縮刷版98年9月中旬号


【9月20日】 京極堂は「塗仏の宴」の支度&始末完了、読むの速いんでだいたい延べで6時間くらいってところですか。「支度」を買ったのは出てすぐだったんだけど、後に「始末」が出ると解っていて謎を抱えて身悶えるのが嫌だったんで読まずにいたため2冊一気読みとなった次第。実にまあ何とも豪華な時間を過ごすことが出来ました。

 んで感想は厳しいところにいっちゃったなあ、ってんですか。前の「絡新婦の理」でもうっすらと感じたことなんだけど、人を操る人間が誰かに操られてないとゆー保証はなく、それが際限なしに積み上がっていった時に行き着く先はナチス・ドイツとかフリーメーソンとかサンジェルマン伯爵とかテンプル騎士団とか超人ロックとか何だかんだな世界を網に掛けた陰謀史観へと行き着くわけで、さらに進めば古代遺跡の呪いから地球外生命体による人類操作なんてトンデモな方向へと果てしないインフレーションを起こしかねない。あるいは神と悪魔の対立に翻弄されるニンゲンとかって「デビルマン」なり「敵は海賊・海賊版」な方向へ。

 かといって適当な所で歯止めをかければなおのこと、東洋のちっぽけな島国風情で何を躍起に分捕り合戦してるんだって、そんな疑問も浮かんでくるから困ったもので、怪獣はどーして日本だけしか襲わないの? どーして図ったよーに富士の裾野の秘密基地へと直進するの?? ってな特撮関係ではおなじみのある種の約束事を、了解しながら読む種類のお話にはまだなっていないだけに、今後のことをありゃこりゃ心配してしまう。

 それでも目の前で繰り広げられる物語が面白いからいーじゃんと、とりあえずは自分を納得させて感想を言えばやっぱり物語り師としての京極夏彦さんは最高ですね、と言ってしまおう。点々と布石を打ちそれらを線でつなぎ最後に一気にまとめあげて1つの盤面を作り上げるその腕前は、著作を重ねるにしたがってますます手練れて来ている。間に挟まる蘊蓄講釈の類も必要だからこそ話しているんだとの共通認識が読者にしっかり出来ているから、飛ばさないし飛ばせるもんかと思ってしっかり読み込んでしまう。

 出演しているキャラクターたちにそれぞれちゃんと見せ場も作って、キャラ萌えなファンの気持ちもつかんで離さない(榎木津最高! 関口悲惨!!)そのサービス精神もファンには嬉しい限りで、自分の好きなキャラが次ぎに活躍するのは何時と、それを拠り所にして最後まで一気に読み通せる。広げた風呂敷はもはや畳めないところまで来てしまったから、後は一気呵成に突っ走るしかなく、ってことはますますエスカレーションする激しいバトルの中を、かくも個性的なキャラクターたちが活躍する物語を、さらにさらに楽しめるってことで次巻以降への期待もますます沸いて来る。さて次なるお楽しみはいったい何時のことになるのやら。「陰摩羅鬼の瑕」の読者はただひたすらに待つのみである。

 寝て起きて本屋へ。せっかくの村山由佳さんの船橋ご来臨の日がSFオフとは僕もよほどついてない、ってSFよりも人妻が良いのか? 良いにキマってるぢゃないか、けど先約は先約だから我慢してちゃんと目黒には秋刀魚を食べに行きます。で笠井潔さんの「天啓の器」(双葉社、2000円)とディシア・スミスの「ほんとうのわたし」(ソニー・マガジンズ、1600円)を購入、前者は「天啓の宴」の続編ってことになっているけど難しかった前作をすでにほとんど覚えてないため再びな頭の体操を余儀なくされそう。「ほんとうのわたし」は帯が完全なまでのネタバレで興味の5割を減退させてくれちゃてるけど、これで引っかかる読者も大勢いるからプラマイ相殺、むしろネタ探しよりもテーマ性を重視すべき小説なんで仕方がないって所でしょう。話題性十分の1冊。


【9月19日】 門前仲町へ。昨日のオープニングに出た村上隆さんの新作展の帰りに晩御飯を食べた店に傘を忘れていた事に気が付いて、回収に行ったついでにあまりの混雑で買えなかった展覧会のカタログ代わりの小冊子を「小山登美夫ギャラリー」まで貰いにいく。食糧ビルの2階にあるギャラリーは、夜とは違った昼間の日光に照らし出された「マイ・ロンサム・カーボーイ」が、前に青山スパイラルで見た時よりも吹き直された白身がかった肌ですっくと立ち、股間より黒みがかったテポドン(トマホークでもいーや)を屹立させ、赤みがかった先端より白い奔流を迸らせて来場する人々を出迎えてくれる。あの狭い入り口をどーやって入れたんでしょーね夜も眠れなくなっちゃう的カネヨンな驚きとは別に、入り口を向いて立ちまた勃った「マイ・ロンサム・カウボーイ」は、すべての来場者に衝撃を精神的にも物理的にも突きつける。その瞬間すべての男は敗北を悟り、お忍びで来日して我が日本が誇るトップアーティストの作品を見に来たかのホワイトハウスの主もきっと、「ガツン」とやられてスゴスゴと退散するであろー。

 とは大袈裟じゃなくって結構マジメな話だったりするんだけど、どうもそっちばっかに目が行きがちな今回の展覧会は、実は過去に類をみないくらいに凝縮され昇華された村上隆の作品が、もったいないくらいに展示された大盤振舞大放出出血大サービスな展覧会なのであるのだよ。例えば同じギャラリーに巨大な作品は、入念にならされ削り挙げられた平面のカンバスの上にこれまた大小に拡大縮小されたシールを貼ったように平面でかつ精緻なフォルムの顔つきコスモスがこぼれんばかりの笑顔で描き出されて見る者を夢想と驚喜と倒錯と超越の境地へと誘う。目を転じて反対側のアクリルで塗られたカンバスに描かれたコスモスは、パステルトーンの地と飛び回る花や意匠化された花の絵が、色が目にやさしいようでその実鬱陶しいくらいにどぎついとゆー、なんとも不可思議な印象を見る者に与えて止まない。

 こちらの部屋と、1階の角にある「Sagacho bis」に分けて飾られた「スプラッシュ」のシリーズは、同じよーに中間色に塗られた平べったい画布の上に、かの「マイ・ロンサム・カーボーイ」から放たれているものを2次元化すればかくあるのでは、と思わせる飛散する飛沫が描かれており、お芸術的には新しい抽象表現方法だと話題になること必定で、すでにアメリカなんかじゃ話題になっていて、近くヒューストン美術館で開幕する抽象画の展覧会に出品されるとか。もっともすでにアニメの世界を知るものにとって、金田伊功さんの表現方法を作品に取り込んだ村上隆が、またまたアニメーション的な表現方法をアートに採り入れたな、くらいの印象しか持ちえないため、来場するお芸術の人たちが目を輝かせあるいは眉を顰めて、この新しい表現方法に見入り解釈をしている様が実にフクザツに映る。アニメの表現がアートの世界で「権威」づけられるのって、嬉しいけれどでもなんだか悔しくもあるんだな。

 その点で「しかも手を挙げて」と題されるシリーズは、これまで取り組んで来た「DOB君」のシリーズに新しい地平を広げるシリーズとして、広く多方面から受け入れられる作品になるよーな気がする。アシスタントを動員して削りに削った銀色のカンバスの上に沸き上がるよーに、あるいは増殖するよーに展開される様々な「DOB君」の絵からは、いわゆる「オタク」的な世界への傾倒と耽溺から決別するよーな意識が感じられた。とゆーか前にあった「キャラクター」というアイコンを揶揄するよーな雰囲気が薄れ、こう言うのはど素人にしては僭越極まりないけれど、絵としてとっても完成しているよーな気がして、見ていて心がとってもホコホコできた。

 ところがどーもパンフレットによると、村上隆は「POP+OTAKU=PO+KU(ポック)」とゆー新しい言葉を作り出して、アニメやらコミックやらといったいわゆる「オタク」な表現を、これまで以上にアートの世界に採り入れ極めよーとしているらしー。そしてそれを世界に「PO+KU」のファインアートピースとして紹介していこーとしているらしー。「オタク」が愛してやまないアニメやらコミックが、そのままの形で欧米に出て作品として認められるのは嬉しいけれど、アニメやコミックの洗練された上澄み部分が「PO+KU」として紹介されてしまうことが、はたして「オタク」にとって本当に有り難いとこなのかどーかが解らない。リキテンシュタインがマンガをバカでかくすることにマンガの地位向上なんて考えていたとは思えない、それと同様にフォルムやらモチーフやらに興味をもってマンガやアニメの表現をつまみ食いしてくれるんなら非難のしよーもあるんだけど、根が純粋に「おたく」好きな村上さんだけに、どうにも評価が難しい。困ったなあ。

