ほんの少し言葉が足りんだけで、人は簡単に誤解をしてしまう。
 ほんの少しタイミングが合わんだけで、人同士はすれ違ってしまう。
 これって、どちらか一方が悪い事なんやろうか。
 もし、自分の周囲で1番悪いのは誰と聞かれたら、俺は迷わず「俺」て答えるやろう。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(18)

60.

 夜道を走りながらまつながーと毛やんならどうするか考えてみた。
 2人共基本的に口は堅いし、関係ない人を巻き込むのをメチャ嫌う。真っ直ぐコンビニに行ったりはせんよな。
 通り道沿いで夜間に人がほどんと居らんくて、少しくらいの大声なら周囲に迷惑が掛からん所。ほやったらアパートから歩いて6分の公園や。
 俺が公園の入り口に入ると、毛やんがまつながーの襟首を締め上げてる姿がちらりと見えた。
 アカン。今すぐ毛やんを止めな! 後ほんの2、30メートルという所で、毛やんの怒鳴り声が響き渡った。
「松永、お前か? 酒をあないな状態にしたホンマの原因はお前やったんか!? 酒となんが有った。正直にしゃべれ!」
 嫌な予感的中や。まつながーはなんも悪うないのに、一方的に毛やんに責められとる。
「毛やん、止めてーっ!!」
 俺の声を聞いて、毛やんとまつながーはこっちの方を見た。息切れしとる場合とちゃう。毛やんを止めな。
 俺が意地を張ってなんも言わんから、憤った毛やんはまつながーに聞いたんや。まつながーは優しい上に口下手や。2人共俺の為にしてくれとるんや。悪循環の原因は俺なんやから、俺がこの連鎖を立ち切らなアカン。
 俺は肩で息をしながら、外灯の下に居る毛やんとまつながーの近くまで歩いていく。大した距離を走っとらんのに、焦っとるからか上手く声が出ん。
「酒」
「ヒロ」
 毛やんは俺の顔を見て、ばつが悪そうにまつながーから手を離した。まつながーは俺から目を逸らす事も出来ずに、途方に暮れた顔をしとる。まつながー、堪忍や。今はどっちにも味方は出来ん。
 俺は息を整えると、あえて低い声で2人に声を掛けてみた。
「こない所で喧嘩する気か? 警察に通報されたらどないするつもりや。アホもたいがいにせい。それに、ビール買いに行く言うて、ずいぶんのんびりしとるなあ。こないトコに長時間居ったら蚊に食われるやろ。ほんで、2人して俺に隠れてこそこそと、なんの話しをしとったん? 言うてみろや」
 まつながーと毛やんが同時にピクリと肩を揺する。
 俺が近寄ると、その距離分2人して後ずさりをする。無意識に俺の足が届かん所に逃げようてしとるな。どっちも俺に胃液を吐かされた組やもんな。当然の反応かも。
「2人とも逃げるなや。そこに座れ!」
 俺の大声にびっくりしたまつながーと毛やんが、慌ててその場に正座して座る。冷や汗をだらだら流しながら俯いて少し震えとる。誰がそこまでせいと言うた。どっちもアホや。
「地べたになんか座らんでもええ。普通に目の前のベンチに座ればええやろうが。俺は学校の先生か? お前らはなんやアホをやらかした生徒か? そないな事をされたら、気まずくて俺が話しにくいやろが」
 俺がまた大きな声で言うと、まつながーと毛やんはすぐに立ち上がって、ベンチに座り直して背筋を伸ばした。
 アカン。焦って走ってきたのに、2人のアホアホ行動のせいで段々気力が萎えてくる。
 ほやけど、さっきの様子からして、事情を知らん毛やんがまつながーを追い詰めたんや。俺はちゃんと両方の話を聞かなアカン。俺にはその責任が有るし、俺しか出来ん事や。順番も間違えたらアカン。こじれた関係がもっとややこしくなる。
「まずは毛やんから聞く。もしかせんでもうちの家の事情を、まつながーに話したんか。俺は昼間にまつながーには言うなてはっきり言うたやろ」
「そのとおりや。酒、ホンマに堪忍や!」
 毛やんは益々青い顔になって、膝につくくらい頭を下げた。そんな事やと思った。
「まつながー、俺が勇気を振り絞った初告白で振られた事、毛やんに話した?」
「ヒロ、ごめんっ!」
 俺に睨まれたまつながーも深々と俺に頭を下げてくる。ホンマにこの2人は……。

