『酒井くんと松永くん』-Ending-


 契約駐車場に駐めた車を降りて、アパートの階段を上って行く。
 運転中は見ないスマホの画面には、金曜日恒例のまつながーからのメッセージが入っとった。ここ最近仕事で忙しくて会えとらんけど、この分やと今週もお互いに自分の部屋で、チャットをしながら晩飯を食いつつ酒を呑むコースやな。
 俺は今愛知県の南の隅に有る会社に勤めとる。小学生の頃からずっと入りたかった第1希望の会社で、内定を貰った時は飛び上がって喜んだ。俺の夢を知っとる皆も喜んでくれた。
 まつながーもやっぱり第1希望の愛知県の北の方の会社に勤めとる。
 内定が決まってから、2人でアパートの部屋で買って来たピザやフライドチキンや寿司とビールで宴会をやって、お互いに二日酔いになったのは今でもええ思い出や。
 そのまま滅茶苦茶競争率の高い希望しとる部署に行ける程、世の中は甘くは無かったけどなあ!
 俺もまつながーも当たらずとも遠からず、ニアミスはあくまで当たってないみたいな仕事を貰って、これも勉強と思って一生懸命に仕事する事まだ3年。早3年かも。
 頑張っとるけど、イマイチロケットに近づいとる実感は湧かん。
 たまーに工場に行けると、飛行機やロケットの本体の組み立て現場も見れるんやけどなあ。まつながーはエンジンを見せては貰えんらしい。あっちは機密性を考えたら当たり前か。
 扉を開けると少しこもった臭いがする。部屋の中に洗濯物を干して1日締め切ってたから、窓を開けな。
 ドライブスルーで買ったまだ温かい牛丼と少し冷たいサラダ入りの袋をテーブルに置いて、ノートパソコンの電源を入れた。ヘッドセットはパソコンの側に置いてあるから問題無し。
 電気ケトルに水を入れてセット。マグカップに緑茶のティーバッグを放り込んで、台所の換気扇を点ける。部屋のカーテンを閉めてから窓を細く開けて電気を点ける。これがほぼ毎日のルーチン。
 お隣さんはどんな人なのか未だに知らん。ちゅーか、表札に名前を書いてないし、顔を見た事も無い。郵便物は来とるから一応人は住んどるらしい。俺とは生活時間帯が合わんのやろうな。こういう所は学生用アパートと全然違う。
 話し相手が居なくてたまに寂しくもなるけど、時々はまつながーと名古屋駅で待ち合わせて遊んだりもする。休みに多めに時間が取れたら実家に顔を出しとる。大学時代は多くて年に2回しか帰れんかったから、少しは親孝行できとるのかも。
 お湯が沸いたからカップに注いで、椅子に腰掛ける。カメラも付いとるけど、余程でなきゃ使わん。部屋が汚れてたりパンツ1枚で居ると、まつながーがオカン化して説教してくるから面倒なんよな。
 チャット画面を立ち上げると、まつながーはすでに部屋に居て、チャット画面に意味不明のアスキーアートを貼り付けたり、スマホで撮ったらしい食い物や花の写真を貼り付けて暇つぶしをしとった。
「まつながー、こばはー。こっちはこれから晩ご飯」
『おう、お帰りヒロ。俺は飯は終わってビールを飲んでた所。話すのが面倒なら文字だけになっても良いぞ。それよりもよく噛んでから全部食べるんだぞ。話すのに夢中になって就寝直前まで半分も食べていないとか、2度とやるなよ』
「……やかましいわ。オカン」
 あれはついうっかりや。肘が当たって机から落ちた時にまだ残ってた事に気付いただけや。メッチャ勿体無かったけど。あの張り込んで買った特大カツ丼は勿体無かったけど。
『あ、今何て?』
「……いや、何でもない」
 まつながーにオカンは禁句や。あれでも気にしとるらしい。
 結局、俺の身長は大学時代にほぼ伸びなくて164.5センチで止まってしもうた。3月生まれで成長期が終わって無かったまつながーは、あれからも伸び続けて189センチで止まった。古いアパートだけに、玄関はともかく度々トイレと風呂のドアにおでこをぶつけとった。
 まつながーは俺の身長が伸びないのは、肉とカルシウムが不足しているからとやたらとご飯を食べさせたがった。「可愛いけど」という余計な言葉付で。
 親父も母さんも割と小柄な方やから、俺自身はあまり期待しとらんかった。まつながーの身長を5センチで良いから分けて欲しかったとか思っとらん。……多分。
 それはともかく、女子に間違われなきゃええ。うん。こっちは切実や。
 大学入学時に車の運転免許を持ってなかったまつながーは、アルバイトは1年目の2月で辞めて、春休みをほぼ全部使って合宿で普通自動車免許を取った。その後は緊急時のヘルプ要員として店に登録して、棚卸しで力仕事を手伝う以外は勉強に専念した。
 俺も3月で定時バイトは引退して、急病人が出た時とかのヘルプ要員になった。うちの大学の理系学生は1年生の間はバイトに明け暮れて、2年目からは勉強で頑張るのは、あの辺りの店では割と多いらしくて、すんなり引き継ぎも出来た。おかげで俺も勉強を頑張れた。三重の両親も、何事も経験で1年目はアルバイトも良いけど、2年目以降は勉強を1番頑張れと言って、色々補給物資を送ってくれたり、金銭面も応援してくれたしな。

