言われても」
「今のは俺とまつながーしか見てない所でやったからええけど、ただのパフォーマンスでないならそういう謝罪の仕方は止めた方がええで」
「俺もそう思う」
 俺とまつながーがきっぱり言い切ると、何とか上半身を起こした裕貴さんは意外そうな顔をする。
「最上と石川は表面はともかく根っこは素直やし、気持ちも割と大らかやけど、わざとらしい事をメッチャ嫌うから」
 俺が手洗いとうがいをして座布団に座ると、まつながーも畳に腰掛けた。
「真田もああいう性格だから、逆に馬鹿にしてるのかって切れそうだ」
「そうなら、どうやって彼らに俺が真剣に反省していると解って貰えるんだ? あんなに毎日沢山迷惑を掛けたのに。ごめんなさいの一言じゃ済ませられる気がしない」
 初めて裕貴さんの情けない顔を見て、俺はまつながーに視線を向けた。首を傾げて肩を竦めたまつながーはお手上げという動作をする。あーもう、しゃーないなぁ。
「あの3人に許して貰えるかどうかは、俺も判らんけど……」


 金曜日。泣いても笑っても裕貴さんは今日の講義が終わったら真っ直ぐに茨城に帰る。レポートを纏めて月曜日の朝一で提出せんと、元の講義を受けさせて貰えんのやて。
 昨日も裕貴さんは寝るギリギリまでPCに向かっとったもんな。
 本来の講義を受けずに、他所の大学で講義を受けるという無理を通した分、きちんとした結果を出さないと認められないとか厳しいと思う半面、一週間全く受けられなかった分の講義内容は、教授や講師の好意で纏めてデータで貰えるらしい。病気とか、事情が有ってどうしても講義を受けられなかった人は解るけど、自己都合で他大学に居る裕貴さんは、もしかせんでも講師達から期待もされとる?
 因みにノートはすでに友達に頼んで有って、コピーを貰う予定らしい。
 まつながーと裕貴さん、俺の3人は、今日は時間が惜しいからと、行きにコンビニでパンやおにぎりを買い、いつもの場所でお昼ご飯も済ませるつもりや。
 ほやけど、そう考えてたんは俺らだけやのうて、最上と石川は俺と一緒に教室から、そして、真田さんまでコンビニの袋をぶら下げて集合場所に現れた。
 お互いにしばらく顔を見合わせてたけど、石川がぷっと吹き出して、「なんとなくこうなる予感はしていた」と、笑いながら椅子に座った。
「だよなー」と、最上も苦笑して石川の隣に座る。
 俺が壁側で自販機に一番近い席に座ると、正面から真田さん、まつながー、裕貴さんが座った。
 「いただきます」と、全員で言って持ち寄った昼飯を食べ始める。
 5個もおにぎりを買っとる最上は、1個目を速攻で飲み込んで、2個目のおにぎりのビニールを剥がしながら真田さんに目を向ける。
「酒井のバッグが膨らんでたんで、松永と斉藤もそうじゃないかと予想してたけど、真田までコンビニ弁当を持ってくるとは思わんかった」
「俺も。なんとなく、真田さんは食堂でなきゃ手作り弁当のイメージが有った」
 石川が紙コップのコーヒーを飲みながら意外そうな顔をする。
 頬を赤らめた真田さんはぐっと喉が詰まるような顔になって、慌ててペットボトルのお茶を飲むと、ハンカチで口元を拭いてから顔を上げる。
 オムライスのケチャップは口に着いとらんから安心してや。なんて、細かいツッコミは言わん。なんとのうやけど、今は俺は何も言わん方がええて気がするんよな。
「お弁当は荷物になるから持ち歩きたくないの」
「千葉方面に行く電車は行きも帰りも凄く込むから解る。けど、真田は荷物大きなバッグ持ちだから食料も持ってそうで」
 真田さんとは逆路線やけど自宅通学組の石川も、文庫とはいえ数冊の小説や、講義の資料なんかで結構な荷物持ちや。やっぱり荷物になるからと、飲食物は大学の売店で買っとる。
「非常食ならいつも持ってるけどね」
 と言って、真田さんはバッグから黄色くて薄い四角い箱を取り出して見せた。
 「あー」と、全員からやや残念そうな声が上がる。
 メッチャ小声でまつながーが「知ってた」と、呟く。
 最上が笑顔で「真田って顔に似合わず女子力がひ」と言い出したんで、石川と俺が慌てて両側から口を塞いだ。
 最上を見つめる真田さんの目が一瞬で鋭くなったんで、思わず3人で愛想笑いをしてしまう。正面に座るまつながーと裕貴さんも無言で「うわあ」と言う顔になっとる。
 うっかり者の最上め、何を言い出す気や。面と向かって言って良い台詞とちゃうで。これが俺の姉貴なら蹴りかビンタが出とる所やで。
 微妙な緊張感が続く中で食べた明太子とおこわと鮭おにぎりは、あまり味がせんかった。いつもは梅、おかか漬け物セット一択の俺としては贅沢したつもりなのに残念や。しらす、梅、おかか、昆布と定番100円おにぎりを選んだまつながーは真田さんに顔色を見られないようにか、やや裕貴さんの方に顔を向けながら完食した。ミックスサンドと稲荷寿司を買った裕貴さんも同様。
 俺と石川に両側から張り手をされた最上は、やや不機嫌そうな顔で残ったおにぎりを全部食べ終えると自販機でコーラを買った。
 カレー、コロッケ、焼きそばと、総菜ばかりのパンを食べた石川は、丁寧に指先をウエットティッシュで拭う。
 食べ終わった皆の視線が、俺に集まっとるのは気のせい?

