ここ2日ばかり俺はまつながーに嫌な態度ばかりとっとる。
 いくら失恋(ホンマはちゃうけど、まつながーにはそう説明した)したっちゅーても、俺が同居しとる親友から、メッチャ感じの悪い態度をとられ続けたら、気まずくなってくるか、心理面が心配で、放っておけずに2、3言は何かを言うとるやろう。
 ほやけど、お人好しのまつながーは俺の事を黙って許してくれとる。
 八つ当たりして堪忍な。気を遣うてくれておおきに。ホンマに感謝しとる。
 ちゃんと気持を言葉にせなアカンのに、俺の口はまつながーに対して貝みたいに閉じたままや。
 まつながーは美由紀さんに振られた直後、相当キツイ気持やったのにちゃんと俺にも解る様に話してくれた。いつもまつながーは自分を弱いて言うけど、俺はメッチャ勇気が有るて思う。
 やっぱ、俺は自分の事しか考えられん相当我が儘な奴なんやなて、どんどん自分の嫌な所に気付く。
 ずっと変わりたいと思っとるのに、全く出口が見えてこん。どないしたらええんやろう。

「酒井くんと松永くん」 =第2期= 『友情の境界線』(4)


5.

 ふあああ。
 どうしても生あくびが出る。3日目でも休みボケは直っとらんなぁ。何とかノートは取れとるけど頭は講義についてっとらんから、早く元の調子に戻らんと後々レポートとテストがキツクなりそうや。
「酒井!」
 1コマ目が終わって席を立った時に、大声で後ろから呼ばれた。内心ビクビクしながら振り返ると、最上が身体を前のめりにしとった。
 相棒の石川は最上の横で黙ってにやにや笑いながら手を振ってくる。座るトコは自由やからええけど、なしていつも2人して俺の後ろに居るん? 俺の後ろやと講師や教授のチェックが甘いとか。……な訳無いか。俺はチビやから目隠しにもならん。
「すぐ後ろで大きな声を出さんといてや。ビックリするやろ。それはともかく、最上、来てたんやな。風邪はもう治ったん?」
「うん。熱は下がった。差し入れあんがとな」
 最上は笑顔で「もう治った」なんて言うとるけど、いつもよりテンション低めや。病み上がりやからまだキツイんやろうな。
「良かったなぁ。差し入れは気にせんといて。困った時はお互い様やろ」
「そうだけど、俺は今まで酒井に何もしてねぇから。ていうか、お前健康優良児みたいに病気しねぇし、全然休まねぇし、見舞いにも行けねぇだろ」
「アホか。見舞いが要らんくらい健康なんはええ事やろ」
 ホンマは大学もバイトも休みの日に、冷たいモン暴飲暴食した直後に腹壊して、まつながーに怒られとるのは黙っておこ。せっかく良い評価されとるのに、実態知られたらアホ認定確実や。
「そういう所は凄く酒井らしいな。ところで最上、話がどんどんずれてる。それと時間も気をつけろよ。話は教室移動しながらでも出来るだろ」
「あー、そうだった。んじゃ話ながら次んとこ行くか。酒井も同じ教室だろ」
「うん。そうやな」
 石川の冷静なツッコミで最上は急いで荷物を手に持つ。俺も鞄を持ち直して一緒に教室を出た。

