29.

 宇治橋から五十鈴川上流方向を見るとお払い町の裏側が見える。川はカーブしとって綺麗やけど、御手洗場からの眺めを見た後やとなんかちゃうなって俺は思う。川の真ん中に居るのに橋が高いからか川と凄く距離感を感じるんよな。
「ここからの眺めもかなり綺麗だけど……」
 反対側からの眺めも見て戻ってきたまつながーが、そこまで言い掛けて周囲の人の目を気にして止めた。この感じやと俺と同じ様なコト思っとるっぽいな。

 今日のまつながーには言いたいコトが一杯有るけど、神さんの目の前でマジ喧嘩なんかしちゃアカンよな。
 まつながーの俺を見る目が何か違うって思うんは俺の気のせい? 外宮で肩を掴まれてから余計にそれを感じるんよな。何でそんな目をするん?
 空を飛んでとか、純白が似合うとか、全然訳判らんで。どういう意味やねん。まだお子ちゃま扱いされとる時や、アホスイッチ入っとる時の方がなんぼかマシや。
 家でまつながーは姉貴に俺のコトを「一生付き合いたい友達」って言ってくれた。その後のどアホ台詞は綺麗に忘れる。つーか、絶対忘れちゃる。あんなに言って貰えてメチャ嬉しかったのに、何でそんな人間じゃ無いモンを見る目で俺を見続けるんや。
 1度口に出してもうたら止まらなくなりそうやからずっと我慢しとる。でも、ホンマにお願いやからその目止めてな。

 俺がそんなコト考えながらまつながーを見上げたら、まつながーは笑ってまた俺に痛くないデコピンしてきた。
「何だよ。その今にも別れ話しそうな顔は。俺は嫌だからな」
 ……俺は真剣に悩んでるちゅーのにアホスイッチオン中や。鳥居は通り過ぎたんやからもうええよな。
「鳥肌モンの冗談は止めれて、昨日から何回言わせる気や。アホ!」
 思いっきり足を踏んでやったら軽い俺の体重でもそれなりに痛かったみたいや。まつながーが橋のたもとにしがみついて呻いとる。あれ? 全然立ち上がらんなぁ。顔が見える様にしゃがんでみたら、まつながーが顔をしかめてボソリと言った。
「ヒロ、お前な。踏むなら踵で小指だけは避けろ。骨が折れるかと思った」
 ありゃっ。無意識でやってしもたんか。いくら腹立っても非常時でも無いのに実践で使ったらアカンやん。親父に知られたら殴られるじゃ済まん。まつながーには悪いコトしてもうたな。ここは素直に謝っとこ。
「堪忍なぁ。ちょこっと間違えてしもうたみたい。歩ける?」
「神経をやれられる感じは無いから少し休めば大丈夫だと思う。アタックの後にブロックしてうっかりラインオーバーしてきた相手選手に踏まれた時以来の痛みだな。ヒロが踵の細いヒール履いてなくて良かった」
 待てやコラ。骨折れるかと思うくらい痛い思いしたのに、アホスイッチはしっかり継続中なんかい。女の子やあるまいし何で俺がヒールなんか履かんなアカン ねん。謝って損した気分になってまうやろ。あ、まつながーに思ってるコトが伝わってしもたみたい。露骨に「馬鹿か」って顔になった。
「例え話だっての。馬鹿」
 ……口でもしっかり言うし。いつもは羨ましいて思うけど、タチの悪い冗談や要らんトコまではっきり言うトコだけは腹立つんよな。
 けど困ったなぁ。眺めが良い人通りの多いトコで座ってたら、他の参拝する人らの邪魔やもんな。どないしょ。最悪まつながーをおんぶする(体重何キロ有るんやろ)気で聞いてみる。
「まつながー、立てる? 無理なら俺がおぶるけど」
「ヒロが俺をおぶるって?」
「うん」
 そんな絶対俺には無理やって顔すなや。たしかに体格差考えたらキツイけど、短い距離なら何とかなるやろし、俺のポカで足怪我させてもうたんやから、立てんまつながーを放ってはおけんやろ。
「んな恥ずかしい事されるくらいなら、俺が足引きずりながらヒロをお姫さまだっこして橋を渡った方がまだましだ」
 ……まだ言うんか。我慢の限界やで。神さんごめんなさい。
 俺が無言で突き飛ばすと、無理な体勢でしゃがんどったまつながーはアーチ状の橋の上を「うわっ! 馬鹿ヤロ」と言いながら端まで転がって行った。馬鹿は そっちやろ。やっぱこの方が早かったか。気をつけてやったつもりやけど、転がるまつながーが他の参拝に来た人らにぶつからんで良かった。

