54.

 だるい足を軽く振っていたら後ろから強い視線を感じた。ヒロ、お前なぁ。遺伝で決まる体格差なんか気にするなっての。ヒロの内面の深さや広さに比べたら俺なんか完全に蚤サイズなんだぞ。こんな事くらいでお前にいじけられたら俺はどうすりゃ良いんだよ。
 駐車場に入る前に横を通ったけど、ここの水族館はかなり大きい部類に入ると思う。これで民間経営っていうんだから尚更だ。ヒロはなぜか入り口を通りすぎて歩道を歩いていく。
 少し歩くとさっきより広い入り口が有って、どうやらこっちが正面ゲートらしい。ヒロはこっちに来たかったのか。全然説明無しかよ。少しは先に言えっての。
 ヒロは俺が追いつく前に2階に上がって入場券を2枚買う。こら待て待て。ここは水族館なんだぞ。本当に分かって無いって言うか、全然気付いてねーな。こんな所で俺に恥をかかせる気かよ。
「まつながー、入ろー」
 チケットを持って明るくヒロが声を掛けてきた。一斉にゲートの綺麗な受付お姉さん達が露骨に「情け無い男」って顔をして俺を見る。
 俺の予想を裏切らずにやっぱりヒロの性別を誤解されてカップル認定されているな。気付け。ヒロ。いや、気付かなくて良いから違う方向で俺に気を使 え。……これも変だな。奢らせろとまでは言わないから、せめて自分のチケット代くらい俺に払わせろ。周囲の視線が滅茶苦茶痛いだろ。
 俺が頼むから受け取ってくれと願いつつ黙って2人分の入場料にと5千円札を出すと、ヒロは「ここは奢る」って罪の無い笑顔で断りやがった。普段は勘が良いくせにこの手の事になると全然気付いてねぇ。くそっ。「甲斐性無し男認定」確定だ。
 理由を言うとヒロが暴れるに決まってるから、とても本当の事は言えねぇ。1発鈍い頭を叩いてやりてぇけど、周囲からもっと白い目で俺の方が見られるだろう。「やってられるか」とちゃぶ台返したい気持ちってこういうのを言うんだな。
 エントランスに入ってゲートで渡された館内案内を見る。ずいぶん細かく分類されているんだな。ヒロが顔を上げて「まつながー、アシカショー見る?」と聞いてきた。せめてもの抵抗で少しだけ声を大きくする。
「ヒロが行きたい所で良いぞ。俺はどこでも付き合うから」
 ゲートに居る後ろのお姉さん達にしっかり聞こえたよな。半分以上捏造だけど、俺はヒロの付き合いで来たんだと思ってくれ。演技下手な俺が極力余裕の笑顔で言うと、なぜかヒロは少しだけむっとした顔をした。
「まつながーも案内持っとるんやから、少しは自分の意見も言えや」
 ……逆効果だった。もう好きにしてくれ。