 なしてこないにも、俺なんかに優しくしてくれるん?
 俺はまつながーとの今の関係を壊しとうのうて、毛やんに言うなて頼んだ。ほやけど、毛やんはまつながーが可哀想やと、俺とまつながーは今のままやとアカンて思うたんや。毛やんは俺に恨まれるのを承知で、俺が話せんかった事情を代わりまつながーに話してれた。
 まつながーもや。なんも言わんくても解る。一昨日あんな酷い事を言うたのに、それでも黙って俺を許してくれとる。
 その上、毛やんに詰め寄られても、俺を庇ってくれとる。まつながーだけが俺がやさぐれた本当の原因を知っとるんやから。
 とてもやないけど俺は2人を怒れん。怒る資格なんて無い。元はと言えば全部俺が蒔いた種や。刈り取りも俺がせな。
 きっと俺はメチャ恵まれとるんやろう。こないにええ親友が2人も居って。ほやけど、だからこそ、俺は嘘吐きな俺が惨めで嫌になるんや。
 泣いたらアカン。今泣いたら俺はもっと惨めで情けない男になってまう。俺は気力で足を踏ん張って両手を握りしめると顔を上げた。
「分かった。ほんで、2人共お互いに俺の秘密を話して。知らんかった事を知って。……もう気は済んだんか?」
「ヒロ……」
「酒……」
 嫌やな。どないしても声が震えてまう。しっかりせい俺。俺はまだなんも解決出来とらん。

