昼休みに待ち合わせの場所に行くと、裕貴さんが満面の笑顔で俺に向かって手を振っとって、凄く落ち込むような事が有ったんか、まつながーはしゃがんで頭を抱えとる。
 そんで、なしてか真田さんが、触れると切れそうな怖いオーラを出しつつ、2人と一緒に居った。
 これってどういう事?

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(23)

80.

 口をぽかんと開けて立ち止まったヒロは、数回素早く瞬きをすると、すぐに俺達の側まで駆け寄って来た。
「まつながー、裕貴さん、待たせてしもうて堪忍や。真田さん、こんちゃー」
 にこにこ笑うヒロの表情は、日頃の可愛いを遙かに突き抜けて凄く綺麗で、まだ10月の前半だというのに、俺の背中を冷たい汗が伝う。
 久し振りに怒りの天子様モード発動中。自分自身に関する事以外には勘の良いヒロが、俺達の顔色で何が起こったかを察して静かに怒ってる。
「こんにちは。酒井君、あのね……」
 言い掛けた真田の声が小さくなっていく。頭の良い女だから初めて見る天子モードのヒロの変化に気付いたな。
 前にこの状態のヒロに思いっきり腹を蹴られた裕貴は無言のままで、わざとらしい笑いを顔に貼り付けている。多分、俺の顔も引きつっている。
 三種三様の顔を見たヒロはにっこり笑ってこう言った。
「これ以上遅うなると、ご飯選べんくなるなあ。早う食堂に行こか」
 至極真っ当な意見に、俺達3人は短く返事をしてヒロの後に続いて歩き始めた。一見穏やかに見える笑顔が怖くて、誰もヒロの前の横に並べない。
 歩きながらヒロは俺達を振り返って言った。
「なあ、みんな。ご飯は毎食美味しゅう食べたい思わん? つまらん事で胃の仕事を邪魔して、午後からの講義を胸焼けしながら聞きとう無いよな。身体に悪いし、何よりご飯が勿体無いて俺は思う」
 今の発言を簡単に訳すと、「飯食ってる時に余計な事言ったら許さん」なので、俺は迷わず頷いた。俺より1メートルは下がってる裕貴と真田(お前ら2人して俺を盾にするんじゃねえ。ヒロが怖いのは俺もだ)も同じだろう。
 ビビっている俺達の心情を正しく把握したヒロはニパッと笑って、「この時間やとカレーしか残っとらんかなぁ。玉子をトッピングしても、うどんはすぐに腹減って夕方辛いから、唐揚げ定食が残ってるとええな。エビ人気のミックスフライは無理やろうし」
 なんて、のんびりした口調で言い出した。
 こういう時のヒロは、日頃の親しさに関係無く誰に対しても公平で、集団活動中に我が儘で雰囲気を悪くしたり、わざと人を怒らせるような事をしない限り、今回みたいに騙し討ちみたいな事をしても大抵は許してくれる。
 うおっ。背中に鋭い視線を感じる。きっと真田だな。
 ああ、ヒロにメールでお前も居る事を伝えるのを忘れてて悪かったよ。同じクラスに居たんだから、午前中の俺に全く余裕が無かったのを知ってるだろ。


81.

