今まではいつも遠慮が先に立ってしもうて、お互いに自分の家の話はせんかった。
 まつながーは耳にタコが出来るくらい納豆の話をしても、自分が苦労してた事は黙っとった。
 軽い言うてもやっぱり犯罪は犯罪や。ほやけど、少しでも親に負担を減らそうとするまつながーの気持は、ヘタレを誤魔化しとる俺なんかとは全然ちゃう。
 この夏、偶然が重なって俺はまつながーの過去を少し知った。
 面倒見のええ裕貴さんが居らんかったら、俺は今でもまつながーの事をちゃんと理解出来んままで居ったやろう。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(15)

51.

 高校の入学式が終わった後、俺ら新入生は事前に振り分けられた教室に入った。適当に席に着いたり窓際に集まって話をしとる。クラスには同じ中学出身の人も2、3人居って、目が合うとお互いに軽く手を振った。特別知り合いでも友達でもないからこんなもんやろな。
 俺が選んだのは市内の通学が楽な公立で、姉貴が通った高校とは違う。
 5歳も歳が離れとるのに、中学3年間「あの酒井香の弟」て、教師達から何度も言われ続けた。俺は姉貴と違うて特別目立つタイプや無い。これ以上、姉貴絡みで色々言われるは嫌や。
 担任教師はなかなか教室に来ん。自己紹介前やからか、クラスのみんなもまだ知らん人には話し掛けるきっかけをつかめんっぽい。俺もこうして黙って周囲を眺めとるから一緒やな。
 俺が生あくびをしとると、正面に背の高い男が来て、いきなり両肩を掴まれた。
「おい! なしてこない所にアンタが、しかも男子の制服を着て居るんや!?」
「へ?」
 驚いた俺が顔を上げると、そいつは顔を真っ赤にして大声で叫んだ。
「香さんやろ! 女やのになして男の格好しとるんや。歳かて俺より上やて別れ際に言うたやろ。それやのに俺と同じクラスてどういう事や。あれは全部嘘やったんか!?」
「はあ?」
 もしかして、姉貴の事を言うとるんか。姉貴のアホ、またなんかやらかしたんか?
 せっかく俺が大人しゅうとったのに、同中出身者が全員笑うとる。小学校も一緒やから、あの当時から目立ちまくった姉貴の顔を知っとるんかも。全然事情を知らん人らは何事かて顔で俺らを見とる。
「えーと、誰か知らんけど人違いやから堪忍してや。俺はアンタと初対面やで。今「香」て言うたよな。それは俺の姉貴の名前や。顔が似とるんでたまに間違われる」
 そいつは鼻の上に皺を寄せると、手を離して俺の顔をじっと見た。いまいち信じられんて顔をする。失礼なやっちゃな。
「言われてみると、香さんよりちょい若い。雰囲気もちゃうな。お前、そない可愛い顔して男なんか? ホンマは香さんの妹で、その制服はネタかコスプレとちゃうんか」
「アホかーっ! 入学早々そない事するアホが何処に居るねん。それに俺が男以外のなんに見えるちゅーねん!」
 思わず俺が言い返すと、教室中が大爆笑になった。
 しもたぁ。あれだけ慎重にしとったのに、初日からメッチャ目立ってしもた。なしていつもこうなるんやろう。

 俺とそいつが睨み合っとると、担任が教室に入って来た。クラス全員が慌ただしく席に着く。
 俺の隣に座ったそいつは毛利兼人(かねひと)と自己紹介した。
 毛利なあ。最近の姉貴の被害者リストに居ったかいな。……うーん。姉貴の口から名前を聞いた覚えが無い。
