毛利はずいぶん意味深な事を俺に言った気がする。
 東京に居る間くらいヒロは羽を伸ばせるって何だ?
 一見、のんびりしている様で、ヒロの内面は俺が想像していたよりずっと複雑だ。
 (実生活面では、どこまでのんびりしてるんだと、蹴り付きで突っ込みたくなる時も多々有るんだが)
 毛利はそれが何なのか知っている。
 ヒロは俺には何も話してくれない。
 頼って貰えないのは寂しいけど、先にヒロの優しさに甘えてしまったのは俺自身なんだ。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(17)

57.

「ただいま」
「おかえりー」
 野太い声と高い声が見事にハモった。
 俺がバイトを終えてアパートに帰ると、毛利が鼻歌を歌いながら流しで茶碗を洗っていた。定位置に座っているヒロは俺を見て苦笑する。これは毛利がやると押し切ったんだな。
 ヒロが作ってくれた夜食を食い終えると、待ってましたとばかりに毛利が声を掛けてきた。
「松永、飯を食ったばかりで悪いんやけど、ビールを飲みたいんや。この近くのコンビニに案内してくれんか」
「昨夜あれだけ呑んでまだ呑む気か。お前も未成年だし身体を壊すぞ」
 速攻で俺が言い返すと、毛利は冷蔵庫の扉を開けてすぐに閉めた。
「一段をビールとつまみで埋めてる奴に言われとうない。酒は飲めんからこれは松永のやろ。ホンマは夕方にでも行きたかったんやけど、酒と一緒じゃ確実に年齢聞かれて警察呼ばれるか、補導されてまうからな」
「待てい。俺の顔のせいにすなや。毛やんもまつながー20歳まで禁酒したらええやろ。老け顔を利用して堂々と法律違反すな」
 ヒロが拗ねた顔で正論を言う。
 冷蔵庫にはビール缶を7、8本は入れてあるから、俺と毛利が軽く呑む分くらいなら充分だろう。ヒロの部屋にも数本置いてある。
 俺がそう言おうとしたら、立ち上がった毛利が俺の腕を掴んだ。
「頼むわ。松永」
 ヒロには見えない位置に移動して毛利が真剣な顔をする。やっぱり、コンビニは口実か。
「分かった。駅前近くのは避けるから10分くらい歩くぞ」
「おおきに」
 俺が答えると毛利は嬉しそうに笑う。ヒロに視線を移すと嫌そうに俺達を見ていた。
「2人で行ってくる。ヒロも何か欲しい物は無いか?」
「酒は要らん。大判アイスもなかとソーダアイスがええ」
 腹が弱いくせにちゃっかりアイスを2個も要求してくる。今日は昼間食べてないから欲しいんだな。コーラにしておけっての。まあ、ヒロは酒はほとんど呑めないから妥当な線か。
「分かった。買ってくる。毛利、行こうか」
「ああ」
 俺と毛利が玄関を出ると、中からヒロの気遣う様な声がした。
「夏休みが終わって時期的にもう大丈夫やと思うけど、2人とも補導されん様に気をつけてなあ」
 凄く後ろめたいぞ。毛利も同じ気持ちなのか、ヒロに軽く手を振って、そそくさと玄関の扉を閉めた。

 アパートを出て少し経つと、隣を歩いている毛利が声を掛けてきた。
「なあ、伊勢から東京に戻った後に、酒になんが有ったんや? 松永なら知っとるやろ」
 うおっ。いきなり直球質問が来た。毛利は本当に物怖じしない性格だ。だからって、俺も直球で返す必要は無いよな。言って良い事と悪い事の区別くらいは俺でもつく。
「ヒロは毛利にどう話したんだ?」
「なんも無いやて。酒はメチャ意地っ張りやから、こういう時はなんもしゃべらん。俺と酒とは3年の付き合いやで。心配掛けとうないて思うとるんが、バレバレやちゅーねん。ふざけとっても、今の酒がメンタルダメージを受けとるて事くらい解る。松永、俺は酒を楽にさせたりたいんや。頼むから教えてくれ」
 まっすぐに俺を見て毛利は頭を下げてくる。本当にヒロが心配なんだ。毛利はヒロに泣きつきに東京まで来たくらいだし、ヒロもそれを当然の事として受け入れていた。お互いに信頼しあってるからこそ嘘は嫌なんだ。
 くそっ。ヒロに全然頼って貰えない俺とは一々差が付くな。
 俺は真田の愚痴を聞いて、ヒロに何が有ったかを知っている。だけど、それを俺が知っているとヒロは知らないし、真田に誰にも言わないと約束した。
 毛利の気持ちには同感だが、俺はヒロも真田も裏切りたくない。
「ごめん。言えない」
「なしてや?」
 俺が即答したからか、毛利は顔を赤らめて俺を睨み付けてくる。
「ごめん。上手く説明出来ない」
「なんやそれ。上手くなくてええ。俺はホンマの事を教えて欲しいだけや」
 毛利は足を止めて今にも俺に掴み掛かろうという手つきをした。さっきから俺の口下手が裏目に出ている。どうすりゃ良いんだ?

