17.

 目が覚めたら今朝もベッドの上から覗き込んどるまつながーと目が合った。うーっ。先超されてしもうたんか。嫌やなぁ。ああやって俺の顔を見とるってコトは何かやりおったな。今日は何をされたんやろう。
「おはよう。今日は悪戯「は」してないぞ」
「おはよー」
 慣れたけどまたしっかり表情読まれとるし。あれ、ちょい待て。「は」って何? 「悪戯は」って。
 俺が布団から起きあがると、まつながーは携帯を操作しとった。何をしとるんやろう。
「大分溜まったな。機会が有ったら見せてやるよ。ヒロの寝顔コレクション。毎日違うから結構面白いぞ」
「はあ? アホか。んなモン撮るなーっ。ちゅーか、今すぐ全部消せや」
 まつながーは携帯を閉じてにやりと笑った。
「携帯本体と俺のパソコン、ついでに他数ヶ所にバックアップ済み。どこに入れたか忘れたのも有るから全部は無理だっての」
 あちこちにバックアップて。……ストーカーやあるまいし、平然と気色の悪いコト言うなー。
「このどアホー! 変態!」
 今日も朝っぱらからこれかい。マジで堪忍してやぁ。


「正直に全部出せや。俺が処分するから」
「嫌だ。勿体無い」
「……」
 何がどう勿体無いんやろう。俺がだらしなくよだれ垂らしとる写真やで。まつながーて時々ホンマに解らん。これ以上ツッコムのが怖くなってきたなぁ。
 口の中で食パンがもそもそいっとる。会話がこんなんやから唾液が上手く出てこんのやな。面倒やからコーヒーで流しこんだろ。
 空になったマグカップを置いて、俺はテーブルに両手を付いて顎を乗せた。
 昨夜は結局、何も考えが纏まらん内に寝てしもうた。起きたらまつながーはアホスイッチオン状態で、堪忍してぇなコトをやらかし続けてくれるから、益々真面目に考えるコトができん。もしかして、まつながー、わざと邪魔しとる?
 俺が不信感一杯の目を向けると、まつながーは少しだけ照れくさそうに笑った。あー。
「ヒロの邪魔をする気は無いんだけどな。とにかく何かやってねーとやってられねえって言うか、間が持たないっていうか……」
 ああ、そういうトコな。まつながーが言いたいコトは何となく解る。俺がまつながーの立場やったらやっぱり落ち着けんもん。ほやけど、やってええコトと悪いコトが有るやろぉ。
「ほやからって人の身体をオモチャにして遊ぶなや。毎回アホなコトされる身にもなってやぁ」
 まつながーは何のコトだって顔をして俺を見返してくる。あ、メッチャ嫌な予感。
「ヒロをオモチャにした覚えは無いぞ。反応が一々新鮮で可愛いから楽しいのと、最近ヒロが俺から逃げまくって、構ってくれないから俺が構うんだ。裕貴じゃあるまいし、俺を変態扱いするなっての」
 今、ぶちっ。って音がこめかみ辺りから聞こえた気がするで。

 まつながーは自分が言うてるコト、やってるコトの自覚が無いだけの変態もどきやって何度も言うとるやろうが。この鳥頭。
 いくら兄弟が居らんくても、どこまでならしてもええかくらい判れや。こんボケェ!

 と、大声で言ったらスッキリするやろなぁ。冗談ならまだ「さむー」で済むけど、まつながーは本気で言うとるからマジで嫌や。
 まだ、からかうと面白いて言われた方がよっぽどマシや。他の人らには絶対こういうコトせんのに何で俺限定でアホをやらかすん? 高校時代は裕貴さんがやられとったんかなぁ。
 そないなコト考えとったらまつながーの手が俺の額に伸びてきた。あ、メチャ痛い方のデコピンする気やな。
「裕貴相手にやったら俺が自分好みでも無いくせに、嫌な意味で喜ばれるから絶対しねえっての。俺の天子以外にこんな甘え方するかよ」
 まつながーはデコピンの代わりに指先で強く俺の額を押した。勢いで俺の身体が仰け反る。口で何も言わんでもストレートにまつながーに通じたんやな。
 それにしても「こんな甘え方」って。それって絶対に方法が間違っとるから。マジで、ホンマに。ちゅーか、誰がまつながーにこないなアホなコト教え……。
 うがーっ!
 全部解ってしもうた。裕貴さーん。意地っ張りやけど、ホンマは孝行モンで、妙なトコで素直なまつながーを変に洗脳せんといてやぁ。どういう高校時代を過 ごしてきたんか想像付いてしもうた。裕貴さんに騙されて遊ばれまくるまつながーの姿が目に浮かぶ。想像するだけで泣けてきそうや。