 ホームルームが終わってみんなが帰り始めると、毛利はばつが悪そうに笑いながら俺の方を向いた。
「お前、酒井博俊(ひろとし)て言うんやな。さっきはホンマに堪忍や。あんまりそっくりやから、香さんが男の制服着て遊んどるかと思うた」
 なしてそう思えるんやろう。常識で考えれとツッコミ入れとうなる。けど、相手は一応初対面やから我慢しとこ。
「済んだ事やからもうええ。たしかに姉貴ならネタで男装くらいしそうやけど、入学式ではやらんと思うで。ちゅーか、いくら似てるて言うても俺と姉貴は歳が離れとるし、性別も見たら判るやろ」
「え、香さんてそないに歳上なんか?」
 相当意外やったらしくて毛利は大きな声を上げる。他の連中が全員帰った後で良かった。
「姉貴は毛利に自分の歳を幾つて言うたん?」
「えーと、あれは一昨年やから……。今は高3になるか」
「サバ読むんもたいがいにせいやなあ。姉貴は童顔やけど、俺らより5つも上やで。今は大学3年や」
「ありゃ。そないに年上やったんか。完全にあの笑顔に騙されてしもたなあ」
「普通はどっかで違和感に気付くやろ。アホか」
 毛利は少しだけ苦笑すると、俺の顔を見てすぐににやり笑顔になった。
「それを女顔で童顔の酒井が言うても、全然説得力無いで。2年前の香さんがまんまそこに座ってとると思うた」
「しつこいやっちゃな。俺は男やっちゅーに。遠回しに俺に喧嘩を売っとるんか」
「正直に思うた事を言うただけや」
「口は災いの元って言葉と意味知っとる?」
「ははは。それでよう親父やオカンに殴られる」
 悪気は無いらしゅうて、毛利は今度は嬉しそうに笑うた。嫌みの無いええ笑顔や。口は悪いけど憎めん性格しとるなあ。
 俺が笑い返すと、毛利は嬉しそうに俺の頭をポンポンと撫でてきた。
「酒井は香さん似だけに顔は可愛いし、声も高くて小柄やから男にしとくの惜しいで。ちゅーか、ホンマに女やったら良かったのに」
「さっきから何度もチビ、童顔、女顔てやかましいわいっ! 俺が1番気にしとる事を楽しそうに言うな!」
 気が付いた時には毛利の顔面に俺の拳がめり込んどって、毛利は机と椅子数個を巻き込んで豪快に床に転がった。
 うひゃあ。あれだけ親父に言われとるのに、いきなりやらかしてしもうた。言われたくない事を連発されても、毎日基礎鍛錬しとる俺が人様に手を出したらアカンやろ。
 俺がどうしたらええんか迷ってオロオロしとると、毛利は苦笑しながら真っ赤になった左頬を押さえて立ち上がった。
「お前、ええパンチを持っとるんやな。まだ身長160無いやろ。ここまで力が有るとは思わんかった。けど、今のは全部俺が悪い。堪忍や。女扱いされたら誰かて怒るよなあ。これからお前の事は酒(さか)って呼ぶで。酒は見た目はともかく性格はしっかり男や」
「おおきに。ほな、俺も毛(もう)やんて呼ぶ。お願いやから、もう俺の見た目の話はあまりせんといて。普段は我慢しとるけど、姉貴と同一視されるんだけは我慢ならん」
 俺が倒れた机と椅子を立てると、毛やんも崩れた席を直して「ほな、そろそろ帰ろか」て声を掛けてきた。
 下駄箱から出した靴に履き替えると、毛やんはボソリと言うた。
「事情は知らんけど、酒は香さん関係で苦労しとるみたいやな。思ったまんまでも、無神経な事を沢山言うてしもた。ホンマに堪忍や」