 石川と最上コンビに俺て、ちょっと珍しい組み合わせやな。俺は普段は隣に座った奴か1人で移動しとる。席はすぐ側やけど、最上からこうして声掛けられるのって初めてとちゃうかな。
「でさ。酒井、今日の昼は俺と一緒に飯食わね?」
「へ?」
 「でさ」てなんなん? 唐突に最上に言われて、俺が訳解らんて思っとると、石川が苦笑しながらフォローを入れてくれた。
「最上、その説明で理解出来る奴が居たらエスパーだ。あのね。酒井、今日は俺は昼にサークルの先輩に呼び出されてるんだよ。だから最上は1人になるから酒井と一緒に飯食わせて欲しいって」
「ああ、そういう事な。ええで。ちゅーか、最上もいつでも気楽に声を掛けてくれてええんやで。工学部のまつながーも一緒やけどええやろ」
 途端に最上の顔が嫌そうになる。あれ? 最上ってまつながーのコト苦手なんかな。ほやけど2人がしゃべっとるトコ見たコト無いしなあ。まつながーと俺が昼飯食う時は2人だけやから、最上とは接点無いっぽいんやけど。
「俺は今日は酒井と2人だけで飯食いたいんだけど。あー、別に松永が嫌いとか苦手とか、そういうのじゃないぞ。少なくとも今日だけは松永に遠慮して貰いたいっていうか。うん。やっぱし松永邪魔」
 なしてやねん。俺がどないしようか考えとると、最上が俺の正面に立って頭を下げてきた。
「頼むよ酒井、今日だけ。今日だけで良いから俺と2人だけで飯食ってくれ。見舞いの礼もしたいんだって」
 そない真剣にならんくても俺らクラスメイトやろ。教室で毎日会うとるのに変な遠慮せんでもええのに。……と、最上の顔を見とるとは言いづらい。なんやメッチャ必死感漂っとるんよなぁ。昨日石川が言うてたのて、もしかしてこれの事?
「最上はホンマに律儀やな。あんなん気にせんでもええんやで」
「俺は気にすんだ。なあ、酒井。マジ頼むって」
 両手を合わせて神さんか仏さんみたいに拝まれてしもた。こら断れんちゅーか、こないに一生懸命言うてくれとるのに無下には出来ん。
「分かった。ほな今すぐまつながーに連絡メール入れとくな」
「サンキュ」
 俺がポケットから携帯を出すと、最上が嬉しそうに笑った。その横で石川が安心したて顔で息を吐く。似とる様でチョイ違う反応や。やっぱり性格の違いやろか。
 教室に入って俺が黒板が見やすい席に座ると、示し合わせたみたいに石川と最上がすぐ後ろの席に着く。2人してなんをしとるんやてツッコミ入れたいけど我慢しよ。
 よう判らんけど、なんや理由があってやってるっぽいんよな。ちゅーても、俺がそれに気付いたんは、昨日石川からご飯誘われた時なんよな。
 もしかせんでも俺ってメッチャ鈍い?


6.

 教室移動で席を立ったらヒロからメールが来た。
『件名:お願い 本文:ちょい用が出来た。今日はお昼ご飯をそっちで食べて。急で堪忍してな』
 今日のお通夜みたいな朝食とは違って、メールのヒロは普段通りの言葉を使う。ヒロが凄く無口になってる原因は俺じゃ無い。俺が嫌になったとか、口もききたくないとかじゃない。
 多分、今のヒロは自己嫌悪の固まりになっていて、下手に口を開くと自分でも何を言い出すか判らないんだろう。口には出さないけど態度では、何も聞くな、近づくなって雰囲気だ。
 あんな状態のヒロに負担を掛けたく無い。「適当にするから気にするな」と、メールを返信していたら、隣に座っていた安東が覗き込んできた。
「お。珍しい。松永、今日は酒井ちゃんに振られたか」
「振られたなんて気持の悪い言い方はするな。今日はヒロの都合だ。人のメールも勝手に見るな。それと何だ? その酒井「ちゃん」てのは」
「だって、酒井ちゃんは可愛いから似合うだろ」
 脳天気に安東が笑う。お前は1回ブチ切れたヒロの回し蹴りを喰らえ。2度とそんな口はきけなくなるぞ。俺だって胃液を吐かされた上に、痣が完全に消えるまで1週間は掛かったんだ。
「ヒロの耳に入る所じゃやめとけよ」
「んなヘマはしない。俺も酒井ちゃんには嫌われたくない」
「……」
 「も」って何だ? 「も」ってのは。うちの極悪女共にオモチャにされるだろうから、極力うちの学部には来させていないのに、何故かヒロは俺の学部・クラスメイト連中から、男女問わず人気が有る。どうやらヒロと直接面識が無い安東もその1人らしい。
「ならさ」
 安東が俺と並んで歩きながらにやりと笑う。
「ん?」
「今日は久しぶりに俺と一緒に飯食おうぜ。ついでに2コマ目で一緒になる岩城と相馬も誘うか」
「岩城と相馬か。別に良いけど、たしかお前らは俺が納豆を食うのを見るのは嫌いじゃなかったか?」
「目の前で冷たい納豆を温かいうどんやラーメンにぶちこまれなきゃ、俺達は納豆嫌いじゃないから平気だよ。そういう事をするなら、せめて冷麺かざるそばにしてくれって気分。解る?」
 そういえば俺がヒロと飯を食い始めたゴールデン・ウィーク前は、まだ温かいモンを食ってた時期なんだよな。あの時は声をそろえて「微妙な事はするな」って突っ込まれたんだった。
「今日はピリ辛豚丼定食の予定」
 俺が日替わり学食メニューを思い出しながら答えると、安東は嬉しそうに笑った。
「納豆付きでも普通メニューじゃん。それなら問題無いだろ」
 教室に入ると安東はわざわざ俺の手を引いて(気持が悪いから止めろっての)先に席に着いてた相馬達の所に連れてった。安東が簡単に事情を話すと、相馬と岩城は「おー」と声を上げた。何なんだよこりゃ。


