この震えは怒りからなんやろうか。
 それとも感情が暴走して、自分で自分を制御出来んくなるんが怖いからなんやろうか。
 心も身体も、どこもかしこもが自分の思うようにならん。
 俺はどないしたんやろう?

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(7)

18.

 最上と石川に支えて貰いながら食堂の外に出た。自分の体重を感じられんくて、足先だけで歩いとる感じや。
 真夏の熱風みたいな空気や強い日差しを受けても、俺の身体はまだ震え続けとる。なんも聞かずに俺を抱えてくれとる最上と石川の体温が暖かい。
 ちゃんと礼を言いたいのに声も出せん。みっともないちゅーか、情けのうて涙も出ん。ほやけど、今ここで俺が訳の判らんモンに負けて座り込んでしもたら、もっと最上と石川を心配させてまう。それだけは嫌や。
 静かに深呼吸を続ける内に、だんだん自分の身体の重みを感じられる様になってきた。ゆっくり息を吐いて顔を上げたら、石川が俺の顔を覗き込んどった。
「ごめん。酒井、無理な一気食いで気持ちが悪くなった?」
 最上も申し訳無さそうに俺を見つめてくる。
「俺らのせいで慣れない事させて悪ぃ。酒井っていつもはもっとゆっくり飯食うもんな。吐き気とかする? 歩けないくらいならそこらで座って休むか?」
 途端に恥ずかしゅうなって、俺は一気に顔に血が集中するのを感じた。石川も最上を俺の不調を知って、わざと嘘を言うてくれとるて解る。
 こない良い奴らを俺は3ヶ月も放置しとったんや。それやのに、2人共俺なんかに優しい声を掛けてくれる。
 俺は目を瞑って自分のほっぺたを2、3回叩くと2人を見返した。
「おおきに。ほとんど丸呑みやったんでちょっとだけ胃がびっくりしたっぽい。今度から時々は早う噛む練習してみる」
 俺が笑って言うと、最上と石川も笑ってくれた。
「酒井はやめとけ。胃にわりーから。それに早食いは太んだぞ」
「酒井は酒井のペースが有るんだから、気にしなくて良いと思うよ。まあ、寝坊した時に朝ご飯抜かすよりは早食いできた方が良いかもね。でも、いきなりやる事じゃないよ」
「そやなあ」
 嘘の笑いが段々本物になっていく。ホンマに最上も石川も格好ええなぁ。まつながーもやけど。俺も早う強くなって3人みたいになりたいなぁ。
 俺の肩を軽く叩いて、石川が最上に視線を向けた。
「最上」
「分かった」
 視線だけでしっかり会話しとるし。ホンマに2人は仲がええな。
「酒井、俺はちょっとサークルに顔出してくるよ。昨日の用が全部終わってなくてね。新入りは辛いよ」
「あ、そなんや。大変やな。無理はせんといてや。頑張ってなぁ」
 俺が返事をすると石川は笑ってくれて、すぐに最上の方を向いた。
「最上、もう馬鹿はやるなよ。今度やったら1発じゃすませないよ」
「馬鹿は余計だってーの。それに何度も同じ失敗すっかよ」
 手を振りながら背中を向ける石川に、最上は蹴りを入れる振りをする。
 なんとのう解る。俺と最上が2人だけで話しが出来る様にて、石川は気を利かしてくれたんや。それを最上も解っとる。ほんでちゃんと2人共自然に笑えるんや。メッチャ羨ましいで。
「邪魔が入んなくてゆっくり話せるとこにしてえな。酒井、昨日と同じ所で良い?」
 俺が頷くと、「じゃあ今日のジュースは俺の奢りだな」と、最上は笑って言うてくれた。
 最上はホンマに嘘がのうて真っ直ぐでええ奴や。ほやからこそ、俺は最上に素直なまつながーの事も解って欲しい。上手く話しが出来るとええな。


19.

