まつながーと最上と石川の3人は、俺も拍子抜けするくらい、すぐに馴染んで仲良うなってくれた。
 ちょっとだけ最上とまつながーは喧嘩になるかもて心配したけど、どっちもある意味ガキちゅーか、お前が喧嘩を売らないなら俺もしないって雰囲気やった。やっぱり、似た者同士っぽい。
 石川の告白にもびっくりしたけど、いくら友達やからって、俺と仲直りしたい最上にずっと付き合う理由は石川には無いんよな。
 石川は石川の理由が有って、俺の背後霊もどきをしとったんや。気色悪い本についても、理由を聞いてしもたらとても石川を怒れん。ちゅーか、石川を責めるんはどう考えてもお門違いや。せいぜいなして今まで隠してたんやてくらい?
 全部丸う収まったのに、理由は解らんけど疲れてしもた。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(10)

31.

 講義に集中したいのに、じっとしとると忘れたい事ばかり考えてしまう。
 もし、俺の身長がまつながーに負けんくらい高かったら。
 まつながー程やのうても、最上や石川くらいに平均並の体格やったら。
 中学生に間違われる程童顔やなかったら。
 滅多に無いけど、絶対に女に間違われん顔をしとったら。
 変声期後やのにこないに声が高う無かったら。
 俺がもっと男らしい外見なら、まつながーと仲良うしとっても、俺らの人格を完全無視したあない気色の悪い話を書かれずに済んだはずや。
 噂やと俺みたいにチビやのうても、顔が良過ぎて変な妄想をされる気の毒な人らは居るらしいけど。……アカン、想像出来ん。ちゅーか、しとうない。

 俺は俺を否定しとうない。俺の身体は親父とオカンの遺伝で出来とる。親子やから当然や。運動神経は親父に似て、顔や体格はオカンに似た。なんも悪い事とちゃう。
 空手と柔道の段を持っとる親父からは、誘拐とかに遭わんようにて、ガキの頃から身体が小そうても身を守る術を教えて貰えた。結構厳しい特訓やったんよな。その分オカンは「ご飯はしっかり食べなさい」以外はのんびりしとった。これは元々の性格やろうけど。
 オカンの家系の男は成長期が平均より遅いて何度も聞いた。たまに会うおじちゃんらはみんな平均的な体格をしとる。身体が資本な親父もそれなりの身長と体格やから、俺もこれから数年の内に後数センチは背が高うなって、身体に厚みも出てくるやろう。
 歳が歳だけにこのまま大きくならん可能性も有るけど、今かて少しだけ女子の平均より身長は有るから、服を買う時以外にそうそう日常生活で困る事は無い。
 オカン似の顔かてもうちょい歳を取れば、放っておいても段々男臭い顔になるやろう。
 ほやけど、そうなるまで後何年間掛かるかて思うと、ちょっとだけ気が重うなる。

