もう逃げない。ヒロからも俺自身からも。
 こんな一方的な感情は、ただの自己満足かもしれない。
 俺に何かを隠そうとしているヒロは嫌がるかもしれない。
 だけど、俺はもう今のままじゃ嫌なんだ。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(12)

40.

 予鈴前に学部の教室に戻って適当に席を見つけて座る。お馴染みの行動だからか周囲の誰も俺を気にしていない。昼休みが終わる直前になって、ヒロからメールが来た。
『さっきは勢いで逃げるななんて、酷い事を言うてしもた。ホンマに堪忍してな。お願いやから忘れてや。夜に特別話す事はもう無いん。無駄に時間とらして迷惑を掛けんから安心して』
 はあ? ちょっと待て。何だよこれは。『忘れろ。もう俺と話す事は無い』だって?
 おいヒロ、まさかこれだけじゃないだろうな。スクロールしようにも空改行は無い。添付ファイルも無い。
 鈍い俺が周囲の連中に突かれて、ほんの少しだけど色々な事に気付き始めた。本当のヒロと向き合いたい。受け止めたいと思ってるのに、俺の気持ちの変化に気付いた勘の良いヒロは、こんな先回りをして逃げやがった。
 ふざけんじゃねぇぞ。俺はもう決めたんだからな。絶対に逃がさねぇ!

 バイト先の倉庫で新着DVDの仕分けをしていたら、先輩から声を掛けられた。
「松永、何が有ったのか知らないけど顔が凄く怖くなってる。絶対にその顔で客の前には出るなよ。店のイメージダウンだ」
「済みません。気をつけます」
「松永は顔が不器用だからな。今日は裏方だけやっとけ。明日には機嫌を直しとけよ」
 俺が深く頭を下げると、先輩はすぐに笑ってくれた。今日のシフトは話の解る先輩で助かった。
 大学を出る前にヒロに文句の1つも言ってやろうと思ったのに、いざ携帯を持つと1文字も浮かばなかった。結局、メールの返信は出来ず仕舞いだ。
 あのヒロが何の説明も無しで俺から逃げた。腹が立ってるのか、悔しいのか、悲しいのか判らない。メールを読んでからずっと腸は煮えくりかえってるから、俺が怒ってるのはたしかなんだろう。
 今日は振り替えでヒロが晩飯当番だったな。昨日バイト先で無理をしたから帰りは早いと言っていた。これで、俺がアパートに帰ってもヒロは居なくて、テーブルの上にスーパーで買った総菜や缶詰が置いてあったらマジで泣くぞ。

「おかえりー」
「……。あ、ただいま」
 定位置でTVのニュースを見ていたヒロは、満面の笑顔と陽気な声で俺を出迎えてくれた。台所には作りかけの料理が置いてある。予想を良い方で裏切っていつもと同じ雰囲気だ。
 流しで手を洗っていると、ヒロがコンロ前に立ってにやりと笑う。笑顔なんだが爽やかさが無いと思うは俺の気のせいか。
「今夜はオムライスとオニオンスープやで。まつながーが帰って来るの待っとった。今から仕上げをするから座って待っとってや」
「分かった。ありがとう」
 俺が場所を空けると、ヒロは冷蔵庫から解凍したご飯ととき卵を出す。先に作ってレンジで温め直しでも良かったのに、出来立てを食わせてくれる気なんだ。焼けた玉ねぎの臭いが空腹感を増す。
「なあ、ヒロ」
「お願いやから話は後にしてー。今手を止めたら、ご飯がフライパンにひっついてまう」
「あ、ごめん」
 話し掛けるタイミングを逃してしまった。まさかヒロは狙ってやったのか? いや待て。考え過ぎだって。火を使ってる時に話し掛けた俺が悪い。

