木曜日、昼食を終えたいつもの場所には、最上と石川と裕貴さん、まつながーと俺の5人が集まった。事前に連絡をくれた真田さんは来ん。
 真田さんからのメールを読んだ俺は、裕貴さんに振り回されて混乱しとるやろう真田さんの心中を想像して、かなり微妙な気持ちになったけど、その日の内に「分かった。また」とだけ返信した。金曜日に来る? とはとてもやないけど聞けん。プレッシャーにしかならんもんな。
 真田さんがここに居らんくて、安心したような、もやもやしとるような……。
 アカン。形にもならん色々な感情が湧いては消えて、また戻ってきてを繰り返して、上手く考えが纏まらん。
 今日は出口に近い壁側から石川、最上、俺の順で、正面奥自販機側のベンチにまつながー、出口側に裕貴さんが座った。
 全員の顔を見渡した石川は笑って言った。
「真田は女子会か。じゃあ俺達は男子会だな」
「げーっ」
「うわぁ」
 最上とまつながーが同時に嫌そうな顔をした。
 裕貴さんは「この面子も悪くないけど、見た目の華が足りない」と残念そうに呟いた。
 そして俺は、今どんな顔をしているんやろう?

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(26)

93.

 肩を2、3回ゴキゴキと鳴らした石川は、俺と裕貴の顔を見てにやりと笑った。
「どうせだから、女子の前では出来ない話でもするか?」
「て事は下ネタか。夜ならともかく今ここでするのはちょっとなあ」
「なしてそれ一択やねん」
 最上の素のボケに、速攻でヒロのツッコミが入る。
「俺は飯やスイーツネタでもOKだよ。TV番組の話はちょっと辛い。家族の事情兼バイトであんまり見てないんだ」
「俺もバイトが忙しゅうてTVネタは追いつけん」
 ヒロが胸の前で両手でバツを作るので俺も頷いた。
「俺もたまの休みはバイト先から借りてきたDVDの映画を観る事が多いぞ。大抵ヒロも一緒に見ている。それか、録画しておいた天文か科学系のN○Kスペシャルとか。連続ドラマは観る暇が無い」
「え、レンタルするって言ったら黒いカーテンに隠れたコーナーじゃね? 俺は映画はテレビ放送を録画して観てる。テレビドラマは気に入ったのが有ったらやっぱり録画して休みに纏めて観る派。アニメなら定額制のネット配信だな」
「黙れ気楽な独り暮らし」
 せっかく違う話題に変えたのに、すぐに下ネタに戻した最上の後頭部を石川が叩く。
「あははははっ。最上は独り暮らしなんだ。家事が面倒臭そうだけど羨ましい。俺は実家暮らしだから家族の目が怖くて出来ない事が多いんだ。そう言う石川も自宅組か。仲間が居てくれて嬉しいな。健と酒ちゃんは……うん。大体察した」
 裕貴が含み笑いをすると、石川と最上も乾いた笑いを見せた。反論してやりたいけど、倍以上返しされるのが確実だから俺もヒロも黙っている。
 1度だけヒロに頼まれてエロビデオをレンタルしたが、すぐに寝てしまったのでそれ以降は借りていない。金と時間の無駄使いだ。使用目的なら映像よりどこでも見られるグラビア写真の方が手っ取り早いと俺は思う。
 ヒロは俺のお下がりを借りて読んだり、どこからか貰ってきたらしい雑誌を適当に眺めて(ここ要注意だぞ)は、捨てている。俺に隠すこと無く可燃用ゴミ箱に堂々とにそのまま入れる辺りがヒロらしい。溜まる程じゃ無いからわざわざ紐で縛って出さない辺りも。
 ヒロはセックス自体に全く興味が無い訳でも無く、欲もそれなりに有るけれど、商業や不特定の相手にはあまり興味が無いんだろう。そっち系のアニメや漫画はストーリーに頭が行ってしまう方だし。欲処理の方法は大体察している。高校の寮時代には誰でもやっていた。
「んじゃ、今日は斉藤に質問して良いか? 真田程じゃないけど俺もお前には結構疑問だらけなんだ」
 最上が視線を向けると裕貴は笑って「答えられる範囲なら何でも答えるよ」と言った。
