「なぁ、まつながー。頼みが有るんやけど」
「あ?」
 俺の部屋で一緒に晩飯を食ってそのままテレビを見ていたら、ヒロが首を傾げてうるうるの目で上目遣いをした上に、両手をぎゅと握って口元に当てて俺を見ていた。
 ……。
 似合う似合わない以前の問題で、一体何処のどいつがこいつにこんな事を教えたっ!?


『正しい……の勧め』


 18の男がそんな真似をするな。と言うか、いくら童顔だからってそういうポーズが似合うのはどうかと思うぞ。怒鳴りつけたいのを何とか堪えて「何だ?」と聞いてみた。
 ヒロはお子ちゃまおねだりモードを止めて、少しだけ躊躇う様に2、3度首を横に振ると両膝を抱えて小声で呟いた。
「まつながーのバイト先ってレンタルCD・DVD・ビデオ屋やん」
「あ、……ああ」
 隣に住み始めてすでに2ヶ月、今更何を言い出すのかと思っていると、ヒロは真っ赤になった顔を上げて一気にまくし立てた。
「まつながーお勧めの18禁えっちDVDが有ったら借りてきてくれん? お金は俺が出すから」
 思いもしなかった台詞に俺は飲みかけたビールを一気に噴き出した。
「まさかと思うがその歳で「1度も観たことが無いから」なんて言わないだろうな?」
 ビールがこぼれた畳をティシュで拭きながら疑いの目を向けると、ヒロは耳まで真っ赤になってぶんぶんと頭を振った。
「んなコト無いて。中学の時から友達らと何度か観とる……と思う」
「……と思う?」
 俺が聞き返すとヒロはまた視線を下げてポツリと洩らした。
「何でか判らんのやけど観たハズなのに全然覚えて無いん」
「あんなモン内容が似たり寄ったりだから覚えて無くて当たり前だろ」
「いや。そうやのうて、観たハズなのに観たって記憶が無いん」
「はぁ?」
 言ってる意味が全然解らないぞ。俺が眉間に皺を寄せると、ヒロはお子ちゃまおねだりモードになって(だから似合いすぎだっての)俺に懇願してきた。
「ほやから、まつながーと一緒に観たらなしてか判るかなーって思ったん」
「馬鹿か。そういう物は自分の部屋で1人で観ろ!」
 好奇心が強いガキの頃ならともかく、俺達の歳でアレを一緒に観るのは使用方法を間違えているとしか思えない。まぁ、たまに良作かイロモノ系をヤロウ集団で観るのも楽しいんだが。
「高校の時にこっそり家でもやってみたんやけど、やっぱり覚えとらんかったんやて。俺かてメッチャ恥ずかしいんやからいくらまつながーにかて、ホンマはこないなコト頼みた無いわい!」
 俺が怒鳴ると珍しくヒロも怒鳴り返してきた。……これは絶対マジだな。


 返却されたDVDをチェックしながら棚に戻していく。運が良いのか悪いのか今日はたまたま18禁コーナーへの返却が俺の担当に集中した。
 昨夜はあれからヒロと夜中まで話をしていたから少々眠い。授業中は起きていられたが、今日のバイトシフトが深夜帯だという事をうっかり忘れていた。
 ヒロの話だと(自分から言い出したくせに肝心のエロDVDの話になると、なかなか口を割らないから苦労した)DVDをセットして始めの5分くらいまでは覚えているが、その後は全く記憶に無いらしい。
 俺のバイト先がレンタルDVD屋だし2人共貧乏だから、映画館に行くよりもっぱら共同出費で時期遅れのDVDを借りて一緒に観ている。
 ヒロは重いテーマの社会的な映画も好きだし、戦争物やB級特撮映画にホラー、更にロボットアニメまでと好みは幅広い。甘ったるい恋愛物だけはパスしてるから、そこは俺と好みが合うみたいでお互いに助かっている。
 ヒロもHDR付DVDプレーヤーは持っているから、てっきりエロDVDはその手の専門系の店で借りて観ているんだとばかり思っていた。重たい口を何とか開かせると、東京に来てから一切エロDVDに手を出していないとこぼしていた。
 押し入れの中にエロ本を隠しているくらいだから、ヒロも年相応にそういう事に興味が有るのは知っている。布団の間に押し込んで見つからないつもりなんだから、微笑まし過ぎて思わず笑ってしまう。実家に居た頃もさぞかし家族から失笑を買っていただろう。
 高校時代の寮生活で培った見つからないコツを教えてやっても良いんだか、ヒロが未だに俺にもばれていないと思っているのが面白いので、自分で気付くまでそのままにしようと思ってる。
 さすがに女を部屋に上げる様になったら不味いだろうが、相変わらずのんびりした性格が災いしてか彼女居ない歴を更新中だ。
 実際のところは、1ヶ月前に付き合ってた女に振られた俺もヒロの事を笑えない。
 「あの」とんでも無い噂が未だに尾を引いているからだとだけは、心臓に悪いので絶対に考えたく無い。