 ちなみにパンフレットで「PO+KU」の代表格として挙げられているのが同人誌ではCHOCOさんが夏コミに出した「チョコレート・ジオメントリ#0002」。説明がすごいぞ「作者のチョコさんは現在某プレステのゲームやエロゲー紹介雑誌”ピュアガール”の表紙等メジャーの仕事も多くこなす超人気同人系アーティスト」(強調筆者)だって。すごいよ「ピュアガール」。あと映画では庵野秀明さんの「ラヴ&ポップ」が筆頭で、どーしてこの作品がもっともっと国際的な映画祭へと持っていかれんだとムービーインダストリマネージメント能力の無さを嘆いていている。評価が低すぎる点への憤りでは同感。けどどーしてこの映画が「PO+KU」なんだろー。作った監督はとことんまで「オタク」だろーけど、それを根拠に言うのはたぶん間違いで、ゆえにもーちょい説明が欲しい気がするね。

 てーせーとおわび。「ゲーム・ラボ」10月号の108ページ欄外にある編集部の人のコメントでオタク関連情報の愛情のある新聞として挙げて戴いている「サンケイの日刊工業新聞」は多分おそらくきっと「サンケイの日本工業新聞」の誤りです。これもひとえに「日本工業新聞」の売れてなさに起因するもので、大きな駅のキオスクですら滅多な事では買うことが不可能だったり、地方では見掛けるのが大学と県立の図書館だけだったりする売れてなさ、にも関わらず広報宣伝活動なほとんどせず、大手町丸の内霞ヶ関界隈のみでの知名度(実はそれすらのアヤしかったりするんだけど)に安住している「日本工業新聞」の、不甲斐なさ所以と深く認識しここに世間様を勘違いさせてはばからないその甲斐性の無さを、ここに深くおわびもーしあげます。

 見たかい「仮面天使ロゼッタ」を。清水厚監督の相変わらずな凝りに凝ったカメラワークであの頓狂な「ロゼッタ」の世界がまるで「エコエコアザラク」になっていて仰天。デュアトスを倒す場面だけはいつもの間抜けな世界だったけど。下から見上げたロゼッタの白(っても吉井怜ちゃんじゃないんだけどね)といー、敵役としてファラオンの前に登場した加納竜の適役ぶり、そして2人の冴えに冴えたカメラワークで見せる日活オマージュな対決シーンといー実に見所の満載な回で、エンディング近くで見せたファラオンの絶体絶命なシーン、加えて予告で見せた次回の衝撃的な展開は「エコエコアザラク」をまんまパクったよーな展開を思わせはなんだかなあとゆー気にさせるど、それでもお話として面白くなればオッケーなので、次回以上もテンション落とさずに突き進んで欲しー。白もたっぷり出来れば怜ちゃんの方も(実にうまく隠してるんだよなー、戦闘シーンとか)。


【9月18日】 君ぞ知るや翻訳家への道。同僚から突然のメールで開けると最近話題になっているアメリカはクリキントン大統領のエッチ話について、実に面白い翻訳が出現したって内容で、ふんふんそれはと思って読むと何のことはない柳下毅一郎さんによる宇野コーイチロー的○○しちゃった風翻訳であった。聞くと何でも柳下さんの大学時代の先生に当たる人(工藤さん?)が翻訳の心得として「ただ訳すだけじゃーだめ、そこに翻訳家の考え方とかを入れなきゃね」(推定)ってなことを言って、その良い例として柳下さんの翻訳した「クリントン裸の大統領執務室あたし太いのくわえちゃったんです」が挙げられて、知り合いとかにメールで配信しちゃったんです、とか。巡りめぐって既に知ってる僕んとこにも流れ着いた訳だけど、かくもメジャー化の道を歩んでいる以上はやがて「夕刊フジ」とかで抜粋翻訳が載ったり、どっかの出版社から「橋本語」ならぬ「柳下語 裸の大統領執務室」が刊行されたりする可能性も少なからずあるんだろー。しかし600ページ、訳すのは大変だろーなー。半分は山形浩生さん訳にすればさらにバラエティーに富むかも。

 早起き。昨日に続いて朝の7時半には家を出て今度は八重洲ブックセンターへと向かう。例の京極夏彦さんは「塗仏の宴 宴の始末」の出版を記念するサイン会の整理券が当日配布されるとあって、きっと大勢の徹夜組すら出かねないほどの人気を見せるんだろーなーと思って早めに出たら案の定、午前の8時半の到着ですでに50人は楽に越える人たちが行列を作っていて最後尾について待っている間にもどんどんと行列は長くなり、いい加減なところでブックセンターとしても対応仕切れないだろーと、来た人を追い返す所業に出たみたい。まあ今の京極人気を知ってなお9時半とか10時の開店と同時とかに来て整理券が余っていると考えるのが大甘なんだけど、来た人にとては追い返された恨みは生涯骨髄に残るだろーから、ブックセンターとしても結構忸怩たる思いを抱いたんじゃなかろーか。

 並びながら大学をさぼって来た女性と東京に来て間がない主婦の会話を横で聞き、キャラ萌え系の人も少なくなく例えば関口巽がどうとか榎木津礼一郎がこうとかいった会話がそこかしこで上がっているのを聞いて、そーかこーいった層にそーか京極さんは人気なのかと理解する。1時間半を待ってよーやくにして整理券をゲット、まま外に出て八重洲の地下街にある「スターバックス・コーヒー」でパストラミサンドとコーヒーを貪りながら来週火曜日付けの新聞向けに「ニューリリース」の記事を書く。今回のお題はこの秋最大のSF映画との呼び声も高くない「大怪獣東京に現る」。トカゲとカメを先祖に持つであろー日本が誇る2大怪獣がはじめて見えるとゆー実に貴重な映画ながら、スクリーンにはそれら大怪獣は1度たりとも姿を見せないとゆー実に前代未聞の映画で、そのあたりの不思議さを折り込みながらテレビの向こうは架空の国的メンタリティーが未だ根強いこの国の、人間が持つエゴイスティックな面を描き出したってな内容の適当な感想を書いて出す。同時上映の「岸和田少年愚連隊 望郷」を出さずに「大怪獣」をピックアップする当たりがいかにもオタクな読者を狙った所業でしょ? これで新聞が売れるといーんだけどえ、もちろん「日刊工業新聞」じゃなく「日本工業新聞」が。

 戻って行列。なんでも渋滞に巻き込まれて到着が遅れているってなアナウンスがあって開始時間の遅れなんかを心配したけど、ほぼ間をおかずにスタートしたみたいで早めに並んでいた(それでも場所は地下だけど)ことが奏功して、15分くらいで自分の番が回って来た。「ぬりぼとけ 京極夏彦」とだけ描かれた本を受け取り、京極さんを取り囲んで写真パチパチな少女軍団をかきわけてフロアに出て、しばらくすると大森望さんも到着して今週の本格サイン会制覇なメダルをもらう、訳ゃないよね。正午からとゆークリエーターには深夜早朝に等しい時間帯だけあって、サラリマンな遅塚さんは別にして前2回は皆勤だった河内美加さんも福井健太さんも姿を見掛けなかった。福井さんはどーやら行列が大嫌いでサイン会には行っても列に並ぶことを楽しむとゆー僕的な半ギャグ行為とは相性が悪いみたいだから、ハンパじゃない時間を並ばされた今回は、来ていなくって正解だったかもしんない。ミステリーの人でない自分にゃーサインを戴く機会ってのはこれくらいしかないから、フラフラと遊んでる余裕がないんだよね。「サイン会ではサインをもらう」のを当たり前のよーに思わせられているのも、吹っ切れずにサイン会のハシゴをした理由なんだろーな。