『まつながー、いつも言うとるやろ。無理をせんでもええんやで。まつながーにはまつながーのやり方が有るやろ』

 俺が困った時に現れるヒロ天子の声が聞こえてきた。
 そうだよな。深呼吸をして肩の力を抜いてみよう。誤解をされたなら解く努力をすれば良い。毛利はヒロの親友だ。俺のたどたどしい説明でもきっと解ってくれる。
 俺は100メートルくらい先を指さして、毛利の顔を見つめ返した。
「毛利、気を悪くさせてごめん。よくヒロからも指摘されるんだが、俺はどうにも口下手なんだ。すぐそこの公園にベンチと自販機が有る。そこでゆっくり話をしないか」
 3度目の謝罪。毛利は少しだけ拍子抜けをしたという顔になって、腕の力を抜くと歩き出した。
「分かった。ややこしい事情になっとるんやな。松永が言える範囲でええから話してくれや。俺はあないすさんだ目をした酒を見とうない」
「ヒロの目がすさんでる? 時々辛そうな顔をしているとは思ってたが」
 俺が首を傾げると毛利は小さな溜息を吐いた。
「あの大きい目の力がメチャ弱くなっとるやろ。酒は気合いでいつも笑っとるけど、へこんどる時の目は正直や。俺をごまかせる程、酒は器用やない。余程嫌な事が有ったか、なんぞやらかして落ち込んどるんやて思う。あの人を惹き付ける癒しオーラもいつもの半分以下や。松永は酒が認めた親友のくせに、全然気づいとらんのか」
 それ以前に、俺は一昨日無神経な事を言って、ヒロを怒らせたばかりなんだよ。……とは言いづらい。
 ヒロは夏休み明けに真田とやりあった直後は相当落ち込んでいたけど、今はほとんど回復している。いくら毛利でもそんな前の事まで気付かないと思う。
 待てよ。昨日、真田を筆頭に俺の学部の連中は、ヒロは無理をしていると言っていた。
 それはヒロを怒らせた原因の俺も判ってたけど、昨日のヒロは俺と居る時はいつもの笑顔で、下らないギャグを言ったり憎まれ口も叩いて……。
 ちょっと待て。あれがヒロの俺に弱みを見せたくないという意思表示だったとしたら、俺はヒロに頼られるどころか信頼もされていないって事じゃないのか。

 無意識の内に足が止まってしまったらしい。毛利が苦笑しながら俺の肩を叩いた。
「その顔からして松永も色々溜め込んでるっぽいな。早う公園に行って、何か飲みながらじっくり話しをしようや」
「あ、うん。ごめん」
 あっさり俺が頭を下げたからか、毛利は笑いながら俺の肩を何度もバンバンと叩く。
「お前、顔に似合わず面白いやっちゃな。イロモノ好きの酒が気に入るはずや」
「……褒められた気がしない」
「安心してや。全然褒めとらんから」
「……」
 どうやら毛利内俺のポジションは、『突くと楽しい奴』辺りらしい。全然嬉しくないぞ。

 ペットボトルの緑茶を買って、俺と毛利は街灯下のベンチに腰掛けた。電灯の周囲は虫が来るけど、顔が見えない所で真面目な話をしたくない。どうやら毛利も同じ考えらしい。
「実は、どこからどう毛利に話せば良いのか全然判らないんだ」
 俺が正直に打ち明けたら毛利はぶっと噴きだして「まあ、ゆっくりでええわ。俺はホンマの事を知りたいだけやから」と言ってくれた。俺に気を遣ってくれてるんだな。思っていたより毛利が短気な奴じゃなくて助かった。
