ショスタコーヴィチ:交響曲第7番『レニングラード』

あとがき

 シャガール 

マルク・シャガール『ヴァイオリンを弾くピエロ』1941-42年

         
 2021年4月にショスタコーヴィチのことを調べ始めて10ケ月もたってしまいました。新型コロナ感染症によるステイホームの期間であったのにも拘わらずという情けない話しとも言えます。当初は8月のショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏会に間に合わせるはずでした。ところが、様々な資料に目を通すにつれてソヴィエト=ロシアという国の持つ複雑な事情、一言で表わすと「本当のことを言わない人々によって語られた歴史」に翻弄されながら何度も立ち止まらざるを得ませんでした。

 また、どの研究書や解説にも取り上げられているこの曲にまつわる話しの出所がはっきりしなかったり、そのことと当事者たちの証言とが矛盾していたりすることがありました。さらには、ひとつの事実がその周囲にある真実を含む多くの事実が無視或いは削除されて伝えられているために、本来あるべき姿と違ったかたちで伝えられていることもありました。こうした正しいとは言えない情報が定説としてまかり通っている現実には驚くばかりです。音楽で言えば、指揮者が根拠の定かでない定説もとに「ここはこういう音楽だ」とオーケストラの団員に指示を出し、プログラムの解説にそう書かれ、CDの解説の中でそう断言されてしまうと、聴き手はそれを信じるしかありません。

 ショスタコーヴィチのことについて書かれた文献、資料は何をその根拠にしているでしょうか。まずは、ショスタコーヴィチ本人が話したことが活字になったもの、或いはフィルムや録音に残った音声、ショスタコーヴィチ自身が書いた手紙や日記の類です。しかし、ショスタコーヴィチが話したり書いたりしたことは、その時のことや少し前のこともあれば記憶の定かでないずっと昔のこともあったと思われますので、勘違いも含めてすべてが正しいとは言えないのではないでしょうか。さらに当時の手紙はすべて検閲されていたという前提に立つと、これまたその内容のすべてを鵜呑みにするのは危険であると言えます。また、彼が様々な機会にスピーチした内容の多くは当局によってその原稿が書かれた可能性があり、とりわけ特定の目的を持って収録されたフィルムや録音の多くは本人が意図しない内容もあったと考えられます。本書でも参照させていただいたヴォルコフ著の『ショスタコーヴィチの証言』で語られていることが、ショスタコーヴィチ自身のものなのか、著者による創作或いは恣意的に変更を加えられたものなのか判然としないものもあります。

 次に、周囲の人々がショスタコーヴィチとの会話や接した時の様子を語っている記録も重要な資料となっています。しかし、これもその接した人の記憶の確かさや何らかの意図によってその内容が歪められている可能性も視野に入れておく必要があります。当時の政府高官の関係者に対してショスタコーヴィチが絶対に話すはずがないことが、この曲を理解する鍵としてほとんどすべての解説書に紹介されているのもおかしな現象と言えます。

 残念なことにロシア語に不案内な筆者にとって、日本語で出版された書物と一部の英語の書物(とネットで見つけた資料)からしか情報を得ることはできませんでした。結局、都合のいいネタを選んで繋ぎ合わせるしかなかったということになります。元々エッセイとして気楽に書き始めたとはいえ、そのちりばめた資料の合間に勝手な推論を忍ばせているのですから我ながら始末に終えません。ただ、ひとつ気になるのは、ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』論争が終息した後、日本国内におけるショスタコーヴィチ研究がやや停滞しているのではないかと思われることです。新しい研究が存在しながら筆者が寡聞にして知らないのかもしれませんが、海外においては、本書でも紹介したDavid Hurwitz のYouTube での熱弁をはじめ在野の研究もネット上で数多く閲覧することができます。これらの成果も含めて、これまでショスタコーヴィチ研究を踏まえつつ新たなショスタコーヴィチ研究が進められることを願っています。ところで、現在のロシアにおいてショスタコーヴィチ研究はどうなっているのでしょうか。スターリン体制下におけるショスタコーヴィチへの様々な抑圧や糾弾がよもや今でも正当化されているとは思いませんが、イデオロギーを超えた観点から歴史上における虚実のすべてを明らかにする研究がなされることを願ってやみません。ショスタコーヴィチの没後50年となる2025年には第2の『証言』が発表され音楽界を震撼させることを期待して。


