誰が何と言おうとヒロは俺の天子だっての。
 ヒロを独占出来るなんて思ってないけど、天子と呼んで良いのは俺だけだろ。
 というか、お前は俺の血管を切る為に嫌がらせをして。
「まつながー、夜中にでかい声で気色悪い寝言を言うな!」
 ……。
 殴られたくないから寝たふりをしておこう。
 あれ? 俺はさっき夢の中で誰に怒鳴ってたんだ?
 現実のヒロに怒られたら忘れてしまった。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(20)

73.

 毛やんが三重に帰ってしばらく経ってから、俺は姉貴に長いメールを送った。
 俺は子供の頃からずっと親父の期待を裏切らん事に精一杯で、姉貴やゆか姉の本当の気持ちや、オカンがなしてあないに姉貴と俺に甘いのかにも気づけんかった。
 知ってしもうたらもう放置は出来ん。ほやから正直に思ったまま、感じたままの気持ちで姉貴に詫びてみた。姉貴の我が儘に振り回されて、俺も色々有ったけど、今更文句を言う気になれん。
 そしたらほんの数分後に、姉貴から『そんなんやからアンタはヘタレて言われるんよ!』と、毎度の毒舌返信が来た。
 やっぱりかと思うたら、空改行が続いてたんで画面をスクロールしてみた。
『けど、アンタのこういうマメなトコは好きや。メールしてくれて嬉しかった』なんて、珍しく俺にフォローが入っとった。
 やっぱ、今まで姉貴が俺にメチャきつかったんは、俺が無意識でも意識的にでも、自分に嘘を吐きすぎてたからっぽい。俺かて姉貴と逆の立場なら、我慢するなて怒るやろう。
 そろそろほとぼりは冷めたやろうから、毛やんにも事情を聞いてみるか。あの感じからして、絶対俺に内緒で姉貴と共謀しとるて思うんよな。
 それにしても、なんのしがらみも無い正直な俺ってどんなんなんやろ。宇宙とロケットが好きで、漫画が好きで、寝るコトと食べるコトが好きって事以外は、自分でもよう判らんなぁ。
 まつながーに聞いたら、俺が後悔しそうな事しか言わんやろうし、自分で考えんとアカンて気がする。

 今日はバイトの時間まで少し余裕が有るけど、バイト先と逆方向のアパートに帰るんは面倒や。
 駅前の本屋で暇を潰そうと校門へ歩いとると、背後から殺気や悪意は無いメチャ嫌な気配がした。
「わあい。酒(さか)ちゃんだ。会いたかったーっ」
「うぎゃーっ!?」
 いきなりでかい男に後ろから羽交い締めにされたー! 物取り、変質者、どっち? 殴った方がええかな。
 あ、ちょい待て。このちょっとキモい独特の気配と声は、ひょっとせんでも。
「裕貴……さん?」
 恐る恐る顔を上げてみたら、ホンマにモデルさんみたいに綺麗な裕貴さんの笑顔が有った。
 げっ。一瞬で全身に鳥肌が立った。顔がメチャ近くて気色悪い。ちゅーか、校門前でこないな事するの止めれ。
「あれ、びっくりさせようと思ったのにすぐにバレちゃった。酒ちゃんってば、裕貴くんの事忘れて無かったのね。嬉しいよん」
「裕貴さん以外にこない変態な真似する人は居らんやろ」
「あ、そういう事言うんだ」
 俺が露骨に嫌そうな顔をしたからか、裕貴さんは益々面白がって俺に張り付いてきた。
「うはあわ。お願いやからいい加減にこの手を離してぇー」
 アップに耐えきれずに裕貴さんの顔を両手で押し退ける。それでもリーチの長い裕貴さんの手は外れん。こんな時はマジで体格差が憎い。
「ゆ……裕貴、さん。なして、ここに居るの?」
「いやん。酒ちゃん忘れちゃった? 次は東京で会おうねって言ったっしょ。前から来る予定が有ったんだ。しばらくこっちに居るよ。一応、健にもこっちへ来ると言っておいたんだけど。……日程以外は」
 夏休みに言うてたあれは、暇な時に遊びに来るて意味や無かったんか。まつながーにも内緒ってホンマに裕貴さんは人を脅かして遊ぶのが好きなんや。
 げっ。それ以上力入れんな。顔も近づけんな。わざとやっとるだけに、寝ぼけたまつながーよりタチが悪い。
 それに、明らかにどん引きしとる通りすがりの目がメチャ痛いちゅーねん。変な噂が立ったらどないしてくれる。石川は面白がるやろうし、最上は絶対に切れる。なにより裕貴さんを警戒しまくっとるまつながーが怖い。
「裕貴さん、人で遊ぶの止めてや」