 金曜日で気楽になっとるまつながーは、酒も手伝って陽気になって、ここの所休日出勤で掃除もしていないと愚痴を挟みつつ、今夜も雄弁に話す。
 まつながーは大学1年目は感情表現が上手くなくて口下手やったけど、3年で専攻した機械工学の先輩達や講師の人らが、やたらと真面目で不器用なまつながーをからかいながら構い倒し、勉強だけじゃなくて、口も達者にならないとやっていけないと教え込んでくれたから、自分の考えや気持ちを上手にしゃべるようになった。
 後々聞いた話だと、自分が考えて設計した物を人に説明できないと苦労するからと、かなり心配してくれていたらしい。まつながーはええ先輩に恵まれとる。
 俺も情報工学(ちゅーても、俺が入ったのはプログラムがメインのトコ)の講師や先輩らに色々な面で鍛えられて、希望の会社に入れたから感謝しかない。

 一緒に工学部に居た最上は、システムエンジニアとして東京の会社に入社した。石川は地元企業に内部エンジニアとして就職した。
 医学部の裕貴さんは医師免許も取れて今はインターンの1年目。大学病院で忙しくしとる。妹の綾香ちゃんが無事に希望する大学に入学出来たから、肩の力が良い感じに抜けとる。綾香ちゃんはうちの大学の学園祭に、裕貴さんと一緒に遊びに来たんで、俺も会えた。裕貴さんとは違う方向の綺麗な子やった。
 綾香ちゃんは裕貴さんが小児科医を目指したので、外科医を目指すつもりでおる。資格を取って卒業したら、次に看護も勉強して、更に落ち着いたら医療事務も覚えたいと言っていたから、最終的にどこを目指しているのか判らん所が有る。ちゅーか、それって何十年計画なん?
 無茶過ぎと思うけど、どうやら、裕貴さんが開業した時に困らないようにって思っとるらしい。これはまつながーからの情報。なんだかんだ文句を言うとるけど、まつながーは綾香ちゃんと仲が良い。
 数回会っただけの俺から見ても綾香ちゃんはスーパーウーマンで、今もまつながーを虎視眈々と狙っとる。ちゅーか、外堀埋め中?
 まつながー、色々な意味で頑張れ。
 俺がこれを言うとメッチャ嫌そうな顔になるけど、あれから大学時代も、就職してからも彼女が居ないまつながーには(工学部の女は女子じゃねえとか言ってたんで、真田さんにちくってやった)綾香ちゃんは貴重な女性やと思っとる。