 棚を眺めながらヒロが好みそうなDVDをいくつか物色する。
 ヒロは守ってあげたくなる可愛いタイプの女が好みだと言っていた。「鏡を見ろ」と言いたくなるし、俺から見たらヒロには年上でしっかり系の女が似合うと思うが、好みは人それぞれだし、言えば余計なお世話にしかならないだろう。
 ヒロに観せるなら主演が可愛いくて、できるだけまっとうそうな内容、レンタル人気上位のヤツが妥当だな。
 ……。
 そこまで考えて「俺はヒロの保護者か?」と思い至った。前々からヒロからも「小言が多くてオカンみたいや」と言われているが、最近は自覚まで出てきたぞ。
 ヒロは童顔だから人から誤解されやすいが、世間ずれしていないだけで中身は結構しっかりしている。時々俺よりずっと考え方が大人だと思う。少し悔しいからヒロには言っていない。正直に思ったまま人を誉めるヒロと違って、こういう事を考える俺はどうしてもヒロにはかなわないと思う。
 でも、これとそれは話が別だからな。
 ノートパソコンを持っていてネットが使える環境のくせに、自力でエロDVDを探せないお子ちゃまヒロには刺激が強すぎる内容は観せたくない。
 目星を付けていたDVDはレンタル中だった。俺も今日は眠いしお互いのバイトの休みが重なる次の機会で良いか。


 土曜日の夕方に珍しくヒロもバイトのオフが決まったので、俺は2本のエロDVDを借りておいた。「お前の趣味はこういうのか?」と、バイト仲間連中から散々笑われて冷やかされたが、俺の趣味じゃ無いっての。度々俺と一緒にDVDを探すからか、すっかり店の常連になっているヒロの名誉の為にも真相は誰にも言わなかった。
 お互いに創作納豆料理を持ち寄って(和風ファミレスでバイトしているからか、最近ヒロはどんどん料理の腕を上げている)一緒に晩飯を食った後、お楽しみのDVD鑑賞会になった。
「まーつーなーがー、早くー。早くー」
 茶碗を洗っていた俺の背中に張り付いてガキの様にせかすヒロの襟首を掴むと座布団の上に座らせて、ビールにチューハイ、アルコールに弱いヒロ用にお茶と菓子をテーブルの上に出す。DVDをセットしてリモコンを持つと、ヒロは座布団を抱きしめて真剣にテレビ画面を見つめている。
 ……何かが違うと思うのは俺の気のせいか?

 始まってから3分、退屈な前置きに欠伸をしながら横を見るとヒロはすでに船を漕いでいた。
 ……。
 全然覚えて無いって、もしかして頭から寝てたのか?
「ヒロ、起きろ」
 DVDを止めて肩を強く揺すると「ふぇっ?」と間抜けな声を上げてヒロは目を覚ました。ぼけーっと俺の顔を見ているから何が起こったのか判ってないらしい。俺がテレビを指さすとあれ? という顔をして申し訳なさそうに「堪忍な。始めから観直してええ?」と両手を合わせた。
 仕方が無いから巻き戻してもう1度再生する。……って今度はたった1分で寝てやがる。
 もう一度DVDを止めて今度は手元に有った雑誌の角で頭を叩くと、ビクリと震えて跳ね起きた。
「また寝てしもたん?」
 何でやろ? とがっくりと肩を落とすヒロを見て俺は溜息をついた。
「つまんねぇ前置きを真面目に観てるから寝てしまうんだ」
 DVDを再生のまま早送りにして退屈な所を全部飛ばしてそのシーンになったら通常再生に戻す。まぁ、こっちが普通の見方だろう。どんな凝った内容だろうが結局ソレ目的で観るんだから、下手くそな棒読み演技を観せられると萎えるだけだ。