 バイトが終ると一旦アパートに帰って、昨夜ビールを零した布団をコインランドリーに持って行った。両手に乾いた布団を抱えて戻ったら、まつながーが晩ご飯を作ってくれとった。
「ただいまー」
「お帰り。洗濯より乾燥に時間が掛かって待ち疲れただろ。手を洗って休んでろよ。下ごしらえは終わってるから後は仕上げだけだ。10分後には食べられる」
「うん。おおきに。まつながー、バイトが忙しいのに今日は早う帰れたんやな。今日はもっと遅いて思うとった」
「運良く今日から新人バイトが2人入ったんだ。1人は俺並にでかい奴だから倉庫行き決定だな。これで本屋部門から度々ヘルプコールが掛からずに済む。力仕事に挫折せずに長続きしてくれたら良いんだが。慣れないと腰にくるし筋肉痛にもなるんだよ」
「そうなんや。けど、良かったなぁ。あのままやとまつながーが過労になるんやないかて気になっとたから」
 俺が思ってた事をまんま言うてみたら、まつながーは笑って「サンキュ」と言ってくれた。
 流しを空けてくれたんで、俺は乾いた布団を部屋の隅に置いて、手を洗って口をゆすいだ。
 コンロには大きめの蓋付きフライパンが置いてあってええ臭いがする。そういや、昨夜は焼き肉と焼きそばの予定やったんよな。
「まつながー、メニューはなんにしたん?」
「昨夜使う予定だった野菜と牛肉のピリ辛蒸し。こっちはさっき出来た。後は焼きそばを軽く炒めて、さきに作った野菜と肉を上に乗せる。食べる時に好みに合わせて醤油を垂らす。てなとこだ」
「へー、美味しそうやなぁ」
 ホンマにまつながーは料理のレパートリー多い。それほど手間が掛かってる風やないし、食材が変わらんでも、味や食感、雰囲気がかなりちゃう。それでも納豆だけは、必ずどこかに隠れとるか堂々と出てくるのがまつながー流や。
 俺が手を拭いとると、まつながーと視線が合うた。
「なん?」
 見上げるとまつながーは少しだけ苦笑した。
「昨夜はエアコンを掛けてたのに暑かっただろ。それで、今夜は食欲の出そうなスタミナ系にしたんだ」
「まつながーって相当のアホやろ。暑いなら抱き枕状態を止めたらええやろが。俺はまつながーに絞められとった分、一晩中暑かったっちゅーねん」
 俺が露骨に嫌そうな声で文句を言うと、まつながーはフライパンから料理を皿に移しながら笑う。
「仕方無いだろ。あれで手を離したら絶対にヒロはベッドから落ちてた。やっぱり、ベッド慣れしてないヒロを押し入れ側にすれば良かった」
 へ? つまり、背中は壁で前にまつながーか、前が逃げ場の無い壁で背後にまつながーて事? まつながーは寝相が悪い上に、朝方寝ぼけると抱きつき癖まで有るから……。
 うぞぞぞぞっ。嫌過ぎや。伊勢の時よりタチ悪いで。絶対に想像しとう無い。
「まつながー、あまり気色悪い事言わんといて」
「何でだよ」
 焼きそばを器用にほぐしながらまつながーが口を尖らせる。ホンマに意味が解らんくて聞いとるんか。最上や石川の言い分やないけど、「自覚無しの変態もどき」て正にやな。
「自分の日頃の行いを考えてから言えや」
 まつながーは少しだけ視線を手元に戻して、箸でかき混ぜながら俺の方を向いた。
「意識が無い時にやった事に文句を言われても、コントロールなんて無理だろ。ヒロもいい加減に慣れろよ」
「寝ぼけたごつい男にしがみつかれるなんて、慣れるはず無いやろが。まつながーの寝癖の方を直せや」
 危ないから火を使うてる奴は叩けん。しゃーないんで流しを離れると、後ろからまつながーの馬鹿笑いが聞こえてきた。ここって笑うトコ?
 あれ? 昼頃から胸の辺りでモヤモヤしとったのが綺麗に消えとる。まつながー、もしかして冗談を言うて俺の事を慰めようとしてくれたんか。相変わらずキモイ上に不器用なやり方やなぁ。まつながーらしいけど。
 ここ最近はまつながーの成長を羨んどったけど、今は素直に感謝しとこ。ほやけど、口には出して礼は言わん。調子に乗ったまつながーから、今夜も一緒に寝ようてなんて言われたら嫌や。


32.

