真田さんから届いたメールを何度か読み返して、俺は3行のメールを返信した。

 こんばんは。
 今日はお疲れ様でした。
 また明日もみんなと一緒に色々話しよ。

 あれだけ丁寧で真剣なメールを貰っておいて、手抜きやて思わんでもないけど、これからは、全部お互いに顔を突き合わせてからやて俺は思う。
 昨日と今日の話は、真田さんとだけ話すのは違う。まつながーや裕貴さんとだけはもっと駄目や。自分の学部で最上や石川だけに先に話を通してもアカン。
 全員が同じように理解して納得するには、全員が一緒の時がええ。
 あの時泣いてみんなに心配を掛けた俺の責任を、だれかに投げるんともちゃう。
 出来るだけ全員が同じ立場でいられる場を作るのが、みんなに心配掛けた俺の役目で責任や。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(25)

88.

 朝はほぼ同時に3人共起きて、一緒に朝飯を食って、なんとなく寮時代を彷彿する割り振りして、流しやトイレを効率よく順番に使い、同時にアパートを出た。
「隣の部屋でもトイレと流しが2カ所に有ると便利だね」
 俺と同じ感想を持ったらしい裕貴が笑う。
 「集合時間にうるさい合宿や修学旅行ともちゃう、普通の通学時間までにこない緊張するの初めてや」
 寮生活の経験が無いヒロも笑う。
 俺達の部屋に誰かが泊まりに来たのは、毛利以来で裕貴が2人目だ。同じ大学の連中はかなりボロいアパートと知ってるから、終電を逃したら他の奴の所に泊まりに行く。
 「いやー。酒井1人ならともかく松永と一緒だと教室みたいで、寝るまで勉強しなきゃいけない気になって」とか、クラスの誰かに言われた気がするが気のせいだろう。
 ……うん、多分、きっと。我が身のためにそういう事にしておこう。
 毎度の事ながら、身重差が大きいヒロも、運動部経験の無い裕貴も、俺と歩くスピードがほとんど変わらない。遅い相手に合わせなくて良いから楽だけど。
 2人共、余程暑くないかぎりだらだら歩くタイプじゃない。特別せっかちでも無いから少し不思議だ。

 昼休みになったら教養学部前食堂に集合と申し合わせて、2人と別れて教室に入る。窓際席に視線を回すと、服部と話している真田が喜びを隠しきれないという顔で笑っているのが視界に入った。何か余程嬉しい事でも有ったんだろうか?
 あ、そうか。昨夜ヒロが誰かにメールを貰って、凄く真剣な顔で返信していた。全員に返信すると言っていたから、あれは真田宛てだったんだな。アパートで一緒になる俺と裕貴には口頭だったけど。
 そりゃ嬉しいだろう。悔しいからと1度は自分が振ったとはいえ、真田はヒロの事が今でも好きだ。裕貴が来てからの真田の行動は分かり易すぎるから、うちのクラスで真田の気持ちに気付いていない奴は居ないんじゃないか?
 すでに教室に居た安東と岩代が、俺に気付いて微妙な笑い顔で無言で手を振ってきた。俺の後から教室に入ってきた相馬も真田の様子に気付いたらしく、俺の肩を叩くと、「はよー」と言いながら俺を盾にして真田の視界から隠れた。こいつも日頃はヘラヘラ笑ってるくせに、空気を読んで逃げるのが上手い。
 俺と相馬が安東達の後ろの席に座ると、俺の携帯がメールの着信を知らせてきた。
 他の連中から見えないように携帯を開くとやっぱり真田からで、「酒井くんからメールの返信が来たの。嬉しい。今日からお昼に現地集合ね」と、書かれていた。速攻で携帯を畳んでポケットに戻す。
 おいこれ何時の間に打った? 今真田は服部と話してるじゃないか。さっき真田の手は動いてたか?
 あ、判った。昨夜打って保存しておいたのを、俺の顔を見て送信したんだ。そこまでするくらいヒロからの返事が嬉しかったのか。幸せか。うん、それは本当に良かったな。
 その顔、どれだけ真田が美人でも、普段が普段だけに気持ち悪……いやいやいや。凄く怖いとか言わないから、ヒロと会うまではしまって普段通りにしていてくれ。ついでにあまり露骨に態度にも出すな。さっきから岩城達が、昨日何が有ったのか俺に絶対聞いてやろうって顔してるだろうが!
「今はまだ話せる状況じゃない。決着したら話す」
 ギリギリ聞き取れるだろう小声でボソリと呟いたら、岩城達は仕方無いなという顔をして黙って頷いてくれた。俺は自分の事も含めて、人の感情や抱えている悩みを、他の人に説明するのがとても苦手だ。気配り名人の裕貴やヒロ程じゃなくても、こいつらの何気ない気遣いと察しの良さには助けられている。
「で、今日はどうすんだ?」
 後1分で講義が始まる時間になると安東が聞いてきた。
「昼はヒロと裕貴と3人で飯を食う。午後の講義前には戻る」
 俺が小声で答えると、「了解」と、3方向から極々小さな声で返事が来た。

