20.

 数ヶ月ぶりに帰って来た水戸は眩しいくらいの快晴だ。
 そういえばヒロと一緒に遠出する時に雨が降った事は無いな。天照大神が護る伊勢の天子様には、天気も味方をするらしい。
 朝、普通に起きてアパートを出てから、わずか1時間半で水戸駅のホームに降りる。ヒロは「ホンマに近いんやなぁ」としきりに感心していた。
「ヒロ、お前なぁ。(人の事を言える立場じゃねーけど)日本地図を見てから言えよ」
 ヒロが無言で何かを言いたそうに俺の顔を見上げてくる。口に出さなくても判っちまう。こんなに近いのに今までずるずると帰省せずにいて悪かったな。距離は関係無いんだっての。そんな凄く困ったような顔をして俺を責めるなよ。
 俺が少しだけ嫌そうな顔をしてみせると、ヒロは「しゃーないなぁ」と笑ってくれた。

 裕貴との待ち合わせ場所は駅北口。改札を通るとヒロが俺を振り返った。
「なあ、まつながー。黄門様の銅像ってどこー?」
「はあ? 何だそりゃ。そういうのはこの辺りには無いぞ。ここからバスに乗って、少し行った保和苑って所になら石像が有る」
「えー。そうなん?」
 ヒロが残念そうに口元に手を当てて頬を膨らます。だから19の男がそういうポーズが似合うのは……止めておこう。一々口にする方が虚しい。それにしてもこんな嘘情報をヒロに教えたのは誰だ? ……裕貴しかいないか。
「予想していたよりずっと可愛いなぁ。ジャスト俺好み。おはよう、酒ちゃん。健。お前、判っててわざと俺と酒ちゃんを会わせなかったな」
 この声は振り返るまでも無く裕貴だ。この分だと待ち合わせ場所どころか、改札辺りから待ち伏せしてやがったな。
「お前がドタキャンするかもしれないからな」
 顔を背けてるのに心を読むなっての。ヒロは「ほえ?」と言って「あの人が裕貴さん?」て聞いてくる。多分裕貴は「営業用か?」と聞きたくなる笑顔で手を振っているんだろう。
「うん」
「背が高うてまつながーに負けんくらいええ男やなぁ。裕貴さん、初めましてー。電話ではどーも。酒井博俊や」
「初めまして、酒ちゃん。斉藤裕貴だ。やっぱり君はとても礼儀正しいね。健、少しは見習えよ。というかいい加減にこっち向け。それが数ヶ月ぶりに会った友達にする態度か。俺は健をそんな悪い子に育てた覚えは無いぞ」
 この野郎。こんな場所でそれを言うか。我慢の限界だ。
「俺もお前に育てられた記憶は無いっての」
 俺が振り返ると同時に「こいつぅー」と笑顔の裕貴に軽くデコピンをされた。こういうところも全然変わってねえな。
 ヒロが「あっ」と言い掛けて口を押さえる。ああ、そうだよ。この痛くないデコピンは、「親愛の情を込めて」だと言う裕貴から移ったんだっての。伊勢に行く前の俺なら迷わずヒロにヘッドロックをしかけてただろ。
 「へー」と言ってヒロがにやにや笑っている。即突っ込みが来ない分、こういう時は逆に恥ずかしい。
 裕貴は俺とヒロの顔を見て「ふーん。なるほどね。健も東京でもまれて少しは成長したかな」と言った。保護者面で言うのは止めろって。勘の良いヒロに全部ばれるだろ。
 俺の肩がわずかに動くのを見て、ヒロが黙って素早く俺の手を掴んでくる。おいおいおい。お前もか。いくら俺でもこんな事くらいで裕貴を殴らないっての。
「2人共、可愛いー」と裕貴はご満悦顔だ。
 やっぱり1発殴ってやろうかと思ったら、ヒロの力が強まった。俺が安心しろと視線を向けると、ヒロは「お願いやで」って顔をしてから手を離してくれた。裕貴みたいに保護者臭く感じないのは、ヒロの持つ独特の柔らかい雰囲気からだろう。
「うわぁ。さすが酒ちゃんだねー。健を扱うのが俺より上手い。演技じゃないだけに余計そう感じるのかな」
「へ?」
 ヒロが何の事だという顔をすると、裕貴は1人で納得したと笑う。俺を「扱う」ってどういう意味だ。俺がヒロに良いようにされ……少なくともヒロに甘えきってはいるな。
「さて、あの後美由紀から預かった健への伝言だ。「あの場所で待つ。判らなかったら会えなくても良い」だとさ。健、この挑戦受けるだろ。美由紀はもうそこで待っている。酒ちゃんは俺に任せて今すぐ行ってこい」
 あの場所……って、あそこか。
「裕貴、てめえ。知ってて北口に呼び出しやがったな」
 俺が睨み付けると裕貴はふんと鼻を鳴らす。
「何の事だ。俺はこれから酒ちゃんとデートしたいから北口を選んだけだ」
「でーとぉ?」
 ヒロが耳に慣れない台詞に露骨に嫌そうな顔をする。当然の反応だな。くそっ。こういう時、身体が2つ欲しい。多分大丈夫だろうけど釘だけはしっかり刺しておくか。
「裕貴、いいか。よく聞け。俺の天子に手を出しやがったら、殴るじゃ済ませないぞ。ヒロ、危ないと思ったら遠慮せずに本気でやっちまえよ」
 俺が駆け出すと後ろからヒロの「まつながーのアホー! ボケー!」という大声が聞こえてきた。あ、「俺の天子」と言っちまった。言ってしまったモンは仕方ねぇ。後で裕貴に色々聞かれるだろうけど、今は美由紀優先だ。

