11.

 ヒロには悪いが、俺の方はあやうく地下鉄のホームで爆笑するところだった。大きめの綿シャツを着てウエストバッグを付けているから、ケツも胸も全然無いのに気付かれなかったんだな。
 最近メンズを着る女が増えてるから小柄な体型と童顔が幸い(?)して、ヒロがぱっと見で女に見えたんだろ。
 あ、ヒロが怒ってる。童顔の自覚が有るヒロは「お子ちゃま」扱いより、女に間違われる方が嫌なんだな。それよりもっと嫌なのがホモ扱いか。あんな同人誌を笑って受け取るくせに、感覚はまともで助かるぞ。
 女装してお洒落したヒロ。……うえっ。想像力の限界がきたな。背中に鳥肌が立ったぞ。ヒロは特別女顔じゃないから流行の服を着ようモンなら不気味なだけだ。
 日頃風呂上がりに肩にバスタオルを掛けて、パンツ1枚でうろうろしているのを見慣れているからか、ヒロが女だったらなんて思った事が無い(1度だけ惜しいと思っちまったのは忘れる)。
 女の裸だったら見て楽しいのに、男の裸なんか寮時代に見飽きているから「ウゼェ」と思った事なら何度も有るけど。
 階段を上がって地上に出ると、やっぱり片側何車線だ? な道路が目に入った。ヒロが振り返って指をさす。
「道路を挟んで両方共名古屋市役所やで。斜め向う側の茶色いのが愛知県庁。この辺りのビルはほとんど官庁らしいんな。だから駅名も市役所なん」
 納得。でも城はどこだ? ビルしか見えない。あれ……。
「ヒロ。どっちもビルの上に屋根瓦が有るのは俺の目の錯覚か?」
 俺が不思議に思って聞くと、ヒロが「見たまんまやで。多分あっちの景観に合わしたんやないかなぁ」と今度は後ろを指さした。
 振り返ると高い石垣と深い堀が有って広葉樹が並んで生えていた。そのずっと先に城らしい建物が見えて、銅板葺きの瓦屋根の上に、日光を浴びてまばゆく光る物体、噂の金シャチが見えた。
 広いとかでかいとか思う以前に俺の口から出たのは「派手」だった。以前、テレビで名古屋仏壇というのを見ても思ったんだが、名古屋の人はよほど金ピカのモンが好きらしい。
 正直な感想を言ってみたらヒロが呆れた様な顔をした。
「まつながー。それもかなりの誤解やて。名古屋の人らにホンマに失礼やろ。昔からの伝統文化産業と今の名古屋の人を混合したらアカン。金の茶室作った秀吉が金ピカ派手好きーっていうなら俺も否定せんけどなぁ」
「あ、秀吉は大阪か」
「へ?」
 ヒロが何の事か解らないという顔をしている。
「ああ、だから信長と秀吉と家康は名古屋出身だと思ってたんだが違うんだなって」
「……なんか少しだけ時代がちゃうで。たしかに大阪城造ったんは秀吉やけど、秀吉は名古屋の中村出身説が最有力らしいんな。ほんで信長は尾張の勝幡と名古屋説が有って、家康は三河で……たしか岡崎やったかなぁ。俺も歴史は苦手やし、細かい地名までは知らんけど……」
 自信が無いのかだんだんヒロの声が小さくなっていく。歴史の大舞台で隣の県とはいえよく知ってるな。
「それだけ知ってたら充分だろ。俺は始め全員名古屋出身だと思ってたぞ」
「そうなん?」
「ヒロ、お前徳川光圀以外で茨城出身の歴史上の人物名言えるか?」
 俺が腕を組んで聞くとヒロはばつが悪そうに頭を掻いた。
「まつながー、堪忍して。全然知らん。全国を測量して日本地図作った人って茨城出身やったっけ?」
「伊能忠敬は隣の千葉出身だ。よほどの歴史好きでなきゃ、地元民以外はどこもそういうモンなんだよ」
「そうやな。あまりココに立っとると邪魔になるからそろそろ行こか。ここから少し歩いたトコに東門が有るんよ」