 急に視界が暗くなったて思うたら、でかい物が俺の上に覆い被さってきた。
「ヒロは何も悪くない! 絶対に悪くなんかないんだからな!」
 この声と嫌でも慣れてしもうた暑苦しい感触は……。まつながー? 俺、まつながーに抱きしめられとる?
 昨夜に続いて今夜もかあーっ!? こない所でアホスイッチオンにすな。しかも毛やんの前で。いや、誰の前でも嫌なモンは嫌や。今すぐ離せ。自分がなんをしとるか気付けえっ!
 大きな声で怒鳴りたいのに、俺の口は丁度まつながーの暑苦しい胸板で塞がれとって声が出ん。その上両手までごつい腕で拘束された上に持ち上げられて、つま先立ちになっとるから俺は足もまともに動かせん。ちゃっかり蹴りまで防ぎおったな。すねを蹴るか、噛みついたろか。
「松永、お前なんをやっとるんや。今すぐ酒を離せ!」
 先に正気に返った毛やんが、両手を伸ばしてまつながーの腕を解こうとする。チャンスや。
 俺はほんの少しだけ空いた隙間から両腕を入れて、まつながーの顎に拳を叩き付ける。まつながーの腕が緩んだ隙に姿勢を直して、仕返しとばかりにまつながーの左脇腹を蹴り飛ばした。
「うげっ!」
 変な声を呻き声を上げて、まつながーはよろけながらベンチに座り込んだ。
 拘束が解けて自由に動ける様になった俺も息が荒くなる。ああ、一気に嫌な汗をかいてしもうた。
「酒、なんや今の気色の悪い状況は?」
 毛やんも露骨に嫌そうな顔をして俺に聞いてくる。
「えーと……」
 どないしよう。アホスイッチ付まつながーについてはなんも説明したく無いんやけど、パスしたらアカンかなあ。
 俺が説明に困っとると、脂汗をかきながらまつながーがゆっくり顔を上げた。
「俺。……俺なりのヒロ天子様への愛情表現。好きだから抱きしめたくなって悪いか」
「はあっ!?」
 まつながーが咳き込みながら言うと、毛やんはびっくりして大声を上げた。当然の反応や。意味を正確に理解出来る俺も鳥肌が立ちそう。いくら毛やんかて誤解するやろ。それに、また人前で「天子」て言いおったー。
「まつながー、これ以上誤解を招く言い方すな」
 ああ、もうどうして毎回こうなるんや。いくらまつながーが口下手かて、人前でまでいきなりアホな言動にでるんは堪忍して。
 ホンマはまつながーに感謝しとるのに、こないきつい言い方をせなアカンくなるやろ。
 しばらく頭を抱えとった毛やんが、うんざりした顔でまつながーの方を向く。
「松永、さっき言うた両思いだと思っていたら実は片思いでしたて、冗談や無かったんか」
「えーっ?」
 今度は俺の方がびっくりして大声を出してしもうた。どういう展開でそういう話になったん?
 まつながーも自分もミスに気づいて焦ったっぽい。目が合った俺に向かって何度も首を横に振る。
「ヒロ、違う。そうじゃない」
「さっきお前は、愛情表現て言うて酒になんをした?」
 毛やん声が異様に冷たい。そこをツッコムのは止めてや。俺が泣きとうなってくる。
「あれは単に言葉が上手く出なかっただけで、そういう意味とは違う。……あれ? そうじゃないのかな。えーと……」
 まつながーが視線を動かしながらぶつぶつと言う。そこで悩むの止めてえ。毛やんの俺を見る目まで痛くなるやろうが。
「訳解らん。酒、解説頼むわ」
 やっぱり、最終的にこっちに振られたか。けど、俺がちゃんと毛やんを納得させな、俺らはホモ認定されてまう。それだけは絶対に嫌や。
「えーとな、まつながーはメチャ口下手やろ。ほんで、上手く言葉が出ん時にとっさにこういう行動に出るんな。何度も言うとるけど、まつながーはホモとはちゃうで。はははは……」
 駄目や。どう言うても墓穴になりそう。乾いた笑いしか出てこん。
「で、ヒロ天子てのは……」
 そこまで言うて毛やんはポンと手を打った。
「あー。酒。お前、松永の前でなんをやらかしたんや」
 さすがは毛やん。「天子」を「天使」と勘違いせんかったか。
「鳥羽水族館に寄った時に、アシカやスナメリらに遊ばれただけや」
「それは午前中に松永から聞いた。毎度のあれやろ。酒が悪いんやで。酒のアホさと動物の生態をよう知らん奴が見たら、酒を特別な存在やと思うやろ。下手に誤魔化すから余計に誤解されるんや」
「うーっ」
 アホかと言いながら毛やんは笑う。正直なだけにぐっさり来るなあ。
「それだけじゃない。俺はたしかに見たんだ。伊勢の外宮で馬と目で会話してたし。森の中で自然に、空気に溶け込むヒロの姿を」
 まつながーがまた余計な事を言う。毛やんはまつながーの顔を見て数回頷くと、またポンと手を打った。
「そこまで酒はやったんか。余程気が抜けとったんやな。それがまんまさっきの話に繋がるんか。よっしゃ。大体事情は解った。酒、松永に天子て呼ばれても文句は言えんで。俺らから「実は男です残念巫女」て言われるよりなんぼかマシやろ」
「毛やん、まつながーの前で変な言い方すんのやめれ。そんなんどっちも嫌に決まっとるやろうが」
 俺が毛やんに反論すると。今度はまつながーが目を丸くした。
「神主や巫女の話は俺も毛利から聞いて納得した。だけど、俺はヒロを凄く綺麗だと思うけど、女みたいだなんて思った事は1度も無いぞ」
 毛やんはまつながーに向き直ると、なんとも言えん苦笑いになる。
「松永。お前、変な時だけ饒舌になるんやな」
 ホンマにや。聞いてるこっちが気が遠くなりそう。


61.

