26.

「ほな、行くかぁ」
 ヒロが何度も自分の手をさすって、音がするくらい強く1度手の平を合わせると、車のエンジンキーを回した。1年近くぶりの運転で相当緊張しているみたいだな。換わってやりたいのはやまやまだが、免許を持っていない俺は横で黙って見ている事しかできない。
 というか……横から話し掛けても大丈夫なんだろうか? 運転に集中しなきゃいけないのに、気が散ったりストレスが溜まったりしないか? 俺が助手席でどうしようかと迷っていると、信号待ちでヒロが泣き言に近い声を上げた。
「まつながー、お願いやから何でもええから話してー。返事する余裕全然無いと思うけど、そうやって沈黙され続けとると、横に教習所の教官が座っとるみたいでメチャ緊張して逆に嫌やー」
 そういうモンなのか? えーっと、何を話したら良いんだろう。ヒロが無理に返事をしなくて良い俺の独り言に近い話か。……そうだな。ちょっとだけ今まで話しそびれていた昔話でもしてみるか。
「俺が地元高校なのに寮に入ったのは、中3の夏に同居していた母方のじいさんが、倒れて入院したからなんだ」
「ぅひゃっ」
 ヒロが変な声を出しながら、よりにもよってアクセルとブレーキを同時に踏んで、一般公道のカーブをスピードも落とさずに曲がった。幅の狭い軽自動車だけに斜めGが凄い。
「ヒロ。俺を殺す気か!?」
 思わず怒鳴るとヒロも真っ青な顔をして、ぜいぜいと息をしながら言い返してくる。
「まつながーがメッチャ驚かせるやもん! ちゃんと話聞くから……ううん。聞きたいから、そういう真面目な内容はせめてもうちょっと運転に慣れてからにしてー」
 同乗者は絶対に運転手を驚かせてはいけません。……納得。
「……んじゃ、慣れるまで気晴らしに歌でも歌うか?」
「それもやめれやー。いじめ? まつながーって声はええのにメチャ歌下手やん。酒呑んで思考が飛んだ時以外は聞きとう無いて。普通に話してや」
 ど下手くそで悪かったな。注文多いぞ。横目でヒロを見たら手はガチガチ、顔が完全に強張っている。普段なら絶対出てこない悪口も、慣れない状況に余裕が無いからなんだろう。だけど一言くらい謝れよ。いくら俺でも傷付いたぞ。今のはしっかり根に持ったからな。
「だったら何を話せば良いんだよ?」
「んなコト、わからーん」
 おいおい。こんなんで大丈夫かよ。
 車は2、3回曲がると、広い場所に出た。敷地内に百数十台の車が整然と並んでいる。どうやらここが目的の駐車場らしい。
「……着いた」
 ヒロが気が抜けた様な声を出しながら、前向き駐車をしてブレーキを踏むと、ギヤをPマークの所に入れた。
「ずいぶん近いんだな」
 俺が聞くとヒロは大きな溜息をついてハンドルに頭を乗せる。
「外宮と内宮は3キロちょっとしか離れてないん。でも……つーかーれーたー」
 たった数分の事なのに、ヒロが広げて見せた手の平は汗をかいていた。本当に緊張しきってたんだな。軽く手を持ってみたら、やっぱり俺の手の中にすっぽり収まった。
「ちっせー手」
「やかましい。気にしとんのやからほっとけやー」
 ヒロが顔を赤くして両手を自分の背中に隠す。そんなに身体が小さい事を気にしてたのか。ああ、それで名古屋で抱えられた時に手荷物扱いは嫌だとか言ってたんだな。心の広さなら俺なんか比べものにならないんだぞ。
 とは、悔しくて口に出せない心の狭い俺を許してくれ。
 どうもこの天子様は余計な所でお子ちゃまの部分が取れないみたいだ。でも、これで完璧な人格まで発揮された日には、俺の方がコンプレックスの塊になって、恐れ多くてヒロと友達なんて言えなくなりそうだ。それでなくてもいつもヒロには敵わないって思うんだから。
 「気分が落ち着いたら行くか?」と聞いたら「うん。俺はもう平気や。下手な運転でまつながーに怖い思いさせてもうたのに、心配してくれておおきにー」と笑ってヒロは車を降りた。
 ああ、本当にヒロのこういうところには勝てねぇ。音痴発言(我ながらしつこい)を謝らないのは、ヒロも自分が口走った内容を全部覚えていないからみたいだ。