 俺はヒロみたいに人間が出来てないから、昼間の石川の告白にはかなり腹が立った。書いた本人じゃなくても、俺とヒロに多大な迷惑が掛かると解っていて、先輩達の暴走を止めなかった石川を殴ってやりたくなった。
 本の冒頭に俺達がモデルだと書いてなきゃ、どんな気持のわるい話だろうが、俺も関係無いで済ませられたんだ。わざわざページを割いて、あんな事を書く必要は無いだろ。
 でも、ヒロの無言の「お願い」を見たら、怒るに怒れなくなった。石川を殴れば俺の気持は多少収まるけど、ヒロはまた自分を責めるに決まってる。
 俺よりヒロの方がずっと嫌な思いをしてるはずだ。クラスや学部の男ほぼ全員にあんな本を配られて、沢山の好奇の目で見られ続けただろう。
 最上に喧嘩を売られても、ヒロは1人で受け流した。真田がアパートに本を持ってくるまで、俺には本の存在を知っている事すら話してくれなかった。
 あの当時の俺なら、少しでもヒロから話を振られようもんなら、確実にブチ切れて文芸サークルに乗り込んでいた。
 ヒロがトラブルになりそうな事をわざわざ言うはずが無い。本当にヒロはあの頃から俺の事をよく見てくれていたんだな。
「まつながー、用意するのって箸と麦茶だけでええ? 納豆も出すん?」
 ヒロがコップを片手に冷蔵庫に手を掛けて聞いてくる。いつの間にかテーブルの上も綺麗に片付けられていた。なんか俺達って本当の家族みたいだな。
 いやいや待て。このシチュエーションじゃ、俺がヒロの嫁って事になってしまう。それは嫌だ。じゃあ、ヒロが嫁バージョンはというと、……怖すぎて想像出来ない。
 冷蔵庫を開けながらヒロが突っ込みを入れてきた。
「俺が怖いてなんがやねん。ちゅーても、そんなキモイ想像したら、遠慮のうそのアホな頭に蹴りを入れたるけど。たしかにまつながーは良い嫁になれそうよな。ほやけど、俺から見たらまつながーは普通にオカンやで。あ、納豆のオクラあえが有る。これを出せばええの? 後は醤油だけでええ?」
「あ、……うん。頼む」
 またかよ。口に出した俺が悪いんだが、ご丁寧に独り言にまで返事するな。情けが有るならこういう愚痴は聞き流してくれよ。時々ヒロはわざとかと思うくらい俺に対してだけ意地悪になる。ヒロなりの甘えの一種だとしても少し虚しい。
 料理を盛りつけた皿を持ってテーブルに着いた。ヒロと一緒に手を合わせて「いただきます」と言ってから箸を持つ。
 ヒロと一緒に飯を食いだしてから、自然に「いただきます」と「ごちそうさま」が復活している。家ではやっていたのに、寮生活ではやらなくなっていた。
 料理を作ってくれた人に、毎日しっかり食べられる事に、自分の栄養になってくれる食材そのものにも感謝の気持ちを忘れない。
 忙しさでつい忘れていたが、ヒロが居ると自然とこういう当たり前の事を思い出せる。余程小さい頃からしっかり親に躾けられていたんだろう。
 だけど、よくよく考えなくても、余程身体の調子が悪くない限り、食べ物を粗末にしないのは当たり前の事なんだよな。
 家で料理が残ったらラップを掛けて、冷蔵庫にしまって後で食べれば良い。外食では食べられる量だけを注文する。食べられない上に日持ちがしない物は始めから買わない。
 流行のエコでも勿体無い精神でも無くて、ヒロにとってはごく自然の事なんだ。出会った頃は世間を知らなすぎて心配になったが、ヒロの芯はしっかりしている。

 いつからヒロはこういう性格になったんだろう。我慢強くて、困ってる奴には優しくて、いつも人の気持ちを察して周囲に笑顔を振りまいている。落ち込んでいれば黙って側に居てくれて、必要なら叱咤激励もしてくれる。19の男にしちゃ人間が出来すぎだろ。
 裕貴も人を和ませるのは上手いけど、笑いに逃げたり茶化したりして誤魔化す事も多い。
 あれ? 何か変じゃないか。凄く引っかかる。ヒロはいつから……。
 そうだ。初対面の頃のヒロと、今のヒロは全然印象が違うんだ。親元を離れて1人暮らしをする内に家事や世間慣れはしたけど、短期間で根本的な性格まで変わるとは思えない。
 ヒロはいつから俺に愚痴をこぼしたり、食い物以外で一切甘えなくなったんだ?
 俺はずっとヒロに甘え続けている。でも、普通は持ちつ持たれつじゃないのか。まさか、付き合いが長くなる内に、俺は頼りにならないとヒロに判断されたのか。
 俺達は親友なんだろ。ヒロもはっきりそう言ってくれただろ。だけど、実体はこれだ。一体どういう事なんだ?
「まつながー、どないしたん? 料理冷めてしまうで。凄く美味しいのに勿体ないやろ」
 は? あ……ああ。ヒロの声で現実に戻った。茶碗と箸を持たまま、ボーっとしてたら普通に変だよな。ヒロも不思議そうな顔で俺を見ている。不気味に思われなかっただけでもまだマシか。
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
 すぐに考えが纏まるとは思えない。せっかくヒロが美味しいと言ってくれたんだ。今は飯に集中しよう。