7.

 石川は2コマ目が終わるとすぐに、荷物を持って走って教室から出て行った。最上にも何も言わんトコ見ると、余程急いどるんやな。俺がちらりと視線を向けると最上は苦笑して軽く肩を竦めた。
「石川のアレは毎度の事だから気にしてねえよ。あそこの部長は鬼だかんな」
「そうなんや。石川ってどこのサークルに入っとるんやったけ?」
 俺が聞くと最上は何とも言えん微妙な顔になる。
「そういうのは石川本人に聞いてくれ。俺はとても怖くて酒井には言えねぇ。ていうか、頼むから回答はパスさして」
 どういう事やねんゃて思うとると、最上に軽く肩を引かれた。
「なあ酒井、今日は松永が来んのを待ってんじゃねえだろ。さっさと食堂が混む前に行こうや」
「あ、うん」
 約束は覚えとったけどうっかりしてた。鞄を持って最上と一緒に学食に向かう。
 いつもはすれ違い防止にまつながーが来るまで教室前で待って、それから今日は何食おうかなんてのんびり決めとるから、完全に席取りとか忘れとった。
「最上、堪忍な。この時間からやともう食堂混んどる? 今からでも走った方がええ?」
「さあ。俺らはいつもチャイムダッシュしてっからこの時間は判んねぇや。けど、特別急いでねえし、それなりに美味くて夕方まで腹が持つモンが食えたら良いんじゃね」
 そう言うて最上はにやりと笑う。周囲が急いどる中でも最上の歩くスピードはごく普通や。朝の調子からしてもうチョイ細かい性格かなぁて思うてたけど、それ程やないみたいや。ちゅーか、ホンマに神経質やったら講義中に堂々といびきはかけんよな。
「そやな。あ、ほやけど最上は胃に負担が掛からんくて、栄養たっぷりのメニューを選ぶんやで。出来れば果物も摂って。病み上がりなんやから絶対に無理したらアカンで」
 最上はうっかり者の俺に気を遣ってゆっくり歩いてくれとるっぽいけど、もしかしたらまだ身体がだるうて走れんのかもしれん。
「うおっ。酒井ってうちのお袋みてえ。見掛けに寄らず結構細かいんだな」
「見かけと違うて悪かったな。誰がオカンやねん。これはまつながーの影響や」
「何でここで松永が出てくんだよ」
 ちょっとだけ機嫌が悪うなった最上が唇を尖らせる。毎日アパートでオカンみたいなまつながーに小言言われとるとは言いとうないしなぁ。嘘も言いとうないし。えーと、これやったらえかな。
「まつながーはメッチャしっかりしとるから」
 俺が答えると、最上は本気で驚いたという顔になる。
「酒井、お前それ本気で言ってんの?」
「(オカンなトコだけは)うん」
「俺、酒井の感覚ってちょっと信じらんねぇ」
 最上が露骨に癒そうな顔になる。あれ? 俺、最上を怒らせてしもた? なんか最上の気に障るコト言うてしもたんか。
 俺が黙って最上を見上げとると、視線に気付いた最上が苦笑した。
「酒井、わりい。今の言い方きつかったか。石川から散々注意されてんだけど、なかなか口調って直んなくてさ。今のは酒井の事呆れてんじゃなくて、単に俺が酒井のでかさに改めてびっくりしたんだよ」
「へ?」
 益々訳解らん。俺が返事に困っとると、最上は笑いながらポンポンと俺の頭を撫でてきた。それだけはヤメレや。身長(多分)173センチ。悪気は無いて解っとっても、上から頭押さえられると益々背が低くなりそうな気がするんよな。まあ、俺がチビなんやからしゃーないんやけど。
 学食のボードには今日の定食は豚丼、鶏の唐揚げにカレイの煮付けと書いてあった。俺は人が沢山並んどる唐揚げに行こうとした最上の手を強引に引っ張って、人気がイマイチのカレイの方に並んだ。

