「帰省するのっていつ?」
 俺が茶碗を洗いながら聞くと、まつながーはボソリと言った。
「当分実家に帰る予定は無い」
 アカン。こら重傷やなぁ。


『神様のお休み』


1.

 バイト先で新しいシフト表を見たら俺は夏休みの始めの方が数日間纏めて休みになっとった。そういやチョット前にチーフに予定を聞かれて、何も無いって答えたんやったな。これはちゃんと実家に帰って親孝行せいってコトなんかな。
 他の地方出身者の人らに聞いてみたら、ほとんどがお盆休み前に合わせて帰省するつもりやって言った。この分やと8月半ばはメチャ忙しくなりそうやな。慣れとる地元の人らが休みとらんでくれてホンマに良かった。

 バイトから帰ってきて、まつながーと一緒に晩ご飯食べた後の会話がさっきのアレ。
 どないしたもんかなぁ。時々まつながーの家から電話が入ってるんよな。プライベートやからできるだけ会話を聞かないようにしとるけど、どうやら夏休みはいつ帰ってくるのかって話みたいや。
 俺もまつながーもこの夏休みは長期間帰省するより、できるだけバイトしてお金を貯めようって決めとるから、2人共バイトのスケジュールはかなり詰まっとる。
 俺が纏めて休み貰えたんは、夏休み期間限定のバイトの人が入るかららしい。同じ様にまつながーもホンマは纏めて休み貰えるんやないかなぁ。
 今のまつながーに下手な聞き方すると「休み前にホームシックか?」とか言われて話をはぐらかされそうな気がするんよな。俺も人の家のコトに横から口出すの好きやない。ほやけど、まつながーのお母さんて、何度も電話してくるくらいホンマに帰って来て欲しいって感じなんやもん。少しくらいなら聞いてもええよな。
 俺は冷蔵庫から冷えたコーラを出すと、テーブルを挟んでまつながーの正面に座った。
「まつながーは夏休み中に纏めてバイトの休み取らんの?」
 少しだけまつながーが顔を上げてマウスから手を離した。あ、今チョットだけ機嫌悪くなってしもうたな。
「うっかり申請しそびれたんだ。お盆は他のメンバーが休みを入れているから無理だな」
 ホンマにうっかりなんか。メチャ怪しいで。でも、視線逸らさんトコ見るとホンマかも。大分慣れたつもりやけど、機嫌が悪い時のまつながーの表情って俺には読みにくいんよなぁ。
「そうなんや。ほやけど、今から申請しといたらどっかで休めるんやないかなぁ。せっかく長い夏休みなんやしー」
「ヒロは?」
「へ。俺? 休み入ってすぐに5日間貰えたん。その代わり店が混み合う盆なんかは、全然休み無いんな。週に1日休めるかどうかってトコかなぁ」
 上手くはぐらかされた気もするけど、ちゃんとホンマのコト答えたからか、まつながーは「そうか」とだけ言ってまたパソコンに目を向けてしもうた。
 うーん、どう会話を続けたらええんやろう。俺が悩んどるとまつながーの方から話を振ってきた。
「実家に帰るのか?」
「うん。できればそうしたいなぁて思っとるで」
「しっかり親孝行してやれよ」

 あ、これってもしかしてメチャチャンスかもしれん。思いきって言ってみよ。
「まつながーも何日か休み取って実家に帰ればええやないかな。親孝行になるでー」
 まつながーは視線を落としたままあっさり言い返してきた。
「俺は帰りたければいつでも日帰りできる距離だから気にするな。それよりちゃんとチケットを予約したのか?」
 うっ。そう返されたら俺が無理に帰省しろなんて言えんやん。口調も堅いし手強いなぁ。
「まだー」
 ふーっと長い溜息をついて、まつながーが呆れた様に顔を上げる。
「お前な。俺の事はいいから自分の事をなんとかしろよ。三重まで何で帰るつもりか知らないけど、夏休み中の予約は大変だろ」
「うん。でもバイトのシフト表貰ったの今日やもん。こればっかりはしゃーないて。直通バスも有るんやけど、今からやと予約は無理っぽいんな。お金は掛かるけど、当日券で適当に帰るつもりなん」
「予約無しって事は電車か?」
「今から予約で取れそうな夜行バスは名古屋止まりなんな。ほやったら料金高いけど新幹線使ってもええから、電車乗り継いだ方が早いし楽かなぁーて思ったん」
「そうか」
 まつながーはそう言うとまたパソコンに向かってしもうた。やっぱし自分は実家にも帰らんで、休み貰っても1人でアパートに残る気やな。
 まつながーから自分の勝手だって言われたらそれまでやけど、俺の方がメッチャ気になるやんか。だって、一緒に暮らしだすまで知らんかったけど、まつながーは未だに時々寝言で……。

