縮刷版2000年5月下旬号


【5月31日】 リコーの「RDC−5300」はトロちゃんだとゆー1眼レフはオリンパスな声に加えて、「ワンダーフェスティバル」みたいな屋内でのイベントでガレージキットの作品をフラッシュなしでバシバシ撮るにはレンズが明るくなけりゃダメってな声がハートにストライクをかましてくれて、デジタルカメラは211万画素でかつレンズがF2・0からとゆーコンパクトカメラにもあまりない明るさを誇るオリンパスの「OM−10」、なんかじゃなくってデジタルカメラの「C−2020ZOOM」に決定即購入、確かあずまさん家もこれ使ってたよーな記憶があって、形から入るのが心情な人間にとっていろいろ出来て有名人も使ってててな商品のプロファイルが捻れた物欲魂を満たしてくれる。問題は自宅のマックのそれもLC575なんて遺跡級のマシンだと、フラッシュパスでもスマートメディアからの画像が取り込みづらいってことで、仕事用のノートパソコンをかついで家へ会社へと持ち歩かなくっちゃならない日々になりそーで、体力気力がちょっと萎え、いっそ買い換えるか家のマシンも、ってな具合にもはや定説あんだけど、物欲は満たされた途端に新たな物欲を呼ぶのであった、ああボーナスが。

 宣伝だけだったら中谷美紀さんのオリンパスより東芝の方が好きだったりするんだけど、残念ながら光学機器ってイメージがなくってパスしてしまったんです御免なさい仲間由紀恵様、だから代わりにって訳でもないけれど、無駄遣いのものはついでと集英社から刊行された仲間さんの2nd写真集「20th」(橋本雅司撮影、2800円)をようやく買う。清水香里さんの写真集も一緒に買おうかと思ったあたりに立派な大人としてはなハズレっぷりがのぞいたけれど、ここは我慢と仲間さんだけに止めたんだけど結局は一緒か。表紙の写真が眼の横に髪の毛の1筋下がっている図でセレクトした人への疑問もちょっと湧いたけど、中身はとにかく仲間さんオン・パレードで水着もいっぱいあって嬉しい限り、「HUNTEDじゃんくしょん」コスプレなんか無いのも過去を帳消しにして一般女優として立派に歩んで行こうとする現れと理解する。カバーをはずした中表紙にも凝った絵が使ってあってこれまた良い感じ、けど全体通して美人なんだけどそこを抜け出す存在感が醸し出されてないのは、未だに代表作を持たないキャラクターとしての弱さなんだろーか、とにかく1本脇じゃなく主役でピン立ちして頂きたいですアニメゲームな時代からのファンとして。

 ダメだ記憶が飛んでしまってて最近会ったいったい誰の友人だったか知り合いだったんだろーな、ーアスペクトの人が編集した水木一郎さんのすべてが詰め込まれたまさにバイブルとでもゆーべき本「アニキ魂」(アスペクト、3800円)が課題図書で届いたんで読みつつ熱き魂に触れて思わず雄叫ぶ、「ぶろろろばーんっ!」。去年の夏の河口湖での「24時間1000曲ライブ」の密着ルポと本人談話のリポートなんかは現場にいた人いなかった人にも共通に凄みを伝えてくれて感動物だし、何よりデビューから現在までのディスコフラフィーをジャケット写真込みでオールカラーで並べてみせた編集技が圧巻、ページをめくるたびにうずまく懐かしのフレーズに、頭の中で再びの雄叫びが鳴り響く「ぶいぶいぶいっびくとりーっ」。ゲストで登場の堀江美都子さんが年齢不詳な可愛さ見せてて良いカンジ、今度は「ミッチー魂(仮)」の刊行なんかも期待しちゃってるんだけど、どう?

 シュークリームからかわかみじゅんこさんお「ネオンテトラ」(飛鳥新社、981円)届く、経緯不明。ポスト岡崎京子さんって言ったら超乱暴な感じもするけれど、分かりやすいから使えばいわゆるそーいった系統の子供じゃなく大人でもないティーンな女の子の今時な感じを取り入れて人気な漫画家の系譜に連なるらしー人に見えたけど、絵に癖がなくネームがストレートで読んで見やすく分かりやすいのが良い。美人のオカマとクールな女性の2人組をメインに据えた「息もふれあうくらいにね!!」のドライブ感あるギャグの畳み掛けがなんか好き、とくに「オレも男だ作戦」なんか。ついでに届いた同じ作者の「ワレワレワ」(宝島社、933円)の終わりから2作品、「JYO and YASUDA」の最後の「現実(リアル)」の1言とか、次の「さらさら」の「あんなでけえのはいんねもの」の1言とか、特異なシチュエーションから放たれるあからさまな言葉の衝撃度の高さはなかなかで、こーいった方面を伸ばせばシリアスとギャグとの中間をピタリおさえる稀有な才能になりそーな気もしあけれど、さてはて本人の資質やいかに、他のもじっくり読んでみよ。


【5月30日】 そろそろと近づくボーナスなんかを見据えてデジカメ購入なんぞを考えてはみたものの、根がカタログ人間で一生を10回繰り返したところで絶対に使わないよーなスペックでも気になってしまって迷い、挙げ句にタイミングを逸する優柔不断野郎だったりするから、朝に夕なに「さくらや」「サトームセン」「石丸電気」なんかをのぞいて手に取りカタログを集めてはみたものの、やっぱり一向に何を買うべきなのかが決まらない。

 とりあえずは200万画素を超えててスマートメディアでズームってことでリコーの「RDC−5300」とオリンパスの「C−2020ZOOM」あたりを候補に上げてはみたものの、二者択一となってからの迷いの方が実はキツくってカメラのメタファーを取り入れてるリコーのレンズカバーありでUSBにも対応ってなところが実にキラキラ輝いて見える一方で、カメラだったら絞り優先シャッタースピード優先といったマニュアルな操作が出来てこそってな点でオリンパスに惹かれてみたりともう大変。そうこうしているうちに売れてる物へのだったら欲しいってな心理がコンパクトフラッシュ使用であるにも関わらず「イクシーデジタル」へと気持ちを走らせたりして、くんずほぐれつの気持ちのバトルロイヤルはしばらく続きそう。こんな時に限ってより魅力的な新製品とかが出て来ちゃうんだよなー。

 「ヤングキングアワーズ」7月号購入、アンミラの高見ちゃんがアンミラの高見ちゃんがアンミラの高見ちゃんがアンミラの高見ちゃんが……ゴホン、ちょっと取り乱しましたすいません40ページのバモスの荷台に飛び乗るシーンのチラリ三角がやっぱり男心を擽(くすぐ)ります、あと42ページのローラーブレードを装着するために上げたフトモモの白さとか。相変わらずリペリングが苦手な成沢嬢の奮闘ぶりは微笑ましいけど頑張った挙げ句に「会場外でのコスプレは厳禁だ」と言われてしまう場違いぶりってゆーか場ぴったりぶりが何か滑稽、あるいはコミケの会場に出向いた婦人警官を西館4階のコスプレ広場に向かう入り口で「チェンジ持ってる?」と行って止めてしまうよーな本末転倒ぶりってゆーか。制服は時と場所を選びましょう。

 綾金なんで何ってゆーかは不明だけど名古屋だったら昭和区にある鶴舞公園の中にそびえ立つ、かつて「コミカ」なる同人誌イベントが開かれていた(今もどーかは知らない)名古屋市公会堂にも似た古い建物の前を出て、これまた鶴舞公園だと「音楽堂」と呼ばれる柱が周囲をグルリと囲んだ屋外の建築物をバックにしての攻防戦から、しつこく鶴舞公園で言うならグラウンドへと出て対峙した神楽総合警備とハウンドと米海兵隊のこれからに、あるいは八幡山古墳から荒畑御器所川名へと至る戦火の拡大なんかを予想しちゃったけど綾金なんでそーなるかは不明。ハウンドがバックにした建物って愛知勤労会館だったっけ? 赤煉瓦っぽい名古屋市中央図書館なんかもそのうち出るのかな、って違うここは綾金、出てもせいぜいが鶴舞劇場だって、天下に名高い「ヌードの殿堂」な。

 ジャパンアミューズメントエージェンシー、と聞くととっさに身構える人もあるいは恵比寿とか中目黒方面にいるかもしれない会社が開いた新製品の発表会に行く。身構えるって例えば机の下に身を隠すとか窓際から退却するとかチョッキを着るとか念仏を唱えるとかドアを鉄製に変えるとかいった専守防衛的な行動だったりするけれど、どーしてそーゆー連想が浮かぶのかを説明するのはちょっと難しい、角川春樹的に言えば「第一直観」ってことでしょーか、本能のレベルで何かとてつもないことが起こってそーな印象を持つんですよこの会社名と出資している企業の名前に。

 商品自体はすごく良い。その名も「レコスタ」はアミューズメント施設の店頭に置けるよーな小さなカラオケボックスみたいなもので、音楽に合わせて唄ってそれをその場でCDに焼いてデジカメで撮影した写真をプリントアウトして張り付けて、世界に1枚な「マイCD」を作れるよーにしよーってな構想のもとに創られていて、どことなく「プリント倶楽部」に似てるなーと思った案の定「プリクラ」な一家が出資本でもあるアトラスから移ってバリバリと言わせてた。もともとは「プリクラ」の延長っぽかった製品が、有力なコンテンツホルダー(芸能プロダクション)の参加を受けてより戦略的なものへと発展したことがよく分かる。