 一旦駅南口に戻って正面の橋を渡る。川沿いの道を西に向かって俺は走った。どこか判らなきゃ会えなくて良いなんて、美由紀もたった数ヶ月で性格が悪くなったな。こっちが本性なのかもしれない。ベタ甘えができる相手が居なくなって、開き直った結果だろう。
 汗が額を伝って目に入ってくる。ああ、うっとうしい。髪が邪魔だ。というか、真夏の炎天下に長距離を走らせるなっての。
 短い橋を通り過ぎると緑の芝生が視界一杯に広がる。千波湖を囲む公園だ。道なりに行った場所に近代美術館が有る。静かな場所に居たくて美由紀とよくここに来ていた。美由紀が選んだ場所なら常磐神社の方じゃ無いだろう。
 角を曲がると広葉樹の下に、髪をツインテールにしてプリントTシャツとジーンズを着た美由紀が視界に入った。俺を見付けたらしくて軽く手を振ってくる。
「美由紀」
「健君、久しぶり」
「うん。久しぶりだ」
 真夏なのに日焼けをほとんどしていない白い肌。ほんの4ヶ月半、顔を見なかっただけなのに2、3歳は老けて見える。深夜まで勉強ばかりしているんだろう。少しだけ顔がやつれていた。そして、美由紀の右耳のピアスホールはもう塞がりかけていた。
 美由紀は正面に立った俺に向かって少しだけ笑った。
「健君、髪が伸びたね。それにとても元気そう。東京が肌に合ってるのかな。裕貴君が殺しても死にそうにないくらいって言ってたけど本当みたいね」
 裕貴のヤツ、余計な事を言いやがって。
「あたしは見たままでこんな感じ。凄く老けたでしょ。顔にびっくりしたと書いてあるよ。3年になって健君に勉強見て貰えなくなってから成績が一気に落ちゃって、先生に親呼び出しされちゃったの」
 3年になってから親呼び出しって……。進路とクラスを下に変えさせるって事だろ。何で一言も言ってくれなかったんだ。俺の表情を読んだ美由紀が苦笑する。
「バイトと勉強で忙しい健君にはとても話せないよ。だって東京と水戸よ。健君に愚痴を言ってもあたしの成績は上がらないでしょ。だったらあたしも1人で頑張らなきゃって。だからつい、あんな酷い事を健君に言っちゃって。すぐに後悔して……だけど……」
 美由紀はそこまで言って、少しだけ顔を伏せるとすぐに顔を上げて笑う。
 そんなに無理をして笑わなくて良いんだぞ。くそっ。どうしてこんな時、俺は裕貴やヒロみたいに上手い言葉が出て来ないんだ。
「湖を歩いて1周しない? 前はよく2人で歩いてたでしょ。せっかく久しぶりに外に出たんだもん。身体を動かしたい気分なの」
「ああ」
 俺が頷くと「暑いから嫌だって言うと思ってた」と、歩き出した美由紀は笑って言った。
 無意識の内に俺の手は、ポケットの中にあるヒロがくれた携帯ストラップの真珠を握っていた。