 本番が始まるとヒロの反応が知りたくなった。できるだけ刺激の無いヤツを選んだんだが全くこの手のDVDを観た事が無いヒロはどう思うだろう?
 横目で様子を窺うとヒロは座布団を抱いたまま寝ていた。画面越しとは言え、女の裸を目の前にしてその反応はどうかと思うぞ。
 DVDを巻き戻してヒロを叩き起こした。「うにゃ?」というネコみたいな声を上げてヒロが目を開けた。うつらうつらと頭を揺らしてまだ寝ぼけている。
 そういえばヒロが酔っぱらって俺の部屋で寝る事は度々有るが、大抵ヒロの方が先に目を覚ますので寝起きのヒロを見るのは片手で余るくらいしか無い。結構寝起きが悪いんだな。いつも朝早くからテンションが高いので、てっきり朝型だと思っていた。
 まだ冷たい缶ビールをヒロの頬に押し付けるとさすがにしっかり目を覚ました。
「あれぇ? またぁ?」
 目を擦りながら首を傾げるヒロの頭を軽く小突いて、俺はDVDを取り出してもう1本のDVDに差し替える。
「単にお前の趣味と合わなかったんだろ」
「そうなん?」
「やってるだけで中身無かったからな。こっちの方がまだマシだと思う」
「へー」
 主演女優が顔がかなり可愛い上にFカップの持ち主で、レンタル人気ランキング上位作品だったんだが、という言葉は飲み込んだ。俺の目から見ても内容の質は下だったからだ。用心の為にもう1本借りておいて良かった。こっちは主演女優の顔はそれなりだがスタイルが良いし、ストーリーが受けているらしい。
 一応ストーリー物という事で頭から見たがこいつも演技が大根だな。やってる所さえ見えれば良いか。そんな事を考えていたら急に肩に重みを感じた。

 よっぽど退屈だったのかヒロは俺の肩に頭を乗せて寝息を立てている。
 ちょっとだけ身体を動かすとヒロはそれに合わせてずるずると頭を下ろして俺の膝を枕に熟睡しだした。
 気持ち良さそうに眠っているヒロの顔を見ていたら怒る気が失せていく。これが他の奴だったら絶対に膝を貸す気にならない。とっくに蹴り飛ばして起こしている。
 もう良いさ。多分、こいつの友人達もヒロの熟睡した姿を見て、起こすのに忍び無かったんだろう。
 エロDVDが睡眠薬代わりになる男なんてそうそう居るとは思えない。でも、ヒロはストーリーがしっかりしている映画や、演技派の役者が好きだから、中身の無い映画は始めから頭が拒否するんだろう。恋愛映画が苦手なのもきっと途中で寝てしまうからに違いない。

 こういう奴が居ても良いよな。ああ、本当に可笑しい。
 気が付いたら俺は震えながら声を出して笑っていた。それでもヒロは全然起きない。
 なあ、ヒロ、お前ってやっぱり最高だぜ。


「なしてすぐに起こしてくれんかったん?」
 人の膝にしっかりよだれを垂らしたあげく、足が痺れるまで起きなかったヒロが目に涙を溜めて訴えてくる。
 というか、何で俺が怒られなきゃいけないんだ?
「まつながーやったら俺が変な行動しとったらちゃんと教えてくれるって信じとったのに。えっちDVD観てて寝るなんて男としてメッチャ情け無いやん」
「仕方無いだろ。いくら呼んでもお前が起きなかったんだから」
 酒を飲んでも無いのに熟睡している顔が見ていて面白かったから起こさなかったというのはヒロには内緒だ。いきなり眉間に皺を寄せたり、にやにや笑ったりと百面相しながら寝る奴は滅多に居ないと思う。寝言も言っていたみたいだが声が小さくて聞き取れなかったのが残念だった。そこら辺のコメディ映画なんかよりヒロを見ていた方が全然飽きないと思うぞ。
 ヒロが恨みがましそうに俺を見上げる。
「親友やったらああいう時、殴ってでも起こしてくれるモンとちゃうの?」

 は?