 ちなみに裕貴の答えられないというのは、俺を含む友人や、家族のプライベートの事だ。自分の事はべらべらと話すけど、人の事はあまり話したがらない。そういう点では裕貴はすごく信用できる。
 但し、友人や家族の良い所自慢は聞かれなくてもするという有り難迷惑な事もやってくれる。ヒロに対して俺の許可無く俺の事情を色々話したのは、それだけヒロが裕貴に信頼されているからだ。
「お前、真田が好きって本気なんか?」
 最上の問いに石川が小さくうなり声を上げた。おそらくここに居る全員が裕貴に聞きたくても聞けなかった事だ。ヒロも無言で最上と裕貴の顔を交互に見ている。
 ここで俺が「裕貴は決していい加減な奴じゃない」と言えば良いのかもしれないが、裕貴自身がそれを望まない事もよく知っているから、俺はここの所裕貴に関して何も言えずにいる。
 無言でペットボトルのお茶を口にしていると、裕貴が隣に座っている俺を振り返って笑った。
「健ちゃん、大好き。愛してるよ」
「誤解を招く言い方をするのは止めろと、何度言えばお前は止めるんだ?」
「えー、本当の事だもん。俺は健ちゃんを愛してる。だって、健ちゃんはなんだかんだ言っても俺の事を信じていてくれる。だから、今も黙って俺を見ていてくれるのも知ってる」
 真田の事を聞いたのに俺の話を始めた裕貴に、最上が不満そうな顔をする。
「そうじゃなくて」
「それと方向は同じじゃないけど、俺はゆっきーの事を本気で好きだよ。あ、もちろん酒ちゃんの事も大好き」
「酒井はともかく、松永に関しては俺達には要らない牽制だぞ。斉藤の気分的に今言いたくなっただけなんだろうけど」
 と、裕貴の返しにボソリと石川が言った。相変わらずこいつは察しが良すぎだろう。
 ちらりとヒロを見たら、半眼で「俺の事はどーでもええねん。むしろ話がややこしくなるからすんな」と言いたそうな顔をしていた。どことなく俺が天子連呼した時の反応に似ている。聞かれた事にだけ答えろと言いたいんだろう。無言を通しているのが逆に怖い。
「えっと、……そうか。そりゃそうだね。じゃあ、どこから話せば良いのかな?」
 裕貴は少し首を傾げて手を数回合わせた。考え事を始めた時の動作だ。裕貴は最上に真摯に向き合おうとしている。
「俺には中3になる妹が居るんだ。あ、見る? すっごく可愛いよ」
 と言って、携帯で撮った綾香ちゃんの写真を最上達に見せる。
「うおっすげー可愛い」と、最上が嬉しそうに言う。
「これは将来美人になる」と、石川。こいつも満更でも無さそうだ。
「これが噂のま……、あ……、うん。裕貴さんに少し雰囲気似とる美人さんやな」と、ヒロ。
 自称婚約者ネタで綾香ちゃんを覚えたヒロは、俺の名前を言いかけて止めて、更に綾香ちゃんの名前も出しかけて口を閉じた。危なかった。綾香ちゃんの名前も出さなかったのは、裕貴が言わなかったからだろう。
 皆の反応に気分を良くした裕貴は、ポケットに携帯をしまいながら言った。
「妹は小さい頃から可愛くてもてるんだけど、学校や塾帰りに知らない男に後をつけられたり、変質者や痴漢未遂事件も何度か遭って一時酷い男嫌いになってね、俺と父親以外はゴミでも見るような目になってた」
 「あー」とヒロが小さく声を上げた。ヒロの姉さんもヒロに負けない凄く可愛い顔で、その手の被害は散々受けていたらしい。
「小学5年の時だったかな、突然俺にこう言った。「お兄ちゃん、女性にちゃんと責任を取れる歳になるまで恋愛禁止。少なくとも高校卒業前は禁止。大体、医者を目指してるのに恋愛に浮かれる暇なんて無いでしょ。欲求不満なら手でも道具でも使いなさいよ」て」
 「直接過ぎる」と、石川が苦笑する。
 「小5? その時、斉藤はいくつだよ? 中高校男子にそれってめっちゃきっついじゃん」と最上。
 禁止はされなくても、似たような事を姉に言われ続けていたヒロは無言で苦笑していた。
 皆の気持ちはよく解る。俺も最初、綾香ちゃんの事情も知らずに聞いた時はどん引きした。だから裕貴も、最初に綾香ちゃんが男に嫌な思いをしている事を話したんだろう。
