縮刷版97年10月下旬号


【10月31日】 朝から「VIRUS」見る。何か妙な回だと思ったら、ってのは別でやられてしまっているから無しにして、でも確かに妙な回、なにしろキャラクターの雰囲気がこれまでと全然違ってグッっと好みになっている。性格もなんかこれまで描かれていた暗さとゆーかハードさとゆーか重厚さとゆーか熱さって部分が微妙に減殺、あるいはズラされていて、どこかほんわかとした明るさを感じてしまった。絵コンテの中沢一登さんて人は、アニメ版「VIRUS」で1番(唯一)素晴らしいと思ったアイキャッチとエンディングのイラストを描いた人ですよね、確か。なるほどだから絵柄が好みっぽく仕上がっていたのか。エグレ頬が特徴だったキャラのエグレ頬を描かないために、正面と横顔を多用したのかな。来週は元にもどって戦闘シーンもたっぷりあるみたい。頬もしっかりエグレてるぞ。目も大きくなってんあー。

 ゲラのチェックに時間をとられて慌てて飛び出したため、取り返しのつかないことをしてしまったbyアムロな失敗をしてしまう。そうなのです春から始まった新番組の中でずっと録画を続けて来た数少ない作品のうちの1本、「大運動会」の録画予約をするのを忘れてしまったのだった。夕方になって新橋をあるいていて思いだし、大声で叫んで周囲の人から白い眼で見られてしまうくらいの大ショック。ああ、あかりちゃんはどんなドテを見せてくれたんだー。気になる気になる気になる。これで春の新番組で録画を続けているのは何故か「VIRUS」1本になってしまった。こうなりゃヤケだ、つき合ってやるぜ最後まで。打ち切られなければね。

 本屋に寄って既刊本を買い込む。まずは先日お目にかかってその紅顔ぶりに頬を赤らめてしまった破李拳竜さんの「怪獣バカ1代 ゴジラ役者への道」(洋泉社)。昔見た時はなんだか表紙の破李拳さんのぷっくりした顔にちょっと引いてしまったけど、実物にお目にかかった時に感じたその熱さに打たれ、いったいどんな人生を送って来たのか知りたくて買ってしまった。中身は予想に違わずもう怒涛のごとく押し寄せる熱気に、読む手が火傷するんじゃないかと思えて来た。漫画家になって漫画家が終わってビデオは売れずにゴジラにはいってと、その波瀾万丈な青春にまず感動、けれども決してあきらめることなく日和ることなく、怪獣一直線に進んだその人生にとにかく感動してしまう。

 それから破李拳さんといっしょにアミューズメントメディア総合学院で講師を務めている聖咲奇さんの「電子頭脳映画史」(アスペクト)を購入。冒頭の献辞で娘さんの名前が本当に「らな」だったことを確認し、それから中身に入って昭和53年のスターウォーズ大騒動の時に買ってもらったバンダイの特撮関係のムックを思い出してじーんとしてしまった。あのころは夢があったなあ、それにつけても今のこの落ちぶれよーは・・・ってのもありだけど、それとは別に取りあげられているロボットたちがムックとホント共通している部分が多くって、あのムックの編纂に携わったんだとゆー聖さんの言葉が、正真正銘のものだったとゆーことがありありとうかがわれて懐かしくなった。

 いずれ劣らず熱く濃い人たちを講師に招いたアミューズメントメディア総合学院。これはもしかしてもしかするとと思わないでもないけれど、今の生徒に彼らほどの熱さが備わっているのかとゆーと、いささか懐疑的にならざるを得ない。それは決して実力とか情熱とかが伴っているいないではなく、これだけ情報が発達してしまった今、彼らと同じ情熱を持つだけの土台となる情報を収集するには、並々ならぬ苦労と他からの批判を想定する必要があり、苦労や批判が重ねれば重ねるほど、「なんでも見てやれ」「なんでも集めてやれ」ってな情熱が、わいてこなくなるんじゃないかって気がしてならない。先達があまりに偉大すぎるってのもあるのかな。ただ、入学して少なくとも先達たちの情熱に触れる機会を得たんだから、学院の生徒さんたちにはくれぐれも心に火を灯して、いつか爆発させる日を夢みて欲しい。僕の心にもちょっとだけ炎が灯ったから、あとはなんとかして燃やし続けねば。消えそうになったらまた火をもらいに参ります。

 スティーブン・グールドの「ジャンプ」読了。うーん、山岸真さんはもう冒険活劇としてホメまくっているんだけど、どうも言うほどの壮快感が得られない。それはなんといっても主人公の母親がテロリストに惨殺されてしまうって光景で、これが引き金になってハイジャック犯の撲滅に乗り出して政府からはおたずね物になり、でも結局はハッピーエンドなるってあたりに、どこか割り切ったドライさを感ぜずにはおかれない。虐待が土台となって能力に気づくって辺りは、以前指摘した「いつもの空を飛びまわり」と似ているし、家を飛び出してしまうってのは現代のロードノベルの常套手段。つまり「テレポート」が主題のSFってよりは、「テレポート」を狂言回しの道具くらいに割り切って使った、現代の米国の苦い部分を織りまぜた現代文学って気がしてならない。どっちなんだろーか。

 夜だ大騒ぎだ3時まで宴会で愚痴りあう。スキとキライを口々に出し合うその様は、端から見れば実に健全な「酒場で上司の悪口」のパターンなのだが、遡上に登る人たちがおよそ一般人ではなく、黒幕だったり白幕だったりネズミを取る幕がいい幕だったりと、なんか普通じゃない人が多かった。もっとも端から見ればヒゲの禿とかヒゲでポケモンとかカラテとか政治部長とか、風体にしてからが普通じゃなく、周囲はこいつらいったいなんの集団なんだろーと絶対に思ったに違いない。それにしてもそんなに某社の原稿が安かったとは。いや給料が安いのはとってもよく知ってはいたけれど、これじゃー給料に文句を言うのが悪いよーな気になって来た。待って下さい、僕が社長になったら絶対に原稿料を上げてみせますから。そう、たったの20年くらいですから。


【10月30日】 「ウテナ」見る。憧れなんてものじゃーない、あからさまな近親相姦の物語を、平日のゴールデン1歩手前の時間帯に放映してもいーものかと、だんだん心配になってくるけれど、残念というか幸いとゆーか、未だPTAあたりがテレビ東京に抗議の電話をガン鳴らしたとゆー話は聞かないところを見ると、やっぱそれほど見られていないんだろーなー、この番組は。もしもこれが火曜日の「モスキートン」の時間帯にハマっていたら、次の「ポケモン」と並びになって注目も今より5ポイントは高まって、んでもってエンディングにチラチラ登場する素っ裸アンシーに脳天キレたお母さま方が出ただろーから、ともかくも時間帯の幸福に今はただただ感謝するより他にない。えっ、「ビーストウォーズ」と並びで見ている子供たちだって大勢いるだろうって? どこに?? どーして???

 ついにアスペクト(=アスキー)からも登場した「エヴァ」本。最終版公開から3月半もたってなお新刊が出続ける影響力は、某産業新聞がシタリ顔で評論本がで続けていると書いた「もののけ姫」の何倍も、出版メディアに対して大きなものがあると思う。でもまあ「もののけ姫」を取りあげた方が、話題性でも上へのウケでもいーからね。産業新聞だって取りあげるんだろーね。戻ってアスペクトの新刊「疾走するエヴァンゲリオン」(1400円)は、鶴岡法斎さんが唐沢俊一さんや伊藤剛さん、永瀬唯さん、睦月影郎さん、原えりすんさん他もろもろの人たちにインタビューしたものをまとめた内容。画期的ではないけれど、まあまあ無難なまとめ方をしてある。

 インタビューされたメンバーに、心から「エヴァ」をホメてホメまくった人がおらず、だったらあの映画館に集まった10万とか20万とかって人たちは何だったんだよって、反論の1つもしたくなるけれど、そんな自分が実は「語る」ことではなく、女の子の裸と格闘するロボットや男女(格闘か?)を楽しみに見にいったところがあって、言葉による反論なんてできっこないと解っているから、喉にトゲがささったよーな、鼻に水たつまったよーな、宙ぶらりんで放ったらかしにされた感じがして、読んでいて酷く気分が滅入って来る。非難するにも誉めるにも、やっぱ「語る」ことでしか「語れ」ないのか「エヴァ」は。頭悪くて下半身派な僕には、こーゆー本はまとめられそーもない。