 今、ヒロは俺の事を親友って言ったか? 俺の聞き間違いじゃ無いよな。何か凄く嬉しいぞ。
 俺は怒っている親友の頭を抱えて大声で笑った。
「分かった。お前の気の済むまで最後まで付き合うぞ。ロリ系だろうが人妻シリーズからコスプレにSMや過激な道具モンでも何でも借りてきてやる。それでヒロが最後まで起きてられるヤツを探そうぜ」
「ちょっ、ちょっと待ってーな。俺、そういうマニアックな趣味や無いて」
 慌てたヒロが顔を真っ赤に染めて一生懸命否定する。
「わっかんねぇぞ。ヒロはムッツリスケベかもしれないだろう」
 俺がにやにや笑いながらふざけて言うと、ヒロはじたばたと暴れて俺の腕から頭を抜いた。
「絶対、ちゃうわい!」
「そこまで言うならそうかもなー」
 わざとらしく棒読みで言うとヒロは怒って俺に向かって来た。
「俺かてな、俺かて……」
「ヒロ、布団の間にエロ本隠すのはすぐにバレるから止めとけ。それと、あの雑誌は印刷が悪いからシーツが汚れる」
 ヒロは大きな目を更に大きくして絶句して、真っ赤な顔で金魚みたいに口をパクパクさせている。本当に馬鹿正直な奴だな。俺は少しだけ笑ってヒロに耳打ちした。
「あの手の本はな……」
「えーっ!?」
 ヒロは俺の部屋のとある場所を10分以上物色して、漸く本を見つけると本気で悔しがっていた。
「こんな堂々としたトコに置いといて、誰かに見つかったらどないする気やったん?」
「実際、お前は俺に教えられるまで気付かなかったろ」
「うがーっ。メッチャむかつく!」
 俺はポケットから煙草を出してライターで火を付けると、わざとヒロに向かって煙を吹き出した。元々煙草が苦手なヒロは咳き込みながら「何すんねん?」と涙目になる。
 すぐに煙草を吸い殻入れでもみ消してにやりと笑ってやる。
「お馬鹿なお子ちゃまへの嫌がらせだ」
「馬鹿はともかく同じ歳なのにお子ちゃま言うなーっ!」
「お子ちゃまだからお子ちゃまって呼んだんだっての。悔しかったら俺より上手なエロ本隠し場所見つけろよ」
「絶対見つけてみせるわい。そしたら今度は俺がまつながーのコト、大人げ無いて言ってやるから見とれよ」
 ヒロは肩で息をしながら本気で言っている。あの場所は厳しい寮監に見つからない様、苦労して見つけた場所だからあそこ以上の隠し場所はそうそう無い。
「一応先に言っておくが、紙袋に他の荷物と混ぜて入れておくとか、座布団カバーの中に仕込むとか、タンスに入れるのも止めておけよ。すぐにバレる」
「そこまで言うならどこに隠せっちゅーねん?」
「だから俺の隠し場所を教えたんだろうが」
 それまで怒っていたヒロは「あっ」と声を上げて少し視線を下げた。考え込むように口元に片手を当てている。

 しばらくしてヒロはぱっと顔を上げてにぱっと笑った。
「まつながー、八つ当たりで怒ってしもてホンマに堪忍な。それと色々してくれておおきに。感謝せなアカンのにまつながーに礼を言うのも忘れとった。俺、ホンマにアホやな。その……怒っとらん?」
「全然怒って無いから安心しろ。それより俺も少しばかり言い過ぎた。悪かった」
 ヒロのこういう真摯なところが すぐに意地を張ってしまう俺には正直羨ましい。ヒロと居ると俺も素直に謝れる。感謝したいのは俺の方だ。
 そういつも思っていてもやっぱり口に出せない俺はまだまだガキなんだろう。

「とりあえず今度はエロDVDじゃ無くて、かなり前に噂になった18禁の恋愛映画でも借りてくるか。監督がアレなんで怖い気もするが、一応ストーリーが有るらしいから運が良ければお前でも寝ないかもしれないぞ」
 俺が話を振ると映画好きのヒロが目を輝かせた。
「それ、なんて映画?」
「キュー○リックの……」
 俺が題名を言うと「それってミステリーホラーとちゃうの?」とヒロがしきりに首を傾げていた。まぁ、噂を聞く限り有る意味そうかもしれない。
「観るのが怖いような、でもあれだけ噂になった映画やから1回は観てみたい気も……」
 と、ヒロはブツブツ独り言を言い出した。
 俺はDVDをレンタル袋に入れると、ヒロに向かって笑って缶ビールをゆっくり放った。

 なぁ、ヒロ。
 映画くらいいつでも付き合うから、頼むから気付いてくれよ。どこにでも有るセックスシーン有り恋愛映画を避けていた奴が、いきなりエロDVDに手を出すのは早いんだって。

 物には順序が有るって事くらい、いい加減に学習しろ。

おわり


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