 最初に俺がキツイ事を言うたからか、まつながーと裕貴さんと真田さんは、俺と同じ唐揚げ定食を注文して、お通夜みたいに静かに、そしてかなり早いスピードで昼ご飯を食べ終えた。
 特にあのまつながーが、あの、まつながーが、ほぼ毎食食べる納豆を注文せんかったもんやから、裕貴さんも真田さんも微妙に頬がひくひくしとる。
 多分、「えー」と思った俺の顔も変になっとったんやろう。まつながーは「お前達、その顔は一体何なんだ」と言いたそうな目で、俺らの顔を見回した。
 日頃の行いと大幅にちゃう事するからやてなんて、今はツッコム気になれん。
 居心地悪そうなまつながーには悪いけど、空気を読んだ他の二人が大人しくしてくれたから結果オーライにしとこ。
 それにしても、真田さんが来るとは思わんかったなあ。俺って、そないに頼り無いちゅーか、嫌な事を断れん性格しとるて思われとるんやろうか。
 俺が本気を出せば、多分、2、3発の蹴りで裕貴さんを地面に転がせるて思う。
 けど、無用の暴力は振るいとう無いし、あれは裕貴さん特有の冗談やて分かってるから反撃せんかったんやけどなあ。一応説明したつもりやけど、真田さんからしたらまだ心配なんかな。
 女子にも間違われてもうたし。まつながー程やないけど、やっぱ、裕貴さんとの身長差かなあ。せめて後5センチ背が高かったら……止めとこ。
 顔や体格とか、自分でどうにもならん事で落ち込んでもしゃーないんやて、夏休みに気づいたやん。痩せたチビかて俺は俺や。
 教養学部に1番近いこの食堂は、品数が多いカフェも併設で、席数も学内で1番大きいから他の学部の学生や、外部から来ているも人達も大勢利用する。
 この食堂では俺やまつながーらのクラスメイト達は見掛けんけど、他の学科で時々同じ講義になる人らはちらほら居る。昨日の今日でこんな場所で悪目立ちはしとうない。
「ごちそうさまでした」
 俺が手を合わせて言うと、3人も同じ様にして席を立つ。天気もええから、ここから1番近くて座ってじっくり話が出来る芝生広場に移動しよ。