 ヒロが歩き出したんで俺も並んで歩いた。今気付いたんだが、駅の出入り口前で延々話していた俺達は、地元の人達から見てかなり間抜けじゃないか?
 料金所でヒロと一緒に1日乗車券出して割引をして貰う。名古屋市営のたいがいの施設はこれで割引されると案内係が教えてくれた。熱田神宮宝物殿も割引対象と聞いて、話のネタに見ればよかったと少し後悔した。
 城の櫓の側にあまり似合わない建物が見えたからヒロに聞いてみた。
「愛知県体育館やな。ほら、大相撲名古屋場所をやるトコ」
「ああ、あれか。何でここに有るんだ?」
「そこまでは知らん」
「頼りないガイドだな」
 俺がわざとらしく大きな溜息をつくと、ヒロが「地元民やないんやから仕方ないやろ」と言い返してきた。
 あれ? 今日のヒロはどこか普段と違わないか。いつもは「そうやなぁ」って同意して聞き役に回るか、「堪忍」で済ませるのに、はっきり俺の勘違いを指摘 したり、自分が思っている事をきちんと言葉にする。ガイド係だからと張り切ってるのかと思ったが、それとは少し違うみたいだ。
 地元近くまで帰ってきて気が大きくなっている風でもない。そういえば家に遊びに来ないかって誘った時もヒロにしてはかなり強引だった気がする。こんなにアクティブになる面も有るって事は、ヒロがまた俺に新しい顔を見せてくれたと思って良いんだろうな。

 ヒロが南側を指さしながら俺を振り返る。
「石垣のあれな。ほとんどが桜の木なんやで。テレビで観たけど、花の季節はホンマに綺麗やで。時期的に見れなくて残念やったな」
「深緑で元気な木も好きだから気にするな」
「まつながー、今のってまさか親父ギャグのつもりなん?」
「んな恥ずかしい事誰が言うか。馬鹿」
 軽くヘッドロックを掛けたら、すぐにヒロが「ギブギブ」と俺の肩を叩いてくる。
 緩んだ俺の腕から辛うじて頭だけ抜け出すと、ヒロが少しだけ首を傾げながら苦笑いをした。
「まつながー。ホンマ堪忍な。俺、ホンマのコト言うと名古屋の有名な観光地って、小学校の見学や親に連れられて来た時以来なん。ネットで下調べしといたん やけど、全部記憶するんは無理やったみたいや。でも道に迷ったりとか、現在位置が判らんくなるとか、そういうコトにだけは絶対せんから許してくれん?」
 言いながらヒロは苦笑いから、少し悔し泣きをしそうな顔になっていく。本当に馬鹿が付くくらい真面目な奴だな。冗談で言ってみただけで、俺は全然気にしちゃいないってのに。
 やっぱりヒロはヒロだ。何でも無いような顔をしてずっと俺の顔を見ていたんだな。こういう謝罪の言葉が素直に出せるヒロの芯は本当に強い。とても俺なんかじゃ勝てねーよ。
 そんな事を考えていたらヒロから突っ込みが入った。
「まつながー、ヘッドロックは外れたんやから、そろそろ俺のほっぺたから手離せ。おばちゃんに言われたからって変な嫌がらせを覚んなや。俺はさっきから視線が痛くてメチャ恥ずかしいんやで」
 言われるまで自分のやってる事に気付かなかった。観光で来た団体客が露骨に俺達を避けている。こりゃ、完全にバカップルに間違われたな。
 あ。その顔はマジで怒ってるな。ヒロ、うっかりしてた俺が悪かった。


12.

 こういうコトは俺にじゃなくて、さっさと新しい彼女作ってその子相手にやれや。
 ……なんて、もうチョットでまつながーに1番の禁句を言うトコやった。
 アカン。偶然でもまつながーからモロに体格差を見せつけられたり、知らないおばちゃんから女の子に間違われてデートしとるなんて言われて、俺はかなり苛ついとる。
 これまで東京でまつながーと一緒に色々なトコに行ったけど、1度も女の子に間違われたコトなんか無かったんやで。
 それなのに何で名古屋やとまつながーの彼女に間違われなアカンのや。「何でやねん!?」て大声で叫びたい気持ちになってくる。
 とてもやないけど今は顔が上げられん。こんなグチャグチャに醜い気持ち、恥ずかしくてまつながーに知られたない。
 何度も自分に言い続けてきたやん。俺が頑張ってまつながーに負けないくらいええ男になればええコトやって。
 そやけど心の中のどっかで「そんな時なんかホンマに来るんか?」とも思っとる。
 家事だけは不自由せん程度になってきたけど、元々鈍くさい俺は未だにまつながーに世話掛けっぱなしなんやもん。
 見た目も身長はここ1年ほとんど伸びて無いし、特別運動しとる訳やないから筋肉もそれほど増えとらん。オカン似の顔は相変わらずや。
 ついさっきお互いの個性やって納得したハズやのに、まだ引きずってこうして今もグダグダ考えとる。メッチャ悔しいなぁ。こんな俺なんか、いつまでもうじうじした酒井博俊なんか大嫌いや!