 そして、真田さん。
 材料工学をやりたいと言っていた真田さんは、東京の会社に就職をしながら大学の研究室にも通っとる。恩師の教授と共同研究を今も続けとる。目標に向かって1歩1歩進んどる彼女はホンマに格好良い。
 実は真田さんとは1年生の正月の頃から1年間だけお付き合いをした。
 告白の場所は工学部裏のベンチ。まつながーと服部さん(この人は真田さんの友達やと紹介された)のお勧めで、情報学部のあの階段下並に人に見つからない安全な場所と教えて貰った。
 裕貴さんが去って2週間後、俺は勇気を出して真田さんを呼び出して「前に振られたけど、やっぱり好きや」と告白した。
 真田さんは何か変な食感の物を口に含んだような、好物だと思ったら違ったみたいな複雑な表情になると言った。
「あたしが告白しようと思ってたのに、また酒井君に先を越された」
「そこなん!?」
 そう言い返してしもうた俺は悪くないと思う。
 苦虫を噛みしめたみたいな顔をした真田さんは、「こういうのは本当は駄目だって分かってるけど」と前置きをして、俺の鼻先に指を突きつけた。
「あたしはね。夏休み前、ううん。もっと前ね。松永が酒井君に連れられて工学部の食堂にも顔を出した辺りから酒井君が好きなの。良い? あたしが先。恋愛なんだか友情なんだか区別が付いてもいないのに告白してきた酒井君とは違うの」
「どっちでも好きなんやからええやん。けど、そんな前やったん?」
 この返しが不味かったみたいで、真田さんは目をつり上げて綺麗な顔を更に綺麗に怖くした。
「全然違うよ! まあ、そこは酒井君だからあたしが大人になって諦める。話を戻すよ。酒井君はあたし達が出来なかった事をしてくれた。納豆ごときなんて言ったら絶対に本人が怒るけど、食べ方をからかわれて以来、松永を昼に見る事無くなった。安東君達は反省したけど、松永がもっと離れていくんじゃないかと、怖くて謝る事も出来ずにいた。だからあたしや服部さんが声を掛けてみたけど失敗して、どうして良いか判らなくなってた」
 安東さん達の事は聞いてたけど、女子もやったんか。
「ほら、1度だけ松永と酒井君のバイト先にご飯食べに行った事が有ったでしょ? あれ」
「……あ」
 あの時のか。嫌な事を思い出してしもうた。
「松永と何を話して良いか判らなくて、松永と仲の良い酒井君をよく知りもしないのに話題に持ち出してしまった。あの時はクラスの男子から浮いてた松永が元気になるなら、色々相談出来る友達になってもなんて、相手の気持ちも考えずに自分勝手な行動を取っただけに、恥ずかしくて泣けたんだよね」
「まつながーに振られたってそういう意味やったんかぁ」
「なんとかしたくて何人かで組んでやったから、尚更松永には悪い事をしたわ」
 あー、あのモテ期到来状態の裏ってそういう事やったんか。まつながーの不器用さと極一方向にキモイのがばれて、学部の女子から離れられたんとちゃったんか。
 個人的な付き合いの無い学部の女子からは、4年間ずっとモテとったもん。けど、真面目なまつながーは「知らない子とは付き合えない」って断っとった。
「それに、あたしは頭と顔とスタイルが良い男は、父親と弟で見飽きてるし」
 見飽きるんや。もしかして、可愛い系女子は姉貴で見飽きてる俺と一緒? ……あれ、何か変ちゃう?
「……え、ちょっと待ってや。それなら俺は?」
「……酒井くんはそこらの女子より可愛いよ」
「視線逸らしつつも真顔で言うなー!」
 そんな脱線だらけの告白大会? の後、両想いなら1度はちゃんと付き合ってみようと2人で決めた。
 結果を報告した時に、ガッツポーズをした服部さんと、少し遠い目になったまつながーの対比が印象的やった。
 裕貴さんにも報告したら、「おっそ」と一言で済まされた。
 まつながーに聞いたら、俺と真田さんが両片思いなのは、裕貴さんも最上も石川も知っていたとの事で、メッチャ恥ずかしかった。
 それから俺と真田さんは手探りで俺ららしい男女の付き合い方をしてみた。デートをして、一緒にご飯を食べたり、映画を観たり。
 お互いに初めてで試行錯誤しながらえっちもした。好きな相手との触れあいは、凄く心が満たされるとまつながーが言ってたのを全身で理解した。幸せやと思った。
 けど、付き合っていく内に俺の中で真田さんの立ち位置が変わっていった。
 真田さんは俺にとって尊敬する人、お互いに頑張っている姿を応援したい人、悩みを打ち明けたい人、真田さんは女性やけど、まつながーや毛やんと変わらない親友のポジションにいつの間にか収まっとった。男女の付き合いとか、結婚とか考えられんくなった。
 それは、真田さんも一緒だったらしくて、一生良い親友でいようと約束して、俺らは円満に別れた。
 凄いのは俺らを良く知る人は誰も「何で?」と聞かなかった事。むしろ「やっぱり」と言われたので、真田さんと2人で落ち込んだ。
 最上が言うには「熟年夫婦だってもっと男女してる」という事らしい。服部さんは「あんた達ほぼ双子じゃん」と言った。傍からはそういう風に見えとったらしい。
 そして、10年待つ宣言をしとった裕貴さんは、俺と真田さんが別れたと知ったら、すぐに真田さんに猛攻を掛けた。土日とはいえ勉強大丈夫か? って俺とまつながーが心配して止めるくらい凄かった。それでも、折れなかったし丸め込まれもしなかった真田さんとは、今も良い友達以上恋人未満で居るらしい。裕貴さんま「結婚はまだ早いからね」と、笑っとる。斉藤一族の10年計画はホンマに恐ろしい。