 俺が不機嫌丸出しの声で言うと、裕貴さんは意外という顔をする。
「遊んでないよ。喜びを素直に現してるだけ。だって、大好きな酒ちゃんに会えたんだもん」
「ぎゃーっ。やーめーてぇー」
 益々近づいてくる裕貴さんの顔を、ショルダーバッグで押し退ける。思いっきり蹴るか殴るかしたいけど、構内のこない人目の有る所で暴力沙汰なんて起こせん。
 うがー。裕貴さん、俺が大して抵抗出来ん事解っててやっとるやろー。

「そこの最低痴漢男! その子本気で嫌がってるでしょ。今すぐ手を放しなさい。警備員を呼ぶよ!」

 よく通る強気な女の人の声が聞こえて、裕貴さんの手が止まった。
「3ヶ月前に申請を出して、許可を貰ったばかりなのに、警備員を呼ばれるのは困るなあ」
 漸く緩んだ裕貴さんの手からすり抜けて、俺は距離を取る為に数歩下がる。
 げっ。周囲を見渡したら野次馬が何十人も居る。まさか写メとか撮られとらんやろうな。明日が怖い。
 裕貴さんの背中越しに、声を掛けて止めてくれた女の人の姿が見える。
「へ?」
 うはあ。まさかの真田さんやー! 俺の顔を見た真田さんも大きく口を開ける。
「え、うそ。酒井君? 男に絡まれてるからてっきり女子だと」
 えーと、どう反応したらええんやろう。俺が黙っとると、真田さんはすぐに気付いて謝ってくれた。
「ごめん。酒井君が女子に見えたんじゃないよ。よく見えなかっただけ」
 状況からして誤解はしゃーないよな。真田さんのフォローが逆に虚しい。
 俺と真田さんが気まずく無言で見つめ合っとると、勘のええ裕貴さんが小声で聞いてきた。
「あの美人さんは酒ちゃんの知り合い?」
「うん」
 騒いでた俺らが普通の会話になったからか、野次馬はすぐに飽きて居らんくなった。俺と真田さんと裕貴さんを除いて、周囲は普通の下校風景になる。
 真田さんは固い表情で俺らの方に歩いてきた。1メートルくらいまで近づくと足を止めて裕貴さんを横目で睨む。
「酒井君、この変態と知り合いなの?」
「一応」
 しっかり裕貴さんの呼び名が痴漢から変態に変わっとる。とんでも無い所を見られてしもうたなあ。メッチャ恥ずかしい。
 俺の返事が気に入らん裕貴さんが、わざとらしく俺にしがみついてくる。
「いやん。「一応」だなんて、酒ちゃんってばひどーい。裕貴くん泣いちゃう」
「勝手に泣けや。そんでこの手も離してや」
 さっきはいきなりでパニック起こしたけど今度は負けん。俺が冷たく言い切ると裕貴さんは少しだけ拗ねた顔をしてすぐに笑顔に戻った。
「相変わらず酒ちゃんははっきりしてるね。そういう所も好きだから「今は」言うとおりにするよ」
「俺が嫌がるの知っとるくせに、ひっついて来るのも止めてや」
 俺がハエを払う様に手を振ると、裕貴さんはその手をしっかり握りしめてきた。げっ。餌を与えてしもうた。
「それは無理だよ。酒ちゃんが大好きなんだもん。こんな風に沢山触りたいし抱きしめたい」
「ああ、もう。さっきからなんなのよ。松永より恥ずかしいこの変態男は!」
 俺が反論するより先に、裕貴さんのキモイ台詞で真田さんが切れてしもうた。俺かて鳥肌寸前やから当然かも。
 それにしても、速攻で変態イコールまつながーの名前が出る所が怖い。まつながーのアホめ、真田さんの前でなんをやっとるんや。
 知っとる名前が出たからか、裕貴さんが嬉しそうに真田さんを見る。
「ああ、酒ちゃんを知ってるくらいだから、君も健の知り合いなんだ」
「健って?」
 まつながーのフルネームを知っとるのに、真田さんがわざとらしくとぼける。これは相当裕貴さんを警戒しとるな。
 しゃーないなあ。これ以上無駄に揉めとうない。俺は真田さんと裕貴さんの間に立って、2人の顔を交互に見た。
「面倒な事になる前に紹介するで。裕貴さん、この人は真田さん。まつながーと同じ学部の人や。そんで真田さん、この人は裕貴さん。まつながーの高校時代からの親友さんなん。俺は夏休みに1回会うたから知っとるん」
「松永の親友? どうりで」
 真田さんは更にきつい顔になると、バッグから携帯を取り出して、凄い勢いでボタンを押して耳に当てる。
「松永、あたし。今すぐ正門に来なよ。え、安東君達に捕まってる? それくらいさっさと振り切りなよ。でないと明日1日中後悔させる。一体どうしたかって? ここに来ればすぐに解るよっ!」