 俺達は駐車場を出て地下道を通った。地下道の壁面には何か日本画風の絵が有ってヒロに聞いたら「大昔のお伊勢参りの絵やと思うけどよう解らん」と返ってきた。つまり地元民にも解らん程度のモンなんだな。
 地上に出て少し歩くと観光客が多い通りに出る。
「ホンマはもっと近くに駐車場有るんやけど多分一杯やろうし、どうせなら江戸時代から有る旧参宮街道歩くのもええかて思ったんなぁ。この道な、おはらい町通りって言うんよ」
「へえ」
 通りは大勢の観光客でごったがえしているが、少なくともよく有る観光土産物専門の道って感じじゃ無い。食べ物系の店が半々……いやそれ以上かな。ヒロが俺の横を歩きながら見上げてくる。
「まつながー、お腹減ってへん?」
「特別空腹っていう程じゃないけど、出る前に多めの朝飯を食ったのに、外宮でかなり歩いたからか軽く食べてもいいかって感じだ」
「そっかぁ。良かったー」
 ヒロがいつもの様ににぱっと笑う。でも、何か企んでる顔みたいだな。それなら先制攻撃だ。
「何か美味いモンを俺に食わしてくれるのか?」
 俺が聞くとヒロが少しだけ拍子抜けしたって顔になってまた笑った。
「美味いちゅーか、うん。まつながーの味覚でも多分美味しいと思うで。ここにお参りに来る人はまずこれを食べるってモンを一緒に食べようかなぁって」
「そういうのはヒロに任せるよ」
 全部を話す気は無いらしい。やたら目に付く看板がいくつも有るんだが、ここはヒロに合わせて黙っていよう。
 「ここにしよ」と言ったヒロに続いて小さな店に入る。店の中はほぼ満席で、俺達は空いていた手前のテーブル席に陣取った。
「夏やから冷やしでもええんやけど……、すみませーん。伊勢うどん2つ」
 ヒロは座るなり手を上げて注文してやがる。そういうモンなのか? 店員が笑って「はーい。少しお待ちください」と言いながらお茶を持ってくる。その場でヒロは支払いも済ませてしまった。
 店員が奥に入ると「ここら辺りはどこの店もうどん1杯400円台なん。支払い方法は店によってまちまち。でも先払いしといた方が楽なんやー」とヒロが小 声で教えてくれた。俺達がうどんが来るのを待っている間に「お代ここにおいとくでー。ちゃんと回収してなー」と出て行く人も居た。

 ヒロは東京のうどんや醤油ラーメンが未だに苦手だ。理由はただ1つ「醤油辛い」からだ。
 で、俺の目の前に有る物体は何なんだ? まず麺が太い。具は青ネギのみ。そして麺の半分くらいしか入ってない真っ黒のいかにも辛そうなめんつゆ。ころうどんみたいな物かなとも思ったが少し違うみたいだ。
 ヒロは嬉しそうに両手を合わせて「いただきます」と言って麺にこの凄い色のつゆを絡め始めた。おいおいおい。美味いと言ってたのに、こんな辛そうなので本当に大丈夫なのか?
 とりあえずヒロの真似をして俺も麺につゆを絡める。1口食べてみてすぐに納得した。このつゆは見た目と違ってダシがしっかりしてて甘辛い。ヒロが食べら れるはずだ。そして麺はこしって何ですか? な堅さでもちもちしている。うどんとしてはかなり変わった食感だな。俺が不思議な感覚に箸を止めていると、ヒ ロがテーブルの端から一味を取って俺の前に置いた。
 あ、俺がこの甘さが苦手だと思われたのか。これはこれで有りだと思ったが、せっかくの好意なので少しだけ掛けて食べてみた。うん。こっちもいける。
 顔を上げるとヒロが視線だけで「美味しい? ねえ、美味しい? 食べられる?」と上目遣いで聞いてくる。頼むから笑わせるなー。危うく麺を噴き出すところだったろ。
 この無自覚天子様は言葉も雄弁だが表情筋もかなり器用で、わずかな目の大きさや口元だけで何を考えているか全部解ってしまう。ヒロ自身はポーカーフェイ スができない事を嫌がってるみたいだけど、露骨な嫌悪の表情なんて見た事が無いから(そういう思考が無いのかもしれない)、口下手な俺からしてみたら羨ま しいくらいだ。
 とりあえず笑ってみたら、ヒロはほっと息をついてうどんを食べ始めた。俺が食べるのをずっと待っていたのか。人目が無かったら今すぐヒロの頭抱えて撫で回してぇ。本当にやったら「お子ちゃま扱いすんなー」と怒ってくるだろうけど。
「この黒いのって三河たまりっていうん。赤味噌作る時にできるんなぁ」
 ヒロが麺をすすりながら説明してくれる。ああ、どうりで。醤油にしては塩気が弱いと思ったんだ。たまりは刺身くらいにしか使わないと思っていた。今度料理にも使ってみるか。