 午前中なのに夏休みの日曜日だからか水族館内は家族連れやカップルでかなり混雑している。今の時期は海水浴場に客を取られると思ってたんだがそうでも無いんだな。
 ヒロが案内を見ながら「うーん」と呻っている。どう回れば1番効率が良いか悩んでいるな。俺としてはヒロがどんな生き物が好きなのかの方が気になる。顔に似合わずゲテモノ系かもしれない。
「まつながー、左回りで行こかぁ」
「あ、うん」
 左回り……えーっと、案内図を見てもよく判らないな。ここは慣れているヒロに任せよう。
 始めに入ったゾーンは熱帯の海の巨大水槽らしい。人工サンゴ礁の中を色々な魚が泳いでいる。ちょっと驚いたのが後ろ以外は全面1つの水槽って所だ。上を 向いても横を向いても前を向いても、まるで海中に居る様な錯覚をさせられる。安全の為にアクリルガラスをしっかり固定している柱が無かったら、お手軽なダ イビング気分だ。
 カラフルで小さな魚がひらひらと泳ぐ中を、ゆったりと亀やでかい魚が横切っていく。ヒロの顔を見ると「ふーん」って感じだ。こいうのはあまり趣味じゃ無いんだな。
「凄く綺麗やし魚らも広い場所で気持ち良さそうなんやけど、いかにも金掛けて再現しましたって感じと、ホンマの海なら絶対一緒におらん魚が1つの水槽ってのがなぁ……」
 そういう事か。人工の自然もどきは逆に違和感が有ると言いたいんだな。ヒロは個別の小さな水槽はじっくり見ている。気のせいか海藻に隠れている魚の視線がヒロに行っているぞ。
 隣のブースはいきなりオウム貝だのカブトガニの世界だった。生きた化石群か。ずいぶん極端だな。ここも一通り見て通り過ぎる。階段を降りて水槽を覗くとアシカやアザラシ達の水槽だった。本当に判りにくい造りだな。水槽近くまで顔を寄せて覗き込むと随分深さが有る。
 ヒロがガラスに触ると上から1頭のゴマアザラシが降りてきて、ヒロを見つけてガラスに寄ってきた。アザラシは旋回しながら何度もヒロの顔をじっと見ている。……外宮で神馬がやったアレか。俺もおそるおそる横を見るとヒロは苦笑していた。
「餌の時間は終わったから今は遊びたいんやろ。久しぶりやなー。仲間は呼ばんでもええで。あ、待てっちゅーに」
 ヒロの言葉に反してアザラシは数頭の仲間を連れて戻ってくると、ヒロの顔を見ながら泳いでいる。おいおいおい。マジかよ。
「みんなして集まらんでも良かったのに。他の人らとも遊びたいやろ。あ、そっか。まつながぁ」
「は?」
 ヒロが俺の手を引いて水槽に近付けさせる。ついで程度にしか俺を見なかったアザラシ達が俺をじっと見だした。こんなん有りかよ。
「俺の新しい友達でまつながーっていうねん。メッチャええ奴やで。そこで「えーっ」て顔すなや。顔からは想像つかんかもしれんけどホンマやで。うん。気が 済んだらそろそろ上に戻ったれや。上でまた会えるし、飼育係さんを驚かしたり、遊びに来てくれとる子供らをがっかりさせたらアカンやろ」
 ヒロが軽く手を振るとアザラシ達は水面に上がっていった。ファンタジーの世界かよ。俺がぼーっとヒロの顔を見てると、ヒロはにぱっと笑って言った。
「初めて見るまつながーが珍しくて気になったみたいやったでぇ。あいつらメッチャ好奇心旺盛やからなぁ」
 いや違うだろ。アザラシ達は完全にお前を見てただろ。お前もしっかり動物と会話してただろ。俺がそう言おうとするとヒロが先回りをした。
「俺はガキの頃からここの常連やもん。頭のええ奴らやから顔を覚てるんやないかな。人の表情を読むのが上手いしな。ホンマに凄いと思うでぇ」
 凄いのはそれを普通の事だと受け止めるお前の方だっての。突っ込みを入れそびれていると、ヒロがポケットから携帯を出して時間を見た。
「あ。まつながー、上に戻ろ。もうすぐアシカショー始まるで。立ち見でもええよな。前の方の席は小さい子供らやお年寄りに譲ったろ」
「わっ。待てって」
 ヒロが軽やかに階段を駆け上がっていく。運動部だった俺より足が速い。自分が言うよりずっとスピードと反射神経は良さそうだな。何かスポーツをやれば良いのに。
 扉を開けるとステージがすぐ目の前に見えた。大勢の子供が階段を駆け下りてくる。
「そないに走ると危ないで。足元気つけてなぁ」
 ヒロが子供達に声を掛けながら器用に場内の階段を上がっていく。
 ああ、そうか。ヒロにとっては(しっかり食うくせに)魚も海獣も人間も一緒なんだ。天子様は誰に対しても公平だ。
「まつながー、こっち」
 先に上がったヒロが最後部の立ち見席を2人分確保して、俺に向かって手を差し出してくる。前言撤回。俺はちょっとだけヒロの特別らしい。
 うっかり肩に手を回してヒロに思いっきり手をつねられなかったら(俺が悪かったっての。足まで踏むな)、ショーはガキの頃に地元の水族館で見たのを思い出してそれなりに面白かった。


55.