 えーっ。真田さん、ここにまつながーを召還してしもうた。ちょっとヤバイかも。
 一方的に言いたい事を言うて、真田さんは携帯をバッグに投げ入れた。そんで、裕貴さんを親の敵みたいに睨み付ける。
「酒井君」
「はいっ?」
 真田さんの視線は裕貴さんに向いたままやのに、俺が呼ばれてしもうた。
「松永を呼んだから変態は変態に引き取って貰おう。酒井君にまで変態菌が移ったら大変だよ。あたしの精神衛生の為に、出来るだけ酒井君はそいつから離れて」
 えー。どないしよう。酷くけなされて気分を害してるかもて、裕貴さんの顔をちら見したら逆ににこにこ笑顔や。さすがは裕貴さん。俺の想像を軽く超えとる。
「いやはや。さっぱり、すっきり、ばっさり、その上電光石火の行動力だ。実に気持ちが良いね。真田ちゃんはジャストで俺の好みのタイプだ。仲良くなれると嬉しいな」
「はあ?」
 余程驚いたらしい。美人の真田さんの顔が、一瞬だけ顎が外れたみたいに崩れてしもうた。見なかった事にしとこ。女の人の顔をあれこれ言うたらアカン。
 裕貴さんも本気と誤解されるレベルで俺に絡んでおいて、いきなりそんな事言うのは反則やろ。誰かてびっくりするて。
 俺が2人の顔を交互に見ながら迷っとると、いきなり真田さんに手を強く引かれた。そのまま真田さんの背後に回される。
「酒井君は絶対にあたしが守るから安心してね」
「へ?」
 今、真田さんはなんて言うた? 俺を守るて聞こえた様な。
 あれっ? 真田さんは俺の事を怒っとるんとちゃうの。まつながーは大丈夫やと言うてくれたし、あんな事が有った以降も時々食堂で目が合うと真田さんは笑ってくれるけど、やっぱり気が引ける。
 いや、そういう問題とちゃう。これって絶対違うて思う。普通は逆やろ。怒らせた相手に、しかも女の人に守って貰う俺って、どんだけ間抜けなんや。余程危なっかしく見えるんかな。
 やっぱ変な誤解をされとるよなあ。勇気を出して声掛けてみよ。
「あのな、真田さん」
「何?」
 うっ。気合いが入っとるからか、真田さんは美人度が増しとる分ちょっと怖い。けど、真田さんは俺の為にしてくれとるんや。俺がちゃんと説明せなアカン。
「裕貴さんはちょっと変わっとるけど、メチャええ人なん。さっきのはただの悪ふざけや。俺がびっくりして大きな声を出してしもうたから騒ぎになったし、真田さんに心配掛けてしもうた。堪忍してな」
 ホンマは「ちょっと」どころか「かなり」変わった人やけど、メチャええ人なんは事実やからええよな。俺が笑ってみたら、真田さんは少しだけ困った顔になった。
「酒井君はいつでも誰に対しても平等に優しいね」
 え? あない酷い事をした俺を優しいて言うてくれるんか。真田さんこそ俺に気を遣ってくれとるんちゃうの。
「でもね、こいつが変態なのは誰が見てもたしかだよ。松永の親友でも庇ってあげなくても良いからね。さっきのは男同士でも充分セクハラだよ」
「あ、やっぱセクハラで合ってたんか」
 俺が前々からまつながーに言うてたのは正しかったんや。正直に答えたら、真田さんは「全く、酒井くんがこんな風だから松永が調子に乗って」と頭を抱えてしもうた。その後ろで裕貴さんがぷっと噴きだす。
「酒ちゃんの変な所で鈍くて純な所も俺は大好きだよ」
 にこやかに要らん爆弾を落とす裕貴さんを真田さんがまた睨む。頑張ってフォローしてみたのに台無しや。
 あれ? ちょい待てや。俺はなんか大事な事を忘れとらんか? あっ。
 ポケットから懐中時計を出して見たら、バイトの時間まであまり余裕が無い。裕貴さんの事は気になるけど、もうすぐまつながーがここに来るならええよな。
「2人共、堪忍や。もうすぐバイトの時間なん。俺は行かなアカン」
 真田さんはすぐに頷いて笑って言うてくれる。
「分かった。頑張ってね」
「俺は健が来るのを待つよ。酒ちゃん、行ってらっしゃい」
 裕貴さんも笑って手を振ってくれる。
「おおきに」
 2人に礼を言うて俺は走り出す。あ、しもた。
「ゆーきさん、ホンマに困ったらメールで俺に連絡して。バイトが終わるまでは動けんけど」
「分かった」
 あれ、今2人分の声がせんかった? けど、振り返る時間が無い。せっかく今日はゆっくり出来るて思うてたのに時間ぎりぎりや。


74.

