16.

 電車に乗ってる間、まつながーはずっと外を見ながら1人で百面相しとった。身長180センチクラスの男が、電車の窓に張り付いてる姿はアホ丸出しや。
 LE−7見てよっぽど頭がボケとったんか、俺相手にお互い鳥肌が立つ様なコトやったばかりやし、下手に声掛けて変な騒ぎに巻き込まれるよりずっとええかと思って放っておいた。
 電車を降りるとまつながーはボソリと「ど田舎」って言った。自分かて茨城の水戸出身なんやからそう変わらんやろ。伊勢と名古屋を一緒にすなや。
 どんだけ田舎やろうとココは俺が生まれ育った町なんやからな。空気は綺麗やし、何より高いビルでゴチャゴチャしとらんから息苦しくのうてほっとする。
 携帯で時間を見ると丁度バスがメチャ混む時間やった。俺らが金曜のこの時間にずっと電車で座れただけでもラッキーよな。待って満員のバスで立つより、そう遠くも無いから家まで歩くかな。
 「チョット歩くけどええ? アパートから大学行くより遠いけど」と聞くと、まつながーもバス停で沢山の人らが待ってるのを見て「かまわない」て言ってくれた。
 歩き出すとまつながーが周囲をキョロキョロと見とる。日が沈んでしもたから大分暗くなってきとるもんな。夜でも目立つ目印になるモンが無いってこういう時は不便かも。
「あ、宵の明星」
 まつながーが西の空を見ながら言うんで、俺もそっちを見た。
「あ、ホンマやー」
 さすがマイナス4等級星。メチャ明るくて綺麗やなぁ。この時間やとまだ当分山の陰に隠れずに見えるんやったな。そういえば東京で見たんは月くらいのモンかも。それもほとんどまつながーに無理矢理酒に付き合わされて、ベランダみたいな廊下か物干し台から見るくらいやった。
 こんな風に空見上げるなんて久しぶりやなぁ。あ、もしかしてまつながーがキョロキョロしとったんは、道を覚えようとしとったんやのうて星を捜しとったんかも。まつながーの顔を見上げたら、俺と目が合ってにやっと笑う。あ、今同じコト考えとったな。

 商店街を抜けて住宅地に入る。道はずっと片側1車線。歩道との境は線1本で描いただけ。名古屋の滑走路みたいな道ばっか見とったから、俺は何となく嬉しくなって道を右に左にて行き来する。
反対車線にも渡ってみようかなーって思っとったら、まつながーに襟首を掴まれた。
「真っ直ぐ歩け。このお子ちゃま(アホ)め」
 今、聞き慣れた言葉に混じって、聞き捨てならんコトもしっかり聞こえたで。ガキみたいに浮かれて歩いてたんやから、「お子ちゃま」て言われるんは仕方無いけど、今日のまつながーに「アホ」て言われたないわい。
 俺がじと目で振り返ったらまつながーが少しだけ怒った口調でとんでも無いコトを言った。
「文句言うならまた肩を抱くぞ」
「こんな俺の家の側でそんな恥ずかしいコトすなやー」
 ご近所の人に見られたら何言われるか判らんやん。と言おうとしたら、まつながーが急に真面目な顔になる。
「だったら実家を目の前にして、車にひかれる様な事をするな。後ろからヒロを見ててこっちがはらはらするんだよ」
「あ、うん。そうやな。堪忍なぁ」
 あれ? まつながーのアホが直って普段どおりに戻っとる。んー、でもやっぱし何かちゃうなぁ。どこがってはっきりとは判らんけど……もしかして初めて俺の家に来るのに柄にもなく緊張しとるんかなぁ。

 2階建てのごく普通の1軒家が目に入る。車が無いから親父は居らんのやな。
「まつながー、ココやで」
 振り返るとまつながーは手を小さく動かしておまじないみたいに踊っとった。……マジで訳解らん。怖くてツッコミ入れる気も起こらんから見なかったコトにする。
 玄関を開けると同時に大きな声を出す。
「オカン、ただいま。今帰ってきたでー」
 廊下の奥からオカンがひょいと顔を出す。そういうずぼらなトコは全然変わってへんなぁ。オカンの視線はなにげに俺を素通りして、まつながーの顔を見て、嬉しそうに玄関まで出迎えてくる。
 待て。オカン、それが数ヶ月ぶりに帰ってきた息子にとる態度か。


17.