97.

 空気をあえて読まないのか間が悪いと言うべきか、それとも全部天然で自分に正直過ぎるだけなのか、朝から怖いオーラを醸し出していた真田を相手に、最上が気温が直滑降しそうな事を言い出したのには参った。
 ヒロと石川の顔色は悪くなって、俺の横では裕貴が昨日から引き締めていた気持ちが一瞬で飛ばされて、笑って良いのか悪いのか、今の自分の立場を考えたら、確実に悪いから笑えないという微妙過ぎる感情を隠せずにいる。さっきから頬と口元がピクピク引き吊ってる。
 そりゃそうだ。俺も今この状態で笑う事も話す事も出来そうも無い。ここはヒロに期待したい。
 視線を向けると、ヒロも昼飯を食べ終わっていて、ペットボトルのお茶を飲みながら目をキョロキョロと動かしている。
 俺と目が合うと、大きな目を更に大きくして「俺?」って顔をした。通常モードのヒロは凄く可愛いな……じゃなくて。
 全員から、特に真田から好意を持たれているヒロがやらなかったら、逆に角が立つだろ? そういう思いを込めて見返したら、ヒロは小さくゆっくりと首を横に振って、視線を俺の隣に居る裕貴で止めた。
 ヒロの真摯な視線を受けた裕貴は、微かに震えると荷物を置いて立ち上がって気をつけの姿勢を取った。
「最上光様、石川信高様、真田有希様、まずは今日もこちらに来てくださった事に感謝します」
 そう言って、裕貴は背中を湾曲させずに頭を45度まで下げる。昨夜、ヒロに指摘されて何度も練習した通りに最敬礼だ。
「また、皆様に対して初対面にも関わらず馴れ馴れしい態度を取った事、自分勝手な感情で不愉快な思いをさせてしまった事を始めとして、多大なご迷惑と心労をお掛けした事をお詫びいたします。俺……違う。私、斉藤裕貴は考え足らずでした。本当に申し訳ありません」
 頭を下げたまま言い募る裕貴を見て、石川は息を呑んだ。真田は一瞬だけ身じろぎして裕貴を見つめた。そして、ヒロは少しだけ安心したような顔になった。
 固まっていたらしい最上は、数回瞬きをすると肩を竦めて苦笑した。
「お前の気持ちは解った。他2人は判らんけど、俺にはもう謝らなくて良いかんな。あのな斉藤、俺らだって失敗なんて何度もしてんの。毎日繰り返される小さなミスから、土下座しても取り返しの付かない事までな」
 最上のきっぱりした口調に驚いた裕貴は視線を上げる。
「立ったままも何だから斉藤は座れ。……うん。良し」
 裕貴さんがベンチ腰掛けると最上は笑って言葉を続けた。
「今回お前はちょっと……うん? かなり? なんか物事の順番間違ってるつーか、状況見えてないつーか、色々やらかしたけどさ、それって斉藤は本気で酒井の事が好きだからだし、真田の事だって初恋なんだろ? こんな風に泊まりで自分1人で東京に来たのだって初めてだって言ってたし、1週間の期間限定も有ってかなり興奮してたんだろ? そりゃ大きな失敗もするって」
 何かを思い出すように最上は少しだけ視線を外して、すぐに裕貴に戻す。
「俺だって酒井に度初っぱなでやらかしたかんな。全く自慢出来る事じゃねえし、酒井が懐広くなかったら今でも許して貰えなかったかもしんねえ。けど、仲直り出来た今は酒井と友達になれた。俺らクラスメイトよりずっと遙かに酒井に大事にされてんで気に入らなかった松永とも、ちゃんと話したら仲良くなれた。結局は、掛けた時間手間とお互いの気持ちの問題って俺は思ってる。だからな、斉藤は焦んな。俺や石川は昨日お前と話して、ああ、こいつはヘラヘラ笑ってたけど、ずっと緊張してたんだなって解ったからもう怒ってねえよ。今、お前が謝らなきゃなんねぇのは真田だけ。そうだろ? 真田」

