8.

 電車から降りる時になってやっとまつながーが紐から手を離してくれた。迷子紐じゃあるまいして文句を言いたいけど、人混みに流されたんは俺のミスやから仕方無いよな。まつながーやないけどあそこではぐれてもうたらホンマ困ってたもんなぁ。
 先に階段を昇ったまつながーが何でかぼんやり立っとる。
「ヒロ」
「何?」
「道路しか見えないぞ」
 へ? あー。そういうコトか。まつながーは名古屋にも熱田さんにも来るの初めてやから当然の感想やな。俺も初めて来た時はびっくりしたもん。俺はまつながーの背中を軽く叩いて「大丈夫や」って言った。
「道間違えてへんから安心してなぁ。少し歩いたらちゃんと見えるから」
 西に向かって2、3分歩いたトコで俺が「ココ」って言って右に曲がる。まつながーが「あっ」って声を上げた。
 1本裏道に入ると視界一杯に広がる常緑樹の大木の森。ココが熱田さんの正門。
「うわぁ」
 まつながーも無彩色の町並みから一転して、何百メートルも続く道と森に驚いたみたいや。少しだけ目を細めて嬉しそうに木をじっと見上げとる。まつながーはこういう木が好きなんやな。ほやったらお伊勢さん行ったらもっと喜んでくれるかもしれん。誘ってみて良かった。
 アスファルトから土の道に変わる。まつながーが左側の建物が気になっとるみたいやから説明してみた。かなり記憶があやふややけど多分合っとるやろ。
「あっちはたしか商売の神様と、八剱神社が有ったと思うで。寄ってみる?」
「八剱って草薙の剣と関係有るのか?」
「うーん。堪忍な。そこまでは知らんのや」
 俺とまつながーは話しながら左に曲がって白木の鳥居をくぐった。
「思っていたより地味で小さいな」
 まつながーが上知我麻神社と八剱神社を見てボソリと言った。まさか明治神宮と比べとるんとちゃうやろな。神さんにそういうコト言うとばちが当たるで。
「でもこういうのも庶民的で好きだな」
 どっちやねん。心の中でツッコミを入れつつ、俺は2つの神さんにそれぞれお願いをする。お金が早く貯まりますようにって商売の神様でもOKよな。八剱さんには平和を。剣の名前が付いた神さんならかまわんやろ。
 まつながーが両方の神さんに向かって「パチンコで儲かりますように」って小声で言ってたんは聞こえんかったコトにしとこ。「何考えとるんや。アホか」ってツッコミいれたくなるんやもん。

 正門に戻って熱田さんへの参道を進む。あれ? 前からこんな感じやったっけ。親父とオカンに連れられて来たのは小学生の頃やもんなぁ。細かいトコは全然や。でも俺が不安そうな顔をしたら、初めて来たまつながーはもっと不安になるよな。できるだけ普通にしとこ。
「おいヒロ、あれ」
 まつながーが肩を震わせて指さすんで、俺もつられてそっちを向いた。
「わははははははははは。何や。あれー」
「な……なな何だって、ヒロも知らなかったのかよ」
「あんなん見たの初めてやてー」
 神聖な神社で2人して大爆笑してもうた。参拝に来たカップルさん達や、お年寄りの夫婦連れさんらが何事だ? って顔をして俺らの方を見とる。
 けどアレって……アレって。アカン。完全ツボに入ってもうて笑いが止まらん。
 参道の左手に池が有ってその手前に小さな石造りの像が立っとる。アレって教科書に載っとる絶対宇宙人にしか見えん土偶で間違い無いよな。んでもって「眼鏡之碑」って。たまらん。ここの宮司さんがシャレで遊んでるとしか思えん。
 笑いすぎで腹が痛くなってきた。まつながーもツボにはまって立ち直れんみたいや。ずっと笑い続けとる。さすがに神さんの前で失礼すぎよな。
 先に笑いが修まった俺はまつながーの肩を叩いてめくばせをする。まつながーも気付いて顔を上げた。俺らは2人共眼鏡に縁が無いけど、その内お世話になる時が来るかもしれんもんな。両手を合わせて「ごめんなさい」と心の中で謝る。
 そのまま俺とまつながーは足早に碑を離れた。またアレを見たら笑いだしそうなんやもん。別のモン見て落ち着こっと。