 立ち上がったまつながーは埃を払うと、足を引きずってお払い通りに入る手前のベンチに腰掛けた。俺はなんとなくまつながーの正面に立つ。かなり不機嫌そうな顔見るとまだ足痛むんかな。それとも他のトコ怪我してもうたんやろか。
「ヒロ、ちょっとここに座れ」
 まつながーが自分の横を指さす。「危険! 要注意!」と書いてある場所に座るアホは居らんわい。
「嫌や」
「良いから座れっての」
 まつながーは強引に俺の手を引いてベンチに座らせると、俺が態勢を建て直す前に思いっきりヘッドロックを掛けてきた。
「うぎゃーっ! 痛い、痛い、痛い。何すんねん。離せや。アホー」
 何とか腕を外そうとするけど絞めが強くてとても無理や。しかもメチャ痛いから俺も全力が出せん。周囲の人らが何事かって顔でこっちを見てるっぽいけど、そっちに気を回す余裕なんか全然あらせん。まつながー、喧嘩と間違われて警察呼ばれても知らんで。
「これは俺がヒロに大勢の前で恥かかされた分だっての。お前、よりによってあんな所で人を突き飛ばすか?」
「まつながーがアホなコトばっか言うからやろ。恥なら俺かてまつながーに相当かかされてるやん。あないなコト言われたらいくら俺でも切れるわい。手離せや。マジで痛いっちゅーねん」
「ごめんなさいは?」
 何やねんそれ。
「ご・め・ん・な・さ・い・は?」
 うげげ。まつながーが更に強い力で絞めてくる。頭蓋骨が軋みそうや。「ごめんなさいは?」って俺に謝れって言いたいんかい。嫌やから黙っとったらどんどん力強くなってくー。アカン。限界や。
「かん……ご、ごめんなさい」
 俺が何とかそれだけ言うとまつながーは「よし」と言って俺の頭を離してきた。目がちかちかして頭もくらくらするー。あれ? 今のっていつものコトやけど……メチャオカン臭いつーか。……んーっと。まさかと思うけど……。
「もしかして、まつながーのお母さんてメチャ躾に厳しくてキツイ人?」
「ん? ああ。ガキの頃はよく悪さすると泣いて謝るまでやられた。アレに比べたら倉庫閉じこめの刑なんか可愛いモンだったぞ」
 ……聞かな良かった。電話で話しとる雰囲気やと凄く優しそうな人っぽいのに……あ、思い出した。まつながーのお母さんて、散らかしてると怒って部屋の窓 から物放り投げる人やった。まつながーがなんですぐヘッドロック掛けてくるんか、したくもないのに納得してもーたで。ホンマかなわんなぁ。こないな乱暴モ ンに育てんでもええのに。
 でも、冷静に考えたらまつながーって女の子にもてるし、同性の俺から見てもメッチャええ男なんよな。この歳で料理も上手いし、金銭感覚はしっかりしとるし、細かい気配りもできるしと、親御さんの育て方は全然間違っとらんと思う。……マジでアホやけど。


30.

「ふーん」
 ヒロがお袋の話を聞いて凄く納得したって顔をした。どういう意味だよ。
 俺と違っていつもは大人しいヒロが、初めて口だけじゃなくて力業で反撃してきた。普段が温厚な性格なだけにモロにキツイのを喰らったな。足1本と軽く相手に触れただけなのに、俺のダメージは心身共にかなりでかい。これが天子の荒魂なのか。
 たしかに昨日から無意識で馬鹿をやり続けているから、いくらヒロでも腹を立てて当然だよな。
 理由は解らねーけどヒロに触るとなぜか安心する。出会った頃から癒し系だと思ってたけど、ここ最近はすっかり俺の精神安定剤になってしまっている。
 ヒロが側に居ると綺麗に消えてしまう、俺が知らない「俺をイライラさせる何か」。
 ヒロにならそれが何なのか解るのかもしれない。だけど答えを知るのは怖いし、何より俺がヒロに依存しすぎているのを認めてしまうのも、それをヒロに知られるのも惨めで嫌だ。だからってこの居心地が良いままだと、いつまで経っても俺は前に進めそうもないと思う。
 お袋達にこれ以上心配掛けたくないし、元気な顔を見たいとは思う。だけど、この間の電話で裕貴がお袋にコンタクトを取っていると聞いて以来イライラ倍増中だ。
 お袋や親父も知らない俺の高校時代の悪行全てを知る男、裕貴。おまけに奴は……だ。何だって今頃お袋に連絡なんか入れるんだよ。俺に用が有るなら直接電話やメールをしてくれりゃ良いだろーに。
 茨城に残った裕貴が何考えてるんだが知らないが、ヒロとは違う意味で俺は奴に勝てた事が無い。すっげー嫌な予感がするけど、今茨城に帰るのはまっぴらだ。

