22.

 うがーっ! よりによって姉貴が帰ってきてしもた。オカンが教えたんか。マジ恨むで。就職した時に独立してアパートに1人暮らししとんのやから、わざわざまつながーの顔見る為だけに帰って来んなや。この超2重性格面食い女。つーか、俺の最大の天敵。
 わっ。ヤバイ。こっち見た。すぐに視線逸らさな。俺は朝っぱらから姉貴の顔だけは見とう無かったんやで。
「なぁーにぃ。博俊、相変わらず景気の悪い顔しとるんやねぇ。彼女居ない歴を華々しく更新中やて? このアタシと同じ顔しとんのに、なしてそうも要領が悪いんかねぇ」
 余計なお世話や。そのクソ意地悪い性格は全然変わってへんな。俺が彼女できんのは姉貴のせいでもあるやろ。俺の女の子に対する幻想を、ことごとく破壊しまくった元凶のくせに。姉貴の性格の悪さに俺はガキの頃から全然女の子に夢を見るコトができんかったんや。腹が立っても姉貴の相手をしたらアカン。一旦相手してもうたら終わりや。
 俺の考えとるコトなんか完全にお見通しやって顔で、姉貴が俺の頭をくしゃくしゃに掻き回す。いつまでも小さいガキや無いんやからその癖止めれー。
「東京行って少しは直ったんやないかと期待しとったんやけどなぁ。まーだ、自分が思っとるコト言うの苦手なんやね。言いたいコトが有ったらその場で言いなっていつも言うとるやろ。そういう今ひとつはっきりせんトコが、アンタが彼女できん原因なんやからね。優しいお姉様のせいにせんといて」
 誰が優しいて? 毎回俺が言い返す前に言い逃げすんの姉貴やろが。それに親父から男が女怒鳴るのはみっともないて言われとるから、俺はいつも我慢してるんやで。