 直情型の最上は話してみると情の厚い奴で、石川は細かい配慮が上手い。多分、俺が例外なだけで、ヒロの周囲には自然とこういう奴が集まるんだ。
 俺が美由紀と別れてやさぐれていた時、ヒロは何も聞かずに俺の側に居てくれた。
 親に合わせる顔が無いくて実家に帰れず、独りにもなりたく無かった俺を、ヒロは黙って伊勢に連れて帰ってくれた。俺はいつもヒロの優しさに助けられてばかりいる。
 高校時代もヒロはそうして人と付き合ってきたんだろう。毛利は他の誰にも愚痴が言えなくて、親友のヒロを頼って来た。
 それなのに親友のヒロが落ち込んでいると気づいてしまったら。親友が自分に何も話してくれなかったら。俺が毛利の立場ならどう思うだろう。
 いや、そうとも違うな。俺がヒロに頼って貰えなくて寂しいと思う様に、毛利もきっと寂しいと感じているんだ。
 毛利はヒロを助けたいと本気で思っている。でなきゃわざわざ俺を外に連れ出す理由が無い。
 ヒロをこれ以上傷つけたくない。真田の信用を裏切りたくない。同時に毛利に納得して貰いたい。そんな難しい事が俺に出来るんだろうか。
 待て待て。こんなんじゃ駄目だろ。いつも俺を助けてくれるヒロや裕貴は居ない。俺が自分で、1人でやらなきゃ駄目だ。上手くやれるなんて到底思えないけど、せめて誠実に毛利に接したい。

「えっと、上手く言えないんだが」
「うん?」
「事の発端でヒロから聞いた話をする。これは口止めをされてないから、毛利になら話して良いと思う」
「おおきに。松永がさっき言えんて言うた理由はそれかぁ。そんで黙り込んでしもたんか。信用第一やから約束は守らなアカン。堪忍してや。悪い事してしもた」
「俺もすぐに言わなかったから、毛利に要らない誤解をさせた。ごめん」
 落ち着けよ俺。ゆっくりお茶を飲むと俺は毛利に向き直った。
「夏休み開けすぐにヒロは同じ大学で同い年の女に告白した。そして、その場で振られた。と、落ち込んだヒロがその日に教えてくれた」
「はあ!? なんやそれ」
 毛利が心外だと言わんばかりに大声を出す。そこまで驚く事か? 周囲にあまり人家が無い公園で良かった。
「何と言われてもそのままなんだが」
 俺が正直に話すと、毛利は数回頭を横に振る。これはどういうリアクションなんだろう。
「逆ならともかく酒から女に告白なんて、俺には想像出来ん」
「ヒロは夏休み終盤頃には告白したいと言ってた。けど、俺も本当にヒロが告白するとは思わなかった」
 毛利は頭を掻いて、自分の額を数回右手の親指でつつくと、ゆっくり顔を上げた。
「松永、あの酒が同じ歳の女に惚れたなんて、本気でなんか?」
 うおっ! 凄く鋭い。3年の付き合いだけ有ってあっさり事実を言い当ててきた。どう答えたら良いんだろう。
 俺が黙ってしまったからか、毛利は空を見上げてボソリと呟いた。
「松永、思いっきり目が泳いどるで。嘘は言わんでええからな。俺は酒が本気で惚れるとしたら絶対年上やと思っとる。酒はいつも守りたくなる可愛い子が好みやて言うけど、好みと好きになるタイプが全然違うなんて良くある話やろ」
「うん」
 どう考えても合いそうも無いんだよな。だけど、それをヒロに指摘するのは可哀想な気がして、結局言えなかった。