「俺もいきなり殴ってしもて堪忍してや」
 毛やんは少しだけ首を傾げると、数回頷いてにやりと笑うた。
「あそこで怒らんかったら酒は俺の彼女認定や。いや、怒っても俺の彼女でええけど」
「うげぇ。メッチャ気色の悪い事言うなやー」
 俺がホンマに嫌そうに言うと、毛やんは声を立てて笑い出した。何度も「堪忍」て言うけど、今度は説得力無し。腹は立つのに全然嫌みがのうてどうしても憎めん。
 それから俺らはすぐに仲良うなって一緒に遊ぶ様になった。


 それまで黙っとったまつながーは露骨に不機嫌な顔になった。
「俺がそんな事を言ったら、ヒロはその場で痣が出来るくらい俺を殴るか蹴るだろ。何で毛利にはそんなに甘いんだよ」
 そっちにツッコミが来たか。まつながーてホンマに……やっぱ、空しいからやめとこ。
「うーん。毛やんもまつながーとどっこいやで。時々豪快に地雷を踏むから、その度に鉄拳制裁はしとった。ほやけど、毛やんとまつながーは違う」
「何処が?」
「アホスイッチの有り無しとか、恥ずかしさの程度差とか色々」
 俺が即答すると、まつながーは拗ねて足元のタオルケットを蹴った。
「そんな意味不明の理由で納得出来るか」
 まつながーの不満は当然かもしれん。しゃーない。ホンマの事を言うか。
「毛やんは姉貴の被害者やから」
 俺がボソリと本音を言うと、まつながーは「ああ」と頷いた。状況は全然ちゃうけど、まつながーも姉貴の我が儘被害を受けたから、なんとなくでも解る部分が有るんやろう。
「姉貴はな、毛やんの初恋の相手なんやて」
 俺が横目で顔を見ながら言うと、まつながーは信じられないて顔になった。当然やけど、ホンマにまつながーは姉貴が嫌なんや。
「毛やんが中2の時に、本屋のレジで姉貴を見掛けて一目惚れしたんやて。そこでバイトをしとった姉貴は大学1年のくせに自分を高1て言うたらしい」
「たしかにあの女はかなりの童顔だったな。けど、ヒロなら今でも充分中学生で通じるぞ」
 まつながーは少しだけ視線を上に向けると、真顔でろくでもない事を言うた。そこで俺に話を振るなちゅーねん。向こうずねを思いっきり蹴ったろうか。
 いや、横道に逸れとる場合とちゃう。今は毛やんの話をせな。
「毛やんは駄目元で、その場で姉貴に交際を申し込んだんやて。その度胸と思い切りの良さを姉貴も気に入ったらしゅうて、それから3ヶ月間、毛やんと姉貴は付き合ったらしい」
「ヒロ。さっきから気になるんだが、「らしい」って何だ?」
「あー、言われてみればホンマに「らしい」ばかりやな。堪忍して。毛やんはその時の話はあまりしとうないみたいで、俺も詳しくは聞いとらんのや。ほやけど、毛やんとは3年間ずっと同じクラスやったから、高校時代はよう知っとる。毛やんが好きになる女子はみんなどこか姉貴似で、毎回見事に振られとった。俺が知っとるだけでも、8回は告白直後に玉砕しとったな」
「たった3年で8回以上も振られたのか。ある意味豪快な奴だな。それで、あの女に似てたのは顔か性格か?」
「見た目は色々で、性格が全員姉貴似やったと思う」
 途端にまつながーは露骨に嫌そうな顔になる。
「毛利は友達は良い奴を選ぶのに、女の趣味は悪いんだな。学習能力が無いのか」
 当たっとるけど、まつながーの口から毛やんの悪口は聞きとうないなぁ。