 石橋を渡ってきしめん屋さんの近くに有る池の前に出る。明るい緑色の水で全然透明度が無い。池の反対側に古くて小さな石造りの橋が見えた。わずかに出とる石や枝の上で数匹の亀が甲羅干しをしとる。
 「亀だな」と、まつながーが見たままのコトを言う。
 「うん。亀やな」と、俺も返す。つーか、他に答え様がないやん。ツッコミ入れれるくらいのネタ出して貰わんと、さっきのアレには勝てんで。
「修学旅行で奈良に行った時、やっぱりこんな池を見た。それこそ一体何匹居るんだってくらいの亀が岩や木の上に居て、水の中に居る亀に押されて端っこで首伸ばしてるヤツが落とされてたな」
 まつながーが思い出したって感じで笑う。
「あ、その池って俺も見たこと有るんやないかな。多分同じトコやと思う。池の側にお店が有ったんやない?」
「たしか……そば屋だったな。金が無くて入れなかった。池に張り出していたと思った」
「うん。たしかそうやった。やっぱ有名な観光地やからコースに入ってて同じモン見とるんやなぁ」
 まつながーに言われて俺も色々なコトを思い出した。東大寺では至近距離で見た大仏さんの大きさに目を回しそうになったんやったな。ほんで派手な色の布にびっくりしたんよな。
「ヒロは大仏の鼻の穴を通れた口だろ」
 まつながーも同じトコを思い出したっぽい。けど、何か引っかかる言い方やなぁ。
「当たり前やん。俺が行ったのは小学校の修学旅行やで」
「ああ、そうか。三重だと近いからな。俺は高校だった。小柄な女子がスカートを気にしながら潜ってたな。俺よりガタイがでかいくせに挑戦しようとした馬……猛者も居たが見事に引っかかってクラスの連中に引っ張られてた。で、それから身長って伸びてるか?」
「……なにげに失礼なコト言うやっちゃなぁ。あの頃からなら軽く10センチは伸びてるわい。7年も前やでー」
「10センチも伸びてそ……」
 あ、今途中まで言い掛けて止めたな。悪かったな。チビのままで。我慢ができんくなったらしくて、まつながーが声を立てて笑い出した。俺も背が低いコトはそれなりに気にしとるんやから、一々言わんでもえやろ。
 でも、まつながーの笑い声を聞いて嬉しそうな顔を見とったら、まあええかなって気になった。


9.

