縮刷版2000年4月上旬号


【4月10日】 リニューアルなったインフォバーンは「ウルトラサイゾー・コム」(どっとこむぅぅぅぅ!)で散々っぱら噂のネット従量課金はおらっちのビジネス特許だもん会社について超絶大手プロバイダーに「どうーなってるの」と聞いたら「どうもなってない」ってことはやっぱりアレでしょーか「小さなとこからゴツゴツと」。ちなみに代表らしい臼井龍夫さんって名前で引っ張ったらなかなかに興味深いグッズが出てきてなかなかな”アイディアマン”だってことを裏付けてくれます。これも実用新案とか取ってるのかなあ。

 しかしサンコンさんとかはまだしも化石のよーな「新進党」時代の小沢一郎さんのページがユーザーとしてあったところで、この生き馬の目に地獄突きなネット界では「何で今更」ってな印象を持たれて、逆効果のよーな気もするけれど、いったい何かの自慢になってるんだろーか、「ボンカレー」や「オロナミンC」の琺瑯の看板を未だに掲げた田舎の町道沿いにある農家の納屋の壁みたく。ちなみに「自由党」小沢一郎さんのページは某「AERA」の女性ウェブ会社一覧には残念ながら漏れてしまったけど名古屋で頑張ってるウェブ会社のシンクフォリストが作ってる、その名も「一郎のネットでGO!」ってのがあったりして、ゲームなんかもあってなかなかお茶目です、眉毛相変わらず薄いなあ。

 どーゆー風につながっているのか良く分からないけどとにかくちゃんど例の衣装で出てくれている「ブギーポップ・デュアル 負け犬たちのサーカス」(高野真之作画、上遠野浩平原案、メディアワークス、550円)を読む、人間ブギーになるととたんに唇の色が悪くなるらしい、エネルギーを使うのかな、泡立つにはそれなりに。ブギーポップ発動の事由とかがこれを読む限りだと属人的ではなくもっと別の憑依的? なものもありそーだけど整合性とか取れてるんだろーか、本家の方だと宮下藤花の別人格的なものに固定されていて、何が起こってもすべての宮下藤花=ブギーポップが絡んで次第に「怪獣は何故日本ばかりを狙うのか」的様相を呈しているから、良い解決策ではあるけれど、釈然としないなあ。漫画はいっぱいパンツが出てくる割には注目のデルタフォースを足先とか腕とかで覆う巧みの技が光っているのが謎、何かイケナイ理由でもあるんだろーか、安永航一郎さんの「火星人刑事」なんてスポポンポーンなのに、うーむ。

 初コミックらしー遠野麻紀さんって人の「新世界公共音楽」(集英社、530円)も読む、何やら近未来の社会を舞台に疲れた人間をバーチャル・トリップで癒します的商売を営む「必殺心癒し人」の物語かと思ったらさにあらず、次第に立ち現れてくる架空の世界の正体が、人間の直面している艱難辛苦と重なりあって悠久の時の重さと広大な宇宙の広さ、そして人間の行きたいとゆー願いの強さに気づかせてくれる。っても1度読んだだけではちょっと設定がサッパリ、どーゆー仕組みになっているのかを再読して考えよう。巻末の短編は書いていたファンタジー小説を仲間なんだからと言いつつも半分はカラカイも入っている態度で読まれてしまう少女の災難に青春の1ページを思い浮かべる、って経験じゃなく漫画でよんだよくある青春の1ページだけど。今時の同人少女ってあんなのとかそんなのをどうなんだろう学校で授業の合間に堂々と書いたり描いたりしてるんだろうか。「ちょっと男子ぃモデルやってくんない」とか言って。うーん。

 「噂の眞相」5月号は「PS2」絡みの記事も載ってて一安心、とりあえずメジャーなメディアも既に追っかけ済みだけど「うわしん」は影響力があるからなあ、SCEIもこれでさらに襟を正さなくっちゃいけなくなるだろー、敵にまわすとしつこいんだよ「うわしん」は。それが証拠に冒頭のミニコラムでの「PS2」と同じページにある「東浩紀さんVS平野啓一郎さん」の記事は、先月の浅田彰さんによる喋っただけでは飽きたらず自分で後からペンを入れたとかゆー東さんへの大罵倒から連続しての「VS東」の旗幟を鮮明にしつつある現れで、今後ますますあれやこれやと茶々入れが行われることだろー。とは言え敵の敵は見方にならないところがこの雑誌の不思議で東さんの敵と位置付けられた平野さんをもやっぱり茶々の対象にしているから分からない。

 つまりは編集の立場として東さんは敵で平野さんも敵で同じコラムの中で茶化している福田和也さんも敵なのかと思ったら、当該の記事の切り口になっている福田さんの問題の本「作家の値うち」(飛鳥新社、1300円)の広告が堂々と、それも2枚も掲載されているから悩ましい。まあ広告と記事は独立した存在なんだとゆー、ジャーナリズムでは当たり前のことが確立されているんだと思えば不思議でも何でもないんだけど、そーゆーものが身の回りであんまり確立しているってのを見た記憶がないだけに、感性がちょっと鈍くなっているのかもしれない、上は上で下は下、ソウイウシンブンデワタシモアリタイ。