 狙いすましたように裕貴さんから電話が入る。話す内容はまつながーにとって大事なコトやし、まつながーも昨夜とかなり変わったっぽい。もう部屋を移るん は何となく嫌やなぁ。ちらりとまつながーの顔を見たら、親指で「ここで話せ」ってジェスチャーしてきた。やっぱし気になってしゃーないんやな。受話ボタン を押して携帯を耳に当てる。
「もしもし」
『おはよう、酒ちゃん。ちょっと不機嫌って感じだな。起き抜けだったかな。そうなら悪い』
 ホンマに鋭い人やなぁ。まつながーが口下手でも全然困らんハズや。ちょこっと話振ってみよ。
「いや、さっき朝ご飯食べ終わったトコ。なあ、裕貴さん。まつながーってメッチャ可愛い?」
「馬鹿ヒロ。いきなり何だよ」
 まつながーが驚いた声を上げる。アホやなぁ。側に居るってバレバレやん。まあ、裕貴さんに話す手間が省けてええけど。
『いやん。酒ちゃんってばやきもちー? でも、自慢しちゃおう。健ちゃんは凄く可愛いよん。目に入りきらないほどでかいのが難点だけどね。たった3年間で上手に育てたと誉めてくれ。さて、電話を切られると嫌だから俺も真面目に聞くよ。そこに健が居るんだな』
 俺が聞きたいコトがたったあれだけで解ったんか。ついでに自分がアホまつながーを作った犯人やとしっかり認めおったな。それにしても裕貴さんは切り替え もメッチャ早いなぁ。裕貴さんの影響受ける前のまつながーに会いたかったと思うんは俺の我が儘? いや、話が脱線するから俺もちゃんと答えよ。
「うん。まつながーは目の前に居るで。これから俺と裕貴さんと話すコトは、まつながー抜きで話しとうないて思ったん」
 電話の向こう側で「凄い」って声と口笛を吹く音がした。どういう意味やろう。
『酒ちゃんには驚かされてばかりだ。どうやって意地っ張りの健をその気にさせたのかご教授願いたいね』
 昨夜のコトは色々な意味で話しとうないなぁ。俺まで変態認定されかねんし、まつながーが話してくれたコトはたとえ裕貴さんでも言えん。
「普通に裕貴さんから聞いたコトを話しただけやて。後はまつながーが……自分から話してくれたん」
 というコトにしとく。ホンマは「裕貴さんがアホなコトばっかり、まつながーに教えるから俺はええ迷惑や」て言いたいけど黙っとこ。
『ふーん。まあ、酒ちゃんがそういう事にしときたいなら、今は良いよ。だけど後でしっかり聞くからな。それで健は何て言ったんだ?』
 「今はってどういう意味やねん」とツッコミいれるのは止める。今はまつながーのコトだけ考えよ。ほやないと俺が裕貴さんのノリに混乱してまう。
「まつながーも美由紀さんに会うて言うた。あ、美由紀さんに会おうとは思わんけど、俺も水戸までは付いていくで」
『そうか。やっと健が重い腰を上げる気になったか。酒ちゃん……』
「へ?」
 裕貴さんはそのまま黙ってしもうた。どないしたん。裕貴さんはずっとまつながーが決心するのを待ってたんとちゃうの。美由紀さんの事情も有るて言うてた けど、ホンマは大事に想っとるまつながーを早う楽にしたくて、連絡係なんて辛い役目を引き受けたんとちゃうの。1度も会ったコト無い俺に無理に頼んでで も、まつながーを助けたかったんやろ。やっとここまで来たんやで。嬉しくないん?
 しばらくして裕貴さんの小さな笑い声が聞こえた。
『酒ちゃーん。愛してるよー』
 ホンマはそう思ってへんのに無理して。やっぱ、この人も意地っ張りやなぁ。まあええ。付き合うたろ。
「電話やとハリセンとばせれんでー。「何をアホなコト言うてるねん」てオチつけれんやん」
『あはは。そうだな。酒ちゃん、悪いけど健と替わってくれないか?』
「ええで」