 食器は俺が洗って交互に風呂に入った。ヒロは布団の上で雑誌を読みながらくつろいでいて、俺もベッドの上でテレビを見ながら麦茶を飲んでいる。よし。話すなら今だよな。
「ヒロ」
「なん?」
「昼休みの事だけど」
「へ? あー、今日のキモイ所有格発言はマジで堪忍やで。アパート内なら笑って済む冗談やけど、外やと知らん人に聞かれて、また変な噂が立ったらまつながーも嫌やろ」
 そっちの方に食い付かれたか。でも、怒られて当然の事をやったから仕方ないか。
「ごめん。俺もこれ以上変に誤解されるのは嫌だ。気をつける」
「うっかり忘れてましたはもう堪忍やからな。まつながーはいつもそれで失敗するから」
「悪かったな」
 俺が拗ねた様に言うと、少しだけ笑ってヒロは視線を雑誌に戻した。
 どうしよう。あっさり話が終わってしまった。普段の俺達はもっと自然に話が出来てたはずだ。何が違うんだ。

 まつながー、聞いてー。
 まつながー、ちょっとこれ見てー。
 まつながー、お腹空いたー。なんか有るー?
 まつながー、お願いが有るんやけど。
 まつながー、なんか有ったん? 俺は聞くだけしか出来んけど、それでもええなら話してや。

 ああ、そうか。この流れだ。俺がヒロと話したいと思っている時、何も言わなくても大抵ヒロの方が先に俺に声を掛けてくれて、時々突っ込みを入れたり、相づちを打ったり、必要なら助言をもしてくれていた。だから、自然に会話になっていたんだ。
 ヒロはいつも「なして?」「なん?」「良かったら話して」と、口下手な俺が話しやすい雰囲気を作ってくれていた。それで、俺は気楽にヒロに言いたい事を言えたんだ。
 今みたいにヒロが話を切ってしまったら、次の会話が出て来ないんだ。俺はどれだけヒロに助けられてたんだろう。そして、今までヒロはどれだけ俺に気を遣ってくれてたんだろう。
「ヒロ」
「なん?」
「今だっこしても良いか?」
 ヒロは手に持っていた雑誌を落とすと、苦手な和風納豆ピザを無理矢理口の中に詰め込まれた時みたいに、凄く嫌そうな顔をして俺の方を向いた。
「それでのうても暑いのにタチの悪い冗談はヤメレ。まつながーの自覚の無い変態思考回路は俺には理解不能なんやで。断固拒否する」
 酷い言われ方だが、ヒロが返事をしてくれただけでもまだ救いが有る。
「10分間」
「嫌や」
「7分」
「嫌や」
「5分」
「嫌やちゅーとるやろ」
「なら1分だけ」
 俺がしつこく食い下がると、ヒロは首を横に振りながら落とした雑誌を枕元に放り投げた。
「あのな、まつながー。アホばかり言うとらんと、疲れとるならさっさと寝れや」
 そう言ってヒロは俺に背を向けて横になってしまった。どうしたら良いんだろう。正直に感謝の気持ちを表したいだけなのに難しいな。
 俺が電気を消すとヒロの小さな呟きが聞こえてきた。
「まつながー、毎回行動だけで意思表示をしとったらいつまで経っても口下手のままやろ。今はええけど社会に出たら、ちゃんと気持を言葉にせなアカン時の方が多いんやで。おやすみー」
「うん。ごめん。ありがとう。おやすみ」
 何だかんだ言っても、ヒロはちゃんと言葉にしてくれるから優しい。俺は言葉の使い方が下手だから、俺の周囲の人達は俺の表情や動作だけで気持を察してくれている。たしかにこのままじゃ駄目と俺も分かってるんだ。
 でもな。今は自分の気持ちにもっと正直でいたいんだって。
「うぎゃーっ? まつながー、なにすんねん!」
「痛てぇっ!」
 ベッドから降りてヒロの背中にしがみついたら、側頭部に強烈な肘鉄を喰らった上に、向こうずねを踵で蹴られた。
「唐突にこういう行動に出るから、変態て言われるんやろが。さっきも言うたばかりやろ。言いたい事が有るなら、サボらずにちゃんと言葉にせい!」
 ヒロの言い分はごもっともなんだが、俺にはヒロに触りたいって気持も有るんだよ。俺が痛む頭を抱えて半泣きになっていると、俺の顔を見ていたヒロは小さく溜息を吐いた。
「しゃーないなぁ。ホンマにまつながーは小さい子供と一緒や。背中から5分間だけやで」
 本当に良いのか? うわあ。マジかよ。頼むから前言撤回なんてしないでくれよ。
 俺が背中から回した手を、ヒロは赤ちゃんをあやす様にゆっくり優しく叩いてくれている。これじゃ駄目だと判っているけど、どんな言葉よりこの方が安心出来るんだよな。
 俺がうとうとしかかっていると、唐突にヒロは俺の手をはね除けた。
「5分経ったで。もうベッドに戻って寝れや」
 ずっと枕元の時計を見てたのか。ヒロ天子は凄く優しいけど、時間にも凄く厳しい。そういえば前にもこんな事が有った気がする。
 俺がベッドに戻ると、背後から「今度こそおやすみ」という声が聞こえた。
「おやすみ。ありがとう」
 決心したばかりなのに、またヒロに甘えてしまっている。こんな事ばかり続けていたら、ヒロに頼って貰うどころか、本気で呆れられてしまう。
 どうしたらもっと上手く言葉を使える様になるんだろう。せめてヒロに本音を言って貰いたい。