 講義を受けながら、俺は視界の端に真田の笑顔を捕らえていた。
 少ない経験だけど俺は知っている。こういう時の女は後々凄く面倒だと。
 そして、俺は嫌と言うくらい知っている。こういう場面で全方位天子を発揮するヒロは天然フラグクラッシャーだという事を。
 余計なお世話だとは思ったが、俺は真田に「あんまり期待するなよ。誰に対してもヒロは優しいから」と、メールを打った。
 1分掛からずに真田から返信が来て、凄い目で睨まれた。
「それくらい分かってる!!! 夢を見るだけなら自由でしょ」
 藪蛇だった。
 そうか。真田はヒロの優しさも、強さも、鈍感さも、優しい故の残酷さも分かっていて、それでもヒロの事を真っ直ぐに好きでいてくれるんだな。
 俺はヒロには自由で居て欲しいから、積極的に誰かを応援はしない。けど、真田は怖いけど良い奴だし、ヒロにも気に入られているから、黙って見守りつつ、心の中だけでエールを送っても良いかもしれない。俺がこんな事を考えてるなんて、本人達には絶対知られたくないけどな。
 まあ、真田も俺に応援して貰いたいとは思わないだろうし、余計な邪魔をするなと言われるのが簡単に予想が付く。そして、毎度毎度、自分の事には鈍いヒロは論外。

89.