 真田に怒鳴られて俺が正門前に行くと、目を疑いたくなる光景だった。
「あはははは。真田ちゃんもゆーきて言うの。お仲間だね。裕貴(ゆうき)くん嬉しい」
「違う。ちょっと聞き間違えただけ。私は有希(ゆき)。あんたなんかと一緒にしないで!」
 何で裕貴のクソ馬鹿が俺に何の連絡も無く月曜の夕方に東京に来ていて、しかも、よりによって真田と構内で口喧嘩してるんだ。
「ゆっきーと読んでも良い?」
「止めてよ。気持ち悪い」
 裕貴が楽しそうに真田で遊んでいる。あいつは気真面目な奴が好きだからな。俺は真田が怖くて、とてもじゃないけど近寄れない。
 やばい。遅れた事にしてUターンを仕掛けた俺と裕貴の目が合った。
「やっほー。健ちゃん、元気ー?」
 悪意の無い笑顔を貼り付けて、わざとらしく大声で俺の名前を「ちゃん」付けして呼ぶんじゃねえ。お前が人前で俺をそう呼ぶ時は、9割方抵俺にとって悪い事が起こる時なんだ。
 とは言え、怒って俺を呼び出した真田を無視しようものなら、明日確実に復讐される。
 真田も振り返って俺に気付いた。さっきの凄い電話は裕貴が原因だったんだな。本当に嫌な予感しかしない。
 しぶしぶ俺が近寄ると、怒髪の顔をした真田が俺のTシャツの胸ぐらを掴んできた。視線で人が殺せるなら、俺は確実に死んでいる。
「変態は変態がしっかり管理しなさいよ。さっきまで酒井君が大変だったんだからね」
「はあ? あっ!」
 俺は真田の手を振り払うと、すぐに裕貴のシャツの襟を両手で握りしめた。
「裕貴、俺のて……俺の親友に何をしやがったー!?」
「偶然会えて嬉しかったから思わす抱きしめただけだよん。相変わらず酒ちゃんは顔も反応も可愛いね」
 俺の片手の握力は軽く80キロを超えるから、人間相手に全力を出せない。それを知っている裕貴は余裕の笑顔で答える。
「お前な。あれだけヒロに手を出すなって言っただろ」
「健ちゃんはそう言うけど、酒ちゃんは俺と友達付き合いならオッケーと言ってくれたんだよ。俺は喜びを全身で現しかつ、酒ちゃんにマジ蹴りされる前で止めたんだ」
「ちょっと待って。さっきからあんた達は、気持ち悪い事ばかり言ってるよ。酒井君を何だと思ってるの。酒井君は誰かの所有物でもオモチャでも無いでしょ。いい加減にしなよ!」
 無理矢理俺と裕貴の間に入った真田が、真っ赤な顔で肩で息を切らしながら正論を言う。
 真田の言うとおりだ。ヒロは俺を親友と言ってくれるけど、交友関係にまで口を出す権利は無い。ヒロが自分で決める事だ。
 そして、裕貴もこんな目立つ場所でヒロに抱きついて良いはずがない。ヒロは相手が誰でもその手の行為を嫌がる。
 ヒロが裕貴に実力行使をしなかったのは、喧嘩が強いのを学内に知られるのを避けたのと、なんだかんだと裕貴に甘いからだろう。
「真田、ごめん。色々迷惑を掛けた。こいつには後でしっかり言っておく。更に悪いんだが、俺が来る前に何が有ったか教えてくれ。ここにヒロが居ないのは、バイトの時間だからというのは判る。だけど、真田と裕貴が喧嘩をする状況が解らない」
 俺が聞くと真田は少しだけ視線を逸らして赤面する。これはどういう反応だ?