 俺は痛む脇腹を押さえてベンチに腰掛けていて、毛利とヒロはたったままだ。なんとなく気が引ける。かと言って、俺が今立ったらまたヒロに怒られる気がする。
 毛利は顎を撫でながらこれまでの情報を分析しているみたいだ。あれだけの勢いで走ってきたヒロは、今何を考えているんだろう。
「松永」
「え、あ。何だ?」
 顔を上げると毛利はヒロを庇うみたいに俺の正面に立っていた。
「なしてさっき酒を抱きしめた? 松永は言動がちょいキモイだけでホモやないんはな判る。ほやかて、いくら口下手かて限度ってモンが有るやろ。酒が悪くないとか言うとらんかったか。あれはどういう意味や」
 無我夢中だったから自分が何を言ったのか全然気づかなかった。「分かった」と言った時のヒロの顔は……。
 俺がヒロの顔を見ると、ヒロはゆっくり首を横に振った。そりゃそうだ。俺自身が分からないのに、いくら天子でもヒロに解るはずがない。
「あの時ヒロが……」
 名前を呼ばれたヒロがピクリと顔を強ばらせる。あんな顔をさせたくないのに。
 俺が黙ると毛利は1歩前に出て俺のすぐ側に立つ。
「酒がなんや? 途中で止められたら余計気になるやろ」
 もっともだ。もう1度ヒロを見ると不安そうな目で俺を見ている。本当にごめん。
「俺達に怒ってるはずのヒロの方が、今にも泣きそうに見えた。だから俺はヒロは悪くないと言った。抱きしめたのは、ヒロは人に泣き顔を見られるのも、泣き声を聞かれるもの凄く嫌がるからだ。とっさであんな方法しか思いつかなかった」
 何かを言いかけた毛利を押し退けて、真っ赤な顔をしたヒロが俺の前に立った。
「まつながーはいつかてすぐに俺に抱きつくやろうが。ほやから、俺もまたまつながーがアホをやっとるて誤解して。俺を慰めようとしてくれとるなんて全然気づけんかった。腹蹴りなんて酷い事をしてしもうたやろが」
「ごめん。俺がちゃんと言えなかったから」
 俺が頭を下げると、毛利が苦笑しながら突っ込みを入れてくる。
「あそこで酒が抵抗せんかったら、俺はお前らホンマはやばいんやないかて普通に引いとったで。住む部屋は有るのにムサイ男同士で一緒に暮らしとるくらいやから。まあ、昼間松永と話してただの同居やて解ったからええんやけどな。ところで、酒」
「なん?」
「松永が言うた事、ホンマか? さっき酒は泣きそうやったて」
 しまった。うっかり全部話してしまった。
 予想通りヒロの顔は一瞬赤くなって、すぐに唇を噛みしめて青ざめた。


62.