21.

「行っちゃたねえ」
 振り返った裕貴さんは両手を腰に当てて溜息混じりに言うた。
「さて、健の天使? の酒ちゃん。俺とデートしよか」
 やっぱり言われた。まつながーのどアホめ。戻って来たら覚えとれよ。
「お願いやからその天子ってのは止めてくれん? まつながー本人の口から出ても鳥肌モンなのに、事情を知らん人からまで言われとうないん。それと俺相手にデートて言うのも止めてぇな。真夏なのにメッチャ寒いでぇ」
 裕貴さんは少しだけ意外そうな顔をして笑う。
「初めて電話で話した時もだったけど、酒ちゃんは可愛い顔に似合わずはっきり物を言うね」
「時と場合によってや。最近はまつながーが嫌な特技覚えてしもたから、すっかり無口になってきとるん」
 裕貴さんはぽんと手を打つとにやりと笑った。
「ああ、まるでテレパシーみたいに相手の感情を読むあれか。健はガタイに似合わず気が小さくて、好きな相手の顔色をやたらと見るヤツだからなぁ。あはは。 よっぽど酒ちゃんが気に入ってて嫌われたく無いんだ。美由紀が酒ちゃんの事を知った時が見物だな。まだ美由紀には何も話して無いんだ。こっそり2人の後を 付けてやろうか」
 そういう言い方は止めれー。知らん人が聞いたら嫌な方向に誤解されるやろ。この人ってマジでまつながーの変態師匠やなぁ。前半は聞こえんかったコトにしとこ。
「覗きは悪趣味やで」
「おや、酒ちゃんは健が今後どうなるのか、気にならないのか?」
「ならんて言うたら嘘になるけど、まつながーが自分から話してくれるまで何も聞かんでもええ。今日の俺はただの付き添いやもん」
 裕貴さんは数回瞬きをした後、俺の顔をじっと見て言った。
「はあーん。これは酒ちゃんに惚れた相手は相当苦労しそうだな」
 へ? どういう意味やねん。
「さて、立ち話も何だし喫茶店にでも入ろうか。コーヒーとデザートが美味しい店が近くに有るんだ。色々話も聞きたいし。ね、健の天使ちゃん」
 やーめーれーっ! と怒鳴らなかった俺って凄いかも。わざと爆弾落とすの止めてや。ネタが気色悪い分、ある意味うちの姉貴よりタチ悪いでぇ。無自覚地雷踏みーのまつながーで俺も相当鍛えられたみたいやなぁ。
「その言い方、止めてって言ったやん」
 俺がぶすったれると、裕貴さんはぷっと吹き出した。
「滅茶苦茶可愛いなぁ。酒ちゃんを離せない健の気持ちが解るぞ」
 んなモン解らんでええから。ちゅーか、メッチャ気色の悪いコト言うのはええ加減に堪忍してやー。
「それ、絶対解説せんといてな。これ以上鳥肌立つのは嫌や」
「どこら辺に鳥肌が立ってるのかこの目で見たい。喫茶店よりホテルでご休憩の方が良いか」
 その直後、俺の右足は裕貴さんの脇腹にたたき込まれとった。