 あ、まつながーが静かに戦闘態勢に入っとる。自分ばかり話して人の話聞かんタイプの女子を苦手っぽいもんなぁ。まつながー、お願いやから今だけは我慢してー。俺らがとても太刀打ちできる様な相手やないんやから。
 俺がテーブルの下でまつながーの足を軽く突ついて合図したら、まつながーは俺の手を握ってきた。……えーと。これは大丈夫やって言いたいんかな。
 まつながーは俺の手を持ったまま自分の足の上に乗せる。なんでやねん。テーブルの下やから見えんけど、これって絶対誰にも見られとうないなぁ。
 うーっ。姉貴のせいで気の短いまつながーのアホスイッチが入ってもうたやんか。
「ご挨拶が遅れました。初めまして。ヒロのお姉さん。松永健です。弟さんとはとても仲良くさせて貰ってます」
 ……なんか微妙な言い方やなぁ。姉貴もまつながーの言い方に気付いてわざとからかう様にツッコミをいれる。
「何や。松永君てそっちの趣味も有る人? ええ男なのに勿体ないわぁ。まぁ、博俊はアタシ似で可愛いから気持ちも解らんでもないけど」
 うわっ。姉貴のアホ、モロにホモ嫌いのまつながーの地雷踏みおった。まつながーが怒り出す前に俺が何とかせんと。
 姉貴に俺が文句言おうとしたら、まつながーが止めるみたいに俺の手を強く握り絞めてきた。あれ? まつながー、どういうコト?
「お姉さん。俺とヒロは本当に良い友人です。ヒロとは一生お付き合いしていくつもりでいますが、お姉さんはそういう意味の方をお望みですか? ご家族のご理解を頂けるなら俺も喜んで前向きに考えさせていただきます。でも、残念ながら日本の法律では男同士は結婚できませんよね」
 うげっ。まーつーなーがーっ! 売り言葉に買い言葉かもしれんけど、姉貴に乗せられてアホな事言うなーっ。
 姉貴も今のでチョットまつながーへの評価を変えたみたいや。まつながーは見た目ええけど、怒らすと女でも殴ったりせんだけで容赦せんのやで。
「そやね。そら仕方ないわ。博俊、アンタはどう思っとるん?」
 お。姉貴もまつながー相手じゃ不利やと思ってこっちに振ってきたか。
「冗談やないて。それでのうても昨日はあちこちでカップルに間違われて、俺ら2人共そうとう嫌な思いしたんやで。姉貴も初対面の相手に少しはその口遠慮せえや」
「なんや。アンタら名古屋でそういうコト言われとったん? それで昨夜玄関先で冗談に怒ってたんやね。知らんかったとはいえ悪い事したねぇ」
 場のまずい雰囲気に、はらはらしとったオカンが参戦してくる。
「それって只の観光地マジックやん」
 事情が解った姉貴もなんやって感じで腕を組む。
「観光地マジック?」
 俺とまつながーが同時に声を上げると、姉貴はそんなコトも知らんのかって顔で俺らを見た。
「アンタらが名古屋で何処回ったんか知らんけど、多分デートスポットにもなる観光地やろ。普通、男2人で歩くトコや無いんやない? 小柄な博俊と背の高い松永君が並んで歩いてたんなら、そら遠目にカップルに間違われても仕方無いて。何の関係も無い男女が歩いてるだけで、カップルか夫婦に見えるんが「観光地マジック」なんやから」
「へー。何やそういうコトかぁー。東京では1度も無かったから何でやろってずっと不思議に思ってたん」
 俺が感心した様に言うと、姉貴がまつながーを横目に見ながらにやりと笑ってきた。
「自己主張がメッチャ下手なアンタが、しっかりしとる松永君に甘えて、ホモの道に走っとるならアタシは姉弟の縁今すぐ切るで。そこまで情け無い男に育てた覚え無いんやからね」
 こら待てや。俺は姉貴に育てられた覚えは無いで。ホモのトコは無視して、姉弟の縁はできれば切って貰いたいわい。
「松永君、香が調子に乗って失礼なコトしたけど堪忍したってなぁ。元気過ぎる香とのんびりし過ぎの博俊の性格が逆やったら良かったんやろうけどねぇ」
 オカンがそろそろ潮時やと思って、ツッコミを入れてきた。
「いえ。俺はヒロのこういうところが凄く気に入ってますから」
「えっと……」
「アンタ、こういうのが好みなんか……」
 まつながー、気付けー。地雷、地雷踏んでるて。オカンと姉貴が驚いて黙ってしもうたろ。
 それまで新聞を読みながら黙って茶を飲んでいた親父が、ついに耐えきれんくなって爆笑しだした。
「まぁ。男の友情は女には一生解らんやろな」
 なんか親父の鶴の一言で落ち着いたっぽい。とにかく酷い喧嘩にならんで良かったー。
 つーか。まつながー、いい加減誰かに見つかる前に俺の手離せや。


23.

 我慢強くて癒し系のヒロが「姉貴だけは止めとけ」と言うだけあって、一目で俺の苦手なタイプの女だと思った。幾つ歳が離れているのか知らないが、ヒロの事をまるで自分のオモチャみたいに扱うんで、一言釘を刺してやろうかと思ったらヒロがこっそり俺を止めた。
 よく平気で弟にそんな事を言えるな。と突っ込んでやろうかと思ったのに、ヒロの手が懇願している様に感じて怒る事ができない。くそっ。仕方ないな。
 怒る気は無いと合図を返したら、ヒロは大人しくなった。なんとなく手を離したくなくて、そのまま抱え込んでしまった。俺の手の中にすっぽりとヒロの小さな手が収まる。
 だんだん気持ちが落ち着いてきて、お姉さんの俺をからかう様な物言いにも(内容は後でヒロから文句が来そうだが)冷静に「これに突っ込めるもんなら突っ込んでみろ」という気持ちを込めて言い返す事ができた。普段なら相手が誰だろうがとっくに「この馬鹿女。黙れ」くらいは言っている。
 どうして姉弟なのにこんなに性格が違うんだろう。ヒロがテーブルの下で手を離して欲しそうな動きをしたけど、今は無視する。この状況でそうそう精神安定剤を手離せるか。