「妹の言い分は解ったんだ。たしかに高校卒業前に男女交際して、勢い余って行く所まで行って、妊娠でもさせてしまったら、中高校生の俺達じゃその子に何も出来ない。一生ものの傷が付くのは相手なのに、男は反省しか出来ないだろ。両方の親に殴られながら土下座して謝ったって取り返しのつかない事だ。18歳ですぐに就職、結婚ができる奴はともかく、大学進学目指してる俺がやって良い事じゃない。だから妹は俺に厳しい禁止令を出したんだ」
 裕貴はペットボトルの水を口に含んで顔を上げた。
「それで、俺は高校でそういう心配の要らない男に走ったんだけど「ちょっと待て裕貴!」
 黙って聞いていたら何を言う気だこの野郎。
 俺が睨み付けると裕貴は「健ちゃんこわーい」と、全然怯えもせずに両手を口元に当てた。全く似合わなければ笑えるのに、似合うから余計に腹が立つし気持ちが悪い。
「言い方が悪かったか。男女交際が出来ないなら、友情を育もうとして健に出逢って惚れ込んで、「おい!」
「健ちゃんうるさい。あまり話の腰を折らないでくれよ。更に将来の実益も兼ねて男限定でよろず相談を受けてた訳だ。まあ、そのせいでホモ疑惑が沢山出たんだけど、受験勉強でメンタルギリギリだったり、自暴自棄になって誰でも良いから巻き込みたい女子に、変に執着されたり、絡まれたり、縋られたりしなかったから結果オーライだったよ。身近にそういうのに引っかかったお人好しが居たから尚更ね」
 裕貴が溜息交じりに言うと、ヒロがこっそり俺の顔を見た。
 違う。俺はちゃんと両思いだった。そりゃ、部活で仲良くなってからがんがん交際を迫ってきたのは美由紀からだし、セックスだって切っ掛けは……いや、人のせいにしたら卑怯だ。1度や2度じゃないし、俺からしたいと言った事も有るし、全部同意だったんだから。間違っても美由紀が傷付く事にならないよう、毎回気をつけながらしてた。そういえば俺達のセックスは「その場の勢いって何ですか?」状態だった気がする。酷く落ち込んでる時は、抱きしめ合って体温を感じるだけでも気持ちが落ち着いたから。
 俺が大学に進学したらすぐに理由も告げられないまま振られて、何ヶ月かは荒れたけど、あれで良かったのか未だに判断に迷う話し合いも最後にしたけど、美由紀と付き合った事は今も後悔はしていない。好きになって良かったと思ってる。

「おーい、健ちゃん? 健ちゃーん。戻っておいでー」
 は?
 気がつくとヒロ、石川、最上、裕貴と全員が俺の顔を覗き込んでいた。
「うわっ!?」
 思わず仰け反ると、最上が人の顔見てその反応は何だと毒づき、石川には人の話を全く聞いてないとかと睨み付けられ、裕貴は「何を妄想していたんだか」と言い、ヒロは「始めは顔面蹴ってやろうかと思ったけど、途中から違う事でトリップしとったから、どこで正気に戻そうかと悩んどった」と、力無く笑った。
「酒井は松永の考えてる事が解るのか?」
 石川が聞くと、ヒロは露骨に嫌そうな顔になる。
「まつながーが俺の事を考えてる時は、無意識で俺をじーっと眺める。たまに脳内駄々漏れになって鳥肌モンの事も言い出す。勉強の事を考えとる時は、手にメモ帳を持って時々走り書きをしとる。それ以外の時はお地蔵様みたいにじっと動かんから、解りとうのうても判るようになってもうた」
 日頃から色々迷惑も掛けているから仕方が無いんだが、本音を言うヒロは何気に俺に対して酷い。嫌みじゃないから尚更だ。ちょっとだけ泣きそうな気分になる。

94.

 裕貴さんが俺達に高校時代の話をしながら、ちらりちらりと俺の顔を見る。
 当然、石川や最上の顔も見るんやけど、俺の顔を見る回数に比べると少ない気がする。
 まるで「真田さんに対して本気だから、遊びじゃないから、誤解はしないで欲しい」と、俺に言っとるみたいで、どう受け止めてええのか俺には判らん。
 裕貴さんは真田さんを好きやて言うた。俺も今でも真田さんが好きや。これって恋のライバルになるんかな?