 まつながーは元々俺の表情を読むのが得意やけど、毛やんにまで知られてしもうた。
 きっと毛やんはこう言う。「どヘタレ。なんをしに東京まで出てきたんや。高校時代からなんも変わっとらんやないか」て。メッチャ情けないよなあ。
 俺はなしてか怒りは持続せん。出来ん。だって、まつながーも毛やんも俺の為を思うて、俺を助けたいて本気で思うてくれとるんやもん。
 やった事には腹は立つけど、これだけの好意を向けられて、2人を恨んだり、嫌いになったりなんてとてもやないけど出来ん。石川ならまた俺を傲慢て言うやろうか。
 俺がなんも言えずにおると、いきなり毛やんが俺の頭にヘッドロックを仕掛けてきた。
「ああ、もうなんも言わんでええ。図星刺されて黙るんは酒の悪い癖やからな。松永の言いたい事も解った。ほやからええ」
「毛やん。痛い、痛いちゅーねん。離してぇ」
 太い腕と馬鹿力で頭を締めんな。マジでキツイやんか。首の付け根まで痛うなってくる。
「酒に下手な触り方したら、気色悪いて殴られるか蹴られるやろうが。くすぐったがりが文句言うな」
「は? ヒロが何だって?」
 まつながーが素っ頓狂な声を上げる。
 しもたー。まつながーにばれてしもうた。
 俺が抵抗を止めたると、毛やんは少しだけ腕の力を緩めてくれたけど、離す気は全然無いっぽい。俺がまた動いたら締める気満々やな。
「毛利、それはどういう意味だ。ヒロはいつだって俺が触ると凄く嫌がるぞ」
 顔は見えんけどまつながーは困惑しとるっぽい。その話から今すぐ離れてくれんかなあ。
「なんや、松永は知らんかったんか。酒は昔からメッチャくすぐったがりやで、優しく触ろうもんなら、でかい声で泣き笑いしながら、殴り蹴りで返す酷いヤツなんやで」
「毛やん。余計な事言わ……いたたたっ」
 逃れようとした俺の頭を毛やんがまた締め直す。
「あー……。凄く身に覚えが」
 まつながーも過去に俺に叩かれたり、蹴られた時の事を思い出しとるっぽい。お願いやから全部忘れてー。
「ほやから、俺は酒に好きやてアピールする時は、唯一触っても怒らん頭にする事にしとんのや。それにこうしとけば酒も痛みで抵抗しづらいしな」
「これのどこが愛情表現や。痛いだけやろが」
 俺が言い返すと毛やんは俺の頭を脇に抱えたまま髪をかき回すみたいに撫で始めた。
「しゃーないやろ。酒と普通にスキンシップとれるんならとっくにやっとるわ。首も肩も脇も腰も背中も腹も足も、軽く触るとくすぐったいて嫌がるんやから」
「ヒロはそんなに駄目な所が有るのか」
 まつながー、ツッコムとこそことちゃうやろ。

 まつながーは力が抜けたみたいに大きな溜息を吐くと、ゆっくりベンチに座り直す。ちょっとだけ俺と目が合うとなしてか笑顔になった。
「なんだ。俺はずっとヒロは男の俺に触られるのが嫌で、抵抗してるのかと思ってた」
 うげっ。なんかキモイ事言うとる。
「まつながー、それ間違っとらんで。俺は男にべたべた触られても嬉しゅうない」
「え? でも、たしかに俺はヒロに痛い思いをさせたくなくて、いつも力加減をしてたから」
「気色悪いコトには変わり無いやろが」
 俺が毛やんに締められたままで、まつながーに文句を言い続けとると、毛やんの手が震え始めた。
「わははははっ。松永、あんまし気にすんな。酒は弱点知られて焦っとるだけやから」
「毛やんのアホ。余計な事ばかり言うなー」
「酒、そう怒るな。そやな、せっかく全員揃ったんや。きっちり話つけよか」
 毛やんは俺の頭を掴んだまま引き摺って歩くと、俺をまつながーが座っているベンチに座らせた。
 痛みで頭がくらくらする。俺がこめかみ押さえとると、まつながーがハンカチに緑茶を浸して渡してきた。
「飲みかけだし温くなってる上にお茶で悪い。けど、こんなのでも痛む所に当てておけば少しは楽かもしれない。水を自販機に買いに行きたいけど、腹が痛くて歩けない。ごめん」
 まつながーが申し訳なさそうに俺に声を掛けてくる。腹が痛む原因を作ったのは俺やのに、ホンマにお人好しなんやから。
「おおきに。緑茶は除菌成分有るから、擦ったトコにはええかも」
 俺が受け取ったハンカチを額に当てると、毛やんまで心配そうな顔で俺の顔をのぞき込んできた。
「うお。手加減したつもりやったけど、何処か怪我させてしもうたか。堪忍や。酒」
 ちゃうわい。まつながーの気持ちを台無しにしとうないんや。毛やん、お願いやから気付いてえ。
 無言で俺が見返すと、毛やんは数回まばたきをして小さく頷いてくれた。
「まあ、酒は丈夫やからちょっとした怪我なら平気やろ。松永はホンマに酒のオカンやな」
 毛やん、ナイス。
「誰がヒロの母親だって」
 お、珍しくまつながーが反論した。俺も毛やんに乗ったろ。
「まつながー」
「……」


63.