 アシカショーが終わって海獣ブースに戻る。ここのゾーンは広さはそう無いけど水槽の高さが3階分有るから、アザラシらも気持ちよさそうに上下しとる。
 まつながーが爪跡まで付いて真っ赤になった手の甲に息を吹き掛けとる。ぼーっとしてアホスイッチが入ったお前は自業自得や。無意識でやってまうんやと判っとるけど、男同士で気色の悪い真似すなや。
 うーん。またアザラシらがこっち見とる。そないに俺ってアホっぽいんかなぁ。あの顔ってどう見ても「あ、アホな顔した変なのがきたー。面白いー。遊ぼかなー」て感じなんよな。
 いつものコトやけど、あの視線を向けられると水族館でも動物園でも見られてるのは俺の方って気がしてくる。俺も動物好きやし、あないにじっくり見られるのは嫌われてるんや無いってコトやからええけど、チョット複雑な気分になるなぁ。
「おい」
「へ?」
 まつながーが岩の上で寝そべっとるオットセイと俺の両方を指さしながら聞いてきた。
「お前らさっきからずっと目で会話してるだろ。何を話してるんだ?」
「何それ?」
 人間と動物が普通に会話できるハズ無いやろ。あ、まさかまた俺のコト天子だからと、変な妄想言う気や無いやろうな。こないに人の多いトコでそんな恥ずかしいコトを言ったらマジで蹴るで。
「あ、うん。ほらあいつらって犬に顔が似てるだろ。ずっとヒロと視線合わしてるのを見てたら、犬には犬好きが判るのと一緒かと思った。水槽の壁や柵が無かったら喜んで飛び掛かってきそうな雰囲気だろ。気持ちが通じてるって感じだ」
 あ。そーいうコトな。たしかに顔は犬に似てるかも。でも、あんなんに集団で飛び掛かれたら俺が完全に潰れてまうやん。
「毎日世話しとる飼育係さんならともかく、俺はあいつらと全然会話はしてないで。でもそうやなぁ。あいつらは表情が豊かやから、楽しいとか嬉しいとか嫌だとかくらいは、言葉が通じんでも普通に判るやろ」
「そういうモンなのか」
「うん」
 まつながーは俺の顔をじっと見て、すぐに横を向いてぶっと吹くと笑い出した。何やねん。失礼なやっちゃな。
「たしかにヒロの顔は読みやすい。今も「これで納得しろ。変な事を言ったら蹴る」てモロに顔に書いてある。良かったな。ヒロ、お前の馬鹿面は動物にも通じるんだぞ」
 うがーっ。たしかにそう思っとったけど、それが腹抱えて爆笑しながら言うコトか。メッチャむかつくー。
「全部って言いたいトコやけど特に「馬鹿」って言うなや。その馬鹿笑いも止めれ」
 怒って文句を言ってもまつながーはまだ笑っとる。何で? そないに俺って変なん? 俺がいじけモードに入ると、まつながーが「ばーか」と痛くないデコピンをしてきた。
「誉めてるんだから勘違いするなよ」
「それのどこが誉めてるんや」
 馬鹿の次はお子ちゃま扱いか。マジで拗ねるで。
「動物は人間と違って正直だし本能で相手を見るだろ。本当は嫌いだけど好きなふりをしていい顔しても、絶対に動物にはばれて嫌われるんだよな。俺はここに 入ってからずっと魚や海獣とヒロの両方を見てたけど、お互いに好きだオーラを出してて気分が良かったぞ。ヒロの裏表の無さは美徳なんだからいじけるなっ て」
 ……。何かメッチャ嫌な予感がするなぁ。目に見えとる地雷をわざわざ踏む気がするけど一応聞いてみよ。
「それって、もしかしなくてもまつながーはずっと魚だけやのうて俺を見てたってコト?」
「コロコロ表情が変わって面白いから半分以上は水槽よりヒロの顔を見てたな」
 このどアホ! にっこり笑ってメッチャ恥ずかしいコトを言うなやーっ!
 たまたま横に居ったカップルが俺らの会話が聞こえたらしくて笑っとる。親父、また禁止令を破ってしまいそうや。「頭冷やせ」て、まつながーを持ち上げてバルコニーから海に突き落としてやりたい。

