ヒロはどちらも親友と言うけれど、ヒロにとって俺と毛利は全然違う。
 ヒロは俺と違って社交的な性格だから、大体誰とでも上手く付き合える。
 だけど、最上や石川を見ると、ヒロは内面まで見せる相手はしっかり選んでいると思う。
 俺が知っているヒロを多分毛利は知らなくて、毛利が知っているヒロを俺は知らない。
 当たり前の事なのに、このもやもやした変な気分は何だろう。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(16)

53.

 「おー、想像よりずっと人間らしい生活をしとるな」
 毛利はヒロの部屋を一通り見渡して、やたらと感心している。いや、これが普通だろ。
 そういえば、ヒロの実家の部屋は綺麗だったけど、俺が引っ越しの挨拶に来た時のこの部屋は、開封しただけの段ボール箱が無造作に転がっていて、片付け以前に本人のやる気の無さがありありと解る部屋だった。
 生活必要品すらまともに無くて、広い以外は今の倉庫状態とほとんど変わらなかった。……なんて事は、ヒロの名誉の為に毛利に言わずにおこう。
 俺が空気の入れ換えに窓を開けると、すぐ後ろに居た毛利は窓から顔を出してじっくり外を眺める。
「俺がアパートに着いた時には、外は暗くてほとんど判らんかった。ここらは狭いトコに平屋の家や高いビルが有って、かなりごちゃごちゃしとるんやな」
「東京の地価を伊勢と一緒にするな。歩いて10分ちょっとで駅が有るなんて、俺達が払ってる家賃じゃそうそう無いぞ。駅近くに俺達が通う大学も有るし、アパートの反対側には公園や小、中学校も有る。東京でも田舎な分、空気が綺麗でマシな方だ」
 俺も洗濯機のスイッチを入れて毛利の横に立つ。毛利は反射が眩しいのか、眼を細めてボソリと呟いた。
「酒が側に居れば何処でもマイナスイオン状態で、周囲に居る奴はええ。けど、こない息苦しいトコやと、酒自身はしんどいやろうな。ほやけど、あのまま伊勢に居っても酒の息が詰まるだけやった。せめてこれから4年間くらいは、酒も自由に羽を伸ばしてもええやろ」
「え?」
 俺が聞き返すと、毛利は一瞬しまったという顔になって苦笑した。
「やっぱり、酒は松永にはなんも話しとらんか」
 何だよ。凄く気になるだろ。そこまで言ったら全部話してくれよ。
 俺の無言の圧力を察したのか、毛利が衣装ケースを避けて畳の上に座った。俺も壁を背にして毛利の正面に腰を下ろす。
「酒はな、地元の複数の神社から、正月の間だけでもバイトをしてくれとか、専門大学に行って神社に就職してくれて、何度も頼まれた伝説の持ち主や。ホンマは巫女がええみたいやったけど酒は男やからな。そこまでは言うアホは居らんかった」
「なるほど。で?」
 続きを話せと態度で示すと、逆に毛利が「全然驚かんのやな」と驚いた顔をした。
「伊勢神宮と鳥羽水族館で色々見た。ヒロならいかにも有りそうで、その手の話なら納得する」
 毛利は急に険しい顔になって、俺を睨んできた。
「松永、お前はなんを見た?」
「伊勢でも鳥羽でも、動物と普通に意志疎通をしているヒロと……」
 外宮の森の中で祈るヒロは、空気に溶けてしまいそうに見えた。あの姿をどう表現したら良いんだろう。
 俺が黙ったからか、毛利が受け継ぐみたいに話し出す。
「酒は赤ちゃんにも動物にもメッチャ好かれる体質や。言葉は通じんくても全く警戒されん。よく小児科医か獣医になれて言われたとったくらいや。ほやけど、それだけや無いんやろ。松永は他に酒のなんを見た?」
 毛利の口調はどんどん厳しくなってる。多分、ヒロに近しい人しか知らない何かなんだろう。「天子」は例えヒロの親友でも厳禁っと。
「気づいた時には、ヒロはまるで神様……いや、人間を超越しているみたいで……ごめん。俺が見た事を上手く言葉に出来ない」
 嘘は言ってないのに、どうして罪悪感を覚えるんだろう。ボソボソと俺が答えると、毛利は姿勢を崩して盛大に溜息を吐いた。
「酒のアホが。地元に帰ってうっかり正体を出してしもうたんやな。それを誰かに話したか?」