「まつながーあ、顔思いっきり殴ってもええ?」
「は? あっ」
 またかよ、俺。グダクダ考えている内にヒロの手をしっかり握りしめていた。まさしく天子の笑顔でヒロの手だけが怒りでぶるぶると震えている。今すぐ手を離さないと、空いた方の手が俺の顔面めがけて飛んできそうだ。
 自分でも変だと分かっちゃいるが、今の俺は頭ん中ぐちゃぐちゃで、何をどうしたら良いのか全然解らないんだ。頼むから少しだけ俺の我が儘聞いてくれよ。
「悪い。もうちょっとだけこのままでいさせてくれ」
 真っ直ぐにヒロの顔を見て言うと、ヒロは大きな目を数回瞬きさせて俺を見返してきた。そして少しだけ笑うと「うん、分かった。でも熱いから5分だけやで」と言ってくれた。「その代わりー、後で俺のお願い2個絶対に聞いてなぁ」というおまけ付だった。
 何だよ? 凄く気になるだろ。こういう時だけヒロが何を考えているのか全然読めねえ。ヒロ、それは卑怯だろ。ポーカーフェイスができないくせに、お子ちゃまパワー全開笑顔で誤魔化すなよ。
「足まだ痛いん?」
 踏んだ方の足を見ながらヒロが聞いてくる。
「いや。もう大丈夫みたいだ。転がった橋も木製だったし、どこもぶつけなかったからかな」
「そっかぁ。大したコト無くて良かったぁ」
 そう言ってヒロはにぱっと笑うと俺を見上げた。無邪気なお子ちゃまオーラを振りまくなー。
 神様、いくら童顔でも19の男がこの顔だっていうのはどっか間違っていると思うのは俺の気のせいですか? (AV観て寝れる変な男とは言え)どう育てばこんなに無垢な顔ができるんですか?
 そうなんだ。今朝気付いたんだが、ヒロが女共に可愛いと言われる原因は童顔な顔の造りじゃなくてこの表情なんだ。そんな事を考えていたら「時間切れや」と言って、ヒロがぽいって感じで俺の手を放り投げると(ゴミ扱いかよ)立ち上がった。
「まつながー、約束忘れたらアカンで」
 ヒロが指を2本立てて俺に念をおしてくる。へー、へー。何でも天子様の言う事聞きますっての。また荒魂の怒りを受けたくない。
 ……あれ? 俺はさっきまで何をイライラしてたんだっけ。マジで一部の記憶が飛んでるぞ。どういう事だ。


31.

 まつながー、少しは気が楽になったかな? 俺は腹芸なんて器用なコトできんから、笑って誤魔化すしか無かったんよな。だって、さっきのまつながーの顔って「あの寝言」言ってる時に似てたんやもん。
 やっぱり俺には何も言ってくれんけど、俺がうっかりお母さんのコト聞いてもうたから、地元のコトを思い出したみたいなんよな。少しでも気が紛れてくれたらええと思って伊勢に呼んだのに失敗してもうたなぁ。
 うーっ。メッチャ嫌やなぁ。悩んどるまつながーに未だに何も言って貰えんのは仕方無いて思うけど、こうやって俺が多分まつながー自身が知らんコトを知ってるて言わずにおるのは、何か隠し事しとるつーか、まつながーを騙しとるみたいで、胸ん中でもやもやして気分悪い。
 本音隠しとるまつながーがずっとキツイ思いしとるんやから、俺が明るく笑っていようて思っとるのに、だんだん笑えんくなってきとる。俺はホンマはどうするのが1番ええの? なぁ、まつながー。俺、間違っとらん?