 やっぱ、朱に交われば赤くなるなんやろか。まつながーの短気プラスすぐ切れモードが俺にもしっかり移ってるっぽい。
 まつながー、俺が切れたらすぐに逃げれや。目の前に海が眺められる屋上通路が有るんやで。俺かて切れたり怒る時が有るって解っとるよな。少しだけ俺の重心を移動させる。突き飛ばす準備いつでもオッケーや。
 まつながーは怒っとる俺の顔を見て、少しだけ眉を上げるとにやりと笑った。
「俺の天子はそんなあぶねー事は絶対にしない」
「それを口にすなちゅーとるやろっ!」
 さっきのカップルや通りすがりの人らが、俺らを見て笑いながら歩いていく。こうなるって解っとったから「言うな」って言うたのに。しかもさっきから俺が思ってるコト、全部まつながーに読まれとるから余計タチ悪いで。
 まつながーこそホンマは神さんとちゃうの? どすけべとか、どアホとかの。
 事情を知らん人は「てんし」と聞いたら多分「天使」と考える。しかも「俺の」って所有格まで付けるなっちゅーねん。俺のコトを「天子」なんて呼ぶどアホ はまつながーだけやって意味で言っとると解ってても、他の人らに誤解されまくりでメッチャ恥ずかしいやろ。まつながーのアホ発言で、俺までホモと間違われ るんはマジで堪忍やで。
「まつ……」
 止めとこ。これ以上ここで騒いだらホンマに俺までアホ認定される。

 通路を通って温室に入る。ここは亀やヘビ、カエルの展示ブース。葉っぱの中に隠れとるんを捜すんが大変やけど、テレビでしか観れん変わったカエルを見付けるのは結構楽しい。まつながーも子供用に低く設置された水槽に張り付いて真剣にカエルを捜しとる。
「ヒロ、この水槽、本当に居るのか?」
「居るで」
「どこだよ」
「それを教えたらまつながーがつまらんやろ」
「わかんねーから聞いてるんだっての」
 わははっ。まつながーが曲げ続けて辛くなった腰を叩きながら泣き言を言っとる。俺がそっと水槽の端のビニールパイプ上を指さすと「だーっ」と呻った。
「葉っぱの中じゃ無くてこんな所にいやがったのか! 滅茶苦茶悔しい」
 ほやから教えるとつまらんて言うたのに。
 こういう時のまつながーってホンマ大人げ無いなぁ。俺の顔を見られ続けるよりずっとええけど、さっきから後ろの子供らに指さされて笑われとるで。さっきの仕返しに教えたらん。
 まつながーは立ち上がると、ぶすったれた顔をして俺の頭を軽く叩いてきた。
「この馬鹿。気付いてたんなら教えろよ」
「まつながーこそ俺の心を全部読むなやー。サトリの妖怪や有るまいし」
「全部顔に出るヒロが悪い」
 ……それって俺の美徳やなかったんかい。何かメチャ理不尽なコト言われてる気がするで。

「喉渇いたなぁ」
 2階に降りて俺がそう言うとまつながーが階段横のフードショップを指さした。
「俺も渇いた。あそこで何か買って飲むか」
「そやなぁ。ほな、俺がコーヒーでも買ってくるから、まつながーは適当に座って待っとって」
「おい、ヒロ。俺が……」
 まつながーが「自分が買う」と言う前に、俺はショップに走って行った。
 この隙に横滑りしまくった思考を一旦リセットや。
 大泣きしてスッキリしたまつながーは一見普段どおりに戻った感じやけど、無意識の言動からするとまだチョット不安定っぽい。止めれて言うても俺のコトを「天子」て呼ぶし、アホスイッチもオンになったままや。
 他に何が足らんのやろう。まつながー自身が気付けんのやから、側に居る俺が気付かなアカンのに、俺もまだよう見えてこん。うーん。

