縮刷版2000年4月中旬号


【4月20日】 今市子さんの「百鬼夜行抄」の最新刊になる第7巻は相変わらずのスキのないお話し作りに一段の冴えが加わった感じで冒頭からもう飛ばす飛ばす。どこぞの町へと迷い込んで出られなくなってしまったり停留所で奇妙な人たちと出逢ったりと描き様によっては背筋も凍る怪談話になるところを、律のすでにして達観の域へと達した落ちつきぶりやシャーマン女な晶の天然ぶりに司の鈍感な癖にあやかしを呼び込む体質が混然となって話を盛り上げてくれるから、死んでいたり死にそうになっているのに気が付いていない恐さとか妖怪に祟られ命さえも落としてしまう恐ろしさが描かれていても、不思議と恐怖を覚えない。むしろ後書きに出てくる「1週間で2キロ太ってしまって」「期限切れの為替が……」って方が身に迫る恐怖だったりするのは結局人間にとって実存こそが第一なんだってことの現れなのかも、しかし握り箸みたくボールペンを持って書く人ばかりが続くとやっぱり怖いかも、日本の未来とかが頭をよぎって。

 「東京国際ブックフェア2000」へつらつらと出かける、知り合いはいないなーゲーム業界とは違うから。どーゆー訳か入り口横でジャズが生演奏されているのは去年と同様で、ニッポンのブックフェアに来てよもやジャズを聴く羽目になるとはアジアからの出展者は当然ながら欧米の人たちも思わなかっただろーけど、かといって長唄とか民謡とかが流れていても気分は盛り上がらないだろーし、皇族の人をお迎えしているからって雅楽でも気分は高揚しないから仕方がない、でも音頭だったら気分はハッピーになったかな、来年はやってみませんか。今年がオランダ年だからなのかオランダから巨大なミッフィーの着ぐるみが入り口でジャズに合わせて体をゆすっていたのが去年とちょっと違った点か、中に入っているのが男か女かは不明だけど目のあった(っても点だが)女性陣に手を振っていたからきっと男に違いない、でもってセレモニーが終わったら表へと出て女の子に「ゲームやらない?」て声かけまくるんだ、ってここは静岡駅前か!

 もはや”名物”とも言える50人テープカットは今年も健在で2段になった雛壇に前後で約25人づつがずらりと並んだまではいいけれど、そこから偉い人の挨拶があり1人ひとりの役職を読み上げていくからいつまで経っても終わらない、およそ登壇から20分以上は経過してからよーやくハサミが配られる段取りの中で、主賓となっている三笠宮さまがずーっと立ちっ放しだったのが気になったけど、結構な歳であるにも関わらず崩れないのは流石は皇族、体面の保ちぶりには素直に頭が下がります。ここでの告知が奏功した訳でもないだろーけどテープカットを取材するテレビカメラも結構入っていて映していたからどっかのテレビとかで流れたかな、見れば分かるでしょーあの壮観ぶりが。来年は100人の大台に是非とも挑戦して頂きたいものである。

 中に入って会場をウロウロ。電子書店パピレスのコーナーで社長の人に挨拶したりボイジャーのコーナーで代表取締役の人を拝んだりキバ・ブックスでセキセイインコよりも派手なタイツ姿のおじさんを見かけたり噂の「本屋さん」にズラリとならぶコンパニオンを眺めたりして仕事する、どこがやねん。角川書店のブースによると昨日会ったばかりの社長の人がいたんで挨拶したら、どこがで見たことのある人に「こいつオタクだよ」と言って紹介されてしまって嬉しいやら哀しいやら、ちなみに前に見たどこかってのは「あずまんが大王1」(あずまきよひこ、メディアワークス、680円)の帯だったりするんだけど、ってつまりはメディアワークスの社長の人ですね。ちょうど見ていたブースが「電撃アニメーションマガジン」の飾ってある場所だったんで「お世話になってます」と挨拶、これで絶対に廃刊には出来ないな、関係ないか。

 なぜか角川歴彦社長がポール・クルーグマン著で山形浩生さん訳「クルーグマン教授の経済入門」を持っていて「こんな本も出してるんだ」と言われたんで「読みましたー、クルーグマンの本では1番売れてるらしーですよー、翻訳が分かりやすいしー」とアピール、ふーんと頷きつつ「いーじゃん今度送ってよ」と佐藤さんに言っていたから増刷もこれで確実か、しかし既に7刷までは確実に行っいたとは。「新教養主義宣言」も5刷あたりを見たよーな記憶もあるし、一気に超ベストセラー作家・翻訳家になってしまいましたなー。そーいえばボイジャーのブースで見せてもらったページにも、山形さんの翻訳したレイモンドだかの文書がアップされていて東京ビッグサイトは山形さんの同時発生が進行中、これもやっぱり売れっ子への本格展開の現れか。

 平凡社でCD−ROM版「大百科事典プロフェッショナル版」の第1版が5700円だかで出ていて第2版のスタンダード版も9800円くらいでちょっと欲しい気がしたけど金を持っておらず断念、明日か明後日にでも出直そう。バーゲンブックでは荒木経惟さんのタイを撮影した写真集と、荒川修作&マドリン・ギンズの「養老天命反転地」を撮影したビジュアルブックがともに1000円で出ていたんで購入、荒木さんの本でもB本になってしまうくらいに不況なのか、それとも単純に写真集を出し過ぎでちょっとばかり世間に飽きがきているのか、荒木なページの更新もちょっと止まってるしなー。

 バーゲン本は個別のブースにもあって目にとまったのが会場の奥にある新風舎のブースに並べてあった「ビニテとニッパー 特撮ウーマンの現場奮戦記」(みうらさとみ)。「エッセイマンガコンテスト」で最優秀賞を受賞した本で特撮の現場で働く「操演」の人の日常を絵と文章で綴った、特撮な人は読んで絶対に面白い本なんだけどいかんせん本屋で売っているのを見たことがなく、「電撃アニメーションマガジン」で紹介はした時も近くの本屋には並んでなかったみたいで書評後にブツ撮りのためにいったん編集部に戻したくらいで、その後あんまり評判になったって話も聞いてなくってちょっぴり残念に思っていたけど、不幸なんだけど幸いなことに「ブックフェア」の新風舎のブースに行くとこれが平積みでおまけに1300円のところを半額で売ってたりするんで、持ってない人特撮な人エッセイマンガのファンな人は寄ったらちょっと見てみよー。

 記者がバスで帰社して居眠りしてから代々木上原、久々の「キノトロープ」で偉い人に2時間ばかりインタビューする。最初に行ったのが96年の4月4日で約4年前、当時の日記を掘り返してみると狭い長屋のよーな部屋に女王様をはじめ大勢の人たちがぐちゃらっといて加藤直之さんの今買うと結構する画集が置いてあったりしてカンドーしたらしーけど、激動の世紀末(今もまだ世紀末)を見事に乗り切り今年1月の大々的な記者会見で世間にドガンと名を轟かせ、外国からお客様もやって来て靴を脱いで打ち合わせをする会社に成長した今もなお、「ルパン3世」のポスターが貼ってあったり巨大な縫いぐるみが鎮座ましましておられたりセーラームーンの服を着た人……は流石にいなかったけど、女王様も含めてあんまり変わってないのは何か嬉しい。

 偉い人は前よりも坊主頭だったけど全体なトーンは昔のまんまで変化なく、一方で当方は自然発生的に坊主頭になってしまったこの格差を、5年くらいの歳の差によるものだと考えればもう当分は今とたいして変わらない容貌で次の大台までを過ごせるってことになるのかな、4年前とほら今の僕って確実に容貌が違うから、会っても分からない人って多いんだよねー。あれほどのスポットライトにも関わらずスタンスに変化が見られないのも不思議だけどそれっぽい。5年後くらい経っても大手町のオフィスで株価ボードを見ながら胃をキリキリさせているなんてことはなさそーで、同じ代々木上原で「町場の職人」の仕事を続けていそー。その時にこっちはどーなっていることやら、生きてたらまた行きますから邪険にしないで下さいね。


【4月19日】 博報堂の「広告」でも言及されていた斉藤環さんによる真面目なアプローチでのオタク分析本「戦闘美少女の専心分析」(太田出版、2000円)を買う。オタク的な素養を遺伝子レベルで持ち得ていない人が、世間に蔓延っている「オタク」なる存在にアカデミズムな視座から頑張って迫ろうとした挙げ句、何とかまとまった結論を導き出して理解の型枠にはめ込んでみせてはみたものの、頭で整理し過ぎたがためにどうにも形式ばってしまって、どこかに居心地の悪さが残ってしまうのは、表紙に村上隆さんが手がけた戦闘変型美少女カリカチュアライズ&オマージュ作品「S.M.Pko2」が使われている辺りに、見事に凝縮されているよーな気がする。

 視点はとても良い。おたくの特徴を「虚構コンテクストに親和性が高」く「愛の対象を『所有』するために、虚構化という手段に訴」え、「二重見当識ならぬ多重見当識を生き」ていて「虚構それ時代に性的対象を見出すことができる人」と分析しているのは、思い当たる節があるだけに流石は精神分析のプロと感心する。ただ大枠では当たっていても、自らを類型化の枠内に見事にあてはめて悦にいる半ばメタが入った人間がいると思えば、類型化されたらとたんにそこからの逸脱を目指すひねた人種もいて、また両方の性向をそれこそ多重見当識的に本能的に操る人種もいるから類型化が意味をなかなか持ちにくいのはいたしかたのないことで、それでも何とか迫りたいとゆー頑張りだけは見えるから、労作とは評価したい。来月にも画集が発売されるアメリカのアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガーに関する記述とか「戦闘美少女」の系譜をまとめた年表とか、興味もある題材があって使用に耐える資料があって、値段だけの価値はあると言ってもよさそー。