41.

 まつながーは自覚が無いだけに、やっとる事は変態やけど、それが全部悪いとは俺には思えん。
 俺かて親友から急にそっぽを向かれたら、嫌われてしもたんやないかて不安になる。そうやないて言うて貰えたらメッチャ嬉しいて思う。
 上手く言葉が出てこん分、まつながーは気持がまんま行動に出てしまうだけや。男にしがみつかれるんは、相手が誰かて気色悪いて思う。ほやけど、気持に全然嘘が無いから、まつながーに抱き付かれるんはホンマは嫌やない。言うと絶対に図に乗るから、速攻で蹴る事にしとるけどな。
 俺はまつながーみたいに素直になれんから、あないに解りやすく好意を示されると安心する。まつながーの口下手を知っとって、わざと自分からは話し掛けんなんて、自分でもうんざりするくらい狡いやり方や。
 まつながーは完全に俺を誤解しとる。俺はただの僻み根性の強い卑怯モンなんやで。意地を張り続けとる自分が悪いんやけど、これだけ一緒に居っても親友にホンマの自分に気付いて貰えんのも虚しいなぁ。

「ねえ、酒井ちゃん」
「なん?」
 俺の正面に座っとる安東さんは、ちょっとだけ引きつった笑顔になっとった。
 今日は工学部の人らと一緒に昼ご飯を食べとる。いつの間にかホンマに1日交替で俺とまつながーが入れ替わりに決まったっぽい。こんな方法でホンマにみんなが納得してくれとるんかなて不安に思うけど、理由を知らん方が身の為て予感がしたんで、詳しくはなんも聞かん事にしとる。
「朝から松永の顔がキモイんだけど、酒井ちゃん何か知ってる?」
「うーん。そないコト言われても、まつまがーがキモいんはいつもの事やからなぁ」
 俺が正直に答えると、岩城さんと相馬さん、横に座っとるまつながーまでご飯を噴きだした。
「さすが酒井様だ。松永が無言で悶々としてる姿は、キモイ以外言い様が無い」
 岩城さんが笑うと、口元を拭った相馬さんも苦笑する。
「それで無くても黙ってる松永は怖いんだからさ。もうちょい顔をなんとかしてよって気分になるんだよね」
 まつながーの顔が怖い? どこがやねん。余程機嫌が悪い時ならともかく、普通にええ男の部類やろ。今は普通通りやけど午前中はテンション下がっとったんかな。
「まつながー?」
 俺と目が合ったまつながーは、少しだけ肩を揺らすと小さな溜息を吐いた。
「自分の言動を真面目に見直そうと思ってるんだ。その、……俺は色々と極端になりやすいみたいだから」
「今更ぁ?」
 あ、4人同時にハモってしもた。やっぱ、まつながーの言動って、他の人から見ても極端なんや。正直で素直で嘘は無いけど、一歩間違えるとアホとしか思えんもんな。
 全員から言われてまつながーは露骨に落ち込んだ顔になった。
 なんがきっかけになったかは知らんけど、まつながーにアホの自覚が出来たのはメッチャ凄い進歩やと思う。ほやけど、まつながーから素直さを取ったら、顔と頭が良くて家事も得意で欠点無しや。メチャつまらん男になる気がする。
 まつながーの素直さは、美徳で欠点でも有るから、ホンマに表裏一体なんよなぁ。
「俺はまつながーはもうちょい思ってる事を言葉に変換して欲しいと思う。けど、今のままでもええんやないかとも思う。無理をしてまで自分を変えようとするまつながーなんて見とうない」
 そんなみっともない事しとるのは俺だけで充分や。て、思うとるのは黙っておく。素直やないまつながーなんて俺は嫌や。
「あははっ。酒井ちゃんって太っ腹」
 なしてか安東さんに受けてしもた。
「俺は時々怖くなるよ」
 相馬さんが軽く肩を竦める。俺もまつながーの超不機嫌オーラを浴びると、びびる時が有るから気持は解る。
「俺は松永の不機嫌丸出しの顔だけはパスだ。見てるこっちまで腹が立ってくる」
 岩城さんの言いたい事も解る。今は学生やからまつながーの正直な顔は許される。ほやけど、社会に出たらあのぶすったれ顔が通用せんのはたしかや。けどなぁ。……うーん。色々迷うけど言うだけ言うてみよ。
「俺らがまつながーがアホをやっとるの見つけたら、その場で注意したらどうやろか。誰かていつも気を張って、自分の言動を注意するのはメッチャ疲れるやろ。まつながーが本気で自分を変えたいて思ってるなら、俺は協力してもええ」
「自覚が無いのか。ヒロは知り合った当初からそれをやってくれてるだろ」
 少しだけ顔を赤くしてまつながーは拗ねたみたいな顔になった。たしかにまつながーがアホ発言したり変態行動すると、遠慮のう叩いたりツッコミ入れとるよな。まつながーからしたら注意されとる気がするんかも。
「それは否定はせん」