98.

「え、あたし?」
 いきなり最上に名前を呼ばれた真田さんが、驚いて顔を上げる。
「真田以外誰が居んだよ?」
 最上が当然という顔で言いつのる隣で石川も無言で頷いた。俺も最上に同感や。今回の事で1番の被害者は多分真田さんやもん。最初から積極的に関わろうとしてきたから、自業自得な面も有るけど、裕貴さんに振り回されてるという一点では最大や。最上と石川は俺に付き合ってくれとるだけで、頭のネジが飛んどる裕貴さんを避けようて思うたら、いつでも逃げられる立場やって、前に言うとったもん。
「石川君は本当に良いの?」
 真田さんがまだ少し迷うように石川に水を向ける。
「俺は、斉藤は興味深いから」
「あー」
 にっこり笑う石川に最上が苦笑する。
「俺の趣味を考えればすぐに解ると思うけど、物語を書くなら人間観察は基本だろ。癖が有ったり、特殊性が有るほど観察しがいが有る。そりゃ、独善的で迷惑しか掛けてこない奴は年齢性別関係無く寄ってきてほしくないけど斉藤は違う。欲を言えば、今回は当事者にならずに、此処にに居る全員を少し離れた所から眺める方が楽しそうだけど、すぐ側で見ていても面白かったから良いんだ。俺は斉藤を嫌いじゃないから安心して欲しい」
 石川は一旦言葉を切って、真田さんを真っ直ぐ見直した。
「俺の事より真田さんはどうなの? ハイになって頭のネジが飛んだ状態の斉藤に振り回されて、あれこれ本人以外には意味不明に近い事を言われて凄く怒ってたのに、どうしてまた此処に来ようと思えた?」
 石川の質問を受けて、真田さんはピクリと肩を震わせる。裕貴さんの顔も緊張で少し強ばってる。間に居るまつながーはそんな2人を心配そうな顔で交互に見とった。
「あたしは……」
 真田さんはぽつりと呟くと口を閉じて、まつながーと俺の顔を見た。
「あたしは、話してみても斉藤の事が判らなかったし解らなかった。人の話を聞く耳が有るのか疑いたくなるレベルで、言いたい放題やりたい放題しているという印象を受けた。酒井君が優しいから、絶対に怒られないからと甘え過ぎていると感じて腹が立った」
「うん。俺らから見ても一昨日まではそんな印象だった」
 最上が相づちを打つと、石川も黙って頷いた。裕貴さんは真摯な顔つきで真田さんの言葉に耳を傾けとる。
「だけど、自分勝手なのはあたしにも言えるんじゃないかと反省して、水曜日にもう1度斉藤と話してみた。そうしたらもっと解らなくなって混乱した。だから昨日は離れたの」
 まつながーも、最上も石川も真田さんの気持ちは解るという顔で頷いている。原因の裕貴さんはそれも仕方無いという表情で苦笑した。
 俺は女子から告白された経験は無いんで想像しか出来んけど、あんな雰囲気で好きって言われたら、めっちゃ混乱するよなあ。
「そして、水曜の昼からずっと考えた。あたしはたった数ヶ月分とはいえ、松永の事を知ってる。短期間で貯金したいからなんて理由でアルバイトとパチンコで稼ぐなんて身体がいくつ有っても足りない事をしていても勉強は常に上位。頭は凄く良いのよ。なのに、内面は融通が全く利かなくて、不器用で、言葉の使い方が下手で、他府県民から見たら度を超した頑固な納豆星人だよ。そんな松永が斉藤を大切な親友だと言う」