「お帰り。博俊。松永君、ホンマに遠いトコまでよう来てくれはったねぇ。いつもうちの博俊がお世話になっとります。疲れてへん?」
 ヒロに感じがよく似たおばさんが、エプロンの端で手を拭きながら俺に笑いかけてきた。ヒロが女になって老けたらこの顔になるのかと思ったけど、確実にヒロが拗ねるので黙っておいた。とりあえず先に挨拶を済ませてしまおう。
「初めまして。松永健です。お世話になります」
「ホンマしっかりした礼儀正しい子やねぇ。噂に聞いてたよりずっとええ男やから目の保養になるねぇ。うちの博俊と取り替えて貰いたいくらいやわ」
 ……おいおい。
「オカン、実の息子目の前にしてアホなコト言うなやー。マジで拗ねるで」
「いつまで経っても末っ子根性が抜けんアンタが拗ねるなんて毎度のコトやろ。悔しかったらいつも世話になっとって自慢しとる松永君の爪の垢でも飲んで、博俊自身が精進したらええわ」
「末っ子、末っ子言うなー。たった2人の姉弟やろーが」
「そのたった1人の姉ちゃん相手に、1度も口で勝てん博俊が言っても説得力無いわ」
「姉貴は口から先に生まれたんやから、俺が勝てんで当然やろー」
「ああ、だからアンタは生まれる直前になって急に足から先に出ようとしたんやね。産むの大変やったんやからアタシに感謝してな。アンタはすばしっこくて香(かおる)が怒ると小さい時から逃げ足だけは早かったもんねぇ。変なトコだけお父さん似なんやから」
「ほっとけや。チョコっとでも親父似なトコは俺は気に入っとるんや」
「そうは言うても伊勢女は神様の護りが強いからねぇ。アンタもアタシ似で可愛い顔してんのやから女に生まれても良かったのに。きっと地元でも東京でももてたでぇ」
「アホ抜かせ。俺は俺や。ちゃんと立派に男やっとるわい」
「うん。そうやね。ほやったらさっきから隣に立って、困った顔しとる大事な友達にもちゃんと気配れるよな」
 お? 急に話が俺に戻ったぞ。
「あ……そやった。まつながー、放っておいて堪忍なぁ。ウチはいつもこんな調子やからメチャ驚いたやろ。遠慮せんと靴脱いで上がってぇ」
 ヒロが漸く俺の方を向いて、申し訳なさそうに話し掛けてくれた。聞きしに勝る関西人ツッコミ合戦。のんびりしたテンポの三重弁なのに、親子の会話に俺が付け入る隙なんか全く無かったぞ。先に挨拶しておいて良かった。それにしてもヒロも結構口が回るんだな。俺と話す時とはかなり違うぞ。
「あ、うん。お邪魔します」
 かなり間が開いてしまったが取り合えずヒロの家に入る事ができた。気のせいか玄関に入るまでの緊張が一気に消えたみたいだ。
 ああ、そうか。さっきの親子漫才だ。先に酒井家が普段通りの自然な姿を見せてくれたから、俺も気が楽になったんだ。
 素をさらけ出したヒロが、俺の顔を見て恥ずかしそうににぱっと笑う。この優しくて心地良い雰囲気が酒井家の気風なんだろう。気構えていた俺の負けだな。
 台所に戻ったヒロのお袋さんが、顔だけ覗かせて声を立てて笑いだした。
「アンタらそうしてるとまるで初々しいカップルみたいやわ」
 「オカン、そのギャグ全然笑えんて!」とヒロが速攻で怒鳴る。
 同感だ。今日の俺には全然洒落にならねぇ。


18.

 いつもはダイニングで飯を食うんやけど、まつながーが居るし、いつでも足を伸ばせるだろうからって居間の方に行けとオカンに言われた。
 大きなテーブルにふかふかの客用座布団、テーブルの真ん中にはホールサイズのバースディケーキ……あ、しもたぁ。ちらっとまつながーの顔を見たら、やっぱり「何だ?」って顔しとる。
 オカンが「遠慮せんと座って」と言いながらいつもより豪勢な料理とお約束の納豆にお茶を運んでくる。
「博俊、2週間前に誕生日やったやろ。お祝いは帰ってきた時でええかと思って準備しといたんよ」
「……どーも。おおきに」
 うーっ。振り返るんが怖い。俺が逃げ出そうとしたら案の定、まつながーに襟首を掴まれた。ぐいっと引っ張られて両手で頭を押さえられる。オカンが居らんかったらメチャキツイヘッドロック掛けられとるトコや。
「ヒロ、何で誕生日を黙ってたんだよ。教えてくれてたらお祝いしたのに」
「つい言い忘れとっただけやて」
「嘘つくな」
 うー。やっぱまつながーに完全表情読まれとる。しかも怒っとるし、下手な言い訳は通じんよなぁ。
 俺らがボソボソ話しとったんが全部聞こえとったらしくてオカンが呆れた様に言う。
「博俊。アンタのコトやから松永君に「彼女居らん歴19年継続」って言われるんが恥ずかしかったんやろ。親としてホンマ情け無いで。彼女が居らんコトくらいで友達に嘘言うなんてなぁ」
 まつながーが俺の顔をじっと見て「そうなのか?」て視線だけで聞いてくる。俺が頷くと「ばーか」と言って軽くデコピンをされた。あれ。これで許して貰えたん? 全然痛く無かったんやけど。オカンが居るからまつながーも猫被ってるんかなぁ。