 昨日一緒に食っただろうと安東達を蹴り飛ばし、甘いモン好きの服部も蹴り飛ばしたら、レーザービームの真田が残ってしまった。出来れば当分、真田と2人きりにはなりたくなかったんだが、真田の方が俺を離してくれなかった。今も飯を食いながら質問攻めが続いている。
「あれから酒井君はどうしてるの?」
「さっき会ったというか見ただろ」
 納豆カレーを食べながら俺が答えると、チキンピラフを食っていた真田は少しだけ不機嫌な顔になった。
「大学での話じゃないよ。アパートでどうかって聞いてるの」
「少なくとも昨夜は機嫌が良かったぞ。まだぎこちないけど笑顔も見せる様になった」
 ところが今朝はアレだったなんて、真田にはわざわざ言わなくても通じるだろう。
「そっか。ありがとう」
 真田は少しだけ安心した顔になる。こいつは本当にヒロが好きなんだな。
 俺は小さく首を振って小声で聞いた。
「全然ヒロを諦めてないんだな」
「酒井君に女として駄目だしされたんじゃないからね。今の目標は松永以上で、ちゃんと友達からやり直すつもり」
 にやりとしか言い様がない顔で真田は笑う。マジで女にしとくのは惜しい。友達で俺以上って宣戦布告のつもりかよ。一応牽制をしておくか。
「俺を超えるのはハードルが高いぞ」
「松永相手に料理と家事の腕で勝とうとは思わないよ。酒井君とあたしには松永とは違う付き合い方が有ると思うんだ」
「はいはい」
 こういう時の女には逆らわないのが吉だ。真田を女と……やめよう。段々虚しくなってきた。実は真田は男でしたなんてオチは冗談でも嫌だ。真田はこういう奴だが、あの奥手のヒロが、初めて告白したいと本気で思った女なんだから。

 俺がカレーの最後の一口を食い終わって水を飲んでいると真田の携帯が鳴った。「ごめん」と俺に断って真田は携帯を取る。
 強引な割りに変な所で律儀な奴だ。着信音がダー○ベーターのテーマだったのは、本人に似合いすぎるから聞かなかった事にする。沢山有る学部の中で、わざわざ工学部を選ぶ女にこの手の期待はしない。ロボットアニメ系じゃ無かっただけでもましな方だ。
「あ、うん。久しぶりになるかな。どうしたの? え。 ……うん」
 真田は小声で話しているが、人の電話を聞くのは嫌だし、長くなりそうなら席を外した方が良いか。
「松永なら今目の前に居るけど、捕獲しておけば良い?」
「は?」
 捕獲って何だ。捕獲ってのは。人を何だと思ってんだ。真田は席を立とうとした俺の腕を、逃がさないと言わんばかりにがっちり握りしめて、視線を窓際に向けた。
「うん。こっちから見えたよ。そのまま松永に伝えれば良いの? うん。分かった」
 携帯を閉じた真田はすぐに俺の方を向き直った。
「今すぐ松永と話をしたいって人が居るんだけど。食堂側の木の下に居るから会ってあげてくれない?」
「誰だ?」
 今朝の事が有るから、どうしても警戒気味になってしまう。真田が指さした方を見ると、たしかに木陰に人影が見えた。暗くて見づらいがあの感じからして男か。うちの学部じゃ無さそうだ。真田とどういう知り合いだろう。
「情報学部の知り合い。友達って程の付き合いは無いよ。前に工学系と言ってたから、多分、酒井君と同じクラスじゃないかな」
「ヒロと同じクラス?」
 情報学部は基礎理論から経済、工業系まで範囲が広くクラスも多い。工学系ならたしかにヒロと同じクラスの可能性が高い。俺が聞き返すと真田は小さく頭を振った。
「あたしには詳しく話せないと言われたよ。真面目な人だし、どうしても今すぐ松永と繋ぎを取って欲しいと言われたから、余程大事な話なんだと思う。けど、断るならそう電話し直すよ」
 今朝の最上がアレで、またヒロのクラスメイトが俺に用か。良い話とは思えないが、知人を俺に会わせても良いと真田が判断したなら、多分人間性はまともだろう。それに聞かないと後悔しそうな予感がする。
「丁度飯も終わったし会う。どうすれば良い?」
「細身で眼鏡を掛けてるからすぐ判ると思う。向こうは松永を知ってるから、顔を出せば向こうから声を掛けてくると思うよ。何も教えて貰えないのに伝言係をするのは好きじゃないけど、酒井君関係みたいな気がしたから断らなかったんだ」
 その言葉だけで充分だ。真田の勘はあてに出来る。俺はトレーを持って立ち上がると、目線だけでさっさと行けと言っている真田に「お先」と声を掛けて食堂を出た。