「びっくりしてその時にヒロに何が起こったのか聞いた。でも、ヒロもよく解ってなかったみたいだった」
「これやから余所の奴は。……あー、しもた。堪忍や。今のは松永が悪いていうとるんとちゃうで。いつも自覚無しで周囲に強くて変なオーラを振りまく酒が悪い」
「は?」
 俺が聞き返すと毛利は諦めた様に肩を竦めた。
「松永も見てしもたんならしゃーないから話したる。動物と意志疎通が上手い人も、子供にやたら好かれる人はなんぼでも居る。動物園の飼育係や保育師はその類やろ。ほやけど、酒は相手かまわず好かれとる。無駄に目立ちとうないと言うといて、黙って座っててもあれだけ目立つ奴はそうそう居らん」
「ごめん。意味が解るようで解らない」
「たしかに説明不足やな。堪忍」
 俺が腕を組んで首を傾げると、毛利は足を組み直して姿勢を正した。
「酒はちょっと特別や。それはさっき酒を神様みたいやて言うた松永も解るんやろ」
「うん」
「俺ら酒の友達はみんな、酒は伊勢の神さんの誰かが、気まぐれで地上に降りてきたんやないかて……」
 うおっ! 地元人から見てもやっぱりヒロはそう思えるのか。
「と、この手の冗談が全然通じん酒にばれん様に、こっそりネタにして遊んどる」
 はあ。……何だって?
「冗談かよ。本当かと思ったぞ。というか、ヒロならあり得えそうで信じちゃうだろ」
 俺が本気で怒ると、毛利は露骨に呆れた様な顔になる。
「松永。お前、アホやろ。人間と神さんの区別くらいつくやろ」
 たしかにそうだ。返す言葉が無い。
「ヒロにもよく言われる」
「ははっ。そうやろな。酒は見た目に毒が無い。その上、相手がなんでもありのまま受けようとする度量がある。そのせいか、人間、動物はもとより、自然からも好かれる珍獣みたいなモンや。けどな、酒の本質は口は悪いし、大食らいだし、何気に喧嘩っ早いし、宇宙とロケット好きの普通の男や」
「そう……だな」
 肩すかしを喰らった気分だ。どんな話を聞かされるか構えていただけに、ちょっとだけ拍子抜けした。俺にとってはヒロは天子だけど、毛利にとっては普通にヒロは人間……違う。これが対等の親友なんだ。
「ヌードグラビアを隠し持つ程度にはスケベのくせに、エロDVDを見ると寝てしまう特殊体質やろ。こればかりは酒が男として自分で成長せな変わらん事やから、俺らは温かく黙って酒を見守っとる」
「俺ら?」
「大学ではちゃうんか? 酒はメッチャ男にもてるんやで。そこらの美人や可愛い女より学校で男らのアイドルや。あ、これも酒には内緒やで。酒は友達大歓迎。100人居っても大丈夫なんて本気で思うとるから」
 ……。聞かなきゃ良かった。大学でヒロがどういう扱いを受けてるかなんて、毛利に説明する必要が無いじゃないか。
 もっとヒロの事を知りたい。毛利なら差し支えない範囲で教えてくれるだろう。話を聞こうとしたら、洗濯の終了お知らせブザーが鳴った。

 ベランダに洗濯物を干して俺の部屋に戻ると、毛利は真面目な顔で聞いてきた。
「松永、頼む。教えてくれや。今酒はここで幸せなんやろ?」
 俺の方が質問したかったのに、また凄く答えづらい質問が来た。どう答えたら良い? 毛利が来るまでヒロと俺は地味に冷戦状態だったんだ。
 ヒロなら毛利を不安にさせたく無いと考えるだろう。だけど、俺には上手い言い訳が思いつかない。下手な事を言って逆にヒロを困らせそうだ。
「ごめん。もうすぐヒロが帰ってくるから、そういうのは本人に聞いてくれ。茶碗の片付けと昼飯の用意をするから、適当にテレビか雑誌でも見ていてくれないか」
「さっきも見てただけやからな。俺もなんか手伝うで」
 それくらい当然だと毛利は笑う。サバサバしてて気持ちが良いヤツだ。だけど物理的な問題が有るぞ。
「俺と毛利が同時にあの狭い流しに立てると思うか?」
 毛利は少しだけ考えて「もっともや」と、座布団に腰掛けた。
 後々ヒロが困る様な問題発言はしてないよな? 俺のキャパシティじゃこれが精一杯だ。後はヒロに任せよう。


54.