 問題は、と言い出すと首を洗ったりチョッキを着たりと結構大変な予防措置が必要なんで詳しくは説明しないけれど、それとは別に800円でシングルCD1枚を焼いてくれてジャケット撮影にパッケージを入手できるゲームを、果たして高いと見るか安いと見るかってなあたりでの問題が浮かび上がってくる。プリクラだったらキャラクターのフレームへの使用にキャラクターの権利者への支払いが当てられていたものが、今度は音楽ってゆー複雑な権利関係を持つものへと発展したことで、メディア(記録媒体)料とかジャケット料とかってなロイヤルティーにサプライ用品といったものへの定期的恒常的な資金拠出が必要になって、800円の売上のいったいどれくらいがゲーセンの運営者の手元に落ちるのかに興味がある。

 1回のプレイに歌入れかジャケ写撮影に至るまで、楽に10分はかかる1ゲームが1時間にせいぜい5組ってな限界を導きだし、1日に入る売上のどれくらいが設置者に入るのかを割り出したくなったけど、そんな値段的スペース的限界を超えて、「芸能界」と直結した回路を持ったマシンのアドバンテージが、ユーザー数も設置店舗数も伸ばし続ける可能性もなきにしもあらず、だったりするから難しい。「つんく」がプロデューサーになって応募された歌を審査する、ってな幻想があるだけでも立派なアドバンテージなるからね。

 ココリコとか森ひろこなんかは刺身のツマ程度と見て、後は周囲でご飯をかきこみながらひたすら元SPEEDな上原多香子さんが挨拶に登壇して来た姿を目におさめる、まあ綺麗、10メートルもない距離での多香子はなるほど衝撃的で、発達し続ける胸元とともに目のやり場に結構困る。うーん、こんな人間が果たしてうらやましいかい、でも仕事なんだよ、仕方ないんだよ、申し訳ないなあ、悪いなあ。我に返ってやっぱり今時なマシンあっても、果たして新製品を置いたゲーセンがペイできるだけのビジネススキームが組まれているかってな点がやっぱり気になる、これって成否の分かれ目みたいな要素だから。1回の利用料、800円のうちのどれくらいがサプライ用品とか肖像権関連商品へと振り分けられてているのか、ライセンス料にネット接続料を払い続けることを覚悟で270万円もの高価なマシーンを買って、果たして設置者は儲けられるのか。どこかにお金が貯まって消費者も設置者も困るってな状況にはなってないことを願ってます。


【5月29日】 もちろん毎月の「ロプ1(ロフトプラスワンを勝手に無理矢理略した)」スケジュールは「噂の眞相」「創」なんかでチェック済みなんで、「バロック」な米光一成さんが平和島ミチロウさんと6月2日の夜7時半からトーク酒場「ロフトプラスワン」で今は懐かしいファミコンのゲームを集めて壇上で楽しんであげちゃおう(客はそれを見るだけ)とゆーイベント、その名も「ファミコン1000本ノック2000」を開催するのは1カ月前から認識はしていたけれど、ここに宣伝しておけば当日に綺麗なお姉さんとかを紹介してくれるなんて良いことがあるかもしれないし全然ないかもしれないので、とりあえずは告知して広く皆様のご参加を呼びかけよう、さあ行こう「ロフトプラスワン」は6月1日夜の「マンガロン」by鶴岡法斎ナイトへ。6月7日夜の「ブルージェンダー」ナイトも捨てがたいぃぃぃ。

 まさかこんな本が日本で出るはずもなかろーと思いつつも逆に「戦闘美少女」大好きな日本だからこそ刊行も可能なのかもしれないとも思えたアウトサイダー・アートの代表格、ヘンリー・ダーガーの画集「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」(ジョン・マグレガー著、小出由紀子訳、作品社、6500円)がいよいよ刊行されて本屋に並んでいたのには、事前に刊行に向けた作業の数々をホームページ上で知らされていたとはいえやっぱり驚く。斎藤環さんの「戦闘美少女の精神分析」(太田出版、2000円)や「アサヒグラフ」の四方田犬彦さんの文章なんかで最近話題沸騰の感あるダーガーだけど、こと作品となるとまとめて見られる機会はなかなかなく、ましてや「ヴィヴィアン・ガールズ」の物語を抄録でも読める機会なんてこれがおそらく初めてだろー貴重な本、値段は超高いけど永久保存の1冊として本棚(なんてものはすでに壊滅してるんだけど、我が家じゃ)の上に飾らせて頂き日々欠かさず拝ませて頂きます、そのグロテスクに可憐な少女たちの絵を仰ぎ見つつ。

 「宇宙家族カールビンソン」の「少年キャプテン」連載版のラストに当たる11巻と「月刊アフタヌーン」で連載中の「ロスト・イン・ユニバース」改め「宇宙家族カールビンソン」をともに購入、たたや274ページもあって524円でこなた152ページで457円ってな値段の格差は再録と新録の差みたいなものだろーけれど、今さらながらの特撮ネタ&リアルなおとうさんネタを入れ込みつつも小賑やかなコミュニティの終わらない非日常を描き続けていた「SC版」の面白さがを再発見してしまい、大きな流れがまだ見えない「アフタヌーン」版がちょっぴり物足りなく感じてしまうけど、何しろ世界を騒がすあさりよしとおさんのこと、きっと小ネタ大ネタのパロディを入れ込みつつも遠大にして壮大な物語をバックにしたコップの中の小春日和な日々を描き出してくれるだろー、と思って良い?

 もー出てた小説版「フリクリ」(榎戸洋司、角川スニーカー文庫、381円)は薄っぺらいだけあって値段もチープでよろしいけれど、中身は案外と濃くって口絵のモノクロだけどイジワルそーな表情は存分に出ているニナモリ・エリの小悪魔的キュゥトさも含めたキャラ表やイラストが良く、本編だと猛然と過ぎていった割には情報量たっぷりで2度見ても3度見ても分からなかったりする物語の再録が緻密になされてて、副読本ってよりは完全に1つのノベライズとして読めないこともないけれど、やっぱ本編あっての小説だからDVDは買おう、安いし。けど第1話の「フリクリ」はともかく第2話の「ファイスタ」までもが薄っぺらい中に小説として詰め込まれているのはオーマイガッ、先を読みたい気分に背中から東丈&プリンセス・ルナin「幻魔大戦」映画版のよーなオーラをめらめらと沸き立つものの、ここで読んだら6月21日発売のアニメ版「ファイスタ」の楽しみも減ってしまうってな気持ちがハートをつついて心がイタい。読むべきか読まざるべきか、困ったけれどとりあえず1つだけ、ナンバダ・カモンは「エヴァンゲリオン謎本補完計画決定版」ってな本を昔刊行したことがあるんだとか、何だそりゃ。

 カモン違いで加門七海さんの「呪の血脈」(角川春樹事務所、1900円)を買ってその日のうちに一気読み、何かすっげー本のもったいない読み方のよーな気もするけれど、残る人生に読める本の冊数なんてたかが知れている、読める時に読んで読み倒すのがたとえ挙げ句にのたれ死のうとも我が人生なのだ、「オジイサンハサイゴマデホンヲハナシマセンデシタ」。民俗学の研究者が絡むって意味で読んだばかりの北森鴻さんの新シリーズ「凶笑面」(新潮社、1400円)とも重なるテーマだけど、こっちは主人公は謎めいた血筋を持つ一族の長兄で、その彼がとあることから神様の怒りだかを沈める祭りを執り行わなくてはならない羽目となって、その過程でいろいろと複雑なことが起こるとゆー展開になっていて、1つの民俗学的なエピソードに1つの事件を絡める北森さんの本とは方向性も結末も全然違うものになっている。

 地方に伝わる伝承によって祭られている神様が怒るだけでどーして山ほどの死人が出たり社会が混乱を来すよーになってしまうんだろーかとゆー疑問があって、ここで伝奇めいた話になれば闇の一族がどうとかいった具合に世界を影で支えるなり動かす巨大な力の存在が明示されて、スケール感の中にちっぽけな村の神事への意味を持たせようとするんだけど、そーゆー感じのないままに社会を脅かすよーな機会な出来事が繰り出されてしまうと、あるいは日本中の神様が起こったらいったいどれだけの人が生け贄にならなきゃいけないんだろーかとも考えたけど、まあそれはそれ、お話の恐さと面白さを出す為だったら、たとえ蝶の羽ばたきの1つで世界が暴風雨の中に滅びたってそれは正しい振る舞いなのです。「レキオス」(池上永一)に「凶笑面」に「呪の血脈」で伝承のもたらす災厄なり伝承をベースとした物語の面白さを現す本が重なったんで、これで横軸切ってみるか。あと坂東真沙子さんの岩波から出た土佐の伝承を土台にした短編集もあったっけ、それにしても日本人って伝承が好きだねえ、失われてしまおうとしているものへのノスタルジーなのか、失ってしまおうとする行為への疚しさからの鎮魂なのか。


【5月28日】 続続々と新刊文庫化の相次いで人気な北森鴻さんの新シリーズにして美貌の民俗学者が主人公とゆー何とも今時なミステリー「凶笑面」(新潮社、1400円)を読む。助手の鋭いところはあるんだけど最終的には取りこぼす青年が主に狂言回しなワトソン役を買って出る辺り、森博嗣さんの「犀川&萌シリーズ」の逆を行くよーな設定でこれまた今時だけど、あちらが合理的な応えを探る理系ならこちらは民俗学とゆー推理と立証と想像の混然となった果てに解答を探る文系な感じがあって対比してみると面白い。もっとも主人公の美貌な蓮丈那智さん、民俗学とゆー前提の上では先入観を排して論理的な思考でもって真犯人を当てるから、その意味では犀川助教授とも重なる部分があるような。莫迦は嫌いよって辺りは榎木津的御手洗的。それでも他の誰よりお近づきになりたいのはやっぱり美人だから、でしょう。漫画化希望、映画化なら主演は誰が良い?