 布団は大型乾燥機でもふかふかレベルまでは乾かせなかったらしい。ヒロは布団を撫でながら、一緒に洗濯した布団カバーをかぶせるか、バスタオルで布団を挟むか悩んでいた。
 俺と視線が合うとヒロは露骨にしまったという顔になる。天子モードじゃない時のヒロの考えなんてバレバレだっての。
「今夜まで一緒に寝るんは嫌やからな」
 そう言うだろうと思った。俺は押し入れから予備のタオルケットを出してヒロに放った。
「バスタオルじゃ心許ないだろ。これを下にひいて上は自分ので挟めよ。その布団の乾き方なら、触り心地の問題だろうから」
「うん。ホンマおおきに」
 ヒロは嬉しそうにタオルケットを受け取ると布団を挟んで広げた。そんなに俺と一緒に寝るのが嫌なのか。
 我ながら慣れは怖いと思うが、俺はもう相手がヒロなら、2日くらい連続で一緒に寝ても気にならない。ヒロの方は断固拒否だから、余程俺の寝相に問題が有るんだろう。
「まつながー、シングルは2人で寝るには狭いちゅーのと、自分のごつい体格と性別を忘れとらん?」
 布団に横になったヒロから突っ込みが入った。またか。今度はどこから口に出てたんだ?
「俺はヒロに関しちゃもうそういうレベルじゃない」
「真冬やったら湯たんぽ代わりに温かくてええかもやけど、俺はホンマの兄弟でもあんまり嬉しう無いなぁ。事故った時が怖い。寝返りした瞬間、ファーストキスの相手が男やったなんて絶対に嫌や」
 言葉にはしなかった俺にとってヒロは家族みたいなモンだという部分を、ヒロは察した上で拒否してきた。というか、伊勢のあれが相当トラウマになっているんだな。寂しい気持は有るが、俺も相当嫌な汗をかいたからヒロの気持は解る。
 だけど、あそこまでしつこくファーストキスに拘るって事は、本当にヒロは女と浅い付き合いすらした事が無いんだな。
 面食い馬鹿姉はあの調子なのに、弟のヒロは真面目過ぎる。自分より可愛い男は嫌な女はともかく、ヒロの顔と性格なら真田の例も有るし、女の方から寄ってきそうなモンなのに。ヒロの無自覚恋愛中女恐怖症は一体幾つの時からなんだろう。
 ……。あれ? また何か引っかかったぞ。でも、今度はそれが何なのか全く判らない。どういう事だ?
 電灯を点けっぱなしにしていたからか、ヒロから声を掛けられた。
「まつながーもブツブツ言うとらんでそろそろ寝れや。おやすみ」
「うん。おやすみ」
 明日は土曜日で慌ただしかった1週間も漸く一休みだ。受験とじいさんの葬式以外でこんなに精神的に厳しいのは初めてで、俺も目が回りそうだった。
 俺達がまだ1年で良かった。実習や専門科目講習が増える2年以降は、土曜日も大学に行く事の方が多い。今なら考える時間はいくらでもある。焦る事は無い。

 ……なんて考えていた俺が甘かった。この週末は俺もヒロもバイトをかなりの時間入れていて、空いてる時間は食料品や日用品の買い出し、掃除に洗濯に追われていて、ヒロとじっくり話す時間が取れない。
 今更と言われても、俺はもっとヒロと話したい。何を考えて、何を悩んでいるのか知りたい。
 ところが、夜には2人とも疲れ切っていて、飯と風呂を済ませたら爆睡していた。普段ならもっと時間が取れるのに、こういうう時に限って出来ない。間が悪いなんてもんじゃない。
 唯一の救いは、疲れていてもヒロは相変わらず食欲旺盛で、ずっと笑っていてくれた事だ。
 誰でも泣きたい時は有る。だけど、ヒロが自分だけを酷く責めて、涙を流す姿なんてもう2度と見たくない。
 俺はヒロの本物の笑顔が見ていたい。本当に純粋で見ている方の心が洗われるくらい綺麗な顔なんだ。
 なあ、ヒロ。こんな事を考えている俺は我が儘か。


33.