 手袋で筆ペン持った京極さんからサインを戴き店内へ。「歌って踊れる」遅塚久美子さんがいたけれど、普段は帽子をかぶり時にサングラスをかけたカジュアルなスタイルでいる僕が、平日ってこともあって帽子はとって背広に革靴で近寄ったから、どこの誰だか解らなかったみたい、だな。店内をウロウロして川上弘美さんの「第1回パスカル短編文学新人賞」受賞作の「神様」を含む一種の連作短編集「神様」(中央公論社、1300円)を購入。冒頭の書き出しがやっぱ最高だわ、との思いで泣きながら読む。あと「銀行頭取はなぜ自殺したか」(読売新聞社、1600円)を購入。第一勧業銀行の宮崎邦次会長の自殺を主題にしてえぐり出す一連の金融不祥事を描いたノンフィクションだけど、個人的に面識のあった映画が好きで会合では映画の話しか聞いたことのなかった宮崎さんに関する文章を読むに連れ、あの人が何故的な思いにかられれやっぱり涙が出てくる。人民は弱し官吏は強しは今も、なお。


【9月17日】 「ファンタスティック4」(ゴームズじゃないぞ、いや同じだけど)とか「シルバーサーファー」ってのもあったげな、と意味不明の事をつぶやきつつ朝っぱらから東京ビッグサイトへGO!。アミューズメント機器の展示会こと「アミューズメントマシンショー」の開幕に先がけて開かれるテープカットを見物に行ったもので、久々に表舞台への登場となったセガ・エンタープライゼスの中山隼夫副会長を始め、ナムコの中村雅哉おっさんに警察通産建設と幅広い人脈を持つ衆議院議員の亀井静香さんとかが登壇して華々しくテープを切り倒していた。挨拶に立った中山さんは正面はともかく上からとか後ろから見ると結構何だけど、それはさておき最近のゲーセン業界は軒並み不況で大変なことになっていて、だからもっと知恵を出さなきゃってなことを喋ってた。

 じゃあ実際にセガが知恵を出していたかってゆーと、確かに「NAOMI」ってコードネームで開発していたドリームキャストとも連携できる業務用基盤を発表して、サードパーティーにも供給を始めて家庭とゲームセンターとをいっしょくたに繋げてしまおうって発想を打ち出して、業界に目新しさを出していた。前にソニー・コンピュータエンタテインメントがPDAを発表した時にも取りざたされた、家で育てたデータを持ってゲームセンターで遊ぶとかいった従来にない発想のゲームを作り出せる環境が整ったこと、それから業務用ゲームから家庭用ゲームへと移植を用意にしてセガが満を持して送り出す「ドリームキャスト」に対応したタイトルがじゃんじゃか出るだけの環境が出来たこと、といった意味はあり、やりようによってはいろいろ新しい試みも生まれてくるかもしれない。期待は持ってて悪くない。

 ただゲームの種類が向かしながらのスポーツとかシューティングとか格闘とか、いった既にありそのバリエーションといったものに過ぎず、人々のそれこそゲームをふだんやらない人たちをも惹きつけるだけのパワーを持ったゲームかっていうと、多分違うんじゃないかって気がしている。歩いていたシグマの真鍋勝紀社長をつかまえて印象を聞いたら、やっぱりビデオゲームはあっても20年来のバリエーションで人々が本当にやりたいゲームと企業が供給しているゲームとの間であまりマッチングがとれてないような気がするって、そんな危惧を抱いていることを話してくれた。オタクな僕ちゃんはバリエーションであっても楽しむことは容易(それこそメタ的にゲーム好きを演じるあるいはゲーム好きである自分を好きに思う)なんだけど、心底ゲームを好きな人か、家庭用ゲームで満足している薄い人かには不満か不安が残る状況、なのかもしれな飽和状態で踊り場な今の業務用ゲーム業界は。

 セガがやろーとしている「ビジュアルメモリ」との連携にしても、果たしてコアなユーザー以外でそこまでして業務用のゲームを楽しみたいって人がどれだけいるのか解らず、価値や市場性を判断できないでいる。助教授言うところの”ハレ”の場であるゲームセンターは、そこでユーザーに我を忘れてゲームに没入すさせ、1種の開放感を味わわせるのが役割のよーな気がして、つまりはそこで完結させることが大切なんだと思うけど、家庭での実績をゲームセンターに持ち込むって発想は、例えばゲームセンターにフラリはいってゲーム遊んでそこで頂点を極めて帰っていく、という従来の遊び方を根本から変えてしまう。家で鍛えて外で確認するコアな人たちが圧倒的に強さを発揮し、フラリ感では太刀打ちできないゲームが増えて来た時に、じゃあ自分も「ドリームかキャスト」を買ってビジュアルメモリにデータを作ろうと、果たして大勢の人が思ってくれるのか否か。逆にユーザーを狭い範囲に限定してしまう可能性も否定できず、どこか諸刃の剣的側面を持っているよーな気がして悩む。

 いっぽうで「ドリキャス」向けにもいっしょにゲームを作れてしまう環境の提供は、この基板でゲームを作るサードパーティーの開発コストを下げるという意味もあり、共通基板の普及によって基板自体の低価格化もはかれておまけに知らんどる間に「ドリキャス」へと移植できるタイトルが山となっているって状況も考えられるから、話は悪いことばかりではない。ただし「NAOMI」の「O」の字があの渦巻きマークになっているのを見るにつて、あからさまに「ドリキャス」とのシナジー効果を狙っているのがミエミエで、家庭用との違いが少なくなった業務用ゲーム機の、ジリ貧へとなりかかっている現状をうっすらと感じさせられてしまう。「スターウォーズ」のシューチングもオモシロそうだけどだからなんで今さら、とゆー気もしないでもなく(ファンにはたまらない部分もあるけどね。とくにイゥオークといっしょに闘う場面とか、デス・スター攻めとか)、バリエーション化へと陥っている状況の打開が、実は言ってる本人の会社にも求められているのだと、冒頭に替えってデアーがデンジャラスな人に(もっとデンジャラスな僕から)進言してやりたいんだけど(あの薬は効かない、って事ではない)、でも出てこないからね、滅多に、今は。

 「AMショー」ではとにかくタイトーのブースに全員GO! だ。リアルな模型のHゲージを操縦できる新型「電車でGO!」も”鉄”なソウルがグッドだったけど、それ以上にコンパニオンが(やっぱりなあ)最高。だってホットパンツってゆーかショートパンツってゆーか、それもピチピチのを履いてその格好で腰を曲げてプレイするシューティングゲームに集団で挑んでいるのだよ。もう後ろからピチピチでズッキンドッキンなヒップを舐め放題(レンズで、だぞ)なんだけど、バイヤーデイは客もカメラ小僧も少なく撮影にはとっても勇気が求められた。とりあえずこれで「AMショー」に関する仕事の9割は終わったも同然だ。パニオンではあとナムコ関係に結構なレーシング関係だったりカウボーイ関係だったりするグラマ様さま様がおられるので、行ったらやっぱりGO! ですね。ナムコでチャイニーズな女の子のフィギュアを見るって手もあるけれど。でもあれはいったい何だったんだろー?

 シグマで「パオパオシャワー」やって遊んだりナムコで顔撮り入れゲームの新作で徒党を組んだロボットを操縦して相手のロボット軍団を破壊していくゲームとか、ピストルでボディーの底を鬱とセンサーが関知してバネがはね上がり、上に乗っている缶だか樽だかが跳ね上がる「早撃ちガンマン缶転がしゲーム」(と勝手に呼ぶぞ)とかで遊ぶ。缶飛ばしはカウボーイな格好の美女に勝利してついでに声かけてお茶にでも……誘える訳はないわな。物販は言うほど店がなく商品も少ないからそれ目当てで並ぶのは結構キツいかも。むしろ例えばコナミの新型ゲームでダンスやってバンザイなゲームとかを遊びに行くとか、プライズの新製品をゲットしに行くとかっての方が楽しめるかもしんない。男の子は入場料も高いしね。向かいではアジアオートショーとかってチューニングの展示会を開いてるみたいなんで「頭文字D」な人は(ってそーゆ展示会かどーかは実は不明)「MAショー」でバーチャルやって「アジアオートショー」でリアルを楽しもー。

 バス乗って(タクシー代なんて出ないんだよ貧乏な社だから)八重洲口まで。ちょっくらブックセンターを偵察に行くと「塗仏の宴 宴の始末」が並んでいて、買おうと思って聞くとサイン会の整理券はやっぱり明朝18日の午前10時から配布の予定とか。今日買ってもレシートと実物を持って(当たり前だな)行けば整理券はくれるそーなので、とりあえず本だけはゲットしたけどさて朝の10時から配布するとしていったい何時くらいまでに並べば整理券はゲットできるのか。勝手な想像では9時くらいでも間に合いそうな気がするけれど、何せ相手は京極さんだ、中には絶対に朝の4時とか7時とかに並ぶ人がいるかもしれず、これは結構難儀なことだと逡巡してとりあえず明朝起きられたら行く、無理なら見物にだけ行くってことに心を決める。でも癪だしやっぱり並んでしまうんだろーなー。どっちにしたって入り口にいるあの全身を金色に染めた背中に薪を背負った御方には誰であっても勝てないんだけどね。