 うがーっ。
 俺ってやっぱメチャ頭悪いんかもしれん。こない時にどないしたらええのか全然判らん。
 最後の切り札や。これで駄目なら諦めるしかしゃーない。
「なぁ。まつながー、もし良かったら……休みを合わせて俺の家に遊びに来ん?」
「は?」
 まつながーは「突然何を言い出すのか?」って顔しとる。そらそうよな。俺らは今までこんな話1度もしたコト無いんやから。でもまつながーのコト1人にしておけん。ホンマのコト話したら余計なお世話やって言われて当然やし、俺の我が儘でしか無いのも充分解っとる。
「まつながーは多分まだ1度も三重に行ったコト無いんやろ。1度くらいは俺の家に遊びに来て欲しいなってずっと思っとったんな。まつながーはいつもバイトばっかりしててあんまり遊んでへんやろ。この夏に実家に帰省せんのやったら、たまには知らない土地で羽伸ばしてみん?」
 必死の説得が功を奏したんか、まつながーは少しだけ笑ってくれた。
「京都と奈良は修学旅行で行ったけど三重には行った事が無いな。旅費は掛かるが、ヒロの家にタダで泊めて貰えるなら宿泊費は浮くか」
「いくら俺が貧乏かて友達泊めるのにお金なんて取らんて。でもお客様扱いは期待せんといてなぁ」
 俺が軽くツッコミを入れると、まつながーはまた笑って言ってくれた。
「明日、バイトが休めるか聞いてみる。ヒロこそあまり期待するなよ。今から纏めて休み取りたいって言っても駄目だって言われる確率の方が高いんだから」
「うん。そん時はしゃーないから今回は諦める。もし休みが取れてまつながーが来てくれたら俺はホンマ嬉しいで」
「ヒロ、本当は1人で実家に帰ると、色々親から突っ込まれるから怖いとか思ってるんじゃないだろーな」
「えーっ。そんなんとちゃうわい」
 俺が速攻で言い返すとまつながーは爆笑しだした。良かった。いくら隣に住んどって、期間限定で同居してても、そこまではしたくないって嫌がられるかもしれんて思ってたんよな。
 休み。一緒に取れるとええなぁ。


2.

 昨夜、ヒロから「実家に遊びに来ないか」と誘われた。
 思っている事がすぐに顔に出るヒロの引きつった笑顔を見て、嘘くせぇと思いつつ俺が断れなかったのは、ヒロの必死で真剣な目を見ている内に反論する気力が萎えてしまったからだ。
 ヒロが実家に帰ると聞いた時、その間はくたくたに疲れるまで長時間バイトをして、嫌な事は忘れてしまおうなんて、自分でも情け無いくらい後ろ向きな事を俺は考えていた。
 くそっ。意地を張るのは疲れるから自分を誤魔化すのは止めだ。
 意気地がない俺の、実家に帰りたくない、そのくせ1人にもなりたく無いなんて滅茶苦茶図々しい気持ちに黙っていても気付いてくれて、笑って手を差し出してくれたヒロの好意がとても嬉しかった。
 未だにヒロの事をよく知りもしないくせに「単純馬鹿だ」「世間知らずのガキだ」と笑うヤツが居る。その度にぶん殴ってやろうかと思っちまう。
 実行できずにいるのは、噂を聞いたヒロに逆に心配を掛けてしまいそうだからだ。
 どうしてヒロはあんなに懐が広くいられるんだろう? 知り合った頃は何度も悔しいと思ったけど、今はヒロの強さが本気で羨ましい。
 そんな事を考えながら店長に相談したら、拍子抜けするくらいあっさり連休の許可が下りた。
 「いつも真面目に働いているからボーナス代わりだ」と店長は笑って俺に言ってくれた。
 夏休みは学生が休みで逆に忙しいだろにと思っていたら、始めから長期バイトはローテーションを組んで、順番に休みを取らせるつもりだったらしい。
 ヒロにどう言おう?
 あ、普通に「休める」で良いのか。どうしてもやましい気分になるのは、俺がヒロに甘えているからだろう。情けねーな。