 まつながーは俺から離れると自分のリュックを開けた。40センチくらいの縦長い箱を出してオカンに差し出す。
「東京の地酒です。良かったら飲んでください。……その、甘い菓子はそう珍しいのが無いので」
 あっ。
「まあま。丁寧におおきにねぇ。お父さんが日本酒好きやからメチャ嬉しいわぁ。重かったやうろに松永君は力有るんやねぇ」
 オカンが笑顔でお盆をテーブルの上に置いて、まつながーから箱を受け取る。
 まつながーは俺が酔った勢いで「俺は呑めんけど親父は酒好きや」ってかなり前に言ったのをちゃんと覚えててくれたんや。もしかして名古屋でリュックごとロッカーに入れてたんはそれのせい?
 俺なんか土産は先に宅配で送ったのに、まつながーは重いリュック背負って平気な顔して駅まで走ったり、家まで歩いたんか。先に言ってくれたら無理せんかったしバスも待ったのに。
 うーっ。また、まつながーの凄いトコ見せ付けられてもうたなぁ。自分のコトで手一杯の俺とはえらい違いやで。俺がチョットだけ拗ねモードに入っとると、まつながーに耳を引っ張られた。
「後できっちり話つけるからな」
 ……やっぱ、アレで終わりやないんかい。俺が甘かった。

 晩ご飯を食べながら壁の時計を見ると8時近くになっとった。親父が未だに帰って来ん。これはきっとアレやな。
「なあ、オカン。親父って今日は夜勤?」
 俺らが帰ってくる前に夕食を済ませたオカンが、俺とまつながーにお茶を出してくれる。
「そうやで。お父さんももうええ歳なんやけど、この時期はしゃーないわ」
「そやなぁ。いくら人入れてもこの時期とGWと正月はしゃーないなぁ」
「明日の朝帰ってきた時に起こしたるから挨拶したらええ」
「そうするー」
 あ、まつながーが訳解らんて顔しとる。そういやこれも言うの忘れとった。
「まつながー。俺の親父な、警備会社に勤めとるん。管理職やから普段なら日勤なんやけど、長期の休みになると時々現場に出なアカンのな」
「そうか大変だな。……あ、ヒロは「完全に」お袋さん似なんだよな?」
 その間と強調と疑問形は何やねん。悪かったな。顔も体型もオカンそっくりで。俺の表情を読むのが1番上手いオカンが、すかさずツッコミを入れる。
「松永君、博俊は可愛いから東京でも人気あるやろ?」
「はい。それはもう「猫耳と尻尾付けて連れて歩きたい」、「家に持って帰りたい」って、うちの学部の女子にまで人気有りますよ」
 ぶっ。「ガキ臭い」とか「童顔」て言われてるんは知ってたけど、そういう言われ方までしとったんかい。つーか、まつながーもオカンに合わせてアホなコトばらすなや。
「松永君みたいに恰好良いて言われんのは仕方無いわなぁ。素はええんやけど」
「でも、見掛けで誤解されやすいだけで、ヒロの内面はとても芯が強いと俺は知ってます」
 えーっ。まつながー、どないしたん? 俺、まつながーからこないにはっきり誉められたの初めてや。うっわー。メッチャ嬉しくて恥ずかしくなってきた。
「博俊、フォローして貰っておいて何で真っ赤な顔してるん。アンタがそうやっていつもはっきり言わんから松永君が庇ってくれとるんやろ」
 うっ。それを言われると何も言い返せんなぁ。


19.