 まつながーが超が付く位のウイスパーボイスで「納豆星人と呼ぶな」と抗議しとる。大きな声で言わんのは、真田さんに気を遣ってるのと、普段は結構雑な扱いをされとるのに、真田さんがまつながーを認めてくれとるのが嬉しいからやろな。
「それと、何よりも酒井君だよ。偶然松永と同じアパートの隣に住んでいて、絶対の信頼を寄せられている酒井君。良い意味で綺麗で不思議な人。嘘が無いからか、側に居ると癒やされるし、安心する。大勢の人から近くに居たいと思われている人。これは酒井君が優しいからだよね。酒井君が居なかったら、きっと今でも松永はクラスの中でお昼ご飯を食べなかった。だけど、そんな酒井君が本気で怒ったら洒落にならない程怖い一面も持ってると聞いてるよ。そういう酒井君が何度か電話で話して、たった1度会っただけの斉藤に好感を抱いて信じてる。あたしには理解不能だった」
 もしかせんでも俺、真田さんに滅茶苦茶褒められた? ちょっと困った話もされたんで微妙な気分。
「まだまだ、あたしの認識は浅いのかなもしれない。最初に良い印象を持たなかったから、本気で斉藤を解ろうとしてなかったから理解出来なかったのかなって。もしそうなら、あたしは第一印象で決めつけたら駄目だななって。……とは言え、第一印象ってそうそう外れないし、人間関係で相性も大事だし、最初どころか毎日やらかされ続けてる気もするけど、あたしはちゃんと斉藤と向き合って無かったなって思ったから来た」
 それまで黙って聞いていた最上は、「真田も難儀な奴だな」と苦笑した。
「余程認めたくないのか、長々回りくどく話してたけど、結局は、真田さんは人となりを知っている松永と酒井が手放しで信頼するなら、その根拠をこの目で確認したいって事だね」
 ばっさりした石川の指摘で、真田さんが「うぐ」と変な声を上げながら自分の胸を押さえた。
 裕貴さんが固まっているのを気付いたまつながーが、肘で裕貴さんの脇腹を突く。
 はっと気付いた裕貴さんは、立ち上がると真田さんの正面に立って再び頭を下げた。
「混乱させて、悩まさせて、本当にごめんなさ……じゃなかった。済みませんでした」
 そして、少し頭を上げて真田さんの顔を正面から見ると頬を染めて言った。
「解って貰えないかもしれないけど、やっぱり、俺は真田有希さん、あなたが好きです。あなたのその正しさを求める真っ直ぐさと真摯さは尊敬に値し、憧れずにいられません。俺はあなたは素晴らしい女性だと思っています」
 50センチも離れていない距離で言われて、真田さんは顔全体を赤く染めた。
 あ、これは伝わったんや。裕貴さんの本気が真田さんに通じたんや。
 …………くっそう。メッチャ悔しいなあ。俺は真田さんに信じて貰えなかったのに。
 そら、あの時に俺の告白がおかしかったのは認めとる。けど、気持ちと身体が連動するって難しいやんか。好きなだけじゃ駄目って言われても、俺には解らんのや。
 今なら真田さんと手を繋いでみたいくらいは思える。けど、その先は俺はちょっと怖い。
 経験不足の俺にとって、初めて過ぎて失敗するのが今も怖い。真田さんに呆れられて嫌われるのが怖いんや。

99.