「休みが取れたから行く」
「ほえ?」
「お、お前なぁ。ヒロと同じ日に俺もバイトが纏めて休める事になったって言ったんだ」
 俺がなけなしの勇気を振り絞って言ったのに、ほえ? はねーだろ。ほえ? は。一気に脱力するぞ。
 俺の手が震え始めると、ヒロはいつもの様ににぱっと笑って「良かったー」と言った。
「もしかしたら今からやと無理かもって思ってたん。まつながー、おおきにー。あ、これって店長さんに言うのが筋かなぁ。でも俺が店長さんに直接礼言うのももっと変よなぁ」
 うわぁーっ! よせっての。そんな全開の笑顔で喜ばれたらこっちが赤面するだろーが。
 一瞬、凄く可愛く見えて男にしとくのが惜しいなんて事まで思っちまったじゃないか。心臓がドクドク音立ててるぞ。ついでにかすかでもこんな馬鹿な事を考えた俺自身に鳥肌が立った。
 どんなに性格が良くて、学部の女共曰く見た目可愛い系(どこがだ? ただの童顔だ)でも、俺は男に興味は全く無いっての。
 待てよ。たしかヒロには姉さんが居るんだったな。実家に行けば会えるんじゃないか。期待しても良いんだろうな。
 そう思い直して聞いてみたらいつもはのんびりしているヒロに凄い剣幕で言い切られた。
「いくらまつながーが無類の女好きでも、うちの姉貴だけはやめとけーっ。万が一、姉貴に会って目を合わしそうになったらすぐに逸さなアカン。一生後悔するで。ホンマやからな」
 メデューサかよ。たとえ身内でもヒロがここまで人を悪く言うのは初めてだ。すぐに反省して言い過ぎたと言うと思ってたのに、全く言い直す様子がない。このヒロにここまで言わせる姉さんてどんなんだ。俺は逆の意味で興味が出てきたぞ。

「ちょっと待っとってな」
 そう言ってヒロがポケットから携帯を出した。
「オカン、俺。へ? お金? ちゃんと大事に使っとるから全然困ってへんで。そやのうてー夏休みの話」
 あ、そうか。ヒロは俺の休みが判るまで、実家に連絡を取らずにいてくれたんだな。
「うん。うん。そうなん。ほんでなー、誘ってみたらまつながーが家に遊びに来てくれるて言ってくれたん。オカンも前から会ってみたいって言うてたやろ」
 ぶはっと飲みかけのビールを噴き出してしまった。小学生の会話みたいだが、「遊びに来てくれる」って、まるでヒロの方が強引に俺を引っ張ったみたいじゃないか。
「うん。お伊勢さんは基本やろ。まだ詳しいコトは全然決めとらんから後はてきとーに……やかましいなぁ。大丈夫やて。まつながーはそんな細かいコトでグダグダ言うヤツとちゃうて」
 俺本人を目の前にして平然とベタ誉めするな。滅茶苦茶恥ずかしいっての。部屋から逃げ出したくなってきた。
「うん。多分3日。長くても4日かなぁ。バイトの予定が詰まっとるから1日はこっちで休みたいん。また直前になったら連絡入れるな。ほな、切るでー」
 やっと拷問が終わった。俺がテーブルに突っ伏していると、ヒロが暢気な声で「どないしたん」と聞いてきた。言えるか馬鹿。多分俺の顔は真っ赤になっているだろうから当分このままでいよう。
 俺の様子を見ているヒロが「変なのー」とか言っている。その台詞、そのままお前に言い返してやりてぇ。