 ついでにSF買う。その名も「ジャンパー」は火浦功さんの「高飛びレイク」シリーズの最新刊でまだ子供だったころのレイクがテレポートを覚えてから大泥棒になるまでを描いた青春編・・・・じゃなーい、あの火浦さんが小説を書くわけないじゃないか。作者はスティーヴン・グールドとゆー弱い40数歳の新進作家で、ストーリーも「レイク」のよーな冒険活劇スペースオペラとゆーよりは、SFチックな「ロードノベル」と言えるんじゃないだろーか。親の虐待をきっかけにジャンパー=テレポート能力者って気づいた少年が、家を飛び出して全米中をジャンプして飛び回りながら、泥棒やったり恋をしたりするって物語は、あるいはSF版「いつもの空を飛びまわり」とも言えるだろー。アメリカの病理をSFとゆー陽気な殻に包んで見せているのかな。日本じゃーこーゆーのやると重くなるけど、「ジャンパー」は読んだ1巻の途中まででは、少なくとも底抜けに陽気に明るい。さてエンディングは暗いか哀しいかおかしいか。今週いっぱいは楽しめそー。

 仕事をたくさん、よりどりみどり。ヤマト運輸のリリースを処理して山九のリリースを処理して航空3社の決算を処理して日米港湾荷役問題の最終決着の発表を処理してと、聞けば相当に仕事をやってそーな気になるけれど、その実部屋からはほとんど出ず、日がなパソコンに向かってキーボードを叩き続けるそのスタイルは、アームチェアデテクティブなんて格好良いものじゃない、怠惰な情報オペレーターのそれに近い。すでに下半身は退化の兆しが腹に見え、能も日々シワの数が1本、また1本と減り続けている自覚もあって、週末あたりは頭をしゃっきりさせるべく、ムツカシイ本でも読むかウツクシイ絵でも見るかと考える。ウツクシイ女性を舐めるってオプションはなしね。理由は哀しいから言わない。

 「はれときどきぶた」を見る。キレてる。トんでる。30分の番組に1分のスキもなく詰め込まれたギャグのオンパレードに、ビデオであっても一瞬たりとも目が離せず、早送りのボタンすら押すことができない。ケチャップたっぷりのオムライスにお茶をかけて食べるなんて軽蔑されたって当然じゃんって思うけど、それを言ってあらゆる生命体を恐怖のドン底にたたき込むお父さんの怒った顔を見せられるのも嫌だから、とりあえず人の数だけ好物はあるとゆー、古来から伝わる格言を持ち出して頭を納得させる。なんかオムライスが食べたくなってきた。「たいめいけん」か「煉瓦亭」でも行くか。金はないけど。


【10月29日】 表不夜城な「新宿鮫6」の「氷舞」を読み終える。愛し愛され騙し騙されな憎み憎まれな人間関係が、入り組んで重なり解きほぐれて壊れていくストーリーが、もう圧倒的に面白い。がしかし、事がますます警察キャリアたちの暗闘というか暗部へと及ぶよーになって来て、さらに日本と米国とロシアとのスパイ戦争まで絡んできて、ほとんど「リヴィエラを撃て」な世界へと突入してしまって、たとえキャリアでも、一介の刑事に過ぎない鮫島を主人公にしたお話をつくるのは、ちょっと無理があるんじゃないかって、そんな気持ちになって来た。

 今回だって鮫島は、日本を影で動かす巨大な組織と1人で渡り合ってしまうほど。犬神明とか竜堂4兄弟だったら、首相であろーがCIAでろーが片手でちょちょいと叩き潰してしまうんだけど、名前は鮫でも根っこは人間な鮫島じゃー、ちょっと荷が重いよーな気がしないでもない。さて次作はどーなるのか。もしかして話が神話のレベルへとかけあがり、神と悪魔の代理戦争としての鮫島と公安トップとの闘いが描かれたりして。「新宿鮫天使」とか「創新宿鮫伝」とかってタイトルで、ね。

 しりあがり寿さんの「真夜中の弥次さん喜多さん」(マガジンハウス)第2巻が登場。最終ページがいきなり「完」となっいて、連載していた雑誌が潰れちゃったところを、頑張って「岡部の宿」までたどり着いたのはいいけれど、極めて異彩な漫画だけにどこにも引き取り手がなく、結局加筆して完結にせざるを得なかったってところなんだろーか。正直言って京都まで、せめて地元愛知の熱田あたりまでは進んで欲しかったんだけど、これだけのキレた漫画を延々53次全部やられると、こっちの頭までが「リアル」と「妄想」の垣根がなくなって、脳味噌がドロドロと溶け出しててしまうから、「岡部」あたりでまあ潮時だったのかもしれない。

 いきなり「ロンギヌスの槍」ならぬ「エクスカリバー」を手に入れたキタさんが、ドラッグで朦朧としながらヤジさんを刺し殺してしまうストーリーに、なんで「エクスカリバー」なんだと突っ込む余裕もなく、慄然とさせられ引き込まれ、後は死後の世界をさまよいながら復活への道を探すヤジさんと、ヤジさんを殺してしまったことを悔やんで夢の世界へと遊ぶキタさんの物語に次第しだいに取り込まれ、気がつくと「リアル」と「妄想」、「生」と「死」が混然とした、混沌とした世界を自分がさまよっているような感覚に襲われる。

 エンディング、なんで「タンゴ」なんだとやっぱり突っ込めないまま、タンゴを踊りながらあっちからこっちへと向かっていくヤジさんとキタさんの姿に、「リアル」な世界でのグランドフィナーレなのか、それとも醒めない誰かの「妄想」なのかが判然としないまま、一応のケリのつけられた物語の、放り出された宙ぶらりんの余韻を深く味わう。とりあえず画面上は、2人の幸せな関係が取り戻されていて、大いに救いを感じて涙にくれるが、仮に誰かの「妄想」世界の産物なのだとしたら、逃避せざるを得ない現実の厳しさを思って、やっぱり涙せずにはおれない。ギャグだけどシリアスなこんな漫画、しばらくは出ないだろーなー。

 「吸血鬼美夕」のスポンサーとなって、全テレビ東京視聴者のタマシイを奈落の底へと突き落とし、勧誘に成功しているどころか、逆に不安を増しているのではないかとさえ思われる不思議なリクルーティングCMを放映し続けている学校、「アミューズメントメディア総合学院」の内情を探りに恵比寿へと行く。ちょっと前までアミューズがあった通りをもう少し渋谷の方へと進むと、夜なのに結構明かりのついた瀟洒な鉛筆ビルを発見。ちょっと前まで「アミューズ」と間違えてお歳暮が届くこともあったとゆー、「アミューズメントメディア総合学院」の本校に到着した。この学校、目ん玉マークのポニーキャニオンも出資は確かにしているけれど、イニシアティブは創映新社ってアニメ制作会社が持っていて、CMにもパンフレットにも名刺にも目ん玉マークは入っていない。まあマークが入っていたからっていって、銀座でも新宿でも神田ですらも、およそ威光の通じない会社がごくごく身近にある訳だから、そんなに意味はないんだけどね。

 挨拶がてら寄った程度で突っ込んだ取材はしなかったけど、聞くと結構あちらこちらの会社へと生徒を早い段階から送り込んで、OJTに近い形で育成していくんだとか。ほとんど人材派遣じゃないかって、そんな中傷も同業者からもあるよーだけど、実力がすべてのこの業界、ただのド素人では奉公に出してもすぐに突っ返されてくるそーで、そんな厳しい環境で、現場で突き当たる困難を一つひとつ克服しながら、実社会での経験を積んだ人たちが、奉公先に就職したり有名大手へと就職したりしているらしー。カリキュラムがびっちりな制度上の「専修学校」では絶対に不可能な現場主義。理論よりも実践がすべての世界だけに、これが相応しい姿なのかもしれない。

 とはいえ、現場でデバッグやったりCGで絵だけ描いたりする部品的(あるいは土方的)な人材ばかりが増えても、新しい画期的な素晴らしいコンテンツは絶対に生まれるはずがない訳で、そのあたりこの学院では、講師にクリエーターを招いて授業を行ってもらって、映像表現とはなんだってな話をしてもらっているのだとか。行って紹介された講師の方々も、知る人ぞ知る有名人で、例えば「撃殺 宇宙拳」で日本中のファンを狂気させた破李拳竜さんが、絵コンテの切り方なんかの授業を行っていたり、雑誌「宇宙船」や「月刊アスキー」に連載を持っていて、SF映像の分野に造詣が深すぎるくらい深い聖咲奇さんが、ライトウェーブな3DCGについて教えていたりと、少なくともコンピューター系の学科には、面白い先生たちが大勢いるみたい。あの飯野賢治さんも特別講師で年に何回が来るとのこと。でも3DCGやってたってワープじゃあ「絵がないタイトルなんだ」って突き返されるのがオチだから、飯野さんからはオシの強さとプロモーションのマメさを学ぶのがいーかも。成果は存分に出ているみたいだし。