 俺が携帯を回すとまつながーは少しだけ緊張した顔で受け取った。毎日怒鳴り合いしとったから、裕貴さんとまともに話すのって久しぶりとちゃうんかな。やっぱし席外そうかな。
 腰を浮かそうとしたらまつながーに腕を掴まれた。「逃げるな」て言いたいんやな。逃げるんとちゃうわい。俺には聞かれとうない話も有るやろうから遠慮しとこて思っただけやて。
 掴んどる手を外させようとしたらまつながーに睨まれた。何も言わんでも俺の考えとるコトが解るくせに、聞いてはくれんのやもんなぁ。
「裕貴、悪いけどちょっと待ってくれ。俺の携帯から掛け直す。ついでに目の前に居る馬鹿に言いたい事が有るから少しだけ時間をくれよ」
 せっかく替わったのに速攻で切るし。いくら掛け直すからって裕貴さんに悪いやろ。まつながーが携帯を畳んで俺に返してくるんでポケットに戻す。ホンマにまつながーって……。
「ぎゃーっ!!」
 何すんねん!? 何で俺がいきなりまつながーにお姫様だっこされなアカンの? ちゅーか、マジで止めれ。アホ! 文句を言いたいのに叫び声しか出てこん。
 まつながーは俺を抱きかかえたまま胡座をかいて座った。まつながーの顔が俺の顔の至近距離に有る。
 うげげっ。トラウマになりそうなコトを思い出すから堪忍してぇ。
「俺の携帯が新型タイプかスピーカーマイクが有れば、わざわざこんな事をしなくて良かったんだけどな。ヒロ、嫌なのは解るけどしばらく我慢してくれ。それと俺に変な気を使って遠慮するなよ。俺がヒロには最後まで付き合って欲しいんだっての」
「ほえ?」
 まつながーはポケットから携帯を出すと、いかにも見ろって雰囲気で俺の目の前でボタンを押す。着信履歴が見えて、液晶画面に裕貴さんの名前がずらりと並んどる。ここ2日くらいの日付が無いのは、裕貴さんと俺が話しとったからやな。
 返信ボタンを押すとまつながーは俺の顔側に携帯を持った。
 ああ。「最後まで付き合え」てこういうコトかぁ。ここまで近かったら普通の音量でも、裕貴さんの声が全部聞こえるモンなぁ。
 ホンマに先に言えやぁ。朝から入りっぱなしのアホスイッチが、オーバーヒートしたかと思って泣きそうになったやろぉ。
「裕貴、待たせて悪かった。この電話はヒロも聞いているからな。あまり馬鹿な事を言うと、何故かお前に良いイメージ持ってるヒロに本性がバレるぞ」
『いやん。健ちゃんってば「おはよう」も言ってくれないのぉ。裕貴くん、寂しいー。拗ねちゃう』
「ぎゃははははっ」
 これは俺。まつながーは瞬間的に固まってしもうた。裕貴さんの軽くて変なノリにはもう慣れたから俺は気にせんのやけどなぁ。恥ずかしいコトを真顔で言いまくるまつながーとマジでええ勝負やもん。
『酒ちゃんもこの電話を聞いてるって? こっちにも酒ちゃんの声がクリアに聞こえてる。健が新型を買うとは思えないから、どういう仕掛けか聞きたいところだな。健、真面目で純情な酒ちゃんにセクハラするなよ』
「してねえっての。裕貴じゃあるまいし」
 裕貴さんに煽られてまつながー復活。充分セクハラ(男同士でもそう言うの?)されとるけどなぁ。しかも現在進行形やし。とりあえず俺は黙っとこ。変態は変態に委せるのが1番や。ちゅーか、この手の話題に俺は入りとうない。
『どうだかね。まあいい。後で酒ちゃんに聞こう。それにしても酒ちゃん様々だなぁ。あれだけ意地を張ってた健があっさり折れるんだから』
「ほっとけ。ヒロは特別だっての」
 「ぷっ」て裕貴さんの笑い声まで聞こえるし。
『いやーん。健ちゃんってば自覚無しで変態行為してるのね。そんな子に育てた覚えは裕貴くんには無くってよ』
 ……。声、完全に裏がえっとるし。裕貴さんて役者やなぁ。
「真性変態に言われたくない。わざとらしくカマ言葉を使うな。気持ちが悪い」
 この2人は目くそ鼻くそやな。ちゅーか、ちゃっちゃと話を進めろや。それでのうても絶対に誰にも見られとう無い恥ずかしい恰好させられ続けとるのに、いくら俺でも変態同士が足引っ張り合うのに付き合う気は無いで。
『少しばかり場を和ませようとしたんだけどな。分かった。健、本当に覚悟ができたと思って良いんだな。美由紀に会うのに酒ちゃんや俺の付き添いは無しだぞ。会うときは健1人でだ』
「分かってる」
 裕貴さん、いきなりマジモードや。まつながーの顔もすぐに真面目になった。
 これがこの2人のリズムと空気なんやなぁ。2人共度々脱線しながら俺と話す時とは全然口調が違うで。自分がやったコトの責任は最後までとるつもりやけど、ホンマに俺がここに居てええの? って気がしてきた。