 俺は、真田の混乱する気持ちも、裕貴の負けを知っていても引けずに告白する気持ちも、そして、ほとんど無表情なまま悔しそうにしているヒロの気持ちも全部解ってしまった。
 それは、裕貴の過去や立場も、真田の恋心も、そして、恋愛未経験で悩んでいる自分の気持ちを抱えていても、周囲の人達の気持ちを大事にしようとしているヒロの強い意志も知っているからだ。
 情報不足な最上と石川はお互いの顔を見合って、今は沈黙を保つ事にしたらしい。流石というか空気を読むべき所は外さないというか。こういう気配りができる所をヒロは認めているんだろう。
 俺は真田を応援しないけど邪魔もしないと決めている。
 裕貴の初恋を応援したいけど、後押しも出来ない。
 そして、ヒロの本心までは解りやすいようで、解りきれずにいた。
 ヒロ自身も自分が本当はどうしたいのか悩んでいたんだろう。真田に好きだと告白してから、断られても好きでいたのは知っている。
 けど、その好きがどういう形なのかまでは近くで見ていても判らなかった。ヒロからは情欲が全く感じられなかったから。
 ヒロ、俺の天子。少しくらい我が儘を言っても良いんだぞ。
 ヒロが今でも真田を好きなら、目の前に居る裕貴を邪魔と蹴り飛ばして、自分が真田の前に出ても良いんだ。
 それが人を傷づけたり揉めるのが嫌いなヒロに出来るのか、俺には判らないけど。

「ごめんなさい!」
 沈黙を破るように大声を出した真田が、立ち上がって裕貴に頭を下げた。
「あんたをどう思っているとか以前の問題で、あたしには好きな人が居るからあんたの気持ちには応えられない!」
「え! 真田さんは好きな人が居るの?」
 真田の言葉を聞いてヒロが大声を上げる。
「え!?」
 最上と石川と俺が同時に声を上げた。
 ひょっとして、ヒロが悩んでいたのは、自分の気持ちがよく解っていない事だけじゃなくて、真田の気持ちも解らなかったからなのか?
 最上は数回ぱくぱくとさせて、すぐに一文字に口と閉じた。
 石川は眼鏡を外して苦笑している。お前、今はどこかに焦点を合わせたくないんだろう。
 真田と裕貴は力が抜けたみたいに、ほぼ同時にベンチに腰掛けた。
 ヒロは周囲を見渡して、ああと小さな声を上げてヘラリと笑った。
「そっか。真田さんの事を知らんかったのは俺だけか」
 今それに気付くなら、もっと前に自分に向けられてる真田の気持ちに気付いて欲しかった。
 あれ程あからさまで解りやすくて、ここ最近のヒロへの贔屓は露骨な位で、さっきもベタ褒めされているのに。どうしてヒロには真田の気持ちが解らないんだ?
 真田は俯いて両手で顔を覆う、と大きな溜息を吐いた。
 裕貴は数回頭をぐるぐる回しすと、俺越しに真田の顔を見つめた。
「ゆっきーは自分の気持ちを大事にしてね。俺は諦める気は無いけど、ゆっきーを応援するよ」
 「えっ?」と、(真田が顔を上げる。
「それは、自分の気持ちよりも好きな真田の気持ちを優先するという意味か?」
 石川に聞かれて裕貴は首を横に振った。
「違う。だって考えてみなよ。人に何かを言われたからって、簡単に自分の気持ちを変えられるか? 俺には無理だ。だって本当に思ってる事なんだから。表に出さなくなるかもしれないけど、気持ちは変えられない。それはゆっきーも同じだよね。石川も、最上も、健も、そして」
 裕貴は真っ直ぐな視線をヒロに向けた。
「酒ちゃんも。自分は自分に嘘は付けない。そうだろう? 人に迷惑を掛けるだけの行動は止めておけとは俺も思う。けど、自分の内面だけで思ってる気持ちを、自分まで否定する必要が有るか? その程度の気持ちなら本気じゃないんだ。本気ならその気持ちを大事にしていて良いんだ。それは誰にでも当てはまる事だ。だから俺はゆっきーを応援する」
 きっぱり言い切る裕貴に、俺達全員が引きずられる。
「俺はゆっきーには幸せになって欲しい。これも俺の本音だから。だけどね、俺がゆっきーを好きだって気持ちでいるのは自由だと思うんだ。だからゆっきーにはこれを渡しておくよ」
 そう言って裕貴は、シャツの胸ポケットからぽち袋位の小さな封筒を出した。
「俺の携帯の番号とメールアドレス。住所は変わる可能性が有るから、もしも連絡取りたくなったら健にでも聞いて欲しい。俺はこれから10年はゆっきーを待てるよ」
 「気が長っ」と最上が呆れたように言う。
「途中で斉藤の気が変わったらどうするんだ?」
 石川の問いかけに裕貴は頷いて答えた。
「その時はごめんなさいと謝る。けど、今は待ちたいという気持ちだから」
 真田は少しだけ笑って、裕貴が差し出している封筒を受け取った。
「解った。良くも悪くも迷惑でも、あんたは正直なだけなんだね。そうなら、あたしも正直に言うよ。今は友達未満の知り合いならなっても良いよ。そして、あたしがあんたを異性として好きになるのは待たなくて良いよ。あたしも今の自分の気持ちを大切にしたいから」