 話を聞いたあとでちょっと会食。しかし前に「漫画ブリッコ」の編集をやっていた人と話した時も、懐かしい話に言葉が尽きず、気が付いたら何時間も経っていたってことがあったよーに、今日も聖さんからあれこれとご教授を願い、もうなんでこの人がゴジラの着ぐるみ入ったんだろーってな程の良い男、破李拳竜さんからプルサガリの話とかをいろいろと聞き、気が付いたら4時間近くが経っていた。もう会社じゃ絶対に不可能な懐かし系の話を存分にできて、ちょっと嬉しい気分。しかし大昔に「スター・ウォーズ」が公開された時に、親に頼んで八事のジャスコの本屋で買ったムックの編集に、聖さんが携わっておられたとは。時の過ぎゆくその素早さと、重ねて着た歴史の重みを強くつよく感じます。


【10月28日】 赤坂のプリンスホテルで開かれたバンダイビジュアルの発表会に潜り込む。まあいちおーアミューズメント系の企画を担当していて、最後に付ける「提言」ってのを書かなくちゃいけないからって大義名分は引っ提げていたけど、人の発言とかを提言に盛り込むと長くなるから聞いても多分参考にするだけだろーと、解っていてもぐりこむこの強欲さよ。もっとも当初の予定どーりに発表が9月あたりに開かれていれば、企画本体に盛り込みたいと思っていた発表だっただけに、締めを飾るとゆー意味でも絶対に聞き逃せない、いや絶対に聞くべき発表会だった。ああなんて仕事熱心な。

 発表のタイトルは「デジタルエンジン構想」。よーするに世界に通用するアニメをばんばんと作っていきましょーってプロジェクトなんだけど、揃えているラインアップが大友克洋さんに押井守さんてゆー、今の日本のアニメシーンの半分は占めるバリューを持った人たちの作品で、おまけにデジタルを多用したアニメ作品を開発していくって構想は、巨大化が進むハリウッドの映像ビジネスに、日本が唯一世界に誇りうる映像作品らしーアニメとゆージャンルで対抗していこうってゆー壮大なビジョンを秘めている。でもなー、「ハリウッドに負けない」って渡辺繁社長は会見の冒頭で強調しまくっていたけれど、規模はともかく内容じゃあはじめっから全然負けてないんだから、ことさらに「米帝に挑め」的なスタンスを取らなくてもいーよーな気がするんだがなー。ハリウッド・コンプレックスってのは日本人は永遠に払拭できないんだろーか。

 発表会では話題ばかりが先行していた大友さんの新作アニメ「STEAM BOY」のフィルムが全宇宙に先がけて公開された。いやーすごいよ、大友さんの絵柄って実はあんまり好みじゃなかったんだけど、動きも演出もスピード感にあふれていて、おまけに質感も量感もたっぷりで、見ているとそのまま呑み込まれ祖そーな気分になってくる。登場する蒸気機関がたぶん3DCGで描かれているのかな、それが画面の中を暴れ回るシーンには、ちょっと肌触りの違和感を覚えたけれど、見慣れればぜんぜん邪魔にならないだろー。まあいくら絵的に凄くても、ストーリーがトロければまったく意味がないわけで、そのあたり大友さんがどんな脚本を書いているのか、ちょっと気になるところではある。

 押井さんはさんざんウワサされていたファンタジー大作「G.R.M/ガルム戦記」をやっぱり初めて公開、といってもスタッフにイメージを伝えるためのパイロット版アニメと一部の実写パートだけで、アニメはパイロットだけあってCGの動きにぎこちなく、実写はなんだかビデオ作品を見ているようなチープさがあって、大友さんのよーな「ものすげー」といった感じは受けなかった。まあこれは押井さんの実写作品に愛のない僕としては仕方のないころで、「アニメ的な企画を強引に実写でやる、デジタルがそれを可能にする」とか押井さんが話すのをを聞きながら、(だったら、わざわざ実写で撮らんでも、アニメでやればいーのに)とゆー考えが頭について離れなかったけど、特撮が「ガメラ」で「エヴァ」な樋口真嗣さんで、CGが「アメリカンファミリー」な林弘幸さんだから、実写と特撮とCGが組み上がった暁には、きっと「ものすげー」世界を見せてくれることだろー、と信じたいんだけど・・・。うーむ。

 しかし恐ろしいのは製作費。「STEAM BOY」は16億円で「G.R.M」に至ってはなんと「もののけ姫」に匹敵する24億円。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは確か「もののけ」では35億円くらい配収がないとペイできないって言っていたけど、そこまで稼ぐのにはきっと300万人とか400万人とかって観客が必要なはず。万人向け(本当は違うんだけど)な「宮崎アニメ」ならではの集客力を、サイバーでもデジタルでもない「スチーム」な作品が、果たして発揮できるんだろーかとちょっと心配していまう。これは「G.R.M」もいっしょね、いやむしろ「実写」だけにもっと大変かもしれない。あれだけ米国で話題になった「攻殻機動隊」が凱旋公開された時の観客の入り、酷かったもんなー。

 いちおーバンダイビジュアルでは「ワンソース・マルチユース」を前提にした皮算用を弾いているよーで、ビデオでだいたい20億円、ゲームはびっくりな120万本を売る予定だとか。あの「攻殻機動隊」のゲームが10万もいってないってご時世に、ギャルゲーでもないキャラクターも「オオトモ」な、あるいは「オシイ」なゲームがミリオンを売れるとホントに本当に思っているんだろーか。そーだとしたらきっと画期的なシステムを持ったゲームに仕上がっているに違いないと、こちらも皮算用を弾いておこー。バンダイビジュアルではほかにも「ビット・ザ・キューピッド」をプロデュースした人とか、「サクラ大戦」のCGパートを作った会社とかと組んで、デジタルな映像作品作りを進めている。ちょっとレアな部分に特化しているのが心配だけど、アニメの表現手法、制作手法に挑むとゆースピリットだけは、何を置いても評価はしておきたい。作品もちゃんと当たるといーね。

 某所の仕事のためにFAXを購入、秋葉原で25000円くらいの機種だけど、自動切り替えでB4が送れてオートカッターもついていておまけに留守番電話もスキャナーもついている(これで機種が解ればよほどのFAX通、ってそんな人はいねーよな)から、正直言って運輸省に置いてある切り替えが手動なポンコツの1万倍くらい性能が良い。技術の進歩を妙なところで痛感してしまった。しかしこれでいよいよモノカキ的な装備が整ったわけで、某所の仕事にあと何本か加われば、マジにそれだけで食えるかもと、バンダイビジュアルの可能性に遠く及ばないほどの薄い可能性しかない皮算用を弾いてしまう。イヤーンなことが重なったからなー、んでもってますますイヤーンなことが起こりそーだからなー。景気も悪いし株も安いし「デジモン」は勝率0%だし(って無対戦だから当たり前か)。冬が来そうだなー。ぶるぶる。


【10月27日】 「週刊少年ジャンプ」買う。「ワイルドハーフ」が始まったあたりで読まなくなったから、だいたい2年ぶりくらいになるのかな。目当てはもちろん鳥山明さんの新連載「COWA!」なのだが、緑と紫と青を基調とした色調にこそ圧倒されたものの、物語自体にはあんまり毒もパワーも感じなくって、この先いったいどんな展開になるんだろーと、はや心配になってしまった。お化けの側から人間のおかしな振る舞いを見た、その価値観の逆転をブラックユーモアとして提示する手法なのかと思いきや、意外といい奴ばかりで人間たちとも仲良くやっているよーで、これのどこを面白がればいいのかが解らない。まあとりあえずは名刺代わりの1編として、次からもう少し人間とお化けのギャップが浮き彫りになってくるのかもしれず、とにかくしばらく様子を見ないとこには結論は下せない。主人公のパイフーのお母さんが、ちょっといい女なのがとりあえずの救い。来週もちゃんとフルカラーで続くのか。

 すっかりゲーム雑誌に代わっていた「ジャンプ」。ゲームの紹介記事はバンバンと載っているし、なにより巻頭近くに8ページもの「デジタルモンスター」の特集記事が載っていたのには驚いた。昔、といっても毎週読んでいた2年くらい前ですら考えられなかったことが起こっているとゆーことで、それだけ「漫画」そのものに読者を引きつけるパワーがないのか、あるいは読者の趣味の多様化によって「漫画」ではない「遊び」の情報を提供することが求められているのか。たぶんこのどちらも当てはまるんだろー。まあ、ちょうど育て始めたところで、「デジモン」育成日記は役に立つかな。完全体になるには15回のバトルが必要とあって、デジモン友だち(ノン・デジモン友だちも含む)のいない僕としては、ちょっと焦っているんだけどね。