 さて、第3章、第4章では初演前後に欧米で起きたこの曲への熱狂ぶりついて書いたのですが、続けて当時の批判とか熱が冷めた後のことなども書く予定でした。とりわけこの曲に引用されている曲について興味はあったのですが、盗用なのか引用なのかコラージュなのか、或いは偶然なのか等々、近現代の作曲家にとってそれは悩ましい問題でもあり、このエッセイで書くことは見送ることにしました。当時の批評には引用されている曲として、ラヴェルの『ボレロ』、レハールの『メリー・ウィドウ』をはじめとして、R.シュトラウスの『英雄の生涯』、レスピーギの『ローマの松』、シベリウスの交響曲第5番、ベルリオーズの幻想交響曲、グリーグの抒情小品集から「小人の行進(妖精トロルの行進)」、チャイフスキーの大序曲『1812年』、アレクサンドル・モソロフが1926年に作曲した『鉄工場』、ベートーヴェンの『エグモント序曲』等、枚挙に暇がない程多くの作品が挙げられていたことだけを記しておきます(『Shostakovich and His World』〜 "The Phenomenon of the Seventh" by Christopher Gibbs, p.102)。

 しかし、重要なのは聴き手がどう感じるかで、それによって親近感を抱いたり、作曲家の隠れた意図に想いをめぐらしたりすることで、様々な角度からその曲を聴き、音楽を聴く喜びに浸ることではないかと思います。当時の批評家ダグラス・ワットがトスカニーニ指揮によるの米国初演の演奏を聴いて、ファッツ・ウォーラーの「 Ain't Misbehavin' 」を思い出したと書いています(前掲書)。ファッツ・ウォーラーは1920〜40年代に米国で活躍したピアニスト&歌手で、1929年にブロードウェイのミュージカル喜劇『Connie's Hot Chocolates(コニーズ・ホット・チョコレート)』で使うために「 Ain't Misbehavin'(浮気はやめた)」という曲を生み出しています。そのミュージカルは後に『Hot Chocolates』と改題され、ルイ・アームストロングがトランペットで「 Ain't Misbehavin' 」を演奏したことで大ヒットします。以下に、YouTubeにアップされているルイ・アームストロングとファッツ・ウォーラーの演奏をご紹介します。後者は、トスカニーニが指揮するショスタコーヴィチの交響曲第7番が放送された翌年の1943年に制作された『ストーミー・ウェザー』というミュージカル映画のひとこまです。どこがショスタコーヴィチの曲と似ているのかおわかりでしょうか?

Louis Armstrong - Ain't Misbehavin' (1929) [Master Pressing]


 なお、この曲を初めて演奏した時のルイ・アームストロングはまだ無名でオーケストラの一員としてピットの中で吹いていました。その時、「 Ain't Misbehavin' 」を幕間に吹いたルイ・アームストロングの演奏は観客の大喝采を巻き起こし、そのことがニューヨーク・タイムズ紙にも書かれて彼は一躍有名人になったそうです。その後の公演ではステージに上がって吹くようになったとか。曲中、ジョージ・ガーシュウィンが1924年に作曲した『ラプソディ・イン・ブルー』の一節が吹かれていますがおわかりでしょうか。

Fats Waller - Ain't Misbehavin' - Stormy Weather (1943)


 譜面が連動する以下の映像を見ると、この歌がショスタコーヴィチのいわゆる『侵略のテーマ』に似ていることがわかります。何処にでもありそうな節と言えなくもないですが、批評家ダグラス・ワットがショスタコーヴィチの曲を聴いてこの歌を連想することで、はるか遠く離れた国の作曲家に対してより身近な印象を持ち、その作品を歓迎したいという気持ちを抱いたと考えることができるのではないでしょうか。

Ain't Misbehavin' - Thomas "Fats" Waller | Piano Tutorial


 我々日本人にはこの演奏の方がいいかもしれません。

阿川 泰子 〜Ain't Misbehavin'〜 (Yasuko Agwa)


 しかし、ニューヨークから遠く離れたレニングラードに住んでいたショスタコーヴィチがこのファッツ・ウォーラーの曲を聴いていた可能性は限りなくゼロに近いでしょう。ただ、ショスタコーヴィチにとって決して嫌いなジャンルではないはずで、もしかしたらラジオ放送などで耳に挟んでいたのかもしれないとか、或いはショスタコーヴィチの遺品の中にこのSPレコードが紛れていたのではないか、米国の下劣な歌がショスタコーヴィチの家にあったとは言えないためにソヴィエト当局が秘密裏に廃棄したのでは、などと想像するだけでも楽しいものです。

 10ケ月もの間、これまでそれ程身近ではなかった作曲家ショスタコーヴィチとほぼ毎日接してきました。好きになれたかどうかはわかりませんが、見方(聴き方)が変わったことは確かだと思います。数多くのショスタコーヴィチ研究者の方々に感謝です。【 完 2022年1月末】





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