18.

 抱き上げた時は速攻で殴られそうな気配だったのに(気持ちは凄く解るぞ。俺も相手がヒロじゃ無かったら男相手にこんな体勢我慢できるか)、膝の上に乗せ て携帯を出しながら「最後まで付き合え」と言うと、ヒロはすぐに俺の意図を察して大人しくなってくれた。相変わらず勘が良い上に懐の深い奴だな。
 と、思ったのに俺と裕貴の掛け合いが終わると逃げ腰になりやがる。するなって言ったのにまだ俺に遠慮しているな。
 空いてる手でしっかりヒロの両足を押さえると、ヒロは「ホンマに自分なんかでええの?」という顔をして俺を見上げてきた。
 居てくれと頼んでるのは俺の方だっての。自分がどれだけ人に影響力が有るのか気付とも言ってるだろうが。裕貴と電話中じゃ無かったらヘッドロックを掛けてるところだぞ。
『健、どうした? 酒ちゃん、何か有ったのか』
 くそっ。裕貴はヒロ以上に鋭いからな。名前を呼ばれたヒロが驚いてビクリと肩を震わせる。
「何でもない。話の続きだ。元々美由紀と俺の問題だ。これでも裕貴とヒロには悪い事をしたと思ってるんだ」
『その態度で俺に悪いと思ってたぁ? どの口が言ってるんだ。酒ちゃんが居てくれなかったらとっくにお前を殴りに東京まで乗り込んでるぞ』
 相変わらず口に遠慮の無い野郎だな。通話を切ってやりてえけど我慢だ。ヒロの好意を無にしたくない。俺が言い返す前に裕貴が話を戻してきた。
『言いたい事は山ほど有るけど、せっかく健がその気になったのに、へそを曲げられると面倒だから本題に入るぞ。健と酒ちゃんの休日スケジュールが合うのはいつだ? 俺と美由紀はそっちの都合に合わせる』
 俺が「ヒロ?」と聞くと、ヒロは両手を合わせて少しだけ頭を下げた。
「今日が次のシフト表を貰える日なん。来週以降の予定はバイト先に行かなわからんのや。先に言っておけば2度手間にならんかったんよな。まつながー、裕貴さん、堪忍してなぁ」
「謝るなっての。ヒロが悪いんじゃ無いだろ。そうならスケジュール合わせは今夜やろう。裕貴、聞こえたな?」
『可愛いなぁ。酒ちゃんは本当に癒し系だな。健なんかには勿体無い。俺が立候補したいぞ』
 ……マジで殴ってやりてえ。無事で居たかったら水戸で同じ事を言うなよ。
「へ?」
 ヒロが裕貴の言う意味が判らないと首を傾げる。意味なんか解らなくて良いんだっての。というか、いくらヒロが順応力が高いからって裕貴の性癖まで受け入れられてたまるか。
「裕貴、てめえ。俺をダシにして男をナンパをするな。ヒロは俺のてん……」
「うぎゃーーーーっ!!」
 ヒロが真っ赤な顔をして、叫び声を上げながら俺の口を両手で塞いできた。しまった。「俺の天子」は禁句だった。
『俺のてん……何? 滅茶苦茶気になるなあ。健? 酒ちゃーん?』
 しっかり聞いてやがる。裕貴は美味しそうなネタは絶対見逃さなねえからな。ヒロが「言ったら殴る」と言わんばかりの顔で俺を睨みつけてくる。マジで悪かったての。
「ただの言い間違いだ。忘れろ。とにかく美由紀とは俺1人で会う。日時は明日俺から裕貴に連絡する。これで良いだろ」
『だははははははっ。健ちゃんってば嘘をつくのが相変わらず下手くそぉ。でも、そういうところが可愛いから許しちゃうよん。……明日だな。メールでも電話でも好きな方法で連絡してくれ。美由紀には俺が適当に理由つけて伝えておく』