 歩いているとふと目にとまった「タイタニック」のポスター。地下鉄が試写会をやるって案内のポスターだけど、上の方で男と女が向かい合ってるよーな構図に、一瞬恋愛映画かと頭の中で変換が起こってしまい、ポスターのどこにも書いてないにも関わらず、「愛」とゆー文字がばーんと浮かび上がって来てしまった。あるいは「愛」に飢えている心が鏡に映ったのかも。で、そのまま連想を広げていって、妙なことに思い当たってしまった。つまりいかなパニックでSFでホラーな映画のタイトルでも「愛の」とゆー文句をつけるだけで、ベルギーワッフルもかくありなんとゆーよーな、甘いあまいスゥイートな恋愛映画のよーに思えてくるってこと。まずは「愛のタイタニック」。どうです、なんか大海原をいく豪華客船を舞台にした壮大なラブストーリーって気になるでしょう。

 このまま他の映画へと広げて、そうですね例えば「愛のボルケーノ」。地中海を舞台にしたイタリア貴族の男性とちゃきちゃきなアメリカ女との激しい恋を描いた映画のよーじゃないですか。あるいは「愛のコンタクト」。それから「愛のメン・イン・ブラック」、「愛の東京日和」「愛のブエノスアイレス」「愛のコン・エアー」「愛のもののけ姫」etcエトセトラ。みーんなまったりと粘り付く濃密な愛の世界を描き出した映画に、どうですか思えて来ませんか。哀しいドラマにしたければ、「さらば」と付けてみるのがいーかも。「さらばタイタニック」「さらばボルケーノ」「さらばメン・イン・ブラック」「さらばもののけ姫」。カタカナタイトルの映画が多くなって、いったい何の映画か解らないと怒っているご老人たちも、これなら「そうか愛の映画なんだ」「そうか哀しい映画なんだ」と、安心して見にいけます。いって吃驚仰天するだろーけれどね。

 スポーツ新聞をざっと見るが、「疑惑のロスタイム」なんて大見出しを打たなかったのは、やっぱり見識とゆーべきか、なんて思っていたらなんのことはない、もっと凄いサポーターの大暴動があって、そっちに注目が集まってしまったってことらしー。日刊スポーツじゃあ生島ヒロシが「選手はもっとつらい」なんていって暴動を起こした側を非難しているけど、甘やかしてんじゃねーよとついつい怒声が口をついて出そーになる。コロンビアみたくオウンゴールなんてした日にゃあ命がないってのも異常だけど、勝たなくてはならない試合に引き分けた体たらくを、取り囲まれて卵をぶつけられたくらいで許されたんだから、むしろ感謝しなくっちゃ。これでビビってナーバスになってんじゃあ、世界じゃーとてもとても勝てません。

 試合自体の評価は、やっぱりがっちり守られた時にどう攻めるか、といったアイディア不足をついていたところが多かった。テレビで見ていた限りでは、前半はほんとプレスが聞いて相手がボールをもつと1人2人と入れ替わりよっていってはボールを奪い取る、そんな行動が実によく機能していた。後半は相手のゴールキックもクリアボールもなんか取れなくなっちゃってて、ああ疲れたかなあと思っていたら、案の定のフリーキックからのヘディングをきめられてジ・エンド。最後の10分、足が止まってきたなと思ったところでは、消極的に守っても良かったのかなあ。しかし結果論でしかないから、とにかくもう次は勝て、それしか言えない。勝たなきゃ対馬海峡は渡れない、絶対に卵じゃ済まないからね。

 切れること多々、ロッカーをけっ飛ばすこと数知れず。とりあえず今日掲載の「おもちゃ編」で企画の担当分は終わったが、余計な仕事が山と振って来て、神経をすり減らしながら1つひとつツブしている。天啓は絶対にして逆らえず、おお神は無慈悲な夜の女王よと訳の分からないことをつぶやきながら、しこしことワープロに向かうのであった。週末は三つどもえで荒れると予言しておきますので、関係者の方はご注意を。業務連絡でした。


【10月26日】 昨日は結局午後の3時くらいからどろどろと寝はじめて、途中で電話に出たり文章書いたり「スイスロール」食ったり「FFS」のビデオを見返したりしながら、ふと気がつくと朝の9時。せっかくの週末にこういう時間の使い方をして、これが果たして健全な男子にとって生産的か否かと問われれば、言葉に窮する部分もあるのだが、それが当たり前になってしまえば、罪悪感なんて微塵も心に浮かばない。このまま気がつくと40になって、それから50になって60になって70になって、どこかの安アパートで昼間から酒のんで煙草すって、やっぱりパソコンに向かってペコペコとキーボードを叩いている、21世紀の独居老人になるのだろー。

 ってな明るい未来予想図はさておいて、「ポケモン」と「コロコロ」と「ガレキ」の原稿が載っている(ってなんの原稿なんだ)ゲラをチェックに会社へ行く。途中、近所の西武百貨店の玩具売場を舐めると、おおなんと山のように積まれているではないですか、あの幻の玩具「デジタルモンスター」が。隣りには「てんしっちのたまごっち」が山となり、さらに奥には「ハイパーヨーヨー」が丘になっていたのが見えたけど、ここは怪獣好きの男の子、「デジモン」買わねば性根が腐ると思い、財布から5000冊を取り出して速攻でゲットする。えっ、「デジモン」って1980円くらいでしょ、なんで5000円札なのと思った方、これには聞くも涙の物語があるのです。まあ予想はつくだろーけどね。

 およそあらゆる「デジペ」の例に漏れず、「デジモン」もほとんと「たまごっち」と同じ遊び方で、卵から幼生そして大きな怪獣へと、ドット模様のペットを育てていくゲームだけど、スタンドアロンな「たまごっち」と違って、「デジモン」には対戦とゆー要素が入っていて、誰か同じ機械を持った人を見つけて、上と上とをくっつけて、お互いが育てた怪獣をバトルさせることができるのだ。とゆーよりこれが本来的な楽しみ方の1つで、つまりは誰か「デジモン」を持っている知り合いがいないと、遊びの面白さが半減どころか6割も7割も減殺されてしまう。スタンドアロンなら「たまごっち」の方がよっぽど可愛いらしいからね。

 しかし周知のよーに男女を問わず友だちとゆーものに乏しい小生、おまけに周囲にいる同僚の類はエンターテインメントのマインドに乏しい中年のカタブツばっかり。「ヨーヨー」はおろか「ポケモン」すら緑すっぽ知らないおっさんばかりの環境では、「デジモン」本来の遊びがまったく楽しめないのであった。「たまぴっち」を買った時も、電話をかけてくれる相手がおらず、長く病気になった「たまぴっち」を、そのまま死へと至らしめていたほどだからなー。最近になってようやくひとケタ名の「たまぴっち」ユーザーと知り合うことができて、なんとか苦しみもだえる「たまぴっち」を見ないで済むよーになった。けれども今度は「デジモン」だ。「たまぴっち」のよーには、ネット上でもいーから、とにかく知り合った人と電波をとばしてデジペを送り合うなんててことはできない。したがって顔つき合わせて話をする人に、「デジモン」ユーザーがいなくてはならない。これが正直いって不可能に近い。

 で至極当然に考えるのが「2つ買って自分の手のひらで対戦させよう」。その時は名案だと思い、かくして5000円札だして2つ色違いを購入するとゆー挙に出たのだが、電車に乗って会社に向かううちに、なんかとっても心がムナシくなって来た。あまりにもサビシすぎると思えて来た。まずい、ますます暗黒モードへと精神が落ち込んで、その回りに鉛の芯が入った鉄筋コンクリートの隔壁を築きはじめている。我にかえって、2つともブリスターパックから取り出し、ピコポコとやりはじめるのを思いとどまり、とりあえず1つを育ててみることにして、後は地道に小学校とかデパートの玩具売場とかでも回って、対戦相手を探そーとゆー結論に達した次第。

 あるは1コの新品の「デジモン」をネタに、「デジモンともだちになってください」と歩いて回るのも一興か。でも近所の小学校の回りをそんなこと言って歩いている、30過ぎた最近ちょっとヒゲ面の丁髷野郎がいたら、絶対に通報されて収監されてしまうから、表だっての募集は無理だなー。運輸省内で次官とかを相手に「デジモンを差し上げますのでスクープを」なんてやったら、果たして贈収賄になるんだろーか。さすがにそれは無理だろーなー、相手もたぶん欲しがらないし。かといって「家来になったらデジモンやるぞ」とか、「パンツみせてくれたらデジモンあげます」とか、「はずかしい写真を送ってくれたらデジモン差し上げます」とかじゃー、ちょっと犯罪めくからなー。で結論。履歴書に「入れてくれたらデジモンあげます」と書いておいたらフリーパスになる会社、募集してます。