 レジに行くと後ろを向いて紙コップをセットしとった店員さんに声を掛ける。
「すみませーん。アイスコーヒー2つください」
 振り返った店員さんが俺の顔を見て大きな声を上げる。
「はい。ありがとうございます……って、酒(さか)ぁ!」
「あーっ! 毛(もう)やん」
 うわーっ。こんな偶然って有るんやなぁ。メチャ嬉しい。
「酒。家に帰ってきとったんか」
「うん。毛やんこそココでバイトしとるなんて全然知らんかった」
「ここは夏休みだけの短期バイトや。金が良いんな。こっちに帰って来るなら先に教えてくれればええのに。クラスの連中に連絡回して一緒に遊べたやろ。相変わらず酒はトロイやっちゃ」
 毛やんが紙コップに氷を入れながら苦笑してくる。口の悪さも相変わらずや。
「トロイは余計や。東京でできた友達と一緒に帰って来たから会えんなぁと思って連絡せんかったん。この埋め合わせは今度帰って来た時に絶対するから堪忍してなぁ」
「その友達ってあの柱にもたれてる茶髪で背の高い兄ちゃんか?」
「へ?」
 毛やんが指さす方向を振り返ると、ホンマにまつながーが窓際の壁にもたれて立っとった。俺が顔を戻すと毛やんが「なっ」って感じで苦笑する。
「何で判ったん?」
「よう判らんけど俺、さっきからアイツにずっと見られてるんや。ほんで酒が友達と一緒って言うからアイツの事かなって思ったんな。酒、東京に出て行ってヤロウを連れて帰ってくんなや。どうせなら可愛い女連れて帰ってこい」
 うっ。モロに痛いトコに突いてくるなぁ。でも、ふふーんやで。長い付き合いやもん。俺かて毛やんには言い負けせんからな。
「友達やからええやろ。毛やんこそ夏休みのこの時期にこないなトコでバイトしとるってコトは」
「そこから先は言うな。アホ」
「やっぱ。全然俺のコト言えんやん」
 俺と毛やんは同時に笑いだした。高校時代に戻ったみたいや。ホンマ懐かしいなぁ。毛やんが笑いながらコーヒーの入ったコップをトレーに乗せて俺に渡してくれた。
「これは俺が奢ったるから早う友達んトコ戻ってやれや。目つきの悪いアイツの視線がマジで痛い」
 毛やんのコトをまつながーが睨んどる? ああ、まつながーは時々人見知りして目つきも悪くなるなるもんな。
「まつながー」
 俺が手を振って呼ぶと、まつながーが眉間に皺を寄せて「何だ」と言って俺のすぐ横に立った。その顔はマジで止めれっちゅーねん。慣れとる俺かて怖いんやから紹介しづらいやろ。
「毛やん、紹介するで。東京で大学もアパートも一緒の松永健。まつながー、こっちは俺の高校時代のクラスメイトで毛利兼人(かねひと)。たまたま会ったん」
「あ、どーも。いつも酒がお世話になってます」
 ぶはっ。毛やん、笑わすなや。それって普通は親が言う台詞やで。初めて会ったからかもしれんけど毛やんもメチャ緊張しとるっぽい。まつながーも少しだけ 頭下げて「どうも。こちらこそ」としか言わん。あれ? どうしたんやろ。まつながーは礼儀にはチョコっとうるさいのになぁ。
「毛利ー。手が空いたらこっち手伝えやー」
「はい。すみません。すぐ行きます」
 正社員っぽい人が奥から毛やんを呼んどる。しもた。バイト中なのについ話し込んでもうた。アカンやん。
「毛やん。邪魔してもうて堪忍な。コーヒーおおきに。ほなまたー」
 俺がトレーを持って席に着こうとすると、毛やんが振り返りながら声を掛けてきた。
「気にすんな。あ。酒、携帯の番号変わってないやろ」
「うん。まんまやで」
「俺もや。じゃあ、後で連絡する」
「分かったー」
 毛やんは軽く手を振ると厨房に入って行った。相変わらず元気そうでなによりや。ここで会えるなんて思ってへんかったからメッチャ嬉しいなぁ。東京に戻ったら俺も毛やんに電話しよっと。


56.