 休憩時間になったんで俺が今日の予定を言うと、最上と石川は一瞬目を見合わせて、俺に向き直って頷いて答えてくる。
「良いんじゃね」
「あそこにたむろしている先輩達は午後出が多いから、今週一杯位ならあの場所を拠点にしても大丈夫だと思う。やたら目立つメンバーだから、どこか余所の場所に移動しつつって訳にもいかないだろう。斉藤が帰った来週以降しばらくは、酒井、松永、最上、と俺の4人で違う場所も押さえた方が良いかもしれないけど、それも様子見かな? うちの学部の連中は心配要らないと思う。メンバー豪華過ぎて遠目から眺めるだけで十分らしいから」
「たしかに豪華や。まつながーと裕貴さんはイケメンで、真田さんは美人やもんなぁ。あ、最上らが残念な顔してるて意味とちゃうで。俺らはあの3人に比べたら十人並みちゅーか、割と平凡な外見やろ」
 「うわあ」と最上が嫌そうな顔をする。
「学部内写真データ出回り率ベスト5常連の男の寝言は、鏡を見せても無駄だし、自分で自覚をしなきゃ治らないないだろうから、突っ込むのは止めておく」
 石川もうんざりした顔をして俺を見る。
「他の人らはともかく、写真の俺は、子犬や子猫とか、癒やし系動物カテゴリやて分かっとる」
 俺が拗ねて言うと「そこは自覚有ったんだ」と2人から返ってきた。腹立つなー。
「それは置いておいて、月曜日からのアレは全部好意の行き違いやて分かっとるん。喧嘩は絶対しとうない。誰かが無理に我慢したあげく辛い思いするのも嫌や。原因が俺なら俺がなんとかしたいて思う。最上、石川、昨日庇って貰ったばかりなのにホンマに悪いんやけど、俺を手伝ってくれん?」
 他の人らから興味持たれとうないから、あまり頭は下げられん。俯きつつ2人の顔を見上げると、石川も最上も少し頬を赤く染めて、ぷるぷる震えだした。
「どうしようこの子可愛い今度書く小説の主人公モデルにしたいやばい同好会の女子達を笑えない」
「根っから末っ子気質と言われてる俺に保護欲抱かせるとか、お前どんだけ人タラシ……あ、今更だったか」
 人が意を決して頭下げたっちゅーのに、怒ってええかな?
「あのなー」
「なーんて。酒井は俺らに今日の所は黙って見てろって言いたいんだろ?」
 最上がへらりと笑うと、石川は少し真面目な顔になってから微笑を浮かべた。
「大丈夫だ分かってる。真田対斉藤、どうなるのか今日は見ているから。昨日の感じだと松永も余計な口は挟まないだろう。酒井は俺達を信じてくれているから、斉藤と話し合うのは後でも良いと思ってるんだろ? 俺は、酒井がなんだかんだと文句を言いつつ信じていて、いい加減な事が嫌いな松永が親友と呼ぶのなら、斉藤は、上っ面のおちゃらけた軽さは表向きで、本来は真面目で信用できる相手なんだろうと思ってる。斉藤を好きになれるかどうかは別だけどね。何気に酒井は無自覚変態ホイホイだから」
「おい。それだと俺らも変態みたいじゃん」
 すかざず最上が反論すると、石川も「あっ」と、今気付いたという顔になった。
「ぷっ」
 アカン。苦しい。我慢できん。
「酒井?」
「あはははは。やっぱ2人は良い漫才コンビやな。ホンマにおおきに。おかげで気持ち楽になった。今日も頼むな」
「お前、それ全然褒めてねーだろ」
 最上が頬を膨らませて文句を言い、石川は苦笑いになった。
「漫才は全力で否定したいけど、普段一緒に居るからコンビ扱いされるのは仕方無いか」
 うん。俺は友達に恵まれとるなぁ。大丈夫や。今日は絶対上手くいく。

90.