 俺が答えると、相馬さんらは同時に「へー」と言って、ボソボソ話し合いだしてすぐに俺らの方に向き直った。なんやろう。
「松永の顔は正直過ぎる。周囲に迷惑を掛けるレベルになったら俺が注意する」と、岩城さん。
「不機嫌な顔で無口になっていたら俺が声を掛ける」と、安東さん。
「俺は即逃げするよ。いきなり近くの人が離れたら、鈍い松永でも解るっしょ」と、相馬さん。
 みんな口は悪いけど面倒見はええなぁ。まつながーはクラスの人らに好かれとる。普通は嫌なら無視するで。俺が岩城さんらに笑って返すと、まつながーはつっかえながらボソボソ声で呟いた。
「気持は……嬉しい。……けど、俺はいつも……自分で、気付ける様に……なりたいんだ」
 へ? まつながー、いきなりどないしたん?
 俺がまつながーを見上げとると、正面から岩城さんの厳しい口調で言うた。
「何を言ってるんだ。そんな事は当たり前だろ」
「そうそう。俺らは松永の時間を短縮してやろうってだけ」
 相馬さんが相づちをうつと安東さんもきっぱり言い切った。
「自己改善に失敗した松永に、これ以上いらついかれたら一緒に居る俺達の方が迷惑だ。自己防衛だから遠慮するな。というか、積極的に干渉させろ」
 安東さんメッチャきっつー。理数系脳集団てこうなんか。俺も工学系の情報やけど、クラスの人らはここまではっきり物を言わんで。ほやけど、変な遠慮が無い分誤解も無いちゅーか、腹の探り合いにもならんから、スッキリして気持ええかも。
 それはまつながーも解ったみたいで、さらりと「助かる」と簡潔に返事をした。まつながーの友達さんらて、きっぱりサバサバした関係やなぁ。
 まつながーも俺にアパートで見せる顔と、学部内では全然ちゃうっぽい。どっちがホンマのまつながーなんやろう。
 俺の視線からなんを考えてるんか察したまつながーはにやりと笑った。
「アパートと同じ行動をヒロが許してくれるなら、俺は遠慮無く今すぐにでもやるぞ」
「げっ」
 そういえば俺が外では一切するなて言うたんやった。これでもまつながーは一応大学では自重しとったんか。安東さんらは露骨に好奇心丸出しの顔になる。しもたー。墓穴を掘ってしもた。
「あのな、まつ……」
 あんなん外でやられたら俺がかなわんて言おうとしたら、まつながーの頭が鈍い音と一緒に横にスライドした。
「痛てぇぞ。こんな事をするのは真田だな」
「へ?」
 うわあ。ホンマに真田さんやー。俺が振り返るとすぐ後ろに真田さんがトレイを片手に立っとった。
「通りすがりに気持悪い話が聞こえてきたから、勝手に手が動いちゃったよ。松永、あんたが1人でどこでどんな馬鹿やろうと勝手だけどね。酒井君を巻き込むのはやめなよ。可哀想でしょ」
 これってどういう事? 真田さんが俺を庇ってくれとるとしか思えんのやけど。
 びっくりした俺が固まっとると、真田さんは俺の方を向いてにっこり笑ってくれた。
「こんにちは、酒井君」
「……こんちゃー、真田さん」
 直接話し掛けて貰えた。メッチャ緊張してくる。どないしよう。こういう時、なんて言うたらええの?
「元気そうだね。松永が酒井君に迷惑を掛けたら、いつでもあたしに言ってよ。すぐに鉄拳制裁しておくから」
「お、おおきに」
「じゃあ、またね」
「うん。またー」
 真田さんは笑って俺に手を振ると、そのまま友達さんらと一緒に返却口の方へ歩いて行った。たまたま俺が困ってるのを見掛けて、助け船を出してくれたんや。あんな事が有って間もないのに、やっぱ真田さんはメッチャ綺麗で優しゅうて格好ええなぁ。
「あの女、バッグの金具で俺の頭を削りやがった」
 まつながーが不機嫌そうな顔で頭を上げると、岩城さんらは一斉に爆笑した。
「なんだ。やっぱり真田も酒井ちゃんのファンか」
 安東さんがにやにや笑う。真田さんはそんなんとちゃう。……と言いたいけど、理由を聞かれそうやから言いづらい。
「身長差で酒井様に当たる心配が無いから、豪快なスイングだったな。真田らしい。松永にはマジで容赦が無い」
 岩城さんも笑って頷いた。それってどういう意味?
「松永と真田は博俊ちゃんが絡むと面白いよね。いつも視線に火花が散ってるもん。大抵真田の一方的勝ちだけど」
 相馬さんが声を立てて笑った。視線に火花ってなんなん。まつながーと真田さんが、クラスでどういう会話しとんのかチョットだけ不安になってきた。
「お前達も真田には勝てないだろ」
 まつながーの一言で3人共一瞬で黙って下を向いた。真田さんてやっぱり凄い人なんや。俺がアホな事をせんかったら、今でもええ友達で居られかもしれんのに。あーあ、俺はホンマに考え無しや。