 ヒロが声を立てるのを我慢しながら肩を震わせて笑っている。くそっ。どうしてこうも裕貴は口が回るんだよ。目の前に居たら殴ってやるのに。
「要らん。裕貴が間に入って伝言がまともに相手に通じた事が有ったか。変なネタを付けられたくねえから、必要最小限の用件だけ美由紀には言ってくれ。とい うか、いい加減に俺をネタにして遊ぶなっての。本性は真面目で説教たれな性格のくせに、状況を無視して話を茶化すのは裕貴の悪い癖だぞ。美由紀がわざわざ お前を通した事の意味くらい解ってるんだろ」
 へ? て顔をしてヒロが携帯をじっと見つめる。そこで驚くか? 俺が何も解ってないとでも思ってたのかよ。
『仕方ないな。可愛い酒ちゃんに免じてこれくらいで許してやるか。健、安心しろ。美由紀には余計な事は言わない。自分で話したいんだろ。俺は健と美由紀を会わせる段取りをするだけだ。ねえ、酒ちゃん』
「ほえ? 何?」
 だからヒロに話振るなっての。馬鹿正直に返事しちまうだろ。
『俺達、苦労してるのに報われないよねー。健ちゃんてば態度悪いーって思わない?』
 返事に困ったヒロが「どうしたらええ?」て顔をして俺を見る。はあ。どうせ裕貴の口には勝てないんだ。もう勝手にしてくれ。
 俺が携帯を渡すとヒロはどうしようって顔で、少しだけ首を傾げると携帯を耳に当てた。こら、ヒロ。髪を引っ張るな。痛いだろ。聞けって言うなら一緒に聞くから。
「裕貴さん、こないな話を俺に振らんといてやぁ。下手なコト言ったら後が怖いやん。それに俺は全然苦労しとるとは思わんでぇ。別のコトでまつながーには毎回「堪忍してぇ」やけど、このコトについては自分がしたいて思っとるコトをやっとるだけや」
 え? ヒロ、お前……。
「それは、裕貴さんも、俺と同じ気持ち、やろ?」
 ゆっくりと静かにヒロが優しい声で裕貴に聞く。ここで天子様モード発動かよ。
 どんな時でも口の減らない裕貴が完全沈黙している。天子モードのヒロには裕貴でも勝てないんだな。
『いやん。酒ちゃんのえっち』
「へ?」
 あーあ。やっちまったな。ヒロ。
『心をのぞき見なんてしちゃいやっ。裕貴くん、恥ずかしいー。という事で、またねー』
 いきなり電話が切れて、ヒロは何が何だか判らないという顔をして固まった。これはもう仕方ねえよな。裕貴のアレに速攻で突っ込みを入れられるのは俺くらいだ。
 ゆっくり膝の上から降ろすと、ヒロは漸く何が起こったのか理解して俺に携帯を返してきた。顔はまだ狐につままれたって感じだ。
「ヒロ、大丈夫か?」
「うん。……あれぇ?」
 裕貴の馬鹿ヤロ。ストレートに痛いところを突かれたからって、真面目なヒロまでからかうなよ。ヒロは手を口元に手を当てて「うーん」と言いながら呻ってる。
「ヒロ、裕貴のボケをまともに取り合うと損だぞ。あいつのはただのネタだ」
 ヒロは数回瞬きをして顔を上げると「あーっ。バイト忘れとったー! まつながー、堪忍」と言って、慌てて部屋を飛び出して行った。おいおいおい。その極端な切り替わりは一体何だよ? 何か俺に知られたくない事でも有るのか。
 時計を見たら俺もバイトに遅刻寸前のやばい時間だった。茶碗も洗濯物も後回しだ。急いで戸締まりをして俺も階段を駆け下りた。