 行く先々で必ず人が死ぬ、ってあたりは怒っちゃいけない探偵物なんだから。それを置けば出てくる物証の民俗学的な推理の延長線上で蠢く人々の感情のもつれや行き違いを浮かび上がらせる手法は、ベースとなる民族学的な推理の確かさがあって初めて成立するもので、その点でもともとが歴史物、骨董物なんかで出てきた人らしく、行き届いて納得の論が展開されていて驚かされる。たがみよしひささんの懐かしの「精霊紀行」シリーズなんかとの相似点を思い浮かべてしまったけれど、あちらはスーパーナチュラルな解決が多かったから、それはそれでこれはこれと比べつつ楽しむのが良さそう。中に「狐罠」(講談社、1900円)のシリーズとの接点なんかもあるけれど、これのほかのシリーズ(出てたっけ?)を読んでないからそーゆーことになってたのか<狐>ってちょっと吃驚。探して読み直してみよー。

 横浜へ。目的は横浜美術館のギャラリーで開催中のハイナー・シリングってドイツから来て日本の街並みを撮った写真家の作品展に関連したトークショウを見るためで、目当てはもちろん山形浩生さんだけど、ほかにも都市を撮る写真家の荒木経惟さん森山大道さんから最近のホンマタカシさんたちとのどれほどの差異と共通点がドイツから来た写真家にあるんだろーかとゆー興味もあって、東京の不思議な建築物を撮り溜めていくプロジェクト「メイド・イン・トーキョー」を展開する建築家で東京工業大学大学院助教授の塚本由晴さんの登壇ともあいまって、東京なり東京近郊といった世界に稀なる不統一な巨大さを持ったゾーンへの、どんな視点が繰り出されるのかに期待がかかる。

 とりあずは2カ所で展開中の「ハイナー・シリング展」のうち「ポートサイド地区」にある「ヨコハマポートサイドギャラリー」へ。横浜市の一応は玄関口にあたる駅からほど近い場所であるにも関わらず、元町とか関内とかってな方が賑わってるんだろーか、新しい港の側の街は建物こそ新しいのに人気がてんでなくって、完全な人工都市の幕張に人気がない以上に繁華街に近接しながらも見捨てられた感じが、都市開発の思惑と結果との解離の気持ち悪さを感じさせる。ハイナー・シリング自体の写真が、そんな増殖して開発され発展する人工の群落がその実人間の営みとは解離した無機的な変成に過ぎないことを示していて、同じく「みなとみらい21」とゆー人工の繁華街にある「横浜美術館」での開催とゆーロケーションの面での共通点とも相まって、見る人間に自分の立っている場所の不可思議さを感じさせる。

 と同時に、かつては人間が主役として集まり住んで増殖させて来た都市が、今日では先に膨張した都市に人間がふりまわされ集めさせられ住まわされるとう、主客の転倒が起こっていることも同時に現していて、「ポートサイドギャラリー」では駒沢公園にある陸上競技場に昨日はゲートボール今日はアーチェリー明日は運動会と言った具合に、中身だけが変わって外側の変わらない様が3枚の写真で提示されて、器に合わせる人間の様が浮かび上がる。団地の小さな公園で遊ぶ子供とか、眼下に見おろされた明かりの1つ1つの中で営まれる生活とか、巨大なシステムに取り込まれた人間の蟻ともウィルスともつかない姿が頭をよぎると、果たしてこれで良いんだろうかとも思えてくるけど、公園じゃなく階段の下で、広場じゃなく屋上で子供は隠れて自分たちだけの居場所を作って遊ぶもの、って宮台真司さんも前にトークショウで言っていたし、これで人間はしたたかに都市の膨張を手玉に取って生きていけるんだろー、すでに取り込まれている大人が邪魔さえしなければ。

 「ポートサイドギャラリー」から徒歩でだいたい15分もかければ「横浜美術館」。途中にあるモールによって「デオデオ」で「イクシー・デジタル」が売られているのを発見したけど、使ってるパソコン用に「スマートメディア」用のPCカードを買ったばかりで「コンパクトフラッシュ」のキヤノン製品をどーしたもんかと考えるあたりがちょっと貧乏臭い。でもほんと小さいっす欲しいっす来月買うっす貧乏っす。さてトークショウ、登壇した山形さんは千鳥格子のジャケットに黒いTシャツ黒いパンツで靴がエンジニアリングブーツだったりするあたりが長身ともあいまってなかなかな迫力、塚本さんも助教授な割には赤いTシャツで白いスゥエードのデザートブーツだったりするあたり、ハイナー・シリング曰く「建築界のポップスター」と言われるだけの若さセンスを見せている。っても当の塚本さんは「ポップスター」とゆー語感に示される「巧みに踊る人」ってなニュアンスが、どんな言動であっても責任を持って取り組んでいる自分のスタンスと相容れないんじゃないかって嫌がっていたのが純朴というか真面目というか。

 トークショウは口火を切ってその塚本さんが「メイド・イン・トーキョー」のスライドを披露する形で進行。スーパーマーケットの上に自動車教習所を作ったり生コンの製造所の横に住宅をつなげたり紙の倉庫の上にテニスコートを作ったり高架の下に電気街を作ったり首都高の下に商店街を作ったりする、スペース上の制約を強引に突破しよーとする建築物の数々をネガティブじゃなくポジティブに取りあげようとするスタンスを示して、東京って街の何でもありぶりのどうしようもないいとおしさを表明する。間をおいて塚本さんはアパートで買われている犬の客観的に見れば可哀想なんだけど当の犬の決して不幸せそうではない言動(犬なんだから物は言わなないわな)に、東京とゆー街で暮らす面白さを見たと言ったけど、対してドイツ生まれのハイナーは「許せない」と犬のとりわけレトリーバーみたいな大型犬を平気でマンションで買う人間への非難を表明していて、「ここが違うんだなあ」ってな差異が塚本さんの口を通して顕在化されて面白かった。

 山形さんはショート・ショートながらもハイナーの写真からインスパイアされてSF小説の連作「エントロピーの森」(ハイナー・シリング展実行委員会、1500円)を書いただけあって、胎内に棲息する大腸菌が人間の存在を認知せずとも生きている様から連想して、都市に暮らす人間は、都市なり世界なり宇宙といった「より大きな存在」に対して役割を持っているのかを認知できないまま、そこに存在しているんじゃないかってなイメージを提示して建築な人写真な人からの賛辞を受ける。より大きな存在が何かってあたりの疑問に本格的に取り組めば、それこそ光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」なり昨日読んだばかりの梶尾真治さんの「ジェノサイダー」になってしまうけど、そーいったSF的な発想への飛躍になるか、あるいは人間の欲望企業の思惑政治の駆け引きといったものの複合体になるかは別にして、そーいった「存在」への考察を断片のような短編じゃなく長編なり評論なんかで示してくれると面白いかも。

 集まった会場の観客の案外大半は塚本さんの生徒だった可能性が高いよーで、出てくる質問はほとんどが塚本さんに回りもっぱら通訳に撤する山形さん。あれほど世の中に「山形リスペクター」を標榜する女性陣がいたとゆーのにどーしたのか、やっぱり横浜は遠いか。終わったあとで展覧会場へと戻った時に挨拶、何ってゆーかこーゆーオタクな言動ばかりしていると、よほど体重に余裕かましている人間と見られるらしく、前にも同様のことを言われた記憶があったけど、想像していた人物像とのギャップを指摘されて喜んでいいやら驚くべきやら。せっかくなんでハイナーのと合わせてカタログにサインをもらったら、キース・ヘリング風マーク・コスタビ的な得体の知れないダンシングキャラクターが描かれて謎が深まる。6月17日は写真界のプリンス(っても歳いってるけど)なホンマタカシさんも迎えてのトークがあってヒロリンいったい何を話すか興味津々、ホンマさんファンな婦女子の嬌声をかき消すべく集え山形リスペクター、花束にテープに拍手に口笛で応援するんだ、あたしゃ心から応援します、心だけで。


【5月27日】 たぶん97年かあるいは98年の対高田戦の前くらいに夏休みを利用して渡米して、カリフォルニアだかにある道場で5分ほどヒクソンとスパーリングをしたことがあると言っていただけあって、とてつもない骨法使いにして「サンケイスポーツ」の格闘技担当とゆー絶好のポジションにいながら何故か元同僚だったりする川田尚市記者の書いた「サンスポ」の記事は、冒頭から「横綱相撲だ」と試合は一方的なヒクソンの勝利だったと見る内容。「スポーツニッポン」なんかを読むとヒクソンは船木に対して紙一重だった的コメントを贈ってその強さを讃えていたけれど、それも勝者なられではの余裕であって試合における立場はやはり「サンスポ」にあるよーに「終わってみればヒクソン自作自演の一人舞台」、だからこそ船木も相手の圧倒的な強さ恐さを認めて引退の言葉を口にしたんじゃなかろーか、って思うけど実際のところどうだったのかは格闘技経験の一切ない身ゆえ分からない、何かさっさとDVDビデオも発売されるみたいなんで買って回してホントの所を探してみよー、中継だと飛ばされてしまったヒクソンが裸絞めへと移る瞬間の動きがマルチアングルで入っているといーな。

