この管楽器が旋律を奏でている間、弦楽器が特徴的なリズムを刻んでいます。このリズムに含まれる「スラーで繋がる2つの音符のパターン」について、これをスターリニズムによる弾圧を意味するという説があります(
Booklet of Shostakovich Symphony No.7 conducted by Yuri Temirkanov :
David Wright
1995,「ある分析者」によるとして引用していますが、この説の出典は明らかにしていません。)。このパターンは3部形式を取るこの楽章の両端の提示部と再現部で繰り返されるのですが、管楽器による穏やかな音楽の伴奏であり、けっして不安を煽ったり、恐怖を植えつけたりする使われ方ではありません。スターリンの残虐な圧政を意味するのであればむしろ激しい音楽となる中間部にふさわしいと思われます。しかし、その中間部ではこのパターンは出現しないため、この説はいまひとつ説得力に欠けるように思えます(スターリン統治下に作曲されたショスタコーヴィチの他の作品に同じパターンがあるかどうかは検証する価値はありそうです。)こんな穏やかな音楽が鳴っている時にスターリンの顔を想像するのは御免蒙りたいところです。
さらに、この楽章におけるヴァイオリンの扱いも冒頭だけでなく、中間部への経過句でのスケールを含む旋律(Vn I
練習番号81)、ピチカートによる冒頭主題の再現(Vn I
練習番号82)でも登用されているのです。また、中間部の後の再現部においても提示部とほぼ同じ楽器編成、つまりヴァイオリンがこの楽章でも主題、経過句、再現と多くのシーンで活躍しているのです。このように見ると、第1楽章で述べたフレーイシュマンの『ロスチャイルドのヴァイオリン』のことをこの楽章でも考えざるを得なくなるのです。