第4楽章
初演された当時ソヴィエト国内では、第1〜3楽章はとても良くできているが、第4楽章についてはごく一部から批判があったとされています。初演の指揮をしたサムイル・サモスードは個人的な意見としつつも第4楽章に合唱とソリストをつけるべきだと考えていました。また、ショスタコーヴィチは、友人のグリークマンへの1942年1月4日付けの手紙に「私の友人の
Soso Begiashvili
は(交響曲第7番の)第4楽章を十分な楽観主義を湛える名作ではないと見做していた。」と書いています(エリザベス・ウィルソン著『Shostakovich
: A Life Remembered』 p.187)。Begiashvili はレニングラード音楽院で学んだ後に政府機関に属していて、クイビシェフ時代のショスタコーヴィチに対して食糧配給などの便宜を図ってくれた人物として、ショスタコーヴィチ家族にはとても助かる存在でありました。しかし、ショスタコーヴィチの妻ニーナは彼を「内通者」として警戒をしていたとされ、ショスタコーヴィチもその手紙の続きに、「私の友人の
Soso Begiashvili
はとても素晴らしい(marvelous)人だが、」と書いています。ショスタコーヴィチがグリークマンにmarvelous
と書くときはその反対の意味を持たせることをグリークマンは知っていたとのことです(前掲書 p.187)。
この第4楽章への批判というのはまさに政府がこの曲に対して、ソヴィエトの勝利を高らかに謳うことを求めていたのに関わらずショスタコーヴィチが十分に応えていないということを示しているものと考えられます。しかし、ショスタコーヴィチは「私は、この楽章に合唱もソリストも必要はないと信じている。このままで十分楽観主義的なのだ。」と言っています(『Re-examining
the Warhorse Shostakovich's Leningrad Symphony』 by Keri Blickenstaff p.9
)。この「楽観主義」という言葉の訳は難しいのですが、当時のソヴィエト政府がめざしていたのが共産主義の明るい未来であり、その明るい未来を描くのが芸術作品に求められた使命でした。その使命を果たした作品が「楽観主義」と称され、芸術作品として認められた、つまりすべての芸術作品は「楽観主義」であることが必須の条件とされていたということになります。
歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を「荒唐無稽」と『プラウダ』紙上で批判されたことでそのことを身をもって感じていたショスタコーヴィチは、交響曲第5番の作曲において当局の期待に応えることで復権を果たしたことはよく知られています。交響曲第5番は「革命20周年」のために書かれたことになっていて、とりわけその第4楽章は当局が最も期待する「勝利の音楽」にしたことから、この交響曲第7番の終楽章も同じく「勝利の音楽」と見做すことが一般的となっています。のちに削除しますがこの楽章に「勝利」という副題をつけていたり、「第4楽章は来るべき勝利である」というショスタコーヴィチ自身の言葉が残っていたりすることからも、この楽章のあり方が決定されているのです。New
York Timesの特派員ラルフ・パーカーがショスタコーヴィチにインタビューして書いた1942年2月9日の記事によると、
「第4楽章はひとことで言うと『勝利』である。しかし、それは野蛮なものではなく、こう言えばより説明できると思うのだが、暗闇を照らす光の勝利、蛮行対するヒューマニティの勝利、報復に対する知性の勝利なのだ。」とショスタコーヴィチは応えています(『Re-examining
the Warhorse Shostakovich's Leningrad Symphony』 by Keri Blickenstaff p.13)。
確かに、楽章の最後の方ではパート譜の1ページ半にわたって3連符を含む同じ音型を数え切れないほど大音量でこれでもかと連呼し続けるのは事実ではあります(練習番号202の後からと204から最後まで)。しかし、楽章が始まっていきなり「勝利」というのも変な話しではないでしょうか。「勝利」は遠くから、最初は微かな兆しから始まるなんてことはないはずですし、モールス信号に
p(ピアノ)も f
(フォルテ)もないのでしょうから。これは第1楽章のいわゆる『侵略のテーマ』でドイツ軍が遠くから密やかにやってくるという説と同じくらい滑稽な話しではないでしょうか。ドイツ軍の攻撃は電撃的にあっという間に大軍を投入したのであり、もしソヴィエト軍が勝利したのならラジオで一斉に放送されてあっという間に全国に広まったはずです。それを楽章の最初から最後までモールス信号をちまちま打ち続ける様は、想像力をどう働かしても納得のいくイメージになりません。楽章の最初は例えば、攻撃されて海底に沈みゆく潜水艦の中から生き残った通信士がモールス信号で「勝利」を打電し、最後では100人ものオペレーターがモスクワの指令本部で一斉に「・・・−」と打ち続けるというシュールな場面が目に浮かんでしまうのです。
ここでベルギーの音楽学者、ピアニスト、指揮者であった Paul Collaer
のこの終結部についての記述と、ショスタコーヴィチの青年時代の友人(恋人?)だった小説家ガリーナ・セレブリャコーワのこの曲に対する言葉を紹介してこの章を閉じたいと思います。
Paul Collaer
「爆発的な栄光のひびきで終わるのではない。重いものにたたきのめされたような感じで、重苦しさと深い疲労感があと味として残るのだ。―― これは華々しい勝利の歌よりもさらに感動的かつ真実感のある終結に相違ない(『
La Musique Moderne 』 レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの交響曲第7番のLPレコードの解説文 三浦淳史著)。」