「あ、ごめんヒロ。忙しくてうっかり聞き忘れていた」
「へ?」
 登校中にまつながーは、本人はお願いのつもりやろう上目遣いで俺を見た。キモイし全然似合っとらんからやめれ。20センチ以上身長差有るんやから、無理が有りすぎやちゅーねん。……と、ツッコムのは可哀想やからやめとこ。
「金曜に俺がヒロの友達と一緒に昼飯を食ったと知ったうちのクラスの連中が、どうしても自分達もヒロと一緒に飯を食いたいと言い出してうるさいんだ。でも、ヒロが乗り気じゃないなら断ってくれて良いぞ。せっかく誤解が解けて、最上や石川と仲直り出来たばかりなんだろ。うちの連中はノリと勢いで言ってるだけだから」
「そうなん?」
 5月以降、納豆好きのまつながーは、ほぼ毎日俺と一緒に情報学部に近い食堂で昼ご飯を食べとる。
 夏休みが明けてからはお互いに色々有って、まつながーは学部の方でも食べとるんよな。友達と一緒に食べとるなら、以前と違うて遠慮せずに納豆を食える様になれたんかも。
 まつながーはノリだけて言うけど、やっぱりクラスメイトの人らにしたら、昼休みにいつもまつながーが居らんくて寂しかったんやないかな。俺が工学部に顔を出す事で、他の人らに安心して貰えるならええ事やと思う。けど……。
「まつながー」
「何だ?」
 まつながーが普段の顔に戻って俺の顔を見る。やっぱ聞きづらいなぁ。ほやけど、ここで俺が迷うたら、またまつながーに変な勘違いをさせてまう。
「あのな、俺は工学部にお昼食べに行くんは全然かまわんの。一緒に食べたいて言うて貰えて嬉しいて思うんな。ほやけど、真田さんとはちょっと顔を合わせづらいん。……その、真田さんは俺の顔を見るのは嫌なんやないかなて……」
 俺がボソボソと言葉を濁すと、まつながーは「あっ」と言うて視線を逸らした。まさか俺を振ったからて、何も悪う無い真田さんを問い詰めたりしとらんやろうな。
「えーと、ヒロ。真田は」
 一旦言葉を切って、まつながーはゆっくり息を吐いた。
「多分、真田はヒロの顔を見たら凄く喜ぶと思う」
「なして!?」
 あ、思わず大声が出てしもた。俺が下を向くと、まつながーはポンポンと俺の頭を叩いてきた。上から叩くんはやめれて何度も言うとるのにこの癖も直らんなぁ。まつながーに悪気は無いて解っとるけど。
「ヒロは色恋沙汰の経験があまり無いから解らないだろうけど、告白されて振った方も結構気まずいし、相手がどうしてるか気になるもんなんだよ。知り合いなら尚更だ。落ち込んでるヒロより、元気なヒロの顔を見れば真田も安心出来るんだ。これは経験が無くてもちょっと想像したらすぐに解るだろ」
 そう言われたかて、長くても半年で彼氏が変わる面食いの姉貴をずっと見とったからなぁ。経験値がなさ過ぎて実感が無い。
 ほやけど、真田さんならあない酷い事をした俺の事も、嫌いて思うても気に掛けてくれとるのかも。まつながーが断言するんやから信じてええな。
「分かった。行って嫌な気分にさせんのやったらええで。俺もまつながーの友達に会うてみたい。今日でええの? まつながーが出入り禁止にしたから、俺はまつながーの友達を全然知らんのよな。どんな人らか楽しみや」
 真田さんが安心してくれるなら、俺は俺の出来る事は何でもしたい。俺が顔を上げると、まつながーは「あいつらと友達?」とブツブツ独り言を言うとった。ちょい待てや。嫌な予感がしてきたで。ホンマはどういう関係なんやろう。