 俺達はほぼ同時に食べ終わって茶を飲むと席を立った。ヒロが「ごちそうさま」と言って店を出る。なるほど。食べ終わったら店の混雑を避けてすぐに参道に戻るのか。先払いの方が楽と言った理由が解ったぞ。
 お。内宮に向かって歩いている途中で地酒屋発見。俺の視線に気付いたヒロが、速攻で俺のTシャツの裾を掴んでくる。小さな子供じゃあるまいし、大勢の人前で恥ずかしいから止めろ。名古屋の地下鉄で俺がやった事は完全棚上げしてヒロの手を外させた。
「ビールでも飲酒はアカンからな」
「んじゃ帰りにする」
 上目遣いで睨んでくるヒロに、少しだけ舌を出してあっさり言い返す。
「こっちは運転手なのに薄情なやっちゃなぁ」
 あ、飲酒運転になるか。1発で免許取り上げだ。普通に運転しててもその童顔じゃ警察に呼び止められるかもしれない。
「悪かった。どうしても欲しくなったら買うだけに留めておく」
「うん。そうしてくれる? お土産に買いたいなら帰りに寄るから」
「土産なんか買う相手は居ないぞ」
 俺が答えるとヒロは少しだけ驚いたという顔をして俺の顔をじっと見た。何か不味い事でも言ってしまったか。


 27.

 土産買う相手居ないって……まつながーは実家にも何も送らん気でおるんやろか。あの何度も電話してくれたお母さんに何も買わんでええの?
 そういえば車の中でおじいさんが倒れたから高校で寮に入ったとか言ってたよな。まつながーは滅多に(納豆と酒以外で)自分のコト話してくれんからあんまし詳しい事情知らんのよな。親御さんと仲が悪いって感じや無いんやけどなぁ。
 おはらい町通りを抜けると一気に視界が広がってバス乗り場が目に入る。内宮に続く木製の宇治橋も五十鈴川を見物する人らで一杯や。こら御手洗場や石段辺りでは並ぶコトになりそうやな。
 まつながーも人の多さと鳥居の大きさに驚いて溜息まじりの声を出した。そら本殿からして外宮の比やないもん。大勢居る観光客らしいカップル達に「あれが 近々別れ候補者か」なんてにやりと笑いながら小声で言っとる。お願いやからそういう神さんにも喧嘩売りーな発言は車の中だけに留めてや。
 橋を渡って鳥居をくぐる。まつながーは橋から川を見たがったけど、帰りにも見えるし先に御手洗場を見て欲しい。神苑は相変わらず庭園みたいに綺麗に整備されとるけど、本殿の雰囲気と比べるとちょっと違和感有るんよな。
 小さな橋を渡ると、まつながーはすぐ側に有る手水舎に行こうとした。
「まつながー、そっちやないで。こっちやー」
 と鳥居を指さすとまつながーが不思議そうな顔をする。うー、ネタバレしたい。したいけど、今は我慢や。まつながーの驚いた顔見たいんやもん。
 訳が解らないて顔してるまつながーの手を軽く引いて右に曲がる。すぐにまつながーは気付いて「わぁ」という声を上げた。
 五十鈴川岸に広くて綺麗な石畳が有って、大勢の人らが川の水で手や口を清めたり、人混みを何とか避けて記念写真を撮っとる。この時期は水量が多いから水が綺麗やし、川の両側を覆う広葉樹の森が川を碧に染めてホンマに綺麗なんよな。
 俺らも他の人達に混じって順番を待って川に手を浸ける。
「冷たくて気持ち良いな」
 まつながーが嬉しそうに小声で言う。そうやろ。そうやろ。これは手水舎ではなかなか味わえんで。手と口を清めて列を離れる。階段を昇ろうとしたまつながーの手をちょこっと引いて石段の左端まで連れて行く。そのまま俺は黙ってゆっくりと左側を指さした。
 ほんの少しだけカーブを描く川と森が視界に入る。川の流れが道みたいに日の光で輝いてるし、深緑色の木の葉が広がって、自分がまるで川の上に浮いてるような錯覚が起こるんよな。俺のお気に入りの場所なんやけど、まつながーの目にはどう見える?