 昼飯を食い終わった俺達が情報学部のベンチに行くと、意気軒昂な顔をした真田と、やや引き気味の最上と、何かを悟ったような顔で遠くを見つめる石川がすでに居た。何が有った?
「真田さん、こんちゃー。早かったなー」
 空気を読めないのか、わざと読まないのか、笑顔でヒロが声を掛けると、真田も笑って小さく手を振り替えした。
「女子会は途中で抜けるのが難しいから、パンを買ってここで食べてた。だから、今日はあたしが1番乗りだよ」
「そうなん? 女子は大変やなー。けど、パンでお腹持つん?」
「大丈夫。間食用にお菓子も持ってきてるから」
 日頃からうちの女子は、何かしら食べ物を持っているとは言わない方が良さそうだ。
「さすがゆっきー。最上、石川もこんにちは。今日も宜しく」
 裕貴が裏の無い笑顔で声を掛けると、3人も普通に挨拶を返してくる。喧嘩腰じゃないから、ヒロが昨日から色々根回しをしていたんだな。
 男5人の中に違和感無いどころか、しっかり土台付で座っている真田はやっぱり工学部の女だなと思わざるを得ない。
 元々、工学部に女子は滅多に居ないんだが、今年は運が良いらしく俺達の学年には片手は居る。
 他大学からの研修だったり、聴講生込みでも女子が居ないよりはマシと、以前先輩達が言っていた。なにせ2、3年には女子は1人も居ない。一般教養がメインになる1年前期段階で、勉強したかった事と違うと、他の学部に転部してしまうかららしい。自分以外女子が居なくて嫌になって逃げた年も過去に有ったそうだ。
 そのせいか、うちの学部の女子は凄く仲が良い。理系女子会も有るんだそうだ。こうして真田が1人で出てくるのも、服部や他のメンバーが、真田を後押ししているからだと、俺が聞く前に服部が教えてくれた。
 その際に「酒井君は特定の人を贔屓をするタイプじゃないらしいから、身内は松永君しかいないでしょ。有希さんの事、頼んだからね」と、目が笑ってない笑顔で脅された。怖かった。
 その時、俺の背後で相馬達が「松永に気配りを期待するとか無謀」と、言っていたのはあえて無視した。
 言われなくても俺も今日は目立たず参戦する予定だ。ヒロと裕貴はどちらも俺の親友で、変にカリスマが有る。余程の事が無い限り裕貴は大丈夫だろうが、自覚が無い天子モードのヒロは無意識でやらかしそうな気がするから、真田を孤立無援にはさせない。
 俺の顔を見た裕貴とヒロが「健ちゃん(まつながー)は心配性だな」と同時に笑う。お前らもマジでこえーよ。
「せっかく全員揃ったんだし座れば」と、石川。
「そーそー。立ってると目立つし。あ、酒井、俺の横座る?」と、最上。
「んー、そやな。そうしようかなー」
 ヘラヘラ笑いながらヒロは最上の横に座った。最上の横は石川だ。なんかわざとらしい気もするが、下手な口出しは止めておこう。
 ベンチは3人掛けだから、俺や裕貴は必然と真田の横になる。間に入るのは俺だな。俺しか居ないよな。上手くクッション役になれたら良いんだが、面倒くさがりの俺は今までこういう経験がほとんど無い。
 中学まではなあなあだったし、ぎすぎすした高校3年間は、ほとんど裕貴がやっていた。大学に入ってからはずっとヒロが俺を庇ってくれて……うん、逃げ回っていた俺が悪い。
 顔を上げるとヒロがじっと俺の顔を見ていて、目が合うとにぱっと笑ってくれた。
「午後講義開始15分前と10分前に携帯のアラームセットしてあるから、安心して好きに話してや。その代わり、時間が来たらどんな状況でも切るで。そんで、続きは明日でええな?」
 何気にヒロ天子様の笑顔が怖い。両サイドに居る2人の肩がビクリと揺れる。普段の穏やかなヒロしか知らないと、こういう反応になるのは仕方無いか。
 俺が無言で真田の横に座ると、裕貴も黙って俺の隣に座った。
 右に裕貴、左に真田。前には出口に近い右側からヒロ、最上、石川。真田と石川は以前から知り合いだから正面なのは順当、ヒロは司会進行をやるつもりらしいから1番末席? で、この中で1番体格の良い俺は真田と裕貴の最悪サンドバッグ役と。ヒロめ、やっぱり狙ってやったな。この役目は俺しか居ないから良いけど。
「何か飲む?」
 ノンカロリーコーラを口に含みながら真田が聞いてくる。
「持ってる」と言って、俺達はバッグからそれぞれお茶やアイスコーヒーのペットボトルを出した。
「ほな」
 ヒロがにっこり笑って両手を振る。
「真田さーん、裕貴さーん、時間制限有りやけど、好きに話ししてみてや。ファイ」
 ちょっと待て!?

91.