「そろそろ行こか」
 俺の言い様にそれほど腹を立てた風でもなくヒロが振り返って歩き出す。きっちり地雷を踏んだ自覚が有るんだがヒロは時々読めないな。こういう風景も好きだけど時間がないか。
 左右の森の影に見え隠れする建物は、結婚式場だったり国の文化財だったりするらしい。宝物殿も有るらしいから見学するかと聞かれたが、あまりその手の物に興味は無いんで遠慮しといた。
 「詳しいコトは俺も知らんのやけど」と、ヒロが全然ガイドにならなくて堪忍と苦笑しながら頭を下げる。俺的には全然不満は無いんだけどな。
「ココが拝殿」
 ヒロが割と立派な門を指した。上からは真っ白い布が下がっている。たしかに大きな賽銭箱が有って、お参りに来た人が交代で金を投げ込んで拝んでいる。門からは更に内側に建物が見えた。えーっと。俺が予想していた物が無い。
 ヒロは賽銭箱に100円を放り込んで熱心に何かを祈っていた。俺も一緒に行動するべきなんだろうが、ちょっとこれはどうして良いか判らない。
 俺が賽銭箱の前で棒立ちしていたらヒロが「どうしたん?」と聞いてきた。
「草薙の剣が無い」
「へ?」
 ヒロは何の事だか解らないという顔をする。あーもう、こういう時だけ鈍くなるなよ。
「だからご神体の草薙の剣が見えないって言ったんだ。どこに向かって拝めば良いんだ?」
 ぶっと噴き出してヒロは笑いながら俺の手を引っ張って拝殿から離れた。俺、何か変な事を言ったか?
 5メートルくらい拝殿から下がって、ヒロがそっと正面を指さした。
「まつながー、祠が有るの見える?」
 ヒロの手の先に木製の祠が確かに有った。俺が「見える」と答えるとヒロは安心したって顔をして話し続けた。
「あの奥にもう1つ祠が有ってな。その奥に本宮が有るん。草薙の剣が有るとしたらそこやないかな」
「じゃあ本物の剣は見られないのか?」
 俺が聞き返すとヒロは何を当然の事をって顔をした。
「当たり前やん。草薙の剣は何重もの箱に収めてあるらしいで」
「当たり前って……もしかして伊勢もなのか?」
「八咫鏡(やたのかがみ)のコト? 当然アレも厳重に保管されとるで。まつながー、もしかして現物を見られると思っとったん?」
 そう思ってたんだよ。まさかと思ったが本当にそうだったのか。寺の本尊像とは全然違うんだな。という事は、みんな本当に有るのか判らない物を大事に拝んでいるという事なんだろうか。
 ヒロが周囲を気にしながら小さな声で俺に耳打ちをしてきた。
「草薙の剣には呪いが有って、実際に見たら死ぬとか言われとるらしいで。そんでこの神社にしっかり封印して、複製が天皇家に献上されて大昔の戦で海に沈んだんやて。でも複製が有るんやったら呪いが掛からんかった人も居るってコトなんよな」
「何だそりゃ」
 いくら神話だからってそんなの有るのかよ。と俺が思わず声を上げると、ヒロが「しーっ」って口に人差し指を当てた。
「千年以上も前のコトやからホンマのコトは誰にも解らんやろ。でも熱田さんは実際にここに有って、沢山の人が歴史に残ってない程の長い間、熱心に信仰しつづけとる。その事実は何も変わらんのやで」
 淡々と話し続けるヒロの真面目な顔に、俺はそれもそうかと納得した。元々日本人は偶像崇拝の意識が低い。神様はどこにでも、それこそ便所にまで居ると信じてなくても知っている。そういう気風が今の時代にも祭や神事として受け継がれているんだよな。
 照れ隠しに頭を掻いてヒロに声を掛けてみた。
「さっきは驚いてできなかった。ちゃんと参拝し直したいんだが良いか?」
「そういうコトなら何回でも付き合うで」
 ヒロはにぱっと笑って俺と一緒にもう1回拝殿の前に並んで拝んでくれた。正門前の神社では自分の欲だけで願い事をしてしまったが、今回は少しだけ変えた。これからも俺とヒロに良い運がやってきます様に。
 拝殿を下がってヒロの願い事を聞いてみたら「願掛けやから、いくらまつながーでも教えたらん」と笑われた。結構口が堅いな。
 あ、違う。「神様への願い事は人に話したら叶わない」だ。子供の頃にじいさんから何度も聞いた気がする。ヒロと色々話すまですっかり忘れていた。

 俺が正門に戻ろうとしたら、ヒロが「こっち」と言って手招きをした。すぐ側に測道が見える。
「帰りは近道しよ」
「近道?」
「さっきはお参りやから正面から入ったんな。帰るだけならこっちの方がずっと楽やもん」
 100メートル程歩いたら正面にまた凄く広い道路が見えた。やっぱりこんな街中に有るんだな。
 俺がぼんやりしているとヒロが歩道を歩きながら説明してくれた。
「親父の話やと名古屋の幹線道路は片側が最低でも2車線有るんやて。中心部なら5車線くらいが普通らしいで。中央分離帯を挟んで合計すると10車線になるんよな。ココら辺も片側5車線有った気がするなぁ」
「片側5車線ーっ!?」
 どうりで向こう側まで遠いはずだ。東京でもこんな所有ったか? 覚えがないぞ。横断歩道渡っている間に信号が変わって、道の真ん中で立ち往生しそうだ。そう思って聞いてみるとヒロが笑って答えた。
「なんかたまーにそういう人も居るらしいけど、地元の人らは慣れとるから平気みたいやで。道が広いのは右折と左折専用車線が有るからやし、速度も速いからちんたら走っとると逆に事故になるらしいんな。あ、三重はこんなんと全然ちゃうから安心してなぁ」
 俺の不安を察してヒロが大丈夫だと手を振る。
「それに名古屋もホンマに危ないトコはちゃんと歩道橋や中継地点が有るから」
「は?」
「想像するより直に見た方が早いと思うで。多分1回は通るコトになるやろ」
 ヒロは少しだけ意地悪そうに笑った。おいおい、それがガイド役のする事か。

 地下鉄のホームに降りて乗って来た方向とは逆の電車を待つ。ヒロの話だと名古屋はなぜか役所とかの重要な施設はこの沿線に集中しているそうだ。これから行く名古屋城もこの沿線らしい。
 沿線図を思いだそうとして諦めた。いくらヒロが居るからって、何で俺はそういうモンを毎回見逃すんだよ。


10.