 うぎゃーっ!!

 咄嗟に声を出さんかった俺って凄いかも。
 まーつーなーがー! 感動しとんのはよう解ったから、握りしめとる俺の手を今すぐ離せーっ。いくら川岸やからって全身に鳥肌が立ってもうたやんか。ちゅーか、俺今にも泣きそう。
 周囲の観光客の皆さん、此処に居るのはジンクスを知らないバカップルです。ホモじゃ無いです。今だけは俺が女の子に間違われても怒りません。というかホンマに勘違いしてー。
 ……俺、お清めの場でなんつー情け無い願い事しとんのやろ。頭が飛んでアホスイッチ入っとるまつながーの向こうずねを頭の中で思いっきり蹴り付けた。こないなコト神さんの前で考えとったらアカン。清めしなおそかな。
 まつながーが正気にやっと返ったみたいで、俺の方を見ると苦笑ながら手を離した。「アホったれ」と視線だけで抗議したら(声出すと男やってばれるんやも ん)、俺に向かって手を合わせて来た。「悪かった」って言いたいんやろうけど、罰当たりやなぁ。神聖な場所で神さん以外を拝むなや。
 俺らは無言で……つーか、俺もチョット混乱してて何話してええのか解らん。少し上り坂になっとる玉砂利の道を戻ると2つ目の鳥居をくぐった。神楽殿とかは全部素通りして、まずは天照大神さんに挨拶せな。

 石段の所まで行くと、予想どおり参拝する人と終わって帰る人とで正宮前はごった返しとった。今日みたいに夏の昼間は視界が広いからええけど、雪正月の2年参りやと、チョット怖いコトになるんよな。
 俺とまつながーもゆっくりと石段を登りながら順番を待つ。まつながーが俺の肩を持って自分の方に引き寄せるんで、また何かの拍子にアホスイッチが入ったんやと思って足を踏もうとしたら、前から杖をついたじいちゃんがゆっくりと石段を下りてきた。
 じいちゃんは俺らの方を見て「嬢ちゃんらありがとう」と笑って礼を言うと、危なっかしい歩き方やけどしっかり杖で自分を支えながら、石段から玉砂利の道に足を着ける。頭の上でまつながーの安堵した溜息が聞こえた。
 うわーっ。俺メッチャ恥ずかしい。まつながーにはちゃんとあのじいちゃんが下りて来るのが見えてたんや。んで背が低くて気付かんかった俺に、黙って「お年寄りには道を譲れ」て教えてくれたんやん。
 俺がまつながーの足踏んどったら、きっと今頃じいちゃんは困っとった。勝手な思い込みでやらんで良かったー。
 まつながーって時々アホになるけど、普段はホンマ細かいトコまで気配りできるよなぁ。羨ましいくらいええ男やで。
 俺が見上げたら、まつながーは俺の気持ちが解ってくれたみたいで、笑ってぽんぽんて頭を軽く叩いてきた。順番が回って来たんで、まつながーと一緒に手を合わせる。
 天照の神さん。俺のコトは後回しでええから、早くまつながーが辛い夢から解放れさます様にホンマお願いします。

「何を熱心に……」
 石段を下りながらまつながーが俺に聞きかけて黙った。あ、「願掛け」の意味解ったみたいやな。いつもなら「もっと強くてええ男になります様に」って自分のコトお願いするのを、今回はまつながーのコト一杯お願いしたんやから早うく元気になってな。
 困った時の神頼みって俺は好きやないんやけど、ホンマやったら俺がもっとしっかりしてまつながーを……。
 いや。やっぱ、こんな考え自惚れすぎとる。俺ができるコトなんてたかがしれとるもん。
 「誰かの為に」なんて言葉、絶対嘘や。みんな自分がやりたいコトや、やらなアカンコトを、自分が選んでやっとるだけ。まつながーから見て「全然頼りにならんお子ちゃま」な俺は、まつながーが自分で元気になるのを横で見とるコトしかできんのよな。