【4月9日】 選択の1日、人生の岐路について考える、なんことは全然なくって洗濯の1日を家で過す。軽く1カ月はたまった洗濯物の山を、上から喫緊に必要となりそーなパンツシャツに下着靴下類をごっそりと取って適当に洗濯機へと叩き込んではグルグル回すものの山は一向に減らず、3回くらいで嫌になってやめてしまったから洗い残しの山が前に洗濯した時よりも高くなってしまう。こうして積み重なった地層の最下層にあるのはいったいいつ頃からため込んでいる奴だろー、ひっくり返すと下で3年とか5年とか昔に行方不明になっていた本とかCDとか別のナマモノとか出て来そーでちょっと掘れない。山はほかにも本とか玩具とかがあってやっぱり下には有機物無機物鉱物質キチン質がツブれていそーでちょっとビクビク、引っ越す時が怖いよー(引っ越せないけど金ないし)。

 ちょっとだけ散歩、前に乗り過ごした津田沼から船橋へと歩いて帰った時に見つけた新しい船橋中央図書館を見に行く。といってもまだ開館前で工事中だったから中には入れず、閲覧室とか開架室とかがどーなっているのかどんな本が並んでいるのかは確かめられなかった。もうだいたい5年くらい前に借りた本がやっぱり本の地層の最下層に眠っているため借りられないのが難点だけど(返せよさっさと)、綺麗になって本も新しいのとか入ってるんだったらちょっとだけ近くなったこともあるし通って本代を節約しよー。それにしもてビルの2階と3階に入っていて1階がスーパーマーケットってな図書館って全国的にも珍しくありませんか図書館マニアな人どーですか。下が古本屋とかってのよりはまだマシだけど、借りた本とか売られちゃったりするからね。

 さらに散歩してあんまり行ってない古本屋へ。懐かしいゲームブックの類とかが結構並んでいて、あとE・R・バロウズの地底シリーズとか月シリーズとかが結構まとめて置いてあってこれはセドって儲けようかと瞬間思ったけど財布を忘れて不愉快なワカメちゃん、高千穂遥さんの「美獣」美本とか川又千秋さんの日本SF大賞受賞後第1作とか帯にあったノベルズとかも買えず今度また来ようと退散する、まーこのあたらりだったら古本屋蹂躙大魔人も来ないだろーから来週行ってもらるだろーけど飛んで来そーな気もしないでもないから船橋市内としか言わない。小銭があったんで潰れそーな長崎屋で食糧を買い込み買い置きの冷凍ドライカレーならぬ冷凍ドライハヤシを炒めて昼食兼夕食、これ1食で今日の食事は終わりとゆー何ともダイエット的なメニューだけど1袋で500グラムもある冷凍ドライハヤシにソーセージを10本も叩き込んで卵を2個、溶いて入れてあるからダイエットどころの話じゃない、おまけに食べて昼寝したんでほとんどが脂肪としてイザとゆー時すなわち失業の時に供えて蓄積されたことだろー、当分使わないけどね。

 「はにゃーん」。となったのは日曜日に変わって地上波での放映がスタートした「カードキャプターさくら」を見たからってのは言わなくっても分かるね、ファンなら。まあ先生の顔を見たって雪兎野郎の顔を見たって「はにゃーん」とはならないし、知世ちゃんのさくらちゃん撮影にかける情熱も「はにゃーん」よりは萌え萌えな気分が先に立つからちょっと違う。じゃあ何に? それはさくらちゃんのベッドルームに置いてあったバトルコスチュームを着たさくらちゃんの縫いぐるみなのさ、熱烈なファンだったら何話のどんなクロウカードととっつかまえる時に着ていたものかを瞬時に答えられるんだろーけど、不勉強だからそこまではとても分からない。けど大きさから装丁される抱き心地はきっとふにふにとしてぷにょぷにょとしてるんだろーって事だけは分かる。持つとやっぱりなるんだろーね、「はにゃーん」って。

 とか言ってる間に夜が来たんで適当に仕事して適当にメールする、ゴールデンウィークが間に挟まると締め切りまでが1カ月も必要となるとは、おそるべしGW進行、新橋のご同類な雑誌の方もそんな感じなのかなー、今月号だと1週間も立ってない情報がチラリ入ってたりしたからなー。適当に終わらせて後は読書、有馬啓太郎って過去にあんまり読んだことのない漫画家の「月詠 MOON PHASE 1」(ワニブックス、850円)は「お兄さま」と慕って来たドイツだかの古城にいた美少女に「はにゃーん」となった青年が、少女に言われるがままにキス(?)を受け入れたらこれが何と……とまあ半分はうらやましい展開だけど、契った(?)途端に少女がヤンキーで乱暴な小娘になり、青年を下僕だドレイだと呼び始めたのもこれはこれで実に羨ましい展開と青年の身の上に嫉妬する。青年の母親、少女の母親の関係あたりに謎がありそーで次巻以降に謎もつながりさてどーなることやら。折り返しの写真に作者と一緒に写った有馬ラムネ氏はなかなかの美形です、毛並みもツヤツヤしてるしヒゲだってピンと張ってるし(にゃおーん)。


【4月8日】 栄えあるカウンターの100万番を踏んだのは何と「BH85」(新潮社、1300円)の森青花さんだったそーでおめでとうございます何も出ませんが。うーんそれでもせっかくだから未だに家にいるフロリダは「ディズニーワールド」から連れ帰った「体長1メートルのコモドドラゴン」を差し上げようかな、「SFセミナー」で三雲岳人さん藤崎慎吾さんとの対談があるそーなんで迷惑を省みずに持って行って渡そーかな。「でじこ」せっとってのもあって耳と手袋に尻尾と足も加わったんだけどこれは自分用(?)なんであげない。メイドと鈴さえそろえば僕もすぐに「でじこ」だにょ。「死んだファービー」「コールドスリープ中のプリモプエル」とかってのもあるけど、これは流石に迷惑か。