42.

 ヒロが学部に帰って行った後、安東が俺を呼び止めた。
「松永、真田は酒井ちゃんの事が好きなのか」
 いきなり答えにくい事をストレートに聞くな。気付いたのなら黙っててくれ。と、言えたら楽だが、下手な噂が立つとヒロまた落ち込む。
「真田はヒロを気に入ってはいるみたいだぞ。好きかまではちょっとな。と言うか、今以上に真田に関わるのは怖いだろ。しかも恋愛絡みだぞ。俺は絶対にパスしたい」
 語尾を濁しただけで嘘は言ってない。俺が困った様な顔を見せると岩城達は同時に笑った。
「たしかに本気で切れた真田は怖い」
 普段の真田を知ってる俺達じゃこんなもんだろう。どれだけ美人でも怖いんだから仕方ない。真田を格好良いと言えるヒロはやっぱり度量が大きいんだろう。

 今日は俺が出張の日だ。昼飯を交互にしようと言い出したのは俺だが、うっかり忘れそうで怖い。そんな事を考えていたら、正面に座っている最上から露骨に睨まれた。
「なんか数えるのがめんどーって顔だな。今までずっとこっちで食ってたんだから、これからもそうすりゃ良いじゃん。松永の性格は大体解った。酒井とセットでなくても、俺はお前と一緒に飯を食っても良いよ」
 何気にこいつも鋭い。伊達に休み前までヒロと俺を見続けたんじゃ無いって事か。新しい交流が増えるのは俺も大歓迎だが、ずっと俺に遠慮していたヒロにも広い交流関係を増やして貰いたい。そういう意味では、ヒロに好意的で理解も有る安東達は良い相手なんだ。
 そう最上に言って納得するだろうか。正直なのは良い事だが、寂しがりだし独占欲も強そうだ。まるで誰かみたいだ。……って俺か。
 こういう所も含めてヒロは俺と最上が似ていると言ってたんだな。同族嫌悪にならなきゃ良いけど。
 俺と最上が視線で牽制しあってたら、突然石川が箸を止めて苦笑した。
「酒井、なんて顔してんの。気持は解るけど過保護もいい加減にしなよ。酒井がどう気を回したって、松永が自分の意志で行動した事は、自分で責任とるしか無いんだからさ。あんまりやり過ぎると依存症になっちゃうよ」
「俺がやろ」
「そうだよ。やっぱり自覚は有るんだ」
 はあ? 何の事だ? 隣を見たらヒロも箸を止めていて、真剣な顔で真っ直ぐに石川の顔を見ていた。俺がヒロに依存してると言われるならまだ解る。甘えっぱなしの自覚は有るんだ。だけど、ヒロと石川はヒロが依存症になると言った。今のヒロは全然俺に甘えてくれないんだぞ。
 俺がどういう意味か聞こうとしたら、最上に腕を掴まれて止められた。俺が視線を戻すと、最上はゆっくりと首を横に振る。