 最上と石川には朝の講義前に事情を話しておいた。最上はちょっと不満そうやったけど、石川は笑って「楽しそうだね。行ってきなよ」と言うてくれた。
 少し前に目立つ事をしてしもうたから、教室に入るんはちょっと気が引けたんで、校舎の入口前でまつながーと待ち合わせする事にした。
 俺が玄関口に着くと、すでにまつながーと友達さんらは来とって、俺に手を振ってくれた。
「わーい。生(なま)博俊ちゃんだーっ!」
「へ? うぎゃーっ!?」
 一気に全身に鳥肌が立つ。いきなり知らん男の人に後ろから抱き付かれた。
「相馬。何をやってるんだ!」
 まつながーが走ってきて、相馬って人を俺から引きはがしてくれた。あー、気色悪かった。なんなん?
「ヒロ、ごめん。油断してた。岩城、相馬の首根っこを捕まえといてくれ」
「おう」
 額に青筋を立てとるまつながーが、羽交い締めのまま相馬さんを岩城さんて人に引き渡した。岩城さんも怒った顔で相馬さんの頭をゲンコツで叩く。ゲシッって音と同時に小さな悲鳴が聞こえてきた。今のは痛そうや。
「相馬、酒井様に何無礼を働いてるんだ。お詫びしろ」
 はあ? 酒井『様』ってなん?
 俺が聞き慣れない呼び名に呆然としとると、笑顔がええ感じの人が俺に謝ってくれた。
「ごめんね、酒井ちゃん。相馬の馬鹿は後でしっかり絞めておくから。あ、初めまして。俺は安東だ」
 今度は酒井『ちゃん』やて。まつながーの友達ってホンマに……。おとと、俺も挨拶せな。
「初めまして、安東さん。酒井博俊や」
 俺が頭を下げると、安東さんは「酒井ちゃんは可愛いね」と笑うて言うた。
 ホンマにやめてやぁ。背中が痒くなるちゅーか、微妙な気分になる。まつながーの友達ってみんな裕貴さん系の類友? まつながーが俺に工学部には来るなて言うてた理由て、もしかせんでもこれが原因なんか。
 変な先入観で初めて会う人らに、嫌な印象を持ちとうないし持たれたくもない。誘ってくれたまつながーにも悪いよなぁ。笑顔が引きつっとらなええんやけど。
「ああ、もう面倒くさい。ヒロ、向かって右から安東、岩城、相馬。全員納豆嫌いじゃないが、俺の食い方にはケチを付けたがる連中だ」
 まつながーが俺の横に立って、クラスメイトを順番に紹介してくれた。名前を言われる度に俺も軽く頭を下げて挨拶を返す。
 えーと、中肉中背でにこにこ笑顔は安東さん、筋肉質で体格がええのが岩城さん、細身で猫っ毛でいきなり俺に抱き付いて来た人が相馬さんと。よし、覚えたで。
「こいつらには敬語やさん付けは要らないぞ。同い年だし、ヒロが優しくすると調子に乗るから」
 まつながーが嫌そうに言うんで、俺も嫌そうな声で返す。いきなりぶしつけな態度をとれるはずが無いやろ。
「敬語を使うなって、初対面なんやから普通やろ。それに俺は優しゅうしとるつもりも無いで」
 まつながーがぐっと押し黙ると、なしてか安東さんらはほーっと息を吐いた。
「これが酒井様の威力か」
 と岩城さん。「様」は要らんからやめてぇ。
「博俊ちゃんてやっぱすげー。松永を1発で黙らせた」
 と相馬さん。「ちゃん」もマジで要らんから。普段どおりのボケツッコミで偉くも無いから。
「礼儀正しいな。酒井ちゃんはやっぱり良いね」
 と安東さん。ほやから、「ちゃん」は……。アカン。安東さんて変なトコで裕貴さんとキャラが被っとる。段々虚しゅうなってきた。無駄かもしれんけど一応言うてみよ。
「あのな。俺の事は普通に呼び捨てでええで」
「呼び捨てなんて、そんな勿体ない事は出来ない!」
 3名様から全力で否定されてしもた。俺って工学部ではどういう目で見られとるんやろう。ちゃん、様付けされるなら俺も「さん」付けでええよな。
 まつながーをちらりと見たら、眉間に皺を思いっきり寄せとる。今は下手に突かん方がええな。声を掛けるのはやめとこ。
 すぐに俺の視線に気付いたまつながーは、苦笑しながら「そろそろ飯を食いに行こう」て言うてくれた。その言葉を合図に他の人らも雑談しながら食堂に歩き出す。
 へぇ。なんやぁ。まつながーは昼休みに居らんくても、ちゃんとクラスメイトさんらと上手くやれとる。サバサバしとってええ感じや。こういう付き合い方も有るんやな。たまには学部に帰れて言わんくて良かったぁ。