 喫茶店に行くと言いながら、何でか裕貴さんは個室タイプのネットカフェに俺を連れて行った。ちゅーても、メニューはメチャ豊富で、名古屋のあの店には絶対負けとるけど、ちょっとアレなモンまで有る。
 痛む脇腹を押さえながら裕貴さんは笑う。
「酒ちゃんが誰にも話を聞かれたくなさそうだったからここにしたよ。ホテルの方がゆっくり落ち着いて話し易いかと思ったけどね。どうやら俺はよほどの地雷 を踏んだらしい。別れ際の健の口調からして、痣1つで済んだのはラッキーだったのかな。手の早い健の側に居たから、反射神経にはかなり自信が有ったんだけ ど失敗した」
 どう考えても俺が悪いんよなぁ。うっかりでも使うなって親父からキツク言われとるのに、初対面の人、しかもまつながーの親友さん相手に、俺は何をアホなコトやっとるんや。
「堪忍してなぁ。とっさに足を出てしもうた。普段は使わないように気を付けとるんやけど。その……ホテルて聞いた瞬間に、ぶちっと理性が飛んでしもうたみたいや」
 俺が下を向いたままでぼそぼそと話すと、裕貴さんはテーブルに肘をついて、「へえ」と意外そうな声を出す。
「健と行ったのか」
 ぶっと俺は飲みかけのアイスコーヒーを噴き出した。
「その反応はビンゴか。でも、正しい使用方法じゃ無い。他に行く所が無くて仕方なく泊まったって感じかな。でなきゃノーマルストレートの健が、男の酒ちゃんとそんな所に行くはずがない。状況を想像すると伊勢に帰省した時だな」
 うはぁ。何でそないなコトまで解るん? 裕貴さんて凄すぎるー。どないしよう。まつながーからあれだけ注意されとったのに、今の俺は頭の中が真っ白や。
 まつながぁ。今ほど一緒に居って欲しいて思ったコトは無いでぇ。助けてぇー。

 裕貴さんはコーヒーカップを持ったまま少しだけ眉を寄せた。
「やれやれ。一体どういう風に健は俺の事を話したんだろうな。酒ちゃん、そんなに怯えなくても良いよ。長い付き合いだから、あの健に「俺の」なんて言わせ る相手をどうこうしようなんて思わない。どちらかと言えば俺は酒ちゃんに協力して欲しいと思ってるよ。健のお母さんの話はしたよな。健が東京でどんな暮ら しをしてきたのか、当たり障りの無い程度に教えて欲しいんだ。幾つになっても親にとって子供は子供だ。特に健は事情を抱えている。分かるかな?」
 ああ、そういうコトか。そらそうよな。もし、俺が東京に出てきてから1度もオカンらに連絡を取らんかったら、心配してアパートまで押しかけてくるくらい のコトはするよな。裕貴さんはぎくしゃくしとるまつながーとご両親との橋渡しもする気でおるんや。ホンマにこの人は……。
 俺が納得したと頷くと、裕貴さんはにっこり笑って「その前に「俺の天使」って何だ? これだけは絶対外せないね」と言うた。……話すんの止めようかな。
 視線を逸らしたら、裕貴さんはカップを置いて両手を組んだ。
「酒ちゃん。健の天使ちゃん。正直に吐け」
 ぶつっ。って何かが切れる音がした。
「天使やのうて天子。天の子供って字。神さんのコト。それでのうてもメッチャ恥ずかしいまつながーの勘違い誇大妄想呼びをアンタまですなや!」
 あ、しもたぁ。自分でバラしてどないするん。裕貴さんがにやりと笑う。
「天使じゃなくて天子か。なるほど、健らしいネーミングセンスだ。俺も健の天子様に両手を合わした方が良いのかな。どういう経緯でそう呼ばれたのか教えてくれるよな」
 うがーっ。どうしても口で裕貴さんに勝てん。メッチャ勘が良うて、口も達者で、今より強引になった、まつながーのシミュレーションをリアルでするなんて嫌やぁ。
 けど、裕貴さんの気持ちを考えたら「何も言いとうない」とは言いづらい。
 普段サボりまくってる頭をフル回転や。どないしたらあの時泣いたまつながーの状態を、ネタバレ無しで裕貴さんに解って貰える? まつながーも裕貴さんも絶対に俺の言葉で傷付けとうない。しっかりせい。俺。


22.