 小川VS橋本戦の帰りにちょっとだけビールを飲んで「祝杯」(だって小川の本面白かったんだもん)を上げたあと、総武線でとことこと家へと向かって西船橋まで来て次だと思った瞬間、意識が途切れて気がづくとそこは津田沼、どーして教えてくれなかったの車掌さんと、自分の不始末を棚上げにして怒りをJR東日本にぶつけたくなったけど、そんな余裕はなく急いで降車、さて戻るかと反対側の路線の電光掲示板を見たら「回送」の文字で放送も「上りは終了」なんて眠たいことをいってやがる、嗚呼まいったなあと思ったけれどさりとて長蛇の列をこなしてタクシーに乗りわずか2駅を行くのも業腹だったんで、前に自転車で来た記憶のある道をとことこと歩き始める。およそ45分で船橋駅前にある家へと到着、膨らみつつある体型に反して足腰の頑丈さはそれなりに維持されていることを確認する、別に役には立たないけれど。いやビンボーになった時に移動手段として使えるかな、でも東京までは遠いしなあ。

 パソコンじゃ日本は負けたけど携帯電話やモバイル端末はすっげーんだぜー、ってな余りに今時な論調をトロン坂村健さんが前から言ってて「朝日新聞」のデジタル面で浜野保樹さんが言ってて平林久和さんが「日経01」なんかで言ってたりして今時ぶりになるほどとエラい人たちはちゃーんと当たり前に世の中を見る訓練が出来ているんだと関心してたら、J文学な牙城でエンターテインメントな作家の原稿でも上手ければ「載せてあげてもいいです」とか殊勝なことを言うらしー鷹揚な文芸誌の「文藝」(河出書房新社)の最新「2000SUMMER」に、何とゆーことか静岡大学の助教授の人の原稿が掲載されててやっぱりネットの「iモード」化なんかについて書いている、東大に東大に四万十川な人たちと同じかあ。というニセの賞賛はさておき始まりました「文藝」の赤尾晃一さんコラムには、「週刊宝島」相手ならカサにかかるけどブンゲーな権威価値観にさてはてどんな対応を見せるのかが気になったりもするから、もっともっとラジカルにアバンギャルドにデジタルな人たち会社たちを撃っていって頂きたいお願いね。

 フルタの「チョコエッグ」を貪り喰う。かの海洋堂が企画して原型までも担当したとゆーフィギュアが中に入った最近流行の卵チョコなんだけど、海洋堂のフィギュアだからといってケンシロウもセーラームーンも入っておらず入っているのはすべてがドーブツそして昆虫たち、それがリアルだからなのか人間の中の自然を呼び覚ますのか、ネイチャーな人やら女性やらに妙な人気を博してしまって結構なブームになっているとか。今時のキャラクターブームでキャラクターを入れれば売れるだろーってな安易な事は考えられて実際に実行に移されている物もあるけれど、それがブームになっているかは別問題。そんな計算から外れた「動物」「昆虫」のフィギュアがブームとなる状況に「キャラクターって何だろー」と考える、「ガシャポン」ででも「動物」と「昆虫」やっても売れないだろーからなー、結局はフォーマットの問題か、「チョコエッグ」っていう。うーん。

 外出もせずに読書をば。講談社の「ホワイトハート大賞」を授賞したらしー紫宮葵さんって人の「とおの眠りのみなめさめ」(講談社X文庫、530円)は加藤俊章さん描く耽美できらびやかな雰囲気も良かったけれど「男児が生まれないとされた家に生まれた少年がやがて不思議な現象に巻き込まれていく」という設定もなかなか。だったら現実に生まれてしまった自分は何なんだろうと考える少年は、旧家の跡継ぎである自分に政略結婚を迫って来る従姉妹の存在や同級生の少年、そして路地裏の珈琲屋であった美貌の女店主たちとの交錯を経て、少年はどんどんと現実世界での自分の存在を希薄なものへとしていく。端正に選び抜かれた言葉で組み上げられた文章、思いに悩む少年の心理描写そして最後に立ち現れる揺らぎの様が心を奪う。オチはまあありがちだけどそれを覆って得られる幻惑のシーンが心地よい。ルドンの「目を閉じて」のよーに表紙から挿し絵まですべてが目を閉じた人物ってのも珍しいけど、この話にはピッタリかも。ずっと眠っていたくなって来た、それとも今も眠っているのかな。

 愛知県出身だと「美濃」って言われると思い出すのは岐阜県のなだらかに続く山間部でつまりは田舎っぽいイメージで、それに牛とゆーいっそうの鈍重さをイメージさせる言葉をつけた「美濃牛」の文字が醸し出すのはあんまりエレガントな物じゃない。にもかかわらずんなタイトルがついた小説を、「MINOTAUR」すなわち「ミノタウロス」と絡めることでホラーに仕立てあげてしまったことに剛腕だけれど目の付け所の良さを見る、殊能将之さんの「ハサミ男」に続く待望の新作「美濃牛」は、田舎に起こったリゾート開発をめぐ一族のいざこざの中で次々と人が殺されていく展開が、村に伝わる歌や鍾乳洞といった道具立ても加わって「横溝的」な雰囲気を醸し出す。現代なんでさすがに「たたりじゃー」はないけどね。

 読み終えて展開の面白さはなるほど一級、めくるめく展開に退屈はしない。一族で唯一残った少女の活字で描かれたビジュアルにやっぱり興味を持ってしまうのは男の哀しい性だし、リゾート開発の交渉に来ている石動という男のどこかつかみ所のないキャラクターも目に心地よい。明らかになる謎の何とゆーか錯綜した状況も意外性はあるけれど、だからといって「横溝的」な雰囲気を吹き払う「殊能的」な力技が「ハサミ男」ほどないよーな気がしてちょっと読後に物足りなさが残る。「横溝的」なら「獄門島」に「八つ墓村」にTBSで放映された古谷一行金田一のテレビシリーズを見ればそれはたっぷりと味わえるんだよなー、かといってオマージュというものでもないし。