 蒸し暑いアスファルトの道を走ると、汗が凄い勢いで噴き出して来て気持ちが悪い。ほやけど、まつながーと毛やんをあまり2人きりにしとうない。どっちも好意で言わんでもええ事まで言うタイプやもんな。
 なまじ2人とも性格が良いだけにこういう時は始末が悪い。俺はまつながーには沢山隠し事をしとる。毛やんの世話好き、話好きの性格が裏目に出なええんやけど。
 地元民ならよく有る話で済む事も、水戸出身のまつながーに通用するとは思えん。無理に解って貰おうとも思わん。まつながーにはなんも知らんままでおって欲しい。
 俺がとうに納得しとる事で、まつながーにまで同情されるなんてまっぴらや。
 階段を駆け上がって玄関のドアを開けると、まつながーと毛やんが同時に「お帰り」と言うてくれた。
「ただいまー」
「ヒロ、お疲れ。汗かいてるだろ。お茶をここに置いておくぞ。先に手洗いとうがいをしろよ」
「おおきに」
 俺が靴を脱いどる間ににまつながーは流しの前を空けて、氷入りの麦茶をテーブルの上に用意してくれた。
 毛やんはまつながーを見て、声を押し殺して笑っとる。毛やんの考えとる事が判るだけにちょっと悲しいかも。早々、毛やん脳内でまつながー=オカンが定着しとるな。
「まつながー、ホンマに色々おおきに。毛やん、二日酔いになっとらんやろな?」
「見ての通り元気やで。酒にもえらい迷惑掛けてしもたな。堪忍や」
「ええて。毛やんのアレはもう慣れっこや」
 苦笑する毛やんの近くに俺が座ると、まつながーが3人分の昼ご飯を持ってきてくれた。
 何でも得意なまつながーにしては珍しく、ちょっと前に俺が作ったばかりやのにカレーライスや。しかもご飯の上に納豆が無い。その代わりに野菜が沢山入った普通の鳥カレー。これなら誰かて普通に食べられる。
 俺がちらりと視線を向けたら、まつながーはなんも言うなて顔をする。毛やんに納豆=まつながー認定されても、まつながーらしゅうてええと思うんやけどなあ。なして遠慮しとるんやろう。
 そんな事を考えながら俺がスプーンを持つと、まつながーがボソリと言うた。
「出会った頃のヒロの味覚に合わせたから、毛利の口にも合うと思う」
 あ、俺が残したメモを読んで、我慢して納豆好きを自重してくれとるんか。やっぱ、まつながーは気配り上手で優しいよなあ。
 俺らより先に「いただきます」を言うた毛やんは、美味しそうにカレーを頬張り始めた。
「酒」
 笑いながら毛やんが俺の方を向く。
「なん?」
「お前、東京でええオカ……いや、嫁さん見付けたなあ。わはははは」
「……」
 今完全に部屋の空気が氷った。
 毛やん、その冗談は笑えんから。俺はカレーを全部食べ終わるまで、無言で怒っとるまつながーの顔をよう見んかった。

「酒、松永、朝からいたれりつくせりで、美味い手料理をごちそうになってばかりやと申し訳が立たん。俺が手伝える事は無いか? 力仕事やったら自信有るで」
 茶碗を洗い終わった俺に毛やんが聞いてきた。まつながーは任せるという顔で俺を見る。なんもせんでええて言うても毛やんは退かんしなあ。
「まつながー、買い物メモもう出来とる?」
「在庫切れとそれに近いのは全部書き出してあるぞ」
「おおきに」
 さすがまつながーや。こういう事には抜かりが無い。いつもの週末纏め買いは、まつながーと2人で両手一杯の荷物になるけど、力持ちの毛やんが居るならかなり楽が出来る。
「まつながー、バイトの時間までまだ余裕有る?」
「うん」
 俺の意図を察したまつながーが立ち上がったんで、俺は毛やんの方を見た。
「ほな、毛やんも一緒に買い出しに行こか」
「ええで」
「ヒロ、暑いのは仕方ないけど、かなり量が多いぞ。一緒に行くのは良いけど、お客に重い荷物持ちをさせる気じゃないだろうな。さすがに悪いだろ」