 けど、俺は1ヶ月くらい前に真田さんに振られてて、一方の裕貴さんは、初対面の時にやらかした事やその後の言動のせいで、真田さんに誤解されまくって好意的とは到底言えんレベルになっとる。これってどっちもどっちなん?
 けど、俺は今の状態を単純には喜べん。
 裕貴さんが本当に軽くて、いい加減で、適当で、自分勝手な人なら、割と潔癖な所が有るまつながーは裕貴さんと親友にならんかったし、俺も裕貴さんと出逢いもせんかったやろう。
 軽い態度が誤解されやすいだけで、ホンマはメッチャ真摯で良い人。それが裕貴さん。
 真田さんかて、ちゃんと裕貴さんと向き合ったら好きになるかもしれん。
 俺みたいに残酷な男なんて言われんやろう。
 俺が何も言わんと黙っとるからか、裕貴さんがさらに誤解を招くような言葉ばかり選らんどるからからか、まつながーが微妙な顔をしとる。俺も何か言うた方がええんかな?
「んーと。そうすっと、斎藤は自分は真田が好きだから、俺らには邪魔するな遠慮しろって? それとも単なる気持ち表明をしたかっただけなんか? 自分は茨城に帰るから、俺らに真田に変な虫が着かないよう見張ってろとかでも言いたいんか?」
 それまで黙って話を聞いとった最上が少し不機嫌そうに聞く。
「単なる気持ち表明だね。俺は誰にも遠慮なんてして欲しくないし、俺も誰かに遠慮する気は全く無い無い。大体、肝心のゆっきーの居ない所で何をどうしろと? それこそ彼女に対して失礼な話だろう。選択権は彼女に有るんだから。俺が君らに話をしているのは、感謝の気持ちからだよ。酒ちゃんや健の手前だらかにしろ、初対面でこれだけやりたい放題している俺に、怒らずにこうして付き合ってくれてるんだから」
 なしてか、ややドヤ顔気味の裕貴さんに、石川が眼鏡のブリッジを押し上げながら突っ込んだ。
「一応自覚が有ったのか。やりたい放題と分かっているなら少しは自重すれば良いのに」
「大人しく自重をした結果、印象に残らずにすぐに忘れられるより、皆に俺の事を覚えていて貰いたいから」
「はあ!? お前、何言ってんだ。悪印象ばっか残してそれで真田に嫌われたら、ただの馬鹿だぞ」
 石川に反論した裕貴さんに、最上が更に畳み掛ける。こういう時、この2人はメッチャシンクロしてくるよな。
「えっ、そうなっちゃう? 俺、ゆっきーにぐいぐい行き過ぎた? 余所行きじゃないありのままの俺を見て貰いたかったんだけどやりすぎた? 好意を持って貰うどころかすでに嫌われてる? どうしよう。明日までしかここに居られないのに」
「酒井にもセクハラかましてただろ。明日まで真田に逃げ続けられたりして。つか、されるんじゃね?」
「うわーっ!!」
 最上が苦笑すると裕貴さんは頭を抱えて大きな声を上げた。
「そこで驚くか? 自分で解っててやってたんだろ。違うのか? 最初に酒井に絡んだ所を真田に見られた段階で気付けよ。完全に変態扱いだったろ」
 石川の指摘に裕貴さんが落ち着きを無くしておろおろし始める。
「だって、健ちゃんだっていつも酒ちゃんには「そこで俺に話を持ってくるな!」
 あ、変態ネタで名前を出されたまつながーが切れだ。うん。やっぱ、俺は今は黙っとこ。傷口に塩になりかねん。
 困った裕貴さんが俺の方に視線を向けた時、俺の携帯のアラームが鳴った。
 「あ」と、誰ともなく声が上がる。
「皆、時間切れや。続きはまた明日しようや」
 俺がバッグを担いで立つと、全員が荷物を持って立ち上がった。
 出口に向かう裕貴さんの後ろ姿に石川と最上が声を掛ける。
「斉藤。明日、真田が来るかどうか判らないけど、会ったらちゃんと謝るんだぞ」
「そーそー。中学生じゃないんだから。斉藤はこれが初恋だっけ? で、気持ちは解らんでもないけど、良い歳して馬鹿やってんじゃねえよ。誠心誠意土下座する勢いで謝れよ」