「俺も毛やんに姉貴タイプはどうかて思う。けど、毛やん曰く、初恋は特別なんやて。毛やんは惚れっぽい性格やけど、毎回相手さんの事を本気で好きになっとった。俺はそういう毛やんがずっと羨ましかった。真っ直ぐに人にぶつかれる毛やんの行動力は、今も俺の憧れや。ほやから、まつながー。お願いや。毛やんの事を悪う言うんは止めてな」
 俺が正直な気持ちを言うたからか、まつながーはすぐに「ごめん」と謝ってくれた。まつながーのそういう素直さも俺には憧れやで。
 空になったコップをテーブルの上に置くと、まつながーは俺に向き直った。
「なあ、ヒロ」
「ん?」
「毛利の好きになるタイプが全員ヒロの姉貴似で、高校3年間、振られる度にこうして酔っぱらってヒロに泣きついてきてたのか?」
「始めはファーストフード店で1時間くらい愚痴言うだけやったんやけどな。回数が増えるちゅーか、年齢が上がるとこうなってきた。毛やんもまつながーと一緒で、一見未成年に見えんやろ。コンビニで酒を買うてきて、俺の部屋でやけ酒を呑んどった」
「高校生が振られたくらいで酒に逃げるなよ」
 まつながーが言うと、全然説得力が無いて思うんは俺の気のせい? ほやけど、恋愛経験の無い俺なんかは、もっと口に出したらアカン事や。
「俺もどんな訳ありかて、未成年の飲酒は駄目やと思う。ほやけど、毛やんは酒で勢いつけて、愚痴を言だけ言うて気が済んだら、次の日には綺麗に立ち直った。酒が入ってもやけになったり、相手さんの事を酷く言うたり、大声出したり暴れたりもせんかった。親御さんに心配かけん様に、毎回事前に俺の所に泊まるて連絡入れとったし、うちで姉貴に会うても初対面のふりをしとった。まつながー。毛やんはな、どんだけやさぐれても誰にも迷惑を掛けたりせんのやで」
「今、こうしてヒロに迷惑を掛けてるじゃないか」
「親友やから出来る甘えと、迷惑は全然違うやろ」
 はっきり俺が反論すると、まつながーは苦笑した。
「そうだな。俺も身に覚えが有りすぎる」
 身に覚え? ……もしかして俺に対して? いや、裕貴さんの事やろうな。
 うーん、そっかあ。似たタイプが集まるちゅーか、まつながーとすぐに馴染めたんは、毛やんとちょっとタイプが似とるからかも。アホ繋がりやとしたら虚しいなあ。
「毛利が酔っぱらって玄関先で寝ていたから、見つけた時はびっくりした。でも、俺みたいに長く尾を引くタイプより、さっぱりしてて良いのかもしれない」
 そう言うてまつながーは立ち上がった。
「明日には毛利は普通に戻っているんだろ。そうならそろそろ俺達も寝よう。ちょと便所」
 俺が返事をする前に、まつながーはコップを流しに置いてトイレに入った。俺の話が終わるまで我慢しとったんか?
 あ、そうとちゃう。
 しもたぁ。メチャ無神経な事を言うてしもうた。割り切り型の毛やんを誉めるのは、ずっと美由紀さんの事で苦しんでたまつながーを、ヘタレて言うとる様なモンや。
 俺がベッドの上で固まっとると、まつながーがトイレのドアから顔を出した。
「今のは独り言だから忘れろ。ヒロは何も悪くないんだからな」
 それだけ言うてすぐにまつながーはドアを閉めた。俺が気にするて気付いたんか。俺にはとても出来ん細かい気配りや。やっぱり、まつながーは凄いなあ。
 さて、今の内に毛やんを布団の隅に移動させるか。よほど今の大学で鍛えられとるんか、高校の頃より数キロは重いからチョット苦労しそう。


52.