 ヒロにまで母親認定されてしまった。虚しい。どんどん親友ポジションから離れていくと思うのは俺の気のせいか。
 ヒロはハンカチをこめかみに移動させると、毛利を真っ直ぐに見上げた。
「毛やん、話付けるてなんをや?」
 そういえば毛利はそう言ってヒロを座らせたんだった。ヒロが来てから脱線し続けていて忘れていた。毛利も急に真面目な顔になる。
「酒の気持ちの話や」
 は?
「どれや?」
「とぼけんな」
「俺には思い当たる節が多すぎて判らんから聞いとる。毛やんらしゅうないで。はっきり言えや」
 ヒロの気持ちなら凄く知りたい。けど、毛利とヒロの問題なら俺は席を外した方が良いかもしれない。一昨日、ヒロと石川の会話を日盗み聞きをした俺に、親友同士の会話を聞く資格が有ると思えない。
 俺が腰を浮かせようとしたら、正面に居た毛利と横に座ってるヒロから、同時に肩を押さえられた。
「俺らだけの事やないから、行かんでええ」
 さすが同県人。見事にハモった。
 俺は余程情けない顔をしていたんだろう。ヒロが俺の方を向いて笑ってくれた。
「まつながー、お願いやからここに居ってくれん?」
 そんな顔でヒロにお願いされたら断れるはず無い。と言うか、俺が居ても良かったのか。
「分かった」
「おおきに」
 毛利はぶっと吹きだして「さすが、酒」と言った。どういう意味だ?
 ひとしきり笑って気が済んだのか、毛利は真顔に戻ってヒロに視線を移した。
「酒、俺は高校時代から散々、ほんで、今日も言うたよな。なして酒はそないに自分を卑下するんや。「俺なんか」て言うんはマジでやめれ。聞いてるこっちが嫌になる」
 石川も同じ事を言っていた。やっぱりみんなそう思うのか。俺もヒロに「なんか」なんて言葉を使って欲しくないっての。
「それは……」
 ヒロは毛利から視線を逸らして俯いた。
 一昨日の晩の会話が脳裏に浮かぶ。ヒロは自分を酷く否定している。みんなはヒロを認めているのに、ヒロだけが自分を嘘吐きだと言って、認められずにいるんだ。
「何度も言うとるやろ。俺がどうしようも無いヘタレの嘘吐きやからや」
 言っちまったよ。
 毛利はむっとした顔になってヒロの胸ぐらを掴み上げた。おいっ。
「酒、いい加減に目を覚ませや。俺もこの3年間酒に言うてきたはずや。酒程努力する奴は他に居らんてな。いつも誰に対しても、公平に接しようとする酒は偉い。強い。優しい。普通の奴ならそこまで貫けん。俺は3年間ずっと酒の優しさに救われてきた。酒の強さに惚れこんどる。何度もこう言うとるのに、なして酒は解ってくれんのや」
 毛利、その気持ちは痛い程解るぞ。だけど、その手は離せ。ヒロの首が絞まって苦しいだろ。
 俺は立ち上がって毛利の手を外させると、宙に浮いたヒロの身体を、後ろから支える様に抱きかかてベンチに座る。
「ヒロ、俺もそう思う。一昨日も言ったとおりだ。俺の気持ちは何も変わっていない。俺もヒロに救われ続けている。ヒロは自分を嘘吐きと言うけど、嘘なんか言ってない。それくらい俺でも判る。ヒロはいつだって自分の気持ちに正直なんだよ。何でそれが解らないんだ」
 ヒロは振り返ると、顔を真っ赤にして俺を睨み付ける。
「ほな、正直に言うたる。このキモイ手を今すぐ離せぼけ。ちゅーか、小さい子やあるまいしこんな抱え方すな。降ろせ!」
「嫌だ。今離したら一昨日みたいにヒロは逃げるだろ。俺はもうヒロに逃げられたくないんだ!」
 固まっていた毛利が痒そうに全身を擦りながら大声で叫んだ。
「お前ら、今すぐキモイ会話はやめれ。マジで鳥肌立つわ! ちゅーか、酒。そこまでアホに付き合うな」
「ヒロを馬鹿姉扱いする毛利に言われたくない」
「あんなん酔った勢いでしかせんわい。酒に抱きついても許して貰えるんは、女に振られた時だけやからな。松永こそいい加減に酒から手を離せや」
 毛利の奴、開き直りやがった。やっぱりわざとやってたのかよ。
「いい加減にせいて言いたいんは俺の方や。2人とも充分やっとる事は変態やろ!」
 ヒロはやけくそ気味に暴れ出して俺の腕から逃れると、毛利の手も届かない所まで一気に飛んだ。相変わらず凄い脚力だ。
「酒、逃げんなや」
「ヒロ、行かないでくれ」
 毛利と俺が同時に声を上げる。
「分かっとるわい。お金は大して持ってきとらんし、アパートしか帰るとこも無いのに、どこに逃げるちゅーねん」
 御説ごもっとも。そう言えば、一昨日もヒロはしっかりアパートに帰ったんだった。