 諦めたヒロが恥ずかしそうに手を隠しながら顔を上げる。
「姉貴は何しに帰って来たん? まつながーの顔見る為だけに来るはず無いよな」
 お姉さんは両手を腰に当てて、ふんという感じで胸を張る。どこまでも対照的な姉弟だな。
「アンタら今日お伊勢さん行くんやて? 他にも行きたいトコあるやろうし、電車やバスやと何かと不便やから、今日は車で送ってやろうって思ったんよ」
「えーっ。姉貴がぁ?」
 ヒロが本気で驚いたという声を上げる。正直、俺もびっくりだ。
「なんやねん。その言い方は。アタシがいつもアンタを虐めてるんは、アンタが男のくせにヘタレやから鍛える為なんやで。松永君みたいにアタシにはっきり言い返すくらいの根性有ったらしーせんわ」
 あ、この顔はヒロが何か考えているぞ。ヒロは懐が広くて芯が強いからいつも人に優しい。全然ヘタレなんかじゃない。それがお姉さんには「弱気」に見えて、気に入らないらしい。
「ホンマにあちこち行ってくれるん?」
 ヒロが念を押す様に聞くと「当然やわ」とお姉さんは頷いた。何だかんだと言ってもヒロのお姉さんだし、口が悪いだけでそれほど嫌な人じゃ無いみたいだ。
「ただし、アタシの車は軽やから背の高い松永君は我慢してな」
 ヒロがどうする? って感じで俺を見上げてくるんで「好意で言ってくれてるんだから良いんじゃないか」と答えた。
 「ほな、決まり」とお姉さんが感じの良い笑顔になる。ヒロに似て自分で言うくらい可愛いんだろ。普段からそういう顔してりゃ良いのに。

 「気をつけてなぁ」とお袋さんが玄関まで見送ってくれた。その上「美味しい物でも食べて」と俺にまでお小遣いをくれる。さすがにそこまではと思って返そうとしたら、ヒロが「気持ち解ってやって」という顔をするので、礼を言って受け取った。
 車は俺が助手席でヒロが後ろになった。俺も後ろの方が気楽で良かったんだが狭くて足が入らねぇ。助手席でシートを1番後ろに下げてもぎりぎりだ。
「やっぱ。足の長さの違いやねぇ」
 お姉さんが声を立てて笑う。ミラーで後ろを見たらヒロがむすっとした顔をしていた。男の価値は外見じゃねぇって簡単な事に、ヒロはいつになったら気付くんだろう。
「外宮で良いんやろ」
「うん。やっぱそこからやろ」
 お姉さんの質問にヒロが答える。えーっと。外宮、外宮。何かで聞いたぞ。歴史をサボりまくったツケがこんなところでも出てくるな。ちらっとヒロの顔をミラー越しに見たら「安心して」っていう顔で笑っていた。
 そうだった。名古屋でも迷う事なんか全然無かった。此処はヒロの地元なんだから、俺は何も心配しなくて良い。ふっと肩から力を抜くとお姉さんから突っ込みが入った。
「アンタらなぁ。冗談でも「結婚したい」て言えるくらい仲がええのはよう解ったから、さっきから目だけで会話せんとアタシにも通じる様に口で話してや。運転手しとるのに1人だけ完全疎外されとる気分になるわ」
 ……言われるまで気付かなかった。嫌な予感がして後ろを見たらヒロが「このどアホ!」という顔をしていた。全部俺が悪かったよ。後でちゃんと謝るからそんなに怒るなっての。


24.