 芝生広場の風通しが良くて高い広葉樹が作る木陰がぽっかりと空いとった。ここは、気持ちはええけど、全方位から見えるトコで落ち着かんのと、ベンチが無いから学生に避けられるんよな。
 昨日の事が有ったからか、今にも喧嘩しだしそうな真田さんと裕貴さんが隣同士には出来んので、2人の間に俺とまつながーが入って、お互いが正面になる様に輪になって座る。
 バッグからペットボトルのお茶を出しつつ、俺はまつながーの方を向いた。大体想像は付いとるけど、一応は聞いてみないと万が一って事も有るし。
「まつながー、なしてこういう状況になったか、簡単に説明してくれん?」
 まつながーは一瞬、俺かよ? と、嫌そうな表情になったけど、すぐに他に中立的に話を纏められそうな人が居らん事に気付いて、小さく溜息を吐いて顔を上げた。
「真田は……、裕貴が……、んーと、色々と心配? ……で来た」
「え、ゆっきーが俺の何を?」と、妙に嬉しそうな裕貴さん。
「ちょっと、気安く変な呼び方しないで。あたしはこいつの心配なんか全然してないわよ」と、露骨に嫌そうな真田さん。
 ……なんなん。この両極端な2人。
 両サイドからほぼ同事に言われて、まつながーは引きつり顔で固まってもうた。
「あー、うん。大体判ったちゅーか、……分かった」
 周りに気を遣って色々考え過ぎてしまうまつながーは(その割に全然自重もせんけど)、度々言葉が不自由になるもんな。俺はもうええよって解るように手を伸ばして、正面に座るまつながーの膝をポンポンと軽く叩く。
 しゃーないなぁ。俺が司会役をするしか無いっぽい。それに、色々心配掛けてしもうた真田さんには、一度ちゃんと話せなアカンて気がする。
「なあ、真田さん。昨日もやけど、俺ってそないに頼り無い?」
「え、どうして? 全然そんな事無いよ。基本的に酒井くんがしっかりしてるのは知ってる。だけど、松永やこいつみたいに、酒井君が好意を持っていて、かつ、酒井君を好きで甘えて来る相手には、あまり強く出られないでしょ。たまにははっきり強く言ってあげた方が本人の為になる時でも、酒井君は優しいからあまり怒らないじゃない」
「真田、それは違う。お前は知らないだろうが、本気で怒った時のヒロは洒落にならないくらい怖い」
「俺達、酒井ちゃんに一撃で倒されたからな。あははは」
「なによそれ?」
 ちょっと待って。なしてそっちに話が行くん? 俺は心配してくれる真田さんの誤解を解いて、納得して貰いたいだけなのに。
「二人して変な誤解を招くような事を言うなーっ!」
 思わず俺が大きな声を出してしもうたせいで、数メートルは離れとる人らの視線が俺らに集中する。
 事情を知らん真田さんも俺を不審の目で見てきた。
「あ。いや、そうやのうて。あー、もう。真田さん、お願いやから誤解せんといて」
「えー。今のは誤解じゃないよね」
「ヒロが本気になったら、見えない所に3日は残る青痣ができる」
 せんでもええのに、こんな時だけ裕貴さんとまつながーが結託する。
 俺と2人の顔を見た真田さんは、考え込むように顎に手を当てると、おもむろに口を開いた。
「あ、解った。つまり、過去にこの馬鹿2人は、本気になれば強いけど、温厚で暴力嫌いな酒井君をそれだけ怒らせて、痛い目を見たって事ね」
 真田さんの鋭い指摘がぐさりと俺の方に突き刺さった。
 ああもう、しゃーないなあ。真田さんは俺が最上にした事を知っとるて石川が言っとったな。余り気は進まんけど、親父に体術を習ってたって告白するか。
 そう言おうとしたら、俺の足下からダースベーダーのテーマソングが聞こえてた。
「あ、ごめん」と、真田さんは俺らに背を向けるとバッグから携帯を出す。
 今のは着信音やったんか。真田さんの趣味ってそれなん? ……ちょっとだけ怖いかも。
「はい。久しぶり。……あれ、どうしたの?」
 誰からの電話か判らんけど、なんか込み入った話っぽい。
「で、まつな……」
 と言いかけた所に、今度は俺の携帯の着信音が鳴った。標準で入っとるただの電子音やから逆に判りやすい。
「あ、堪忍や」
 胸ポケットから携帯を出して画面を見たら相手は最上やった。俺がここに居るのは知ってるはずやから、もしかせんでも急ぎの用?
「何か有った? どないしたん?」
『事件は今そこで進行形で起こって……じゃなくてぇ。冗談言ってる場合じゃ無かった。酒井、お前そんな目立つ所で何やってんの?』
「へ?」
『「へ」じゃねーよ。「へ」じゃ。今、学内SNSでお前らの行動、事細かく上げられてっぞ。さすがに何しゃべってるかまでは聞こえないみたいで、そこまではネットに流れてこないけど』
「はあ!?」
『でかい声を出すなって。良いか酒井、そのまま黙って聞け』
 うおっ。最上が俺にここまで強う言うの初めてちゃうか。
『今、真田には石川が説明してる。俺はお前の担当。この電話を切ったら真田達と分かれて、昨日の変態を連れていつもの場所に来てくれ。ここなら普段から俺らしか居ねえし、そうそう見つからねえからな。真田と松永には遠回りしてここに来るように伝わってるはずだ。時間が無えから昨日の今日であれから何が有ったかなんて今は聞かね。そんな事より、俺らは酒井達をいい加減で変な噂から守りたい。何気なーく話が終わったふりしてここに来い。雑談だろうが喧嘩だろうがここですりゃ良いだろ。とにかく、お前ら滅茶苦茶目立つんだから、更に目立つトコで目立つ事をこれ以上すんな』
 言うだけ言って電話は切れた。どういう事?
 ……って考える間も無いっぽい。真田さんも電話を切って、まつながーの肩を叩いて立ち上がった。
「酒井君、斉藤。ごめん。あたし達急用が出来たから学部に帰るね。つづきは又今度」
 と、言いながら真田さんが俺に目配せをしてくる。
「分かった。ほな裕貴さん、ついでやから俺の学部に来てみん?」
 察しの良い裕貴さんが、まだ座ってるまつながーの背中を叩いて立ち上がる。
「嬉しいな。あまり部外者がウロウロするなと言われてたんだけど、学部生が一緒なら許可が出てるんだ」
 無言の合図に気づいたまつながーも立った。
「じゃ、ヒロ、裕貴。また後で」
「ほなまたー」
「じゃあね」
 真田さんに引っ張られるようにまつながーが背を向ける。俺も逆方向に歩き始めると、裕貴さんが横に並んだ。
「で、何が有ったの?」
「急にごめんなぁ。なんか俺ら、かなり注目されとったみたいなん」
「ああ、そういう事。建ちゃんは黙ってたらイケメンだし、ゆっきーは美人だし、酒ちゃんは可愛いし、これだけ揃ってたら注目を浴びても仕方無いね」
 モデルかイケメンアイドル顔の裕貴さんがのんびりした口調で言う。こら、普段から見られる事に慣れてる感じや。
 こういう事になっても、裕貴さんは露骨に嫌そうな顔をしたり愚痴も出さん。まつながーと違うて自覚の有る美形は違うもんやな。
「他は同意するけど、俺の童顔については余計や」
 俺がぶすったれて言うと、裕貴さんは声を立てて笑った。