 名指しされた裕貴さんは目を数回パチクリさせて吹き出した。
 真田さんは一瞬「え?」て顔をしたけど、すぐににやりと笑って「ありがとう」と俺の顔を見て言った。さすが真田さん。
「では、改めまして。初対面から3日目ですが自己紹介します。工学部1年の真田有希です。千葉県在住自宅通学組。3年から寮生活予定。今は松永と同じクラスだけど、将来、材料研究に行きたいから、早ければ2年後期、遅くても3年には違うクラスになるね。松永は機械希望継続でしょ?」
「あ、うん。変えるつもりは無いから後期もそれで届けを出してる」
 話を振られてまつながーも返す。そっか、真田さんは研究職希望か。イメージメッチャ合うなぁ。
「じゃあ俺も自己紹介から。こちらに顔を出して3日目の斉藤裕貴です。医学部1年、小児科医希望。茨城県在住。家庭の事情で自宅通学組。健と同室で寮生活していた高校も県内だから、旅行以外で県外に出た事が無い。部活の合宿経験も無いから今回が初めて。ゆっきーとは名字も名前も似ているから親しみを感じているよ。今後とも宜しく」
 にっこり笑顔で裕貴さんは右手を差し出したけど、真田さんは「生粋の茨城者か」と少しだけ嫌そうな顔になった。もしかして真田さん納豆嫌いなん?
「こんな時にネタでもちばらき戦争は勘弁しろよー」と、石川が小声で言う。
 え、なにそれ?
 あ、まつながーも嫌そうな顔をした。都内自宅通学組の石川と埼玉県出身の最上は俺は関係無いって顔で視線を逸らす。これって関東民にしか解らん事かな? そうなら、三重県民の俺は黙ってた方がええ?
「違うわよ。単なる確認!」
 と、真田さんが茶化した石川に言い返す。
「そうそう。出身地であれこれ言ってたら関東の大学でやってられないだろ」
 と、裕貴さんも頷く。よう知らんけど、千葉と茨城には何か因縁が有るっぽい。
「悪いけど握手は後で良い? あたしはまだ斉藤裕貴という人物をあまり知らないから。自己紹介でいきなり男子と握手する習慣も無いし」
 一旦、正面を向いて息を吐くと、真田さんは裕貴さんに向き直った。間のまつながーは顎を引いて石みたいになっとる。
「まずは、初対面の時に騒ぎを大きくした事を謝るわ。あなたは酒井君なら冗談が通じると信じて、目立つ校門前で遊んでいたんだと思う。あたしの位置からは酒井君の顔がよく見えなくて、うちの大学の女子が痴漢されていると勘違いしたの。……実際、駅や通学路にうちの女子を狙った変質者や痴漢被害が多いのよ。とはいえ、本当に被害者を無事に助けたいなら、あたしが行動せずに、状況を確認した後に警備員に助けを呼びに行くべきだった。そうしたら、酒井君にも恥をかかせずにすんだ。だから、ごめんなさい」
「あれは俺も「だけどね、あんた少しは常識で考えなさいよ」
 裕貴さんの言葉に真田さんが被せてきた。そんで、いきなり「あんた」呼びや。
「たしかに酒井君は見た目が男子にしては小柄で可愛い。うっかりすると中学生に間違えるくらい童顔よね。その上、性格も穏やかだからうちの大学で人気が有る。余程の事が無いと怒ったり怒鳴ったりしない。実際、あたしは松永以外が酒井君に怒られてるのを見たこと無い。だからって、校門前でセクハラする? 久しぶりに会ったから嬉しい? あんた馬鹿なの? リードが付いて無い浮かれた犬なの? 松永と同類? いや類友か。酒井君に迷惑だとは思わなかったの? あたしも勘違いして悪かったから謝るけど、原因を作ったあんたが1番悪い」
「うん、そうだね。俺も紛らわしい事をして本当にごめん」
 何気に真田さんは俺やまつながーにも失礼な事言ってるけど、それは今はスルーする。裕貴さんはあっさり真田さんに謝った。
「ゆっきーもあんなに目立つ事して恥ずかしかったよね。それに、見ず知らずの男に怒鳴るのは怖かったよね。ゆっきーは本当に勇気が有るよ。凄い。けど、あんな事は絶対に2度としないで欲しい。自分は矢面には立たず、警備員を呼んで安全な場所に逃げて欲しい。周囲に目が沢山有ったとはいえ、ああいう場で誰かに助けて貰えるとは限らない。君自身が綺麗で可愛い、そして、力の弱い女の子なんだから。一昨日は相手が酒ちゃんと友達の俺が相手だから良かったけど、いつかゆっきーは逆恨みされて酷い目に遭うかもしれない。俺はそっちの方が心配だ」
 あ、ホンマにそれや。俺も怖い。真田さんは正しい事をしとるけど、性根が腐っとる奴にはそんなの通用せん。可哀想やけど女子は気を付け過ぎすぎなくらい気を付けて、自分で自分の身を守らなアカン。姉貴かて過去に何度も電車やバスで嫌な思いしたて言うてたもん。ホンマに女子は大変なんや。裕貴さんには中学3年になるまつながーも認める可愛い妹さんが居る。そら、他人かて心配になるよなあ。
 真田さんが言いたい事言って、裕貴さんもそれに応えて、一応スピード決着なん?
 ……にしても、色々もやもやするし、この後どないしよかなて思いながら、最悪喧嘩になった場合のストッパーちゅーか、クッション役のまつながーを見たらやっぱり微妙な顔になっとる。
 俺の視線に気付いたまつながーが口をぱくぱくさせる。
 えーと、「俺って犬か?」て言ってるみたいなんで俺も「違うやろ」て声に出さずに返す。まつながーは大型犬ちゅーより、タイヤ(俺の事や。認めたくないけど。ホンマに認めたくないけど!)にしがみついて遊ぶパンダやもん。
「真田が何気に俺達に酷い」
「それ同感」
「真田が俺に酷いのは今更だけどヒロにも……あ、正直なのか。うん」
「ちょっと待てや」
「せんせー、酒井と松永が2人で世界作ってまーす」
「は!? 最上、何なんそれ?」
「先生、至近距離を良い事にさっきから酒井と松永が口パクで会話してます。ずるいと思います。せっかく集まっているんだから、言いたい事は口に出すべきだと思います。……あのな、2人だけで納得して決着させようとするな。後々揉めるだろ」
 と、石川が学級委員みたいな顔になった。言いたく無いから口パクしたんやけどなあ。うーん。
「何? ひょっとして俺達の会話に呆れた?」
 裕貴さんが俺の顔を見て聞いてくるから、慌てて否定する。
「それは無いで。真田さんはちゃんと正直に言ってくれた。そんで俺は裕貴さんの意見にメッチャ同意。真田さんらしい行動やったけど、余所でやったら危ないなぁて今更やけど思った」
 まつながーも首を横に振って否定する。
「いや、真田から見てもヒロは可愛いんだなと。そして俺は犬かと話してた」
「あ!」
 と、大声を上げて真田さんは自分の口を両手で塞いだ。あー、これは、うっかり言ってしもうたパターンか。なら全部本音やな。ちょっとだけ空しいかも。
「ははは。……えーと俺やまつながーの話は置いといて、真田さんも裕貴さんも言いたい事全部言った? 我慢してまだ腹に溜めたりしとらん? こんな機会、そうそう無いから有ったら言った方がええで」
 「あ、じゃあ」と、裕貴さんが右手を小さく上げる。
 「どうぞ」と、真田さんが応える。
「俺はゆっきーの事が好きだよ。良かったら俺と付き合ってくれない? 返事は後でも良いから、茨城に帰るまで後3日、俺の事しっかり見て判断してくれると嬉しい」
「はあっ!?」
 言った裕貴さん以外の全員が大声を上げた。