【9月16日】 三省堂書店2階「ピッコロ」での氏の提言に従いここに「今日のチャキさん」第1号をお届けすることに……氏って誰かってそりゃー決まってるじゃん河内実加さん記すところのマイティボーイのTシャツも鮮やかなゴルゴさんです。で早速のお届けとなった今日のチャキさんは16日発売の「SPA!」で何となんと何と写真入りで登場、「『このミス』でもおなじみ、ミステリー通の読書の達人」の煽りを背負って例の信州は毒入りウーロン茶事件について関係を取りざたされた高村薫さんの「レディ・ジョーカー」に関して「ミステリーに全然責任はない。あくまで読み手の問題だ!」を言ってミステリーを擁護されておられます。主旨には賛成、あの事件に関して「レディ・ジョーカー」の影響はなかったと僕は考えます。

 ただし個人の意見としてミステリーであれハウツー本であれそこに描かれている犯罪を描写あるいは解説した本は、常に模倣の可能性をはらんでいるという事を書き手なり送り手は「自覚」する必要はあるだろー。チャキさんがだから、ミステリーは良くマニュアル本は悪いと分け隔てする根拠がいまいち解らない。どちらであっても模倣されて犯罪が起こって例えば人が死ぬという可能性はある訳で、そこでたとえ責められても、「表現の自由」を作家も発行元も主張していくだけの根性を、持っていることの方が重要なんだと思う。耐えられなければ書くな、って事になるのかな。

 それと同時に、犯罪が起こった時に模倣した元を責める以上に、犯罪そのものを起こしてはいけないという”自明”(前ページでの鶴見済さん曰く)の事が、何故に理解されていなかったのかという点を問われる必要があるんだと思う。思うだけでだから「でもウチの子どもは本をマネした犯罪で死んだんだ」と面前と言われた時に、声高に「表現の自由」および「犯罪が悪との自明」を諄々と得だけの根性が自分に座っているとは思えず、だからそーいった表現を描くことに躊躇してしまうんだろー。だから書き手って凄い、と思う。ってことで第1回は了、2回目があるかは未定ですね。

 ますますイノケン日記的身辺雑記ときどき「エラい人に会った」「エラい人と言われた」話っぽくなっている巻末はさておき、今週の「SPA!」は「新世紀東京中心」が「カイボーイビバップ」話で特集の1つが「オレガン」じゃなかった「テーマ・私と『機動戦士ガンダム』」ってな具合にちょっぴりオタク度が高い号。うち「ガンダム」論の方で記事と読んで世代論やらキャラ論やらオタク論にコメンテーターとして登場している人たちのラインアップに、いわゆるアニメ雑誌とは違うテイストを感じる。安野モヨコさんが「キャラ論」とはアニメ雑誌じゃー無理だわな、ってゆーか担当した編集ならだわな。「SPA! オピニオン無差別級」の「第1回」とあるけれど「だけど不定期連載」で果たして次回は何時そして何? アニメやコミックばかりじゃキツいからハミダシたマンサラ向け雑誌の本領発揮とゆーことで、やっぱりお仕事関係への愚痴、じゃないオピニオンって事になるのかな。さてはて。

 バンダイからリリース。12月に新発売する「ハイパーヨーヨー」の新製品「ハイパードラゴン」を松下グループの寿工芸って会社と共同開発したって内容で、読むとプラスティック成形金型技術と商品の品質を管理・調整するバランシング技術の2つをバンダイは寿さんからもらったらしー。ビデオとかの回転駆動系の技術じゃなかったのね。さてどーしてこんな技術が必要だったかとゆーと、カギはこの「ハイパードラゴン」が分解して部品を組み替えて組み立て直す事が出来る世界でも珍しいヨーヨーだって点。高速回転することで安定して長時間空転し続けるヨーヨーでは、とにかくバランス調整が必要不可欠で、そのためには寸分の狂いもないボディを作り出さなくてはならず、ためにこれまでは技術を持った海外のメーカーから調整も済んだ完成品を輸入するしかなかった。

 けれども今度の「ハイパードラゴン」では1つひとつの部品の段階から完璧なまでの製品を作り出すことで分解・組立を可能にした。要がCD−ROMドライブとかってな高速回転する部品がついた周辺機器のプラスティック部分を成形・製造してきた寿工芸の技術で、同じく回転した時のバランスを考慮して製品を管理・調整できる技術も求められたってことになる。今やブームも下火の「ハイパーヨーヨー」の救世主となるかどーかは不明だけど、すべてをマスターしてしまったスピナーに「ミニ4駆」的な楽しみを付加する商品として発売する側の期待は決して小さくない。流行ったかどーだか未だ不明な「ジターリング」と違って実はハイテクのカタマリたる「ハイパーヨーヨー」の展開には、これからもまだまだいろんなメーカーとの共同開発がありそー。これで商品寿命の長くなれば、バンダイにとっては一石二鳥、なんだけどね。

 シグマから広報部発行のニューズレターが届き、掲載されている浜松の助教授へのインタビューを読む。「”いかがわしさ”にこそ、人は惹かれるのです」とのサブタイトルでゲーム業界が「パブリック」を目指して逆に面白さをスポイルしてしまう現状を嘆いている。と言ってる当人の写真が実は”いかがわしさ”のカタマリで、ってことはつまり”いかがわしい”自分は実はモテモテなんだとゆーことを、暗に示唆した内容なんだと無理矢理言って言えないことはない。そして助教授にも増して”いかがわしさ”を爆発させてる丁髷ノーネクタイの新聞記者こと小生は、さらに人々(特に女性)を惹きつけてやまない傑物なんだと、勝手に思いこんでいるんですがどーでしょーか。さても明日から”いかがわしさ”の祭典である「第36回アミューズメントマシンショー」が東京ビッグサイトで開幕、”いかがわしき”助教授もうろうろされる予定らしーし、もちろん僕も取材に行くので、有明は世界にも増して”いかがわしさ”に溢れた”ハレ”の場となることでしょー。


【9月15日】 祝日だけど朝ちゃんと起きて仕事。闇の方。吹けば飛ぶかもしれない髪型の江畑謙介さんが書いた軍事情勢分析の本とか、生半可な學者の柴田元幸さんが編纂・翻訳した爺さん婆さんを主人公にした短編集なんかの感想を書いてメールでアップする。柴田さん編訳の方は今朝までほとんど読んでおらず慌てて8つある短編の幾つかをつまみ食い、したけどどれも正解だったりする当たりが編者となった柴田さんのまさに慧眼ってところなんだろー。印象に残ったのがフロリダの先っぽにあるキー・ウエストの別称で起こった奇妙な事件を描いたアリソン・ルーリーの「プール・ピープル」。お話はちょっぴりホラーな展開でプールに入れなくなっちゃったりするけれど、誰かが側にいるととにかく喋りまくる老婦人に、裏返しの寂しさを見て自分の将来を重ね合わせて胸を痛める。

 課題3冊の残る1冊は当代きっての脚本家・三谷幸喜さんの「俺はその夜多くのことを学んだ」で、3年思い続けた彼女との初デートを終えて家に帰った夜、彼女へと電話をかけたくてしょうがなくなった俺が直面した逡巡と葛藤と慚愧と後悔を描いた何とも痛々しいドラマで、読んでこれもまた胸がジクジクと痛くなって来た。この夜に学んだ7つの恋愛の真理ってのが絶対に避け得ない事だとしたら(真理だからね)これは恋愛ってのは実にムズカしいものだと思うより他になく、だとしたら経験はしたくねーなーと言ってのけるあたしゃただの強がりです。唐仁原教久さんのイラストは葛藤する心理をよくとらえていてお話にピッタリ。「結局は、俺の一人相撲だった」って文章で踊る後ろ姿のお相撲さんの人形のイラストが、なんだかとってももの悲しい。