「俺もたまに意味解んなくなるんだけど、こないだから石川は酒井に謎かけみたいによく絡んでるんだ。言われた酒井は全部解ってるみたいだからいーけど。なんか、俺らは口を挟まない方が良い気がする」
「分かった」
 石川の親友でずっとヒロを見てきた最上がそう言うなら、俺は口出ししない方が良いんだろう。だけど凄く気になる。ここ最近、俺が引っかかってる事のヒントが目の前に有る気がする。
 俺達の視線に気付いた石川が笑って箸を手に取った。
「ごめん。ご飯は美味しく食べたいよね。続きはまた後で」
「うん。そうやな。まつながー、最上、堪忍してな」
 ヒロも俺達の方を向いて少しだけ笑うと食事を再開した。会話は有るのに俺とヒロの間に見えないガラスでも有るみたいだ。俺が知らない所でこの2人は何を話してるんだろう?

 食べ終わって食堂から出ると、石川がヒロに何かを耳打ちした。ヒロも黙って頷き返す。さっきから何なんだよ。俺をたしなめた最上も、石川とヒロの態度に段々機嫌が悪くなったらしくて舌打ちをした。
 俺と最上が無言の抗議をしていると、石川はヒロの肩に手を置いて、……おい。その手を今すぐ離せ。俺が人前でやったらヒロに殴られるのにお前がするな。
「俺達、これからデートだから別行動するよ。最上、松永、邪魔はするなよ。ついてくるなよ。近付くなよ。少なくとも俺達の視界に入る所からは離れてなよ」
 石川のトンデモ発言に、俺が言い返すより早く最上が反応した。
「何だよそりゃ!? 石川、タチのわりい冗談は止めろよ」
「デートって何だ?」
 あ、最上に先を越されて突っ込み所を間違えてしまった。石川とヒロが呆れ顔で俺を見る。ヒロは少しだけ困った顔になって、鼻の頭を数回掻くと笑った。
「今のはただの冗談やから気にせんといて。ちょっと石川と2人きりで話したい事が有るん。まつながーと最上には悪いけど、お願いやから今日だけは遠慮して欲しい。それと、また嫌な思いさせてしもうたな。堪忍してや」
「酒井、またそうやってすぐに謝る」
 石川に叱咤されてヒロが苦笑する。
「俺がまつながーと最上の立場やったら、やっぱりなんの説明も無しにはぶられるんは嫌や。過度に気を遣うんと、親しい仲でも礼儀を守るんとはちゃうやろ」
 ヒロに言い返された石川は、少しだけ肩をすくめながら「まあね」と返した。そして、すぐに石川はヒロの手を引いて、俺達の方に背を向けながら繰り返し言った。
「お前達は絶対に来るなよ」
 石川に強く手を引っ張られながら、ヒロは何度も俺達を振り返りながら頭を下げている。
 何なんだあれは。腹が立つて言うより、凄くむかつくぞ。俺の横に居た最上は、怒りの矛先を失ったからか、苛立ち紛れに足元の石を蹴った。


43.