 することのない土曜日(原稿書けよとあちらこちら)なんでキックボードを蹴って市場にある「ブックオフ」へ。新古は買わないけれど絶版っぽい本は買って何がいけないだー、と自己正当化しつつ「覚悟のススメ」なんかを立ち読みしたり文庫の棚を物色して時間を潰す、こーゆー時間が本野郎にはタマらなく楽しいんですわ。朝日ソノラマからノベルズの形で再刊された加門七海さんの「人丸調伏令」の文庫版がオール初版で揃っていたけど持っている、はずなんでそれは見送り参考用にもう5刷(売れてたんだなあ)になっている無印の「人丸調伏令」(ソノラマ文庫)を購入、そうでしたイラストは鶴田洋久さんでした。ノベルズ版だと草ナギ琢仁さんの流麗な油絵たっちの絵になっている人丸も、鶴田さんの絵だと一角を伸ばして顔は女性で可愛いかったりして、個人的にはこっちへの入れ込みも結構あったりするんだけど、物語が醸し出す人と鬼の相剋を見る限りは絵の可愛さよりもシビアさでもって草ナギさんの方がマッチしているよーにも思う。ヤングアダルトの内容かイラストかの問題はなるほどやっぱり難しい。ノベルズと文庫の違いは不明、まあどっちを読んでも楽しめますからご安心を。1冊100円シリーズ5冊で500円はお買い得。

 ソノラマ文庫だと「天夢航海」「こんなに緑の森の中」の谷山由紀さん初の文庫本「コンビネーション」が2冊も並んでいてファンには嬉しかったりするかも、既に持っているから買わなかったけど、行ったらついでに漁ってみて下さい、船橋オフとかの前哨戦にどーですかそのへん。平井和正さんの角川文庫での短編集とか梶尾真治さんのソノラマ文庫から出ていた「ジェノサイダー」とか適当に仕入れて帰宅、ヤングアダルト系はなかなかの充実ぶりだったけど古橋秀之さんも「ブラックロッド」のシリーズしかなかったりするからレアなものはレアなりにやっぱり本気で探さないとないのかも。相変わらず新風社の自費出版っぽいファンタジー系の単行本があったりして、いつか揃えてどんな中身かを確かめたいけど、天然な電波が入ってる可能性もあるしなあ、まあそのうちに。イっちゃってた時期の平井さんが執心してたリム出版の「アトランティス」も上下であったけどこれって電波ってたっけ?

 某クッキィ(誰やねん)も「読まなきゃ」と言っていたマイケル・クライトンの新刊「タイムライン」(酒井昭伸訳、早川書房、上下各1700円)を手に取ったのが午後の7時でそれから3時間くらいかけて下巻の終わりまでを一気に読み込む、うーんやっぱりクライトン、ページをめくらせる手腕にたけえます、生粋のエンターテイナーだなあ。「SFマガジン」とかが渾身の力をこめて特集している、物語の中でタイムトラベルを実現する上で重要な役割を果たす「量子タイムマシン」についての記述は、知っていればそれなりにクライトンの力技を楽しめるかもしれないけれど、別に知らなくっても「そんなものがあるらしい」ってな感じで物語りに「らしさ」を与えると同時に、これがなければタイムトラベルは不可能なんだという「制約」も同時に与える道具として機能しているんだと、そう思って読めばテクノロジーも実現性もそれほど関係ない、と思うのは私学文系で物理3(10段階)な人間ならではの負け惜しみ?

 まあハードなSF読みな人からは怒られるかもしれないけれど、SF的なガジェットってのはシチュエーションを作り出すための道具であって、お話し時代の面白さはやっぱりキャラクターの立ち居振る舞いやら展開やらってな部分にかかって来ると思っているから、実のところ量子コンピューターが思いこみタイムトラベルでもかまわないんだけど、思いこみだでて時間を飛べると生じる不都合もある訳で、道具にタイミングが揃わないと飛べないよーな設定を持ち込む上で「ガカクノチカラ」はやっぱり有効性がある。加えてクライトンは「量子タイムマシン」が招く転写エラーの問題も物語に折り込んで展開に関わらせていて、ここいらあたりに単なるガジェットのパクり屋じゃない、ガジェットを理解して起こりうる可能性をつぶさに検証した上で、展開の中で自然に明示して見せられるだけのストーリーテラーとしての能力も存分に見せつけてくれる。ラストの溜飲の下げっぷりに涙腺の刺激っぷりも流石。文庫で読むには最高の時間つぶしかもしれない、ってつまりは良質のエンターテインメントってことですね、ダンワーシー先生。

 「六番目の小夜子」はクライマックスな体育館での劇のエピソードその1。よくぞ集めたってな人間の多さが物語に臨場感と迫力を与えてくれていて、募る緊張感に結構見ていて胸躍る。場の雰囲気に呑まれて生徒たちが冷静さを失い劇の成就にのめり込んでいこうとする場面の心理状態がなかなかに怖い、義務感に集団心理に優越感が働くと人間っていとも感嘆に取り込まれるんだなー。鈴木杏の同級生でノート持ってうろうろしてた靨(えくぼ)の秘密あげたいの、じゃないエクボ娘の相変わらずの可愛さも良かったけれど、体育館での劇を仕切った文化祭の実行委員の中で劇の信仰を説明したインカムつけた女の子もなかなか、ってつまりは美少女だったら、ってーか少女だったら誰でも良いってな節操のなさがバレてるんだけど。劇が終わってさてはて次回以降はどんな展開になるんだろー、すっかり原作が頭かた落ちてるんで、テレビは設定が中学生になっているから高校生の卒業を控えた微妙な時期の心の多感さは表現できないだろうってな意見への共感も批判も抱くことなく、むしろ今時のスレた高校生よりはよほど中学生の方が多感だよなーってな気持ちを持って、物語の行く末を見ていける。残り話数が楽しみ、であと何話なの?


【5月26日】 小川一水さんの「イカロスの誕生日」(朝日ソノラマ、600円)は現実の政治経済社会軍事との折り合いをつけようと頑張る筆が好ましいだけに、何故飛べるようになったのか? とゆー根本的な切迫した問題に対する答えが欲しい気がしたけどこれって贅沢な望みなのかなあ。腸が短くなるのだって顎が細くなるのだって世代が1つ分は必要なのに、羽根が生えて飛べるよーになって進化までしてしまうんだから、よっぽど喫緊の人類が対処しなくちゃいけない課題があったんだろーか。なまじっか現実の政治の仕組みをリアルに取り入れているだけに、変態の部分での唐突な感じがどうしても気になってしまう。寓話的に描いてあるんだったら、読んでもっと気持ちのジンジン来たかもしれない、圧迫とか統制とかへのオブジェクションとして。社会のどうしようもない理(ことわり)を知ってしまった物事を相対的にしか判断できないスレっからした大人なんかじゃなく、純真で直裁的絶対的に物の善悪を感じ入れる少年たち少女たちに読んで感じて欲しい本、かな。

 どーやったらこれほどまでに身も蓋もないシチュエーションにダイアローグが書けるんだろーかと何時も感嘆している明智抄さんのシリーズ待望の第2巻「死神の惑星」(集英社、505円)が出ていたんで買う。戦争によって激しく汚染されて復興の途中にあるグラーシスに吹き溜まって来た天才科学者のクローンやら軍情報省の天才的なコマンドながら相棒を失ってしまい今はしがない酒場の店主に実をやすいている男やらその店を手伝っているクーニャンながらどうやらマエがありそーな少女とか、あれこれありそーな人たちが出てきては過去を語り次いでいく展開の第2巻は、すでに語られた酒場のロイの続いてヒトリと呼ばれる天才のクローンの過去のいきさつに始まって、グラーシスの壊滅と再生の両方に関わった女性政治家、鈴木エリザベートの生い立ちにもっぱらスポットを宛てたエピソードが巻末を過ぎても終わらず次に続いている。

 政治家と結婚する際の嬉しそーに微笑んでウエディングドレスを来たエリザベートの1枚絵のバックにつけた言葉が「私は−/ヨクサンを私の思い通りに動かせるかもしれない−!!」だったりする、あからさまにも真理をするどくつく描写力は、長い間を全身麻痺のまま外部からの刺激だけは存分に認識できる状態で成長して来た少女が、起きあがって世界を「理解」していく過程を、経験するというよりは知識を確認していくという感じで辿っていく展開の、どこか非現実感を想起させるニュアンスとなって発現している。人間社会の機微を「ルール」として認識していて、叩いた彼氏が明日は謝るってくるんだと予想してつまらないと思ってしまう感性を描いてしまえる部分とか、どーやったらこんな世界を客観的に見てしまえるんだろーかと作者の心の強さを思う。だからダイエットだってちゃんど出来てしまうのかなー、思考と行動を一致させられる冷静さが羨ましい。続巻とかって何時でるのかなー。