「酒は自分の本質のギャップに気づいとらん。いつも告白しよかどしよかて迷っとる間に、あっさり他の奴に取られて終わっとった。酒は男女問わずもてるくせに、頭で考えすぎて自滅するんよな。あんなん失恋とちゃう」
「俺も同じ事を思った」
「ちゃんと松永も酒の事を解っとるやないか。今の酒に同年代の女は合わん。あの酒を理解するにはもうちょい歳を取らんと無理や」
 これは褒められたと受け取って良いんだよな。当たり障りの無い程度に話をしておくか。
「一応、フォローをしておく。ヒロが告白した相手は、年の割にかなりしっかりしている部類で、美人でスタイルも頭も良い」
「へえ、詳しいな」
「その女は俺と同じ学部で同じクラスなんだよ。ヒロがそいつと知り合ったきっかけは俺なんだ」
「なんや。近場ですますトコはいかにも面倒くさがりの酒やな」
「俺もそれを突っ込みたくなった。会ったのはほんの数回だけど、ヒロはすぐに気に入ったみたいだった」
「もしかせんでもメチャ気の強いねーちゃんか?」
「当たり。よく解るな」
「それやったらまだ納得出来る。酒の女の基準は香さんやから」
「はあ?」
 ヒロの女基準があの馬鹿姉だって? 苦手な女基準の間違いじゃないのか。
「はあってなんや? ……ああ、松永は何の前知識も無しで香さんにテストされたんやったな。香さん、初対面の松永にメッチャきつかったやろ。香さんは酒に変な友達が出来るのを喜ばん。ほやから、酒が誰かを家に連れて帰ると、大抵初対面の時に2、3言はきつい事を言われるんや。香さん曰く、その程度で逃げる奴は酒の友達やないんやて」
「俺はあの女の嫌みにきっぱりと言い返したぞ。俺なんかより、ヒロへの嫌がらせの方が余程酷かった」
 ヒロに止められなかったら、殴らなくても何か仕返ししてやろうと思った。結局、実行した事は言わない。毛利はあの馬鹿姉が好きなんだ。
「そんなん毎度の事やで。香さんは酒を早う一人前の男にしたるて決めとるから、いつもスパルタ教育をしとった」
「あれのどこが教育だ。あの女はヒロが我慢強のを良い事に、散々好き勝手しやがったんだ。その度にヒロは俺に何度も頭を下げて。……ああ、思い出したらまた腹が立ってきた」
 ヒロが無意識で女を苦手なのは、どう考えてもあの我が儘女のせいなんだ。あの女のトラウマさえ無かったら、きっとヒロはいくらでも女と上手く付き合えたはずだ。
 俺がいきなり声を荒げたからか、毛利は瞬きをしてなだめる様に俺の肩を叩いてきた。
「悪かった。松永はなんも知らんのやったな。まあ、落ち着けや」
「どういう意味だ?」
「それも後で説明したる。酒は嫌がったけど、やっぱり、俺は松永には知る権利が有るて思う。それより、話がかなりずれてしもうたな。ホンマに酒はその女を好きなんか? 松永から見てどう見えたか知りたい」
「あー……」
 また1番突っ込まれたくない事を聞かれてしまった。ヒロが真田を気に入っていたのはたしかだ。だけど、真田は恋愛感情じゃないとはっきり言っていたし、俺の目から見てもヒロが真田に惚れていたとは思えない。
 俺の表情から察したのか、毛利は少しだけ苦笑して肩を揺すった。
「やっぱりちゃうんか。そうやろうな。酒もかなり特殊な思考回路しとるから、そうそうあの性格が直るとは思わん。ちゅーか、自制しとるのを自分で気づいとらんし、自分が香さんみたいになるんを本気で怖がっとるしなあ。それで勘違い告白された相手さんも気の毒な話や」