「きつい性格をしているけど、真田は心底から謝ればちゃんと解ってくれる人だから」
 2人の声がシンクロした。

 ―――――――あっ。

 うん、そうや。真田さんは基本正義の人やけど心根は優しい。そういう人やから俺も好きになったんや。

「そうする。ありがとう。また明日」
 遠ざかる裕貴さんの声が聞こえてくる。
「石川と最上はまた明日。ヒロは今日はバイトが遅いんだろ。頑張れよ」
 まつながーも振り返って言う。ほやから、俺も少し大きな声で返事をした。
「うん。おおきに。まつながーも裕貴さんも勉強頑張ってなぁ」
 俺が歩き始めると、石川と最上は両サイドに並んできて、ポンポンと軽く俺の肩や背中や叩いた。
「斉藤、医学部に入るくらい頭は良いのに、性格は想像以上に馬鹿だったな」
「成績は良い松永と3年連んでただけ有るわ。類友だなありゃ」
 現時点でまつながーと親友の俺も馬鹿て事かな? 否定はせんけど、ちょっと嫌や。
 それで無うても以前、真田さんを怒らせた時に、俺はちゃんと謝れなかったんやないかって落ち込んどるのに。今回は裕貴さんの暴走を全く止められんかったし、巻き込んでもうた真田さんに大きな心労掛けたしで、全然良い所無しや。
 俺が黙って歩いとるからか、2人が顔を覗き込んでくる。
「会議中、議長は自分の意見を発言しないのが基本だから、今回、酒井が自分の意思をはっきりさせなかった事は気にしなくて良いぞ」
「気分的にしゃべりたく無い時、しゃべりたくてもしゃべれない時は誰でも有っから、そんなに不安になんな。俺らは酒井が無理してなきゃ良いんだ」
「え?」
「やっぱり今回も自覚無しか」
 石川がこめかみに手を当てると、最上も少し溜息を吐いて俺の顔を見た。
「酒井のこれは無意識だからだろ。けどな酒井」
「うん?」
「酒井が責任感強いのは嫌になるくらい知ってっけど、あえて言うぞ。斉藤に疲れた真田がリタイヤしたみたいに、酒井だって松永に遠慮せずに迷惑だってはっきり言って、昼にどっかに逃げて飯食って休んでても良かったんだ。俺や石川は所詮他人事だから、斉藤が何言ってもやらかしてもほっとける。うちの大学で斉藤がやった迷惑は、一番親しいのに奴を止めなかった松永が被れば良い。前に1回逢っただけの酒井が、あいつに責任なんて感じ無くて良かったんだぞ」
「それができたら酒井じゃ無い気もするけどね。昨日までは2、3発どついてやろうかと思ってたけど、意外と斉藤も自覚無しで暴走していたみたいだからまあ仕方無いと思う。迷惑を掛けられて仕返ししてやりたいと思っているなら、真田が自分でがやるだろう。入学当時にそれでなくても少ない女子達に犯罪スレスレのちょっかいを掛けて、真田を本気で怒らせた工学部の連中みたいに、斉藤もマジ切れした真田に分厚い資料本で殴られたら良いんだ。ははっ。明日が見物だな」
「何人かは蹴り飛ばしたんじゃ無かったか? 真田にやられた連中は完全な自業自得で、他の男連中も本気で怒って制裁喰らわしてたから逆恨みすら無くなってるけど、何気に真田も色々な伝説作ってるよな。……それはとにかく、どんな時でも俺らは酒井の味方だかんな。けど、味方って言ってもいつも酒井に同意するって意味と違うかんな。酒井が間違った時はちゃんと怒ってやるって言ってんだ。だから安心して好きに動けば良い。俺らは友達だかんな」
「酒井はいつだって1人じゃない。それだけの事をずっとしてきた。もっと自分を信じて自信を持て。……と、態度には出さなかったけど、松永も思っていると思うぞ。斉藤に気を遣ってか、普段なら暴走して酒井を怒らせる奴も、今回は何も言えないみたいだけど」
 少しだけ照れくさそうに最上と石川は俺から視線を逸らした。ほやけど、隣を歩く2人との距離は元のままや。優しさが胸に染み渡ってくる。ホンマにありがたいなあ。
「おおきに」
 今度はちゃんと笑ってお礼を言えた。

95.