 俺達はお互いに黙ったまま遊歩道をゆっくり歩く。このスピードなら湖を1周するのに1時間近くは掛かるだろう。それまでに俺は美由紀に何が言えるだろう。
「鳥、あまり居ないね」
「この時期はあまり居ないんじゃ無かったか。それに暑いから日陰で休んでるんだろ」
「じゃあ、この炎天下を歩いてるあたし達って何?」
「只の馬鹿だろ」
 美由紀はむっとした顔をして俺を見上げると、「そういう事を言う健君にはあげなーい」と言ってバッグからペットボトルのジュースを出して飲んだ。おい、そりゃ卑怯だろ。おれは駅から走って来たんだぞ。
 ペットボトルをバッグに入れると美由紀は「口が悪い所は全然変わってないね。それとも裕貴君が居なくて口下手が悪化した?」と言った。
 今はヒロが居てくれるからとは言いにくい。美由紀には関係無い話だからな。それに俺にとってのヒロを誰かに説明するのは難しい。「俺の天子」なんて言おうモンなら、美由紀にどんな突っ込みをされるか判らない。
「これでも……自分では少しはマシになったと思ってたんだ」
「どこが?」
 美由紀から速攻で突っ込みが入る。
 これが今の俺に言える精一杯か。本当に情けねーな。あれだけ(かなり嫌そうに)ヒロが協力してくれて、俺が自分の気持ちを上手く言葉にできるようにと練習してきたのに。指の中で小さな真珠と銀色のイルカが軽くぶつかる。ヒロ、俺に力を貸してくれ。
 偕楽園の近くまでさしかかった所で俺は足を止めた。
「美由紀」
「なに?」
 美由紀も足を止めて俺を真っ直ぐに見返してくる。
「けじめを付けに帰って来た」
 美由紀は息を飲んで、俺の顔をまじまじと見る。
「健君がそう言ってくれるのをずっと待ってたの。自分で振ったくせに狡いと思ってるでしょ」
 今にも消えそうな声で美由紀は震えながら言った。それは違うだろ。自分だけを責めるなっての。胸が痛くなってくる。
「俺達は……もっと早く、本当なら俺が卒業した時に別れるべきだった。理由は今なら美由紀も解ってるんだろ」
「うん。あたしは健君に頼りきって、健君は自由に会えないご家族の代わりにあたしを愛してくれたの」
「……そのとおりだ」
 とても否定できねえ。それをやっちまったら俺はもっと卑怯者になる。
「今なら冷静に解るよ。あの頃のあたし達、お互いに甘えすぎてたんだよね。ねえ、健君。分かってたのならどうして今までピアスを外さなかったの? あたしはそれが聞きたかったの」
 俺は伸ばした髪で隠れた自分の左耳に手を添えた。上手く言葉にならねえ。

『まつながぁ。少しずつでええんやからなぁ。無理をせんでもええんやでぇ』

 俺が馬鹿な事を言った時の、ヒロの苦笑した顔と口癖が頭に浮かぶ。そうだ。恰好付けようとしたり、無理に言葉にしようとするから俺はいつも失敗する。思った事、感じた事を俺のできる限りの言葉にすれば良い。
「美由紀に直接会って、きちんと別れ話ができたら外そうと決めていた。あのままじゃ駄目だと思ったんだ」
「じゃあ、どうして連絡をくれなかったの? あたしが1度着信拒否にしたから? やっぱり全部あたしが悪いのね。ごめんなさい」
 美由紀が辛そうに顔をしかめる。そんな顔は似合わないから止めろよ。
「違う。連絡をとる方法は他にも有った。俺が……」
 ヒロ、お願いだ。俺を助けてくれ。
「俺に勇気が無かったからだ。裕貴と東京の友達が俺の背中を押してくれて、やっと俺はここまで来れた。美由紀だけのせいじゃない。俺は美由紀に会ったら謝ろうと思っていた。長い間、美由紀を放っておいたままにして本当に悪かった。ずっと苦しかっただろ」