「なんだそりゃ」
 俺が聞き返すと、毛利はゆっくり話しを続けてくれた。
「高校時代に酒の迷走ぶりを見とって、俺は始めは酒は女が苦手なんやないかて思うた。女姉妹居ると女に夢や幻想を持てんらしいからな」
「俺は1人っ子だけど、女への幻想はヒロや友達を見てるとなんとなく解る」
「ほやけど、しばらくして違うと気づいた。香さんは見た目も性格も可愛いくて、メチャもてる上に本人も恋愛第一の人やろ。ほやから、酒は無意識の内に自分の感情を抑える事を覚えたみたいや」
 あの性格のどこが可愛いんだ? 毛利の基準は俺には理解出来ない。あの馬鹿姉が男好きだからって、ヒロが恋愛感情を持つのを自制しているだって? 益々解らないぞ。
「毛利、正直に言う。さっきから俺にはお前が何を言っているのか解らないんだ。もっとちゃんと解る様に話してくれ」
 一旦言葉を切ってまた深呼吸をする。ここからが肝心だ。
「理由は判らないけど、ヒロは強いコンプレックスを持っていて、自分は駄目だと思いこんでいるだろ」
 俺がはっきり物を言うからか、毛利は無言で俺の顔を見た。
「ヒロは人の良い所を見つけると言葉や態度に出す。俺も周囲もそんなヒロを高く評価している。それなのに、ヒロはずっと自分に自信が持てずにいるんだ。すぐに「俺なんか」って言うんだ。今の段階で俺が毛利に話せるのはここまでだ」
 俺が真剣に訴えると毛利の表情も変わった。
「松永の前でもそんな態度なんか。やっぱり、まだ呪縛から抜けらとらんのか」
「まだって? 呪縛って何だ?」
 掴み掛からんばかりに俺が詰め寄ると、毛利は「落ち着け」とまた俺の肩を叩いた。
 毛利も数回深呼吸をすると、お茶を飲んで俺に向き直った。
「ちょい長い話になるけどええか」
「良い。……あ、ちょっと待ってくれ」
 俺が言い直すと、毛利は拍子抜けをしたという顔になる。
「その話はヒロは承知の上か? 俺はずっとヒロから話して貰えるのを待っていた。だけど、未だに何も話して貰えない。ヒロは俺を親友だと言ってはくれるけど……」
 心の底から信用も信頼もして貰えて無いとは、情けなさ過ぎて言えない。みっともなく声を上げて泣いてしまいそうだ。
「松永、さっきも言うたとおり酒は承知しとらん。ほやけど、俺は松永は知る時期に来とるて思うから話す」
 そんな事を勝手にしたらヒロが怒るんじゃないのか。
 俺の表情が解りやすかったのか毛利は「安心しろや」と言ってくれた。
「酒にとって松永は大切な親友や。ほやからこそ俺は話す気になっとる。ちゅーか、酒にとって松永は何のしがらみも無い状態で、初めて出来た親友や。これは酒が……おとと。こっからは先は内緒や」
 何なんだよそれは。解らない事ばかりで混乱する。
「そない情けない顔をすな。松永も自分に自信を持ててない口やろ」
「最後だけは否定しない」
「疑い深いやっちゃな」
「今の俺とヒロの関係は、両思いだと思っていたら、実は片思いでしたみたいな状態なんだよ」
 俺がヤケ気味に言うと、毛利は一瞬細い目を大きく見開いて固まった。
 そしてすぐに、「松永の言い方はマジでキモイわ」と笑い出した。
 ああ、好きなだけ笑ってくれよ。マジで惚れた相手に振られた気分なんだから。……なんてとてもヒロが怖くて言えない。


58.