 真田が教えてくれた場所に行くと、そいつはすぐに判ったみたいで、俺の側に駆け寄ってきた。
「初めまして、だよね。俺は情報学部で酒井とクラスメイトの石川信高(のぶたか)。宜しく、松永健……君」
「初めまして。松永と呼び捨てで良い。俺も石川と呼ぶから」
「ありがとう。じゃあ松永で」
 真田の知人らしく随分礼儀正しい奴だ。身長は俺より少し低い程度だけど、特別運動をしていないのかかなり細い。色も全体的に白いし、細い眼鏡が更に繊細そうに見せる。情報工学っていうより、文学系にいそうなイメージだ。
「とりあえず、暑いしジュースでも買って日陰に移動しない? それと出来れば座れてあまり人が居ない所で話しをしたい。この近くで松永が知ってたら連れてって欲しいんだけど」
「ああ、うん」
 俺がこっちだと指さして歩き出すと、石川も横に並んで歩き始めた。最上とは対照的なタイプだな。
 待てよ。そういえばヒロは昼飯面子が「2人」増えても良いかと言って無かったか。という事はこいつはあのイノシシ最上の関係者なのか?
 まさかという思いで石川を振り返ると、察したみたいに石川は柔らな笑顔を見せた。
「酒井から話は聞いてるんだろ。新しい昼飯メンバーの事。俺もその1人だよ。最上もね」
 最上と聞いて俺がピクリと頬を引きつらせると、石川は少しだけ申し訳無さそうな顔になった。
「最上を抑えておけなくてごめん。俺が1番あいつの性格を知ってたはずなんだけどね。昨日の今日で朝っぱらから松永に喧嘩を売りに行くとは予想外だった。酒井が松永の所に行ってる間に1発殴っておいたから、それで許してやってくれない? 最上も頭が冷えたら日を改めて松永に謝ると思う」
 脳内前言撤回。柔和そうな顔をしてこいつも結構癖者らしい。どうもヒロの周囲には自然と癖の有る奴が集まるみたいだな。