 神田神保町へ。いちおーはチェックしてみよーと三省堂に行くと昨日の午後には出ていなかった二階堂黎人さんの新刊「名探偵水乃紗杜瑠の大冒険」(実業之日本社、1800円)が並んでいたのでその場で購入してついでにサイン会の整理券をもらう。開演まであと2時間とゆー時点で61番とゆー若い番号に、果たしてどれくらいの人が並ぶんだろーと危惧を抱くけど、一昨日の綾辻行人さんのサイン会でも当日間際に結構な冊数が売れて結局200人以上が並んだって話だから、こちらも間際に捌けるんだろーと推察する。けど綾辻さんと違って二階堂さんに「二階堂さまぁぁぁぁ」と叫ぶ少女軍団が付いているとは聞いてないので、本番が始まるまではまだまだ安心はできない、って別に自分がサイン会する訳じゃないんだけど、少ない人数に並んでいるとほら、なんだかとってもイケナイことをしているよーな気分になるんですよね多分お互いに。幸いにして未だそーゆーサイン会には行き当たったことがないけれど、もしそーなったらこっちは10冊を差し出すから、そっちは1冊に5分をかけて絵とかを描いて、せめて1時間くらいは場をもたせるよーにしましょーね。

 間があるので新宿へ。さくらやホビー館で安売りフィギュアをチェックして、「神崎あかり制服バージョン」が確か2980円くらいだったかで出ているのを発見、けど下からのぞくだけに止めて買わずにすます。マーミットの綾波レイは1280円くらいだったっけ? 神が植毛のヤツで顔だちはあんまり似てなかったりするんだけど、それは良しとしてもプラグスーツなんで面白くないんで安いけどやっぱり買わずに済ます。地階では「F−ZEROX」の攻略本が(今頃)山と出ていて、グランプリモードのエキスパートモードに(今頃)チャレンジしている身とあって、どれを買おーか酷く迷ったけどビニ本になってて中身が確かめられず結局どれも買わずに出てしまう。新声社だったっけか、あと宝島社とかのが出てたけど、どれがいったいグッドなんだろー。せめて11月までには全モードクリアしてゴマシオも出して、ホッとしてから「ゼルダ」に挑みたいもんです。ちゃんと出るよなそっちは。

 戻って30分前から階段に並ぶ。まだ20人くらいしかいなかったけれど、その後ドンドンと人は増えて結局は100人はゆーに超える人たちがサインを求めて並んでたみたい。調べた訳じゃないから解らないけど。午後4時のスタートで待つこと15分くらいで番が回って来たのでサインをしている机の前へと赴くと、何故かこっち側にも椅子がそれも肘掛け付の豪華な椅子が用意されていて、サインを貰う間それに座っているとなんだか相手にサインをさせているよーな気分になって酷く恐縮してしまった。相手に前に立たれるのってサインしている人にとっては苦痛なのかな? それとも上から見おろされるのが嫌なのかな。極めて私的な肉体的事由から申せば上から見おろされるのは結構ツラいものがありますが、それと理由が同じとは畏れ多くて申し上げられません。とにかく画数の多い(たぶん今書けと言われても書けない)名前なんで1人ひとりの名前まではいれられず、1言「恵存」と書きそれから「二階堂黎人」と書いて握手してお別れする。本格推理サイン会週間の2、完了。

 終わってから書店内をウロウロ。マンガ本売場に行って安田ママからメールで教えてもらった米村考一郎さんて人の「ミッシング・ゲイト」(ノアール出版)を同時刊行の3刊まとめてゲットする。お勤め先で買わずにすんませんです。ホビージャパンの雑誌で連載されていたマンガらしく、根強いファンを持っている話らしーけど実はモケイ関係はチェック不十分でこれまでずっと知りませんでした。「コミックジャパンvol.1」にもチラリ掲載はされてたらしーけど、買いそびれてそれっきり廃刊となってしまったからなー。ともあれ復活を喜ぶ人は多いみたいで、つまりはそれだけファンがいるってことで中身への期待も沸いてくる。冒頭から何せ「この本を野田昌宏先生に捧げます」だもん、SFだったりスペオペだったりした人間なら(今もしてるけど)喜ばないはずは絶対にない。チラリ読んだ限りではムズカしそーだたけど、それだけ読み甲斐もあるってことで、秋の夜長を時間をかけて熟読玩味していこー。

 コミックでは「ヴァンデミエールの翼」の鬼頭莫宏さんの新刊「なるたる1」(講談社アフタヌーンKC、505円)を他に購入。全体に暗く悲しいトーンだった前作に比べると、のっけから元気な少女(ペッタンコがグッドグッド)が登場しては大活躍を演じる展開で、作風の広い人だなあとの感想を持つ。海底で出会った星の形をしたプヨプヨした生き物(竜、なのかな)の「ホシ丸」を連れ帰った彼女をめぐっていろいろ妖しい出来事が展開されていくみたいで、コミュニケーション不全な別の少女の登場とかが絡んで話は面白そーな様相を呈して来たところで1巻の終わりとなってしまい残念。第2巻はいつ頃出るんだろー? 扉のところでメロンアイス食べてるホシ丸がちょっと可愛い。メロンアイスしばらく食べてないなー。タマゴアイスも食べてないぞホームランアイスもそーいえば見なくなったなー。駄菓子屋のアイス事情って今、どーなっているんだろー?

 大森望さんや遅塚久美子さんや河内実加さんといった面々と1日おいて再び見え2階の喫茶店でお茶やらパフェやら。同じテーブルにいた、由香さんと呼ばれていたナイスバディな女性はたぶん喜国雅彦さん家の方だろー。別のテーブルで福井健太さんもいたけど長い髪の少女と話し込んでいて、こっちのテーブルであれは誰だと話題になる。午後の7時を前にショバ替えがあったので適当に辞去、電車に乗って船橋まで行き改装なった船橋西武の地下で「ジャックダニエルズ」とアメリカーンなチーズを買って帰る。グビグビやって酩酊した勢いでどこかに電話をかける気が起こらないのは、三谷さんの明示した真理に脅えているから、なのかも。かける相手なんでいないだろ? まあそれもあるね。


【9月14日】 少女たちは荒野を目指す、のかそれとも沃野へと赴くのか解らないけど、とにかくここではないどこか別の場所を思い浮かべるくらいに、現世はいろいろと大変なのだろうかと考えたのは藤原智美さんの「ミッシングガールズ」(集英社、2000円)を読んだから。「世界の根本にある、あのいじわるで奇妙なものたちよ」と繰り返し登場する言葉が意味するものが実は何であるのか、1読しただけでは理解できずただ単純に続出する少女たちの失踪騒ぎの背景にあると思われる少女たちを生きにくくしている差別なり、暴力なり、好奇なりといったジェンダーに根ざすいろいろな事柄だと、そんな読み飛ばしをしているけれど実はやっぱり解らない。

 少女とは対称的に登場する、多分主人公なんだろーななキャラのショーネンと皆に呼ばれる少年は、物語の中で妹を思って割と積極的な言動を見せるけど、終幕に物語は収束して行くプロセスで、荒野を目指す少女たちはあるいは自らの1部に過ぎず、別の部分は狭く閉じた部屋で逃避した心が見せた夢なのかもしれないと、とりあえずはそんな納得の仕方をしているけれど実は全くの勘違いかもしれない。エンディング近くで登場する少女たちの行軍に自己総括合戦が、意図してだろーと思うけど昔の連合赤軍におけるリンチを呼んだ壮絶な自己総括合戦にも似て、たぶん17歳くらいの多感な時期に連合赤軍事件にブチ当たった藤原さんの世代的な思いが埋め込まれているよーでちょっと震える。話題沸騰間違いなしの1冊、でもSFじゃない、んだよなあ、星さん的には絶対に。

 愛知県民にとってあの美談の誉れ高い「忠臣蔵」が一方的でかつ虚偽に満ちた話だということは周知の事実で、ってここで自分は愛知県民あるいは愛知県出身なのに「忠臣蔵」の大ファンだぜって人は、野田大元帥の言葉じゃないけど1度死ね。は大袈裟としても少しは郷土が生んだ名君に目を向けて、「忠臣蔵」が寝巻姿で安眠していたその名君が逆恨みも甚だしい完全武装のテロリストどもに真夜中たたき起こされナデ切りにされたって事に、少しはハラを立ててやって戴きたい。そうです「忠臣蔵」で悪辣で嫌味ったらしい殺害されて当然ってな描かれ方をしている吉良上野介義央は、実はじつは実は愛知県は三河湾に面した吉良町を領地に持っていた殿様で、おまけに地元では今も名君として地元の人たちに慕われ銅像まで立てられているのだよ。知らなかった?