 まあそれでも、インフレする奇想とどんでん返しと性格破綻な探偵の群を見せられ続けて歪んでしまった目に、”ちょっとヘン”なくらいの方がかつての物語を読む時に感じた「ワクワクドキドキ」を取り戻すためのリハビリに最適かも。いくら40代だからって身長が160センチの警官っているんだろーかとゆー悩みはさておき、気になったのは文中で喋られている美濃の人たちの言葉。冒頭の少女とおっさんの会話で少女が喋った言葉に「それで、すねてたんやね」とゆーのがあって、「やね」と語尾につけられているからてっきり関西人かとも思ったら美濃に住んでる少女の言葉だったと判明。あれれと一瞬思ったけど、、同じ学校に多治見から通っていた奴がやっぱり「やね」と喋っていたから、岐阜県の言葉はコレがフツーなのかもしれない、愛知県に住んでいたって美濃の人とはあんましゃべらへんからなー、美濃の人、どーやね。

 しまった録画しそこなったぜNHK教育でスタートした恩田陸さんは「六番目の小夜子」を原作にしたテレビドラマは、いっぱいの女の子たちが出てきて目にとっても嬉しい。主人公の女の子も良いけどやっぱり転校して来た小夜子をやる栗山「死国」千明さんは目に迫力がありますねー。主人公の子とバスケ部で組んでるえくぼな女の子もバスケ部の部長もみーんなみーんな最高で、触ると柔らかそうな唇とかふれるとぷにぷにしそうなほっぺたとかが実写でアップいなるたびに、二次元なアニメの「美少女」たちがしょせんは記号に過ぎないんだよやっぱりナマは最高だよってな、「オタク」にあるまじき自然の声に背中を押されて迷いそーになる、来週も見たらきっと転ぶな。男子も下手がいないのはNHKってところかな、最近のラジオといーテレビといーかつてSFのレギュラー番組があって少年ドラマシリーズがあったNHKが甦りつつあるよーな。かつて見て聞いて育った世代が力を持って来た現れか?


【4月7日】 9日の新宿での鳥肌実さんの路上ライブは無くなった模様、お茶の水の方はどうなんだろう? SFのブックガイドの中でSFの評論家な人たちがある本についてSFだから読めと言っている対談を読むよーな人たちが、SFってことはつまりは神林長平さんや大原まり子さんのよーなわけのわからない小説だから読むのは止めようなんてどーして思うはずがあるんだろー、そーゆー人ってそもそもSFのブックガイドに掲載されているSFの評論家たちのSFを褒める対談なんてSFづくしの文章を、手にとって読もーなんて思うはずがないじゃない? 町中で「これはSFでーす」と指指して言ったならまだしも「SFのSFによるSFのための」フィールドでやっていることをわざわざ外の世界へと引っぱり出して「迷惑です」なんて騒ぐ方が、逆に「これってSFかもしれないんだね」ってことを、本当にSFを何だかわからない小説だと思っている外部の人にまで知らしめることになるんじゃない?

 作家なんだから書いた物をいっぱい売りたいっんだって姿勢は分かるし、だから「売れない」と世間で思われているらしい「SF」と自分の作品を呼ばれたくないって主張も分かるけど、別に世間に聞こえる場所で名指しした訳でもないんだから、SFムラでの言い伝えなんぞを都会人は気にせず聞こえないフリをしていればいいものを、後先考えずに直情径行気味に騒ぎ立てるってのは正直言って目に痒い。こうまで言われると今度はSFにとって営業妨害になりかねないから、「わけのわからないもの」と世間に向かって言われてしまったSF作家な人たちこそ、抗議をすべきであろう、もしかして本当に「わけのわからないもの」を書いてるんだったら別だけど。

 やあ100万だ。スタートしたのは96年の2月だけどちょっとだけCGIを勉強してカウンターを置いたのが96年の7月あたりで、それからえっと3年と9カ月くらいでもって本ページのカウンターが100万の大台を超えましたのは、ひたすらに我が駄文雑文を毎日読みに来て頂ける皆様方の貴重な時間を頂いたからでございまして、ご無礼の段をお詫びするとともに厚情への御礼を申し上げます有り難う。若い女性じゃなくエロはなく芸能人でも文化人でもない一介のオタクな兄ちゃんの日常雑記。取り柄は更新頻度と分量だけで計算した訳じゃないけど1日平均で原稿用紙で4枚分くらいは楽にあるから4年で365日かける4年は1460日でかける4枚は5840枚でこれって京極さん何冊分くらいになるのかな。そんなこんなでここまで来ましたがこれを機会にすることもなく、これからもやっぱり適当にやって行きますんで宜しくお願い申しあげます敬具。

 「電撃アニメーションマガジン」で思い出した、すげー告知が載ってたんだよ53ページにその名も「GUNDRESS−完全版− 劇場公開」ってあってつまりはコレってアレなソレを劇場で公開してしまおうって神をも恐れぬ所業ってこと? 確かに神に会ってはこれを斬り仏にあっても斬っては投げて埋めてしまおーかとゆー所業をすでにして演じてしまった「GUNDRESS−不完全版− 劇場公開」を経ている訳だから今から何が来よーと怖くはないんだろーけれど、だからこそ話題もなった映画が完成してしまった姿は何のことはないフツーの映画、いやいやこれをフツーと言ってしまっては他の山ほどのフツーが水蒸気爆発を起こしかねないくらいのフツーとゆー言葉ではくくれない境地にいる映画をさてはて、劇場なんてハレの場で見せてしまっていーのかと悩む。もしかして「不完全版ビデオをもれなくプレゼント」してくれるとか、だったら喜んで行くんだけど。29日から上野スタームービーで公開、世紀末の思い出に皆様是非。