 俺が便所から出ると、入れ替わりでヒロが入った。1分も経っていないのに、ヒロの布団が敷かれていて、壁際の隅では毛利が気持ちよさそうにいびきをかいている。毛利の横にはヒロが使っている枕が置かれていた。
 まさかヒロは酔っぱらいと一緒に寝る気か。布団の上で寝たいのなら、俺のベッドを使えば良いのに。
 ヒロにそう提案してみたら「酔った毛やんと一緒に寝るんは慣れとるから平気や」と返ってきた。俺が反論する前に、ヒロは電気を消して横になってしまった。
 おいヒロ。やっぱり、俺と毛利の待遇が違いすぎると思うのは俺の気のせいか。
 俺の無言の抗議に気付いたのか、ヒロは身体を起こして小声で言った。
「まつながーには沢山迷惑掛けてしもうたから、さすがにこれ以上は甘えられん。……あ、やっぱりお願い追加や。明日の午前中、毛やんの事を頼んでもええ? 俺、明日のバイトは早朝シフトやろ。何とか昼過ぎには帰ってくるから。頼んでばかりでホンマ堪忍や」
 本当に申し訳無さそうにヒロは頭を下げてくる。ここで遠慮するなと言っても聞かないんだろうな。少しでも安心させたくて、俺は軽くヒロの頭を撫でた。
「この時間から病気でも無いのに、早朝シフトはドタキャン出来ないだろ。俺のバイトは夕方前からだから任してくれ」
「おおきに」
 嬉しそうに顔を上げてヒロは横になった。

 いつもヒロは誰かの責任を被って頭を下げる。
 俺が知ってるだけでも俺と真田と馬鹿姉と最上で今回は毛利。石川の言い分じゃないが、自分が悪くも無いのに人に謝るなと怒鳴りたくなる。
 ヒロは口では「お願い」と言う。だけど、その顔は大抵「ごめん」で、心底から俺に頼ってくれてるんじゃない。俺は迷惑だなんて思ってもいないのに、いつも迷惑を掛けて申し訳無いと思ってる。
 なあヒロ。俺は今日、ヒロが笑ってくれただけでも充分なんだぞ。
 思い掛けないアクシデントが有ったとはいえ、昨日の今日でヒロが俺に「頼む」と、「お願い」と言ってくれた。俺がどれだけ嬉しかったか全然解ってないだろ。この大馬鹿天子め。
 ヒロは毛利と一緒に寝るのは慣れていると言った。今は一緒に暮らしていても、ヒロに親友として認めて貰っていても、俺には毛利みたいに時間の積み重ねが無い。比べても仕方が無いんだ。
 ヒロは俺を信じて毛利を預けると言ってくれた。今はそれで良いか。
 下を覗いてみると、ヒロは器用にベッドと毛利の隙間で、タオルケットを身体に巻いて、毛利に背を向けて寝転がっていた。一応抱き付かれ対策防御はしているな。だけど、シングルの布団で離れて寝ているから、狭くて2人とも寝苦しそうだ。これならまだ俺のベッドの方が寝やすいんじゃないか。
 ヒロをこの状態のまま、ベッドに放り込んでやろうかと思ったけど、朝っぱらから顔の形が変わるくらい殴られるのは勘弁だ。
「まつながー、気色悪い独り言はせめて俺に聞こえん様に言えや。ちゅーか、アホな事考えとらんでさっさと寝れ」
 怒りを押し殺したヒロの小さな声が俺の耳に届く。
 怖っ! 今回はどこから口に出ていたんだろう。

 俺が目を覚ますとやっぱりヒロはもうバイトに出掛けた後で、俺の枕元にメモが置いて有った。
「毛やんは食べモンで好き嫌い無いで。味覚は俺とどっこい。もひとつ、悪いけどまつながーの服を毛やんに貸してあげてくれん。メッチャ酒臭い」
 ああ、そうか。毛利も三重出身だから、東京の醤油辛い物系は苦手なんだな。本当に今日くらい俺を起こせば言いのに遠慮ばかりして……と毎回思っている気がする。
 たしかにヒロの服を毛利が着るのは無理だ。手ぶらだったから着替えは持って無いよな。
 俺はベッドから起き上がると、毛利の着替えを用意して、朝食の用意を始めた。
「……んあ? はあっ?」
 お。
「ここはどこやー!?」