100.
 
 俺は俺が恥ずかしい。
 裕貴さんも、真田さんも、最上も、石川も、まつながーもみんなみんな格好良い。
 それは、例え自分が傷付く事になっても自分に正直でいるからや。
 俺もそうでありたい。そうなりたい。
 荷物をベンチに放り出して立ち上がる。
「真田さん!」
 俺が叫ぶと同時に無粋な携帯のアラーム音が鳴り響いた。
 かーみーさーまー。ここで時間切れとか、ホンマに堪忍してや!
 「お、酒井の携帯が鳴ったって事は午後の講義時間が来たか」と、最上が立ち上がる。
 「これで解散だね。今日も遠い教室だから酒井も急いで」と、石川がバッグを肩に担ぐ。
「俺も。みんなまた機会が有ったら会おう。最上と石川はごめんね。また連絡したいから俺の連絡先は酒ちゃんから聞いて。そして良ければ俺にも教えて。ゆっきーの事ばかり考えててうっかり忘れてた」
 と、ややすっきりした顔で裕貴さんも足早に歩き出す。最上と石川は「良いぞ。分かった」と走りながら返している。
 いきなり大声で呼ばれてびっくりしていた真田さんと、多分同じ教室に戻るまつながーが俺の顔を見上げてくる。
「うん。時間やから続きはまたやな。まつながーは今日は帰り遅いやろ。バイト頑張ってな。そして、真田さん、また今度な。次こそちゃんと話すから」
 俺の顔を見たまつながーは「分かった」と、親指を立てて歩き出した。
 真田さんは数回瞬きをして軽く吹き出すと、立ち上がって手を振りながら歩き出した。
「うん。またね酒井君」
 裕貴さんと話し合えて安心したのか、ここ最近で1番綺麗な笑顔やった。


 そして、台風のようにやって来た裕貴さんは、また、台風のように茨城に慌ただしく帰って行った。
 1週間後、まつながーと俺宛に水戸名物の大きな菓子折がダンボール箱に詰められて届いた。
 最上と石川、真田さんの分も入ってて、俺達宛のメモに「3人の住所は聞いて無いからお願い」と書かれていた。最後まで気持ちを解って貰う事に一生懸命で、そういう後々まで考えた根回しはほぼ出来んかったもんな。裕貴さんもああ見えて一杯一杯やったんやろうな。
 まつながーが「これ、俺は食べた事は無かったけど、女子に人気の菓子だ」と苦笑するから俺も笑った。
 どうやら裕貴さんは、真田さんへの細かいアピールは忘れてないっぽい。
 今度は俺の番や。偶然か必然か判らんけど、あの日、裕貴さんに貰った勇気は今も俺の心に残っとる。
 また振られて泣く事になってもかまわん。俺は今度こそ解って貰えるまで真田さんに告白するって決めたんや。

第2期完 Endingへつづく


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