 2人きりでちゃんと話しをしたい。そう思うてたのは俺もや。石川は時々わざと突っかかる言い方をして、俺にサインを送り続けてくれとる。
 俺は人が言う程人間が出来とらん。思い当たる節が多過ぎて、俺にはそれがどれの事なんか全部は判らん。ほやったら直接聞くしかない。
 長時間誰にも邪魔されずに話せる場所は、人の多い学内にはそうそう無い。結局、石川と俺はいつもの不便な自販機コーナーに落ち着いた。
 ペットボトルのお茶を一口飲んで、石川は隣に座った俺の方を向いた。
「酒井は空気が読めるし勘も良いから、いくつかヒントを出せば、自分ですぐに気付くと思ってたんだけど全然だね。やっぱり、直接言わないと駄目か」
「期待を裏切ってしもて堪忍な。けど、石川の言い方にも問題有るて思う。謎掛けみたいな言い方ばかりされたら俺かてどれの事やて思うで。まあ、最上には解らん様にて気を遣うてくれとるんやろうけど、俺はそない立派な人間とちゃう」
 俺がずっと感じとった事を言うと、石川は嫌み全開の顔でにやりと笑う。
「特別酒井には気を遣って無いよ。酒井信者の最上にだ」
 俺に気を遣われとらんのは大歓迎やけど、ホモ以上に嫌いな表現されてしもた。
「信者って嫌な言葉やなぁ」
「本当の事だから仕方が無いだろ。俺から見たら最上も松永も、充分酒井の熱烈な信者だよ」
「俺はまつながーや最上を尊敬しとる。ほやから逆ならまだ解る。それに、俺は神さんでも仏さんともちゃう。信仰対象なんて論外や」
 特に「天子」て呼ばれるんは、もう我慢の限界やとは言えん。石川はまつながーの勘違いを知らんのやから。
「まだそんな事を本気で思ってるんだ。俺は言ったはずだよ。酒井は充分目立つ部類だって」
「俺が目立つんは童顔でチビやから?」
 1番有りそうなネタを出してみたら、石川は小さく首を横に振った。
「酒井の外見の可愛さは俺も認めるけどね。あ、可愛いと言われたからって怒るなよ。話が途切れるから。そんな解りやすい物より俺が感じるのは、酒井が持つ独特で強い存在感だよ」
「へ? 存在感てなん?」
 理解出来ずに俺が首をひねると、石川は小さな溜息を吐いた。
「あのコピー本を読んだ最上が酒井に突っかかった時、酒井は約束通り一切手を出さなかったね。最上は運動能力高そうに見えないし、実際に普通なんだけど、小柄な酒井はもっと強そうに見えない。でも、相当自信が有ったから、あんな一方的な喧嘩をしたんだろ。見掛けによらず酒井は喧嘩慣れをしてるよね。度胸もかなり有る方だ」
「否定はせん」
 最上を見た時、特別鍛錬された身体や無いてすぐに解った。力じゃ負けるかもしれんけど、スピードだけなら勝てる自信は有った。
「正式やないけど護身術を子供の頃から習っとる。非常時に身を護るの為やから、むやみに人を傷付けるんは厳しく禁じられとる。ほやから、俺は避けて逃げる事しか出来ん」
「それは肉体面だけだろ。精神面のダメージは考慮に入れなかった? あんな事をされたら誰でも酷く傷付くと思わなかったの?」
「それも故意でやった。外見で何度も下らん喧嘩を売られるんは嫌やから、最上が2度と俺に近付こうて思わん様に徹底的にやってしもた。あの時の俺は頭に血が上っとって、最上の本意に気付けんかった。今は反省しとる。誤解が解けてホンマに良かったて思うとる」
 石川はしばらく黙ってお茶を飲むと、ゆっくり顔を上げた。
「俺はあの時の酒井を見て、なんて性格が悪くて怖い奴なんだろうと思った」
「最上に怖がられるのを狙ってやったから、石川にそう思われるんはしゃーない」