 運良く俺らは割と静かな席をキープするコトが出来た。揚げ物狙いやった最上は渋い顔をしてカレイを突いとる。疲れた胃に負担掛けたらアカンて俺は思うけど、好きなモン食って体力を一気上げする奴も居るから、余計なお世話やったかな。
 最上はカレイを食いもんせんでバラバラにしたて思ったら、おもむろにテーブル上の醤油さしを取ってカレイにドバドバ掛け始めた。添えモンのインゲンやにんじんにも醤油を垂らす。
 うげえ。もしかせんでもこれが石川が言うてた最上の「全部が醤油辛いメニュー」の真相なんか。元々全体的に茶色っぽいメニューが今や真っ黒や。見とる俺の口が辛さで痙攣してきそう。
 最上は鼻歌を歌いながら醤油さしを戻すと、茶碗を持って美味しそうにカレイを食べ始めた。なんやこれってデジャブ。
 俺が最上をじっと見とるからか、最上が箸を止めて俺の顔を見返してくる。
「魚も好きだけどほぐすのが面倒だよな。あれ? 酒井、箸が止まってんぞ。食わねえの? ひょっとして醤油待ってた? わりい。待って。俺が掛けてやっから」
 そう言うて最上は醤油さしを手に取った。やめれー。泣くで。俺は慌てて自分の皿の上を手で塞ぐ。
「俺はこれで充分やからやめてや。全力で遠慮する」
 最上はキョトンとした顔をして、すぐに納得がいったと醤油さしを戻した。
「そういや酒井って三重出身だったな。ゴメン。じゃあソースか」
「なして?」
 お願いやから笑顔でソースさしを持たんといてぇ。
「だって大阪は基本全部ソース味なんだろ? たこ焼きとかお好み焼きとか」
 そこに明石焼きも入れてや。ちゅーか、三重と大阪やと味覚も言葉も全然ちゃうんやけどなぁ。
「それマジでちゃうから。大阪の人にそれ言うたら怒られるから止めといた方がええで」
「そなんか。うちのクラスは大阪出身が居ないんで酒井を基準にしてた」
「待ってや。俺基準でなして醤油やソースなん? 俺はだし系の方が好きなんやけど」
 ちゅーか、俺は関東風の味噌・塩・醤油辛いの全部駄目なんやけどて言いたい。メッチャ言いたい。
「前にテレビで見た伊勢うどんはつゆが真っ黒だった。あれって醤油じゃねえの」
 ああ、そういう事か。今、最上は確実に伊勢市民全員を敵に回したて思う。……けど言わんトコ。
「あれは普通の醤油やのうて、三河たまりと昆布味のタレやで」
「たまり?」
「赤味噌を作る時に一緒に作るん。トロトロで辛みより旨みの方が強いんな。こっちでも刺身に使うんとちゃうの?」
 なんや伊勢でまつながーに言うたんと同じコト説明しとるなぁ。しゃーないけど。
「ああ、あれか。ウチじゃ刺身も醤油だから使ってねえわ」
 最上はまた納得したて顔でソースさしを戻してくれた。メッチャ危なかった。ちゅーか、和風の煮魚にソースて、どういう味覚しとるんやろう。埼玉県民て謎や。
 あ、この感じとさっきのデジャブ思い出した。最上は出会うた頃の、自分の味覚が日本標準て考えとった頃のまつながーに似とるんや。差し入れのお礼やからてこの昼飯も奢ってくれたし、お人好しっぽいトコも似とる。
 口調と納豆が醤油に変わっただけで、一回り小そうなったまつながーと一緒にご飯食べとる気分。違和感無さすぎや。
「最上てまつながーに似とるんやな」
 俺が思ったまま言うたら最上は凄く嫌そうな顔になった。
「はあ? 何でそうなんの。ていうか、何でこう度々松永の名前が出てくんの。酒井はいつも松永と居るからつい比べちゃうんは解るけど、俺と松永は全然似てねえだろ。大体、俺と酒井てあんまししゃべった事ねえじゃん。酒井は俺の何を知っててそういう事言うの」
 言われてみればその通りや。毎日顔合わせて席かてすぐ後ろなのに、俺は最上と挨拶以外ほとんど会話らしい会話しとらん。最上がまつながーをどう思っとるかは関係のうて、ぱっと見の印象とか、雰囲気とかで勝手に決めつけられたらそら嫌な気分になるよなぁ。
「気悪くさせてしもて堪忍してな。俺は最上の事を誉めたつもりやけど、今のは最上に解る言い方やなかった」
 俺が軽く頭を下げると、最上は少し顔を赤くしてそっぽ向いてしもた。一口水を飲むとボソっと呟く。
「怒ってんじゃねぇから謝んなよ。やっぱ俺、口の利き方少し考えるわ。酒井ともう喧嘩なんかしたくねぇのに、これじゃあん時の繰り返しじゃん」
「へ? 喧嘩てなんのコト?」
「はあ!?」
 俺が聞き返すと、最上はでかい声を上げた。ビクリと指先が震えて俺の手から箸が落ちる。喧嘩って、俺は知らん間に最上になんかやらかしたんやろか。
「昨日見舞いに来た時に、石川がそれっぽい事言ってたけど、酒井、お前本当に全然覚えてねえの?」
「堪忍な。俺、ホンマに記憶に無いん。ほやけど、無意識でも最上を怒らせるコトしてしもたならちゃんと謝りたいて思う。悪いんやけど、俺がなんをしたんか教えてくれん?」
「ちげーよ!」
 イライラした最上がまた大声を上げる。なんなん? 俺はこないに最上を嫌な気分にさせる事をしたんか? ほやったら尚更ちゃんと知りたい。自分がやってしもた事を自覚した上でちゃんと最上に謝りたい。
「もが……」
「あーっ! 最上が酒井君と一緒にご飯食べてるっ!」
「え、嘘っ!?」
 俺が話そうてした所で、斜め後ろから大きな声が聞こえてきた。振り返ると同じ学部の女子ら数人やった。全員がこっちを凝視しとる。
 最上も視線をそっちに向けて、一瞬で顔色が変わった。まつながーといつも此処でご飯食べとるけどこない雰囲気になった事無いで。なんが起こってるんやろう。