 ぱさって軽い音がして頭に小さな布が降ってきた。何やろ?
 少しだけ顔を上げるとまつながーが視線を逸らしながら「暑いな。日射病になりそうだ。日陰で休もう」て言った。俺の頭に乗っとるのって、よく見たらまつながーのハンカチやん。視線露骨に合わせんトコ見ると、何か俺に言いにくいコトが有って嘘言っとるんやな。
 あ……。ずっと下向いて誤魔化してたつもりやったけど、まつながーには俺の考え取るコトなんかとっくにお見通しかもしれんやん。だとしたら見捨てたくなるくらい呆れられとるんかも。
 このハンカチってもしかしてまつながーは俺の酷い顔隠してくれる為に被せてくれたん? そうなら情け無さ倍増やて。
 自動販売機でジュースを買って木陰のベンチに腰掛ける。ハンカチを畳んでまつながーに「おおきに」と言って返した。今の俺、ちゃんと笑えてるかな。
「さっきは……」
 まつながーは一旦言葉を切って、ジュースを飲むと空を見上げた。
「駅では悪ふざけをして悪かった。この歳で女に間違えられたら腹が立つのは当然だよな。だけど、さっきの手は偶然だぞ。俺も完全にぼんやりしてたんだ。嫌がらせのつもりは全く無かったけどヒロにしてみたらいい迷惑だったな。俺は女に間違われた経験が無いからヒロが本気で怒るまで気付けなかった。本当に悪い」
 へ? 今、何て言ったん?
 もしかしてまつながー、凄い誤解しとるやないやろか。俺は自分が情け無いのに腹が立ってむしゃくしゃしとったのに、自分が悪ふざけしたせいって。……そらチョットは腹が立ったけど、一言「ゴメン」で済む冗談やん。
 まつながーって俺のコトどういう風に見てるんやろ? だんだん訳判らんくなってきた。


13.

 自分でもかなり無神経な事を言ったしやったと思う。散々地雷を踏んでヒロを怒らせておいて、今になってオロオロするなんて俺は相当の馬鹿だ。
 ヒロがどれだけ懐が深いからって我慢にも限度が有るくらい、俺だって解っていたはずなのに何をやってんだよ。
 初めてヒロが本気で怒ってるのを見て、俺はヒロの顔を見続けるのが怖くてハンカチで隠してしまった。当分許して貰えないと思っていたのに、ヒロはすぐに俺を許して笑ってくれた。
 ああ、また凄い差を付けられちまったな。どうしても俺はヒロには敵わない。
 ヒロの顔が見れなくてずっと上を見ていたけど、視界の真ん中にキラキラ光るモンが有るのに今気付いた。
 あ、ここは金シャチがはっきり見えるんだな。均一に並べられたベンチはゆっくり見物できる様にって事かもしれない。
 たしか雄雌一対で城や屋敷の防火のお守りだったよな。左右で微妙に違うらしいけど、どっちが雄なんだろう。とてもヒロに聞く勇気が無い。
 そう思っていたらヒロの方から俺に声を掛けてくれた。
「ここ、金シャチがよく見えるんやなぁ」
「うん。俺もそう思って見てた」
「まつながー、天守閣に入ってみる?」
「中ってどうなってるんだ?」
「第2次大戦で焼けて建て直したから内部は博物館になっとるん。変な顔しとる金シャチのレプリカも有るで。最上階は展望台やったかなぁ」
「何が見える?」
「うーんと、たしかビルかフツーの町と河」
「何だそりゃ」
「仕方ないやん。特別なモン無いんやから」
「ゴジラが見えたら面白れーのに」
「ぶっ。まつながー、怪獣映画の見すぎやて」
「面白いと思うけどな。東京タワーも期待して見に行ったけど1箇所も無かった」
「有ったら逆に変やろ。まつながーってホンマ変なやっちゃなぁ」
 ヒロがやっと声を立てて笑いだした。ゆっくり話している内に少しは機嫌が直ってくれたみたいだな。今回はちゃんと謝れて良かった。
「中に入っちまうと金シャチが見えなくなるからいい」
「そっかぁ。天守閣昇らんのやったら外を1周してみよか。もっと近くから見ると壮観やし、石垣や門も見応えは有るで」
「そうだな」
 ヒロの明るい声に引っ張られる様に、俺もやっとベンチから立ち上がられた。
 さっきまで貧乏揺すりみたいに足が小刻みに震えていたんだよな。俺って本当に根性が座ってねーな。
 「尾張名古屋は城でもつ」とは良く言ったモンで、戦後に再建されたとはいえ門構えも天守閣も櫓も相当立派なモンだ。
 外周をぐるっと回るだけでも1時間近く掛かった気がする。
 うっかり俺が正門を外側から見たいなんて我が儘を言いだしたもんだから、帰りは堀の外を駅まで歩く羽目になった。
 水の無い堀は小さな花が一面に咲いている。「北側と西側にはしっかり水が有ったよな」と言ってみたら、ヒロがもっと北に有る庄内川から用水路を作って堀に水を引いていて、その人工の川は名古屋を縦断していると教えてくれた。
 何だかんだと言って、勉強した事ちゃんと覚えてるんじゃねーか。この超お人好しめ。


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