 セガ・エンタープライゼスの社長を兼任する大川功さんの顔を見に東京証券取引所へと出向く。その前に前の立会場を仕切って作った奇妙な中2階のスペースで大川さんが名指しはしないけど「虚業」と呼ぶ、ってゆーか前に会見で比べてどう思うんだと聞いてそう言わせて以来、頻繁に相手を指す時に使うよーになった言葉の対象でもあるソフトバンクが会見をやってたんでのぞく。相変わらずのにこやかに財務の健全さとビジョンの確かさを説明する孫正義社長はやっぱり他のベンチャーな経営者たちとは1枚も2枚も違うけど、本体を投資会社と言い切り公開でもって収益を上げよーとするスタンスには、良い意味悪い意味を含めて「虚業」と言われても仕方がないってな気になってくる、もはやインベスターってことなのかなあ。その割には売上の大半をソフト流通とか出版とかってな、昔ながらの事業が占めているのは皮肉ってゆーか。某クッキィも言っていたけれど、投資にしても何にしても一般の人たちの付加価値を上げなげればそれは悪ですらあるってことで、さてはて「会社」の価値を上げることばかりが目的ってな感じでスピーチをする会社はやっぱりマズいのかなあ。世界にとって自分たちの事業がどんな意味があるんだってことを、これからは説明するべきじゃありませんか。

 戻ってセガとCSKの会見。自分で作った会社の代表取締役会長の地位を擲(なげう)って(っても取締役名誉会長には就任するけど)、セガ・エンタープライゼスの社長を兼務する大川功74歳の「背水の陣」っぷりがビンビンンと伝わっては来るけれど、何せ74歳なんで後は決して豊富じゃなく、それでいながらやっぱり陣頭指揮に立たざるを得ないと思わせた周囲の状況に、なるほどやっぱりセガだなーってな印象を持つ、座すれば死ぬばかりって意味での。説明によれば本来だったらセガからの放逐も受け入れるべく他人を申し出た入交昭一郎社長を慰留して、副会長として未来に重要となるブロードバンド(広帯域)のサービス提供に向けて指揮にあたって欲しいと大川さんが頼んだとか。前にアミューズメントはまかせると言った割には出ざるを得なくない状況を作って結果、やっぱり出てしまった副会長がいるだけにどこまで仲良しかは微妙なところだけど、敢えてちゃんと人前に出ては喋るし喋らせるだけの余裕はあるみたいで、しばらくはセガのイリさんの姿は拝めそー。どのくらいしばらくか? それが分かればスクープだけど面倒だからただただしがみついてねとだけお願いしておこー。

 立ち所に原稿を仕上げて帰宅してテレビ東京で「船木VSヒクソン」の試合を見る。サミー・プレゼンツだけあって「何をやってるんだろー」会社なサミーの広告が出まくっていて、「何やってるかはしらないけれどサミーって会社があるんだね」的認知には至っただろー。何しろヒクソンの久々の登場だ、誰も彼もが帰って試合をテレビで見るんだといっていたから、その視聴率たるやあるいはテレビ東京の過去の実績を超えて新記録を作ったかも。加えてそんな期待を存分に満たしてくれる内容の充実した試合だっただけに、壮絶な展開とともにその間際まで流れていた「だって遊ぶの仕事なんだもん」企業「サミー」の存在が、格闘技ファン船木ファン、ヒクソンやおいな人間たちの延髄へと、きっと擦り込まれたことだろー。

 しかしすさまじかった第1試合は相手をダウンさせよーとはなった腕が当たった瞬間に、飛び散った血がテレビカメラのレンズにはりつく臨場感たっぷりの中継で、試合はそのままパンチが浴びせ続けられて続行不可能となって日本人の勝ちだたんだけど、血の方はずーっと拭かれずについたままになっていて、ちょっとした興奮を覚える。と同時に、20秒そこそこで決まった、そんな試合にさても日本人では最強クラスにある船木の試合ぶりが気になったけど、始まった船木正勝VSヒクソン・グレシーの試合は、スタンディングからクビを引っ張り地面に転がしマウントポジションとなって顔面をパンチパンチパンチ、地獄の奴等は受けてはくれなかったけど1人船木が滅多打ちにあい、防ごうとしてもかえされてまんまチョークへと移行する。

 返す瞬間は後で別角度のビデオで流されていたけど、まさにアッとゆー間の出来事で、次の瞬間にスルリと腕が船木のクビに巻き付いて、グイグイグイッと締め上げる。ゲストの柔道選手が「落ちた落ちた」と叫んだ場面での、完全に目がイっちゃった船木の映し出されたアップの顔が、決めるべき試合は是が非でも決めて来るヒクソンの強さ、恐ろしさを改めて網膜に刻み込む。中継ではヒクソンをあと1歩まで追いつめたとか言っていたけど、素人の目にはヒクソンの完全勝利にしか見えなかったけど、長年格闘技を見続けている森青花さんはいかが御覧になったんだろー、やっぱヒクソン勝ちだよね。自身、骨法を極めて若手のプロからも一目置かれている、らしい川田尚市記者の書く「サンケイスポーツ」の明日朝刊の記事にちょっと注目したい、昨日の時点でヒクソン圧倒的勝利って予言してたからなー。


【5月25日】 「星界の紋章」シリーズの最新刊が出ていたんで買う。題して「星界の紋章 超外伝”秘蹟”」(森岡浩之、バンダイビジュアル、6800円)はこれまでシリーズを刊行していた早川書房から版元を改めたのは別にして、本文で20ページもないくせに偉く高い値段が設定してあるのが不思議とゆーか、おそらくは赤井孝美さん渾身のイラストに相当な経費がかかってるんだと思うけど、それにしても森岡さんちょっとボり過ぎかも。中身の方は前に読んだラフィールがちょっと恥ずかしい場所に行く外伝ともつながる系統で、かつてアーヴが仕えていた滅びた人種の聖なるイコンの姿形を継承し、遺伝子技術でどうにでもなる近視を直さず顔の表面上に浮かび出る特質も取り去らず生真面目に「本」なる伝統依然の遺物を愛でる、不可思議なアーヴの存在を明示していてただでさえ謎めいたアーヴのルーツをいっそう混迷の深いものとしている。

 欲を言えば「おさげ」なる髪型は単純に縛っているだけではなくって三つに編んで欲しかった気もするし、色もアーヴに特徴のブルーではなく古式ゆかしい「ぬばたま」なんて前置きもつけて語られる「黒々」とした色に染め変えておいて欲しかったけど、まあアーヴなんで許そう。ともかくもアーヴには不思議な人たちがいるのです。あるいは「スカート」なる失われた衣装を復元し、それも裾が地面をするくらいにまで伸ばしてあるスカートを履いた「すけばん」なる尊称で呼ばれるアーヴもジントが通っていた学校には居たのかも、これだって立派な伝統だから、学園では。それにしてもプラスチックのパッケージに入って本屋じゃなく秋葉原のあちらこちらに売っている小説ってのは珍しい、おまけにおまけとしてお皿が2枚も入っていて、コースターに使うには固く鏡に使おうにも裏が黒く塗られているから難しい、使えないお皿なんだけどこれっていったい何? 耳に飾るアクセサリー? これが入って値段が6800円にもなってるんだとしたら森岡さんちょっと凝りすぎかも。冊子だけで300円のバージョンを是非とも出して欲しいなー。

 とかって言ってることが、「SFマガジン」7月号の表4の広告を見れば瞭然な冗談だと分かって頂けるとは思うけど、早とちりしてゆめゆめ本屋に「星界の紋章 超外伝”秘蹟”」を予約しよーなんて思わないで下さいな、間抜けよばわりされますから。ちなみにSFマガジンは「SFセミナー」夜の部で小中千昭さんをホストに迎えたカスタム・ドールの話とも絡む水玉螢之丞さんの人形話が載っていて、とりわけ「PGジェニー」(ペログリじゃないフォトジェニックだ)を使って超カンタンに「火星人刑事」を作る方法が書いてあって、うーんこれだとやっぱり歳が歳な火星人刑事、なんで可愛い「PG」ジェニーよりは肉体豊満筋肉隆々だったプロトタイプ「NB21」をベースに使った方が良いのかも、なんて思ったのでそのうちにやってもらおう小中さん。でもあの膚にピタピタなパンツは難しいもね。

 それにしても珍妙なりコンピュータ・エンターテインメントソフトウェア協会(CESA)。去年までは公開だった通常総会が今年から何故か非公開になったとかで、入り口で「駄目」と言われたんでまあおそらくはいろいろありそーなんで見せられないんだろーとは分かっていたけれど、せっかくなんで受付をやっている事務方の人を「元より非公開なら分かるけど今年からってのは解せない、何があるのか」と問いつめ偉めな人が出てきても繰り返し問いつめ、案の定「決まったんで」としか答えられないいかにもな事務方に「だったら良いです会長に直接言いますから」と捨てぜりふを残して退散したけど、会長に言ったところで直るとか改まる訳でもないのが業界団体の恒、なんでとりあえずはご報告方々いろいろあったってことだででも告知しておこー。

 下司なんで勘ぐるのが商売なんで急に見せられなくなったって事情の背景には見せるとマズい議題とか討論とか意見交換とかがあったんだろーと想像するのが当然なんだけど、そーゆーことをプレスな人間に想像させてしまう時点ですでにヤバいんじゃないと気づかないあたりの想像力の欠落度合いがちょっと気になる。組織が大きくなって団体の位が上がっていくとやっぱり生じる組織の硬直化ってな問題もあるけれど、もともとがゲームってゆー「楽しさ」を売り物にした商品を売って商売している人たちが、表だって人に言えないことを話合わなくっちゃいけない状況が果たしてそのまま「産業としての重要度が増したから」と言って良いのか悪いのか。人間大人になれば秘密も増えるって、なるほど確かにそーだけど、こと「ゲーム」に関してはあんまり大人になって欲しくなって気持ちもあって、総会とかパーティーの前列で挨拶に余年のない背広な方々の大人然とした立ち居振る舞いを見ながら、ゲームも偉く、そして遠くなったものだと感嘆愛憎入り交じったフクザツな感情を抱きつつ懇親会の開場をウロ付き回る。お偉くなってしまったなあ。