82.

 俺と真田は一旦工学棟の裏を回って、石川達が待つ情報学部棟隅階段下の自販機コーナーに向かった。
「なんであたしが目立つあんた達に巻き込まれなきゃならないのよ」
 と、真田はぷりぷり怒っているが、お前も普段から充分目立ってるから。自覚の無い美人はこれだから……あ、そうか。
 俺にヒロに裕貴に真田。昨日、校門前であれだけ騒いでおいて、俺達全員が揃ったら注目されないはずが無かった。
 しまったな。なぜか未だに自分の見た目と人気の自覚が無いヒロはともかく、裕貴と俺は高校時代に度々こういう目に遭ってた。女子1人の真田の事を考えたら、あんな開けた所に行かなきゃ良かったんだ。
「ごめん」
 ぽつりと謝ったら、真田が意外そうな顔をする。
「いきなり何よ?」
「真田に悪い事したと、今になって気付づいたから」
 真田は首を横に振りながらしみじみと溜息を吐くとこう言った。
「へえー。…………酒井君の教育は本当に凄い」
 どういう意味だそりゃ。

 階段裏のコーナーに行くと、ヒロと裕貴、最上と石川がベンチに座って声を顰めながら言い合っていた。
「酒井、お前マジ信じられねえ。昨日あんだけ騒ぎ起こしといて、今日はそのセクハラ相手と仲良く一緒に昼飯食って広場でしゃべってるとか、どんだけ注目されてたと思ってんだ」
 最上の指摘が俺の胸にも深々と突き刺さる。ついさっきまで完全に忘れていた。
 凄く不本意だけど俺も含めた4人は、この大学ではかなり目立つ部類に入る。それに昨日、裕貴が悪目立ちの冗談をやってくれたもんだから、さぞかし衆目を集めていたんだろう。
「ほやかて、裕貴さんはこの大学に俺とまつながー以外に知り合い居らんし、俺も裕貴さんには茨城に行った時に世話になっとるからこれくらいしたいやろ」
「違う。最上はそういう事を言ってるんじゃないから。相変わらず酒井は鈍感なんだか鋭いのか判らないね」
 明後日な方向に裕貴を庇おうとするヒロを、溜息を吐きながら石川が咎めつつ窘める。
 大本の元凶の裕貴はそれを面白そうに眺めている。あの野郎、また悪い癖が出てるな。
「石川君に最上君だったよね。悪ふざけをしたのは俺だから、あまり酒ちゃんを責めないであげてくれないか。酒ちゃんの優しさと、鷹揚さと、少しばかり鈍い所は美徳だから」
「何なんそれ?」と、ヒロがさっそく自覚の無さを発揮した。
 天子なヒロは俺も認めるが、こんな場面で何を言ってんだあの馬鹿裕貴。
 俺が早足で4人が座っているベンチに向かうと、隣で会話を聞いていた真田も負けずに足早になる。
「待たせた」
「来たわよ。石川君、電話ありがとう」
 声を掛けるとヒロ達が一斉に俺達を振り返った。