 正反対の台詞が毛やんとまつながーから返ってくる。俺がなんも言わんうちから、毛やんがはっきりまつながーに反論する。
「松永、俺は酒が普段どういう生活をしとるか知りたいて言うたやろ。連絡無しで休日に邪魔しに来たんは俺や。頼むからいつも通りにしてくれんか。そんで俺もそれに混ぜてくれ。酒」
 お、いきなりこっちに話を振られた。
「なん?」
「今は物置代わりて松永に言われたけど、予想以上に酒の部屋が綺麗でびっくりしたで。酒の事やから、読みかけの漫画や宇宙関係の雑誌を、本棚にしまわずに床のあちこちに散らばらしとると思うとった」
 あ、まつながーに頼んで俺の部屋を見たんやな。毛やん、要らん事は言わんといてや。俺のアホがまつながーにばれる。
「松永、酒はな。片付け下手で高校生になっても、オカンが部屋の掃除をしとったんやで。ほんで、毎回エロ本を見つけられては、オカンに何発もケツを叩かれとった。ちゃんと隠せちゅーねん。ホンマにアホやろ」
 うわっ。ちょっと、毛やん。
「凄く解る。ヒロは隠すのが下手だからな」
 まつながーも要らん事を言わんといてー。
 まつながーと毛やんは同時に笑い出した。人をネタにして遊ぶなや。ホンマに変なトコで気が合うんやから。


55.

 スーパーへ行く途中で、俺は毛利を止めて小声で囁いた。
「何を見ても聞いても声を立てて笑うなよ。誰かと目が合って話しかけられても、愛想笑いだけしてくれ」
 毛利は切れ長の目を一瞬丸くして数回まばたきをすると、訳知り顔でにやにや笑いながら頷いた。
「ふーん。そうか。分かった」
「どないしたん?」
 やばい。天子様の勘か、ヒロが俺達を振り返る。
「なんも。うっかり俺が迷わん様にて、松永が先に買い物ルートを教えてくれただけや」
「あ、そっか。すっかり忘れとった。毛やん堪忍な。まつながー、おおきに」
 にこりと笑ってヒロは前を向いた。毛利はヒロの扱いが上手い。1日どころか3年の長だな。ちょっとしゃくだけど、今は感謝しておこう。
 スーパーに入ると、魚コーナーでいつもの陽気なおばさんがヒロに声を掛けてきた。
「あら、ヒロちゃん、今日もお兄ちゃんと一緒ね。そっちの人は初めて見る顔だけど、お兄ちゃんのお友達?」
 ちらりと毛利の方を向いたら、顔が少しだけ赤くなって、カゴを持つ手がブルブル震えている。これは完全に笑ってるな。
 ヒロがちらりと俺達を振り返ると、すぐにおばさんに笑顔を向けた。無言で笑ってるのに気づいたのか。マジで怖いっての。
「こんちゃー、まあそんなトコ。おばちゃん、今日のお勧めはなん?」
「新物のサンマが入ってるよ。けどまだ価格がねえ。時間も早いからヒロちゃんでも安くできないわ。ほっけの開きが特売コーナーに有るから良かったらそれを買って。それと、今日はエノキとネギ、ピーマンとキュウリ、合い挽き肉と豚バラが安いから」
「うん、分かった。おばちゃんいつもおおきにー」
 魚コーナーから離れて、角を曲がった所で耐えきれなくなったのか、毛利が俺の肩をバンバン叩きながら声を押し殺して笑いだした。俺も「ほらな」と笑い返す。
 ヒロは俺達をまた振り返ると、憮然とした顔できっぱり言い切った。
「俺もたいがい童顔やけど、まつながーと毛やんが老け顔なんやから、誤解されてもしゃーないやろ」
 何も突っ込まずにおこう。……少なくとも俺だけは。
「わははははははははっ!」
 やっぱり、毛利には痛恨の一撃だったらしい。それ程広くないスーパーに、毛利の馬鹿笑いが響き渡った。負けずにヒロが大声で言い返す。
「なしてそこで笑うんやーっ!?」
 客も店員の視線も俺達に釘付け状態で恥ずかしい。俺はヒロと毛利をせかして買い物を手早く済ませると、スーパーから逃げる様に早歩きで帰った。


56.