 背後からでかい声が聞こえてきた。毛利が目を覚ましたな。
 俺が振り返ると毛利は不審物を見る様な視線を俺に向ける。それは昨夜俺がお前に向けていた顔だぞ。
「お前、誰や?」
「は? ああ」
 そうか。毛利と会ったのは1度だけで時間も短かった。あの頃とは髪型も色も違う。俺の印象がかなり違うから誰だか判らないんだ。
「一応、久しぶりで良いのか。とりあえずおはよう。髪を切ったから判らないだろうけど、ヒロと同じ大学の友達で松永健だ。毛利とは7月に鳥羽の水族館で会ってる」
 本当はヒロの親友と言いたいところだが、始めはこれくらいだろう。
「あ、挨拶忘れとった。おはようさん。……ん。松永? 鳥羽? あー、酒が夏休みに一緒に連れて帰ってきた奴か。堪忍。茶色の長髪やないから全然判らんかった」
「よく言われるから気にするな」
 見た目だけ軟派系から体育系になったと、休み明けにクラスの連中から散々からかわれた。1度や2度会っただけの相手なら、誰だか解らなくて当然だ。
 毛利は腕時計を見てから周囲を見渡すと、俺の顔を真っ直ぐ見る。
「まだ8時前なんやな。酒は何処や?」
「早朝シフトでバイトに行ってる。昼過ぎには帰ってくるから心配するな。俺はヒロが戻るまで毛利の事を頼まれてる」
「バイトか。そらしゃーないな。連絡無しでいきなり来てしもたから、酒にも松永にも悪い事をしてしもうた。昨夜の俺は手がつけれんかったやろ。ホンマに堪忍してや」
 そう言って毛利は俺に頭を下げるとまた部屋を見渡す。自覚有りでアレをやってるのか。悪いと思うならせめて事前にヒロに連絡くらい入れろよ。
 と。言いたいけど、あの状態からして、昨夜の毛利にそんな余裕は無かったんだろう。ヒロの言ったとおり、昨夜の泥酔ぶりが嘘みたいに今朝は落ち着いている。
「ここは酒の部屋とちゃうやろ。松永の部屋なんか? 隣に住んどるんやろ。なして俺は此処に居るんや?」
 勘の鋭い奴だ。いきなり核心を突いてきた。とりあえず時間を稼ごう。
「もうすぐ朝飯が出来る。先に風呂でシャワーを浴びてくれ。臭くて仕方ないんだ。服は俺のを貸す。洗濯済みだし下着は新品だから安心しろ。詳しい話は朝飯を食いながらする」
 俺が風呂のドアを指さすと、毛利は自分の身体を数回嗅いだ。酒と汗の臭さを実感したのか、「悪い」と言って風呂場に消えた。
 毛利、ヒロの大事な親友。どうしよう。俺に上手く説明出来るか? 今のヒロに無用な心配も迷惑も掛けたくない。
『まつながー、無理せんでええんやで』
 口下手な俺にヒロがいつも言ってくれる言葉が思い浮かぶ。そうだよな。ヒロは俺を信用してくれた。俺は俺の出来る精一杯で毛利と対峙すれば良い。

 酒を抜くには良いだろうと青物野菜を沢山入れた味噌汁、ヒロが好きな出汁味卵焼き、(ヒロの反応で一応学習した)俺基準より少なめの青ネギと納豆、それにきゅうりの浅漬けを添えて風呂上がりの毛利とテーブルを囲んだ。
 毛利は味噌汁と卵焼きに口を付けると、自分の口元を手で押さえた。ひょっとして口に合わなかったか。
「これ、全部松永が作ったんか?」
「うん。納豆以外は」
「そういや酒が松永は料理が上手いて言うとったな。ホンマや。もうけた気分やで」
 納豆を器用に1粒ずつ口に入れながら毛利は頷く。あ、忘れていた。
「それはそうと、毛利が俺の部屋に居る理由だが」
「うん」
「ヒロも俺も金が無いから、共同でエアコンを買ったんだ。それで、俺の部屋に期間限定で同居をしている。だから、今は此処がヒロの部屋でも有るんだ」
「はあ?」
 毛利が本当に驚いたという顔になる。そんなに変か? まあ、普通に考えたら変か。俺も言い出したヒロに突っ込みを入れた口だ。毛利は一旦首を傾げて、俺を真っ直ぐに見返してきた。
「いつからや?」