「喧嘩なんかしてないぞ。有希ちゃんと楽しくおしゃべりしてただけ」
 心外だと言わんばかりに裕貴が抗議してくる。頼むから今は黙っててくれ。
「冗談でも止めて。あたしは楽しくなんか無いよ」
 予想通り真田が怒る。どっちも簡単に引かない性格だ。少しだけヒロの気持ちが解った気がする。こういう時は1人ずつ片付けよう。
「裕貴、話がややこしくなるから今は黙ってろ。俺は真田に聞いている」
 裕貴は数回瞬きして、「分かった」と1歩下がった。
 
 真田の話を要約すると、叫び声が聞こえて正門近くを見たら、若い男に絡まれている子が居た。慌てて止めに入ったら、被害者は女子じゃなくてヒロだった。
 ヒロ、お前は真田にまで女に……いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
 真田が止めに入るまで、ヒロは裕貴に抱きつかれて、セクハラ行為をされていた事。落ち着いたヒロの説明で裕貴が俺の知り合いだと知って、真田が俺に電話を掛けてきた事。
 被害者のヒロが変態行為をする裕貴を庇う発言をするから、余計に腹が立った事などなど、無駄にリアルに情景が想像出来て嫌だ。
 本気で鳥肌ものの事をしたら、たとえ場所が構内でもヒロのリミッターが飛んで、裕貴は胃液を吐くか顔に痣の1つも付けられてる。たしかに裕貴はセーブしたんだろう。
 けど、嫌がられると解ってる事をやるなっての。
「裕貴」
「何? 健ちゃん」
 俺に呼ばれて離れていた裕貴が近づいてくる。
「真田の説明に訂正箇所は有るか?」
 裕貴は軽く腕を組むと頭を横に振った。
「有希ちゃんの説明は、事情を知らない第3者視点としてとても正確で誠実だ。だから、1つだけ反論を許して貰えるなら、事前に俺は酒ちゃんに迫ると宣言してる事くらいかな。俺も少しは酒ちゃんの性格を解っているつもりだ。酒ちゃんが本気で怒っていたら、今頃俺は無事で済んでいない」
 この野郎、全力で顔面に張り手をしてやろうか。裕貴の告白を聞いて真田が真っ赤な顔をして抗議をする。
「な……何を言ってんの。あんた、本当におかしいんじゃない? 松永1人でも充分嫌なのに変態が増殖しないでよ」
「酷いなぁ」
 真田の口が正直過ぎるのは毎度の事だが、あまりの言われ様に裕貴が苦笑する。その上、俺まで変態呼びしやがった。
 本当に随分な言われ方だ。俺と裕貴を同列に扱うなっての。真田の気持ちを知らなかったら俺もとっくに怒ってる。
 俺が珍しく何も言わないからか、裕貴が興味津々という顔で俺を見る。
「健ちゃん、ほんのしばらくの間に大人になったねえ。裕貴くん、ちょっと寂しい」
「気持ちの悪い言い方をするな。裕貴が知らない事は沢山有るし、あれから色々有ったんだ。俺だって少しは変わる」
 きっぱり言い切ると裕貴は少しだけ微妙な笑顔になって、「そうかもね」と言った。半分くらい事情を知っている真田も「たしかに少しは」と、ささやかだが俺の変化を認めてくれた。
 さて、この場をどう収めたら良いんだ。バイト中のヒロに甘える訳にはいかない。判断するのは俺だ。とりあえず、関係の薄い順だよな。
「真田」
「何?」
 そう露骨に警戒した顔で俺を見るなよ。俺も突然裕貴が来た事には驚いているんだ。
「電話をしてくれて助かった。サンキュ」
 真田は少しだけ驚いた顔になるとぼそりと呟いた。
「どういたしましてと言いたいけど、あたしは自分がしたい様にしただけ。被害者が酒井君で、それからの展開は完全に予想外というか、想像もしたくない状態だった」
 大体想像は付くが、細かい所はノーコメントで通そう。
「じゃあ、また明日」
 俺がそう言うと、真田は裕貴を1度睨んでから「うん、明日」と俺に背を向けた。
 やれやれ、次は諸悪の根源だ。俺が視線を向けると同時に、裕貴が俺の両肩を掴んで先制攻撃をしてきた。
「健ちゃん、お願い。食費は出すから金曜日までアパートに泊めて。セミナー参加費と交通費を出したら宿泊費が足りないんだ」
「はあ?」
「ちょっと待って。今のは聞き捨てならない!」