 生ものを冷蔵庫に片付け終わると、まつながーはすぐにバイトに行った。
 毛やんが荷物持ちを手伝ってくれたんでかなり楽ができたけど、腰を下ろす間も無くて、まつながーにはホンマに申し訳無い事をしてしもたなぁ。
 毛やんはテレビを観ながら扇風機の前で涼んどる。まつながーが帰ってくるんは10時過ぎやから、晩ご飯はバイト先で済ますかなぁ。昼がカレーやから夜はなんにしよう。念の為に、まつながーの夜食も一応用意しときたいしなあ。
 あ、その前に洗濯物取り込まな。
 俺が自分の部屋に行くと、毛やんも着いてきて片付けまで手伝ってくれた。相変わらずこまめなトコは変わっとらん。
「毛やん、晩ご飯はなんを食べたい?」
「普通の人間が、普通に食えるモンなら何でもええで。インスタントかレトルトでもかまわん。酒の料理に期待はしとらんから背伸びすな」
 テレビに視線を向けたまま、振り返りもせんと毛やんがキツイ事を言う。
 うー。高校の調理実習で俺がうっかり醤油とソースを間違えて、煮物を駄目にしたのをまだ根に持っとるな。たしかにあれは人間が食えるモンや無かったから恨まれて当然やけど。
「まつながーに基礎から教えて貰うたから、今はちゃんと人並みに作れるわい」
「そうなんか。ほな、多少は食えるモンになるか。松永はメチャ料理が上手かった。あのレベルは期待せんから、酒の得意料理を食わしてくれ」
「わかったー。ほな、和食にする」
 俺が冷蔵庫から食材を出しとると、毛やんがボソリと言うた。
「酒。お前、松永にはホンマになんも話しとらんのやな」
 やっぱり気付きおったか。ちゅーか、俺がバイトで居らんのをええ事に色々話をしたんやな。まつながーとどんな話をしたんやろう。
 ほやけど、毛やんの事やから引っかけかもしれん。あえてすっとぼけてやろ。
「なんの話?」
「酒の家の話に決まっとるやろ。他にもまあ色々。酒が本音ではどう考えとるかとかや。愚痴を言うのを嫌う酒が、あまり地元の事を話しとうないて気持は解る。ほやけど、松永はあないに酒の事を好いてくれるのに、酒の秘密主義のせいで完全に蚊帳の外や。酒の許可を取らずに、勝手に話すんのは俺かて躊躇するんやで。自分の意志で松永を伊勢に連れて帰って来といて、香さんの事はなんも教えとらんのやろ。松永は完全に香さんの事を誤解したまんまや。正直、松永に同情してしもたわ」
 ちょい待てや。全部俺のせいやと言いたいんか。
「あのなー」
 俺は肉だけ冷蔵庫に戻して、毛やんの正面に座った。
「たしかにまつながーには俺の家の事は話しとらん。ほやけど、それが普通とちゃうんか。うちの鬱陶しいつまらん事情を、わざわざまつながーに話してどないするん」
 毛やんは腕を組んで鼻ででっかい溜息を吐くと、俺の方に向き直った。
「事前に話しとけば、松永かて香さんに対して、悪感情ばかり持たずに済んだんとちゃうんか。酒が居らん時にちょっと話してみたけど、えらい嫌い様やった。香さんは酒に近付く奴には、男女問わず厳しい人やからな」
「毛やんは姉貴が好きやからそう言うけどな。姉貴の我が儘過保護ぶりには、俺も我慢の限界に近いんやで。しかも、まつながーにまでいつもの調子で喧嘩売ったんや。人がええまつながーかて本気で怒るわ。俺もそれだけは許せん」
「ふーん」
 毛やんは手元の麦茶を一口飲むと、数回自分の頭を指先で突いた。
「そないに酒が松永の事を大事に思っとるなら、それこそ、伊勢に来る前にちゃんと話してやれば良かったんや。東京に出てきて、やっとなんのしがらみも無しに出来た親友やろ。酒は松永と会えて友達になれたんが、嬉しゅうてしゃーないんやろ。見てたら解るわ」