 歩ける様になったまつながーと一緒にお払い町通りに戻ると、すぐにお土産屋さんに入った。まつながーが露骨に嫌そうな顔になる。あ、俺の考えとるコトに気付いたな。まつながーが後ろから軽く俺の肩を引いて耳打ちしてきた。
「ヒロ、さっきも言ったが俺は土産を買う相手は居ないと……」
 こう言われるんは予想済みやから俺もすぐに言い返す。
「実家の人が居るやろ。高くて立派なモン買えなんて言わん。けど、夏休みに実家に帰らんのやったら、楽しく遊んで来たって知らせるくらいしてもええんとちゃうの。これが約束の1個目やからな」
 まつながーが眉間に皺を寄せとる。こらかなり怒っとるな。俺にだまし討ち喰らわされたんやから当然よな。
 でも、遠い伊勢まで連れてきたからには俺かて引けん。まつながーにならホンマは分かってるハズやろ。お母さんがどれだけ自分のコト心配してくれとるか。まつながー自身も実家に帰りたがっとるコトも。
 俺がじっと見上げ続けていると、まつながーが小さく溜息をついて、こめかみをぽりぽり掻きながら小声で言った。
「正直に言うけどな。俺、こういうの選ぶセンス全然無いんだよ。修学旅行とかでよくクラスの連中に笑われたんだ。その……親父とお袋に何かペアであげたいんだけど、何が良いかヒロも一緒に選んでくれないか」
 うわぁ。まつながーの照れくさそうな笑顔って初めて見た。いつものにやり笑いとはエライ違いや。そういう素直な顔、怒った顔しか見せん真田さんが見たら絶対惚れ直すで。俺相手にそんな顔するなんて勿体ないなぁ。
「ヒロ?」
 あ、しもた。うっかり返事するの忘れとった。「あの」まつながーが自信無くて不安そうな顔しとるやん。駄目やん、俺。
「俺で良かったらええで。ほやったら伊賀組紐の携帯ストラップとかどう? 凄く綺麗やし色変えてペアで選びやすいし、軽いから持ち運びも実家に送るのも楽やと思うん」
「伊賀組紐?」
 まつながーがよく解らんて顔するんで、俺は「こういうの」と言って展示されとる数個を取るとまつながーに見せた。
「昔は鎧とかの武具に使われたらしいんやけど、今は三重を代表する伝統工芸の1つなん」
「へえ。色が鮮やかで細かい細工だし綺麗だな。それにとても丈夫そうだ」
「丈夫やなかったら武具に使えんやろ」
「そりゃそうだ。良いな。これ」
 良かった。気に入ってくれたみたいや。俺は展示品を元の場所に戻すと、外を指先で指してまつながーを店の外に連れ出した。
「買うんじゃないのか?」
 まつながーが不満そうに俺の顔を見ながら聞いてくる。
「あそこは普通に色々なモンが置いてある店やもん。まつながーに何買うか決めて欲しかったん。伊賀組紐やったら、もうちょっと歩いたトコに専門の店有るからそっちの方が種類多いんな。色や形に好み出るし、じっくり選びたいやろ」
 俺が笑うとまつながーも苦笑して歩き出した。
「まったく天子様は何でもお見通しだな」
「へ? てんしさまって何?」
 まつながーは「しまった」って顔をして口を押さえた。何か俺に聞かれたくないコトをうっかり言ってもうたって感じっぽい。てんしさま……天使様? それ とも神さんの天子様の方? 外宮と内宮にそんな名前の神さん居ったっけ? なんか名前からして宗教違うっぽいし覚え無いなぁ。まつながーが地元で行ってた トコの神さんなんかな。
 神さんとお土産選びと何の関係が有るんやろ。まつながーと会話が微妙に繋がってへん気がするなぁ。


32.

「天子様って何?」
 無自覚天子様ヒロが邪気の無い顔で聞いてきた。「お前の事だ」なんて言えるか。顔を真っ赤にして怒って「神さんに失礼やろ。この罰当たり!」と言うに決まってる。
 本当に居るとしてどこから見てるのか、願ったからって俺を救ってくれる気が有るのかすら判らない神様より、目の前に居てヘタレまくってる俺に、いつでも手を差し出してくれるヒロの方が俺はよっぽど信じられるんだけどな。
 ヒロの意見を聞きながら組紐屋で親父達用に土産を買ったら、店員のおばさんから「一緒に選んでくれた彼女さんにも何か買ってあげたらええのに。可愛い子やん。兄ちゃんもエエトコ見せな」と言われた。破局の名所なのにまたバカップルだと思われたらしい。
 ちらりと後ろを見たらヒロが組紐で作られた動物見て笑ってやがる。おいヒロ。お前自身が勘違いの原因か。何でそういうのが似合うんだよ。19の男だって自覚有るか?
 ヒロが側に居なくて良かった。「ちょい待てや。おばちゃん、俺のどこが女に見えるっちゅーねん。地元民でお伊勢さんにカップルで来るアホが居るか」てな感じで激怒する姿が簡単に目に浮かぶ。
 これだけ度々間違われると「無駄だから諦めろ」とヒロに突っ込みを入れたくなってくるな。面倒だから勘違いしたい奴には勝手にさせとけ。それでなくても暑いのに無駄に熱くなっても仕方無いだろ。「観光地マジック」とお前のその童顔が勘違いの(多分)主な原因なんだし。
 ヒロはともかく、俺を見て女と間違える奴が居たら(その場でぶん殴ってやるから)会ってみたいもんだ。