 もっとも個別の事例についての分析となると、人の数だけオタクがいるし、20面相な多重人格的性格の野郎もいるから人の数以上にオタクはいるもので、それ故に斉藤さんによって当てはめられた見方考え方が僕的オレ流な考え方にそぐわない部分が多々あって引っかかる。「風の谷のナウシカ」とゆー宮崎駿さんの作品を「戦闘美少女」の系譜を語る上でとてつもなく大きな存在として位置付けているよーだけど、「ヤマト」「ガンダム」あたりからアニメを見続けて来た自分にとっての「ナウシカ」は、「カリオストロの城」で「クラリス」とゆー美少女を生み出して以降、沈黙していた宮崎さんが久々に活動して描いたコミックの主人公でかつ、久々に作った(「新ルパン」の155話の小山田マキもいるし実ん所はこっちの方が好きなんだけど)ヒロインだってことで関心を寄せてはみたものの、案外とたくましくってセクシャリティの対象をなり得なかったことろがあって、アニメ制作史の金字塔ではあってもアニメヒロイン史における突出した存在ではない、むしろ映画では同年の「ビューティフル・ドリーマー」の「ラム」の方がはるかに重要で、テレビだと前後して放映の「ミンキーモモ」であり「クリィミー・マミ」であり、「マクロス」からは「リン・ミンメイ」「早瀬美沙」ってな方にピンと来た、違う部分もピンとしたのは言うまでもない。

 自分が特殊で他の一般的なオアニメのファンが斉藤さんと同様に「ナウシカ」を大きな存在を見ているかは不明、ってゆーか「ラム」については語っても「ナウシカ」についてアツく語る人にあんまり合ったことがない(鈴木敏夫さんは別、だってプロデューサーだもん)からどれだけのバリューをもっているのかがいまいちピンと来ない。「もののけ姫」で打ち立てた邦画市場最高の収益とゆー金バッジが逆算的に「ナウシカ」の価値を重く見ようとしているだけなんじゃないのかな、ってな気もしてしまう。「ナウシカ」の場合はあと、母体がアニメ雑誌の「アニメージュ」かだ出てきたキャラだったってこともあって雑誌が大々的に盛り上げて永遠のヒロインに仕立て上げてしまった部分もあって伝説的な存在になったよーな気もする。が、今となっては重要な作品であることに異論はなく、結果であっても歴史となったものならやっぱり何らかの意味があったんだろーと見るに吝かではないので分析がなされるのは全うなことなんだろー。

 もう1点、「おたく事情に詳しい若い友人によれば、『ディズニーおたく』は存在しない。これは、たまたまそうなのではなくて、原理的に存在し得ないのだ」(49ページ)をゆー部分。理由として斉藤さんはディズニーがセクシャリティを排除せず、破綻なく様式化し虚構化して「乾いた『性』」(50ページ)にしてしまい、性的対象として消費される危険性を回避しているってな分析をしているけれど、これまた僕的オレ流な話で言えば、セクシュアリティ以前の問題で、あのブサイクだったディズニーキャラのどこに萌えられるのかって点の方が大きい。それが危険性を回避したいがためのデザインだって言うんだったら別だけど、「アニメ」な人への関心も惹こうとしたのか「ターザン」のジェーンは結構イケてたし「ムーラン」だって女性でいる時の表情の可愛さはなかなか。あまつさえ「『ナウシカ』はおたくのセクシュアリティを吸い上げ続けている」(50ページ)と言われてしまうと、どこまで「分析」できているのか訝しく思えて来てしまう、がこれもやっぱり個体差。特殊で天の邪鬼な自分を基準線に考えるべきではないのかもしれないから深くは追わない。ただ論を形成する上で要素なんで「芸だ」と嗤って過ごせる「回収」の無邪気な誤解より、読んで良く上でどうしても気にはなってしまう。さてどーだか。「萌え」られる精神分析委によるカウンターを望む、っているのか?

 個体差で言うなら自分はてんで3Dのバーチャルアイドルって奴が苦手だったりする訳だけど、最近のガキなお子さまたちは平気なんだろーか萌えられるんだろーか人形モドキな3Dアイドルたちに、ってのはディジットって会社の関連会社で3Dアイドルの”マネジメント”を専門にやる一種のプロダクション会社が増資するってんで会見があって、集まった偉い人たちがこぞってマーケットが発展する可能性を訴えるものだから、最近の若い人たちにとって2次元のアニメ的目デカ美少女とは明らかに異なる文脈の上で成り立っている3Dバーチャルアイドルでも受け入れられる心構えが出来ているんだろーかと悩む。「DK97より明らかに可愛いでしょ」とテライユキちゃんだとか飛飛ちゃんだとかAiちゃんたちのことを自信満々に断言されてしまうと、おじさんもしかして歳とったかなーと思えてしまう、とは言え断言しているのは真面目に社会をわたって来たベンチャーなおじさんたちだったりするからなお一層の不安も頭をよぎるんだけど。

 「トゥナイト2」が取材に来ました「NHK」や「新聞」で取りあげられました、なんて言われても所詮はおじさんが作ってる珍しい物なら文脈考えずに飛びつく連中、「DK97」ん時だって「新時代到来!」とかってな感じで煽ってたメディアだからにわかには信じられない。が、時代は変わっている訳で3Dのゲームがばりばり動くご時世にアニメよりも「萌え」を抱けるキャラを3Dに見つけられる人が育ってたって不思議じゃなく、あるいはリアルさの極北を行っているCGIキャラにリアルな女性と同様のセクシーさを覚える人がいないとも限らないから、あるいは本当に世の中をジワジワと席巻しつつあるのかもしれないし、単純に「D’sガレージ」にノせられているだけなのかもしれない。まあお手並み拝見とゆーことで、とりあえずはあまりにベタだけどオーディションで選んだ人間様に声をあててもらってデビューさせる7月だかの「テライユキ」のCDの売れ行きとか騒ぎっぷり、中華風美女の飛飛ちゃんの写真集とかの売れ行きなんかを見つつ、自分の古さを確かめていきたい。

 豪毅だね角川歴彦さん、公募増資で得た100億円だかのお金をすっぽりと拠出してしまって「基金信託」なるものを設立して、そこから優れた出版事業やベンチャー出版社に3億円を上限として出資して、出版関連事業の発展に寄与するんだってな発表があってピカピカな角川の本社講堂へと出向く。角川書店とは一切無縁の会社でも事業でも出資するとゆーのはつまり一種の社会貢献で、上場してしまったが故に株主のことを考えるととうてい無理な収益性の低い、けれども社会的文化的に意義のある事業にだってお金を出せるってことになるし、角川書店の助けはぜってー借りたくない、だっていろいろ五月蝿いんだもんってな出版社でもヒモなしのお金を引き出せるってことで、使いようによっては結構なことが出来そーな気がする。角川とかと話してたらしー某「サイゾー」なんか申請したら通るかな、あとネット回りの会社とかミニ角川的活躍が目立つレゾナンスとか。時間待ちの間読んでいて会見が始まってから机の上に置いておいた富樫倫太郎さんの「雄呂血」(光文社、1500円)のことを、角川さんに「面白そうだね」と聞かれたから「これは面白いです、デビュー作からずっと面白いですね」と言っておいたけど果たして覚えているのかな、ともかくも人が読んでいる本が気になる目敏さは流石に出版社の人らしー。


【4月18日】 「どっと混む」だなんて今どき「AERA」の1行コピーだって使いそーもないダジャレな宣伝文句も華々しくオープンした「ウルトラサイゾー」の画像ばっかりでプアな通信環境にあって画像オフな我が「LC575」では一体何のページなんだかサッパリ分からないWebマガジンもオープンさせていよいよマルチメディアな会社としての地歩も固まった感がある(長い前フリ)「インフォバーン」の月刊誌じゃなくって未だに「ラジコン技術」増刊なのが寂しい(実はここまで前フリ)「サイゾー」の5月号は、巻末の編集後記みたいな場所で雑誌コードがないと「創刊」とは打てない出版界のオキテが語られていて涙する、ラジコンの話のほんとどない「ラジコン技術 増刊」ってやっぱ不思議だよねー。

 「ナンバー」の兄貴分だかなダテキョー(ぢゃない)が表紙な「Title」は表紙に創刊って入っているからデフォルトの雑誌なんだろーな、「サンタクロース増刊」じゃないんだな、まあどっちでもいーや”来月号”を楽しみにしている訳でもないし。思い出したけど日販から来た週報の創刊雑誌に「カラフルピュアガール」があったけどこれも今まで増刊だったってことなのかな、だとしたらこのご時世のよーく頑張ったってことになるんでしょー、ホントいろいろあった雑誌だし。さらに関係ないけど日販のちょい前の週報に7月からだかの「egg」再刊の話が出てたけど、今週号の「プレイボーイ」の「ヤマンバ救出」関連記事ではそこいら辺についての言及が無かったよーな。情報の仕入れ忘れか記事の主張と外れるからわざと抜かしたか。1度止めてすぐに復刊するってのがこれからのカリスマ雑誌の手ならどーですやってみませんか「Yomiuri Weekly」、注目”だけ”はされますから。