「いただきます」
 まつながーと俺が一緒に手を合わせて言うたら、先に箸を付けてた岩城さんらは珍しいモンを見る様な顔をした。やっぱり今時外でやるのは普通とちゃうんか。ファミレスかてあまり見んもんな。ちょっと失敗したかなぁ。
 俺の習慣をよう知っとるまつながーが、視線で3人を牽制する。
「日本人なら普通だろ」
「うん。良い習慣を続けてるね。今更だけどいただきます」
 安東さんが箸を置いて手を合わせると、岩城さんも相馬さんも同時にやってくれた。
「なあ、酒井様、ちょと聞いて良いか?」
 お茶を飲みながら岩城さんが俺を見た。ちゃんはまだ我慢出来るけど、様は仰々しくてどうにも慣れそうもないなぁ。
「なん?」
「松永って飯を食う時はいつもこんなに大人しいのか?」
「へ?」
 隣を見るとまつながーは嫌な話は無視オーラを漂わせながら、無言でご飯を口に入れとる。いつもは一緒にご飯を食べんから、岩城さんはまつながーがどうしとるのか気になるんやろう。好意に嘘で返しとうない。
「まつながーは口に物が入ってない時なら結構しゃべるで。唾やご飯が飛び散るのは嫌やて、食べながらはしゃべらんけど」
「いつもはどういう話すんの?」
 今度は相馬さん。やっぱ、そっちに話が行くんか。これは許可無しは無理や。
「まつながー?」
「ヒロ(の判断)に委せる」
 俺が横目で聞くと、まつながーはすぐに答えてくれた。ホンマに俺の事を信頼してくれとるんやなぁ。安東さんや岩城さんも興味深げな顔で俺を見る。
「俺らは隣に住んどるから、食料や日用消耗品は安いのを大量に共同で買うとるん。光熱費倹約に一緒に晩ご飯を食べる事も多いんな。ほやから、まずはメニューの話やろ。冷蔵庫の中身や、身の回りの買い足し品を確認して。ほんで、バイトが終わるんが早い方が買いに行ったり、週末まとめ買いの予定を確認したりとか。大抵そういう事を話しとる」
 安東さんらはしばらく黙って、同時に笑い出した。
「すげー生活臭い会話」
 やっぱ変なんかなぁ。下ネタ系はまつながーも前よりせんくなっとるし、俺が寝てばかりでついてけんから、えっちDVD系の話も夏休み前辺りからぷっつりや。
 俺が返事に困っとるとまつながーがフォローを入れてくれた。
「飯は1日3度食うんだから1番大事だし冷蔵庫の補給は必須だろ。それに今の内に少しでも蓄えようと思ったら無駄遣いは出来ないっての」
 岩城さんらもそれは解ってくれたみたいで頷きながら苦笑した。
「情報も俺達工学も3年からは全員地獄だよな」
「就職活動を始めるのが4年からなら良いのに。実習やレポートが厳しくなる年と、秋以降でも企業リサーチが始まる年が一緒は辛いよ」
 と相馬さんが愚痴る。ホンマにやで。学部単位で一般教育から完全分離しとるのは、1年から専門系もしっかり入ってくるからなんよな。院に行くなら4年間はしっかり勉強だけに集中出来るんかもしれんけど、俺はそこまで親に甘えられんし、まつながーも今のところ院に行く気は無いっぽい。
「酒井ちゃんはどういう方面を目指してる?」
 安東さんが興味深げな顔で聞いてくる。ちらりとまつながーの顔を見たら、にやりと笑い返してくれた。
「堪忍。内緒や」
「そういう言い方されたら逆にすげー気になる」
 俺が笑って返すと、相馬さんらから同時にツッコまれた。


34.

 予想通りというか。ヒロは個性の強い安東達にもあっさり馴染んで、楽しく話をしながら飯を食った。別れ際にヒロは岩城達を真っ直ぐ見ると、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。
「また一緒に俺もこっちでご飯を食べさせて貰うてもええ?」
 ヒロにしては珍しい甘えを含んだ提案に、安東達は「毎日でも」と嬉しそうに返す。
「毎日は無理やなぁ。今日は誘ってくれてホンマにおおきに。ほなまたー」
 ヒロは少しだけ頭を下げると、笑って自分の学部棟の方に走って行った。まさかヒロの方から言い出すとは思わなかった。でも、ずっと楽しそうだったし、相馬のノリも上手くかわしてたから、ヒロならこいつらとも上手くやってけるだろう。