 「クイックジャパン」で最初に読む(とゆーかこれしか読まない)連載だった大泉実成さんの「消えたマンガ家」が突然終了、なんでもオーストラリアに1年ばかり行ってしまうとゆーのがその理由で、最後とゆーことでかねてから約束していた内田善美さんを取りあげているんだけど、あまりに思い入れが強いせいか、いわゆる客観的な「墓堀り」ルポにはなっていない。自分がいかにして内田ファンとなり、そしてどこに惹かれたのかを綿々と綴ったその文章は、「あの人は今」的な興味を抱いて読んでいた人からは、おそらく轟々たる非難を受けるだろー。けれども半分そういったことを期待しつつも、半分はかつて内田善美という漫画家がいて、今でも好きな人が大勢いるんだってことが解っただけでも良かったとう気持ちがあって、この記事がきっかけとなって何か素敵なことが始まれば、それで十分だと思っている自分がいる。この辺り、大泉さんも同じ気持ちだったのかなー。

 冒頭で綴られている大泉さんからの内田さん宛の手紙は、「空の色ににている」と「ひぐらしの森」をカップリングで出版させてくれとゆーもので、判型を「草迷宮・草空間」「星の時計のLiddell」と同じにしたいとある辺りから、両作品および内田さんへの思い入れの強さがなんとなく伝わって来る。2000円とゆー値段も、有名なよーでいて実はそれほど知られていない漫画家さんの単行本としては、まあ妥当な範囲なんだろー。古本屋に行くとどちらも100円とか200円とかで並んでいるから、探せば買えないことはないし、実際そーやって「救出」した単行本が家に何冊かあるんだけど、仮に大きな判型で出たら、やっぱり買ってしまうだろー。本当だったら原稿と同じ大きさで、あの緻密な線の一本いっぽんを見てみたいって気もあるくらいだし、それなら例えば1万円でもいーから、是非とも復刻して頂きたい。原稿、ちゃんと残っているのかなー。

 ぐふぁあああ。西葛西方面から応援の電波が届いたり、逆に応援の毒電波を送ったりしてテレビの前で手に汗握りつづけたんだけど、やっぱりってーか相変わらずの詰めの甘さが日本、この期に及んでも露呈しまくりで、結局前半の意表を付いた1点だけしか取れなかった。もちろんサッカー日本代表の話。センタリングを上げるところまではちゃんと行くんだけど、そこでの競り合いとか正確さとかがやっぱどっか違うんだろーなー、あるいは読みの良さ運の強さとかも。いくら何度も攻め込もうと、あれだけガチガチに固められたら、合わせるのは至難の業。そんな時はやっぱり外から崩していかなくっちゃいかんだろー、だから左足の爆弾シュートの平野を出せとテレビの前で叫び、Pメールを使って西葛西方面に電波送りまくったのに、岡田監督は結局最後まで平野を使わなかった。あの名良橋のよーなミドルが何本も出ていたら、んでもってディフェンダーが外に釣り出されていたら、もう少しゴール前に余裕が出来たかもと考えると、なんだか大変もったいない気がして仕方がない。

 ロスタイムが少なすぎるって、きっと明日の新聞がでんでんと書くだろーけれど、それはお互いに言えることで、もしもロスタイム間にカウンターくらって1点くわえられていたら、逆に審判を攻めたに違いない。それが一般常識的にはあって当然と思われたものであっても、しょせんは審判の胸1つで決まる曖昧なものなんだから、やっぱちゃんとした時間のうちに点を取れなかったことが良くない。まあ自力の芽はなくなたけど、他力の芽はあるんだから、残る試合を頑張って、最後まで夢を見させてくれえ。夢はいつか必ず醒める? うーん。


【10月25日】 えっと「金庫に閉じこめられた宝石たちを救い出し、悪い魔法使いに高い塔に閉じこめられたお姫さまは助け出して緑の野に解き放ってあげる」だったかな。ちょっと違うなあ。いやもう10何年も昔の映画なんでウロ覚えにしか覚えていないんだけど、とにかくまあそんなセリフが出てきた映画をちょっとだけ思い出しちゃったなー、高野文緒さんの「架空の王国」(中央公論社、2200円)を読んでいて。

 たぶん目的はそんな映画を思い出すに至った少女の冒険活劇じゃなく、どーして歴史を勉強するの、昔の事なんか知ってどーするのってな感じの、歴史を勉強している人が折に触れて考えていることへの自分なりの解答を折り込みながら、国とか王とかいった存在への懐疑なんかを表明してみよーとしたんじゃないかと思うけど、そうした重たいテーマを内包しつつも、表面の探偵物語も冒険活劇も楽しめるあたり、エンターティナー高野史緒さんの実力の程を見た思い。狂言回しの警部役がいればもう最高に面白くなっていたかも。やっぱラストは「あなたの心です」とか言って王太子にウインクして、ボーヴァル王国を立ち去って頂きたかったからね。横に埼玉県警って書かれたブルーバードで。

 先週に続いて土曜日出勤。アメリカ時間で夕べのうちに開かれていた日米航空交渉の次官級公式協議の結果をレクチャーするってんだから、一応は聞いておかなくっちゃならない。ところで「次官級公式協議」って一般の新聞も平気で書くけれど、それがどれだけのランクに位置するものなのか、非公式協議とか局長級協議とかとの違いはどれ程のものなのか、一般の人は解らないだろうし興味もないんだろーね。まあ一種の紋切り型表現といえないこともない。かといって「運輸省で大臣の次くらいに偉い人たちが公に集まって話し合う」なんていちいち使っていちゃあ、行数がいくらあってもたりないもんあー。難しいむずかしい。

 会社に向かう途中の本屋で「SFマガジン」の新刊と「TVブロス」で柳下毅一郎さん大推奨の「28年目のハーフタイム」(金子達仁著、文芸春秋、1429円)を購入、ティプトリー特集に小谷真理さんが文章を寄せていて、別のページでは「この3編」を選んでいて、さらに別の巽孝之さんのワールドコンリポートには、ムアコックとのツーショットまで披露してるって具合に、大車輪の活躍を見せている。ってこれも何か紋切り型の表現だなあ。でも巽さんとのツーショット写真は載ってないから「オルタカルチャー」で山形浩生さんによって提示された謎は、未だに解明されわ訳ではないのだが。

 勝手なことを言えば僕にとってのティプトリーは川原由美子さんなのであって、それは「たったひとつの冴えたやりかた」でイラストを担当していて、それを読んでぐぐぐっと来てしまった時に刷り込まれてしまった感情で、おまけに文庫本でも表紙を書いてって具合にずっと関係が続いていたことで、たとえばジャック・フィニイだったら活字を読んでいても内田善美さんの絵が頭に思い浮かぶって具合に、ティプトリーと聞くと「前略ミルクハウス」で最近は「観葉少女」の川原さんの絵が浮かんでしまうのであった。インプリンティング恐るべし。ってつまりはティプトリーを最初のイメージを覆すほどには読み込んでいないってことなんだけど。今回の特集には川原さんはイラストは寄せていないよーだし、最初の衝撃も薄らいで来たことだし、このあたりでちゃんと作品として読み返してみるかなー。

 それから「別冊宝島 1980年大百科」を買う。イングラムがマルシーなピースマークを表紙にした1970年大百科」にはサイケデリックな乗りを感じて手を伸ばさずにいた僕だけど、やっぱ「ガンダム」が表紙になっちゃうとねー、まさに同時代の魂をくすぐられるって訳ですよ。今野敏さんの「慎治」もその口で買わされちゃった本だし、今の20代後半から30代半ばまでの世代の人たちには、この記号ってのは極めて訴求力が高いのかも。選挙に立候補する人でこーいった世代にアピールしたかったら、バックに「もえあがーれもえあがーれ」ってな音楽を流しホワイトベースの形の選挙カーに載って演説では「あえていおう、かすであると」とか「みとめたくないものだな、わかさゆえのあやまちというものを」とか言えばウケだけ取れるぞ。当選できるかは保証しないけど。

 中身はもうほとんどぎっしりな80年代で、多感な(ホントか?)10代をずっぽりとカバーするこの年代に、見て聞いて読んで触った本やレコードやアニメや玩具の数々が、あの時代にあったこんなことそんなことを走馬燈のよーに、時には自己嫌悪の感情も含めて頭に甦らせてくれる。コバルト文庫とえいば新井素子と並んで必須アイティムだった(何のアイティムだか)「放課後の青春」「はだかの青春」「さまよえる青春」の青春3部作にはじまって、「ヤマト」に「インベーダーゲーム」に「YMO」に「スター・ウォーズ」に「川口探検隊」に「プリンプリン物語」に「999」に「タイガーマスク」(実写)、そして「ガンダム」。うーん頭も胸もつでに股間も熱くなる。