 表紙からして「やらせの」と形容詞をつけてのテレビ局イビリにとてもじゃないが新作ドラマのスチルなんて貸してもらえないだろー「サイゾー」が考え出した必殺ワザの妙に驚いたのが「喰えない新作ドラマはココを観ろ!」。遠目か薄目か眼鏡を外してみるとなんとなーく松っちゃんだし中居だしフミヤだしタッキーなんだけど近くによって目をかっぽじいた上で眼鏡をかけると何のことはない全部絵だよ、スチルから抜いたか想像なのかは知らないけれどいかにもっぽさは出ていて読者に何かを認識させた上で、どこにも気兼ねせずに堂々とワルクチだって書けるなあ、新聞ではちょっと使えない手口だけど。同じことは「編集長」へのインタビューでも言えて逃げた「週刊宝島」編集長のかわりに編集者の描いたイラストが張り付けてあってもオッケーかよ、これでインタビューが出来るならあたしゃ毎回自分で描いちゃうよ。

 おや「アナザヘヴンeclipse」の見出しが「いまどきメディアミックスですかぁ……」ってあってドラマと映画だけの展開をどーしてメディアミックスってゆーのかって揶揄ってるけどちょっと待ったぁ! 何やら週末にかけて届いた発表会のリリースを読んでいたら何とお台場にあるSNKの「ネオジオ東京」にかの「アナザヘヴン」を題材にしたアトラクションが出来るそーで、発表会はタレントも呼んでの豪勢なものになるとか。さらに驚くべきことに同じお台場で「東京ジョイポリス」を展開している商売敵なセガ・エンタープライゼスも、これまた「アナザヘヴン」を題材にしたアトラクションをアミューズメント施設に入れるとかで、業界でも珍しい”競演”(あるいはネタかぶり)が繰り広げられることになりそー、但し流石にセガもお台場には入れられないのか入れないのか、大阪の2つと福岡豊橋の4カ所での展開になりそー。お台場を押さえられなかったのは各自のチカラかそれとも別筋のチカラか……。まあ「東京ジョイポリス」には別に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」が登場するから海外VS日本での「ホラー・アトラクション対決」は見られるんだけど。

 とはいえそんな対決に殴り込みをかけて来た勢力もあってそれが世界の「SONY」だったりするからバトルは三つどもえの大乱戦、一体どこが勝つのかはフタを開けるまでちょっと分からない。内覧会があって見物に往ったソニーアーバンエンタテインメントがお台場はアクアシティのつながりにぶっ建てた「メディアージュ」は、メインに13スクリーンのシネマコンプレックスがあって他にアトラクション施設が5つ、さらにショップやパフォーマンスがてんこ盛りでショッピングでも映画鑑賞でも遊びでも、様々な趣味嗜好の人を1カ所で楽しませることが出来るから幅広い年齢層の人が集まりそー。対するSNKとセガは若い層をガッポガッポと集めなくっちゃいけないんだけど、出来て結構経つと新鮮味もないからなー、ホラーなアトラクションだけでさてはてどこまで対抗できるか。「エディアージュ」には品田ゆいとかゆー姉ちゃんもメンバーらしい何とか式部とかゆー美少女コンパニオン軍団もいるらしーし。

 アトラクションに関しては見た範囲では映画館のおまけ的な感じ。アメリカの絵本作家モーリス・センダックが創作した絵本を題材にした「ワイルドシングス」はホロっぽい額縁ショーを見せられた後で入り込む広場も対して広くはないし見るものもあんまり、あっと木の中を滑り降りる螺旋状になった滑り台はそれなりに面白いかも、子供が適当に遊んでいる分にはそれでも楽しいかな。ビートルズの「イエローサブマリン」は入る前の説明で「おーるとぅぎゃざーなう」「おーるにーどいずらぶ」って言葉を大声で言わされるのがちょっと照れる、発生を仕切るお姉ちゃんたちは頑張ってるんだけどそれでもねえ、もっと押してくれないとおじさんには恥ずかしい。アトラクション自体は他愛がないけど映画「いえろーさぶまりんい」の世界を3Dにした上で2Dっぽく色を塗ったCGが興味深い。しかし「ビートルズ」知ってる大人には恥ずかしく照れない子供では「ビートルズ」の奥義は楽しめないフクザツなアトラクション、自分を捨てられる人なら迷わずゴー、そして叫ぼう「おーるにーどいずらぶ」。

 全部がデジタルってゆー映画館はプロジェクターでも使っているのか強力な光源から放たれスクリーンに映し出される映像に実にクリアなことよ、まるで家でDVDでも再生しているよーなクリアさで巨大なレイ・チャールズとかマイルスの顔や手のシワまでをも見ることができて、これなら劇場に足を運ぶ価値があると納得させられる。予告で流れたのはクラブ・パンターニの北久保弘之さんが名刺替わりに制作中なフルデジタル映画「BLOOD」。そのクリアさもまるでLDを再生しているかのよーで(ってあんまり目に自信がないから比喩が正しいかは不明)、「ポップチェイサー」はよく知らないけれど「攻殻機動隊」のオープニングムービーだったら記憶にある北久保作品の、おそらくは現時点における集大成になるであろー「BLOOD」への期待がいや増す。こーゆー劇場で映画を見せられると正直既存の映画館ってものの「器の小ささ」をまざまざと観客に感じさせてしまうから、ただでさえシネコンの台頭で厳しい小屋主さんも、いっそうの身仕舞いを迫られることになるんだろー、とかいいつつ場末でも近くの本八幡に通ってしまうんだから地の利って大切、お台場でさてはてどれだけの魅力ある「シャシン」をかけられるかに、都内でも僻地の映画館の成否のカギはありそー、やっぱ夏と冬の3日間はアニメばっかり流すとか。


【4月17日】 やあまたやられているよ東芝。ネットについてはあれだけ怖い思いをしたとゆーのに現場のレベルではまだ認識が緩いとゆーか、知り尽くしたが故になおいっそう針ネズミよろしくガチガチに身を固めてしまってかえって「世間」からその情け知らずぶりを非難されるとゆーか。弁護士まで立てての対応はあるいは勉強の「成果」かもしれないけれど、この内向きの対応の速さも「成果」だとしたらやっぱり分かってないよねー、どうすれば1番コワい「世間」を納得させられるかってことに。今回は相手も医師で社会的にも芯の通った立場な人で、加えてこちらも勉強の「成果」から脇の甘さをつかれて企業の走狗と化したマスコミからつつかれ自滅するよーな危ない橋は渡ってないから、行き着く先はがっぷりと組んでの論戦とゆーことになるだろー。いつの間にか口に上らなくなった前の事件とは違って、言い分の是非は別にして今度の対象は人命に深く関わって来る物だけに、白か黒かだけはハッキリと付けてもらいわなくっちゃ、安心して内視鏡呑めません、呑んだことないけど。

 内視鏡で思いついた芸。人間ポンプよろしく人形を2つ胃袋まで飲み込んでから内視鏡を通して胃袋の人形をカメラでキャッチ、その人形を胃袋の蠕動を利用して動かした上で、腹話術によって声をつけて漫才をさせるとゆー究極芸を是非ともいっこく堂先生にやって頂きたいものですねー、今のままだと1年2年はいーけれど5年後には忘れられちゃうから、世間ってば冷たいんだよね芸人に。あるいは腹話術の冴えはこの際脇において電撃ネットワークにやって頂くとゆーのもアリか、彼らだったら最初に胃酸並みのpHの液体を飲み込んだ上で融けていく肉人形なんかを内視鏡のカメラで映して「酸の池」とかいって見せることくらい朝飯前かも、ただし内視鏡のダメージも凄そーだけど。オリンパス製は高いけどそこはそれ、3分の1くらいの製品もあるそーだから少々の画面の汚れは無視して使ってみてはいかが。って、こんなこと書いてても肝心の東芝の人に読んでもらえないのはなんか寂しいねー、だって内視鏡のページと同様にここも社内からのアクセス制限かけられてるらしーから。

 アトラス鏡とは無関係だろうけれど電通の広報紙「電通報」に横田順彌さんが登場して「SFの楽しみ方」について話してて、「このところ古書集めや古典SF研究の仕事の方が多くなり、創作の注文が極端に減ってしまい、少しイライラしている」と言っているの前にどこかで聞いたとおり。筒井康隆さんのドタバタに続くハチャハチャSFを発明して火浦功さんが登場するまでもしてからも軽くて面白いSFではトップクラスにいたはずの横田さんの創作を、そういえばしばらく読んでないなあと今更ながらに歳を感じる、って懐かしがってどうする。横田さんも現役だし火浦さんだって筒井さんだってオール現役。歴史は決して長くはないけど層の分厚さでは世界でも有数な日本SFの凄いところかもしれないけれど、その財産が十分に活かされてはいないような気がして横田さんじゃないけどイライラする。滅多に書かない人もいるけどね。

 さて横田さんの言葉では「地球が存在するかぎりSFは消滅することはない」がなるほど至言、だって未来が来たってその先に未来はあるしSFは未来は描くだけの小説じゃないんだから。「いまは下火だ。しかし、まもなく回復するだろう」という言葉がなにがしかの確信があってのものなのか、それとも希望的観測なのかは不明だけど、そうあって欲しいのは言うまでもない。それに出版的な事情で言えば角川春樹事務所に徳間書店に学研エニックスあたりの頑張りでSFが盛り上がりそうな感触はあるから、そんな波のなかで横田さんにも創作での登壇をちょっと期待してみたい、んだけど現在1番合ってる舞台の「SFバカ本」がどーなっちゃうのかちょっと心配、どーなるの?