 式年遷宮用の敷地横を通り過ぎて、少しだけ脇道に入る。
 「ここも帰り道は違うルートなのか?」とまつながーが聞いてくるので少しだけ首を横に振る。口元に人差し指を当てたら、まつながーも解ってくれたみたいで黙って付いてきてくれた。
 「荒祭宮」、天照の神さんの神力の源宮。正宮と対になっとるから鳥居が無い。普通の神社には無いこの宮が古事記神話の具現化の証拠なんやろな。
 こっちの宮にはほとんど人は居らん。知っとる人って未だに少ないんやなぁ。石段を昇ってまつながーと一緒に手を合わせる。参拝した後まつながーは名札を読んで納得してくれたみたいや。
 何も説明せんで悪いとは思ったんやけど、正宮より神威のある宮やから、ガイドみたいに話す気になれんかったんよな。強くて怒らせると怖い神さんだけにマジで天罰受けとうないもん。
 参道に戻るとまつながーが「岩戸に隠れたのはあっちかな」と荒祭宮を振り返って苦笑しながら言った。俺もガキの頃からそうかなって思とったから嬉しいで。


 28.

 神楽殿の方から音楽が聞こえてくる。誰かが祈祷をして貰ってるのか。外宮で俺が面倒くさがったのでヒロも無理にこの手の場所に連れて行こうとしない。人がお祓いしてるところを見ても仕方無いしな。
 祓って貰いたいもの……俺のヘタレきった今の思考だな。とはいえ神頼みなんて恥ずかしくてできるか。
 正宮前でよろよろ歩くじいさんを見掛けた時、ガキの頃から俺を可愛がってくれたじいさんを思い出した。3回忌も終わってないのに、盆にも家に帰らない俺 を天国でじいさんはどう思ってるんだろう。今も元気に生きていたら「母親に無用の心配掛けるな。この馬鹿!」と怒鳴ってただろうな。じいさん、悪い。散々 ガキの頃から言われてきてるのに、俺は未だに駄目男のままだ。横をのんびり歩いているヒロみたいになれない。
 そういえばヒロはまた勘違いされて「嬢ちゃん」と呼ばれたのに全く怒って無かったな。相手がお年寄りだけに気を使ったのかもしれない。おばちゃん相手の時は止めなきゃ喧嘩しかねない勢いだったのに。お姉さんが言ってた「観光地マジック」も有るからかな。
「まつながー、チョット待っててくれん?」
「あ、うん」
 そう言ってヒロはお札やお守りを売っている場所に走っていく。天子様のお前には必要ねーだろ。とツッコミを入れたくなったけど止めておいた。ヒロは特別宗教にはまっている風じゃ無いけど、昔からの神様には敬意をはらって大事にしているからな。
 ヒロの奴、売り場で観光客のおばさん集団に押されて困ってやがる。んな連中はスーパーの特売の要領で、さっさと蹴散らせば良いのに本当にお人好しだな。