 俺達の会話を聞きつけた真田が全速力で走って戻って来る。少しくらい俺の前でも女のふりをしてくれ。せっかくの美人が台無しだ。
「裕貴、どういう事か簡潔に纏めて言え。お前も講義とバイトが有るだろ。忙しいくせに何をしようってんだ? 内容次第では今すぐ電車に蹴り入れる」
 うっとうしく絡んでくる手を振り払いつつ、一応聞く姿勢を見せたからか、裕貴は嬉しそうに笑う。
「師事する俺の大学教授が、明日から金曜までこの大学で集中セミナーをやるんだよ。俺はまだ1年だけど、教授に頼み込んだら一般参加で許可をくれた。空いてる時間もここの大学の講座でいくつか臨時公聴生の許可を貰ってある。外部参加だと講義料が高くてね。出来るだけ節約したいから健の部屋に泊めて欲しいんだ」
 俺が返事をする前に横から真田が大声を出す。
「松永の部屋は駄目よ。だって今……」
 そこまで言いかけて、真田ははっと気付いて両手で自分の口を塞ぐ。さすが真田、最後は理性が勝った。
 だから何だという顔で裕貴が真田に笑い掛ける。
「酒ちゃんは嬉しいオプションだよね。久々に健と一緒に寝るのも楽しみだけど、酒ちゃんとも4日間一緒に居られると思うとわくわくする」
「なっ……」
 強気の真田も絶句する発言をさらりと言うなって。
 裕貴は真田を気に入ってるみたいだから余計にタチが悪い。真田みたいに真面目なタイプは下手に構うとオモチャにされるだけだぞ。……って俺もか。くそう。
「裕貴、わざわざ誤解を招く言い方をするな。えーと真田。裕貴は高校3年間寮が俺と同室だったんだ。それと、こいつもなりゆきでアパートの現状を知ってる」
 俺が頬を引きつらせながら視線を向けると、真田も頬を引きつらせながら黙ってゆっくり頷く。助かった。次は裕貴だ。
「裕貴、事情は分かった。悪いが俺の一存では決められないから、話の続きはアパートに戻ってからだ。それと、俺もそろそろバイトに行かなきゃならない。お前の分まで用意してないから晩飯は外で食ってくれ。10時過ぎくらいに駅の噴水前に居てくれ。バイトが終わったらすぐに迎え行く。俺のバイト先は駅近くのDVDレンタル本屋だからすぐに判る。飯の後に本コーナーで時間を潰してくれても良い」
「ありがとう。健ちゃん。なら、晩ご飯は酒ちゃんのバイト先にするよ。どんな所か見てみたいから」
 これ以上ヒロに迷惑を掛けるつもりか。止めろと言おうとした俺を押し退けて真田が裕貴に向き直る。
「あたしも行く。あんたは酒井君の邪魔をしかねない」
「真田?」
 ヒロが絡むと真田も理性ゲージが一気に下がるな。意地か本当にヒロが心配なのか判らないが、お前も止めておけって。
 俺の内心に気付いているくせに、完全にスルーして裕貴がのんびりした口調で言った。
「じゃあ、有希ちゃん。これから酒ちゃんの店でデートしよ」
「誰が! あたしはあんたの見張りで行くのよ」
「それでも良いよん。1人で食べるより2人の方が楽しいからね。有希ちゃんなら俺は大歓迎」
 裕貴、頼むから真田を煽って遊ぶな。お前ら2人が行けばヒロに気を遣わせる事になるんだぞ。……と声を大にして言いたい。
 俺が2人をどう説得しようかと考えていると、裕貴が俺に向かって言った。
「健、少しは俺を信用しろって。話の途中で抜けて心配してるだろう酒ちゃんに、有希ちゃんと仲直りしたと見せに行ってくる。それなら良いだろ」
 頭の回転が早い真田もはっとして頷く。
「うん。あたしもそうする。酒井君の事だからきっと心配してると思う。仲直りなんて冗談じゃないけど、あの後喧嘩にはならなかったくらいは知らせておきたい」
 余計にこじれるだけだと思うが、2人からこう言われたら俺は何も言い返せない。
「絶対に店で騒ぐなよ」
 一言だけ念押しをして、俺もバイトに向かった。
 到底、あの2人が大人しくしているとは思えない。全然役に立てなかった。ヒロ、本当にごめん。



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