 駅貼りのポスターなんかでショッキングピンクが派手な「ガールズゲート・ドットコム」ってな女性向けサイトの事業戦略説明を聞きに青山へ。「スパイラル」なんてコジャレた場所を発表会場に選ぶあたりのセンスが良いんだか当たり前過ぎるんだかな印象が先にあって、さてはてどんな発表会を見せてくれるかと思ったら時間になって登壇した社長とかってな人のいかにも体育会系で体鍛えてました感の残る太めなんだけど筋肉らしい体躯と、ノペリっとしながらも彫りがしっかりしている顔立ちに、ちょっち早口ながらも尾篭なき語り口で事業戦略を説明する態度がそれなりに微笑ましく、これだったら紹介してやろーかとも思ったけれど、おそらくは博報堂時代に担当していた日産の関連で、日産レディだかをやっていた奥さんと知り合ったっぽい代理店系恋愛結婚術が、元日産レディだった奥さんの登壇で明白になってしまって、うみゃーことやりゃーがったがや風ボヤきが頭をよぎったんで本紙での紹介はちょい留保する。しかしうみゃーことやりゃーがったがね。

 久々に試写会、「EUREKA」ってタイトルの作品はそのままずばりアルキメデスの「エウレカ(見つけた)」からとったアルキメデスの評伝で、風呂に入って体の隅々まで洗ってよーやく真理にたどり着けるんだ的思考方法を学ぶ、訳ないよなー、タイトルを見てふとそー思った人もきっと10万人はいるからここいらで筆を引こう。正式には「ユリイカ」と読むらしー青山真治監督の最新作「EUREKA」は、折からの世間のバスジャック事件への注目と、前に「カメラ・ドール賞」を授賞した際に河瀬直美監督から上がって来たフィルムをプロデューサー権限でバシバシ切って泣かれた仙頭プロデューサーが担当しているにも関わらず、国内映画では無茶無謀としか言いよーのない3時間37分とゆー上映時間が相まって、世間の注目を集めまくっていた映画だけのこともあって(カンヌ「国際批評家連盟賞」も穫ったしね)、試写会にも結構な人間が早くから並んでちょっとした賑わいを見せていた。もうちょい遅く行ったらきっと座れなかったよなー、3時間37分の立ち見はすっげー辛いんで、早めに行って正解だったなー、備えよ恒に。


 生き残った兄妹の妹の方は大林監督の「あの夏の日 とんでろじいちゃん」でじいちゃんが昔恋いこがれていた結核で寝込んでいた美少女だったと後で知って人間成長するもんだと目を細める、いや可愛いです。PTSDだったっけ、そんなトラウマの現実に存在していることとも重なる人間の心に刻まれた傷の深さが明示されてなかなかに考えさせられる展開になっているけれど、それより考えさせられるのは最初の事件の後だけは騒いだものの、2年経って生き残った男が放浪を経て帰って来たら起こり始めた殺人事件の渦中にあってマスコミがどーして追いかけ回さないのか、また生き残った運転手と兄妹が1つ屋根の下で暮らし始めてどーしてワイドショーが「今のお気持ちは」と聞きに来てないのかってな疑問も湧いてくる。

 これはすなわち事件の傷口に塩を擦り込むよーな、見せかけの親切に「知る権利」の濫用に扇情的な事象への野次馬的関心の肥大化なんかを起こしているメディアに対して、そんなことをしなければほらちゃんと快復しますよ、正直あんたら邪魔なんです的メッセージを送っているのかもしれない。こんな映画を取りあげてあるいはバスジャック事件で生き残った人に見てもらって感想を聞こうなんて企画が持ち上がっていたとしたら、その蛮勇を若干の蔑視も交えて立派な瓦版的企画屋風仮面メディアだと、褒め殺してあげるんでやる時があったなら手を上げな。今日本中のメディアがゾゾゾゾッと手を挙げる音が聞こえて来ました、明日のワイドショーあたりで舞台挨拶の模様なんかも織りまぜてやってるかもな。


【5月24日】 何ちゅーか懲りない人ってのは強いなあ、ってな印象を総じて抱いた池上永一さんの「レキオス」(文藝春秋、2000円)。出てくる登場人物が皆だれも、落ち込んだりもしたけれどすぐに立ち直っては信念理想妄想に向かって突っ走る展開は、沖縄ってゆー過去に曰く因縁ありげな場所を舞台にして、アメレジアンって基地のある土地ならではの混血の子供を主人公にして、妖怪とか魔術とか信仰っていった神妙なギミックを盛り込んだ物語でありながらも、カラリと明るくワクワクと楽しい気持ちに読んでる間も読んでる後も浸らせてくれる。

 何やら過去から現在、未来に向かって世界をひっくり返そうと企む闇の勢力に、沖縄伝来のスピリチュアルなものに対する信仰でもって対抗する一種の魔術大バトル。でもって登場する人たちは謎めいた闇の力を持つ大佐に超絶天才ながらも壮絶変態な人類学者に逆さの怨霊に手法は適当ながらも外れない占いをするユタに「お祝いだからねー」と言って屋台を引っ張る2人連れにetc、曲者ぞろいのキャラクターを揃えて沖縄の持つ神秘的なパワーを引っぱり出している。厚いけれど読み始めればアッとゆー間。人類学者のサマンサの次の一手にドキドキしながら追っていくのもアリかも。

 給料日目前ってこともあって金使っても良いかな病が発生して本をドカ買い。文庫だと朝日ソノラマから出た小川一水さんの「イカロスの誕生日」(600円)とか陰陽師物らしー日向真幸来さんの「夢売り童子陰陽譚」(560円)なんか。「イカロスの誕生日」はそれまで人間社会にまるでとけ込んで暮らしていた背中に羽根を持って空だって飛べる人たちが、突然の法律施行によって自由を制限される状況になってしまった所からスタートして、差別するものされるものとの間の戦いって感じに発展していきそーだけど読み切ってないから内容は未定。

 「こちら郵政省特配課」もそうだたけど、SFチックだったりファンタジックなギミックを、未来とかファンタジックな舞台へ逃げずに現実の政治経済社会の中でどう折り合いを付けて見せるかってな点はなかなか。イカロス弾圧の法律がさして話題にも上らないうちに決まってその日から誰もが手のひらかえしたよーに冷たくなる、ってのは唐突な感じもあるけれど、知らないうちに盗聴法なんて決まってる世の中だしまあありか。特殊な存在への差別意識とかってシビアなテーマを主題に据えていながらも、落ち込まず逃げずかといって激せずに物語をポジティブで明るく繰り広げているのは「レキオス」なんかにも通じる部分かも。梅雨でジメジメした本は気分に重い時期なんで、こーゆー本は有り難い。しかし羽根ある人たちの服ってどーゆー仕組みになってるんだろ。

 さらに「なるたる 第5巻」(鬼頭莫宏、505円、講談社)。「ヴァンデミエールの翼」(講談社)が短い中にギッシリだった感じがあったのに比べると、5巻を使っても未だに全体像が良く見えないままゆるゆると進む連載のペースがまどろっこしく思えるけれど、象徴的な登場人物やギミックを盛り込んだエピソードを提示して何かの暗喩とするんじゃなく、現実の中で、ホシ丸との出会いから同類たちとの邂逅とか、政治との絡みとかを深々と描き重ねていきながら、人類の未来なんかを指し示そーとする物語だから仕方がないのかも。とは言え物語時間は進んでなくてもこっちの時間は進んでるんで、シイナの履いてる靴がだんだんと古くなって来た。300万画素のデジカメとか出せないしなあ、こうも技術や流行の進歩が早いと現代物でも「時代考証」が必要になって来るのかも。「これは98年4月の物語ではありえない」とか。

 そうかこれがデビュー作だったか加門七海さんの「人丸調伏令」(朝日ソノラマ)が「晴明。」と同様の加筆の上でノベルズで再刊。全部で確か4巻あった文庫版を上下2巻の新書に詰めてあるから寸断なく読めて嬉しい。ってゆーか買って持っているはずの文庫版が相変わらずの現在化石化進行中(石油化かも)な地層のどこかに埋もれてしまって出てこないから、やっぱり買うしかないのです。表紙は前は誰だったっけ、いのまたむつみさん? うーん思い出せないけれど今度はアニメ版「青の6号」でもお馴染みな草なぎ琢仁さんが担当、してるんだけど1枚絵を強引っぽく2分割した感じがあって下巻は何が描いてあるのか分かりにくい。どうも鬼っぽいけどあんまり綺麗じゃないなあ。

 しかしヤングアダルト系なんかで新人でデビューして飛ばず雌伏ウン念の果てに一般書の方で活躍ってな人が結構いるご時世だと、同じよーな「完全版」商売が結構成り立ちそーな気もするけれど、あんまりないのはそれだけ加門さんが主題的に深く内容的に濃い話を場所を選ばずに書いていたからなんだろー、今も鬼とか妖怪ってな主題は変化がないし、復刊しても外野的にはイメージは変わらないし作家本人にとっても違和感なく改稿に取り組めるって言う。だったらお願い、今の続々復刊の目出たい流れに従って、残る迷作「じぱんぐ」シリーズの復刊にも是非取り組んで頂きたいところ。これまた掘れない哀しさに内容はウロ覚えだけど、確か江戸東京博物館とかバナナワニ園とかも出てくるポップでキッチュな作品だったよーな。出版社違うけど朝日ソノラマさんどーですか。


