ヴィオラのパート・ソロが静かに収まっていって弦楽合奏になると、急にトーンが変わってどこか不安な感じが漂ってきます(練習番号141)。ここからの17小節間の弦楽合奏は実によく書かれていて、もしショスタコーヴィチが喧しい交響曲を半分くらいにして弦楽合奏曲をもっと書いていればかなり幅広いファンを獲得できたのではないかと思ってしまいます。ここから先もずっと弦楽器だけの合奏が続き、再び冒頭のヴァイオリンによる Largo
が再現され、次いで木管楽器ではなく弦楽合奏で冒頭のコラールの変形も再現されます。このあたりのショスタコーヴィチの意図が何だったのかが理解に苦しむところです。まさか、終楽章の大仕事のために木管、金管楽器群を休ませておこうという配慮があったなんて、それはないと思いますが。