92.

 裕貴の奴、こんな所でこんな形で爆弾落としやがった。
 俺だけは知っている。
 裕貴は明るくて頼りがいの有る性格で見た目も良しで、高校3年間女子に凄くモテた。だけど、妹の綾香ちゃんから、親に養って貰ってる責任も取れない高校生のくせに、女子に手を出したら縁を切るときつく言われていたから、裕貴は女子とは誰とも付き合わなかった。
 その代わりなのか、ごついのは流石に無理だからと、割と可愛い系の男は相手にしていた。
 けど、裕貴はこれもカウンセリングの一環と最初から言っていたし、多少の息抜きには付き合うけど、恋人にする気は無いと相手にはっきり言っていた。
 それでも、あの成績第1主義でストレスが溜まる高校では、次から次へとどこか疲れた男に寄ってこられていたし、俺も何回も巻き込まれた。同室を良い事に裕貴に横恋慕した上に、当時付き合っていた美由紀二股していると勘違いされて、喧嘩を売られたのは今でもトラウマものだ。
 綾香ちゃんにだけは軽蔑されたくないというのは、間違いなく裕貴の本音だろう。
 だけど、それ以上に人の気持ちを大事にする裕貴は、誰に対しても誠実で有りたいんだろう。それは、今でも変わっていないと思う。でなきゃ、天子だけどたまに怒りの魔王になるヒロに裕貴が懐いて、そして、それをヒロが許す訳が無い。
 裕貴は普段は軽くおちゃらけているけど、こういう冗談を言う奴じゃない。真田はヒロが好きだ。ヒロも黙っているけど、多分まだ真田を好きだ。俺はどうしたら良い?
 ちらりと視線を向けると、石川と最上が目で語り合っていて、ヒロは呆然としている。そりゃそうだよな。
 怖くてさっきから視界から外していたけど、真田は毛を逆立てた猫みたいに目尻と肩を怒らせている。
「何の冗談? あたしとあんたはまだ知り合ったばかりじゃない」
 真っ直ぐに睨み付けられた裕貴は、にっこり笑って右手を胸に当てた。
「俺はこういう冗談を言った事は無いよ。俺はね、不器用だけど嘘を吐かないから側に居て安心できる健が好き。見た目は可愛いけど、実は強くて頼りになって甘えたくなる酒ちゃんも好き。そして、真っ直ぐで度胸が有って、正義感と責任感も強いゆっきーを好きになった。知り合ってまだ3日だけど、ゆっきーが優しくて性格も可愛いのは分かる。全部俺の本音だ」
 裕貴は俺の前を通って、真田の正面に立った。
「俺は酒ちゃんに親友にして欲しいとプロポーズしているし、ゆっきーには将来的に結婚の可能性も含めたお付き合いを申し込んでいる。そんなに意外?」
「あんた、やっぱり常識がおかしいよ!」
「世間の常識に囚われて、一目惚れした相手を簡単に諦められる程、俺は大人じゃない。そりゃ普通じゃないのはたしかだ。だけど、普通でなきゃいけない理由は何? 出逢い方からして俺達は普通じゃ無かっただろ。今週中に決められなくても良い。俺はまだ1年で、大学卒業まで6年は掛かる。それから実習だ研修だなんだかんだで一人前になるには10年は掛かるだろう。それくらいあれば考えられるんじゃない」
 10年計画かよ。裕貴、お前も気がなげえな。