 実は僕も小学生の時に郷土生まれの偉人たちの評伝を集めた本を読むまで知らなかった。子どもだから「忠臣蔵」の事もそれほど知っていた訳じゃないけれど、「松の廊下」の名場面を子どもながらに何かで見て、そこで描かれる少壮の英君・浅野内匠頭が耄碌爺の吉良上野介に小馬鹿にされた挙げ句に切りかかるエピソードい憤っていた、ように思う。それが「赤い馬」と題された地元の出版社が出した本を読み、赤い馬つまりは雑馬に野ってテコテコと領内を見て回り、領民と親しく話し言葉を良く聞き、今も残る「黄金堤」と呼ばれる堤防を築いて水害を防ぎ塩田を付くって製塩事業も興した傑物だったと知って、これはいったいどういう事なんだ、どっちが言ってることが正しいんだと、酷く混乱して子どもながらにあちゃこちゃ調べたよーに記憶している。っても家にあった日本全国の伝説を集めた冊子の特別版の赤穂浪士の巻を読んだだけなんだけどね。

 そこには物語は物語として別に塩田を巡る諍いなんかが描かれていて、吉良家と浅野家にはそれなりにいろいろな諍いがあったよーに書かれていた、と思うけど別の本だったかもしれない。ともあれ製塩を教えてちょ、と伝統で鳴る赤穂にお伺いをたてた吉良を鼻であしらったその恨みが、後に部下となった内匠頭を上野介が虐める結果となり、挙げ句に乱心そして切腹最後に乱入と至ったんじゃないかと、まあそんな構図が浮かび上がって来た。

 つまりは吉良には吉良の事情があり、浅野にも浅野の事情があって、それぞれの事情が不孝にもぶつかってしまったが故の、元禄を騒がず事件に至ったんだということで、問題はその後の言説がすべて浅野の事情もしくは大石蔵之介の事情にのみ偏ってしまった点。これを是正しようと思って書かれたのが、ケイエスエス出版から刊行された岳真也さんの「吉良の言い分 真説・元禄忠臣蔵」(上下、各1600円)とゆーことになる。買ったばかりで中身は判然としなけれども、常々懐疑を抱いていた僕には格好の本。面白くない訳がない。高輪と赤穂ではきっと悪書として焚書すらされかねない本だけど、せめて愛知県ではベストセラーへと送り込み、来年の大河ドラマでスタートする赤穂浪士物に、ちょっとでも良いから影響を行使してやってくれい。ああアイチショナリズム。

 タカラからリリースは多分TOMMY鈴木さんもご推奨間違いなしな「ジェニーフレンド」の新作「吉川ひなの」。前にイベントのファッションショーでジェニーとおそろいの格好をして登場してくれたひなのちゃんだったけど、当時はまだ製品としては発売する意志がかったものを、ファンの熱望によって晴れて商品化の運びになったとか。ピンクと黒の太い縞が横に入ったドレスはまさしくひなのデザインのロングドレス、だけどショーでは全体にピカピカした点が飛んでいたものが、製品ではカットされててゴージャスさにちょっと欠けるよーな気がする。あとハンドバッグにはひなのデザインの巫山戯た、じゃないキュートなウサギとカエルのキャラクターが描かれていて、もう上から下まで”ひなのづくし”の人形に、IZAM君ならずとも1つお買い求めてスカートをめくってやりたい気に、なりません? なりません!


【9月13日】 「仮面天使ロゼッタ」を見る。インターミッションっぽい展開だけどエンディング近くに元ライオン丸なファラオンの昔の因縁が、今に甦りそーなカットが挟み込んであって、これまで何度も主張して来た強力なライバルの登場が次回以降に期待できそーで、先々週まで間をサボっていたのをちょっとだけ後悔しつつ、来週からの展開に注目する。青虎っぽい敵キャラに扮する髭のダンディーの人って誰? 録画してなかったから解らないけど加納涼さんとかゆー名前だったよーな。当然だけど可能涼介さんではないぞ。あと次回予告ではキックを下から煽るなど”白”どんどんな展開みたいで、ファンでなくてもこれは絶対に見逃せない。もしも単なる撒き餌カットだったらテレ東よ、円谷よ、呪い殺すから覚悟しろー、の前に日本呪術大全買ってこなきゃー。

 「DTエイトロン」を見る。アモーロトへと向かう一行の前に現れた朽ち果てたドームの中で1人カプセルに入って病気を直せる未来が来るのを待つ少女、やがてコールドスリープから解放された彼女は何億ウーロンとも言われるとてつもない借金を押しつけられた挙げ句に逃げ出してフェイ・ヴァレンタインと名乗って宇宙を股にかける大盗賊となるのであった……。嘘です幾らサンライズでもキャラの友情出演はなく、残念ながら病気を直す手段はなく少女は永遠にカプセルの中で夢を見続けることになった。ありきたりだけど残酷だけど哀しいワサビのよーなエピソード。女の子の声が辿々(たどたど)しくってでも可愛かったけど誰だったんだろー? ヴァーチャルな空間でも「ムオーーーーーッ」としか言わないエイトロンはやっぱり妙だ。

 松尾由美さんの「瑠奈子のキッチン」(講談社、1800円)の感想アップ。フェミニズムとか主婦業の大変さとかをよく扱う作家さんだけに、今回もメッセージがたっぷりかと思ったら、小説自体はディスポーザーとゆー機械の普及が秘めた人間を怠惰にする陰謀に挑む主婦、ってな実に分かりやすいハードボイルド? な展開だった。もっともどーして一介の主婦である瑠奈子さんが狙われたのかって当たりの説明に、ゴミ捨てなんて肉体的な苦労と同様に、人間は精神的な苦労も生涯に於いてたくさん経験するけれど、それは生ゴミみたく決して簡単に捨て去ることはできないってこと、隠してもいつかはバレるし忘れてもいつかは思い出すってことを訴えて、だから「逃げちゃだめだ」と諭すメッセージがこめられているよーに感じた。感じ過ぎ? 前作「マックス・マウスと仲間たち」以来、陰謀づいてる松尾さんが、アニメにディスポーザーと来て次に世界をシンカンさせる陰謀の題材とするのは何だろー。「クズSF」? それとも「本格(のような)推理」?? どっちだったら世界をシンカンさせられだろー。

 朝1番の回で銀座の東宝で「スプリガン」を見る。実は原作マンガを読んでなかったりして、そっちのファンの人が例えば「攻殻機動隊」の押井版が原作の軽妙な雰囲気を根こそぎはしょっていてガッカリしたのと同じ印象を抱いたのかどーか、個人としては確かめよーがないのでとりあえずがピンの作品として考えるとアニメとして楽しめました、ってとこですか。大森望さんは主人公が高校生の17歳であるってな雰囲気が映画から感じられないと言っていて、確かに主人公にはもはや大人は30代と言われても不思議では無いくらい歴戦の勇姿然とした貫禄が備わり、絹ごし豆腐のように傷つきやすい繊細な少年って感じはスクリーンで動く主人公からは全く受けない。まあそれでも学園生活のシーンはあったから一応は高校生ってことで、さらに今日びの高校生は大人よりも大人然としてるってことで、言われてなるほどと思ったくらいで見ているうちはあんまり気にはならなかった。戻してない高野豆腐のように鈍感なんです僕の心は。

 感服したのは美術陣の徹底したこだわり様で、例えばトルコはイスタンブール(多分)の丘を俯瞰し遠望したその光景は絵はがきよりも美しく、またイスタンブールの町中を敵さんと追いかけ合いをするシーンでも、描き込まれたバザールの様子はまるで写真をそのまま絵にしたよーな印象を受けた。アララト山の円形しかり火が燃えたつよーな山肌しかり、いったいどこであんな光景を探して来たのか、ロケに行ったなら世界を飛び回った人たちの苦労が偲ばれるし、写真集とかフィルムとかから探し出したのなら制作スタッフの図書館書店を駆け回った苦労に深くふかく同情する。ペンタゴンの室内を歩く将軍の足下が床に映り込んでいたりするのもこだわりの1つか。とにかく全編にわたってこだわりまくった美術背景セットは「ソニック・アドベンチャー」以上、かもしんないと(って比べるなよゲームとアニメを)とりあえずは賛嘆の声を贈ろう。