 まつながーも毛やんも俺抜きで内緒話をする気でおる。それくらい俺かて判るちゅーねん。
 俺が2人に心配掛けてしもとるからしゃーないけど、こそこそ話されるより、目の前に正座させられて、2人に説教喰らう方がなんぼかマシなんやけどなあ。
 2人の事は信頼しとる。けど、心配性な上に面倒見がええだけに、ちょいと過保護気味で困る。
 毛やんは物事はっきりさせたがるし、まつながーは言葉に難が有るからなあ。喧嘩にならなええんやけど。
 まつながーと毛やんが出掛けて30分はとうに過ぎた。コンビニまでゆっくり歩いても10分くらい。ビールとつまみを買って帰ってくるのにこない時間が掛かるはず無い。
 メッチャ嫌な予感がする。まさか毛やん、まつながーに余計な事を言うとらんやろうな。
 親友のくせに俺がまつながーをないがしろにしてるて毛やんは言うた。今頃、まつながーに色々暴露しとるかもしれん。
 毛やんはメチャええ奴や。嘘を嫌うし友達を大事にする。ほやから俺もついうっかり本音を言うてしもた。
 気持ちは嬉しいけどそれだけは堪忍して。まつながーは偶然俺に会うて、アホ丸出しの俺でも認めてくれた親友や。漸く出来た関係を壊しとうないてあれだけ言うたのに。
 スニーカーをつっかけ、急いで玄関の鍵を掛けると、俺はコンビニに向かって駆けだした。


59.

 散々笑って気が済んだのか、毛利は急に真面目な顔になった。
「これを余所の奴に話しても理解して貰えるんか俺にもよう判らん。ほやけど、松永は酒に信頼されとる。俺は酒の目を信じて話す。ええな」
 どうやらこれから聞かされる話は余程の事らしい。自然に俺も背筋が伸びてくる。
「酒の親父さんは分家の3男で本家は同じ三重県内の違うトコに有る。ほんで、そこの風習はちょい変わっとって、代々男女を問わず第1子が家を継ぐ。酒んとこやと香さんや」
 今時、家を継ぐのに男も女も生まれた順番も関係無いと俺は思うが、地方によって色々なんだろう。とはいえ、あの馬鹿姉に任せたらヒロの実家が無くなる気がする。
「香さんは子供の頃からあの性格らしくて、酒が生まれた時に親父さんが、本家に酒を跡継ぎにするて宣言したんや」
「その判断は凄く正しいと思うぞ」
 俺が正直な感想を洩らすと、毛利の視線が鋭くなった。
「松永、なんも知らんからて、これ以上香さんの悪口は許さんで」
「2、3言きつい事なんてもんじゃない。俺はそう思うだけの事をヒロのば……姉さんにされたんだ。俺とヒロはどうして良いか判らずに、しばらく途方に暮れたんだぞ」
 俺が吐き捨てる言うと、毛利は数回瞬きをして、「ははあ」とにやり笑いをした。
「もしかせんでも、鳥羽で酒がお前のTシャツを着とった事に関連有りか?」
「ぶはっ」
 飲みかけたお茶を噴きだしてしまった。怖いくらいに勘が良い奴だ。男2人涙の強制ラブホ宿泊事件をばらそうものなら、俺はヒロに半殺しにされる。
 むせる俺の顔を見て、毛利は小さく肩を揺すった。
「ふーん。そこを下手にツッコむと、俺の方が腹が立ちそうやから止めとくわ。ほんで、香さん個人の事情は話がややこしゅうなるんで今はおいとく。もう1度言うで。酒が生まれてまもない頃、親父さんは後々争い事が起こらん様にて、酒井家が長年築いた習慣を無視した一種の下剋上をした。そのツケが全部酒に回ってきたんや」
「ツケって何だ?」
 意味が解らずに俺が聞きくと、毛利は少しだけ首を傾げてすぐに顔を上げた。
「2人姉弟かて本来なら酒は気楽な末っ子やったはずや。それを親父さんが親戚筋の反対を押し切って、酒を跡継ぎにした。そのせいで、酒は小さい頃から親戚達に立派な跡継ぎやて認めて貰わなアカンくなった。ほんで、親父さんに香さんよりずっと厳しゅう育てられた」