8.

 昼休みに入ると、これは最早拉致じゃないのかと突っ込みを入れたくなる体制で、俺は学部棟近くの学食に連れて行かれた。
 右横に安東、正面に相馬、その横、つまり俺の右前に岩城。何故か全員が俺と同じメニューを注文した。違うのは俺のトレイにだけ別注文した一口納豆が乗っているくらいか。
 ついでに俺以外の全員がにこにこ笑っていやがる。むさ苦しい顔でそれをやられると飯が不味くなりそうだ。
「祝、松永帰還。神様仏様酒井様ありがとう」と、岩城が両手を合わせる。
「博俊(ひろとし)ちゃん、愛してるわぁ」と、相馬が嬉しそうに声を上げる。お前の言い方はかなり気色悪いぞ。
「何の用かは知らないけど、可愛い酒井ちゃんに感謝はたしかだな」と、安東が纏めた。
「何なんだよお前ら。さっきから凄く気持悪いぞ」
 俺が納豆のパックを開けながら文句を言うと、3人共箸を止めてお互いの顔を見合わせた。
「やっぱ、自覚無しなんだ」と、相馬が頭を振る。何がだよ?
「真田が俺達の味方だったら楽だったのになぁ。あいつは松永に結構きつい事を言う割に、俺達には完全部外者を通してるからな」と、安東が愚痴を言う。
 事情を知らなくても、今俺にとって1番心臓に悪い名前を出すな。
「マジで困った時の酒井様だな」と、岩城がしみじみと言う。
 こらこら、「様」を付けるな。ヒロが聞いたら嫌がるぞ。いや待て。今変な事を言ったぞ。
「困った時のって何だ? ヒロに何か有ったのか。お前らが今日俺を昼飯に誘ったのってヒロが関係してるのか」
 文字通り一口で納豆をかき込んだ俺が聞くと、全員が大きな溜息を吐いた。
「松永はどこまでも酒井様だけかよ。俺パス1。安東、頼むわ」と、豚肉のスジと格闘していた岩城が溜息混じりに言う。
「パス2。博俊ちゃん以上に松永を制御出来る奴が居るなら、俺はマジで会ってみてえ」
 相馬が苦笑しながら無理無理と顔の前で手を振る。俺はロボットかよ。
「待て待て。て事は俺かよ。勘弁してくれ」と、安東が両手を上げた。
 こいつらが何を言っているのかマジで解らねえ。
 安東が口の中のモンを全部喉に押し込んで、俺の顔をしっかり見据えた。
「松永、お前さ。自分が周囲からどう言われてるか知ってる?」
「そこでヒロとセットでホモと言ったら、お前達全員を殴るぞ」
 俺が即答すると全員が同時にテーブルに突っ伏した。
「誰もあんなキモイ女共の妄想話なんか信じてないって。そうじゃなくてお前の事」
 相馬が立ち直れない安東の言葉を引き継ぐ。
「どっちかって言うと、俺らが周囲にどう思われてるかを説明した方が、松永には早くねえ?」
「おー」と、相馬と安東が岩城に拍手を送る。訳が解らない話ばかりで段々イライラしてきた。
「それなら」と安東が顔を上げた。
「昼休みになる度に、酒井ちゃんダッシュをする松永を見た他の学部連中の噂その1、長身イケメンの松永君は昼休みは絶対自分の学部近くには居ない。まあこれは噂じゃなくて事実だけど」
「イケメンはともかく、それがどうかしたのか?」
 俺が聞き返すと、「まあ最後まで聞け」と安東は続けた。
「これも事実噂その2、工学部の松永君は毎日情報学部に行って、同じアパートの酒井ちゃんと昼飯を食っている。ここまでは良いな?」