「遅くなって悪い」
「一旦、あっちに向かってから来たんやろ。時間掛かるのはしゃーないて」と、ヒロがやや引きつった笑顔を向けてきた。
「2人共お疲れ」と、石川が頷いた。
「工学部と教育学部に戻るんだろ? 時間あんま無いぞ早めにな」と、最上が苦笑する。
「これで全員揃ったのかな」と、裕貴が笑う。なんでお前が仕切ってんだよ。
 俺が空いてる椅子に座ってバッグから緑茶のペットボトルを出すと、真田は自販機でアイスコーヒーを買ってベンチに座った。
 ここは普段は人が居ない割にベンチが多めに有るから助かるな。俺達にはまだ先の話だが、夕方から夜に掛けて実習や研究で忙しい3、4年生や院生が来るのかもしれない。

 最上達の指摘を受けて、携帯で学内SNSをチェックしたら、本当に俺達の姿が顔を一応隠してアップされてて「S君」「M君」「Sさん」「昨日の痴漢の人」と、嫌な表現で書かれていた。何でいつもこうなるんだ。お前らそんなに暇か。じわじわ怒りがこみ上げてくる。
「まつながー、俺らやってもうたみたいやなあ」
 ヒロが困ったという顔で俺を見る。俺もヒロに泣きつきたいけど、確実に最上と真田に蹴られるだろうし、裕貴が便乗して来そうで怖い。
「俺もうっかりしてた。うちの学校の連中に人の事は放って置けと言うのも今更だしな」
「ここまで大きく噂になったのって、何時ぶりだっけ?」
 最上が視線を向けると、石川は腕を組んで数回頭を振る。
「松永が髪を切った時は長く噂されたけど、瞬間風速はここまでじゃ無かったし、お前と酒井が和解したのも学部というか、クラス内はともかく全体的にはそれ程。そうすると、事情を知らない奴らから見て、あまり繋がりの無さそうだった、酒井と松永が連むようになった時以来か」
「あー」と、真田が何かを思い出したような顔をする。
 そして、おそらく当事者のはずだが、全く訳が解らない俺とヒロ。
 ひょっとして、俺が美由紀に振られた後、やたらと色々な学部の女子から声を掛けられたのも、ヒロと飯を食っているとやたらと見られていたのも、SNSが原因だったのか? 段々腹が立ってきた。
「ある程度は予想していたけど、健ちゃんも酒ちゃんも凄い人気だね。滅多に一緒に居られないから裕貴くん、寂しいし妬いちゃう」
 おい裕貴、何を言い出すんだ? 周囲の空気読めよ。
「何言ってんの。そんな事がセクハラをしても良い理由にならないでしょ。あれからちゃんと酒井君に謝ったの?」
 電光石火で真田が反論すると、直情型の最上も裕貴に詰め寄った。
「そーだ。俺らの学部もお前のいたずらのせいで大騒ぎだったんだからな。酒井は真面目で成績も良いのに驕らないから何処でも人気で、事情持ちだった俺と石川以外は、喧嘩にならないように譲り合って講義の席順とか決めてるくらいなんだぞ」
「へ?」と、ヒロが驚いて声を上げる。
 ヒロは情報学部でそこまで人気有ったのか。道理で毎日一緒に昼飯を食ってた俺に風当たりがきついと思った。
「鈍い酒井が混乱するだけなのに、何で最上も本当の事を言っちゃうかな」と、石川。
 穏やかそうな顔をしているが、やっぱり曲者か。俺はお前が1番解らない。
「どうも気に入らないな。酒ちゃんがどこでも人気が有るのは解るし、君達が学内で無用なトラブルを避けたい気持ちも解る。けど、違う大学に通ってる俺が酒ちゃんと仲良くしたいと思うのがそんなに悪い事か? 酒ちゃんはね、俺が3年掛けても出来なかった事を、たった数ヶ月でやってくれた健の家族と俺の恩人だ」
 何処に火が点いたのか、俺の家族の話とか余計な事まで言い出したぞ。
 日頃は交友関係で争うのが嫌いな裕貴が、最上を真正面から見返す。
「裕貴さん、お願いやからそういうのは堪忍して。俺は切っ掛けを作っただけで、まつながーに対して大した事はしとらん。裕貴さんの熱心な説得が有って、まつながーの気持ちが変わったからや」
 褒められるのが苦手なヒロが困惑顔で裕貴を見ると、やや呆れ顔で裕貴もヒロに向き直った。
「まーだそんな事を言ってるのか。まあ良いか。それが酒ちゃんだからね。この話は健を交えて次回に持ち越すとして。酒ちゃん、俺あの時にはっきりと君に言ったよね。酒ちゃんなら俺の全部を受け入れて貰えるって気がするって。あれは冗談じゃないから。俺は酒ちゃんが好きだよ。もちろん、恋愛的な意味じゃないけど、行き詰まっていた健を救ってくれた酒ちゃんなら、俺の事も救ってくれるんじゃないかと思ってる」