 「FSS」が掲載されていない「ニュータイプ」ってのに買う価値を見出す人の割合について思いを馳せつつ「ニュータイプ」を読む、七瀬葵さんもまずまずかな、あと月間アニメ放映予定のカットの緒方版「ラフィール」とか。「アニメージュ」の方は「ターンエーガンダムの放送が終了した」なんて書いてあってちょっとシゲシゲ、「ふーん終わったのぉー」とゆー冷やかしを発した東京地域の皆様を後目に地方のアニメファンが「終わったねぇー」と優越感たっぷりに語っている構図が今きっと全国的に繰り広げられていることだろー。まあ雑誌には締め切りがあるから仕方のない話なんだけど、だとしたら「わるものオーバードライブ」の近況で「最終回オンエアーのはずだった日」ってたった先週の話を入れている大森望さんていったい何時この原稿入れたの、でもって何でそれがこーして印刷物となって出回ってるの? 締め切りって……伸ばせば伸びるモノナノネ、メモっとこ。

 「聖戦士ダンバイン」もいよいよDVD−BOX化で僥倖、千葉テレビでの放映があった金曜深夜に待てど暮らせど放映がなくどーなったのかと半泣きでいたから画像の綺麗なDVDでエンディングではフェラリオのストリーキングもテロップなしで見られるとあっては買うしかない。その前に5月には「天空のエスカフローネ」もDVD−BOX化だしファンじゃないから買わないけれど「ガンダムW」もDVD−BOXで出るし「逮捕しちゃうぞ」もちょっとだけ欲しいかもしれないし(ビーチバレーの回しか見たくはないけれど)同じ藤島康介さんのキャラデザによる「ロータスの狼」、じゃない「エクスドラバー」のリリースも7月から始まるからなあ、景気が悪い中でもアニメはまだまだ元気、対して当方の不景気はいっそうの深刻さを増しているのが腹立たしい、一攫千金、させてくれません?

 サンスポの偉大な格闘家からチケットが流れて来たんで「東京ドーム」で開かれた「小川直也対橋本真也戦」を見に行く、1階席の後列でリングはかろうじて人が動いているのが判別できる程度だったけど、何せ巨大な小川と橋本、加えて寝技なんかをせこせことやるなんてことがなく、スタンディングの姿勢でゲシゲシ蹴り合い殴り合うから遠くで見ていても何か楽しい、まあスクリーンの中継にやっぱり頼ったけど。試合はもうご存じの通り小川がSTO(始めこれ、大外刈りを英語風に呼んでんのかなと思ってたら違うみたい、よく知らないけど)を連発で決めて橋本をダウンさせてマットに沈めて完全勝利、後は引退を口にしていた橋本の去就が気にかかるけど、まあアレだよねきっと復活するんだよね、それがドラマになって再びの観客を集めるんだよね、うーん。

 それにしても小川の相変わらずの「真剣」ぶりはすさまじい、連発するSTOはそれまでのダメージとかもあって決してスピード感はないんだけど、受け身を取れない体制で後頭部からモロ落とすから鍛えてあるプロレスラーだってたまらない、最後なんて落ちた瞬間に後頭部を軸にして足の先が上にはねたくらいの衝撃だったから。UWFなんかのよーに過去にも「真剣」をウリにしていた団体があったけど、マットの真ん中でくんずほぐれつしているうちにササッと手なり足をきめてギブアップ、ってな光景があたから「真剣=つまらない」ものってなイメージが植えつけられて、だからこそ「ショー」の中で強っぽさを競う「プロレス」への回帰もあったけど、小川のよーにフィニッシュは「真剣」でもそこまでの過程で相手の技を受けこちらも技を繰り出しつつ、気持ちを盛り上げていく芸を見せられるのは日本でも世界でも珍しいかも。やっぱり「真剣」な柔道のオリンピックなり世界選手権の場で「真剣」な海外の選手と戦って勝ち抜い実力があってこそのものなんだろー、すげー試合を見せて頂きました有り難う。


【4月6日】 泣く。ってのは秋山瑞人さんの「猫の地球儀 焔の章」(メディアワークス、510円)に続く待望の後編「猫の地球儀 幽の章」(メディアワークス、530円)を読んだからで、いよいよ地球儀(こと地球)へと旅立つ決心を固めた幽(かすか)が行きがけの駄賃、じゃなくって他人様の人生を邪魔したせめてもの償いとばかりに戦闘のチャンピオン、焔(ほむら)を相手にスパイラルダイブを挑戦するんだってなクライマックスのどこに泣いたのかと言われれば、答えは一言、「読めば泣く」。

 「E.G.コンバット」(原作・イラスト・☆よしみる、メディアワークス)のシリーズでも泣きはあるけどこっちは激闘の果てに来る安心によって染み出る感涙だったりするから気持ちは全然心地よい。けれども「猫の地球儀」の涙は何とも切なく重苦しく、自分の幸福を貫き通す過程で生まれる他人との軋轢や他人の不幸に直面し、けれども進まなくてはならない理不尽さへの憤りも含めて感情の高ぶりを呼んで心をズシリと突き刺す。事情を知らないんだけど感じてしまう下僕のロボットの律儀さ健気さがまた涙100倍。これが「アルジャーノンに花束を」くらい売れなきゃ日本のSF界から「心」は失われたと言ったら言い過ぎ? んなことないって思う人が日本のSFを支えてくれると信じよう、星雲賞は決定だぁ。