 自販機で飲み物を買うと、この時間帯は日陰になる芝生の上に座った。
「えーと、何から聞けば良いんだか。今、ヒロはどうしてる?」
「今は最上と話してるはずだよ。最上の松永への誤解を解きたいと言ってた。あんなに焦って必死な酒井は初めて見たよ。本当に松永は酒井に好かれてるね。ちょっとだけ松永に焼き餅やく最上の気持ちが解った」
 今のは誉められたんだろうか。微妙に嫌みも混じってたと思うのは俺の気のせいか? 駄目だ。どうしてもヒロが絡むと俺も冷静でいられない。
 緑茶を飲みながら石川は俺の顔をじっと見てくる。
「噂じゃ切れやすいって聞いてたけど、松永は酒井に対しては凄く慎重みたいだね。これなら安心して話せそうだ」
「一体何の話だ? 出来れば手短に解りやすく話してくれ。短気の自覚は有るんだ」
 謎かけみたいな言い方に、俺が少しばかり嫌そうな声で言うと石川は苦笑した。
「俺が今の段階で松永に詳しく、丁寧に、解りやすく話すのはちょっと遠慮したい気分なんだ。でも、松永に切れられると元も子もないから出来るだけ話すよ。単刀直入に言うと、今夜の酒井には気をつけて欲しい」
「は?」
「今夜、酒井と話す約束してるんだろ。ついさっきの事だけど、あきらかに酒井の様子はおかしかった。これは最上のせいじゃないよ。もっと根深い問題だと思う」
「ヒロがどうしたって!?」
 出来るものなら今すぐこいつの襟首を締め上げて、全部吐かしてやりたい。ヒロがおかしいて何がだよ。どこがどうおかしかったんだ。ここ最近へこんでたのが漸く昨夜浮上し始めたのにまたなのか。一体ヒロに何が起こってるんだ。口を開いたら怒鳴り声と手まで出そうだ。
 石川は俺の顔をじっと見てゆっくり息を吐いた。
「松永、いきなり喧嘩腰じゃ怖くてとても話せないよ。酒井の為に落ち着いて聞いてよ」
 懇願に近い顔で言われて、俺は少しだけ頭を下げた。
「悪い。俺の忍耐が続くかぎりは黙って聞く」
 「それも怖い」と言いつつ石川は笑ってくれた。
「俺はね。本当なら酒井に紹介されてから松永と会うつもりだったんだ。優先順位というか、酒井に対して話す権利というか、まず酒井と最上が和解しないと話にならないと思ってたんだ。俺の登場はそれからで良いと思ってた」
 一体何の話をしているんだ? もっと解りやすく話せとこいつの口を強引に開いてやりたい。だけど、それじゃきっと駄目なんだ。ヒロの為なら俺は我慢が出来る。……多分。
「けど、最上に任せてたら全然先に進まなかったからね。たまたま、松永と最上が休んだ日にちょっとだけ酒井と繋ぎを作っておいたんだ。そして、昨日やっと最上は酒井と話が出来た。そしたら、酒井は俺達に松永も交えて一緒に飯を食おうと誘ってくれたんだ。俺は凄く嬉しかったよ」
 話が解る様で解らない。こいつは本当は何を言いたいんだろう。
「でも、最上はそれだけじゃ納得しきれなかったんだね。それで順番をぶっ飛ばしで松永に直接会いに行ったんだと思う」
 ああ、そっちに話が行くのか。回りくどいやつだな。
「俺の印象では、最上はかなり短気で……ついでに考え無しの奴みたいだが。自分の教室前で騒ぎを起こされた身にもなってくれ」
 俺が少しだけ愚痴をこぼすと、石川は「それはお気の毒」と全く心のこもってない棒読みで言った。同情するふりくらいしろよ。
「脱線しそうだから最上の話はここまでにしとくよ。詳しく知りたかったら酒井に聞いて。俺が話すのは酒井をないがしろにするみたいで嫌なんだ。本当なら俺はもっと後に松永と話す予定だったと言っただろ。さて、長く横道に逸れてごめん。ここから本題の続きだ」
「うん」
 やっとかよ。という言葉は飲み込んでおく。
「今日の昼休みに俺と最上がちょっとだけクラスの女達に絡まれてね。まあ、女でうちのクラスに入るなんて、余程の強気じゃなきゃやってけないんだろうけど、運悪く一緒に居た酒井も巻き添えを食ったんだよ。そしたら酒井の様子がおかしくなったんだ。怒ったと思ったら急に黙って動かなくなった。というか動けなくなってた」
「そりゃどういう意味だ?」
「解らない。多分酒井自身も理由は解ってないんじゃないかな。今夜、酒井がまたおかしくなったら出来るだけフォローしてあげて。いきなりあれを見た松永までオロオロしちゃったら困ると思ったんだ。だから予定を繰り上げて俺が直接松永に会いに来た。あ、何の予定だとかそういう質問は無しの方向で頼むよ。まだ話すには早いし、酒井の体調には関係無いから」
 何でこいつはこうも回りくどいんだ。普通に話せ。
「石川、頼む。もっと簡潔に言ってくれ。そろそろ俺の忍耐ゲージがレッドゾーンだ」
 俺が握り拳を作って見せると、石川は少しだけ俺から離れて座り直した。
「ごめん。俺も予想外の事態が続いて、まだ頭の中が上手く整理出来てないんだ。じゃあ簡単に言い直すよ。頼むから今夜酒井の様子がおかしくなっても、松永は冷静で居て欲しい。おっけ?」
「分かった」
「それと、俺が松永に会いに来た事は、絶対に酒井に内緒で。おっけ?」
「分かった」
 俺が頷くと石川は立ち上がってジーンズに着いた芝をはらった。
「用件はこれだけだよ。最後に1つだけ言わせて。俺はずっと松永が羨ましかった。だって、いつも学部では何も気にしていませんと、笑顔の演技をしてる酒井が、あれだけ正直に表情をコロコロ変えながら嬉しそうに話すのは松永だけだからね。酒井は松永を1番信頼してるんだと、誰が見ても解るくらいだよ。それを俺と最上はずっと見ていた。だから酒井の事、本当に頼むよ。それと、くれぐれも次に会った時が俺との初対面って事で宜しく」
「……分かった」
 石川は少しだけ意地悪そうに笑うと、俺に背を向けて歩き出した。これで用件は終わりらしい。
 ちくしょう。顔が上げられないじゃないか。
 誰が見ても解るくらい俺がヒロに信頼されてるって何だよ。嬉しいんだか、恥ずかしいんだか判らない。
 俺の鈍い頭でもはっきり解ったのは、ヒロの様子が変になっても俺に冷静で居てくれって事だけだ。
 あれ? 他にも何か大事な事を言われたのに忘れていないか。
 石川は正式にヒロに紹介されれるまで、俺に会う気は無かったと言った。今の俺には石川は曖昧で全く訳の判らない奴だ。頭の回転は早そうな奴だから、わざとそういう印象を持たれる様に、話をあちこち飛ばしたのかもしれない。煙に巻かれたみたいで悔しいな。
 予鈴が鳴ったんで立ち上がったら真田からメールが来た。
『石川君から松永に何も言うなって頼まれたよ。あんた何をしたの?』
 それは俺が聞きたいくらいだ。