 車は20分くらい掛かってお伊勢さんの外宮駐車場に着いた。いつものコトやけど観光シーズンやと道が混むなぁ。走っとる車も余所のナンバーがやたらと目立つ。土曜日やからバスや電車使ってたらもっと大変やったかも。どういう気紛れか知らんけど今日は姉貴に感謝しとこ。
 車を降りると姉貴が手を振りながらどこかに走っていく。
「正くーん。おまたせー!」
 へ? なんやねん。姉貴。その男誰や。もしかして新しい彼氏(犠牲者)か?
「香、遅せーよ」
 やたら顔がええ姉貴好みの男が姉貴に向かって手を振る。あ、嫌な予感してきたで。
「えへへ。ごめんねぇ。弟がなかなか起きてくれなかったん。アタシもできるだけ早う正君に会いたかったんよ」
「昨日帰ってきたんやからしゃーないか。あの背の低い方なんか? チョット香に似とるな」
「うん。よく言われるんよ」
 こら待てや。家出るのが遅くなったんは、姉貴が要らんコト言って、まつながーを怒らせたからやろ。
 つーか、まさかと思うけど、姉貴の奴、俺らを自分のデートに付き合わす気や無いやろな。冗談やないで。
 猫被りまくった姉貴と、多分それに騙されとるぽい兄さんのバカップルぶりを見せつけられて、俺もまつながーも完全しらけモード。このまま無視してお参りに行こかと思ったら姉貴から呼び止められた。
「博俊ー。コレ受け取りぃ」
 姉貴が銀色に光る小さなモンを放ってくる。手の中を見ると車の鍵やった。
「アタシらこれからデートやから、今日1日車をアンタに貸したるわ。アンタらもその方が気楽やろ。夕方に此処で待ち合わせでええよな」
 そういう魂胆やったんか。ちゃっかり出掛けにオカンからお駄賃貰っとったくせに図々しいなぁ。でも、姉貴と1日中一緒に居るのは肩こるからええかも。あ、これだけは確認しとかんと。
「まさかと思うけどガソリン満タンにして返せとか言わんやろな」
「それは遅れた誕生日プレゼントにしとくわ。ほやけど車に傷1つ付けたら弁償やからね。ほな、松永君もまたねぇー!」
 姉貴のヤツ言いたいコトだけ言って、さっさと彼氏の車に乗ってどっかに行ってもうた。お伊勢さんにカップルで来るのは、アホか地元民以外やもんな。上手く利用された気もするけど、車タダで借りれたし、うるさい姉貴が消えてくれたんやから喜んでええんかな?
 まつながーは複雑な顔をして俺の手の中を見る。
「何?」
「ヒロは車の運転ができるのか?」
「去年の秋に免許取ったん。やっぱ車無いとこっちは不便やから。でも1個だけ大きな問題が有って……」
「ん。どうした?」
 俺が言いにくそうに頭を下げると、まつながーが顔を覗き込んできた。
「免許は誕生日が早かったから取れたけど、校則で在学中の運転は禁止やったんなぁ。東京では車要らんから完全にペーパーなん。……その、俺メチャ運転下手やねん。まつながーは平気? 怖いなら車此処に置いて電車にするでぇ」
 俺の顔をじっと見ると、まつながーはいつもみたいに「ばーか」と言って軽くデコピンしてきた。
「先に言っておくけど、俺は3月末生まれなんだから免許は持ってないぞ。ヒロがずっと慣れない運転をするのが嫌じゃなきゃ、俺はかまわない」
 「ホンマにええの?」とやっぱ気が引けて聞き直すと、まつながーは笑って言ってくれた。
「慣れてないなら運転は慎重になるだろ。ヒロの事はいつも信用してるっての。それに……」
 まつながーが照れくさそうににやりと笑う。
「あの口にガムテープ貼ってやりたいお姉さんと一緒にいたら、精神安定剤のヒロと手を繋なぎ続けていないと、俺の理性がいつ切れるか判らないからな」
 げっ。あの手はそういう意味でやってたんかい。マジで恥ずかしいやっちゃな。勝手に人の身体をそういう使い方すなや。
 このままぼーっと駐車場に立ってるんも間抜けっぽいんで「ほな、行こかー」とまつながーの背中を軽く叩いた。ホンマは思いっきり紅葉作ってやりたかったけど、神さんの前でアホなコトしたらアカンよな。
 まつながーは1番近い参道っぽい道が見える橋を渡ろうとする。あ、やっぱそっち行ってまうか。
「まつながー、そっちや無いで。そっちも参道やけどショートカットやもん。本道はあっちなん」
 俺が駐車場の外を指さすとまつながーが「先に言えよ」と慌てて戻ってきた。そのまま駐車場沿いの道を歩く。
「ショートカットって?」
「うん。熱田さんにも有ったやろ」
「ああ、あれか」
「チョット遠回りやけど、表から入ると運が良かったら神馬に会えるかもしれんで。外出中の時も多いけど、可愛い顔したヤツなん。外宮に居るんは栗毛やで」
「へぇ」
 俺が説明したらまつながーが感心した様に言う。姉貴と別行動になって気が楽になったんか、まつながーが周囲の風景を見て嬉しそうにしとる。やっぱしこういう木の多いトコ好きなんやな。もしかしたらまつながーの実家ってこういうトコに有ったりして。
 橋を渡りながら声を出さずに笑っとったのに、まつながーに頭を叩かれた。「何で?」て聞いたら、「ヒロは思ってる事が全部顔に出るからすぐに判る」て言われた。
 うーん、家族にもまつながーにもいつも同じコト言われるんよな。やっぱ。ポーカーフェイスの訓練するかな。そんなコトを考えながら手水舎で手を清めとったら、先に清めたまつながーに水を飛ばされた。ずぼらせんと手くらいハンカチで拭けばええのに。
「ヒロは今のままで良いんだよ」
 そう言ってまつながーがまたデコピンしてくる。昨日からやたらとコレをされるなぁ。全然痛く無いだけに、何でまつながーが俺にデコピンしてくるんか解らん。