 早売りの「電撃アニメーションマガジン」5月号を買う。「ラブひな」ファミリーの集合表紙はいつかの誰だろーなるですかそーなのか? な号に比べれるとキャラの雰囲気がググっと上がっているからファンもそーでない単なる美少女マニアもきっと山積みの前で足を止め手に取り中身を開いてくれることだろー、気分的にはもとこちゃんをもっと大きくして欲しかったけど。表紙裏のキングレコードの広告にある「ラブひな キャラクターイメージマキシシングル」のジャケットイラストもタイツ(でしょ)姿のしのぶちゃんの体育座り正面ショットが超グッド、あと寝転がっても潰れないなるのバストのふくよかさとか、記事の入浴シーンのタオルで撒かれたなるのバストのやっぱりたわわさとか。こーゆー絵を見せられると脚本な人には是非ともバストの指定を入れておいて頂きたいもの、さかいさんそこんとこお願い平身。

 早川書房から「星界の戦旗 ナビゲーションブック」(早川書房編集部、500円)も刊行されていよいよ放映までカウントダウンかかった感じの「星界の戦旗」も「電撃アニマガ」ではちゃんとフィーチャー、してるけど肝心なラフィールはおらペネージュにドゥサーニュのキレっぷりでは人後に落ちない司令官たちにドゥサーニュの艦隊の参謀長で冷静っぽさが見た目に漂うケネーシュをバックに、クファディスくんが下がり眉毛の超絶脱力困惑顔をアップで見せてくれていて、「ちびまる子」風な目の下の4本線に精神へのプレッシャーのすさまじさもにじみ出る、今回もやっぱ大変そーです。版権イラストだと「Nia_7」の銭湯で牛ニュを飲むニアの格好がなかなかにナイス、それとやっぱり虐げられている可哀想な田波ちゃんを下敷きに叫ぶ菊島しゃちょーを筆頭に真紀高見栄子夕&まやの「神楽ガールズ」勢揃いな「ジオブリーダーズ File−XX」の栄ちゃんの谷間にクラクラします、夕もデカいなあ。

 水野良さんがCS番組だかで訪問した「NASDA」(宇宙開発事業団)の話を記事にしてその前編を載せているのは宇宙な人ロケットな人を読者に取り込もーとする策謀だろーかと考えつつも、「コゲどんぼ」先生渾身な「デ・ジ・キャラット」(うさだ&ぷちこ&でじこそろい踏みぃぃぃぃ!)のポスターが脳天直撃度高しで「デ・ジ・キャラ」マニアの一段の支持を確固たるものにしよーとする意図も伺えて、外へと広げ内へと深めて行く戦略によってとりあえず何とか1周年を迎えた「電撃アニマガ」の2年目にかけよーとする意気込みに拍手喝采、しないとこっちも仕事にあぶれちゃうからね。最初カラーだったのがモノクロに移ったと思ったら今度は2色になっていて号の中を漂流していた我が連載も気づいたら目次に名前が入っていたりして恐悦至極。とはいえ未だ無名な身分なれば1周年記念の大プレゼント大会に直筆サイン入り肩たたき券とか出さずに済んだのは有り難い。「デ・ジ・キャラ」のポスター折り目無しってのはいいなあ。北久保さんのテレカに描いてあるアレは誰?

 藤原紀香さんのフィギュア発表記者会見ってのがあってもちろん産業紙の記者としてはキャラクターとゆー日本が世界に誇る文化を自ら体現して新たなるマーケットを掘り起こそーとするベンチャースピリットの溢れた藤原さんを経済的産業的な観点から取材するのは当然と予定を組んでいたんだけど、何故かこーゆー時期にタイミングを会わせて会見して来る別のやっぱり日本に結構大切な会社があって泣く泣く藤原飲むのをあきらめる、で行った先が角川書店とか住友商事とかトランス・コスモスとかが出資して作る「ウォーカープラス・コム」って会社の設立記者会見で、名前を見れば瞭然だけど「何とかウォーカー」ってタウン情報誌を出している角川が情報収集と発信のノウハウをネットで使って新しい地域ポータルを6月の横浜を手始めに全国で始めるってな話を行く。出席したのは御大・角川歴彦社長でさてはて藤原紀香と比べるとビジュアル的には以下略だけどこれがつまりはきっと自分の人生なんだと得心して、久々に見てちょっぴり白髪が増えたっぽい角川社長の顔とか見ながら、短い一生を人間はどう過ごすべきなのかをちょっと真剣に考える春の昼下がりであった南無。


【4月5日】 をを手早い。ニセ新首相官邸がオープンで自粛だったニセ前首相官邸も再開で、あとはどんなニセ政策を繰り出してくれるのかに期待しょー、コワモテな割には口の脇が甘いよーに見えるニセ新総理のことだから、そんなパーソナリティーに合った例えば舌禍をポジティブシンキングするよーな政策とか、巨躯を前面に打ち出したダイナミックな肉体派の政策とかが出てくるかも。元新聞記者ってな経歴を持っているんだからこれはニセ前首相の政策だけど実行されれば今が旬な我が表新聞としてもちょっと嬉しい「新聞販売制度の抜本的改革について」の是非とも検討をお願いしたいものですね。