 「とかくSF嫌いの人は、SFを科学を知らないとついていけない、特殊な小説のように思っているようだが、そんなことはない。科学を知らなくても、楽しく読めるSFは山のようにある」と横田さん。挙げているのはブラッドベリにフィニィでいますぐ読める傑作SFとしては「アルジャーノンに花束を」。いきなりな海外作品は荷が重そうなら星新一さんのショートショート小松左京さんの作品群半村良さんの伝奇SFetc……。初期の日本人作家ばかりなのはおそらくは自分の体験をなぞってのことで今がそのまま当てはまるかは不明だけど、例えばヤングアダルトだとそちらばかりになりそうなのが、日本SF(Jえすえふーっ!)だと歴史を辿って山田正紀田中光二の冒険そして横田かんべのユーモラスを経て神林長平大原まり子へ至ってメタ言語的だとぶん投げる、なんてことはなく森岡浩之から藤崎慎吾へと至ってくれれるだろーから万々歳、「サイファイ」に行っても良いけど今んところ1つしか作品がないんで大変かも。兎にも角にも作品や作家をあげてSFを読もうと呼びかけている横田さんの言葉にならって僕も呼びかけよう「とにかく1冊、手にとって」。あれそれ表紙に土偶が見えてない?

 「週刊朝日」4月28日号は「八ヶ岳賛歌」の西村豊さん撮影による雪の上のヤマネ枯れ葉の下のヤマネが目茶可愛いんでドーブツな人は見ましょう、ついでに巻末編集後記上での「日本工業新聞」への訂正も確認ね。有珠山の写真が裏焼きだったってそれはちょっと分からなかったなあ、富士山が裏焼きでも多分気づかなかっただろーけど。気になる記事は「『論文盗作』詫び状の前代未聞」とゆー奴で、経緯は広島大学の講師の人がペスタロッチーについて書いた論文の中で当然ながらペスタロッチの著作を日本語で引用しているんだけどそれがすでに翻訳された本から訳文をまんま引用したってことが分かってお詫びを出したってことらしー。

 原典を明記しなかったのは確かにマズいことでそれがワザとだったらあんまり感心できる話じゃないのは当然として、こうした原典の引用をもとに展開された論旨についての言及が全然ないのがちょっと引っかかった。「盗作」って言われた時に思い浮かべるのは、小説だったら構成とかプロットといった部分だし論文だと論旨ってことで、この場合講師の人が論旨までどっかからパクって来ていたんだったら問題だけどそーは書かれておらず、ただ原典を”孫引き”したことだけが問われている。「盗用」とは言えるけど「盗作」とゆーにはちょっと大袈裟なよーな気がする。記事の末尾に誰かのコメントで「人の論文や翻訳を写して論文が成立するなら、だれだって教授になれる」とあるけれど、記事を読む限り講師の人が引用したのは「翻訳」であって「論文」じゃない、ゴッチャにした言葉を引いて糾弾するのはちょっと牽強付会(けんきょうふかい)じゃない?  警察官僚に並ぶ公的な場所での不祥事をこれ幸いと叩きたくなる気持ちは分かるけど、走りすぎたた時に糾弾されるのはメディアなんだから、脇の甘さをのぞかせてそこを権力につけ込まれないためにも事は慎重に運んで下さーい。


【4月16日】 筒井康隆高橋克彦南山宏絶賛、とゆーだけのことが果たしてあったか無かっのか読み終えても未だ謎な「神の系譜1 竜の封印」(西風隆介、徳間書店、838円)は、高校生の歴史クラブ的お寺探訪記でもってシリーズの巻頭を飾るだろー記念すべき1冊を埋め尽くして仕舞う点が筒井さんの言う「特異な作品」にあたり、竜の化身ともいえる一族とそれを守る集団との関係なんかを描き次で日本の闇を掘り返す物語になるだろーはずのものを1巻では「呪い」の謎しか解き明かさない出し惜しみぶりが南山さんのいう「破天荒な力業」にあたるだろーかと考える。今後の展開に否応なく抱かされる期待はまさしく高橋さんの言う「飛翔の予感」でこれが「予感」そのままに日本を貫く「神の系譜」を解き明かす快作となってくれるかは、やっぱり次を読んでみなくちゃ分からない。

 「全ての謎は現在(いま)明かされる…!」とゆー帯の言葉にあるいは明石散人さんの「鳥玄坊シリーズ」なんかを瞬間思い浮かべて、名前に「竜」の字を持つ一族が竜の化身を奉って長い間良き続けている辺りにも日本史の闇を掘り起こす高橋半村諸星明石的伝奇(サイファイはパス)物語への発展を予感させられたけど、何しろ1巻が主人公が誰なのかも定まらず「アマノメ」についての説明もなく何やら怪しげな勢力の姿も見えずとあってプロローグにすらなっていないのがちょっと難、神社仏閣の蘊蓄も良心的なのかもしれないけれど伝奇につきもののおどろおどろしい虚仮威し的主張(イエスは日本で死んだとか富士山はピラミッドとか東京タワーは文鎮のつまみとかいったアレ)が見えておらず読む手が掛かりに欠ける、がまあ長丁場になりそーなのは伝奇の常、ゆるりと始まりドンとなってくれればそれで良いからとにかく次をと言っておこう。出版社の都合作家のご都合が理由になって途中で途切れるのも伝奇の常なんでそーは決してならないことを願う。

 同僚の結婚式の引き出物に入っていた通販カタログで選んだ「ウクレレ」が届く、「MAUI」ってメーカ0の「UK−30」って奴だから値段は3000円程度の安物か。カタログではピンクだったんでナイスと思ったら届いたのはブルーでちょっと残念だけど、いかにもパステル調の水色がチープでキッチュな感じを出していて、ベルボトムのカラージーンズに絞り染めのTシャツなんかを着て弾くとフリーダムな香りが立ち上ってちょっと良いかも。箱から取り出してヂャランと鳴らしてもバラバラなのはチューニングが出来ていないからだけど、ほかに音程をちゃんと出せる楽器なんかないから家ではチューニングのしようがない、ネットとかにチューニングにつかえるソフトとかってないんだろーか、マイクで音を入れるとドンピシャなタイミングを計れるってな感じで。

 とりあえずチューニングを終えてひとおりのコードが押さえられるよーになったら、クリスマスイブにパソコンに向かって山下達郎の「クリスマスイブ」をウクレレで弾きながら唄っててそれをネットで集めるとかゆープロジェクトをやってた、ネット界では老舗な「ワープ日記」のご主人が、この6月に結婚するとかゆー話が流れて来てたりするんでその日にパソコンに向かってウクレレを弾きながら角松敏生のバラード「June Blide」」を鼻歌ってストリーミングにしてネットで流してお祝いしよう、とか思ったけどテクないしパソコンの環境もないしそもそもが一面識もない人間から勝手にお祝いされて嬉しいのかって問題もあるからヤメにする、年末の「プロジェクト山下達郎」までには何とかしよー。

 「SPA!」の4月19日号を読んでいたらプレゼントのページに「カルピスnudeヒスブルウクレレプレゼント」ってのがあってこっちのウクレレだったらそれなりの音が出るかもしれないから欲しいかも、とか思ったけど書いてる雑誌のアンケートに答えるのって恥ずかしいから諦める、でも「でじこ」のポスターは書いてたおかげて良いことになったりしたけど、役得。同じ号の「SPA!」に最近ではドラマ「ビューティフルライフ」の劇伴を担当してそのサントラが滅茶売れているらしー溝口肇さんが顔写真入りで載っていて、チェロを抱えた相変わらずのダンディぶりにこでどーして東儀さんとかcobaとかいった人よりテレビとかでの露出が少ないんだろーと首を傾げる、声だってカッコいいんだよ、歌はちょっとアレだけど(「サウスバウンド」のラストで唄ってたりするんだが……)。

 何度も触れているけどまた触れると溝口さんはデビュー以来おっかけてるアーティストで、大学3年の春にCDプレーヤーを買ったのもデビューアルバム「ハーフインチ・デザート」が聞きたかったから。以後オリジナルも山と出したのに最近では「世界の果て」とか今回の「ビューティフルライフ」とかがメジャーになってしまって劇伴の人と思われているのがファンとして不本意で仕方ない、当人はわりと淡々としているみたいだけどどーなんだろー。オリジナルも皆さん聴いて下さいCBSソニー時代のが今も出ているかどーかは知らないけど。6月3日にコンサートかー、行きたいけどおっさんが行くと浮きそーだなー。奥さんとの競演とかあるのかなー。それよちチケットまだあるのかなー。