 珍しい事に今日は俺の方がヒロよりバイトが早く上がる。
 定期的に有る本の纏め梱包発送作業の日で、長時間だと身体がきついだろうからと、事前に店長が短いバイト時間設定にしていてくれたからだ。疲れて無愛想な顔で客の前に顔を出すなって事かもしれないが、俺としてもありがたい。
 俺がアパートに戻ると、裕貴は昨日ヒロの部屋に干しておいた洗濯物を畳んでいた。二段ベッドと衣装ケースと勉強机が有った寮より、雑多な荷物のせいで狭く感じる部屋の中で、割とガタイがでかい男が正座して洗濯物を片付けている後ろ姿は、なんとも言えない微妙な気分にさせられる。ヒロから見た俺もこんな感じなんだな。時々嫌そうな顔をする訳だ。
「あ、お帰り健ちゃん。何で玄関に立ってるんだ?」
「ただいま。どうしてだろうな」
「変な健ちゃん」
 仕方の無い事を一々言う気にならない。疲れた時にすぐに横になれるベッド無しの生活は、独り暮らしをする上で無理だと最初に思ったからだ。
 ベッドの横で毎日布団を敷いて寝ているヒロは、実家よりはるかに不便な生活だろうに、エアコン無しの部屋より断然マシと言っている。毎日使う物以外は隣のヒロの部屋に置いていているから、生活するのに不便は無いけど、独り暮らしの自由はほぼ無い。同系の古いアパート住まいの先輩に聞いたら、入学時に大学提携のアパート抽選から外れると、女子に人気の賃貸料が高い綺麗なマンションタイプの部屋か、俺達みたいな安いけどその分ボロいアパートを紹介されて卒業まで過ごすらしい。学年が上がると寝に帰るだけの場所と知ってて引っ越しは面倒だからな。その家賃で部屋にトイレと風呂が有るだけ、エアコンが後付け出来るだけでもかなりマシだと思えと言われた時は、俺もヒロもびびったもんだ。大学紹介じゃない所だと、同じ位の家賃で洗面所や台所も共用の所も有るらしい。
 さすがにしっかり管理された量でも無いのに共用は辛い。実家暮らしの裕貴や、押しかけてきた真田がこの部屋を見ても何も言わなかったのは、ここら辺りの賃貸事情を知っているからかもしれない。
 台所で手を洗って、2人分の麦茶を用意して卓袱台に置く。
「あ、ありがとう」
 礼を言って裕貴が美味しそうに麦茶を飲む。
「なあ裕貴」
「ん?」
「俺は、今日石川達に指摘されるまで気付かなかったから何も言えなかったけど、裕貴はこっちに来てからずっと嬉しくて浮かれ続けていたんだな。大学合格直後より、あの成績至上主義のきつい高校を卒業した時より、テンションが滅茶苦茶高いだろう」
「あ」
 大きく目を見開いた裕貴は、空になったコップを卓袱台に置いて俺を見返す。
「ああ、そうか。俺は東京に来てからずっと浮かれてたのか」
「おいまさか、これも今気付いたのか!?」
 ちょっと待てよ。俺の方が驚くぞ。
「だって、健ちゃん!」
「あー、もう。3年間一緒に居たけど、裕貴がこんなに周囲に迷惑な事を続けた事は無かっただろ。寮だと問題行動を起こしたら退学の可能性が高かったから、誰かに巻き込まれた時は意地でも1日で決着付けていただろ。夏にヒロと出逢って瞬間的に浮かれても、ヒロの蹴り1発で収まってたみたいだし。俺はずっと裕貴に何か有ったのかと考えていたんだ」
「そうは言うけど健ちゃん」
「その前に、後だと忘れそうだから今言っておく。裕貴、初恋おめでとう!」
「ありがとう! 俺嬉しいよ!」
「……お前ヤケになってるだろ」
 良い笑顔なんだけど腹の底から笑ってないのは一目瞭然だ。
「だって、ゆっきーの心の中には、いつも酒ちゃんが居るから、ぽっと出で、大好きな酒ちゃんにベタベタ絡む俺なんかゆっきーにとっては邪魔なだけだし、最初から失恋決定しているだろ」
「それも気付いてたのか」
 裕貴に苦笑しながら言われて、俺も思わず溜息が出てきてしまう。
「ゆっきーの気持ちに気付いていないのは、見た目は妖精で健ちゃんの天子様の酒ちゃんだけだよ」
「……まあな。それは否定しない」
「石川も最上もゆっきーの気持ちに気付いているのに、ずっと酒ちゃんには黙っているんだろ。だけど、俺にはけじめは自分で付けろって言ってくれた。ほとんど他人ですぐに地元に帰る俺なんかをしっかり叱ってくれたり、きちんと説明してくれてる。本当に有りがたいね」