 誰も何も言えなくなってどれくらい経っただろう。携帯のベルの音が鳴った。
「あ、時間や。ほな続きはまた明日やな。何か有ったらメールしてや」
 ポケットから携帯を出してベル音を消したヒロが立ち上がる。そのまま誰の顔も見ずに手を振ってフロアを出て行く。
 石川と最上も「また明日」と言いながら急いでヒロの後を追う。
「じゃあ俺も行くね。健、また後で。ゆっきー、また明日」
 元凶の裕貴も笑って俺達に手を振る。
 残された俺達もベンチから立ち上がった。
「大丈夫か? 真田」
「ごめん。ちょっと今は話掛けないで。頭の中を整理しきれない」
「あ、うん。悪かった。けど、講義には出るだろ?」
「……行く」
 真田は強ばった顔のまま俺の方見ずに歩き出した。どこかにぶつからないか怖くて俺はその後を追う。
 駄目だ。俺じゃとてもフォローできそうもない。服部にメールしておこう。

 俺は午後の講義の合間をぬって拙い報告書みたいな文章を作り、服部にメールを送った。
 服部からは「解った。ありがとう」という簡素な返事が来た。昨日に比べて余裕で教室に入ってきた真田の顔を見て、服部も思う所が有ったんだろう。
 バイトを終えてアパートに帰ったら、裕貴とヒロが晩飯を作りながら、綾香ちゃんと俺を見守り隊という、有り難迷惑な会を発足していた。藪蛇になるのが目に見えてるから突っ込めない。
 夕食後、裕貴は「そろそろレポートを纏め始めないと月曜日にやばい」と言って、講義内容を手書きのノートから持参したノートパソコンに打ち直している。
 ヒロもノートパソコンを開いてレポート用にメモを取りながら笑っている。けど、内心はかなり複雑だろう。
 ヒロにしてみれば、いきなりライバル登場って事になるのか? 真田が裕貴を選ぶとは俺にはとても思えないんだが、真田の本心を知らないヒロには嬉しくない事態なんだろう。だけど、裕貴が出てこなくても、大学で真田が人気が有るくらいヒロも知っている。あの、竹を叩き割るどころか、粉砕しかねないきつい性格が災いして、学部の男からは女子枠に入れていないだけ(これは服部達にも言える。何せ自ら工学部に入ってくる女子だからな)で、明るく、しっかり者で、さっぱりしていて、何より美人という事で、大学内人気ランキング上位に居るらしい。
 真田は午後中ずっと様子がおかしかったし、ヒロは作り笑いをしているし、裕貴も何も言わないから、手の打ちようが無い。
 俺はどうしたら良いんだろう?

 翌日、真田はヒロと石川と俺に「昼休みは女子会に出る」とメールをしてきて、教室以外で俺に姿を見せなかった。



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