 日曜出勤で夜まで会社にいたんで帰りがけに地下鉄東西線を途中下車して「ワーナーマイカル市川妙典」で「鐵大人」(ちょっと中華風)の今度は字幕版を見よーかと思ったけど眠いから今度にする、どーせ途中下車すればいつだって見られるんだし、ってのは近所に「ワーナーマイカル」がなくって歯がみしている例えば名古屋市民とか、東京でも山の手に住んでいて「新百合ケ丘」とかはちょっと遠いくって見られずにいる大勢の人には嫌味に聞こえるんだろーな、どーだい羨ましいだろう。なに「みなとみらいの『ワーナーマイカル』で見てからハマをドライブした後でホテルから横浜の夜景を見おろし食事、それから部屋でPG」だって、うーん羨ましい。ちなみに「市川妙典」は船橋からだと西船橋乗り換えで駅3つ、SFな街西葛西からだと地下鉄東西線で駅5つだったりするから「SFセミナー」で上京した折なんかに見る人もいるのかな。


【4月15日】 筒井康隆高橋克彦南山宏絶賛、とゆーメンバーだけで見ても豪華だけど組み合わせがちょっぴり謎(南山さん高橋さんはちょっと通じてるかも)だったりする点がなお一層の興味を掻き立てる「神の系譜1 竜の封印」(西風隆介、徳間書店、838円)を買ったけど「特異」(筒井)で「飛翔」(高橋)で「破天荒」(南山)とまで言われてしまうと流石にギャップが気になってまだ読めない、さても上書きに中身が合致しているか。ノベルズでは富樫倫太郎さんを輩出した「歴史群像大賞」を授賞した片桐樹童さんの「古事記呪殺変」(学研、890円)も購入、古代ものは結構あっても「古事記」がテーマは珍しいかも、こっちは虚心坦懐で読めそー。

 巻末に気になる告知があって何と「ムー伝奇ノベルズ大賞」ってのが立ち上がって選考委員は夢枕獏さんに菊地秀行さんに皆川博子さんで大賞は100万円で250枚以上で締め切りが10月1日だとか。徳間のSFの新人賞があって新潮社と幻冬舎が和合したみたいな奇妙なホラーとサスペンスの賞を作って角川春樹事務所では小松左京賞がSFとかを募集していてエニックスでもファンタジーとかホラー作品の募集をやってて、ほかにも既存新設をいっぱい賞が立ち上がってて作家志望者には何か良い季節、毎月締め切り抱えて応募してたら引っかかる可能性だって高いだろうし、もちろん実力があればだけど。でも出版不況が平井和正さんの新作を電子出版オンリーにしてしまう状況でそんなに作家抱えてどーすんだろってな気がしないでもない。「受賞作(家)」ってポップや帯のアオリはチラシの「sale」と同じなの? 「女房と作家は若いうちがいい」の?

 「大鉄人」見る。弟は「18(わんえいと)」だそうだ、ってそれは「17」。見たのは噂の「アイアン・ジャイアント」で、中身はフランスの山奥に落下して来た子供が身長2メートル23センチまで成長して木こりになったけどあんまり巨大すぎて食べる物がなくなり街に下りて暴れていた所を捕まりアメリカに「生きたカージフ」とか言われて見せ物として売り飛ばされたサーカスでもやっぱり始末に終えず最後はWWFのリングに立ってキラー・カーンなるモンゴルから来た巨人に脚をへし折られる話、ではもちろん全然ないのは分かり切っている話だからもう言わない。ご免なさい。本当は宇宙から落ちて来た卵から生まれた恐竜が具の大きな美少女とスキーをする話です、でもって最後は万里の長城を越えてモンゴルの砂漠へと消えて行く話で……うーんこれも違う。

 そうだそうだどっかの研究所から抜け出して来たコダマ兄ちゃんを助けた美少女が人喰いに喰われてしまったけれどその人喰いを泡のよーな奴が始末して兄ちゃんは光の柱になって天へと駆け上がってカミサマに「人間いーやつ」と報告する話。あるいは火山島で発見された少年は記憶をすっかり失っていて助けたら得体の知れないロボットがガンガンとやって来るよーになって最初はロボットと戦っていた少年も最後は人間の愚かさに切れて「ガイア!」と叫んで地球を吹き飛ばしてしまう話。なんてやっているとあちらこちらから鉄砲玉が飛んで来そうなんでもう言わない。遠い未来から自分と母親を殺しに来たよーに見えたロボットが実はいい奴で最後は溶鉱炉に消えていく……すいません。教訓「知らない人(レックス)(北京原人)(マーズ)(ターミネーター)には親切にしましょう」。

 つまりはそんな話。愛によって悪あるいは無垢なるものは善となり、愛してくれたもののために自分を犠牲にしてでも恩返しをするなんて話は掘り返せば山とある。そして何回繰り返されようともそれが感動を呼ぶ強度のある物語だから山ほど作られたんであって、従って「アイアン・ジャイアント」のストーリーにみんなが泣かされるのは当たり前な話だろー。事実僕もウルウル来た、飛び上がるシーンとかラストの空に向かって行くシーン。あとは「スーパーマン」とか昔のパルプ雑誌とかいったその筋に脈がある人たちに働きかける道具立てを練り込んでいあるあたりも泣かせるねえ。

 けど30過ぎたおっさんが感動的だ純粋無垢だと映画館で泣いたって、外に出て会社に戻ればば世間を消費に踊らせて日々の糧を得、枠組みの中で世の中に反旗を翻すでもなくなれ合いと惰性の間できゅうきゅうとして生きている。「感動しました」と言ったってだったら明日から「僕は悪と戦います」「みんなを守ります」なんて言えるかい? 恥ずかしくって言えやしねえし電車で脚ひろげて座っている若造に「どけよ」なんて言えやしねえ、だって怖いもんボコられるの。おやじがノスタルジーとカタルシスを得るためだった見なくて良い、とゆーのが天の邪鬼野郎としての僕の気持ち。むしろ自分が見る分のお金で自分の家だけじゃなく隣近所も含めて大勢の子供に見てもらいなさい、子供だったらきっとそこから何かは学んで帰って来るだろーから。

 アニメな人特撮な人漫画な人出版な人たちがこぞって「感動」を叫んで「見ろ」というのも不思議、だって彼らクリエーターじゃん自分たちで作れる人たちじゃん、なのに何で作らなかったの? 作れなかったの? 「ロボット」と「美少女」と「メカ」が出てくれば売れると信じたがっているスポンサーなりプロデューサーなりの認識があって僕たちはそーゆー作品しか作れなかったんだけど本当はこーゆーのが作りたかったんですだから見て下さい皆さんスポンサーさんそしてこーゆー作品を作らせて下さい、とゆーメッセージだとしたら分からないでもないけれど、「メカ」に「美少女」に「魔法」なアニメが山と作られて来たのには、どこか一蓮托生な部分もあるんじゃない。先鋭的だ格好いいんだ流行なんだって言ってそんな作品を作って来た人たちから「忘れていた感動」だなんて言われたって、あんまり嬉しい気はしない。

 「セーラームーン」からだって「少女革命ウテナ」からだって「無限のリヴァイアス」からだって「おじゃる丸」からだって「アンパンマン」からだって「デ・ジ・キャラット」……はうーん「ほかほかごはん」の回なら良いかも、まあとにかく日本のアニメからだって学べることはいっぱいあるし実際に学んでる人もいるはずで、「アイアン・ジャイアント」を手放しで褒めるのは、そういった見せ楽しませ考えさせる作品を様々なシバリの中で作って来た人たちに申し訳が立たない。名のある人たちが「感動」を喧伝してくれるのは有り難いけど先頭に立って旗をふられるのはかなわんなあ、という気もしないでもなく、叫ぶんでも過去への疚しさと恥ずかしさと悔しさを秘めるなりさらけだした上で、はじめて「感動」にも説得力が生まれるよーに思う。まあ良い話だしロボットは良く動くし映像的にもカッコ良いしギャグも面白く何より若いお母さんが美人で可愛いくって声日高のり子だったんで楽しめました皆さん絶対に見ましょう、って説得力、ある?

 「六番目の小夜子」は2回目、たしかに栗山千明さんではあまりにハマリな役ではあるけどそれもしゃーないだって「エコエコ」の佐伯日菜子さんも「貞子」の仲間由紀恵さんも謎年齢な新月シホさんもセーラー服着はさすがにキツそーだし。鈴木杏も相手役の男もえくぼが可愛い委員長も多岐川由美も含めて役者に過不足はなく、事故について喋っているシーンで振り向いたとたんにトラックだからがブーンと過ぎたり夜の学校で遠くにサイレンが鳴ったり忍び込んだ場面で「ジャーン」と2人並んでカメラに向かってメタなポーズを決めたりと、見てて飽きない細工もあって気が抜けないし面白い。原作の展開をすっかり忘れているのも楽しめる理由かも、掘れば文庫があるはずなんだけど発掘に3日、埋め戻しに1週間はかかるから読まずに最終回までを堪能します、であと何回あるの?