「なぁ、まつながー、見たいモノとか行きたいトコとか有る?」
「三重に何が有るか全然知らないからヒロに任せる」
 ヒロは俺の投げやりな言い方に全然気を悪くした様子もなく普通に返してきた。
「あ、それもそうやな。ほな、やっぱ自分で考えてみる」
 いくら俺でも伊勢神宮くらいは知ってるぞ。と言おうと思ったが、さっきのお袋さんとの会話からすと、しっかりコースに入っているらしい。三重……たしか何とか忍者の里てのが有ったっけか? その手の所は絶対に行きたくねーぞ。
「あっちやと外食で納豆が出るトコって、ほとんど無いから我慢してなぁ」
 げっ、マジかよ。俺に3日も4日も納豆無しで生きろってか。
「あ、家で食べる分は絶対オカンに納豆出して貰うから心配せんといて。外食の時だけやから。できればまつながーにあっちの美味しい物、一杯食べて欲しいかなーって思ってるん」
 100パーセント好意からだって解ってても、ヒロは本当に恥ずかしい事を平気で言うヤツだな。俺は俯せたままツッコミを入れた。
「松坂牛のステーキとか、伊勢エビの塩焼きか?」
「アホかぁ。そんなモン地元でも一般人の口にそうそう入らんのやで。でも、まつながーがメチャ食べてみたいって言うならチョット考えてもええかも」
「無理すんな。俺はお前の奢りで食うつもりなんだからな」
「ええっ! 割り勘とちゃうの? せめて……小さいアワビの刺身にまけて貰えん?」
「ばーか。冗談だっての」
 話している内にだんだん落ち着いついてきたから顔を上げると、逆にヒロが顔を真っ赤にして胸を押さえていた。
「タチの悪い冗談やなぁ。ホンマ心臓に悪いで」
 松坂牛や伊勢エビって幾らしたっけか? 高級品に縁が無くて詳しくは知らなかったが、ヒロの顔色からすると洒落にならない金額らしい。
 「風呂入って寝るか?」と俺が聞くとヒロは本当に安心したって顔で頷いた。食い物と金が絡むと冗談が通じないヤツだな(俺の言い方が悪いのかもしれないけど)。三重に着いたらヒロから聞かれるまで、俺の方から食い物の話題は避けておこう。


3.

 エアコンの温度は寝苦しく無いくらい。扇風機が微風で空気を循環させとるから気持ちええ。ホンマまつながーと一緒に住めるコトになって良かったなぁ。
「……」
 あ、またあの寝言。まつながーが寝始めか起きるチョット前に聞くんよな。
 どんな夢見てるんやろ。普段は全然平気な顔をして、いつも笑ってくれて、鈍くさい俺の面倒も色々こまめに見てくれて、真面目に勉強もバイトもして……。
 メッチャ悔しいなぁ。
 一杯助けて貰っとるのに、未だに俺は全然まつながーに何も返せとらん。俺がこんな情け無い性格やなかったら、まつながーかて泣き言の1つも言えたかもしれんのに。「お子ちゃま」なんて言われて言い返すコトもできん俺に、頼ってくれるハズないやん。
 大人になるってどういうコトを言うんやろ? 無理に背伸びすれば手が届く様なモンとちゃうし、今の俺には想像もつかん。つかんけど……、俺は俺のやれるコトをやるしか無いんよな。
 俺が布団の中でごそごそ動いてるのが気になったんか、ベッドからまつながーの手が降りてきて、俺の頭をぽんぽんて撫でた。熟睡しとるくせに器用なやっちゃな。
 こんなにええヤツなのに、何でずっと辛い思いしとらなアカンのやろ? 見てる俺の方がキツイちゅーねん。
 早う夏休みにならんかな。そしたらまつながーを、嫌なコト全部忘れるくらいあちこち連れてって疲れさしたるのになぁ。


4.

 近くでカサカサ動く気配がして目が覚めた。一瞬ゴキブリかと思ったが、隣でヒロが寝ているんだったな。いくら暢気なヒロでもこんな事を言ったら顔を殴られそうだ。
 嫌な夢でも見ているんだろうか。ぐっすり寝ろよと頭を撫でてみたら、ピタリと動くのが止まった。どうやら悪夢から解放されたらしい。
 ヒロに悪夢は似合わない。
 中学生に間違われそうなくらいの童顔と華奢な体つきからは想像も付かないくらい、ヒロの内面は広くて温かくて強い。
 俺にヒロの強さの半分も有ったら、お袋に心配掛ける事も、ヒロに気を使わせる事も無く堂々と水戸に帰れたんだろうに。
 今年はじいさんの墓参りすら行けそうにない。マジで親不孝者だな。
 明日にでもお袋には連絡を入れよう。
「東京でできた親友の実家に遊びに行く事になったからこの夏は帰らない。そのうちバイトが休みの時に日帰りで顔を出すよ」
 そう言えば親父やお袋はきっと笑って許してくれるだろう。
 1番嫌なのは俺の我が儘にヒロを振り回しているって事だ。言えば「違う」という返事が返ってくるのを知っていて聞くのはただの卑怯者だ。俺はそこまで落ちぶれたくない。
 実家にはそうそう帰れないくらい遠くへ行ってしまいたい。早く夏休みが来れば良いのに。

 なんて事を考えなきゃ良かったと、ヒロと2人して後悔するなんてこの時は思ってもみなかった。


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