 店を出ると「もう1個のお願い聞いて貰うけどええ?」とヒロが聞いてきた。天子様、その無邪気な笑顔が俺は怖い。大きな目で心の中全てを見透かされている様な錯覚が起こるだろ。
 俺の不安をかき消す様に、ヒロがにやっと笑いやがった。あ、こいつ何か俺にとって嫌な事考えてやがるぞ。というか、ヒロの方から俺の腕を拘束するみたいに握ってきた段階で絶対に何処かへ連れて行く気満々だ。どう見ても五十鈴川みたいな所じゃ無さそうだよな。
 ヒロが足を止めたのは和風の店前だった。ガラス張りの店内は老若問わず女で一杯だ。どうやら和風甘い物系の店らしい。まさかと思うが俺にここに入れって言う気じゃないだろうな。
「まつながー、歩いて小腹空いたやろ。ここで休も」
 ……「休んでいかん?」じゃなくて「休も」かよ。断言かよ。俺にあの女の集団の中、しかも甘い物屋に入って食えってか。
「あのな。ヒロ……」
 俺の反論を遮る様にヒロが人差し指を突き出してくる。
「約束やで。これしてくれたら昨日からのアホ、全部ちゃらにしたる」
 つまり罰ゲームか。お子ちゃま天子は静かにご立腹中。しかもなにげに優しいな。散々恥ずかしい思いをした俺の無意識馬鹿を、嫌いな物を食べらたら全部許してくれるってか。
 少しずつだけどヒロの機嫌が悪くなっていたのは俺も気付いていた。このまま喧嘩になるより良いよな。ヒロも何かきっかけが欲しかったのかもしれねーし。
「甘いのはともかく美味いんだろうな?」
「不味いモンなら一緒に食おうなんて言わんわい」
 即答ありがとう。

 度胸を決めて入ってしまえば周囲の視線なんか気にならないもんだな。店員の対応からして、またヒロが女に間違われている事は確定だ(怖いからヒロには言わない)。
 冷たい抹茶と白い餅の上に変な形(他に言い様が無い)のこしあんが乗った物体が3つ。これがこの店の定番らしい。時代劇なんかで見る赤い布が掛かった椅子に座って横に置かれた餅を食う。
 あ。……ヒロ、お前って奴はどこまでお人好しなんだよ。
 俺が横に座っているヒロを見ると、視線に気付いたヒロがにぱっと笑ってきた。檄甘物かと思って覚悟して食べたのに、想像していたよりさっぱりしててくどくない。歩き疲れた時に丁度良いくらいの甘さだ。
「伊勢ではまつながーに美味しいモン沢山食って欲しいって言ったやろぉ」
 抹茶をすすりながらヒロが当然って顔で言う。連続完敗更新中か。参ったな。無意識でまた甘えたくなってきちゃうだろ。
 腹ごなしが終わると最近(と言っても10年くらい前らしい)できたのだとヒロが教えてくれた、おかげ横町という所に入る。小さなテーマパークか? と思 う様な昔風の町並み。そのほぼ全部が食い物屋か土産物屋ときている。招き猫屋(何でここに有るのかはヒロにも不明)に、伊勢型紙の画廊。古い玩具に手製 品、見てるだけでも結構面白いな。
 あ、造り酒屋発見。ちらりとヒロの顔を見たら「しゃーないなぁ」と小さく溜息をついて「買うだけやで。オカンらに怒られるから土産のふりせなアカンで。 それと臭いでバレるから家ではチョコっとだけやからな」と笑って言ってくれた。ずっと禁煙中の上に禁酒はマジで辛かったんだ。感謝。


33.