【5月23日】 やっとこさ録画してあった「サクラ大戦」を見る。前週からオープニングが変わって「激帝」を歌う舞台上の花組ってな感じの絵が続いていて、手を前に差し出すさくらや前で組むすみれの微笑みもニコニコな笑顔がなかなかに目にも心にも気持ち良い。良くは知らないけれど声優さんたち本人が登場してのミュージカルだと服装が着物だったり道着だったりして戦闘服姿での踊りは見たことがなかったし、何より声優さんがじかに演じている場合だとアイリスよりも背の低いカンナってな現実を前に心にフィルターをかけて見なくちゃいけないから、やっぱり本当(つまりはアニメ)のさくらにすみれにカンナにマリアにアイリスに紅蘭のダンスの方が嬉しいような。出来ればエフェクトかかった舞台で一部じゃなくって全編を同じアニメで作った「花組」のミュージカルなんて見たい気が。頑張って総合プロデューサーの人ぉ。

 って叫んでみても、果たしてエグゼクティブ・プロデューサーの地位を守れるのかセガ・エンタープライゼスの現時点ではまだ社長な入交昭一郎さん。その去就について直接とてつもなく偉い人に聞こーとその臆面の無い社名がなかなかなISAOの新社長お披露目会見へと出向く。株式の公開に向けて専任の社長を置いた方が良いってな判断からなのか、自分の名前にとても良く似た社名を持った会社の社長を降りて会長職へと退いた大川功CSKグループ代表が、昨日の今日で登壇しては相変わらずのネットワークかぶれぶりを発揮してブロードバンドだ何だと話した後で、今やインターネットに絡んだビジネスの代名詞とも化している「e−ビジネス」の名称を日本IBMで提唱して伝道した大山俊道元取締役が新社長として紹介されて、エンターテインメントにはまだそれほどくわしくないけど覚えます的殊勝な挨拶をして、隣りに座る大川さんの期待に答えようってな姿勢を見せる。

 とは言え相手はカルロス・ゴーン日産社長の「コスト・カッター」に準(なぞら)えて言うなら社長の首飛ばしでは右に出る人のいない名うての「プレジデント・カッター」。ベンチャーの旗手ともてはやされたアスキーの創業者、西和彦さんをはじめ亜土電子(現CSKエレクトロニクス、だったっけ?)の社長だった金山さんにセガ・エンタープライゼス中興の祖、中山隼夫さんからヴァイスが付くプレジデントだった廣瀬さんを経て、遂にはセガ・エンタープライゼスのソフトな面を代表する顔とも言うべき入交さんをも棚上げしよーとしている大川さんだけに、果たして大山さんへの期待がいかほどで、それが達成されない場合はどれくらいまで我慢出来るのかってなあたりに興味が及ぶ。

 と言う訳で折角の機会を逃すのももったいないし、間接的に入交さんの去就も聞けるかなってな意図も込めて、大意で「社長の首ばっかり切ってる大川さんにとって今のインターネットな時代にそぐう社長の資質って何よ」と聞くと、イヤーンな顔をして大川さん「自分からクビを切ったことなんてありませんよお」と言ってアスキーにしてもT−ZONEにしてもセガの中山さんにしても資質に応じた処遇を行った的なフォローを入れて、決して自分が「プレジデント・カッター」でも「プレジデント・イグザミナー」でもないってな事を主張する。資質についてはあんまり言わなかったけど、「嫌いな人とは仕事したくないんだ」ってあたりが冷徹そーに見えてその実結構フィーリングが入っている、よく言えば人間味があって悪く言えば気分屋的な社長選びに関する大川さんのスタンスを示してるよーな気がする。ってことはもしも26日の決算発表で既報どーりな展開になったら、それは「嫌い」だったって事になるのかな。本人が出てきたら是非とも聞いてみたいところ、「嫌われてるんですかぁ」って。

 サイン会かぁ、とは思っても流石にこの歳で恥ずかしいんで考えてしまう仲間由紀恵さんの20歳を記念する写真集の出版に絡んだイベントだけど、「週刊プレイボーイ」のグラビアに登場しては神秘的でもなければ近寄りがたい雰囲気がある訳でもないけれど、かといって庶民的でも友達感覚でもない不思議な美貌を披露している姿に見えるにつけ、1度間近に直接まじまじと見てみたいんってな気も起こって来る。前に森林保護なんかをテーマにしたリーディングドラマで舞台に立っている様は遠くから見たけれど、写真集のよーにクローズアップされた顔もやっぱり見てみたいじゃないですか、うーんやっぱり出向くか福家書店新宿サブナード店(ってどこよ?)。

 それにしても最近のドラマや映画での顔出し仕事ばかりをプロフィルに書く仲間さんが、花子さんの変型セーラー服に真夜中の血圧をガンガン引き上げさせられたアニメ「ホーンテッドじゃんくしょん」に声優として出ていたことをそろそろ知らない人たちも出て来るんだろーか、主題歌も唄ってたんだけど。本人の意思はともかくこれはアニメ歴史のやっぱり隠蔽にあたるんで、写真集に池上永一さんの新刊「レキオス」(文藝春秋、2000円)に漫画の「ニライカナイ」の第2巻にほか適当な本を並べ、「沖縄サミット」の開催もひっかけて「沖縄本特集」を7月の「電アニ」でやっちゃうか? ほら仲間さん、確か沖縄出身だったしぃ。

 しかし流石は神秘の沖縄つながり。沖縄を舞台にした「レキオス」を読んでいたら新しい戦闘機とかゆーF22ラプターってのが頻繁に登場していて、どっかで聞いた記憶があるなっと思って沖縄出身な仲間さんがグラビアに登場の「プレボーイ」の巻末を開いたら載っているじゃありませんか「ラプター」が。こーゆーのを何ってゆーんでしょーシンクロニシティー? 違うただの偶然って奴なんだろーけれど、偶然を信じないなんて言った後で偶然とゆーのも変なんで、これはつまりは自分の運命を決める必然なんだと理解して、来年にはきっと晴れて仲間さんと華燭の典を催しているだろー運命を妄想して胸躍らせて眠りに付くことにしよー。それともラプターに吊り下げられ引っ張られて空を飛び回ってる、マッハ2・5とかで。うーんそれもちょっぴり楽しいかも、空中スキーだとかって、ね。


【5月22日】 真夜中にかけて放映されていたNHKの昔のドキュメンタリーについつい見入ってしまって夜更かし。全日空のボーイング727が羽田沖に墜落した事故の原因調査を行う人たちを徹底的に追いかけた番組は、ちょっと前にNHKスペシャルでやっていた米国の航空機事故の原因調査に関連した番組にも負けないくらい内容が濃くて驚く。今だったら考えられないくらいに原因調査の場面にまでカメラが入り込んでいて、破片を引き上げる場面から、原因と思われた部品の映像から、事故当時を再現するために運航された同型機に乗り込んで行った調査の場面までが、カメラにサラされていている。今だとボーイングなり全日空なり政府なりへの配慮が働いて、ヤバい原因が出てきたらごまかさなくちゃいけないからなのか、結果が出るまでは全てが秘密になっているからなあ。

 もっとも見ながら思ったのは、当時のメディアが公器としての自意識と自尊心を保ちつつ対象に迫っていたから、対象もカメラなりペンの向こうにある国民を意識して、すべてを公にしなければいけないと考えて取材を認めたのであって、今のようにメディアが営利企業としての立場を色濃くして、公器としての立場ではなく競争での自分たちの勝利ばかりを求めようとする意識なり、現場レベルでは取材者間の「知る権利」をダシにした競争意識が先に立ちすぎる状況では、相手が協力する必要を感じなくなるのも、当然なのかもしれない。メディアが公器か瓦版的好奇心のはけ口なのかは正直迷うところだけど、少なくとも民度の高低で競うなら、やはり公器としての自尊心は保って欲しいし、取材対象もまた公器としてのメディアを意識して、「知る権利」に対する「知らしめる義務」を果たして欲しいんだけど、そのためにはやっぱりメディアの態度が先に改まる必要があるんだろー。それが1番難しいんだけど。道は険しくかつ通し。

 「郊外へ」(白水社、1800円)でもって須賀敦子さんに近い散文の書き手ってな印象を持った堀江敏幸さんの久々の新刊が出ていたんで買う。「子午線を求めて」(思潮社、2400円)はフランス文学をもっぱら紹介する文章が中心で、フランス文学とは古典から現代作家に至るまでほとんどまったく無縁な身としては、感情の向けようがなくとっかかりに乏しいハンディはあったものの、さらりとエピソードを紹介しつつ興味を向ける文章の組み立て方が巧みなせいもあって、紹介する文章を楽しめると同時に、紹介されている本への興味も喚起される。紹介ってこうやってやると良いんだなー、などとアルバイトでも書評をやってる身として反省感嘆させられること仕切り。かといって教養ないんでとても真似は出来そうもないけれど。

 4月の終わりに取材したものの、さてどうやったらあの熱情を紹介できるものかと考えあぐねて胃に穴が飽きそうになったキノトロープの生田昌弘社長を取りあげた記事が本日より何とか掲載されて、1月6日の記者会見で居並ぶセブン−イレブン・ジャパン会長やソニーの執行役員三井物産NECにJTBほか名だたる企業のトップに交じって壇上に上がり、集まった記者を訝らせたその異相が新聞の1面にドデダンと載っていて、原稿を書いた身ながら知らなければやっぱり驚いただろーなーと改めて思う。記事の方はまあ、職人でもって浮かれる世の中に載らず地道にけれども着実に仕事の範囲を広げているキノトロープの強さみたいなものを書いていく感じで、公開がゴールで金儲けがメインになりかかっている最近の風潮を、それはそれでありなんだけどそれだけじゃないってことも指摘しつつ牽制している。あれだけの会見をやった後でもまったく表に立たなかった人の貴重な肉声なんでWeb作りに関心のある人は読みましょう、滅多に売ってないけどね。