「そこまで気付いたんなら毛やんには解るやろ。ちょっとアホ過ぎる所も有るけど、俺はまつながーには今のままで居って欲しいんや」
 俺がきっぱり言い返すと、毛やんは切れ長の目を少しだけ細めて俺を見返した。
「俺の知るかぎり、酒が無条件になついた奴は松永が初めてやからな。気持ちは解らんでもない。けど、なしてあないに松永を疎外し続けるんや。親友やと言うといて、松永は酒のなんも知らん。松永はよう我慢しとるて思う。俺ならとても酒と付き合いを続けられん。逆ギレ起こして酒と縁を切ってまうわ」
 あったま来た! なしてそこまで言われなアカンのや。
「まつながーの好意に甘え続けとるんは、自分でもよう解っとる。ほやけど、しゃーないやろ。嫌な事まで知られとうないんや。まつながーの純粋な好意に、ほんのチョットでも同情が入ってまうなんて俺は嫌や。こっちで出来た最初の友達や。運良く親友にもなれた。まつながーが大事なんや。これ以上は堪忍して!」
 肩で息をするくらいの声を俺が上げたからか、毛やんはしばらく黙って、そんでなんとも言えん顔で笑い出した。
「ようそこまで恥ずかしい台詞が、酒の口から出たなあ。マジでびっくりした」
 言うた俺もびっくりしとるわい。まつながー菌でも移ったんか。思い出すだけで顔から火が出そう。まつながーがここに居らんくてホンマに良かった。恥ずかしすぎる。
「ほうか。そこまで松永が大事か。地元の酒のファン連中が松永の存在を知ったら、祝福するよりマジギレ起こすで」
「ファンやのうて、みんな友達やろ」
「そう思うとるのは酒だけやて何度言わせるんや。一声掛けただけで男が100人以上も集まる奴を普通て言うか?」
「そんなん毛やんかて同じ様なモンやろ」
 俺が言い返すと毛やんは少しだけ笑う。
「俺のは図々しいに近い度胸と、後は酒のおこぼれや。酒みたいに熱狂的アイドルやなかったやろが」
 これやから下手に過去を知っとる奴は嫌なんや。せっかく忘れとる事を思い出さす。アイドルちゅーより、一緒に遊ぶと面白いネタキャラ扱いやったのに。
「地元組はみんな言うとったで。夏休みに酒が帰ってきとるんなら、ちょっとでええから会いたかったて」
 うっ。それを言われると返す言葉が無い。
「俺もみんなに申し訳無いて思うとる。ほやけど夏休みは……」
「理由は聞かんでええ。酒の事やからなんや事情が有って、全力で松永を伊勢に保護したんやろ。ちょっと松永と話しただけですぐに判った。松永が酒に惚れ込むのは当然や。地元の連中は今も酒に惚れとる」
 あーもう。マジでそういう表現はやめれ。
「毛やん」
「なんや」
「俺は男に惚れられても全然嬉しゅうない。それと、まつながーは(一応)変態やホモとちゃうからな。それにさっき俺が言うたんも出来れば忘れて。まつながーにも内緒やで。メッチャ恥ずかしい」
 俺が本気で嫌そうに言うと、毛やんは吹きだして声を立てて笑った。
「なんを今更。お前ら兄弟みたいに仲がええけど、ホモには見えん。酒は前から男にもてるけど、そういう意味とちゃったからな」
「ほやから、あまり笑わんといてって」
「堪忍」と笑いを納めた毛やんはすぐに真面目な顔になった。
「身に覚えはなんぼでも有るやろ。酒の全力保護を1度でも受けて、酒の度胸と度量の大きさに惚れん奴は居らん。地元の連中は今も酒に感謝しとる。松永も一緒に暮らしとるなら尚更やろ」
「なしてや。毛やんはよう知っとるやろ。俺はそない偉い人とちゃう」
「偉いと立派とか関係無いで。酒の努力と意志の強さに、みんな惹かれて惚れ込んどるんや。俺は酒ほど努力し続ける奴は他に知らん」
「俺は元の器が小さいから、一生懸命努力せなアカンだけや。当然の事をしとるだけで、褒められた事とちゃう。これも今更やろ。堪忍してくれん」