 元新聞記者といてばこれはニセじゃない本物の新総理の森喜朗さんについて新聞各社が経歴で単に「新聞記者」としか書いてないのは何故なんだろーかと考えて、それはつまり大手な新聞にとって森さんが居た会社が眼中にないか、経歴を教えてくれるはずの事務所なり森さん本人が恥ずかしがって言わないかのどっちかかもと想像してたけど、流石に一応は傘下に抱える産経新聞は「僚紙」なんて普段はプライドが先に立って滅多に口にしない顔から日が出るよーな言葉でもって「日本工業新聞に居た」と書いてたし、大手でも毎日新聞が夕刊でちゃんと書いていたのは、KGBで人にあんまり言いたくない仕事をしていたロシアのプーチンでもあるまいし、世界に名だたる大国を代表する人の経歴を正確に書くのはプライバシー云々を超えて当然の行動だろー。相変わらず書いていない新聞も多いのはちょっとフシギだけどね、築地とか大手町あたり。

 気になるのはこれまであんまり表に出したがらなかった節のある経歴だってことで、あるいは選挙の時の公報なんかにも書いてなかった可能性が頭をよぎる。例えばサンケイ新聞記者とゆー経歴があったとしたら、それはれっきとした別法人である日本工業新聞とは異なる訳だから、野村サッチー以上の経歴詐称ってことになる、だってあっちはコロンビア大学にいたって言って嘘だと言われて調べたけど判然とせず選挙自体も落選した訳で詐称による実害はゼロ、単純に坊主憎けりゃな発想でアラ探しをして足を引っ張る材料を探した挙げ句のブラフみたいなもので、それが本当だからってどーしたってなものだろー。一方でこっちは1国を代表する総理大臣、問題の大きさのケタが違う、もうアンドレ・ザ・ジャイアントとアンドレア・ジイドとアイアン・ジャイアントくらい違うだろー。あんまり違わない? 練達の代議士が細かいところで墓穴を掘るよーな真似をしているとも思えないから、まあ大丈夫だろーとは思うけど事が事だけにあるいはチェックしてみるのも興味深い、でもどこに行ったら調べられるんだろー、サッチー教えて。

 本人が隠したがろーと言いたくなかろーと2年ちょっとだろーとさっさと辞めよーと在籍していた事実は事実だから、世界に冠たる日本国の総理大臣を出した会社として「日本工業新聞」の名前がそれなりの注目を集めるだろーってゆーか集めて欲しい気持ちはあって、少なくとも「日刊工業新聞」とか言われないよーにはなって頂きたいもの、ついでに「裏日刊」とかも。あと会社として「総理が出た」と言って騒ぎたくなる気持ちがあるのも分かるけど、妙にプライドを高くして例えば外に出ない整理部の人とかに向かって「誰かが取材に来るかもしれないからポロシャツとかジーンズとか着ている人間は外に行け」と言ってみたり、いつ何どき必要になるか分からない商売道具の資料をためこむ記者に向かって「机の上は整理整頓、紙なんか置いておくな」と言ってみたりするのは勘弁して頂きたい、まあ”自由闊達”な会社だからそんなことなないだろーけど、ないだろーな。

 むしろ意識を改め梨下に冠を正すの例えにもあるよーに、一般常識の範疇以上に身綺麗を心がけなくちゃいけないのは経営陣の人たちで、記事とは名ばかりの広告を掲載してダンマリしてたり偉い人に会いやすい記者を使って金儲けをやらせたり社会的に問題のある企業を持ち上げてお金を引き出そーとしたり少ない人間に残業が必至の仕事を押しつけて山ほどの退職者を出したりして問題が表面化したら、会社の名誉もそーだけど過去にそこに居たとゆー新総理の経歴をも傷をつけることになりかねないから、実際には多分そんなことはしてこなかったし未来にもしないだろーとは思っているけど、これを機会に心だけはしておいて頂きたい、するはずだよね。

 内部への批判を言わせて見ている人の庶民的なやっかみ感情を安心させるガス抜きバルブとゆーか免罪符的な役割をいっつも担わされてご苦労な田中真紀子さんが今回も出てきて「選挙をしろー」とか言っていたけどやったからって結果は同じだろー無駄をこの緊急事態にやる意味があんまり分からない、それともやったら出たのかな田中サン。メディアにとってはこーゆー一言居士は、正面から堂々と新総理の政策なり自民党の体質なりを批判するのは後が面倒だからやりたくないと思った時に、内部からの声なんだからといって使えるから便利な存在、したがって事あるごとにコメントを取り持ち上げて「ヒロイン」に仕立て上げるから、いかにも人気がありそーに写るけど実際にやっている事やって来た事の見えなさを考えると、果たして本当に実力のある人なのかが分からない。反権力を気取りたがるメディアのご都合によって支えられている人気、ってイメージがどーしても拭えないんだよね。

 それは新創刊号の表紙に田中マッキーを起用してしまった旧週刊読売な「ヨミウリ・ウィークリー」のスタンスにも見えかくれしてて、「AERA」の向こうを張った判形にデザインに記事の作り方なんかを見るとあるいは女性に売りたいのかと思ったけれど田中さんでは毛並みが違いすぎてキャリアな人も主婦な人もちょっと臆する、自分たちのだって代表じゃないもん。かといって新創刊で対象にしたいとうたっていた男性も、薄ら開いて前歯をのぞかせた割には笑っているよーに見えない口元とか、手を胸の前で組んだ関係で上がってしまった怒り肩とか目元のシワとかブツブツとか、どー見ても同じ日に発売となった「AERA」の国友裕子キャスターの方が2万倍くらいまともに見える、頑張れば使えそーだしって何に? それはそれとして「現代の肖像」のよーな人気連載に好き嫌いはあっても取りあげる題材の今っぽさでは「AERA」に一日の長があるのは明白で、さてはていきなりな山積み返品確実な「YW」が次号に誰を表紙に持って来るかで「週刊時事」あるいは「ゼッケン」と死屍累々な報道機関系週刊誌の後に名を連ねられるかが決まりそー、サッチーとかだったらそれはそれで冒険だけど。