 ヒロがお袋さんから厳しく言われて俯く。ああ、滅茶苦茶じれってーな。お前に足りないのは自信だっての。自分がどれだけ凄い奴かって事を全然気付いてない。……なんて俺の口からはとても言えない。
 今ヒロがここに居なくて、言った相手がお袋さんじゃ無かったら、ちゃぶ台返しくらいやっていただろう。うーん。俺のヒロ関連怒り許容量はかなり少ないとしか思えないな。他の奴がどう言われたってこんなに腹が立たないのに。
 普通の親子の会話なのに、ヒロが少しでも悪く言われると我慢ができなくなって黙ってられなくなる。どうも調子が狂うな。ヒロは……俺にとってヒロはどういう存在なんだろう。ただの親友じゃ無い。それだけしか判らない。
「まつながー、食わんの? もしかして味付け薄い? 醤油要る?」
 俺の箸が止まっているせいか、ヒロが心配して俺の顔を見上げてくる。でかい目を潤ませてこっちを見るなーっ。お前の事を考えてたんだから、今そのアップは俺の心臓に悪い。
 俺はヒロが好きだ。本当に凄い奴だと思う。それが時々羨ましくて同時にねたましい。ヒロが側に居るとくつろげるしほっとする。だけどそれを認めるのが悔しいとも思う。このはっきりしない気持ちは何だろう。

20.

 急に顔つきがキツクなったんで、疲れが出たんかと思ったけどどうも違うっぽい。うち風の味付けは俺の作る料理でかなり慣れてきているみたいやけど、やっぱしまつながーには薄かったやろな。
 まつながーは何も言わずにご飯をおかわりした。しかも甘い物嫌いなのにオカンが出したケーキもホール4分の1も食べてくれた。要らん気を使わせてもうたなぁ。
 オカンが数ヶ月放置しとった部屋を掃除して、客用布団も用意してくれとった。先に風呂に入ったまつながーは、今頃俺の部屋で煙草とビールが恋しくてじたばたしとるかも。いくらウチがのんびりしとっても、まだ未成年のまつながーが飲酒喫煙しとったら、オカンが軽くツッコミくらい入れるやろうしな。
 緊急避難てコトでまつながーを伊勢まで連れてきてもうたけど、これからどないしよ。ほんの少しだけ時間稼ぎしたたけで、根本的な解決に全然なってないんよな。
 まつながーのあの寝言。俺には想像はできても経験が無いから理解はできん。誰にも相談できんし、とても怖くてまつながーに直接聞くコトもできん。
 あー。できんできんばっかりや。オカンやないけどメッチャ情け無いなぁ。

 俺が風呂から戻るとまつながーは窓枠に座って星を見とった。網戸まで開けて乗り出しとる。やぶ蚊に刺されても知らんで。
「綺麗だな」
「うん。東京とは全然ちゃうやろ。まつながーの家とどっちがよく見える?」
 俺も同じ様に空を見上げながら聞くと、まつながーは少しだけ首を傾げた。
「どっちもどっち……かな」
「へー……」
 ほんまかいな。
「ヒロ。お前、絶対俺の家の方が田舎だと思っただろ」
 うお! 何でそないなコトまで解るんや。思わず後ずさりした俺の頭を、素早くジャンプしたまつながーが掴まえて絞めてくる。
「ぐえっ」
 やめれーっ。この元バレー部の馬鹿力。いつも鍛えてるんか未だに全然落ちてない筋肉で頭抑えられたら馬鹿になってまうー。肩叩いてギブアップしてんのに全然離してくれん。
「で、何で誕生日を俺に言わなかった?」
 ほえ? これってどっちが田舎か勝負のコトや無かったん? つーか、マジ痛い。痛いっちゅーねん。
「言うー。言うからせめて手ぇ緩めてー」
 俺が痛みに耐えかねて情け無い声出すと「本当だな」って言って少しだけまつながーの力が弱くなった。でも離してはくれんのやな。うー。なにげに執念深いなぁ。
「だって、オカンのツッコミやないけど、まつながーに笑われたく無かったんやもん。まつながーは早生まれで3月やて言ってたやん。俺は7月生まれなのに、こないにガキっぽくて、彼女も未だにできんやん。メチャ恥ずかしいからせめて俺に彼女ができてからって思ったんなぁ」
 正直に話すとまつながーが呆れたって顔をして俺の顔を覗き込んだ。
「ヒロ……一生とまでは言わないが、少なくとも1年や2年じゃ絶対来そうもない時を予定に入れるのはどうかと思うぞ」
 こら待てや。
「うがーっ。一生無いってどういう意味やねん。ホンマに失礼なやっちゃな」
 俺が怒って暴れ出すと、まつながーは声を立てて笑いながら俺を抱きしめてきた。全身に鳥肌立つからこの手の冗談だけはマジで止めれー。綺麗なお姉さんなら嬉しいかもしれんけど、男の胸ん中で窒息なんかしとー無いっちゅーねん!
 俺らが2階でどたばた暴れとったら、1階に居るオカンから「さっさと寝れ。ガキ共!」って怒鳴られてしもた。


21.