 実際に目にして初めて当たり前の事に気付く。
 ここはヒロの地元で、誘われて来た俺にとっては旅行だけど、ヒロにしてみれば実家への帰省なんだよな。俺さえ居なけりゃヒロは懐かしい友達達と会って、さっきみたいに色々話したり遊んでいただろう。もしかしたらクラス会とかも有ったかもしれない。
 くそっ。ヘタレ過ぎて天子に見捨られなかった俺は結局、ヒロのお荷物じゃねーかよ。
 ヒロはあんなに気さくな顔をして笑う時も有ったんだ。俺にはああいう不敵で対等の顔なんか見せた事が無いぞ。あいつはヒロを「酒」って呼んで、ヒロもあ いつを気楽に「毛やん」と呼んでいた。ヒロが俺を呼ぶ時は相変わらず間延びした「松永」のまんまだ。付き合いの長さの差が自然と顔や口調に出てしまうんだ ろうけど面白くない。しかも「酒がお世話になってます」ってお前はヒロの何だよ? って思わず突っ込みを入れたくなったぞ。
 俺がコーヒーごと氷を噛み砕いていると、ヒロはストローをくわえたまま少しだけ首を傾げて俺の顔をじっと見ていた。
「まつながー、ホンマ堪忍なぁ」
 しまった。思ってる事が顔に出ちまったか。お子ちゃま天子様は勘の良さだけはピカイチなんだよな。
「何でヒロが謝るんだ?」
「うん。俺がうっかりしてて、まつながーに嫌な思いさせてもうたから。堪忍してなぁ」
 俺が勝手にいじけているだけでヒロが謝る理由なんか無いだろ。馬鹿頭にヘッドロックを掛けてやりてぇ。でもこんな所でやったらまたさっきの奴に睨まれてしまう。
 ヒロの後ろ姿を見てたらうっかり目が合っちまって、あいつは露骨に俺の顔をじろじろと見ていた。「お前みたいなのが本当にヒロの友達なのか?」と言ってる様に思えたのは俺のひがみ根性か?
「まつながーに今みたいな顔させてもうたのは俺のミスやもん。毛やんと話し込む前に始めにまつながーに紹介すれば良かったんよなぁ。それに、地元の友達らに伊勢に帰るけど用が有るから会えんて、先に連絡入れておけば話もスムーズにいったハズやろ」
「用?」
「うん。まつながーと2人で遊ぶって用事。正月にまたこっちに帰ってくるんやから、友達らと遊ぶのはそん時でもええやろ。俺以外にも県外の大学に行った奴 多いし、帰省もバラバラやろうから正月の方が絶対みんなの都合が付いて集まりやすいもん。今の俺にはまつながーが1番優先度高いから」
 うおっ。ヒロは普段どおりににぱっと笑って凄い事を言ってのける。言葉の上っ面だけ聞いてるとこっちが赤面してきそうだ。
 俺の(って言っても良いよな)天子は天然級のお人好しだ。ヒロは俺が変に気にしない様にって言ってくれているのが丸わかりだっての。そりゃ奴に比べたら付き合いは短いけど、深さだったらきっと負けてない。
 俺の情け無い泣きっ面を見たのは裕貴に次いでヒロが2人目なんだからな。……って、何を俺は力んでるんだ? 友達って勝ち負けで決まるもんじゃ無いだろ。
「毛やんとは1年から3年までずっと同じクラスやったん。ほやからつい顔を会わすと張り合ってまうんよな。卒業する時も「どっちが大学で先に彼女作るか競争や」なんて言って別れたくらいなん。モテ系のまつながーから見たら俺らどっちもアホやろー」
 ヒロが俺を持ち上げる様に事情を話してくれる。こいつ、俺がいじけている理由をしっかり把握してがやる。できるだけ顔に出さない様にしててもこれかよ。天子様に嘘をつくなってか。
「んな事ねーよ」
「そうなん?」
 俺は手を伸ばしてできるだけ痛く無い様にヒロにデコピンをした。これくらいなら友達だって気にはしないだろ。
「全部判ってるくせにとぼけるなよ」
「ははは。やっぱ駄目やったか。俺って判りやすすぎやなぁ。まつながーが頭ええからかもしれんけど全部バレバレやから意味無いやん。ホンマ堪忍してなぁ」
 それは俺の台詞だっての。ヒロが痛くも無いくせに自分のおでこを押さえて苦笑する。
「でもな、俺はまつながーと一緒に居りたいから伊勢に呼んだんやで。地元の友達らと遊ぶよりまつながーと遊ぶのを選んだのは俺やん。嘘なんか1個もついてへんで。まつながー、信じてなぁ」
 やられた。暢気で無邪気な顔をしてしっかり天子様モードじゃねーか。ついさっきまでどす黒いひがみ根性丸出しでギスギスしていた俺の気持ちが、ヒロの一言で清流で洗われる様に綺麗になって軽くなっていく。
 いつになったら俺はヒロに追いつけるんだろう。


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