 石川達に指摘されて落ち着いたのか、何だかいつもの裕貴に戻ってきたぞ。だけど、原因が解ったからには俺は裕貴とヒロの親友としてしっかり言わなきゃいけない。
「気遣いに気付いていたのにあれだけ無茶をやったのかお前は。反省しろなんてもんじゃないぞ。本当に」
「うん、ごめん健」
 裕貴も自分の馬鹿に気付いているから素直に謝ってくる。
「それはともかく、石川や最上、真田みたいなのが周囲に集まってくるのはヒロの人徳だ。俺も最初はヒロを独占し過ぎだと凄く睨まれてた。だけど、ヒロが仲介してくれて、最上や石川、情報学部の連中とも普通に話せるようになった。納豆の食い方でぎくしゃくした工学部の奴らとも、ヒロが居てくれたから友達付き合いを再開出来るようになった。本当にヒロは俺の天子だ。俺のだけじゃないのが癪だけど、ヒロに天子を自重しろって言うのもおかしいだろ。無意識でやってる事なんだから」
「健、酒ちゃんが聞いたらぶん殴られるよ」
「我慢してるんだからヒロが居ない所でくらい言わせてくれ」
「綾香のライバルは酒ちゃんか。厳しいな」
「おい止めろ。何のライバルだ」
「どっち?」
「どっちもだ。解ってて言ってんだろ。綾香ちゃんは俺とヒロの友情には何も関係が無い。そして、まあ百歩譲って綾香ちゃんの可愛らしい……。可愛いかあれ? いや今これを考えるのは止めておこう。とにかくあの子の一方的な告白に今は反応する気は無い」
「はいはい。じゃあ今は黙って静観しておく」
 俺がはっきり言い切ると裕貴は肩を竦めながら頷いた。
「真田は色々と複雑な事情が有って俺に対して厳しい、だが、クラスではよくしてくれている。これは真田の性格だな。俺がヒロにべたべたしているのは気に入らないけど、勉強には関係無いと思っているんだろう。そこら辺の男より男らしい奴だ」
「健ちゃんも割とゆっきーを気に入ってるだろ?」
「たしかに。ヒロが絡むとすぐに睨んでくるからそこだけは苦手だけど、真田を嫌いになる理由は無い。真面目で面倒見が良くて労を惜しまない。相手の性格は考慮するけど性別では態度を使い分けない。実にさっぱりしている性格だ。さっぱりきっぱりし過ぎてるだろとは思うが」
「健ちゃんと相性は良さそうなのにね」
「最初に真田達が助けてくれようとしたのに、余裕の無い俺がそれに気づけなかったのと、やっぱりヒロかな」
「酒ちゃんって天然タラシだよね」
「うん」
 思わず声がでかくなってしまった。
「それで、明日は真田に土下座するのか?」
「土下座くらいで許してくれるならいくらでも。靴にキスは蹴られるかどん引きされるだろうからさすがにやらない」
 そこまでか。そうまでして真田に嫌われたく無いのか。だったらもっと最初から……ああ、何もかも今更だ。初めての事に自分が解らなくなってた裕貴が気の毒になってくる。
「一応、真田には明日来てくれるように声を掛けてある」
「健ちゃん」
 目をうるるるさせながら嬉しそうに俺を見上げるな。この先にオチが有るんだから。
「結局、午後中逃げられたから仕方無くメールを送った。返信はまだ無い」
「ううう」
 泣くな。真田と一緒に居る服部にまでじと目で見られた俺の方が泣きたい。
「けど、信じて良いと思う」
「誰を?」
 不安そうな裕貴に俺はきっぱりと言う。
「真田の正義感とヒロを」
「結局、酒ちゃんなんだ」
 裕貴は少しだけ悔しそうに口の端を歪めて、すぐに諦めたようにいつもの笑顔に戻った。
 俺はこういう笑顔をした裕貴を未だに好きになれない。
 目標の為に、妹の期待を裏切らない為に、我慢を続けている裕貴は、もっと自分の自由に行動して良いんじゃないのかとずっと思っているから。
 裕貴でも初恋が失恋決定な状況では、平気な演技をし続けるのは無理かもしれない。
 まさかと思うが、それが原因で脳天気を通り超して暴走してたんじゃないだろうな?
 なあ裕貴、お前は初恋に浮かれてただけだよな?



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