20.

 ベンチに座るなり最上はきっぱり言い切った。
「言い訳はしねえ。あのまま仲良くなんのもムカツクから松永に喧嘩売った。石川にストレート過ぎるって殴られたけど、後悔もしてねえよ。酒井も怒ってんなら俺ん事殴って良いぞ」
 ホンマに最上は困った意味でも正直やなぁ。こういう時はどういうリアクションしたらええんやろう。
「何?」
 俺が黙って顔を見とるせいか、最上は少しだけ機嫌が悪い声になった。ああ、このままやとアカンよな。俺に最上の真似は出来んけど、ちゃんと向き合って話をしたい。
「俺は最上の事を怒っとらんで。それより、ちゃんと昨日最上と話をせんで、誤解させてしもて悪い事したて思うとる」
「はあ? お前何言ってんの? 俺はほとんど逆恨みで松永に嫌な態度取ったんだぞ。酒井も迷惑したっていうか、普通に腹が立つだろ」
 ほらな。最上は全部解っててやった事なんや。頭では理解しとっても感情が付いていけん事なんてなんぼでも有る。それを俺は責められる立場やない。
「たしかに何も知らんまつながーには悪い事をしたて思う。ほやけど、俺は最上にも悪い事をしたて思うとる。ほやから堪忍してな」
 最上が俺を心配してくれとる気持ちも察せずに勝手にアホ認定して、存在すら忘れてしもた俺と、自分の言動にちゃんと責任とろうと3ヶ月も待った最上。どっちが悪いかなんて考えるまでも無いやろ。
 最上は少しだけ顔を赤らめて、「うーあー」なんて声を出しつつ、頭を両手でがしがし掻くと俺の方を見直した。
「すでに凶悪なモン感じるぞ。酒井のその天然っぷりは」
「俺は天然とちゃうわ。ホンマに思うた事しか言うとらん。俺にとってまつながーがどういう存在か、俺はちゃんと最上に説明せんかった。それが始めの致命的なミスや。そこから誤解がどんどん広がったんやから、全部俺の責任やろ」
 最上は信じられんて顔を一瞬して、正面を向いて両腕を組むと「あー、そういう事ね」と数回頷いた。もうちょい俺にも解りやすい言葉使うてくれたら、俺も最上の不満を解消出来そうなネタ振れるんやけどなあ。
 俺がそない思うとると、最上は俺に向き直った。
「だったら教えて。酒井にとって松永って何?」
 ドンピシャの質問が来たあ。こういう時、ストレート思考てありがたいなぁ。
「一言で言うならまつながーは俺の命の恩人やで」
「はあ?」
 最上が何だそりゃって顔をする。そらそうよなぁ。全部ここから仕切り直しや。
「俺な。家ではご飯は全部オカンが作ってくれとったし、家事もほとんどオカン任せやったん。東京に出てきたばっかりの頃、1人暮らしに必要な事が自分ではなんも出来んアホやったんな。そしたら、たまたま同じ日に引っ越してきたまつながーは、高校時代が寮生活やったからか何でも出来る奴で、俺から見たら神様みたいな存在やった」
 メチャ懐かしいなぁ。俺が引っ越しの挨拶にタオルを持って行こうとしたら、まつながーも丁度台所用洗剤を持って挨拶に来てくれた所やった。まつながーは親が用意してくれた家具以外、なんも無い殺風景な俺の部屋を見て、すぐに近くの100円ショップと中古ショップに連れて行ってってくれた。
「まつながーは右も左も解らん俺に、丁寧に色々なコト教えてくれた。まつながーのおかげで俺の部屋は人間らしゅうなった。それに、大学が始まる前に、うちのオカンがうっかりお金の振り込み忘れて俺が困っとった時、まつながーはまだ大して親しゅうも無い俺に、3日間タダで手料理のご飯を食べさせてくれたん。その頃の俺は駅と大学とコンビニくらいしか位置を把握しとらんかったから、お金が無うて途方に暮れとった。まつながーが側に居ってくれんかったら、きっと俺は今頃コンビニ弁当のゴミの中で餓死しとるか、お金の使い方が全然なっとらんて親に叱られて、1人暮らしは無理やから三重に帰って来いて言われとったかもしれん。今の俺が普通に生活出来てるんは、全部まつながーのおかげなんやで」