「……裕貴さん」
 困り顔のヒロが眉尾を下げ、「は?」と、俺を含めてヒロ以外の全員が同事に声を上げた。
「俺はね、高校時代に色々相談に乗る内に勘違いした男からべたべたされたのも、恋愛対象にされたのも、所詮は学校の方針に従った受験勉強ストレスが原因の一過性の物だし、あいつらが心底から俺に本気じゃないのも判ってた。だから、適当に程々に付き合っても許容出来た。テストと課題で勉強が大変なのも、クラスメイトは全員ライバルで、親元から離れて本音の愚痴を言える相手が居ないなんて、俺達の母校では当たり前だった。俺は同室の健の、素直で嘘の無い性格に癒されてたから、俺が他の誰かの助けになるならと良い思ってた。けどね、酒ちゃん」
 裕貴がヒロの両肩に手を掛ける。
「我が儘に振り回されても、露骨にホモ扱いされても、ヘラヘラ笑ってた俺だって、ストレスが溜まって本当は辛かった。誰かに救われたかった。甘えたかった。本音の愚痴を思いっきり聞いて欲しかった。あの頃の健は本当に大変だったから、たまに軽い愚痴は言えても、泣きついて負担を増やす事は出来なかった。俺達はみんなただの弱い高校生だった。偉人でも超人でもましてや……」
 裕貴は自嘲の笑みを浮かべると、ヒロの顔をするりと撫でた。
「俺なんか、到底天子様にはなれない。強い酒ちゃんが心底羨ましい。その柔軟さに憧れている。だからこそ、酒ちゃんと仲良くなりたい。健みたいに酒ちゃんから信頼されて愛されたい」
 ヒロが真っ青になって息を呑む。もう黙っていられない。
「おい裕貴! お前、何を言い出すんだ!?」
 ヒロが天子だとは言っちゃいけない約束だと言いたいけど、もっとヒロを困らせてしまうから口には出せない。
「天使って何だ? そりゃ酒井は可愛い顔をしているけど、童顔なだけだろ」と、石川が首を傾げる。
 あ、微妙に違うニュアンスに取られてる。これはまだセーフか?
「お前だけがそう思ってじゃねえ! 俺だってもっと酒井に好きになって貰いてえよ。松永みたいに親友だって言って貰いてえよ。けどな、それを決めるのは酒井でお前じゃねえんだ! 押しまくったからって酒井の気持ちが変わる訳ねーだろ! お前のは只の我が儘だ!」
 最上が激昂すると、真田も大声を上げた。
「あんた、やっぱりどこかおかしいわ。酒井君はたしかに寛容だけど、一方的に甘えて良い理由にならないでしょ。みんな誰とだって仲良くなりたいし、良い友達になりたいよ。だけど、自分の気持ちを相手に押しつけられないでしょ。だから、あたしも酒井君に対して我慢してる。普通はそうじゃないの?」
 あ、今真田がうっかり本音を言ったけど、肝心のヒロは気づいていないみたいだ。運が良いんだか間が悪いんだか。
「普通はそうだね。けど、我慢して黙っていたあげく、全く気づいて貰わえないのはもっと嫌だ。俺は県外に住んでて酒ちゃんと滅多に会えない。会えた時には精一杯アピールしたいんだ」
 裕貴が真田の意見を肯定しつつ反論もする。
「受験専高寮生に同情はするけど、大学受験で苦労したのは自宅通学組の俺達も同じだ。強引に振る舞って良いはずない。ましてやそれが酒井の迷惑になるなら尚更だ」
 石川が冷静に指摘をする。
「俺らに比べて自分だけが可哀想ですーってか? アホか! そんな自分勝手で一方的な押しつけは止めろよ。酒井を何だと思ってんだ!?」
 まだ怒りが収まっていない最上が畳み掛ける。
 これは、ちょっとまずいぞ。喧嘩が嫌いなヒロが1番苦手な展開になってきている。
 天子なヒロは優しすぎて自分を好きな人を強く拒めない。それが友情なら尚更で、全力で全部を受け止めようとしてしまう。
 だけど、実際はヒロもまだ19歳で、自己評価が妙に低くて、小さい事にも悩む普通の男なんだ。みんなの親でも兄でも無い。
 言わなきゃ。止めろって。ヒロが認めてくれた親友の俺がヒロを助けなきゃ。
 出会って以来、ずっとヒロに甘え続けている俺が言っても説得力は全く無いんだろうが、頼むからみんなでヒロを追い詰めてくれるなよ。