 俺の怒気を感じ取ったんか、毛やんは首を傾げてポリポリ頭を掻いた。
「これも何度目の会話やったか忘れるくらい繰り返しとるで。あれだけの事をしといて、酒はまだ「俺なんか」コンプレックスから抜けられんのか。お前に惚れた奴はみんな苦労するわ」
「さっきから、鳥肌モンの気色の悪い言い方すなちゅーねん」
 本気で嫌そうに言い返すと、毛やんは昔と変わらない笑顔で俺を見た。
「酒の石頭はおいといて、そういうトコも相変わらずやな。まともで何よりや」
「まともてなん?」
「松永はオカンやから一応除外して、東京でも男にもてすぎて、うっかり変な道に走っとらんて意味や。安心した。それに……まあ、ええか」
「アホか!」
 俺が怒りながら立ち上がって流し台に向かうと、毛やんは大声で笑い出した。うー、どないしても毛やんには口で勝てん。
 さっき買ったほっけの開きを焼いて、オクラの鰹節あえ、味噌汁と。……うーん、これやと簡単で芸が無さすぎる。どうせやから毛やん驚かせたいよなあ。
 たしか牛肉が残ってたよな。ジャガイモと人参と玉ねぎも有る。昼は夏野菜のカレーやったから肉じゃがにしてみよかな。
 料理の腕を見せるのに、男に肉じゃがを作るんは女みたいやけど、俺の料理下手時代しか知らん毛やんには丁度ええ気がする。
 メニューを決めて俺が包丁を出すと、毛やんが後ろから声を掛けてきた。
「なあ、酒」
「なん?」
「伊勢からこっちに帰ってきた後に、なんや嫌な事でも有ったんか?」
 ……。なんも話とらんのに、なしてそこまで毛やんには判るんやろう。やっぱ、俺は表情読まれやすいんかなあ。
「別になんも。逆に休み明けてから友達が増えたくらい」
「ふーん。ええこっちゃ」
 思わせぶりな言い方してなんなん。俺が振り返ると、毛やんはテレビのチャンネルをあちこち変えて見とる。俺が先に話を止めたんやから文句は言えんけど、毛やんも自分から話してくれる気は無いんや。
 俺が包丁を手に取った時に、毛やんが真面目な声で聞いてきた。
「酒、1つだけ確認しときたいんやけど」
「なん?」
「さっき、松永に同情されとう無いて言うたな。まさかと思うけど、俺ら地元のモンが、酒に同情して友達やっとるなんて思うとらんやろな」
 あ……。
 それは絶対無いて言いたい。ほやけど、無意識下かもしれんやないか。1パーセントの可能性も無いて言い切れん。ほやけど、毛やんは今すぐ答えを欲しがっとる。なら、俺もそれに応えな。
「俺はみんなの事を信じとる」
「そうか。ならええ」
 それきり毛やんは黙ってしもうた。しゃーない。料理に集中しよ。

 料理を食べ終わった毛やんは、晴れやかな笑顔で言うた。
「ごちそうさん。普通に食えた。いや、ホンマに旨かったで。酒」
「毛やん。俺の事、全然信用しとらんかったな」
 俺が不満げな顔をしてみせると、毛やんはにやり笑う。
「ソース味の高野豆腐、砂糖でもんだきゅうりの浅漬け、檄辛塩味のケーキは一生忘れられん」
 俺はそないに調理実習で失敗をやらかしたっけ?
「高校時代の酒は料理になるとからっきし駄目やったからな。あれだけ器用に間違えるんも一種の才能や。それがたった数ヶ月で、これだけ上手うなったんや。松永に感謝せなアカンな」
 俺が記憶を辿っとると、毛やんは豪快に笑い飛ばした。
 こういう裏表の無い性格やから、毛やんに付いてく奴は多かったんよな。俺も毛やんの強さや心の広さが羨ましい。
 ……なんて毛やんに言おうもんなら、軽く1時間は説教を喰らうから黙っておこ。
 資質の有り無しやから、無い物ねだりは厳禁や。


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