 ただし見終わって1つ感じたのは、アニメとゆーよりむしろ原作から踏襲されたであろー設定への懐疑で、この地球を支配する遺跡の存在を知った悪い奴らが遺跡の作り手になりかわって「神」になろーと躍起になる、その気持ちは分からないでもないけれど、そもそも遺跡の作り手たちがこの狭い銀河系でも辺境にある星・地球の上だけで「神」として君臨していたのか、だとしたらなんて卑俗な「神」様なんだと思えてしまったのがちょっといけない。どうやら地球には同じよーに気候を左右できる装置がゴロゴロしているそーで、だとしたらそれを作った存在は果たして人間が考える「神」だったのか、それとももっと高次の存在でこのちっぽけな地球の上で何かを実験しよーと、あるいは遊んでみよーとしたのかどーか、そこまで敷衍したバックグラウンドを付けて欲しいよーな気がした。重ねて言うけど原作がどーなっているのかは知らないので、いずれそっちを読んでから断は下します。関係ないけどわずか数分で融けて津波となって都会に押し寄せる南極の氷って、何? あと遺跡崩壊への合い言葉はやっぱり「ファルス」にして欲しかったのは僕がハヤオの子どもだから、でしょー。

 綾辻行人さんのサイン会に渋谷のパルコブックセンターまで。開場に到着するとすでに行列が出来始めていて、とりあえず整理券番号順だったので先週にゲットして32番台を確保していた関係で、列も最前列に近い部分へと潜り込む。見渡すと女性が8割程度と圧倒的に多く、「日本SF大会」の出し物でも感じたよーに女性ファンが支える(もちろん男性ファンも多いけど)人気ってな印象を確とする。サイン会は通路の一角に机を置いて挙行する展開で、見ると机をぐるり取り囲むよーにファンの垣根が出来ていて、普通一般の流れ作業的に人を流していく紀伊国屋とか三省堂とかのサイン会とは、ちょっと雰囲気が違ってた。垣根の人達は綾辻さん登場のあとも別にサインをもらうでもなく、ぐるり取り囲んだままサインを続ける綾辻さんを目で、カメラで凝視してはニコニコと嬉しそーにしている。言っちゃー何だけど綾辻さんて歳相応に、じゃない。けどこの人気ってのは僕にもちょっとだけ、毛よりも細く紙よりも薄いけど、前向きになれる勇気を与えてくれる。何が、かはちょっと怖くてとっても言えませんが。

 いよいよサインをしてもらう番。サングラスに帽子で変装しても、整理券の裏に「マウンテンではどうも」と書いてあったから当然の如く初対面ではないと解って頂けて「お腹があのあと調子悪くって」と有り難いお言葉を頂けましたよ綾辻さんご本人から。1人ひとりにちょっとづつ声をかけるのは作家さんとしてとっても親切な行動で、だからこれだけのファンが付くんだろーってのも解る気がする。前に出た筒井康隆さんのサイン会で、たとえ知人でもそーでなくても「おお」とか「やあ」とか「ああ」とか言ってニコニコしてた筒井さんを思い出し、人気作家には訳があると実感させられた次第。僕だったらサインの時に手を握ってデコ摺りまでして差し上げるけど、どなたか欲しい人はいませんかー。

 表に出て大森さんや巨大だけどスリムな貫井徳郎さんや歌って踊れる年齢不詳の美人編集者は「顰蹙猿楽町日記」アーンド「顰蹙猿楽町日記掲示板っす。」の遅塚久美子さん、「綾辻さーん」を見に来たとゆーマンガ描きの河内実加さん、ミステリの若い人な福井健太さんあたりと顔会わせ。他にこないだのロフト・プラスワンで新人賞なんていらねーや、ってな演目で講義を行った(13日付の朝日新聞に記事掲載)津原泰水さんに室井佑月さんが揃って立ってて、そーいえばどっちも「SPA!」の2押しでレビューしたのは自分だったと、思い何かワルクチ書いてなかったかと記憶の襞を探る。しかしどーして2人揃ってるんだろー? サイン会は1時間経っても終わりそーもなく、作家でも編集者でもない素人はとりあえず退散して帰途に就く。ブックセンターで買った藤原智美さんの「ミッシングガールズ」(集英社、2000円)を地下鉄で読んで面白くってハマる。仕事の本も山とあるのに大丈夫か?


【9月12日】 山田正紀さんの「長靴をはいた犬」(講談社ノベルズ、780円)を読み終える。えっ、あの佐伯検事がっ、ってな展開は驚きだったけど、物語の方は全作「神曲法廷」に比べると全体に読みやすくまた理由も分かりやすく、逆転につぐ逆転の展開もあって最後まで一気に読み通す事が出来た。取調官と犯人という関係がある時くらいしか他人との関わりをうまく保てない刑事とか、たとえ隣りにいる人間でも架空の存在を介在してしか会話できない(しない)老ホームレスとか、んなコミュニケーションについてありゃこりゃ考えさせられる登場人物たちに他人ととくにリアルな世界における関係をどう作りどう発展させて良いのか、今一つ距離感がつかめないでいる(だから休日に1人で家で本なんか読んたりする)自分を重ね合わせて悶々とする。帯にある「神」の存在はそれほど気にせず読める良質の本格。復活なった佐伯が次に見せる活躍にも期待が膨らむ。

 いったい何歳くらいまでの人が長嶋茂雄を「スタア」だと認めているのか実は昔から疑問に思っていて、たとえば自分の場合で言えば本格的にテレビで野球を見始めた年に「中日ドラゴンズ」が優勝し、それに冷や水をかけるかの如く長嶋が引退を発表、んでもって翌年に監督に就任したは良いものの、最下位となって巨人軍とかゆー栄光の看板に泥を塗った大戦犯って印象くらいしかない。むしろベーブ・ルースの記録を抜きハンク・アーロンの記録を抜いて未だ破られぬ数少ない世界記録(ってのも言うだけ虚しいけどね、日本の球場事情じゃ)を打ち立てた王貞治の方が、野球界における「スタア」として記憶にしっかり擦り込まれている。

 なのに新聞と来たら未だ長嶋を、”巨人大鵬卵焼き”と言われて「明星」なり「少年マガジン」の表紙になってた時代と同じよーに「スタア」として扱い、その挙動のすべてを1面からバンバンと報じて止まない。なるほど35歳あたりから上の世代には、長嶋の名前は強いインパクトをもって伝わるかもしれないけれど、昔ほどには娯楽の少なくない今、人気はあっても1スポーツに過ぎない野球のチームを率いる惚けたオヤジでしかない長嶋が、下の世代にどれだけの有難みをもって受けれられているんだろー。かのマグワイヤが大リーグ記録を打ち立てた翌日の紙面が、こぞって長嶋の去就を伝えていた現実を目の当たりにすると、よほど新聞を作っている中心になっている人たちは、長嶋の威光に心酔しているか、あるいは長嶋の名前がまだまだ世間的に通用すると思っているに違いない。

 まあいいそれならそれで特定の世代に新聞を向けて作っているのだと言えば済むことかもしれないけれど、最近の長嶋辞任報道のドタバタぶりには、不景気の中で売れなくなっている新聞をどうにか売りたい、そのためには話題が欲しいってな会社側の事情が、どうしても透けて見えて穏やかじゃない。挙げ句にスポーツ紙のみならず一般紙までもが「辞任確実」と報道し、「今日にも辞任発表」とかって報道して結果すべてが大ハズレ。書いた以上はそれなりに確かなツルは掴んでいたんだと思うけど、結果がすべての世界においてこれらは完全に「誤報」であり、さていったいこれからどう言い訳をするのかを、我が身に還る問題ではあるもののとりあえずは脇において、観察していきたい。ネタが途切れた新聞が、次に話題作りとして狙うのは当然のごとく和歌山の事件だろーから、とりあえずは長嶋問題で1面出しとかのプレッシャーから外れていた記者たちへの要求が、グッと厳しくなるかもね。

 糸井重里さんの出演する「未来潮流」を見る。「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めた糸井さんの話を中心にインターネットの素晴らしさ、なんてものを伝える内容に正直言って目新しさはない。遠隔地の人たちが1度も会わずにネット上の会話だけで理想のジーンヅを作り上げちゃったジーンズ工場の話にしても、遠くの人とさほどタイムラグをおかず、思った言葉をダイレクトに伝えられるメールという、手で書く手紙とは違った感覚を味わえるコミュニケーション手段も、インターネットが話題になり始めた95年以降に散々っぱら語り尽くされて来たことだと思う。それがちょっと前に始めたばかりの糸井さんのホームページが3カ月で100万ものアクセスを成し遂げ、NHK教育テレビで紹介され、それに本人が出演してインターネットの素晴らしさを得々と語ってしまうってのは、ひとえに糸井重里というネームにバリューがあるから、なんだと思う。