 LSIゲーム関係の写真がしっかりフォローされていて懐かしいことしきり、欲しくても買ってくれなかった苦い思い出が頭をよぎる。玩具関係とか特撮戦隊ヒーロー物とか宇宙刑事物とかも目配りが効いていて、前半メインなアイドルとかインディーズとかに弱い人でも、後半は存分に楽しめる。中身の記事自体は当時の状況を紹介するのがメインで、それは網羅的で素晴らしい仕事なんだけど、事後のフォローが弱いのがちょっと難点。90年に出版されたムックに増補の年表を付けただけってことらしーから、仕方のないこととはいえ、「ラジオDJ」で川島なお美さんのことが、「脱ぎそうで脱がないタレントの1人で今だに脱いでない」なんて書かれてるとね。出来れば増補改訂版にして欲しかったよ。名古屋じゃー聞けなくって名前だけが轟いていた「ミスDJ」な千倉真理さんって、いったい今なにやってんだろー?

 「プロント」でお茶。朝食代わりに焼き立ての「ベルギーワッフル」をかじるが、いやー甘いあまい、卵とハチミツがたっぷりっ入ってって感じで、こんなものを毎日並んで食べてたら、プクプクになるし虫歯にだってなるだろーにと思いつつも、カウンターにコロコロと焼き立てのワッフルが並んでプーンを甘い香りを放っていたら、一回その味にハマった人ならついつい「コーヒー、あとワッフルも」って注文しちゃうんだろー。「プロント」にはプレーンしかなく、屋台で人々が行列を作って買っている、チョコとかジャム(ってのはあるのか)とか小倉餡(ってのはないよないくらなんでも)とか明太子(あったらこわい)ってのも、1度くらいは食べてみたいものです。

 西武百貨店で買い物。昼に食べたヴァイキングがお腹に持たれて夕食が食べられそうもなかったので、バーゲンで出ていたきむら屋の「スイスロール」を買ってかじる。ココア味でやっぱり甘いあまい、スポンジとクリームが口中で混ざり合ってココアの苦みがちょっとアクセントになっているけれど、やっぱり全部食べたら太りそー。しかしこれがどーして「スイス」なのかは謎。「シベリアケーキ」がシベリアとはきっと関係ないよーに、あと「ロシアパン」が絶対にロシアとは関係ないが如く、「スイスロール」もおそらくたぶんスイスで朝な夕なに食べられているってことはないだろー。「ベルギーワッフル」はどーなんだろー。EC本部があって各紙とも特派員を置いているんだから、どこかリポートしてくれないかな。


【10月24日】 ビデオで「はれときどきぶた」を見る。シリーズ半ばの総集編ってのは最近のシリーズ物には書かせないお約束ではあるのだが、それをメタ的に開き直ってやってしまった「機動戦艦ナデシコ」は突出した例としても、最近の総集編はともかく単なるつなぎ合わせにならないよーに、いろいろと配慮がなされている。例えば全体のストーリーの中に、総集編すらも組み込んで話を半歩でも4分の1歩でも前身させよーとしたり、これまでのトピックを見せるにしても、それを見せる意味をストーリーの中でちゃんと提示して見せるって具合。「今週はつなぎ合わせただけか監督くたびれたんだろーな」なんて内情を読むお子さま(一部大きなお子さま)が増えると、作る方も大変ですね。

 で「はれぶた」の総集編は、どちらかといえば王道をいく古典的な過去振り返りパターンだったけど、例えば「はれぶた」が登場するきっかけとなった、十円安の日記が全部消えてしまったってな設定をまず最初に持ち出して、記憶を失ってしまったように見えたはれぶたを追いかけながら、過去の場面場面を「回想」していくという、ある程度の意味が付けられてすすすっと入り込んでいけた。合間に挟むギャグなんかにも、それなりに工夫があったし、これならビデオに入っていても、他のつなぎ合わせじゃないかって起こらなくて済みそー。でも考えてみれば「ガンダム」にも「コナン」にも総集編なんてなかったんだよなー。やっぱ作り手余裕が厳しいーのかなー。

 時差がある日本とワシントンでは、昼夜がほぼ逆転している関係で、向こうで開かれた交渉事の中身をレクチャーするのは、日本では翌日の午前中とゆーことになる。現在ちょーどワシントンでは、日米航空交渉とゆーやつの次官級公式協議なんてものが開かれていれ、連日その中身が担当者の方から説明されるんだけど、やっぱりとゆーか当然とゆーか今回も一切の進展がなく、それでも記事をかかなくてはならないから、せっせとレクチャーを聞きにいく。おまけに金曜日まで協議が続いたものだから、その日の中身を聞くためには、日本では土曜日の朝に出勤しなくてはならないわけで、つまりは先週の日米港湾協議の決着に続いて、今週も土曜日は出勤って訳。くーっ。

 もちろんこの程度の休日出勤を嫌がっていては、夜討ち朝駆けが常識な社会部とか政治部なんかは成り立たないんだけど、土日は完休な金融業界を長く担当して、それからやっぱり土日なんぞに仕事できるかのソフト業界を見てくると、土曜日出勤ってのは正直なんだかとってもツラい。聞くと某ブロック紙の関東にある支局でも、今や週休二日が常識になっているとかで、これで給料が良いとあってはお客も集まる訳だと、未だ衰えない新聞社への就職人気に納得する。もっともなかには元が安くっておまけにいっさいの手当もフォローもない、某社のよーな新聞社もあるから気を付けた方がいーよ。

 とはいえ某社は日刊でありながら土日に新聞が出ないとゆー、離れ業な前代未聞をやってくれちゃっているので、金曜日はそれなりに楽っちゃー楽な暮らしが出来る。って訳でお昼休みに銀座の画廊をちょいのぞくと、おおこれは昨日話題にしたばっかりのジョージ・シーガルではありませんか。銀座六丁目の4の16にある「GALLERY SHIRAISHI」とゆーところで11月6日まで開催されているもので、中に入ると黒い窓ガラスの横にもたれかかった女性の像がついた作品や、椅子に座って足を投げ出している女性の像なんかが何点か置かれて結構な時間楽しめた。

 面白かったのは体の胸から足の付け根あたりまでを型取りして作った首も足もないレリーフのような彫刻。胸の上におかれた手の甲だけがぷっくり浮き上がっていて、妙な生命観を像に与えていた。首がなくても足がなくても、それはまさしく人間の一部で、けれども切り取られた人間は宙ぶらりんな存在として、この浮き世を漂っていかなくてはならない哀しみのよーなものが感じられた。すべてが画一化された世界でそのことに疑問を持ちつつも抜け出せない辛さ、寂しさっていったものを、代弁しているのだと言えなくもない。まあ勝手な解釈なので、見る人が見たらもっと別のより正しい批評が出るのかもしれないけれど。

 どーゆー訳だか今の世に平井和正さんの「幻魔大戦」が復活、ふたたびの旋風を巻き起こすのかそれとも時代のあだ花と糾弾されていくのか、ちょっと興味深くなってきた。出版したのは「月光魔術團」シリーズなんかを出して今や唯一の平井出版社となってしまったアスペクト(=アスキー)。もちろん昔の角川文庫版をそのまま転載するなんてことはせず、それともリム出版でも出ていたんだっけな雰囲気を焼き直したりもせずに、改めて今とゆー時代に「幻魔大戦」を出す決意とゆーか意味のよーなものを、冒頭の一文と巻末の後書きによって高らかに宣言して見せている。

 どーしても新興宗教との関係が取りざたされて、それも新興宗教のよーなサークルを肯定しているよーに思えた「幻魔大戦」が、実は「宗教とカリスマの恐るべきイカガワシサと偽善性、そして狂信者のアホさ加減を、小説化」(第1巻8ページ)したものだったと、こうまで本人が言い切ったのを見たのはたぶん初めてじゃなかろーか。だって前回のブームの時なんて、カリスマのイカガワシサをたっぷりと振りまいていた角川春樹さんといっしょになって、大騒ぎして映画まで作ったじゃない。それが今さらなんだって気もしないでもないけれど、とにかく対象への激烈な言葉は平井さんならではの文章で、それだけ読むのも面白いかもしれないと思って、アスペクトのシリーズをちょっと買っていこーかと思う。表紙も寺田克也さんだし。でもなんで寺田克也さんなんだろー。