 ああ、やっと言えた。
 これで俺は漸く自分で無意識の内に作っちまった枷から開放される。
 俺はゆっくりとポケットの中の真珠から手を離した。
 美由紀は数回瞬きをして、目に涙を浮かべると少しだけ笑った。
「あたしもあんな逃げ方してごめんなさい。本当はあたしも健君に謝りたかったの。前言撤回するよ。健君、凄く変わったね。東京のお友達の影響かな」
「多分そうだ。俺は今「天子」と一緒に暮らしてるんだ」
「……て、天使って。何よ。それー!?」
 美由紀の絶叫が響き渡る。できるだけ正直にと思ったらこれかよ。俺ってやつはどうして加減ができねえんだ? マジでヒロに恨まれそうだ。


 俺達は芝生に座ると足を伸ばした。炎天下を避けて家族連れは木陰に陣取っているから、ほとんど俺達専用だ。
「絶対に笑うなよ」
 俺は何度も念を押して、伊勢で撮ったヒロの寝顔の写真を美由紀に見せた。
「可愛い。……ううん。凄く綺麗。女の子? だよね」
「見た目はこれだけどヒロはしっかり男だっての。何で美由紀と決着も付けてないのに女と暮らせるんだよ」
 美由紀は携帯を閉じると溜息をつきながら俺に返してきた。
「実は健君も裕貴君と同じ趣味の持ち主かぁ。段々これがあたしに会わなかった本当の理由って気がしてきたわ」
「だーっ! 滅茶苦茶気持ち悪い事を言うな。俺はそういう趣味は無いって知ってるだろ。これだから裕貴を知ってるヤツに、ヒロを会わせるのは嫌だったんだよ」
 俺が本気で嫌そうに声を荒げると、美由紀は声を立てて笑った。
「でも健君の元気の元はこの子だって気がする。だって健君、1度もあたしの写真は撮ってくれなかったじゃない」
「美由紀とは毎日学校で会ってただろ」
「この子とは一緒に暮らしてるんでしょ」
 そう言われると返す言葉がねえ。何で俺はヒロの写真を……。あ、そうだった。
「こいつ、ヒロの事だ。見た目は中学生みたいでも、もう19歳なんだよ。いつまでも男がこのままじゃいないだろ。勿体ねえって思って何枚か保存してるんだ。ヒロが年食っておっさん顔になったら一緒に笑ってやろうと思ってる」
「へー。へー。へー」
 美由紀が俺の顔を見てにやにやと笑う。何だよ。気持ち悪いな。
「裕貴君が健君の口から「ヒロ」て名前が出たら思いっきり笑ってやれって言ってたの。裕貴君の時より甘えてて、電話で2人のやりとりを聞いてる方が恥ずかしくなってくるって言ってたわ」
 裕貴の野郎。あれだけ余計な事を美由紀に言うなと言ったのに。しっかりネタ投下をしやがったな。
「そのとおりだから可笑しかったの。健君はこの子と一生友達を続ける気なのね」
「う……ん」
 たしかにヒロの姉さんと口喧嘩をした時に、同じ事を言ったし思ってもいる。なんて言ったらまた美由紀に笑われそうだな。こういう時は黙ってた方が良いだろう。ヒロの言葉じゃ無いけど、地雷をモロに踏みそうだ。
 美由紀は立ち上がるとジーンズに付いた草をはらった。
「そろそろ歩かない?」
「ああ」
 俺もゆっくり立ち上がる。
 美由紀の後ろ姿は「ちゃんとお別れできたからもう良いよね」と言っている気がした。


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