 俺の本性に気付いとる石川には全部正直に話したい。無駄に格好も付けとう無い。こんなん甘えでしか無いけど、石川なら解ってくれる気がする。
「やっぱり酒井は性格が悪いよ。だけど、それくらい欠点が有る方が俺は好きだね。普段の仏様みたいな酒井は見ていて嫌になるから」
「俺ってそないにクラスで猫を被っとる?」
「うん。超巨大なのを。着ぐるみが可愛く見えるレベルかな」
「そうなんや」
 俺はたしかに大学内では極力負の感情を出さん様にしとる。石川の指摘通り、俺はお世辞にも良い性格とは言えん。別の意味の良い性格と根性やから尚更や。
 感情のままに突っ走ったら、俺は俺が何をしでかすんか想像出来ん。ほやから、出来るだけ怒らん様に、普段はセーブしとる。
 ほやけど、石川みたいに人を冷静に見れるタイプには、俺の演技は通用せんのや。そら、透けて見える根性悪を隠して、にこにこ笑っとったら、見てて嫌になるよなぁ。
「でもさ。最上はあの酒井に惚れ込んだんだよね。凄く男らしくて格好良いって。酒井が好きだってその日から言ってたよ」
「へ?」
 予想外の事を言われて、俺が間抜けな声を出すと石川は声を立てて笑うた。
「最上は良い意味で単純だからさ。メンタルカウンターを喰らった時に、酒井の本音に気付いたんだって。それから最上がどうしたかはもう知ってるよね。一応、良かったねと言っておくよ」
「一応なんや」
 石川が使う言葉は普通の表現ばかりやけど、俺の心にグサグサ突き刺さってくる。それは、俺が後ろめたい事ばかりしてきとるからや。
 俺がずっと聞き役に回っとるからか、石川は面白くなさそうな顔になって、俺から視線を逸らした。
「ああいう形で最上と酒井が和解したのは、俺はあまり良い事だと思って無いよ。だから、一応としか言えない。俺は酒井にもっと本音を言って欲しかった。本当は酒井も最上に言いたい事の1つや2つは有っただろ」
「嘘はなんも言うとらんし、格好もつけとらん。どう考えても思い込みで最上を誤解して、精神的に叩きのめした俺の方が悪いやろ。しかも3ヶ月間も最上に辛い思いをさせてしもた。俺は最上に謝る以外の事は出来ん」
 正直に思ったままを俺が言うと、石川は少しだけ苛立った顔になった。
「酒井ってさ。何でそんなに自分を卑下するのかな。最上や松永の態度を見ていたら、自分がどれだけ人に影響力を持ってるか解るだろ。俺はずっとそこがずっと引っかかってるんだよね」
「堪忍。俺はとてもそうは考えられん。最上もまつながーも石川も、俺に人として大切な事を教えてくれとる。俺の方がみんなの影響を受けとる思う」
「何でそう思うの?」
「何でって……それが俺の本音やで」
「俺から見た酒井は、松永や最上を自分の意志で、充分振り回してると思うけどね」
 最上はともかく、まつながーには振り回されっぱなして気がするんやけどなぁ。ほやけど、石川から見たら逆に見えるんや。
 冷静な石川がここまで言うんやから、俺は自覚無しの傍迷惑男なんかもしれん。ホンマに嫌になってくる。
「またそういう顔をする。酒井は人の気持ちを凄く大切にするだろ。誰でも好意を持っている相手から大切にされたら嬉しいよね。最上や松永が酒井に傾倒するのもよく解る」
「そない大層な事や無いやろ。俺は普通の事をしとるだけや。それに人を大事にするんはまつながー達の方やろ。俺なんかいつも行き当たりばったりで、なんもちゃんと出来とらん」
「何も? 本当に酒井は何1つ出来てない?」
「なんもや」
 俯いたまま俺が言うと、石川は乱暴にベンチにペットボトルを置いた。
「本気でそう思ってるのなら、俺は酒井は凄く傲慢だと思う」

 え?


<<もどる||酒井くんと松永くんTOP||つづき>>