19.

 1度決まってしまうと、とんとん拍子で色んなコトが進んでいく。
 あれだけ悩どったまつながーも、普通に裕貴さんとメールをやりとりして電話でも話しとる。ちゅーコトは、俺の出番はもう無しかなーっなんて思っとったらメッチャ甘かった。
 まつながーに付いて水戸まで行くだけやのに、なぜか「裕貴さん対処法」の講義が毎晩続く。「裕貴は××だから○○で逃げろ」とか。俺を幾つやと思っとるんやと、マジでツッコミ入れとうなるネタで満載や。
 これが全部まつながーが高校時代に体験したコトやとしたら、相当裕貴さんにいじめられとったな。
 とにかく、まつながーが3年間1度も裕貴さんに勝てんかったコトだけはよう解ったで。まつながーの解説は「裕貴さんの攻撃からどうやって逃げるか」ばかりなんやもん。
 裕貴さんもなぁ。もうちょい……。止めとこ。こればっかは人それぞれやもんな。
 ちゅーか。まつながー、宿題のレポート纏めるの完全に忘れてへん?
 今は水戸に帰るコトで頭が一杯になっとるんやろうから俺もツッコミ入れんけど、お願いやから後で2人して泣くコトになった時に切れんといてなぁ。

 話し疲れたんかまつながーは冷蔵庫からビールとコーラを出して、コーラを俺に渡してくれた。
「おおきにぃ」
「俺が呑みたかったらついでだ」
 テーブルを挟んで正面に座ると、まつながーがゆっくりと俺に頭を下げてきた。
 えーっ。まつながーどないしたん? らしくないで。
「ヒロ」
「何?」
 顔を上げて凄く真面目な顔をしたまつながーが、真っ直ぐに俺の顔を見る。こういう顔をするのって久しぶりやなぁ。
「こんな事を言ったらまた怒るだろうけど、どうしても俺が言いたいから言うぞ。俺の天子のヒロ、本当に感謝してる」
 わざわざ礼なんか言わんでもええのに。ホンマに変なトコで真面目なんやからなぁ。
「今だけは天子発言はスルーしたる。俺はまつながーに特別感謝されるようなコトは何もしとらんでぇ。裕貴さんとの電話でも言うたやろ。俺がしたいて思った コトをやっとるだけやて。感謝するなら裕貴さんにしたってやぁ。いくら高校時代からの親友さんかて、わざわざ憎まれ役を買って出てくれるなんてそうそうし てくれんと思うでぇ」
 俺が答えるとまつながーは少しだけ眉間に皺を寄せて顎に手を掛けた。
「裕貴は……。裕貴こそ自分のやりたいようにやった結果が今の状況なんだろうな」
「そうなん?」
「うん。……多分」
 まつながーは少しだけ照れくさそうに笑うと下を向いた。口には出さんけど「裕貴は1度やると決めたら、本当に実現させる凄いヤツなんだ」って自慢げに言 うとる気がする。まつながーも何だかんだと文句や悪口ばかり言っとるけど、ホンマは裕貴さんのコト信頼しきっとるんやなぁ。無い物ねだりやって分かってて も、俺も裕貴さんみたいにしっかりしとったらて思わずにおれん。
「痛っ」
 俺が少しだけ溜息をつくと、まつながーからメッチャ痛いデコピンをされた。
「ヒロが裕貴みたいになったら嫌だって前にも言っただろ。俺の周囲に裕貴みたいなのが2人も居るなんて想像もしたくないし絶対に嫌だ」
 それは3年間でまつながーがしっかり裕貴さんに影響されとるからやろ。電話で話した印象や、まつながーと裕貴さんが話しとるのを端から見たら、まつながーが裕貴さんに似てきたんやって判るで。
「違うっての」
 あ、もしかしてまた全部表情読まれとるんか。ちょっと嫌やなぁ。顔を隠してもまつながーには全部バレるんやもん。
「たしかに俺にとって裕貴の影響はでかい。どこか似てても不思議は無いと思う。何せ3年間ずっと同室だったんだからな。裕貴はたしかに凄い奴だ。俺も少しは奴の度胸に憧れたさ。だけどな、あいつの変態っぷりだけは、俺は移らないように必死で逃げまくってたんだ」
 へ? まつながー、今何て言うた?
 ……。
 無駄かもしれんけど俺は両目を閉じて更に両手で自分の顔を覆った。