 安東が確認する様に俺を見るので黙って頷いた。
「さて、ここから本題のねつ造妄想発展系噂その3、工学部の松永君は自分の学部に居づらいらしい。その4、工学部の誰かが松永君イジメをしている。その5、工学部の誰も松永君を庇っていない。ラストその6、工学部はいい歳をして松永君を虐めて追い出している。みっともない。松永君は真面目だから泣く泣く講義だけはちゃんと受けている。まあこんな所かな」
「何だそりゃ」
 俺が露骨に馬鹿らしいという顔をすると、「だーかーら」と相馬が嫌そうに箸を振り回した。
「松永は黙って虐められる様なタマじゃないだろぉ」
「ディスカッション形式でも班分けでも松永が1人になる事なんて無いもんな。松永が居ると無駄が無くて早いしレベルも上がる。おまけに変な派閥も無いから、組む俺達も気が楽だ。昼以外の休み時間は普通に話をしているだろ」
 と、昼飯が終盤に入った岩城が麦茶をすする。
「俺ら工学部の面子は誰もそんな事思っていないのに、情報学部を除く他の学部で、ここ3ヶ月ばかりそう言われ続けてるんだよ」
 と、うんざり顔の安東がコップの水を飲んだ。
「何でこの俺が、この歳で、学部で、イジメに遭ってるなんて、トンデモ噂になるんだよ」
 俺が唸る様に言うと「まあまあ。気持は解るけどな」と相馬が肩を叩いてきた。岩城が箸を置いて口元を拭う。
「絶対にお前より俺達の方が可哀想だろ。俺たちゃ全員、お前が嬉しそうに毎日酒井様んトコに行ってるのを知ってるんだぞ。それを何も知らない連中から集団イジメ扱いされてるんだ。松永も文句を言う前に俺達に言う事が有るだろ」
 軽く睨む様に言われて立ち上がりそうになった俺を、安東が肩を押さえて座らせる。
「岩城、言い方がきついって。噂に疎い松永は俺らの事情を全然知らなかったし、うっかりでも酒井ちゃんの耳にも入らない様に、うちの学部全員が口にマスクしただろ。実際に荒れ気味だったあの頃の松永を抑えられたのは、酒井ちゃんだけだったんだから」
 荒れてて悪かったな。何で安東が俺に声を掛けてきたか解ってきたぞ。俺が学部内でイジメに遭ってないと、誰からも解る証拠が欲しかったんだ。
 たしかにこうして一緒に飯を食ってたら、孤立してるとか居場所が無いとは思われないだろう。
「まあ、実際俺らもちょっとばかり不安だったんだよね。松永はゴールデン・ウィーク明けてからずっと博俊ちゃんの所に行きっぱなしだったろ。アホな女共がうるさかったから、松永が逃げたくなる気持は解るんだ。俺も女と別れた直後に、他の女に囲まれて嬉しいタイプじゃないから。といっても囲んでくれる女達なんて俺には居ないけどね。松永の方が学部に愛想尽かして、このまま帰って来ないんじゃないかと思ってた」
 相馬が場を明るくしようと茶化した様に笑って話す。最後の方を聞くとちょっとばかり罪悪感だ。けど……。
「おい待てよ。俺がこっちで飯を食わなくなった本当の原因は、女じゃなくて納豆じゃなかったか?」
 俺が睨むと全員が視線を逸らす。
「ちっ。気付きやがった」と、岩城が舌打ちをする。
「お人好しの松永の情に訴えようとしたのに」と、安東と溜息を吐いた。
「鈍いんだか鋭いんだか」と、相馬が苦笑るす。
「全部嘘かよ。お前ら全員グルか!」