「ストップ! 全員黙れ!」
 厳しい怒鳴り声が響き渡った。

「酒井、酒井。大丈夫か?」
 怒鳴った石川が、真っ青になったヒロの肩を抱いてベンチに座らせる。
 何かに気づいた最上が綿ジャケットを脱いで、俯いたヒロの頭に被せると、ヒロの前に跪いた。
「ごめん酒井。俺、夢中になって忘れてた。酒井はこういうの1番苦手だもんな。ホントゴメン。悪かった。お茶……いや水の方が良いかな。それとも温かいのが良いか? 何か飲める?」
「…………」
 掠れて小さなヒロの声は、俺の耳には届かない。最上と石川にはなんとか聞こえているんだろう。
「うん。お茶な。さっきまで飲んでたこれで良いか? ゆっくりな。無理すんなよ。気管に入ったり、喉詰まらせる方がやばいから」
 ついさっきまで頭が沸騰していた最上が、献身的にヒロに接している。
「え、何なの?」
 いきなり様子が変わって真田も青ざめる。
 普段は笑顔を絶やさない裕貴が真顔になる。
「酒ちゃん、もしかして君は……」
 裕貴は小児科医希望で茨城の医科が有る大学に通っている。子供は病気の説明や、意思表示が上手くないからと、高校時代から児童心理学を本で勉強していた。高校で連中の相談に乗っていたのも、将来を見据えての事だった。そんな裕貴だからこそ、ヒロが長年抱えている傷に気づいたみたいだ。
 今、多分ヒロは泣いている。いち早くそれに気づいた石川は騒ぎを止めたし、最上はヒロの顔を隠したんだ。ヒロはこういう争いを1番嫌がるって知っていたのに、俺は何の役にも立てなかった。
 ごめん。ヒロ、本当にごめん。
 ふらりと足が動き出す。
 気が付くと俺は背後からヒロを抱きしめていた。
「うぎゃーっ!? そういうのヤメレっていつも言ってるやろ。まつながー!!」
 何で見えてもいないのに俺だって判るんだヒロ。



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