25.

 ヒロがぶくっと頬を膨らませる。19歳の男のくせにこれが似合うから怖い。というか、そう見える俺の頭の方がおかしいのか。どうも昨日からかなり情緒不安定みたいな気がする。
 すぐに笑顔に戻ってヒロが歩き出す。全く伊勢の事を知らない俺に、丁寧に伊勢神宮の事を教えてくれる。あんまり一生懸命なんで、お前はツアーガイドかと突っ込みをいれたくなるくらいだ。
 外宮は農業と産業の神様の豊受大神を祭っているらしい。ところどころ記憶が怪しいらしくて、俺が何かを指さして聞くと「そこまでは知らんのや。堪忍なぁ」と笑って誤魔化してくる。
 何気ないヒロの動作1つ1つを綺麗だとか可愛いと思ってしまう俺は、かなり異常をきたしているとしか思えない。俺の理性はヒロは童顔なだけで、見た目も中身もしっかり男だと言っているのに。
 普段がお子ちゃまなだけに、たまに見せるどこを見て、何を考えているのか全く読めない深い表情が、益々ヒロを天子に見せる。ここが神社だからかな。
 神馬と言っていた穏やかな顔をした栗毛の馬が、ヒロと目が合って挨拶をしていた。横に立っていた俺は完全に無視される。おいこら、馬。
 大人は無視されて他の無邪気そうな小さな子供にも馬は挨拶していたから、言葉が通じなくても動物には相手の本質が解るらしいな。
 熱田神宮よりはるかに大きい森が参道を覆い、木の間からは池が見えている。白木の立派な鳥居を2つくぐると神楽殿が目に入る。ヒロの説明だと祈祷を申し込むと拝んで貰えるらしい。ヒロが「何かお願いしてみる?」と聞いてきたけどんなモンはパスだ。
 ヒロと一緒に正宮に向かって両手を合わせる。多分扉だろうが壁に向かって拝むのはかなり違和感だな。横の通用門らしい所から中を覗くと、いくつも中に門が有って、その奥に社殿が見える。随分厳重な造りだ。
 正殿の横には空き地が有って小さな祠が有る。俺が不思議に思っているとヒロから「式年遷宮くらい知ってるやろ」と突っ込まれた。ああ、そういう事か。
 別宮も全部お参りするからと、ヒロと並んで山道みたいな参道を歩く。熱田神宮が綺麗に整備された都市のど真ん中に有るのに対して、伊勢神宮は自然の姿そのままだ。帰り際に裏参道を通ると、とてつもなく大きな広葉樹が何本も生えていた。周囲が5メートルくらいはありそうだが、一体樹齢は何年なんだろう。
 無意識に俺が口にしてしまったらしく、ヒロが「歴史がホンマなら最低でもこの木達は1500歳や」と言う。
 ……声も出ねえ。凄すぎる。
 ヒロが木に向かって手を合わせた。深い森の中のわずかな木漏れ日がヒロを照らして、そよ風が真っ黒で短い髪をなびかせる。茶髪で濃紺のTシャツを着た俺と違って、淡い色の綿シャツを着たヒロは風景に完全に溶け込んでいる。わっ。待ってくれ!
「へ、何?」
 ヒロがびっくりした顔をして俺を見上げてくる。気が付くと俺はヒロの両肩をしっかり押さえ込んでいた。
「……このままヒロが空飛んでいきそうな感じだったから」
 自分の咄嗟の行動が恥ずかしくなった俺がぼそぼそと答えると、ヒロが大きな目を更に大きく開いてぶっと吹き出しながら「何や。それー」と笑う。ああ、いつものヒロだ。安心した。仕方ないだろ。さっきは本当にそう見えたんだから。