「あのヒロが?」
 出会った頃のヒロは、どちらかと言えばのんびりおっとり型だった……よな。
「料理と金勘定と掃除が下手なんと、時々アホになるんは堪忍したれ。そこは元々おおらかな性格した酒のオカンが、厳しい親父さんの代わりに甘やかしたトコやからな。それに、俺はそっちが酒の本性やと思うとる」
 たしかに出会った頃のヒロは、おせじにもまともな料理が作れて、経済感覚もしっかりしていたとは言えない。俺が手料理をタダで食わせてやると言った時のヒロの嬉しそうな顔と、見た目に似合わない食い意地の強さは、今もしっかり覚えている。
「特に酒が入った時の酒は、完全に素が出とるからな。酒もそれが分かっとるから自分からは飲もうとせん」
「俺も最近あれがヒロの素じゃないのかと思ってる。酒が入った時のヒロは面白い。すぐに真っ赤になって色っぽいんだか可愛いんだか判らない顔になる。その顔で毒舌吐きまくって寝ちまうから、俺は時々どうして良いか迷う時が有る」
 毛利は少しだけ目を細めると、「変態臭っ」と言った。悪かったな。
「面白いからてあまり酒に飲ますなや」
「それ以前にヒロはほとんど飲めないだろ。すぐに寝ちまうんだから」
 俺が速攻で言い返すと、毛利は少しだけ笑って「たしかに」と言って、真面目な顔に戻った。
「酒は小さい時から親父さんに護身術をたたき込まれとる。チビで体重も軽い分厳しかったんやろう。ついでに成績は校内で常に総合上位30名以内。苦手な科目も最低で中の上以上。こんなんはまだ普通や」
「はあ」としか言い様が無い。一流と言えなくても、うちの大学のレベルは高い方だ。
「1番酒が注意しとったんが公の場での言動や。酒は何が有っても他人の悪口は言わん。イジメなんて論外や。周囲にイジメられとる奴が居たら、間に入ってそいつを庇うくらいは普通にしとった」
 いかにもヒロ天子様ならやりそうだ。
「酒相手に陰湿なイジメをする程のアホは学校には居らん。その代わり、面白く無いて集団に目を付けられたけど、酒は避けて逃げるんが上手い。余程の事が無い限り自衛以外では喧嘩をせん。酒は自分を喧嘩は弱いと思うとるけど全然逆や。本気になった酒の反射神経と動体視力は並とちゃう。力が無い分、急所を正確に突いてくる。酒が暴力を自制するから、普通の喧嘩にならんだけなんや。そうは言っても酒かて多勢に無勢やと勝てん。入学して間もない頃に、集団で酒をシメる計画立てた奴らは、逆に俺らがシメてやった」
「俺ら?」
 思わず聞き返すと、毛利はにやりと笑って言った。
「最終的に男100人くらいに増えた学内酒ファンクラブ」
 駄目だ。簡単に想像出来てしまう。やっぱり、聞かなきゃ良かった。
「当の酒はそんな事はどこ吹く風やった。イジメをする奴も、される奴にも公平に話を聞いて、誰とでも笑顔で接しとった。そんな酒を逆恨みする奴は、逆にハブられる。そういう奴にも俺らがシメた奴らにも、酒自身が手を差し伸べて、いつの間にか仲間になっとった。俺らはもう笑って酒を見とる事しか出来んかった」
 どんな聖人だよって、今更か。ヒロは誰に対しても天子様だ。それに、俺も本気で怒ったヒロは喧嘩が強いのを身をもって知っている。ヒロは弱くなんかない。使わないだけなんだ。
「ほやけどな。当時の酒は15、6のごくごく普通の男やで。本気で腹が立つ時は誰かて有る。酒がどんだけ人前で自分を抑え続けたか、松永にも想像付くやろ。八方美人で、中身無しのええ顔しいだけの奴やったら、誰も酒を相手にせん」
 そりゃそうだ。俺だってヒロがそんな奴なら友達にならなかった。余所ではどうか知らないが、俺に対してヒロは嫌な事ははっきり嫌だと言う。俺が間違った事をしたらその場で注意をしてくる。だからこそヒロは信用出来るんだ。