【10月23日】 「芸術のノーベル賞」を標榜し、全世界的な賞への発展を願いつつも、未だにフジサンケイグループの賞とゆーイメージが抜けきらない「世界文化賞」。メディアの主催する賞など、ピーアールが目的でおよそ恣意的なものであり、とりわけ「世界文化賞」は、「おもしろくなければ」&「正論」なフジサンケイグループが目立とう精神で作ったことが容易にうかがえる賞だったから、正直小馬鹿にしていた時期があった。しかし年々積み重なる受賞者の顔ぶれを見ていると、日本人はともかく外国人ノセレクトに関しては、なかなかシブいところを抑えていて、もらった本人がどう思っているのかはともかく、日本人に世界のアーティストの存在を知らしめるという意味では、それなりの役割を果たしているんじゃないかって、そんな気がして来た。ちょっとだけ。

 今年もこの「世界文化賞」の授賞式に出席するために、世界中から有名なアーティストが来日していて、それがフジサンケイグループ関連の媒体各紙に登場している。とくに今年は、彫刻部門で人間を型取りして作る彫刻で有名なジョージ・シーガル氏が受賞していて、昨日あたりからグループ関連媒体に、写真なんかも掲載されている。シーガルとえいば、去年セゾン美術館で見た展覧会に出品されていた、空虚でけれども生きている、生きていかなくてはならない人間の苦しさのようなものが染み出ていた彫刻群を思い出す。その時は、こーゆー彫刻を作るのって作者もモデルも結構大変なんだろーなーとも思ったけど、なんと鈴木廣孝さんとゆー人は、独力でこの型取り彫刻を作っているとかで、このページに、製作過程と作品が紹介されている。

 書いてある文章を読むと、どうやらプロのアーティストではないらしく、それなのに興味だけでやろうって思えるバイタリティーに、まずは関心するところしきり。モデルさんは女性が中心のよーだけど、どー説得してるんだろーか。ガールフレンドはおろか、男の知り合いだって少ない僕だったら、人間にはとてもモデルやってなんて頼めないから、きっと近所で子供でもさらってきて、じゃない猫を拾ってくるか魚屋で鯖でも買って来て、石膏のバケツにドッポン、とまではいかないまでもハケかなんかでペタペタやって、パコンと型取りしてから石膏猫とか石膏鯖とか作って、アーティスト心を満たそーとしたに違いない。やっぱ引っ込み思案だと芸術家にもなれないのかなー。

 やはり漫画は「どて」なのだとゆーことを理解する。って何のことかと解らない人は、遠からず幻になるのは確実と勝手に思っている女性向け雑誌「UNO!」で、唯一読む場所であり絶対的に面白い記事である西原理恵子さんの連載漫画「有限会社とりあたま」を読んでくれい。先月号からお金に困った西原さんが、アシスタントの愛ちゃんと連れだって、なんとプロの漫画家のアシスタントに行ってしまうとゆープライドもへったくれもない超絶企画が継続中。その後編となる今月号で、西原さんはいよいよ本格的にアシスタントとして背景などを書きはじめているのだが、いかんせん登場人物はすべて「似顔絵辞典」からパクり、登場するオブジェクトはすべて「略画辞典」からガメるとゆー合理的な創作手法をとっていた西原さん、普通一般のアシスタントが、とてもじゃないが勤まらなかったみたい。ピンチだ西原!

 そこで西原さんは考えた。アシスタントに行った「ところともかず」とゆー漫画家は、デブで絵柄はアニメ絵だが、「どて」をうまく描き塗っているから成功しているのだと。そしてこの「どて」を盗みさえすれば、数百万円を稼ぐのも夢ではなのだと。なるほど言われてみれば確かに「どて」は重要で、例えば「やま」の膨らみ度合いに揺れ具合、といっても止め絵で揺れるはずもないので、揺れているように見える度合いが、絵の価値を決めているのと同様に、スカートではないブルマーであったりそのまま「白」であったりする絵の場合、「どて」の高さやシワ1本の微妙な線が、感情の移入度を10倍にも100倍にも引き上げてくれる。

 辱めを受けながらも、どうにかしてアシスタントとして1日の勤めを終えた西原さんが、果たして「どて」を盗むことに成功したのかどーかは解らない。来月号から「UNO!」でいよいよその成果が披露されるのかと思っていたら、いったいどんな事情によるものなのか、連載は来年5月号まで休載となる予定。そんなに間を明けて、果たして復帰先は残っているのか、そっちの興味の方がはるかに大きいけれど、ともかくもせっかく覚えた「どて」なんだから、西原さんにはどこか別の媒体でもいーから、アシやった成果なんぞを披露していただきたいものです。「カピタン」とか。

 今年の夏に劇場公開されたばかりのディズニーアニメ映画「ヘラクレス」が、早くも来年の1月23日にビデオ化されるってことになったらしー。米国よりも早いビデオ化ってのも前代未聞なら、公開されてから半年でのビデオ化っても前代未聞。だって普通だったらディズニーのアニメ映画は、公開からだいたい1年を経過してから発売することになっていて、現に去年公開された「ノートルダムの鐘」が、最近になってよーやくビデオ化されて、今はテレビCMなんかでガンガンと宣伝している。前例をことごとく破ってビデオ化に踏み切る背景は、ただでさえ映画の余韻がほとんどないのに、来年になってから発売したんじゃー、ろくすっぽセールスが期待できないってことを、ビデオ化にゴーを出す本国でさえも、十分に認識しているってことなんだろー。だったらはじめから、まともな作品作れよな。

 値段も通常より安い3600円で、これまた前代未聞の好条件。前代未聞がズラリと並んでなおかつ売れなかったら悲惨だけど、かつて「ビット・ザ・キューピッド」とゆー作品をプロデュースして大コケした経験を持っている人が、「ギリシャ神話物は日本じゃウケない」と太鼓判を押してくれているので、そうなる可能性は決して少なくない。そーいえば「コロコロポロン」もあんまり受けなかったよなー。そんなこんなで正念場に立ったブエナ・ビスタが、「ヘラクレス」のビデオ化に際してどんなプロモーションを展開してくるか、ちょっと興味を持って注目している。やっぱ「どて」をアピールしようぜ、ってそんな場面あったっけ?


【10月22日】 肩が痛い。40肩にはまだ早いし、ましてや50肩などでは絶対にない。理由は明白、ヤリ過ぎなのだ。やっぱ人前で見せつけるってのが良くなかったんだろーなー、でも折角のことなんだから、少々見せびらかしたいって気になったっていーじゃない。生まれてこのかた30有余年、こんなに人目を引きつけられる時が来るなんて、ついぞ予想だにしなかったんだもん。そのスベスベのボディを手のひらでそっと撫でると、キュッと音をたてて恥ずかしそうに身をよじる。なんて可愛いんだ。てでもやっぱりヤリ過ぎは良くなかったかも。少しは自制せねばと、最近のハシャギぶりを振り返って反省する。「ハイパーヨーヨー」は1日30分にしとこー。

 近所のコンビニの前とかにたむろしている若造たちをキャスティングして作ってもこうはならないだろうと言われるくらいの脱力系なCMがかえって評判(?)のアミューズメントメディア総合学院だけど、講師に意外な有名人がいることが判明、だてに目ん玉マークの資本は入っていないとちょっと見直す。聞いたところによれば、コンピューター系統の授業では、さきごろ発売された「コミックゴン!」に「平成撃殺宇宙拳」を掲載して華麗なる復活を遂げた破裏拳竜さんが、絵コンテの授業を行っているのだとか。映画「モスラ対ゴジラ」にも出演して(といってもヌイグルミの中だけど)自らも肉体派であることを満天下にアピールした(見えなかったけど)破裏拳さんだけに、きっと授業にも熱いパトスが迸(ほとばし)っているのだろー。

 ほかにも例えば「電子頭脳映画史」を刊行した元「宇宙船」編集者の聖咲奇さんが3DCGを教えたり、良くは知らないけれど虫プロの初期メンバーという坂本雄作さんがデッサンを教えたりしているらしー。コミックやノベルスの方の講師が誰なのかは、未だ判然としていないけれど、プロなり元プロなりをそろえているだろーことはきっと間違いないから、学校に行って勉強することなのかどーかはともかく、まあそれなりのことはしているんだろー。少なくともコンピューター系では学生時代からソフトハウスにお手伝いに行って、卒業してからは「悠久幻想曲」とかに深く関わっている人がいて、現役学生でも大友克弘さんのところに手伝いに行っている人がいるそーなので、すぐにお仕事したい人はアミューズメントメディア総合学院にいこー。でもこれってもしかして体の良い丁稚奉公・・・なのかな?