 駐車場に戻るとヒロが「あっ」と声を上げた。
「まつながー。堪忍な。先に月夜身尊宮に行くの忘れとった。やっぱお伊勢さんを回るなら必要よな」
「月夜身尊。天照大神の弟でスサノオの兄だったよな」
 歴史や神話に弱い俺が助手席に座りながらなけなしの知識で聞くとヒロが頷いた。
「うん。それにイザナギやイザナミも同じトコに祭ってあるんよな。順番逆になってもうたけど、外宮と内宮の間に有るから行ってみる?」
 イザナギ、イザナミ。古事記の冒頭シーンだな。あれらの舞台は伊勢なのか? ヒロに聞いてみたら「天の岩戸なら志摩に有る」と返ってきた。……志摩って何処だよ。三重の地図が頭に入ってないから段々混乱してきたぞ。
「その神社も回るのがメジャーなのか?」
「ううん。大抵地元民も素通りやねん。駐車場が無いから電車を使わんと内宮からかなり歩くんよな。俺も数えるくらいしか行ったコト無い」
「パス。いくら俺が初めてだからって、ヒロが自分も行かない所に無理に連れて行こうとしなくていいぞ。というか、お互い遊びに来てるんだから俺に変に気を使うなっての」
「気なんか特別使うてへんわい」
 狭い車の中で俺達がどつき合いをしていると、目の前を派手にいちゃついているカップルが、俺達を見て笑いながら通り過ぎて行く。どうやら馬鹿丸出しだったらしい。ヒロがそいつらを見てボソリと低い声で言う。
「今はメチャ仲良うてもすぐに別れるでぇ。観光客」
 ヒロとは思えない物騒な物言いだな。いくら自分に彼女が居ないからってひがむ奴じゃないのに。そう思っていたらヒロがにぱっと笑って教えてくれた。
「多分あの人らはこの後内宮にも行くやろ。伊勢神宮の内宮は天照大神さん祭っとるんなぁ。カップルで行くと必ず別れるんで有名なトコなんやで。姉貴かてここはまだ外宮なのにさっさと居なくなったやろ。地元民なら絶対デートコースにせん。そういう神社って結構多いから、まつながーもデートする時は気を付けた方がええでー」
「なんだ。そういう意味か。俺達は男同士だから行っても大丈夫なんだな」
 俺が腕を組んで頷くとヒロが少しだけ訳が解らないって顔で眉をひそめた。
「まつながー、涼しいトコ歩いとったのに暑さボケ? 何を当たり前のコト言っとるん」
 ……重傷だ。噂やジンクスなんかで親友無くすんじゃないかと不安になるなんて、ヒロの言い分じゃ無いけど何を馬鹿な事を俺は考えてるんだ?


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