「待ってもろうておおきにー。まつながー、これ貰ってぇな」
「は?」
 戻ってきたヒロが俺に小さな白い紙袋を手渡してくる。中は青地に銀糸と緑糸の刺繍がされたお守りだった。1つしか手に持ってなかったから、ヒロは俺の為に大勢の中に並んで押されても頑張って買ってきたのか。それならそうと先に言ってくれよ。俺はお守りは要らな……。
「凄く御利益有るで」
 そう言って天子様が笑う。こんな時、無邪気なお子ちゃまは最強だ。とても俺には逆らえねぇ。
 お守りを袋に戻してジーンズの後ろポケットに入れた。ヒロが「まつながー、罰当たりー」と言ってくるけど手ぶらTシャツで他にどうしろと言うんだ。あっ、と思いついて聞いてみる。
「ヒロはどうしてるんだ?」
「俺は無くしちゃアカンから財布に入れとるでー」
 当然だという顔でヒロが答える。やっぱりもう持ってたのか。ここから遠目で見ても色々な種類のお守りが有る。俺が唯一有る寒色系の青で、ヒロのお守りはどんなのだろう。
「ヒロのはどれなんだ?」
 売り場を指さして聞いたらヒロの顔色が少し変わった。あ、何か隠したい事が有るな。何でここで後ずさるんだよ。逃げだそうとしたヒロの襟首を掴まえる。今日はヒロも手ぶらだから財布はポケットだな。
「ぎゃーっ。まつながー。人のケツに手を入れるなっちゅーねん」
 ……甲高い上にでかい声でとんでもねぇ誤解を招く言い方をするなっての。どうせヒロの事だから自覚無いんだろうけど、思わずその頭をぶん殴りそうになっただろーが。
「財布に入れてるんだろ。俺に見せてくれたって良いじゃないか」
 ヒロはよっぽど見られるのが嫌みたいで本気で抵抗してくる。身長も力も俺の方が有るのに本当に無駄な抵抗をする奴だ。
「オカンが俺が東京行く前に買ってきてくれたてきたのやから、俺の好みの色じゃ無いんやって」
「へー、へー、へー。で、お袋さんはどんなのを選んでくれたんだ? ピンクか黄色か?」
 自分で言ってて笑えてきた。これだけヒロが見せるのを嫌がるんだから、どう見ても女向けなんだろう。
「ちゃうわい。あーっ!」
 よっしゃ。ヒロの財布ゲット。取り返そうとするヒロの頭を片手で押さえ込んで、もう一方の手で悪いとは思いつつ財布を開く。札入れの中に俺のと同じ白い紙袋が入っていた。げっ。これじゃ見えねぇ。
仕方無いから脇で暴れるヒロの頭を挟む。すぐに返すからそうしてろ。「こんなトコで恥ずかしいからやめれー。アホー。どすけべ。変態」という声は無視する。というか、すけべはともかくラストの1つはどういう意味だよ?
 あっ。
 綺麗に折りたたまれた袋から出てきたのは、純白の生地に銀糸の刺繍、金糸で描かれた紋と「神宮」の文字。シンプルなのになんて綺麗なんだろう。お袋さん は本当にヒロを解っている。忙しくてゴチャゴチャしている東京に出ても、伊勢の静かな環境で育ったヒロの優しい気質が壊れない様にという願いが込められて いるのが充分伝わってくる。
 これは俺なんかが触れて良いモンじゃない。天子のヒロだから相応しい。俺は丁寧にお守りを袋に入れて、曲がらない様気をつけて財布に戻すとヒロに「悪かった」と謝って返した。
 財布をポケットに入れたヒロが恥ずかしそうに顔を赤く染めて洩らす。
「真っ白で赤ちゃん用みたいやろ。似合わないからまつながーにも見せたく無かったんよな」
「いや、とてもヒロに似合ってる。というかその色が1番ヒロに相応しいと思う」
 俺が思ったままを言うとヒロが不満げな声を上げる。お袋さんの願いに気付かないくらい、よほど自分がそうだと思いこんでるんだな。
「何で? 純白なんてお宮参りみたいやん。俺もう19やし、こんな綺麗なのが似合う歳とちゃうて。普通に赤いの方が合ってるくらいやと思うん」
「何か勘違いしてるヒロが自分をどう思ってようが、俺やお袋さんにはそう思えるんだ」
「勘違いって何? どういう意味なん?」
 言えるか馬鹿天子。誤魔化しついでに痛く無い程度にデコピンをすると「またぁ?」と言ってヒロが頬を膨らます。
 ヒロはおでこを押さえたまましばらくの間眉間に皺がよるくらい複雑な顔をしていたけど、頭を2、3回振っていつもみたいににぱっと笑った。
「内宮の神馬に会ってみる? 多分白いのに会えると思うんやけど」
 お、ヒロが立ち直った。この切り替えの早さは俺にはとても真似できねぇ。俺が頷くとヒロが「こっち」と言って来た方向と違う道に入る。内御厩という場所に行ったけど中は空っぽだった。
「あれぇ。タイミング悪かったみたいや。残念やなぁ。凄く綺麗な奴なのにいつ戻ってくるか判らん。まつながー、堪忍な」
 ヒロが残念そうな声を出して、俺に軽く頭を下げる。
「神宮や馬の都合もあるんだろ。何でヒロが謝るんだよ」
 いくら案内しているからていちいち俺の顔色見るなっての。もっと堂々としていろよ。何度言ってもヒロのこういう所は変わりそうもないな。
 無言でデコピンを喰らわすと、ヒロが上目遣いで睨んできて「今のは痛かったで」と言い返してきた。ここ2日ばかり痛くない様にしていたのに気付いてたんだな。それで良いんだよ。変に俺に遠慮なんかするなって。俺達親友だろ。


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