「えーと、たしか電器屋に申し込んだのは6月の後半で、運良く工事もすぐだったな。俺達の部屋は2階ですぐ上は屋根だろ。窓は西向きで気温の上昇が半端無いし、夜もかなり蒸し暑い。エアコンが来るまで、ヒロは不用心にも窓も玄関も開けっ放しにしていた。一晩中扇風機を使っていたし、昼間は時々冷蔵庫に頭を突っ込んでたから、何度か俺がヒロのケツに蹴りを入れた。あ、エアコンの共同購入と同居を言い出したのはヒロの方だからな」
 毛利は数回頷いて、茶碗から手を離すと声を立てて笑う。
「酒は夏生まれのくせに夏バテ体質やからな。そこまでアホな姿を平気で見せとるんは、酒が松永を信頼しとる証拠や。三重より東京の方が体感で暑いて聞くし、梅雨明けの酒がどんなやったか想像はつく。それに、酒の家は特別金持ちやない。高いエアコンを共同購入て言いだしたんも解る。鳥羽で会うた時に、松永と一緒に住んどる事までは教えてくれんかったんで、ちょい驚いただけや。ちゅーか、酒のアホは俺にツッコミ喰らうんが嫌で黙っとったな。後で絞めたる」
「単に恥ずかしかっただけだろ。ヒロとの共同生活で、経済面で助かってるのは俺もなんだ」
 1番助けられてるのは精神面でとは言えない。毛利は味噌汁をすすりながらボソリと呟いた。
「酒が俺に隠し事をするんは後ろめたい時だけや。東京で新しく松永みたいにええ親友が出来た事で、俺に変な気を遣うとるんやろう。酒はあの性格やから友達が増えるんはなんも不思議は無い。俺を了見の狭い男て思うた酒が悪い」
「毛利はずいぶんはっきりとものを言うんだな」
 俺が正直な感想を言うと、毛利はにやりと笑う。
「俺らはずっとそういう付き合い方をしとったからな」
 ヒロ天子を相手にこの言い様。羨ましいんだか妬ましいんだか判らない。だけど、本当に隠し事の無い良い友達付き合いをしてきたんだ。変に遠慮が先に立ってしまう俺達とは凄い違いだ。
 納得出来たからか、それから毛利は無言で朝飯を食い終えた。丁寧に手を合わせて「ご馳走様」と言う。こういう所はさすがヒロの親友だ。
 箸を置いて足を崩すと毛利はいきなり笑い出した。
「何だ?」
「ああ、堪忍。なして酒があないに松永を褒めたかよう解ったんや。見た目に似合わず酒は食い意地が張っとるやろ。酒は致命的に料理が出来んから、松永を命の恩人て言うたんも納得や。松永は酒の東京のオカンやな。飯はホンマに美味かった。おおきに」
 全然誉められた気がしないぞ。オカンてどういう意味だ。男が料理が出来たらおかしいのか。
 むっとしながら俺が茶碗を流しに運び始めると、毛利も自分が使った食器を持ってきた。お客様で居る気は無いらしい。ヒロの言う通り口が悪いだけで気は良い奴だ。
 俺がバケツに入れた洗濯物を持って外に出ようとしたら、毛利が声を掛けてきた。
「茶碗を洗わんのなら、勝手は判らんけど俺が洗うてもええか。そんで松永は何処へ行くつもりや?」
 しまった。うっかり説明するのを忘れてた。
「茶碗は後で洗うから気にするな。隣で洗濯してくる。コインランドリーに行く手間と金が惜しくて、共同で買った洗濯機がヒロの部屋の風呂場に置いてあるんだ。お前の服も有るから早く洗って乾かした方が良いだろ」
 毛利は少し驚いたという顔になって、すぐに気づいた様に表情を戻す。
「酒の部屋か。俺も一緒に行ってええか?」
「良いけど今はただの物置だぞ」
「せっかくの機会や。酒が東京でどんな暮らしをしとるんか、出来るだけ見ておきたい」
 そう言って毛利は立ち上がって俺の後を着いてくる。
 三重と東京は遠くてすぐに会える距離じゃない。大事な親友がどういう生活をしているのか知りたくなるもの当然か。


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