 薄明かりの中で俺が目を覚ますと、見慣れない風景が目に入ってきた。ああ、ヒロの家に遊びに来たんだったな。予想を裏切らない少年漫画で一杯の本棚。そこにSFや宇宙関係の本がかなり適当に混じっている。こういう所もヒロは片付けが下手だったんだな。
 本棚の下の方に卒業アルバムも有って、昨夜見てみたいという誘惑に駆られそうになったが、ヒロの童顔は全然変わってなさそうなんでまぁ良いかと思って止めた。
 アパートには無い少し大きめでしっかりした造りのタンスに机。落ち着いた雰囲気のごくごく普通の家庭の子供部屋。寮生活が長かったから完全に忘れていたな。俺の部屋は4年前のまま残っているだろうか。お袋の事だから普段は物置にされている可能性大だな。
 視線を巡らせると横には見慣れたつむじが見えた。季節限定で一緒に住む様になっても俺はベッドで、畳に布団を敷いて寝るヒロの方が朝が早いから、なかなかこういう姿を見る事はない。酔っぱらったりAV見て、よだれをたらしながら雑魚寝してる姿は見慣れているんだけどな。
 伸びをしながら少しだけ身体を起こす。
 うおっ!
 布団の上で夏布団を掛けたヒロが、(普段はずぼらしてTシャツとトランクスなのに)ちゃんとパジャマを着て(当たり前だが)普通に寝ている。
 ストレートの黒髪が寝癖でわずかにカールしている。よくよく見るとこいつまつげが長げー。いつも酒呑んで寝ながら百面相しているところしか見て無かったから全然気付かなかった。
 毎朝きっちり剃ってると思いきや、ヒゲもほとんど無いし一体どういう体質なんだ。ひげそり負けが無い分肌はそこら辺の化粧の濃い女より綺麗だし、押すとほっぺたもぷにぷにしてやがる(しかもここまでされても全然起きない)。
 この顔写真撮って保存しときてぇ。うちの学部の女共が「可愛い」と騒ぐ訳だ。女顔じゃ無いのに男臭さも全然感じない。えーっと。こういうのを何て言うんだっけ。神様じゃなくて、仏様でもなくて、キリスト教の天使みたいな両性具有でもないし第1翼が似合わない。とても中性的で……あ、羽衣持った日本画の天子か。まるで世の中の汚い事や俗な事に一切汚されていないって顔みたいだ。今は童顔だけどヒロだって歳食えば野郎臭くなるだろうし勿体ねーな。
 あ、そうだ。携帯。カメラなんか持って来てないからこれでも良いだろう。
 フラッシュにシャッター音までしたのに、ヒロはやっぱり起きねーの。解っちゃいたが、こいつの寝起きの悪さは第1級だな。
 ついでにマジックで顔に落書きでもして驚かせてやろうかと思ったが、さすがに気が引けた。こんなに綺麗なのに自分の手で汚してしまう気がして、まだやってもいないのに罪悪感を覚えたからだ。
 ドアがノックされてヒロのお袋さんの声がした。
「おはよう。松永君起きとる?」
「あ、はい。おはようございます」
「助かったわぁ。悪いんやけど博俊起こしてやってくれん? 朝ご飯できとるんよ。寝起きがメッチャ悪いから、耳元で大声で怒鳴るか、布団から蹴り落とせば起きるから。ほな、よろしくー」
「……はい」
 声が聞こえなくなるとすぐに階段を下りる足音が聞こえてきた。
 さすがヒロのお袋さんだ。息子の実態を良く解ってる。というか、家にいる間はそうやって起こされてきたんだろう。ヒロの奴、アパートだと俺に変に気を使って枕の下か、布団の中に目覚まし時計入れてやがるんだよな。それでもちゃんと起きるんだからよほど強力な音がするんだろう。
 布団から蹴り落としか耳元で大声か。反応が目に浮かんでつまらねーな。どうせならヒロが飛び起きそうな別の方法で……。
 おっ。俺は思わず手を打って、寝ているヒロに顔を近付けると、耳元にふっと息を吹き掛けてみた。
「うぎゃぁあーーっ!?」
 ヒロが叫び声を上げて飛び起きた。
 現在の俺は顎に飛び起きたヒロの頭突きを喰らって痛いのと、ヒロの反応の良さに笑いすぎで腹筋痙攣中。やっぱりヒロはこの手の攻撃が1番弱いのか。滅茶苦茶可笑しいぞ。
 うずくまって俺が笑っていると、怒ったヒロに背中を蹴られた。
「まつながぁー。気色の悪い真似すな。こんボケェ!」
「お袋さんにヒロを起こしてくれって頼まれたんだよ。1発で起きられただろ」
「アホか。それ以前に全身に立ったこの鳥肌の責任取れや。ホンマ洒落にならんて」
 笑いすぎで涙目になった俺が何とか答えると、真っ赤な顔をしたヒロが詰め寄ってくる。わははっ。そんな顔をして怒っても駄目だっての。しわになった大きめのパジャマがヒロを更に幼く見せる。童貞君は初々しくて可愛いなぁ。
「こういう責任ならいくらでも取ってやる」
「ぎゃーっ。マジで止めれ。変態ーっ」
 俺が抱きしめると本当に鳥肌が立ってるらしくて、ヒロが全身を震わせながら必死で抵抗してくる。変態と言われるのは思いっきり心外だが、反応が新鮮でヒロと遊ぶのが楽しくなってきたぞ。
 1人っ子の俺には兄弟が居ないから、たまにはこういうスキンシップも良い。一瞬、3年間同室だった裕貴(ゆうき)を思い出したが、奴の事は今は忘れる。というか絶対忘れたい。