【4月14日】 「ファミ通」が一連の「プレイステーション2」に関連した新聞報道の検証なんかをしていて、あまりの報道の集中豪雨ぶりにあきれたってなことを書いていたりするのは半分はまあ同感だけど、例のリージョンフリー問題についてスポニチが付けた「お得じゃん」的見出しを、初期ロットユーザーの気持ちを代弁しているみたいで苦笑もの、とか書いているのにはアレレって感じ。ゲームソフトのユーザーとかゲーム機のユーザーの気持ちを1番代弁してしかるべきゲーム雑誌の人がどーしてそーゆーことを書くのかなあ、もしかすると「ファミ通」が代弁しているのはゲームソフトのメーカーであったりゲーム機を作るハードメーカーってことになるのかなあ。

 まあ「市民は神様です」的視点で鉄槌を下して悦にいってるマスコミなんかよりは、健全なゲーム史上の育成には良いソフトを作ってくれるメーカーと、最高のハードを作ってくれるメーカーがあってのもの、市場全体のことを考るんだったらメーカーの気持ちを忖度しなくちゃいけないね、ってことでメーカーの気持ちを代弁するのも、それはそれでポリシーだから文句は言わない。メーカーを前にリージョンフリー問題が出てきた時に確か「ファミ通」、たいした問題にはならなくって良かったってなとを書いていたってな記憶もあったし、よって立つ場所が違えば当然視点も記事も違って来るんでしょー、やっぱ大手誌になると目配り気配りが違うねえ、拍手。

 キャサリン・アスロの「飛翔せようんたらかんらた」を、表紙の見目麗しい美少女のイラストで買って読んだら仰天吃驚、ちびちびレイちゃんから用済みでしつこいと言われた婆さんよりもさらに婆さんだったと分かった時には、思わず本を伏せて天を仰いで欲情した自分を恥じたけど、なかなかどうして世の中はさらに奥深く、裏の裏のそのまた裏まであるんだってことが分かり、「飛翔せよ」くらいで恥じていた自分の甘さを再認識する。

 早川書房のFT文庫で登場したディリア・マーシャル・ターナーってフェンシングが得意な女性作家が書いた「半熟マルカ魔剣修行!」(井辻朱美訳、720円)は最近イラストが漫画付いてる早川文庫の中にあってもなおいっそうヤングアダルトっぽい装丁で、やまさきもへじさんって人のえ学巨大な剣を背中に抱えたいかにもな美少女が表紙にデドンと描かれていておまけに帯には「ちびっこ剣士マルカ、大奮闘!」とあるものだから半熟でノロマな亀みたいな修行中の剣士がドタバタの果てに成長していく物語かと思ったらこれが何と……と言って楽しみを奪うのも何だから言わないけれど(言ってるも同然だけど)とにかく見せ物小屋で「おおいたち」とかを見せられる以上の衝撃に脳天&股間が直撃されること必定、なのでゆめゆめ表紙とかイラストではイタさぬよーご忠告申し上げておきます、後で自己嫌悪来ますから。しかし確かに「ちびっこ剣士」だよ、きんさんぎんさんだって「ちびっこふたご」だったんだし。

 やあ「ウサギムササビ」だ。発売されてから結構経った今でも書店なんかにお洒落に積まれて最近では「ヴィレッジバンガード」にも置かれているとかで善哉な「APE LITTLE FOOL」(新風舎、1500円)を書いた大塚ヒロユキさんのページ「Cafe ESNESNON」がオープンで、「ダ・ヴィンチ」の葛西賞なんかもとったらしー装丁とまんま同じグラデーションな「ウサギムササビ」のイラストとかを基調にしたデザインが目に綺麗、画像ばっかってのは我が家のプアーな環境には弱いけど「メビウス」だと軽快だからいーか。掲示板とかあるんでファンだって人は行ってみてください、をを僕ん家へのリンクもあるぞ有り難いアリガタイ。

 この本を出している「新風舎」って「ブックオフ」に行くとファンタジーやら純文学やらミステリーやら訳のわからない本が山と出ていてどんな出版活動をやっているのか不思議な会社ではあるけれど、少なくともこの「APE LITTLE FOOL」に関しては、世界向けバイリンガル東京マガジン「TOKION」に書評が出てたり、さっきも書いたよーにこだわりの本屋「ヴィレッジバンガード」で売られてたりするから見かけたらウサギムササビを眺めてみると良いことがあるかも、何か可愛いし。次回作のみならずいっぱい本を書いて推敲中のものもあるみたいで、さてどーするんだろーってのが現況。作品を募集している賞なら山ほどあるけれど「「APE LITTLE FOOL」みたいなタイプの小説だと応募先ってあんま、ないからなー。まあそのうちどっかで読めるでしょーから待ってます。

 予告どーり新宿は歌舞伎町の「ロフトプラスワン」へ。宮台真司さん登場とあってスタート1時間前にはすでに地下2階の鉄扉の前から1階へと上る階段に行列が出来ていて、それもたいていが10代は少ないとしても20代前半の学生さんだったり仕事始めて間もないってな男性女性がいっぱいいて、相変わらずの受けのよさを目で実感する。入って奥まった場所に陣を取り、何時もどーりコロナビールを頼みチョリソーをかじりつつ、ナナメ前のベンチに座っていた美人が気候も良いのかナマ足にサンダルで歩いたせーで靴ズレとか出来たらしく、鞄から取り出した絆創膏を足に貼っている姿を横目で見たりしながら待つ。

 おおよそ1時間ばかりを、周囲の会話とかを聞いたり宮台さんを追いかけているっぽい人たちの雰囲気をチェックしながら時間までお茶を濁す。ぐるりと見渡しても周囲に知った顔が見えないのも相変わらずで、まあもともと知り合い少ないし知ってても顔を覚えられない性格なんでいても誰だか分からず、もしかしたら知らず粗相をしているのかもしれないけれど、あんまり知られていない方が出没系ステルス記者としては都合が良い、格好だって黒スーツに黒帽子にサングラス姿のまるでニンジャだし。

 さて開幕。宮台さんが中心にはなっているけど本来のイベントの目的はメディア・ファクトリーだかにいる藤原和博さんとの共著らしー「るーる」「よのなか」って本の完成記念イベントで、舞台には宮台さんを中心に藤井さんが座って2人でトークを繰り広げる形で進んでいく。宮台さんによると、自分たちは知識をいっぱい集めることで世界が分かるんじゃないかって思って学問をやって経済法律社会科学とたくさんの本を読んで来たのに、結局は世界は知識なんかじゃ記述出来ないってことになって最近に至っているそーで、だからなのか昔だと或程度共通の基盤として持っていた知識を拠り所に他の分野の人とコミュニケーションを取ることができたのが、最近では同じジャンルの人では話が通じるけれど、違う領域の人になるとてんで議論がなりたたないってなことを話してた。

 まあ言われてしまえばそのとおりで、自分自身がマルクスも読んでないしデリダもゲーデルも知らない。レギュラシオンは藤原書店が流行ったんでちょっと読んだけど性格には理解できておらず、言ってしまえば無学浅才なまんま状況だけをとらえて時流にあった解説をしてメシを喰う、知識ある人から見ればはなはだけしからん存在だったりするから異論はない。ただ勉強することに対して動機づがなされていたいと指摘されても、動機づけられて勉強する意味を知ったところでだから世界が変えられるとか世界を革命する力を手に入れられるんだってな夢を抱きようがないくらいに「よのなかのしくみ」が透けて見えてしまっているのも現実で、だったら引きこもろうと外で暴れようと日々を適当に死ぬまで楽しく生きていたっていーじゃん、知識なんて覚えて議論したってそれってホントに楽しいの? とか思って諦めとゆーよりは茫然としてしまっている人にさていったいどんな「動機」を与えればいーのか悩んでしまう。

 良い物? 良い女? それはモチベーションにはならないなあ。日本を支配するために官僚になるために東大入るために勉強するんだってなちょっと前までのモチベーションも今は官僚になったって日本は支配できないし叩かれるし天下って苦労の垢を落とすことだって不可能な世の中で抱よーがない、いっそベンチャーでも起こすかな、あれれ昨日まで褒めてた会社を今日はコキおろしてるよマスコミって手のひら返すの速いよねー、ってことになるから道はますます険しくなって誰も上りたくなんかなくなる。うーんだったどうして生きてるの? ってところに質問が及んでドギマギしちゃいそーなんで講演に絡んだ妄想はこれくらい。茶髪になって生え際ますますしっかりの宮台さん、相変わらずの早口&的確トークには敬服です、頭いーんだなーやっぱ。

 後半戦に突入して藤井誠二さんも交えたトークになって最近たて続けにおこった監禁とか拉致とかボコとかチョンパといった事件に絡んで何が街で起こっているのか的討論になって新住民×旧住民とかニュータウンとか郊外とか、興味のあるテーマに話が入っていって、そーゆー住環境の変化とか家庭での子供への接し方への変化といったものが事件なり子供の心にどんな影響を与えているかについて聞いてみたかったけど時間も押して来たんでパス。届いたファクスで計4枚とかってヘッダーにあるにも関わらず大量のファクスに紛れてしまってヘッダー部分の1枚しか見あたらなかった時にその1枚だけをもって来て何も説明せずに置いていく、会社の若い兄ちゃんたちの行動様式に「気配り」とかってな概念はないのか、電車の中ででかい音でアニソンとかポップスとかの着メロを鳴らして恥ずかしいとかどーして思わないのか(漫画読んでる姿を見られるより着メロ聞かれる方が恥ずかしいよーな気がするんだけどこれって僕だけ?)、ってなことにも興味はあるんだけどまあまたそのうち聞く機会もあるでしょー。

 11時になったんで席を立って入り口にあるレジへ。途中イベントがあると登壇者の知り合いなり取り巻きなりが集まって騒いでいる脇の部屋をのぞくと、今回もやっぱり大勢の近親者が騒いでて賑やかで楽しそう、いつかあっちの部屋で友達っぽい顔をしてふんぞり返っていたいものだと思うと、途端に「いつか見てろよやってやるぜ」ってな感じでモチベーションた高まる、僕は結局は引っ込み思案な癖に見栄っ張りの自意識過剰野郎だってことがバレてしまうのでありました。目の合ったどっかで見たことあるよーな兄さんは誰だったんだろ?