64.

 なしてまつながーと居るといつもこうなるん?
 嘘を吐き続ける事にあんなに悩んで、どんどん強く良い方に変わっていくまつながーを妬んで、恐れ多過ぎる「天子」て呼ばれる事に苦しんで、酷い八つ当たりまでして、ほんでまた自己嫌悪になって、情けないからせめてもと、まつながーに笑って、ずっとこんな繰り返しばかりやないか。全然成長出来とらん。
 俺はなんをやっとるんや。
「2人共なして解ってくれんのや。俺はそない偉い人間や無い。ホンマはアホで僻み根性の強いだけのどヘタレやないか。人からヘタレて言われたくのうて芝居しとっただけやないか」
 2人がなんか言おうとしたけど、俺は手を上げてそれを遮った。思うとる事全部言わな気が済まん。
「俺は、毛やんみたいにすっぱりした性格に憧れて、まつながーみたいに自分の気持ちに正直で居る事に憧れて、それがどうしても出来ん自分がメッチャ嫌や。2人の事は大好きやけど、絶対追いつけんのが悔しいなんて醜い気持ちだけは、どないしても俺の心から消せんのや。どうしようも無いアホやて思われた方がなんぼかマシや。ほやから、お願いやから、俺の実態無視して褒めちぎるんはもう止めてくれ!」
 言えた。もうどうにでもなれや。
 今はもう、親友2人を一度に無くしてしまう事より、蔑まれた方がなんぼか気が楽や。メッチャ寂しいけど、きっとその方がええ。独りになれば、俺はもう2人の事を僻まずに済む。
 ……なんや。
 やっぱり俺は毛やんもまつながーも大好きなんや。好きやから悪い感情を持ちとうのうて、好きやから嫌われるのが怖くて、ずっと良い人のふりをし続けてきたんや。
 今、俺は自分から2人に嫌われる事を言うた。一度出してしもうた言葉は取り消せん。

 俺が顔を上げると、2人は今にも泣きそうな顔ですぐ側に立っとった。こない近くまで来とるなんて全然気づけんかった。
「酒!」
「ヒロ!」
「ぎゃーっ!?」
 なして2人して俺を力一杯抱きしめるん。訳解らんー!


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