 アホか! その変態なトコが1番裕貴さんに似てるて、いい加減に自分でも気付や。ボケェ!!

 と、言いたい。メッチャ言いたい。けど我慢や。言ったら殴られるじゃすまんもん。自覚有りでメチャ怖い冗談飛ばす裕貴さんと、全然自覚無しで言動が変態臭いまつながーを比べたら、まつながーの方が時場所お構いなしだけに傍迷惑って気がするで。
「俺のどこを見ててヒロがそう思うのか全然解らない。好みのタイプなら相手かまわずナンパしまくる裕貴と俺を一緒にするな。俺はヒロ以外にはこの手の迷惑を掛けてねえっての」
 まつながーは缶ビールを放置してベッドに横になると、そのままふて寝してもうた。
 えーっと、それってつまり。
 …………。
 自覚有りで男の俺相手にアホなコトかまし続けとるってコトなんかい!
 こんボケェ! 思いっきり殴ってやりたい。
 俺が手を振り上げると、まつながーが夏布団を頭から被ったままボソリと言った。
「頭じゃ解っていても、気持ちが付いていかなくて、自分でどうにもならないくらい困った時は、本当に仲が良い「家族」だけにしか甘えられないだろ。おやすみ」
「……おやすみ」
 気力が萎えた俺は手をゆっくりと下ろした。
 「家族」なぁ。たしかにちょっと前に俺はまつながーから家族みたいなモンて言われたよな。ほんで言ったり、やっとるコトがアレやから、喜んでええんもん かかなり微妙。俺はつい数ヶ月前に知り合ったばかりの赤の他人やのに、そこまで言うてくれるまつながーの気持ちはメッチャ嬉しいんやけど。
 なあ、まつながー。俺はもっとはっきり言うた方がええの? 「普通は兄弟でもこないなコトせん。人に知られたら「変態」て言われるんやでぇ」て。
 感情表現が下手なまつながーに、少しでも行動で好意を示させようとしたんやろうけど、裕貴さんの変わった教育方針をちょこっとだけ恨みとうなってきた。
 あー。止め止め。裕貴さんに洗脳されとるとしか思えんまつながーに説明すんのは面倒や。外でアホなコトせんかぎりは無視しとこっと。もしかしたら水戸に帰って気持ちが落ち着いたら、アホスイッチが取れるかもしれんもんな。
 俺が布団を敷いて電気を消すと、まつながーが布団から頭を出した。暑いのを意地だけで我慢しっとったな。ホンマモンのアホや。ここ最近、全部「まつながーやから」で済ます俺もメッチャすれてきとるなぁ。


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