 立ち上がろうとした俺の手を、「怒るな。待て」と全員で押さえ込んだ。
「信じたくない気持は解るけど噂は全部本当なんだよ」
 ずっと笑っていた相馬が真面目な顔で見上げてくる。
「信じられないなら後で真田に聞けよ。あいつなら絶対に下らない嘘は言わないだろ」
 俺と大して体格が変わらない岩城は握る手の力を強めた。
「俺達も相当肩身の狭い思いしてきたんだから、松永も少しは解ってくれよ」
 安東は空いた方の手で、俺を宥める様にポンポンと肩を叩いてきた。
 ここまで言われて漸く気付いた。
 女子には美由紀に振られた事を噂され、男連中からは納豆好きをからかわれて、面倒だからと1番安心出来るヒロと一緒に飯を食っていた俺は、関係無い第3者の目にはさぞかし可哀想な奴に映っていたのかもしれない。
 勘違いでも俺は同情される側だからまだ良い。じゃあ、同じクラスのこいつらは? 大学生にもなってと酷い言われ方をしてたんじゃないのか。
 どうして真田は俺に、ヒロに甘え過ぎだと言い続けていたんだ? やきもちじゃなくて、この噂が本当だからじゃないのか。
 何でみんなはよく知りもしないヒロの事を、ちょっとキモイのも混じっているが愛称で呼ぶんだ? 誰に何を聞かれてもおざなりにしか答えず、荒れていた俺を一身に受け止めてくれているからじゃないのか。
 この大学でヒロ以外は、俺の家の事情や美由紀との本当の関係、ましてや裕貴の事なんて誰も知らない。俺にとってヒロは特別だけど、こいつらにとっても俺の受け入れ先だったヒロの存在は特別だったんじゃないのか。だからこそ、ヒロには絶対に噂を知られない様に気を付けてたんじゃないのか。
 ヒロの事だ。噂を知ったら俺が何て言おうがこっちで飯を食うと言っただろう。おまけに俺のクラスの連中にも笑顔で「一緒に食べよ」とか声を掛けて。……すげぇ簡単に想像が付いてしまった。
 これは俺とクラスの問題でヒロは関係無い。安東がヒロの都合を知って、俺に声を掛けてきたのも解る。ヒロ天子には絶対内緒にしてるんだから。俺だってこんな事はヒロには知られたくない。
 ゆっくり息を吐いて俺は強ばっていた力を抜いた。
「お前達の事、誤解してて悪かった。変な噂は俺が何とかする」
 俺が少しだけ頭を下げると、全員が安堵の溜息を吐いて同時に俺の手を離した。
「だけど……」
 顔を上げた俺が小声で言い掛けると、3人とも「何だ?」と顔を近づけてくる。
「俺は俺がそうしたいからヒロと飯を食ってんだよ。ヒロがお前らと一緒でも良いと言ってくれたら、まあまずヒロが断るとも思わないが、いつでもお前らと飯を食う。でも、俺の邪魔はするなよ。ましてやヒロをからかったりしたらぶん殴るからな」
 俺が言い切ると全員がその場に突っ伏した。
「駄目だこいつ。博俊ちゃん、よくもまあ松永のアホさに我慢出来るな」
 相馬が嫌そうに背中を掻き出した。
「この酒井様信者め。そこまで言うか。よくも恥ずかしくないな」
 岩城がハエを払う様に俺の前で手を振る。
「酒井ちゃんは可愛い天然だけど、松永は真性の馬鹿だー!」
 安東がうんざりした顔で声を上げた
「うるせーっ! 余計なお世話だ」
 売り言葉に買い言葉で、俺も大声を上げてしまった。周囲の視線が凄く痛い。