 駐車場に戻りながら携帯を見たら、外宮と内宮回っただけなのに結構時間経っとった。まつながーが俺の手元を見とる。何やろ?
「ヒロは時計を持ってないのか?」
 あ、そういうコトか。俺はいつもこうしとるから、Gショック付けてるまつながーから見たら不思議なんや。
「うん。携帯で時間分かるし、手首に色々付けるん嫌いなん。それに……」
「うん?」
「俺の手首は男モンの時計がちっとも似合わんのやもん。まつながーが付けてるのみたいなのやと時計で手首全部隠れてまうやんかー」
 まつながーは数回瞬きすると噴き出して笑い出した。そないに笑うなや。俺には深刻な問題なんやで。
「だったら女の子物で……わっ。待った。ヒロ、怒るな。悪かったっての」
 俺が無言で握り拳を作って手を振り上げると、まつながーが苦笑しながら後ずさりした。俺のメチャ弱いパンチなんか全然効かんくせに、気を使ってくれたんかな。
 姉貴からはメールも来とらんし、この後どないしよ。下手に遠くに足伸ばしてすれ違ってもうたら、姉貴のコトやから激怒するよなぁ。

 おっ。狙いすました様に姉貴から電話や。
「姉貴。参拝終わったで」
『そろそろやろうと思って電話してあげたんよ。松永君、楽しんでくれた?』
 一々恩着……止めとこ。姉貴相手にストレス上げたらこっちが損や。
「うん。気に入ってくれたみたいやで。姉貴、今どこ? こっちは内宮の駐車場なん。そろそろ外宮に行こうかなって思ってたとこやねん」
『ああ、それな。アンタら外宮行かんでええわ。そのまま今夜はどっか遊びに行きぃ』
「へ? 何で? 姉貴に車返さなアカンやん」
 どういうこっちゃ? 姉貴かて車無いと不便で困るやろ。
『えへっ。実はな。アタシ今夜は正くんとホテルに泊まるコトにしたんよ。だからアンタらも家に帰ったらアカンよ』
「はあ!?」
 あ、大声出してもうたからまつながーがビックリしとる。俺かて訳判らんコト言われてメチャビックリしとる。
「姉貴、家に帰ったらアカンってどういう意味なん? 意味判らんで。ちゃんと説明してや」
『だってオカンに今夜はアンタら遊びに連れて行って、アタシのアパートに泊めるって言ってあるんやもん。オカンらには正くんのコトまだ内緒なんよ。いくらアンタがトロくても、簡単な口裏くらい合わせられるやろ』
 なんやてーっ!?
「ちょい待てや。何で俺らがそないなコトせなアカンのや? 家に帰れないんなら、オカンに言ったとおり姉貴のアパートに泊まるから鍵貸せや」
『アホか。いくら弟でも自分の居らん時に部屋に上げられんて。それにこっちは鈴鹿まで来とんの。わざわざ伊勢に戻るなんてアホらしくてようせんわ』
 な……。あったま来たーっ。姉貴のヤツ、始めっから俺らのコト利用する気やったな。
「いい加減にせーや。いくら俺かて本気で怒るで。寝るトコも着替えも無しで俺らにどうせいっちゅーねん。姉貴がそこまで勝手すんなら、俺らも勝手に家帰るかんな!」
『アホ。そないなコトしたらアンタの18年の恥の秘密歴史を全部松永君に話すで。ええんか?』
「何でも話せばええやろ。俺はまつながーに隠すコトなんか何も無いわい。ボケェ!」
 アカン。マジで切れそうや。被害が俺だけなら毎度のコトやけど、姉貴が何も事情知らんまつながーのコトまで利用しようとしとるのがメッチャむかつく。姉貴が電話の向こうで鼻で笑った。
『……ふーん。アンタも結構言う様になったやん。東京で少しは進歩したってコトかな。エエコトや。しゃーないな。博俊、アタシと取引しよ。ダッシュボードのグローブボックス見てみ』
「グローブボックス?」
 俺が車のドアを開けて助手席前の扉を開けると白い封筒が入っとった。
「封筒が有るけどこれが何?」
『それの中身な、オカンがアンタらに何か美味しいモン食わしたりってアタシにくれたお金なん。全部アンタらの好きに使ってええから、絶対に家に帰ったりオ カンらに連絡取らんといてよ。とにかくこれ以上正くんとのデート邪魔せんといて。明日の夕方には外宮に戻るから。分かったな。もう切るで』
「姉貴。こら待てや!」
 俺の怒鳴り声も虚しく通話は一方的に切られてもうた。

「あ……姉貴のアホったれぇーっ!!」


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