 5分くらい待って電車に乗ると、行きと違ってかなり余裕が有った。良かった。これならまつながーにバッグのベルト掴まれんで済む。栄駅でまつながーに軽く抱えられた時はさすがにへこんだんよな。
 小さな子供や女の子相手ならともかく、19歳の男相手にアレは無いやろ。まつながーもはぐれると思って焦ったんやろうけど、一応俺にも男のプライドが有るんやで。
 後10センチ……せめて5センチ背が伸びてくれんかな。元バレー部のまつながーと並ぶと、丁度俺の目線にまつながーの肩がくるんよな。
 普段は自分がチビかてそう気にならんけど(せいぜいMサイズシャツの袖を折らないと手の平が少し隠れてまうくらいやもん)、ああやってモロに体格差を見せつけられると、微妙にマイナス思考になってまう自分が嫌になってくる。
 うーっ。しっかりせいや。俺。まつながーが背が高くて力も有ってええ男なのも、俺がチビで童顔で筋肉が少ないのも単にお互いの個性や! こんなコト考えててうっかりまつながーに八つ当たりしてもうたらメチャ惨めやん。
 顔を上げたらまつながーがじっと俺の顔を見とった。あっ。もしかして俺はまた百面相しとったんか。思っとるコトが全部顔に出るって恥ずかしいよなぁ。
 努力だけじゃ背は高くならんからって、ひがみ根性丸出しのトコなんて、誰にも知られるのは嫌や。
 ポーカーフェイスができる様になりたい。まつながーみたいに機嫌が悪いって顔だけ延々続けられるのもどうかと思うけど。
 まつながーがぷっと笑って俺の頭を撫でるみたいに軽く叩いた。あ、今また「お子ちゃま」て思っとるな。こういう時だけはきっちり顔に出すんやからチョットむかつくなぁ。

「次の名城公園駅で降りれば良いのか?」
「へ。次? あ、しもたぁーっ」
 まつながーに聞かれて振り返ったらもう市役所駅に着いてるやん。やばい。俺はまつながーの手を引っぱって急いで電車を降りた。
 俺のアホ! つまらんコト考えててうっかり電車乗り過ごすトコやったやん。まつながーが壁面の駅名を見て「市役所?」と、不思議そうに言う。紛らわしいから迷うよな。俺かて初めて来た時は「何でやねん」て思ったもん。
 初めて来たまつながーに指摘されるまで、乗り過ごしに気付かんかったなんてガイド役失格やなぁ。ホンマに情け無うなってきた。
 俺が大きな溜息をつくとまつながーが苦笑しながら声を掛けてきた。
「なあ、ヒロ」
「何?」
「手」
「へ? うげっ!」
 俺は慌てて握りしめとったまつながーの手を離した。役所に用の有る人や観光客の人らが俺らのコトを笑って振り返りながら改札に上がっていく。お願いやから無視してそのまま通り過ぎてー。
 男同士で手を繋ぐなんて恥ずかしいつーより、側から見たら気色悪いやん。
「あの女の子の方、真っ赤になってでぇーりぁー可愛いがねー」
「そっとしといたりぃ。初デートかもしれんがね。あの子ももうちょっと女の子らしくお洒落してあげりゃいいのに」
 チョット待てや。おばちゃんら。いくら俺でもそれだけは怒るで。俺が振り返って通りすがりのおばちゃん達相手に言い返そうとしたら、まつながーに肩を押さえられて止められた。
「何だ。ヒロ、バッグじゃなくて手が良かったのか。今更恥ずかしがらなくても良いだろ」
 まつながー。お前、今わざと言っとるやろ。周囲に変な誤解を広めるなや。このボケェ!
 俺が上目遣いで睨みつけるとまつながーが小声で言ってきた。
「同じ間違われるんでもホモよりマシだろ。今だけだから我慢しとけっての。どうせ駅を出たら会わないんだから。で、どっちに行けば城に行けるんだ?」
「あ、……うん。出口なら進行方向側やで」
 次の電車が来る前に俺らは階段に向かって歩き出した。
 ホモと間違われて白い目で見られるのと、女の子に間違われてまつながーとデート扱い。メッチャ究極の選択やな。どっちもホンマに堪忍やて。
 ……と思っとったらまつながーが調子に乗って、俺の肩に手を回してきた。叩かれる前にとっととこのふざけた手を離さんかい。どアホ!


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