 そうですかイリさん貴方もですか。セガ・エンタープライゼスで大川功会長が社長も兼務して入交昭一郎社長を副会長に棚上げする人事を抜かれてとりあえず通信社原稿で追っかけてはみたものの、前の中山隼夫社長が同じよーに副会長に棚上げされた挙げ句に辞めて独立した経緯を踏まえると、これで済むとは思えずさてはてどーゆー道があるんだろーかと考えてしまう。もはや本田復帰はありえないだろーから、考えられるのはセガで培ったコンピューターなりネットなりの知識と人脈が使い回せるよーな業界ってことになるんだろーけど、どこまで具体的な技術なり、コンテンツの意義について血肉のレベルで理解しているか分からないからなー、飾りになっちゃいそーでそれだと今と一緒だし。独裁者とでも技術屋とでも呼ばれようとも自分にすべてのノウハウがある久夛良木健SCEI社長はやっぱり強いなー。

 「シェンムー」に70億円だかを注ぎ込んだ責任にしたって、チップの不具合で国内での立ち上がり時に決定的な売り損じが生じた責任にしたって、派手な宣伝をした割にはその効果がてんで上がらなかった責任だって、それぞれにそれなりな責任者がいる筈なんだろーけれど、社長ってのは何かにつけて責任を被るものだから、今の「ドリームキャスト」の現状をもって引責を問われるのもやむを得ないんだろー。それにしてもあれだけ「イリさーん」だった飯野賢治さんが、一足早くフォーカスをネットやDVDに合わせて「ドリームキャスト」のよーなコンソール向けコンテンツ開発からの脱却を図ろうとしているのは、先見の明があったってことなのかな。父親を踏み越え、こーやって人は大人になっていく、んだね。


【5月21日】 偶然を信じない、ってゆーか信じられないからこそ偶然であって、それでも起こるからこそ偶然は予想のつかない未来をもたらし、人を恐怖と興奮に陥れる、どこへ連れていかれるのか分からないって感じの。完成している作品である以上、小説には決まった結論ってのがあって、すべてのドラマがそこに向かって収斂していくのは避けられない前提としてある以上、小説の中でどんな偶然が出てきたところで、それは結論への必然でしかないんだけど、テーマによっては必然的に入れ込んだ偶然であってもそうは思わせず、巧みに人の驚きと驚嘆を煽りつつ、予想のつかないけれども実は決定している結論へと読者と導いていってくれる。けれども巧みでない場合、いくら偶然を装っても必然的な出来事でしかないと読者は感づいてしまい、それを確認するために最後まで読み通した挙げ句に、「ご都合主義だなあ」と首をかしげるものだ。

 何が言いたいかってゆーと「満場一致」とかで選考委員の人たちが選び出した横溝正史賞受賞作の「DZ(ディーズィー)」(小笠原慧、角川書店、1500円)の読後に感じたことが、まさにちょっとした混乱だったってことで、期待して読んだ割にわな展開と結末に、どーゆー基準が選考委員の内部的にあったんだろーかと不思議に思えて来てしまう。とにかく必然的な偶然が多すぎる。最後の場面で使われることになるヘリポートが作られた経緯にしても、舞台となる田舎の療養所に不自然なまでに高度な医療設備が整えられている経緯にしても、長年探していた人を見つけるきっかけも、そして最後に明示される新たなる生命の胎動も、この結論へと物語を収斂させていくために必然的な偶然の数々に思えてしまう。

 ベトナムを脱出した妊婦から生まれた二卵性双生児の兄と妹が別れて幾星霜、巡り会うドラマってことで期待したのは壮絶な旅路だったけど、物語で提示されているのは嫌いだけれど期待してしまう「双子の神秘」めいた展開なんかでは全然なく、己が命の意味に固執する人間の選民思想と生存本能でしかなく、そこには残された肉親への情愛どころか、人間を憎むにしても嫌悪するにしても抱くだろう感情の機微がない。それならそれで現代的に感情を抱かず殺人を侵す人間であっても良い訳だけど、そういった社会的な告発はなく、先に言ったようにただ己が存在の意義を問うためだけに暴走する人間の様が描かれているだけで、そんな心理を読みほぐすきっかけを与えてくれない。

 書きようによっては、自分の超人類としての可能性に気が付いた人間の孤独にもだえると同時に旧人類を憎み叩き呑めそうとする、ありがちながらも細心の遺伝子研究の成果を織りまぜることで、一種のSF作品として、ソウヤーの「フレームシフト」にも通じる目新しさと頭へのインパクトを稼ぎ出せたよーな気もするけれど、もともとが「ホモ・スーペレンス」だったらしータイトルだったら内容がこれでもまだ納得が出来たものが、何やら人間どうしの因縁めいたものを描く必要が生じたんだろーか、二卵性双生児を意味する「DZ」へとタイトルが変わってしまった関係で、タイトルから期待したものと違う壮大なテーマが繰り広げられる内容に、読んでちょっと戸惑った。やっぱりもっとグエンの得体が知れないんなら知れなさを押し出す描写が欲しかったし、それだと話がバレてしまうってんなら、バレても構わなずより人間とは? 的展開に持っていってそこに生き別れの妹を絡めてなおいっそうの心理ドラマを描いて欲しかったよーな気がする。さてどう世に評価されるか。全日本二卵性双生児協会千葉支部長(自称)としては期待にちょっとズレてました。

 キャラ物に関してちょっと調べてみよーかと思って先月あたりからゴールデンウィークも使って続けていたイベント巡りの多分最後くらいになる「ぽぷけっと」をのぞく。「エコケット」が開場時から1時間くらい後でも行列が出来ていたのとは対称的に、開場時間から30分経った段階で行列はなし、ただしカタログは売り切れでメモ帳を買って入らなきゃいけなかったところを見ると、数はそれなりに入っていたのかもしれない。カタログ品切れ段階で無料になるんじゃなかったのかな。まー良いあんまり早い無料化だと会場費も出ないだろーから心付けに吝かではなかったし。けど外には出来てなかった行列が中の1つのサークルに限って出来ていたのはちょっと不思議で、よほど凄いサークルなのかは買わなかったから分からなかったけど、目の前で並べたコピー紙を帳合いして閉じて打っていく「産地直送」な売り方は、即売会らしさが出ていてなかなかに面白い。

 「ぽぷけっと」ってゆーのは説明すれば「ぽぷり」すなわち「ファン・ファン・ファーマシー」の主人公を演じる小西寛子さんが声をあてていたキャラクターに絞った同人誌即売会ってことで、開場には「ファンファン」以外にも「魔法使いTai」とか「おじゃる丸」とか「十兵衛ちゃん」とかってなキャラ物が並んでた。良く知らないけれどこーゆー声優さんに軸を据えた即売会っ結構あるんだろーか、目立たないけど目立ってる、不思議な声質で幅広い、それもキャラのピンと立った役をこなす人ならではのイベントって気もするなー、みやむーだとありがちだし林原だと多すぎるし三石だと偏りそーだし。もしもこーゆーのが恒常的に成立するんだったら、偉大な先人に経緯を表して「まさこけっと」ってのでも開いてみるとこありませんか、「野沢雅子」さん辛いのキャラだどかんと出れば、きっと幕張メッセだって満杯に出来まっせ。

 割と少なかった「十兵衛ちゃん」本を出していた「ねことこWORKS」ってサークルの表紙がカラーなコピー紙とかを買って開場を出て、1駅歩いて秋葉原へ。運動すれば通風なんて。でもなる時はなるのかなあ。秋葉では「ラジオ会館」に詣でて未だに結構な数残っている海洋堂の「チョコエッグ」を買おかやめよかと悩みつつ食べるとお腹が怖いんでちょっとパス、あと浅井真紀さん原型の「ブギーポップ」の完成塗装済みコールドキャストも数並んでたけどこっちは財布の関係で見送る。上のボークスでもえっとエポック社だったっけ? ツクダだったかもしれないけれど、別の原型のブギーと宮下藤花のコールドキャストを展示していて、緒方絵っぽいならそっちだけど格好良さだとやっぱり浅井版かもとか考える、どっちも欲しいよー、並べる場所ないけど。

 隣りに回って「ゲーマーズ」を偵察、10ポイントためるともらえるブニブニしたゲマのあれはキーホルダーだかが欲しくなったけど、今更ポイントカード作るのも恥ずかしいんで泣いて見送る。隣りにあるゲーセン部門へと回るとクレーン向けの人形にでじことぷちことうさだがあったけど、どーしてあんな点目になりますか的な仕上がりで、これだとファンも怒るぜとか思ったけれど怒らないのがファンって訳で、クレーンは結構な数やりこまれているみたいで、バネがちょっとヘタってて500円突っ込んでも取れませんでした、って取ろうとしたのかオレ。つまりは点目でもブサイクでもでじこはぷちこでうさだなんだなあ、キャラ者にとってキャラ物は何がどうあれキャラ物なのだ。鈴だってサイコロだって立派にイコンなのだ。キャラ者という病に特効薬は消費のみ、もちろん保険はききません。


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