【4月12日】 「東京国際ブックフェア2000」の案内なんかが届き始めて内容なんかを吟味、何かと話題「本屋さん」が大日本印刷とか凸版印刷なんかに匹敵するくらいのブースを出しているのが珍しく、去年だか一昨年だかの「ブックオフ」出展(何せ即売までやってた)に続いての話題を振りまきそーな予感。あとやっぱり期待は全世界から来た出版社なんかを代表する形で大使館とかの人を呼び出す関係で、総勢が50人以上に及んでしまうテープカット。全員が雛壇に並ぶまで5分はかかるとゆー壮絶にして驚異的な「芸」を毎回披露してくれているんだけど、出展者数なんかを見ると今回もやっぱり凄そー。ちょっと時間とか早いけどまだ見たことがないって人は1度見ておくと末代までの語り草になります、いやはや壮絶です。

 例えば「ブックフェア」が宇宙的な規模で開かれるよーになった時なんかどーするんだろー、ヒューマノイド型の人ならハサミを渡して気ってもらえるんだろーけれど、これがアメーバ型とか昆虫型の宇宙人だったらどーやってテープにハサミを入れてもらえばいーのか、そもそもどーやって雛壇に並んでもらうのか、宇宙服とか容易しなくちゃいけないのか、「カメラマンのためにポーズをとって」とゆー言葉が通用するのか、そもそも銀河連邦1万の出展者を呼び出すまでにいったい何週間かかるのか、ってなことを想像した短編なんかをふと思いついたけど才がないから書いてない。宇宙規模に広げなくたって「ブックフェア」なる催しものに始めて出品を考えたどっかの奥地の部族とかが巨大な石に記号を刻んだものを「本である」とかいって持って来て展示したら大変なことになるかも、まるで「フリントストーン」だね、ダバデュビドュー。

 作家さんとかによるサイン会はは漫画家さんとか有名作家さんとかでは「メフィスト」でもお馴染みのはやみねかおるさん以外はあんまりめぼしい人が予定さてなくってちょっと残念。はやみねさんは22日は午後3時、23日には午後1時にやってきて即売会だかサイン会を開いてくれるみたい。ほかは阿藤海さんや辰巳琢郎さんと光浦靖子さん(めちゃイケの眼鏡)とかってなタレントが中心。をを藤崎奈々子さんのサイン会があるぞ、っても誰それってなもんだ、「マツキヨ」程度じゃなあ。それにしてもよーやるぜってのが志茂田景樹さん。最近 はあのキャラクターを活かして子供たちに本を読みきかせる「よい子によみ聞かせ隊」なんてものを組織して全国をキャラバンして歩いているらしく、池袋の「ナンジャタウン」にやって来るって話を書いた記憶があったっけ。自分の出版社を作ったからなのか去年の「ブックフェア」には連日の参加だったけど今年もやっぱり20日から23日まで連日会場にやって来ては、子供にあの顔あの服あの声で本を読み聞かせてくれるとか。いったいどんな"トラウマ"を子供に植え付けるのか興味がるなー、読み聞かされてみるか。

 ゴールデンウィークを「SFセミナー」なんて訳のわからないメタ言語な小説を好む人たちがワンサを集まっていそーな会合で過ごすのも悪くはないけど、ってゆーか一味となって過ごすんだけどそーじゃない特撮な人は東武ワールドスクウェアなんかをのぞいてみるのが吉かも、だって来るんだぜ「ゴジラ」が。5月3日から7日までの1日3回、ゴジラが戦闘ヘリコプターとか戦車を相手に戦うかやられるかする、火薬をバンバンつかったショーが開催されるとかで、多分ラジコンヘリか戦車か何かだとは思うけど、ほら東武ワールドスクウェアって言えば25分の1の大きさに建物が作られた所じゃない、2メートルくらいのゴジラの着ぐるみもそこでは全長50メートルの巨大さでもって見えるから、戦う場面も遊園地の舞台とは違った迫力があるんじゃなかろーか。とはいえ流石にお金をかけて作った風車とかバッキンガム宮殿とかピラミッドとかをゴジラがぶち壊して回ってくれる訳でもないし、どっかの広場でやるんだったらそれはちょっとツマらない。のでゴジラの俳優さんは会場なんかを無視して園内を縦横無尽に走り回ってエジプトを、オランダを、英国をアメリカをインドをニューヨークを席巻してやっちゃーくれまいか、だったら見に行くぜ「セミナー」明けでも。

 コネ入社を得々を自慢する森喜朗新総理の評伝「あなたに教えられ走り続けます」(北國新聞社刊)を早速並べていやがる本屋があったんで手に取って立ち読み、時の社長・水野成夫にかけあった話はすでにあちらこちらで取りあげられて有名だけど、政治部に行きたかったんだとゴネてる割には工業担当の記者として例えば本田技研工業の本田宗一郎社長や小松製作所(当時)の川合良成社長といった有力経済人とコネをつけ、はては井関農機だかの社長のツテで愛媛県だかの代議士の秘書になって政界進出の足がかりを得ようとしたってな話を読むと、嫌がってる割にはあれで結構利用してるじゃんとか思う、うまく立ち回りやがったなあ、僕なんか何もないもんなー、電通の社長とのツーショット写真なんかで金借りられないよなー。

 それだけ利用していて、未だに「産経出身」とか言われてしまうのも実にツマラナイ話だけど、そこまで袖にされてもなお「おらが総理」とばかりに持ち上げようとする態度を見せている某紙のもの悲しさと言ったら。「森総理経済語録」とかって日々のコメントから言葉を拾って掲載しよーってな企画を100歩譲って認めても、総理は動勢とかで嘘ついてもいーんだよね発言とかお世話になった福田元総理の思い出語ったコメントとかを「経済語録」として載せよーとするのは何ともかんとも。こーゆーことをするから当の本人に小馬鹿にされるんじゃないのかなー、まあ読んでないから何をやってもやらなくっても無駄なんだけど。明日は気が向けばロフトプラスワン。


【4月12日】 たぶん「少年アリス」以来の購入になるんじゃないかな、長野まゆみさんの最新刊「サマー・キャンプ」(文藝春秋、1048円)を買って読む。「体外受精で生まれた温(ハル)は、出生の秘密を自らの手で明かそうと決意するのだが……。近未来を舞台に、人間が、種として背負うべき未来への責任を問う傑作」と帯にあるんだもん、これは読まない訳にはいかないじゃないですか、SF&ファンタジーな人間としては。で、印象はというとこれがなかなに難しい。決して多くない登場人物なんだけど、「体外受精」の実は錯綜した経過がキャラクターの関係を入り乱れさせて一読での理解を妨げ、かつ記憶にまつわる問題が視点の変化を招いて何が事実で何が空想なのかを分からなくさせる。そんなもつれた糸をほぐすためにはもう1度、あるいは2度3度と今度は系図なんかを引きながら読んでいかなくっちゃと思う。決して厚くないのに脳味噌をぐらぐらさせる本、ですね。

 何か女性に近づくと蕁麻疹が出る温(ハル)にある日男の子が近寄って来てパートナーにしてくれとか言うあたりがスタートで、ふーん一種のボーイズ・ラブ? とか思っていたら話がどんどんとそれていく、男の子が女言葉を喋っていたり温が若い美貌の獣医に迫られたり女アレルギーの秘密が分かったり染色体に絡む重大な秘密が温に限らずたくさん明らかになったり。そうこうしている中から立ち上がって来るのは見かけのジェンダー心のジェンダーなんか超えた場所にある「愛」ってことになるんだろーけど、やっぱりよく分からない。意味深なタイトルも含めて週末にでもじっくりと考えよー。風力発電だかに使う風車が砂漠に立ち並んでいる表紙の写真がちょっと好き、常盤響さん以来の最近気になった装丁かも、担当した大久保明子さんって他に何かをしている人なのかな、探してみよー。

 機構改革にタイミングを合わせて鳴り物入りで始めた1面の企画の、実はコンセプトも曖昧なまま場当たり的にスタートさせられていたことを知って愕然としかたとゆーと、何時もそんな感じだから今さら驚きもしない。ただその後のフォローをどうするかって方が問題なのに、やっぱり明確な指針を打ち出せずにいるのは何ともやってて頭が痛い。今時な会社がズラリならんでそれが出ているってことだけでもちょっと自慢していーのに、相も変わらず紙面に値する企業じゃねーじゃんチンピラじゃん的発言なんかもあって、何か勘違いしてませんか彼らの方が今や私たちよりも100倍くらいは世界的に注目もされててステイタスだってあるんですよ5年後には1万倍だって及ばなくなるかもしれませんよだってこっちはゼロになっちゃうかもしれないんだから、なんてことを内心思う、口にはしません小心者だから。