 そうそう。実は姉貴が去年結婚して俺に兄弟が出来た。
 相手は俺の親友の毛やん。まさかの曇天返しに、本人が号泣しながら、姉貴やのうて俺に抱きつくもんだから、後で姉貴に俺が殴られた。なんでやねん。
 結納の後に2人にどういう経緯か聞いてみたら、割とどっちも純情で笑ってしもうた。
 毛やんがずっと姉貴を好きだったのは俺もよう知っとる。
 一方の姉貴は、俺を自由にする為に酒井家を継ごうと、地元で就職してうちの両親も大事にしてくれる男を捜しとった。相手は常に1人やけど、広く浅く遊び過ぎて「大丈夫か? このままやと結婚出来んのとちゃうか」と、こっそり思ってたくらいや。
 中学時代から見た目が老けてた毛やんは、姉貴の好みのストライクだったけど、5つも年下と知って、姉貴は泣く泣く身を引いたらしい。当時の毛やんはまだ中学3年やもんな。いくら姉貴が童顔で見た目だけ中学生かて犯罪や。
 毛やんが大学の長期休みにバイトしとる水族館で再会した2人は、なぜあの時姉貴が毛やんと離れたか、まだ好きだとか、お互いにきちんと話し合って、毛やんが地元に就職できたら結婚しようという話で纏まった。一部のうちの親戚は年が離れとるとか、まだ若いから将来性が見えないとか言うて、毛やんを貶したけど、毛やんの頑張りは俺が知っとるから全力で応援した。
 あれこれ有ったけど、毛やんが無事に地元の堅い会社に就職出来た事、俺がいつでも帰れる愛知県に就職した事、男兄弟しか居ない毛やんは、どうしても実家を継ぐ必要も無い事から、晴れて姉貴と結婚出来た。
 隣県に就職が決まった俺が酒井家を継ぐって言うたけど、
「三つ子の魂百までみたいに夢を手放せないロケット馬鹿は無理!」
 と、両親や姉貴も含めた親戚一同から言われたのは未だに忘れられん。
 そら、ロケットを打ち上げる種子島は鹿児島やもんな。
 有名なJAXAは関東やもんな。
 ちょっとだけ泣いた。
 せっかく希望の部門に就職出来た、ロケットの仕事はさせて貰ってない。
 うん、分かっとる。まだ俺の実力じゃ無理よな。
 まつながーも同じように考えとって、時々2人で名古屋の科学館に行ったり、かがみはら航空宇宙博物館に行ったりして、いつかきっとと気分を上げとる。
『そういえば聞いてるか?』
「ん?」
『ベンチャーのロケット開発企業が求人を出してるって』
「えっ、ホンマに!?」
 初耳や。競争率メッチャ高そう。場所は北海道やったよなぁ。姉貴夫婦をフォローしたい俺にはメッチャ遠い。
『これからの会社だから、今よりロケットに近い所で仕事が出来る』
「それはそうやろうけど。まつながー、この前はJAXA行きたいとか言うてなかった?」
『あそこは俺にとっては地元だからな。だけど、逆にロケットからは遠のきそうで』
「そうなんよなぁ。ロケットそのものは民間企業が作っとるから」
『石の上にも3年と思ってたけど』
「まさか今のとこ辞めるん?」
『実際、悩むぞ。俺がやりたいのは何なのかって思うと』
「けど、今の所じゃないと、実際の宇宙は遠くなるやろ。そう言うて俺ら頑張ってきたんやん。まだまだ俺らは勉強も経験も不足しとるやん」
 ガタンと大きな音がした。まつながーが椅子から立ち上がったっぽい。カコンと軽い音が聞こえてきたから缶を捨てたんやな。
 実際は気持ちを落ち着かせたいのかも。まつながーは焦っとるのかもしれん。
 こういう時、お互いに顔が見れないのは辛い。
『ヒロ』
「なん?」
『種子島に見学……は無理だから、また科学館に行ってロケットを愛でてこようぜ』
「うん。俺ら、あの真っ直ぐさが大好きやもんな」
『お前そういう趣味だったのか。7年目にして初めて知った。道理で、もてる割に真田の後、誰とも……』
「ちょい待てや! 何の話や。ロケットの話とちゃうんかい。俺とチャットする前に何本呑んだんや。この酔っ払いめ!」
 こんな感じで、住む所は離れても、相変わらず俺はロケットと納豆大好きなまつながーのツッコミ役をやっている。

おわり


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