「博俊ー。起きたんならさっさと下おいでー。松永君もなー」
 あ、お袋さんから頼まれてたのにうっかり忘れていた。俺とヒロはそそくさと着替えて布団を畳むと階段を下りた。
 ダイニングに行くと短髪でがっしりした体型の中年のおじさんが椅子に座ってご飯を食べていた。
「あ、親父。おかえりぃ。おはよー」
「おはよう。それはこっちの台詞や。おかえり。博俊。松永君もよう来てくれたな。話はオカン経由でよう聞いとるよ。うちの甘ったれを鍛えてくれとるって」
「初めまして。おはようございます。こちらこそ息子さんにはいつもお世話になっています」
「なるほど。聞いたとおりや」
 親父さんがくすりと笑って茶をすする。
「親父ぃ。久しぶりに会ったのにそれはないやろー」
 拗ねたヒロがぶくっと頬を膨らませる。駄目だ。今日のヒロは何をやっても可愛いく見える。頼むから吹き出すなよ。俺。
 お袋さんが炊きたてのご飯が入った茶碗を置いて俺達に席を勧めてくれた。味噌汁に海苔と卵焼き、ちゃんと納豆も装備されている。面倒だと朝はトースト1枚で済ませてただけにありがたい。
「博俊、今も続けてるか?」
「うん。毎日ちゃんとやっとるでぇ」
 親父さんに聞かれてヒロが嬉しそうに頷く。俺が何だろうと思っていると、ヒロがにぱっと笑って「まつながーには秘密や」と舌を出した。

 俺達が朝飯を食い終わって麦茶を飲んでいると玄関の扉がでかい音を立てて開いた。
「おはよー。博俊ぃ。ええ男連れて帰ってきとるってぇ?」
 ヒロが茶を噴き出してうげって顔で硬直した。気のせいか顔色も一気に悪くなったぞ。ドタドタと廊下を走る音が聞こえて、小柄な女がダイニングに入ってくる。
 うわっ。まんまヒロの女版だ。化粧が濃いし少し歳上みたいだけど、そっくりじゃねーか。
「オカン、連絡ありがとー。まっつなが君見に来たでー!」
「おはよう。香。アンタは朝っぱらから元気やねぇ。こないに早う来るとは思わんかったわ」
 お袋さんが呆れながら香……さんに麦茶が入ったコップを渡す。
「博俊らが早く出て、すれ違ってもうたらつまらんやろ。あ。松永君、初めましてぇ。博俊の姉の香でーす!」
 滅茶苦茶テンション高けぇ。ヒロはお姉さんと絶対目を合わせない様に、無言で俺のシャツの裾を引っ張った。あ、この人がヒロが言ってたメデューサだったんだ。


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