 まあ結論的には人間が少なくそーゆー大がかりな企画に某経済新聞とかみたく5人10人の専従班を組んで当たれないビンボーがそもそも悪いんだけど、強化するってな看板掲げてのこの有り様はやっぱり旧日本軍、いえいえ莫迦でも総力を結集して資財も人員も総動員して最後に大和の1つくらいは作った日本の方がまだ立派で、竹槍すら作れず爪楊枝を輪ゴムでとばしてスペースシャトルを落とそうなんて体裁で、勝つなんて以ての外で戦うことすら困難、おまけに爪楊枝なんて自覚がなくて相手がスペースシャトルならこっちだって最新鋭の戦闘機だ、くらいのことは思っているからなお不思議、どう頑張って戦闘機じゃスペースシャトルは落とせません、だって相手は宇宙にいるんだもん。とにかくどーやったら「意識」そのもの、メディアの黄昏を自覚させてお高くとまったプライドを改めさせることができるのかを考えたくなったけど、変われればこんなことにはなってないから未来は絶望、かくして8月15日は近づきつつあるのであった。

 決定権がある偉い人ほど今何か起こっているのかを外に出て実感する機会に乏しいのが問題なのかもしれず、いっそ今日あった「エキサイト」の中期経営計画の発表会見なんかを聞いてメディアの世界で起こっている地殻変動を実感させればとか思う。今はまだ8億円のエキサイトが2003年に目指している売上高は80億円でそのころの社員数は210人、これって実は今のウチの会社とほとんど同じ規模なんだよね。でもって向こうは20億円もの宣伝費をかけてますますアクセス数を増やして1日に1500万ページビューだなんて数だけて言えば世界最高を誇る新聞を超える人間(そのまま人数とは限らないけど、とりあえず便宜上そう見なす)から見られるよーになる訳で、そんな勢いを背景にますます伸びていく。省みるに我が部隊は補給なんて皆無な中をひたすら撤退戦を繰り広げている訳だから、遠からず立場は逆転するのは確実だろー。

 もちろん報道と情報発信は役目が違うからいちがいに比較は出来ないけれど、報道とゆー高潔さを自らかなぐり捨てよーとしている最近の(一部の)(どこかの)メディアが「報道」の美名を振りかざし続けるのは正直困難、とすれば同じ情報を使って商売をしよーとした時に、インフラもありモチベーションも高い新しいネットメディアの方が将来性を持っているのも当然だろー。旧来のメディアが生き残るために必要な「権威」を維持し続けるために、「ジャーナリズムの根本原理」を考え実践していかなくちゃいけない時に、やっているのは1つの情報を商売のネタに使おうってな正反対のことだから未来はおして知るべし。

 その点「ロサンゼルス・タイムズ」の態度はやはり近代ジャーナリズムが発達したアメリカならではで、朝鮮民主主義人民共和国の子供たちがまるで「月の裏側」の「人間もどき」たちのよーに同じ顔をしている表紙で発売中の「SAPIO」4月26日号に掲載されている、これだけは褒めてあげたいコラム「メディアを裁く」によると、営業と編集の壁を取り払い結果として提灯記事を書かせてしまった経営幹部が別の報道機関から非難されたとこに、「ロサンゼルス・タイムズ」側がちゃんと「誤り」だったことを認めて1面に「読者各位」とする記事を掲載して謝ったとか。加えて「真実と編集作業の高潔性に関わる正しい事項のすべてを述べた新しいタイムズ紙の『原則』を発表」してガイドライン集なんかも配布しちゃんと軌道修正を行った。ひるがえって……と言っても唇寒し、せめてコラムを切り抜いて掲示板にでも張り出しておくか、何とかセンター開設とか総理大臣誕生なんて往時のニッポンの「連戦連勝!」な張り紙みたいな自惚れ記事が張ってある横とかに。


【4月11日】 だから「日本工業新聞」なんだってば「週刊朝日」4月21日号。普通のマスコミに無縁な人に間違われるのは仕方がないけど小なりとはいえ同業の会社のことでかつ、一国の総理大臣の経歴に関わることでこうも単純に間違われると、もとより会社に愛がないから腹はたたないけれど何をやってるんだろうと呆れてしまう、やっぱり小なんで見下して見くびっているのかなー、高学歴&高級取りな皆さんは。あとバッシングの波に乗り遅れまいとするかの如くに光通信を叩きに入っているけれど、最初の頃はどうだったんだろうやっぱ若い社長の華々しい活躍に「ベンチャーの旗手」だなんて拍手を贈ってたんじゃないだろーか、いや調べた訳じゃないけれど調べると築地に限らずいろいろとアラが出て来そーなんで面白いかも。何か事あるたびに雪崩現象を起こして集中的に褒め上げ手中的に爆撃を加えるマスコミに横並び意識も含めて、やっぱり「喉元過ぎれば」のことわざは普遍の警句なんだねー、古人の知恵に拍手。

 古人の知恵を言ったらしかめっつらして「子曰く」なんて引き合いに出される孔子サマ、だけど決して清廉潔白でも純真無垢でもなくむくつけきおっさんで常に仕官を志して一国の宰となって自分の考えを実践しよーと考えていた夢想だか妄想だかの人であったことは酒見賢一さんの「陋巷に在り」なんかにも出ているから最近は知られているけれど、だからこそ今時の経済が弱っちい時にこそ引っぱり出して21世紀を生き抜こうってなことが「儲けることにきれい汚いはない」(孔健、講談社、1500円)に書いてある。「論語と算盤」と言ったのは明治の日本経済の立役者、渋沢栄一だったけど、やっぱり見ている人はちゃんと見ているってことなのね。

 ホントに孔子って実利主義者で現実主義者だったの? という疑問には貝塚茂樹センセイとか宮崎市定センセイとかの本あんまり読んでない身にはちょっと答えられないけれど、何しろ書いているのが孔子から数えて75代目の直系子孫。いわば家元(なの?)サマが言っていることに下々の者としてどうして逆らえよう。まあ何だって有り難いことを都合に合わせて解釈するのが世の常で、今は金儲けの時代だからそー解釈しているだけで時代が変われば別の解釈も出てくるかもしれない。温故知新とはつまり新しきを知るために古きをほじくり返すってこと、なのね。しかし中国の人なのにトウ小平の例えを「白猫黒猫」と言っているのはフ・シ・ギ。正解は「黄猫黒猫」だって「アカシック・ファイル」で明石散人先生が書いてたけど、やっぱり「悪貨は良貨を駆逐する」、なのかなあ。

 頭では上手くなっているような気がするのに目がそれを受け付けないのは何故なんだろーと思いながら川原泉さんの「ブレーメン2」(白泉社、630円)を読む。「アンドロイドはミスティ・ブルーの夢を見るか」だかの続編らしー物語で凄腕の航宙士につけられる「イレブン・ナイン」の尊称を持つキラ・ナルセが雇い主の社長に言われて人手不足の中で知能を進化させたドーブツたちがクルーを務める宇宙船のテスト航行に乗り出すってな展開は、不思議なことでも強引に進めてしまう川原さんならではの力技が相変わらず発揮されてて、ドーブツがあっさりと進化してクルーになり、そんなクルーたちをあっさりと深く考えもせずキラ・ナルセは受け入れてしまい、火星人は出て悪魔なんてのも出て来そうでもうなにがなんだか。それでいて差別の問題とかをしっかりと語ってしまえるあたりの「物語力(ものがたり・ちから)」は全然前と変わっていない。

 じゃあ受け付けないのは何ってそれは絵。線がほそーくなって見た目は綺麗になっているけれど、シリアスになった時の顔の能面っぽさとか目の生気のなさがどうにも気になって仕方がない。前より多分いっぱいシリアス顔が出てくるってのもあるけれど、たぶんタッチも変わっていてそれが違和感につながっているのかもしれない。デフォルメ調になった時の雰囲気はほとんど昔のままだし。それにしても「Cビーフ」はお笑いとしても進むバイオテクノロジー、やがて人間以上の知恵と力を持ったドーブツが出て来ないとは断言したいけど希望はちょっとくらいはある訳で、そんな時に使えなくなる諺の多さにはやっぱり人間の自分中心な考え方が浮かび上がる。「月とスッポン」「ネコババ」「狸寝入り」「狐の嫁入り」「飼い犬に手を噛まれる」「鳥なき里の蝙蝠」。あれれ1つヘンなのが交じってるぞ。

 人間中心と言えば「夏のロケット」「リスクテイカー」といった小説もさることながら「動物園にできること」のようなノンフィクションでも定評の川端裕人さんがニューヨークで活躍する環境団体について取材した「緑のマンハッタン」(文藝春秋、1714円)が、その点についていろいろと考えさせてくれる。登場する動物でも自然でも「人間以外」のものに激しい関心と強い共感を寄せるディープ・エコロジストとかアニマルライツたちは、自然が何よりも大切で人間は自然を壊す悪なんだと二項対立的に考え動物なり自然を中心に据えようとしている節があるけれど、自然と人間って決して対立する概念じゃない。それって結局裏返しの人間中心主義だからね。お互いに負荷をかけあいながらも相対的に維持・発展していく道を模索するのがたぶん幸せだけど、それが出来ないから苦労するし、仕方がないと過激な道へと進む人たちもいる。それでも曖昧さの中に逃避して自然についても人間についても思考を停止しているよりはいったん対立の図式に身を置き、そこからもう1度最善の道を探してみるしかないんだろー。立ち位置を考えさせてくれる本としてなかなかに面白いポジションをつかみそう。小説より面白いぞ。


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