 初めての1人暮らし、初めての環境、正直俺はどうしたらええんか全然判らんかった。ほやけど、神さんはズボラな俺を見捨てんと、真面目でマメでしっかり者のまつながーを俺の側に住ませてくれた。納豆料理にはびっくりしたけど、まつながーに文句なんて1つも有るはず無い。……あの頃はて注釈付きやけど。
 今は「俺の天子」発言と、地雷踏みまくりアホスイッチだけなんとかならんかなて思う。けど、これはとても人には話せんよな。
 俺が一気に話ししたからか、最上は「ふーん」と、反芻するみたいに首を縦に振った。
「まあ、なんとなく酒井が言いたい事分かる。石川は寮組だけど俺も抽選あぶれ組でさ。そしたら親がすぐに東京に出てきて大学の近くにアパート借りてくれた。俺も1人暮らし初めてで、しかも家事一切やった事ない口なんだ。日帰り距離だから今もうちの親は何かにつけて家に顔出せってうるせえし、たまにアパートにも押しかけて来て、その度に食い物とか渡してくれたり、掃除を手伝ってくれたり、家に帰ってから色々生活物資を送ってくれたりしてんだ。んーと、何ての。俺は親がやってくれた事を、実家が遠い酒井は松永がやってくれたって事だよな」
「うん。そういう事になるんかな」
「松永ってあんな外見なのに、まるで母親みたいだな」
「俺のまつながーの脳内あだ名は、まんま「オカン」やで」
 俺が茶化した様に言うと最上は吹きだした。やっぱこれが1番解りやすいまつながーへの評価なんやろな。
「昨日、酒井が言ってた松永がしっかりしてるってそういう所?」
「そうやけどそれだけや無いで。まつながーはメッチャ頼りになって……」
 強うて、真っ直ぐで、正直で、嘘が下手で、素直で、時々泣き虫で、アホで。ほやから俺はまつながーと一緒に居ると安心出来るんやなんてさすがによう言わん。それを口に出すんは恥ずかしすぎる。
 俺が言葉に詰まると最上はにっと笑ってくれた。
「うん。俺らは酒井が松永の事すげー好きなのは知ってっから」
「待てや。最上まで変な誤解を招く言い方すなや」
 速攻で俺が言い返すと、最上は噴き出しながらぽんぽんと俺の頭を叩いてきた。
「お前こそ変な誤解すんなよ。友達的な意味で。だろ」
「……うん」
 アカン。俺の方が「好き」て言葉を変に意識してるっぽい。せめてあの気色の悪い同人誌を最上が読んどらんかったら、俺も正直にまつながーの事を好きやて言えるのに。なんや別の意味で誤解されそうで嫌なんよな。ううっ。想像する前に背筋が寒うなってきた。
 「だったらさ」と最上は話を振ってきた。
「さっき、酒井は俺と石川の事、大事な友達って言ってくれただろ。酒井はどういう意味であれ言ってくれたんだ? 俺ら昨日までほとんど話した事無かったじゃん」
「たしかに俺と最上と石川は1日しかちゃんと話をしとらん。ほやけど短い時間でも2人共メッチャええ奴やて充分解ったし、俺は2人を好きやて思うた。ほやから南部さんらに友達て言うた。アカンかった?」
 最上は信号機みたいに一気に赤くなると、視線を逸らして「やっぱ酒井ってすげー」と石川みたいな事を言うた。俺はなんか変な事言うたんやろか。ああ、そやった。これもちゃんと言わなアカン。
「あのな。俺、昨日まつながーと最上は似てるて言うたやろ。あれも本音やで。まつながーも最上も尊敬するレベルで自分にメッチャ正直や。ほやから俺は最上とまつながーに仲良うなって欲しいて思うた。迷惑やった?」
「んな事ねえよ!」
 少しだけ怒った口調で最上は言うた。あ、これってもしかせんでも照れ隠しや。段々最上の癖解ってきたで。俺が笑い返すと、最上はまるで漫画のツンデレキャラみたいな事を言うた。
「べ……別に俺は酒井と松永の仲の良さを焼いて、あんな事言ったんじゃないんだからな。友達? ああ良いよ。松永が俺と仲良くしたいって言うなら、俺は仲良くしてやるよ」
「ぎゃはははははははははっ!」
「人が真面目に言ってんのに笑うなーっ!」
 無理やっちゅーねん。笑いすぎて涙まで出てきた。