 「TVブロス」の最新号は本特集。冒頭から本当に金髪で耳ピアスな馳星周さっがボッカーンと登場、船橋在住(だったよね)にしてサルと言われる茶木則雄さんがインタビューしているけれど、中にある「作家ってなるもんじゃないけど、仕事のないライターっていうのは、それ以上になっちゃあいけないもんだという真理に気づいたのね」とゆー馳さんの言葉が、自分に言い聞かせるとともに相手に聞かせる2重の意味をもっているよーで、それにただ「なるほど」と相槌をうっている茶木さんが、内心どー思ったのかを類推しながら、卑俗な妄想にひたる。さてはて。あと「ブロス」では、何週間か前からパイ投げが得意なウェイン町山さんが連載を持っていたけれど、最初は冒頭のコラム群のなかにあったコーナーが、今号は巻末のコラム群の中(それも高城剛さんの後)へと移動、それもガース柳下こと柳下毅一郎さんと同じページへと移って、奇しくも「ファビュラス・バカ・ボーイズ」の復活と相成っていた。当人たちの希望だろーか、それとも編集側の深慮遠謀だろーか。はてさて。

 中身はともかく企画の仕事がほぼ一段落したので、たまっていた本を読み始めるも、活字からしばらく離れていたせいか、なかなかペースがつかめない。読んではがーっと寝てしまい、1日にせいぜいが10ページ、よくて20ページってなスローモーなペースになっている。それでも興が乗ってくれば、きっとギアもトップに入るだろーから、まずは慣らしととにかく少しでも長く読むことに務める。まずは高野史緒さんの「架空の王国」(中央公論社)から。図書館とか本とかがたくさん出てくる本らしく、それから本が絡んだミステリーっぽい展開なので、もう少し話しが見えてきたら、一気に加速できそーな気がする。あとは今日買ったばかりの「宍道湖鮫」の最新巻「小売米」、じゃない「新宿鮫」シリーズの最新巻「氷舞」。読み始めれば寝る間もなくなるほど面白いのは確実だけど、断食の後のごちそうみたいくお腹を壊す可能性が大なので、もう少し社会復帰が進んでからに回そー。とかいって今晩中に読んだりして。この可能性も大、だよなー。


【10月21日】 午前2時までかけて終面企画向けの原稿を書く。月曜日からスタートしたアミューズメント関連の企画は、非難賞賛罵倒喝采いずれもいっさいの反応がなく、そんなことは解ってはいたとはゆーものの、いざ現実となってみると、やはり相当に哀しいものがある。しくしく。もしかしたらすでに愛知県図書館にも愛知大学の図書館にも入っていないのかもしれない。昔は愛知県内で読める場所ってのはそこくらいだったんだよなあ、ウチの新聞。気をとりなおして「たまごっち」と「ポケモン」と「コロコロ」と「ガレキ」が登場する、いった何なのか解らないどこがアミューズメントだってな原稿を適当に仕上げて、メールでニフティの自分のアドレスに叩き込み、明日会社で直すことにしてひと休み。アミューズメントメディア総合学院の脱力系なCMを見ながら、「吸血鬼美夕」の第3回目を観賞し、ストーリーはともかく絵も声もまあまあだったので安心して、そのまま睡眠の床に付く。ぐうぐう。

 起きて会社。スポーツ新聞か「カズ」がトップになっているのが多いよーだが、キャプテンになったってな応援風の記事と、フォワードからミッドフィルダーに降格されたってな記事が入り交じっていて、今の日本代表が置かれている複雑な立場をなんだかとっても表しているよーな気がした。スポーツ新聞といえば昨日のサンケイスポーツにちょっとグッとくる写真が1枚。かの松田聖子様が娘の運動会に飛び入り参加して、いっしょになんか体操している写真だったけど、向かいに立ったブルマー姿の娘が、ひょいと片足挙げたその隙間(どの隙間)からのぞいてたんですね、「白」が。顔にモザイクかかっていたからこのままスキャナっただけではとても使えないけれど、もしも10年後、いや5年後にデビューとかして有名になって、そんな時に「お宝ガールズ」に売り込めば結構な値段になりそーだなーと妙な皮算用をしてしまう。サンスポなら同じビルのどっかにネガがあるはずだ、ビルの中を探して回るか写真部にアダルトCD−ROMを配ってごきげんをとってプリントしてもらうか。よっしゃ企画の「ガレキ」記事で使うやっぱり「白」な写真(って何の写真だ、載るのかそんなものが)と交換してもらうか。

 運輸省に関するアンダーグラウンド情報を少々。といっても別にヤバい話ではいっさいない、そんなこたあやったらJCIAに消されちゃいますもんね。いや単に運輸省の地下1階にある売店で今日売っていたものが何だったかってことで、前はナイフとか鈴虫とかを売っていたって書いたことがあるけれど、今日は訳の分からない絵と健康茶と羽毛布団を売っていた。まるでどっかの通信販売か訪問販売みたいなラインアップ、でも天下の霞ヶ関で売られてるってことは、商品にきっと絶対間違いはないだろー。そうだろ? 絵は例えばミュシャだったりカシニョールだったり鶴田一郎だったりといかにもな品揃えで、それも何万ってな結構な値段がついていて、薄給で名高いニッポンのカンリョー様が本当に買うんだろーかと首を傾げる。羽毛布団も同様、でも売ってる側にそれほど悲壮感がないところを見ると、あれで結構な商売になっているんだろー。健康茶はまーそれっぽいからオッケー。明日はどんなお店が出るか。健康器具か、骨董か、泥付き野菜か。以上、運輸省アングラ情報でした。

 帰りがけに秋葉原に寄るために地下鉄丸の内線を淡路町で降りる。輝くネオンにむかってテコテコと歩くとショーウインドーに並ぶ漫画雑誌の列、「花とゆめ」やら「LaLa」やらってなどこかで見たことのある雑誌群に、いったい何の展示会でもやっているのかと振り返って看板を見ると「白泉社」の文字が。そうだったのか「白泉社」の移転先ってのはここだったのか。神保町のはずれにあった白くて細い建物から、通りを東にだいたい1キロくらい移動するってことになるのかな。数10メートル東に向かえばおいしい蕎麦屋の「まつや」もあるし、さらに先に行けば「いもや」(だったかな)だってある。「恨ミシュラン」で星最悪な「薮蕎麦」に「いせ源」に「ぼたん」もあるから、お昼だけは困らなくなるでしょう。会社に来る作家さんを接待するとか打ち合わせするとかいって、毎日近所でグルメができるよーになりますよ。でも「いもや」で接待はさすだに出来ない、だろーなー。立ち食いだもんな。

 秋葉原で「エヴァ」DVDの最新巻と「ウテナ」のLDの最新巻を買う。最初からすでに1割引になっている、妖しいビルの中にある店で、カウンターに品物を持っていくと、妖しい外国人がたどたどしい英語で店員となにやら込み入った話をしていた。カウンターにはDVDタイトルが山と積まれていて、もしかするとどっかで仕入れた中古の新品(にしか見えなかった、値札が付いていたから)を売りさばきに来たのかもしれない。「エヴァ」はこれまで買ったのが全部キング・スターチャイルドとのダブルレーベルだったのが、今回はなぜか「ガイナックス」単一レーベルになっていた。出回り始めたのかな、それともキングがDVD売るのに飽きて来たとか。こないだ電話した時は、「エヴァ」は別として他はあんまりやる気なさそーだったし。とはいえ毎回3万8000枚は出荷しているとゆーことだから、単にその店に入ってきたのが、パソコン店向けに流しているガイナックスレーベルだけだったんだろー。ガイナックスだけで全部揃えた方が、将来価値が出たのかもしれないなー。今から集め直すか。

 秋葉原デパートで食料品を少し買い込む。DVDにLDの買いすぎですでに大赤字の家計、焼け石なんだが水でもかけないと火がつくどろこか大爆発を起こしかねない勢いなので、安いソーセージと安いトマトソースを買って、前に買い置いていたフェデリーニとあわせてもしゃもしゃと食べる。まあ雰囲気はナポリタンってことろかな。値段を推定すれば400円くらいってところで、それでお腹いっぱいはちきれんばかりに食べられるなんて、パスタってばやっぱ貧乏時にはありがたい。火をつかっているのが将来の家計に禍根を残す結果となっているのかもしれないけれど、まだそこまでは追いつめられていないので、茹でていないパスタを唾液で溶かしながら一本いっぽん呑み込んでいくなんてことは、流石にしなくて済んでいる。これで3日連続してフェデリーニ。まだ少し余っているから、明日は安い鱈子でもかってタラコスパを食べよう。給料日まであと2日、なんとか生きていられそーだ。


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