 テレビを見ていて思ったのは、ネットの素晴らしさを語る糸井さんに果たしてそういった自覚があったのか、どうなのかって事。自覚があるならそれなりに、インターネットというメディアにプロの自分が無償で文章を出しているんだ凄いだろう、んでもって自分のページから新しい書き手がどんどん出ているんだ偉いだろう、くらいの事を言ってもらえれば納得はしないけど理解は出来る。けど、すでに自分は終わった人間、的な言葉をもらし新しく見つけた自由に書けるネットというメディアでフリーダム、プロもアマも等価な存在としてその筆1本で勝負しているんだよハッピー、的な事を言われてしまうと、そりゃ違うだろってな言葉の1つも出てくる。あなたは特別な人なんですよ、だから取材も来るし読者も来るんですよ。

 いみじくも糸井さんのページに文章を出している男性が、インターネットはプロモアマも混在する平等な世界なんだ、的コメントをしていてだったらその文章を糸井さんのページの上じゃない、まっさらの状態でネットの上にポツンと出したらどうなんだい、とイジワルな気持ちも浮かんで来たけれど、かく言う自分だってすでにあるメディアの名前をタイトルに半分使っているとゆー時点で、すでに1つの権威ちょっとだけ抜け出たバリューを持っているのかもしれず、すでにある権威を利用しなければ、大海の底深くわき出る泡の如き市井のホームページは浮かび上がっては来ないだろうと、そんな事をネグポン先生とか電通の新聞局の人とかに言われた事を思い出し、こうなったらいっそ糸井さんに刷り寄って、3月で100万なページにどうやって自分を売り込むかと、んな事を思案してしまう自分が最近とっても嫌です。ああフリーダム。

 グランパスは勝ったみたいで善哉。1日のほとんどを寝て過ごしてなんとか体調も快復したので明日は街に出ようとりあえずは「スプリガン」でも見ようかな。午後は渋谷で開かれる綾辻行人さんのサイン会で「アヤツジサマー」ってな女性たちの歓声を見物に行くつもりですが、自分でもしっかりサインしてもらうので女性陣に交じって並んでいる胡乱な中年がいたらそれが自分ですんでくれぐれも「甘口抹茶小倉スパ」など投げないよーに。それは綾辻さんにあげて下さい。


【9月11日】 HIROPON FACTORYから村上隆さんの個展の案内。来る9月18日から江東区佐賀町の小山登美夫ギャラリーでその名も「BACK BEAT −SUPER FLLAT−」ってタイトルの展覧会が10月17日までの日程で開かれる予定で、あの恐るべき等身大フィギュアにして現代のダビデと僕だけが勝手に呼んでる「マイロンサムカーボーイ」がその屹立する抜き身の自身とともに再び公衆の面前へと姿を現す。あの狭いギャラリーのどこに飛び散る白い青春を収めるのか、それより依然にどーやってあの狭い入り口からフィギュアを入れるのかが謎だけど、短かったスパイラルでの展覧会で見逃した人は、是が非でも永代橋を越えて食糧ビルの2階にあるギャラリーに行くべし。そのあまりの立派さに、男はきっと自信をなくし、女は切り取って帰りたくなる、ぞ。ミニチュアのレプリカとかガレキとか、出さないかな。海外で作られてもきっと輸入は無理だろーから是非とも日本のメーカーさん、お願いしますわ。

 そして何となんと何と今回の展覧会は、野球のパリーグではおなじみだけど芸術界では珍しいダブルヘッダーでの開催になる。同じ食糧ビルの1階にある「Sagacho bis」って所でこっちはおなじみ「DOB君」の新作ペインティングを展示する予定とかで、届いた絵はがきには目玉もくっきりな紅天狗茸っぽいキノコにおっすする「DOB君」が描かれて、そのシャープな線とキッチュなモチーフが画面に一種異様な雰囲気を作り出していて、絵画でもなくマンガでもない、不思議な作品に仕上がっている、って言ったら大袈裟か。これまでの全体に平面っぽかった「DOB君」に奥行きが出てますますキャラクターとして立って来た感じがして、ここから先果たしてどーゆー方向に行くのか、そんな未来を見出してみるのも面白いかもしれない。次回作とかってな変形ジェット機美少女フィギュアへの構想とかってのは発表してくれるのかな。Tシャツとか売ってたら買おう。時計は残ってたら即ゲットをお勧めするね。

 「格好良いとはこういうことだ」と思ったのはシグマから届いた新型メダルゲーム機のリリースを読んだから。いや別にコナミの「ビートマニア」みたくDJなんてエッジなトレンドを取り込んでいる訳じゃないし、今度コナミから出るダンスを踊ってリズムをとる業務用ゲーム機とはおそらく、まるっきり正反対に位置する思想のもとで設計されたんじゃないかと思う。それがどーして「格好良い」かってゆーと、こーしたお兄ちゃん向けのゲーム機とは対称的に、徹底的に子どものユーザーに媚びているから、なんだろーねもー気持ち良いくらいに。時代におもねってフラフラと流行ばかりを採り入れて挙げ句時代とのズレが陳腐に思えて来るゲームじゃなく、普遍を具現化させて時代を超えて愛されるゲームを作る方が、よほど大変のよーに思うけど、シグマの新型機はたぶんそれをやっている。だから「格好良い」と思ったんだろー。

 なーんてね。大袈裟に書いているけど「格好良い」と思った事だけは事実。まずは名前が「パオパオシャワー」といきなりのツボで心にズドーン! そしてフォルムはその名前に恥じず偽らずド真ん中にでっかい象の人形(どーぶつで人形とはこれいかに)が付いていて、メダルを投入した時に回るルーレットが動物の場所でピタリと止まると、その鼻からお約束もピッタリにメダルをフィールド上にまき散らしてくれるらしー。ルーレットだドンと象に止まればメダルの量は何倍増しかになるし、順繰りに動物を潰していって最後の象をゲットすれば、鼻からわき出るメダルはまるで泉のよーにフィールド上にこぼれ落ち、そこをプッシャーが押して玉突で下へと落ちたメダルが、取り出し口にワンサと溜まる寸法だ。どうだいツボ、衝いてるだろ?

 子供向けってところはその高さにも現れていて、大人が集まる場所には下に20センチくらいの専用台座をかませることになるらしー。かつて「けろりんピック」とゆーやっぱりその名は体を現すを地でいった帰るがピョコピョコ動くゲーム機で、ポップな躍動感いっぱいの音楽を作った会社だけに、この「パオパオシャワー」で流れる音楽にも期待してきっといーんでしょー。リリースによるとちゃんと子供向けと大人向けの音楽があって場所によって切り替えが可能とかで、きっと大人向けには淫靡に悶える雌象のあえぎ声なんかが、スピーカーから流れる事になるんだろー。とりあえずは17日から始まる「アミューズメントマシンショー」に出展されるみたいだから、先に発売になった「ぶちまけ権造」に負けるとも劣らない、一緒に出展しているコナミとかセガとかナムコとかとは一線を画した、気取りのカケラもないベタな「格好良さ」に触れて来よー。

 何故かポオを買う。安田ママがレジを打ってた本屋にいきなり春秋社の創業80周年を記念した「ポオ小説全集」の復刊が並んでいて、1冊が1900円とゆー価格にもまけて4巻をまとめて買ってしまう。今時ポオ? と笑いたければ笑うがいーさ、けど子どもの頃に「黄金虫」とか「モルグ街の殺人」とか読んでそのまま読んだことにしている人って、案外存外多いと思うんだけどどーだろー。まあ人はともかく自分としては、この際あらためてポオに触れて「探偵小説とはこういうものさ」な気分に浸ってみるのも悪くない。探偵小説な人たちが最近結構ありゃりゃこりゃりゃになっている状況を眺めるのに、少しは役にたつかもしれないし。けどやっぱり個人的にはどーであれ何であれ山と本が出てくる状況ってのは決して悪いことじゃないと思うんだけどね。とか言った先から江戸川乱歩賞をとった福井晴敏さんの「トゥエルブ Y.O」(講談社、1500円)を読みかけて最初の2行でページを閉じる。気を取り直して最後の1行をのぞき見てやっぱりページを閉じ直す。どーも今の心理状態とちょっと食べあわせが悪そーな文体みたいなんで、しばらく寝かせてから読むことにしよー。熱烈な推薦を求む。ただし大沢以外。


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