 俺がひとしきり笑って収まると、最上が真面目な顔で俺を見とった。なんやろう。
「あのさ、酒井。いきなし話変えてわりーけど、昨日言いかけて言いそびれた事、今言っても良い?」
「あ、うん」
「酒井ってさ。ホントは女嫌いだろ」
「へ?」
「あ、間違えた。女が苦手だろ」
 えらい違いやで。それにしてもどういう意味や? 姉貴はともかく、俺は特別女子に苦手意識を持った事は無いで。
「ごめん。言い方悪かった。酒井ってたしか姉貴が居るんだよな。俺も凶暴姉貴が居るって手紙回しただろ。んで、なんとなく解るつーか、通じるモンが有るてーか、昨日、今日と南部達への態度見てたら、酒井はあの手の人の話を聞かねえ上に、口もうるせえタイプの女が苦手じゃねえのかなって思ったんだ」
「あ……」
 うん。て言いたいけど、言うてしもたら俺はただの嫌な奴になってしまう。ほとんど知りもせん相手の事なのに、ちょっと悪い雰囲気になったからて、苦手や嫌いとか酷い事を言うてもええんやろうか。
 俺が最上から視線を逸らして下を向くと、最上は強く俺の背中を叩いて、俺の肩に手を回してきた。
「あのな。酒井、あんまし考えんな。我慢もすんな。好き嫌い、苦手得意、合う合わないなんて、自分1人で決まる事じゃねえし、誰にでも普通に有る感情だろ。酒井はどんな嫌な時も笑ってて、それはすげえて思うけどさ」
 そこまで言うと最上は俺の顔を掴んで上を向かせた。うわあ。マジで顔が近い。近いちゅーねん。ニアミス事故やったまつながーの時程やないけど、この距離はマジで勘弁。冷や汗が出そう。
「そういう酒井を見てる俺ら……俺の方がキツイんだって。酒井が普段から我慢強くて色々頑張って波風立てない様にしてんのは解る。すげえ偉いとも思う。けど、あんな事ばっかやってたら酒井が精神的に保たないだろ。だからもうすんな。苦手なモンをずっと我慢してたらトラウマになっちまうぞ。これからは出来るだけ俺もフォローすっから。せめて嫌なモンは嫌って態度にくらいは出せよ」
 そのまま最上は「こんだけ!」と言って俺のほっぺたを軽く叩いた。
 痛みは無いのにパンッて軽快な音がする。まるで最上の性格をまんま現したみたいに綺麗な音や。
「おおきに」
 俺が礼を言うと、最上も笑って俺の頭を抱えて髪の毛をかき回しだした。やめれー。頭がくしゃくしゃになるー。