「酒がそれだけ努力してきたんは、本家に逆らった親父さんやオカンに、跡継ぎから外された香さんに恥をかかさん為や。酒が何か問題を起こせば、すぐに親戚の耳に入る。特に女関係なんか論外や。どんなに酒が好きになったかて、何年付き合うた相手かて、あの家を継ぐ以上、本家が認めた相手としか結婚出来んのやからな」
 はあ? 何だよそれは。今時そんな決まりが有るなんてどれだけ上流なんだよ。……て、その土地の風習だったな。
「ガキの頃からそれを知ってたら、そうそう人を好きになれん。そら、恋愛恐怖症にもなるわ。酒は小さい頃からずっと自分を抑え続けて、いつの間にか自分でもなんをやっとるんか、判らんくなったんやないかて俺は思う」
 そこまで? いや、思い当たる節はいくらでも有るぞ。実家に帰ったヒロは急に無口になっていた。苦手だと言う馬鹿姉の前ではそれが顕著だった。
 それに、どうしてあんなにヒロは恋愛に消極的なのかずっと不思議だった。自信が無いとか、エロが苦手とか以前の問題だ。
「てっきり俺は、ヒロはあの凄い姉さんのせいで、恋愛中女恐怖症になったんだと思っていた」
 毛利はゆっくり溜息を吐いて苦笑した。
「香さんは恋愛は本人の自由の主義の人やからな。酒は香さんによう振り回されとった。なんも知らん松永から見た酒はそう思えるんか。たしかに、酒の中にはそういう部分も有るんかもしれん。俺かて家の事情は知ってても、酒の内面まで全部は知らん」
 そう言う毛利はとても寂しそうに見えた。ずっと側に居てもヒロを助けられなかった自分が嫌なのかもしれない。俺ならきっとそういう気持ちになる。
「俺ら地元に残った組は、酒が遠い東京の大学を選んだんは、夢を叶えるだけや無いて思うとる。我慢する事に疲れて、無意識に自由を求めたんやろうて。ほんで、それが最善やと全員で喜んだ。伊勢での酒は自分で自分をがんじがらめにしとった。東京なら親戚の目は無い。酒はもう自由のはずや。そうやろう? 松永」
 どう毛利に答えれば良いんだ。ヒロは俺の天子で、天子モードは必要とする誰にでも発揮されている。だけど、石川や最上、俺のクラスの連中は、ヒロは無理をしていると言っていた。
 俺が俯いて黙っているからか、毛利は俺の正面に立った。
「松永、俺は話せるだけの事は言うたで。今度はお前の番や。ホンマに酒は勘違いで女に振られたくらいであない辛そうな顔をしとるんか? なして未だに「俺なんか」なんて言うんや。他になんか有ったんやろ。さっきお前が言うたよな。酒が今でも自分に自信を持てずに居るて」
「それは……」
 俺がヒロの優しさに甘え続けて、ヒロを追い詰めてしまったから。何度天子と呼ぶなと言われても止めなかったから。
 ヒロはせっかく自由になれる東京でも、俺の為に天子らしく振る舞い続けざるをえなくなっていたんだ。
 毛利はヒロの反対を押し切って、俺にちゃんと話してくれた。今度は俺が言わなきゃならない。
 口を開いても上手く声が出てこない。膝ががくがく震えている。
 本当の事を毛利に知られるのが怖いのか?
 違う。言葉に出してしまったら、もう2度とヒロと元の関係に戻れない。そんな予感がするんだ。
 俺の無言を肯定ととらえたらしい。毛利は俺の胸ぐらを掴んで俺を立ち上がらせた。
「松永、お前か? 酒をあないな状態にしたホンマの原因はお前やったんか!? 酒となんが有った。正直にしゃべれ!」
「毛やん、止めてーっ!!」
 ヒロの叫び声が聞こえてきた。空耳か?


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