「さすがは酒井様。最後まで隙が無かったな」
 隙って何だ? 岩城の呟きに安東も笑って返す。
「マニュアルみたいだったな。初対面で囲まれても全く臆して無い。接客バイト慣れか、余程メンタルが強いか、日頃から鍛えられてるんだろ。俺達が聞かなくても、会話に混ぜながらずっと松永と上手くやれてたと教えてくれたし」
「でも、完璧にやりきれてないっていうか、突っ込まれると一瞬迷って固まるのが面白かった。ちょっと天然っぽい所も好感度大だ」
 岩城が笑うと相馬はすぐに相づちを返した。
「そうそう。何か聞かれる度に一瞬考えて、話しても大丈夫か必ず松永の顔を見てから俺達に返事すんの。けなげ通り越して、もう頑張らなくても良いんだよって守ってあげたくなるタイプだねー」
 はあ? 何の事を言ってるんだ?
 俺が黙っていると岩城が振り返って俺の頬を軽く小突いた。
「松永、お前どれだけ自分が酒井様に大事にされてるか解ってるか?」
「松永は博俊ちゃんに愛されてるよねー」
 と相馬。おいおい。そういう表現は止めろ。
 安東は小さく息を吐くと、俺にデコピンをしてきた。
「最後にまた一緒に食べさせてとお願い口調だからな。前々から松永が落ち着いたら、違和感無い形で俺達、というか学部に返さなきゃと思ってたんだろ。しかも自分が頭を下げる事で俺達や松永が気まずい思いをしない様に。あそこまで自然に人に気を使える酒井ちゃんは凄いと思う」
「あっ」
 俺が声を上げると、3人共同時に渋面になって俺を小突いた。
「今まで全然気付いて無かったのか。この馬鹿が!」

 どこから話を聞いていたのか、後ろに真田が立っていて大きな溜息を吐いた。
「親友から自分がどれだけ大事にされてるか、気を遣われてるか全然気付いてないなんてね。呆れて物が言えなくなるよ。その内酒井君の1番ポジションを誰かに取られるかもね。例えば宣戦布告してきた最上辺りに」
 姿が見えないと思ったらこっそり背後に潜んでいたな。真田の言葉はピンポイントに俺の欠点を突いてくるからマジで痛てぇ。たしかに最上ならヒロに自己アピールしまくりそうだ。
「博俊ちゃんなら俺が欲しいー」
 度が過ぎた冗談に俺と真田は同時に相馬の後頭部を叩いた。
「寒い冗談は置いといてだ。酒井ちゃんみたいな自主的癒し系タイプは、自覚が無くても凄く疲れてるんじゃないかと俺も心配になる。特に松永みたいな馬鹿を毎日フォローし続けてるんだから。相馬じゃないけど守ってやりたくなる」
 神妙な顔つきで安東が呟くと、岩城も頷いて言った。
「酒井様は我慢強過ぎだな。一緒に居ると安心して気分が良くなるから、うっかり松永みたいに甘えちゃいそうで俺は怖い。俺達の事をもっと知って貰えたら少しは楽になるか? あんな事をずっと続けてたら、その内酒井様は心の病気になるぞ」
「ヒロが何だって!?」
 俺が声を荒げると岩城が落ち着けと俺の肩を叩いた。
「要は酒井様と1番仲が良い松永がもっとしっかりすれば、酒井様も安心して力を抜けるって事だ。それくらいはお前も解るだろ」
 岩城の言葉に安東も相馬も真田まで頷いた。
「……分かった」
 やっぱり、誰からも俺が一方的にヒロに甘えているだけじゃなくて、ヒロは俺の為に色々と気を遣って、自分を抑えている様に見えるのか。俺も最近そう感じるだけに厳しいな。
 ヒロ、何で俺の為にそこまでしてくれるんだよ。何で全部自分1人で抱えて俺に何も言ってくれないんだ。俺はそんなに信用出来ないのか?

35.

 教室に戻ると、最上が俺にしがみ付いてきた。
「明日はこっちな。絶対こっち!」
 最上は犬系やからこう言うんやないかと思うた。
「うん。明日はこっちよなぁ。3ヶ月分を取り返したいから、最上らとも一杯話したいコト有るし」
 俺が答えると最上は嬉しそうに笑って、石川は苦笑して俺だけに聞こえる小声で言うた。
「昼休みまで完全お守りお疲れ様。午後は講義に集中して酒井も疲れを取りなよ」
 どういう意味やねん? 俺が見返すと石川は少しだけ肩をすくめた。
「何だ。本当に全く自覚無しにやってたのか。それじゃストレスも溜まって当然だね」
「なんのコト?」
 俺が聞くと石川は複雑な笑顔を見せた。
「続きはまた今度」
 なんなん? 俺がなんをしとるっちゅーねん。


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