「その格好、写メ撮って知り合い全員に回しちゃおうかな。ついでに松永のメルアドも聞いておくか」
 びくりと最上の手が止まる。手が離されたんで俺も振り返ったら、石川が呆れ顔で俺らの方を見とった。
「人が労働してたのに何をやってるんだか。お前達の場合、犬っころがじゃれ合ってるみたいでほほえましいんだけどね。最上はともかく酒井はそういうスキンシップは止めた方が良いよ。俺だから良かったけど、他の奴に見られたらどんな噂が立つが判らないから」
 ずさっと音がするくらいの勢いで俺と最上は同時に離れた。それでのうてもまつながーで色々言われとるっぽいのに、最上までなんて冗談でも嫌や。何より、嘘噂がまつながーの耳に入った時が恐ろしい。
「石川ー、マジで鳥肌立ってきたあ。ホンマに堪忍やて」
「男の友情に水刺す上に、気持のわりい事言うなー」
 俺らが同時に文句を言うと、石川は苦笑して腕時計を指さした。
「もうすぐ10分前の予鈴が鳴るよ。昨日みたいに走るのは嫌だからね。さっさと行こう」
 遅刻ギリギリで教室に飛び込んだのを思い出した俺と最上は、バッグを担いですぐに石川の方に走り出した。あないキツイ思いは何度も経験しとうない。


21.

 何が有ったのか聞きたいけど、今は我慢してやるオーラを露骨に出していた真田を回避して、俺は講義が終わると同時に大学を出た。
 今日みたいに俺とヒロのバイトの休みが被る日はそうそう無い。朝っぱらから色々有ったが、運命の神様が帳尻を合わそうとしているとしか思えない。それともこれも伊勢の天子様のなせる技か……なんて言ったら確実にヒロに殴られるな。
 今日の晩飯予定は焼き肉と焼きソバだった。せっかく出来立ての料理を確実に食べられる日なんだが、今は料理をする時間が惜しい。肉や野菜は明日別メニューにしても食べられる。
 ヒロに『今夜は弁当とインスタント味噌汁に変更。お湯を沸かしといてくれ』とメールを打ったら、すぐに『わかったー。弁当のメニューは任せる』と返ってきた。これはヒロも同じ事を考えているな。今夜は長い話になりそうだ。
 弁当屋に寄ってアパートに帰ると、ヒロはすぐに飯が食える様に、テーブル上にコップやサーバー、椀にポットまで用意をしてくれていた。
「ただいま。サンキュ」
「おかえりー」
 俺がテーブルの上に弁当の袋を置いて、流しで手と口を洗っていると、ヒロが小さな声で話しかけてきた。
「なあ、まつながぁ」
「ん?」
 俺がテーブル前に座ると、ヒロはその場に正座をして、顔が畳に付くくらいの土下座をした。
 おい、ヒロ。何でそんな事をするんだよ。
「最上の事は俺が全部悪かったん。最上を怒らんといてな。まつながー、ホンマに堪忍して!」
「え、あ。……うわっ!?」
 顔を上げたヒロの大きな目から、あふれる様に大粒の涙がいくつもこぼれ落ちてくる。

 出会ってから半年。ヒロが泣いているところを俺は初めて見た。


<<もどる||酒井くんと松永くんTOP||つづき>>