9.

 最上は舌打ちをして急いでご飯を口に入れ始めた。
「酒井、お前も早く食え。あいつらに捕まるとロクな事がねえ」
 ロクな事て、あそこに居るの全員俺らのクラスメイトやろ。始めの大声は多分南部さんで、その横に座ってるのが小野寺さん、振り返ったのが水谷さんで、えーとあの後ろ姿は小西さんかな。ウチのクラスでも1番元気がええ仲良しグループさんや。
 俺がぼんやりしとると、最上が下を向いたまま早口の小声で話し掛けてきた。
「酒井、マジ急げって。後悔すんぞ」
「あ、うん」
 最上には俺の知らん事情が有るっぽい。顔がマジやもんな。俺も急いでご飯を口に詰め込む。まつながーに見られたら怒られそうな行儀の悪さや。柔らかい煮物にしといて良かった。
「最上、一緒にご飯食べてるって事は、あんたはもう酒井君に謝ったの?」
 南部さんの高い声が食堂に響く。最上が俺に謝るって何のこっちゃ。あまり大声で人の名前読んで欲しゅうないなあ。
「そうそう何ヶ月放置してるんだかって感じだったよね。男らしく無い」
「そういえば今日は松永君が居ないよ。休みかな。鬼の居ぬ間ってやつ? 最上、せっこーい」
「石川も居ないね。最上と酒井君のツーショットは見てて楽しくない。やっぱり酒井君には松永君でしょ」
 ……。一気に飯が不味うなってきたなぁ。でかい声で鬱陶しい話するなっちゅーねん。最上もこめかみに血管が浮いとる。こら完全に怒っとるな。俺かてあない言い方されたら嫌や。とにかくご飯食べてしまおっと。
「酒井君、ご飯食べ終わったらあたし達と一緒にお茶しよ。あ、最上も一緒で良いから。じっくり話聞きたいしね」
 南部さん、なんの話かよう判らんし、悪いけどメッチャ遠慮したい。
「じゃあ、カフェに移動? 良いね。そろそろ食べ終わる頃みたいだし」
 水谷さん、俺らの都合を勝手に決めんなや。
「じゃあ食器片付けようか。酒井君の所に合流しよ」
 小野寺さん、俺も最上も一緒するなんて一言も返事をしとらんのやけど。
「ねえねえ。当然、カフェ代は最上持ちだよね」
 この声は小西さんか。チョイ待てい。なして最上がそないな事せなアカンの。俺は誰に何て言われてもかまわんけど、こない風に人が一方的に悪く言われるんは我慢出来ん。最上とどっかに移動しよ。
 俺が無言で立つとほぼ同時に、最上もトレイを持って立ち上がった。
「俺らこの後石川と待ち合わせしてるから。酒井、そろそろ時間だ。行こうぜ」
「あ、うん。そやな。石川待たしたらアカンよなぁ」
 南部さんらの抗議の声を完全無視して、俺と最上は急いでテーブルから離れた。ホンマになんが起こっとるんやろう。訳が分からんくても、しっかり腹は立つんよな。

「酒井、気分悪い思いさせてごめん」
 食器を返して食堂から出ると、横を歩きながら最上が謝ってきた。なしてや。
「謝らんといて。最上はなんも悪うないやろ。なんなんあれ? 最上はいつもあないなコト言われとるんか」
 最上は少しだけ肩を落として、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「完全な言い掛かりなら俺も南部達に言い返せんだけど。俺はまだあん時の事、酒井に謝ってねえだろ」
「へ。なんのコト? 南部さんも変な事言うてたけど、なして最上が俺に謝らなアカンの?」
「はあ? お前、まだそんな事言ってんの」
 立ち止まった最上は俺の顔をまじまじと見ると、短い前髪を掻き上げて叫んだ。
「まさかと思ってたけど、やっぱマジかーっ!?」

 うん。マジ。


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