【4月4日】 ことり事務所から25日に日本青年館で開催の「鳥肌実近衛兵募集」のチケットが届いて、当日は黒のスーツに黒いシャツに黒い帽子の暗黒な格好で行ってひっそり見ていよっかな、などと思いつつ初のナマ鳥肌見物への好奇に胸を躍らせてていたら、何と今週末の9日に新宿とかお茶の水とかにナマ鳥肌が出現してはいろいろとやらかしてくれそーって話があって、まずはそっちを見物して演芸の内容とかファンの雰囲気とかをリサーチして本番に供えよーと決定。晴れの陽気な4月の日曜日の、予定がこれで決まってしまって浮ついた話の相変わらずの無さに独り愕然としつつも、それが「出没道」と心得て派手なカップルの闊歩する新宿ホコテンへと出向き、暗い目をして暗黒演説大魔王・鳥肌実のフシギな世界を堪能することにしよー。カップルで鳥肌実さんを見ているのもアレっちゃーアレだし。お茶の水まではやっぱり地下鉄で移動するのかなー、ファンとか100人ばかり引き連れてゾロゾロと行くのかなー。

 電通テックに取材に言ったら広報のガラっぱち姉ちゃんが焼き肉明けのおっさんみたいだったのは内緒。小渕首相が死にそうなんでさっさと辞去して会社へと出向き、あまりの鈍牛ぶりあふれた世間の誰もが望んでいるのとは反対へ反対へと向かう政策のあまりの実の無さ、それを決めている人間たちの顔の見え無さぶりをもって以前から「脳死内閣」と言われていた小渕政権が、これで名実ともに「脳死内閣」になってしまったよなんて、不謹慎だけど気分にドンピシャな冗談を思い浮かべつつえいこらと仕事する。

 ニセ首相官邸の方も流石に重厚なクラシックを流すまでには至ってないけど相手に配慮してのフシギな常態になっているほどなのに、この冷血ぶりはやっぱり人間として壊れているのかなー、小渕さんの英国帰りの二女は結構スラリとしててスタイルだけなら好みだったかも、婿入りすれば地盤とか継げるのかな、ってやっぱり鬼畜だ僕ってば。

 実は次期総理と目されている森喜朗氏が在籍年数は短かったとはいえ、栄えある表の日本工業新聞のOBだとゆーのはあんまり知られてないってゆーか本人も言いたがらない過去らしく、書いてあってもそれが同じグループの産経新聞であっても「新聞記者を経て」ってな感じになっているのは、なるほど経歴としてそれが”汚点”として認識されているからなんだろー、そんな場所に10年もいるあたしゃもはや泥まみれかい、ねー森さん。OBだから表は知ってても裏なんて不明だから見てないだろーけど見ててくれたら褒めてやろー。

 触れたがらないと言えば梶原一騎の評伝や「カルト資本主義」なんかで一気に名を高めた斉藤貴男さんもOBなんだけど最近は外国の何とかって大学への留学経験は書いても在籍していた新聞社は書かないのが何とゆーか気持ちは分かるだけに内心ちょっとフクザツ。そこまでソデにされていながら、本当に総理になった時にさてはてウチでどーゆー対応するのかってのも見物で「おめでとう」とか言って騒ぐよーならやっぱり恥知らずってことになるんだろー。蹴られても着いて行きます総理ならかつげばメッキも純金に見え。

 問題の本、福田和也さんのチャート式どころか100点満点評価なんて実に分かりやすい切り口から当代の人気作家たちを評価した「作家の値うち」(飛鳥新社、1300円)を買う。村上春樹さんへの点数の高さはなるほど分かるけど、中で最も高いのが96点の「ねじまき鳥クロニクル」ってあたりに福田さんの目のつけどころの奇妙だけれども面白い部分が出ている。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も91点で世界文学として価値有る点数が90点以上とゆーーことだから、村上春樹さんへの福田さんの評価たるやとてつもなく高いってことが伺える。両村上の村上龍さんは「テニスボーイの憂鬱」が91点で最高、年々下がる点数にいささかの懸念も見えるけれど活躍ぶり露出ぶりは相変わらずだから1番心配してないのは作家本人だったりして、だとしたら点数評価もちょっと虚しい。

 人物の好悪については結構いつも過激な福田さんがエッセイなんかでケチョケチョにしていた車谷長吉さんの評価が総じて極めて高いことに驚きつつも、雰囲気とかバックグラウンドとかを想起してもこと作品に関しては福田さん自身に絶対的な基準があることが分かって、なんだつまりはオレ文学なんだとゆーことで点数評価にもたとえ好きな池澤夏樹さんの「マシアス・ギリの失格」が低得点だったとしてもそれほど憤りは覚えない。あれほど嫌いと言っていた車谷さんが70点以上2本に80点以上2本なんだもん、辻仁成さんのフェノミナ賞受賞作となった「白仏」も84点と高得点だし、個々の作品を己が絶対評価に照らしてるんだってことが分かればそれはそれで1つの意見と納得しつつも、だからと言ってそれが自分にとっては絶対なんかじゃないと思えて来て、読書への取り組みのちょっとした指針を得られる。

 綾辻さん京極さん東野さん有栖川さんといったエンターテインメントの面々もチェックして結果純文学よりも総じて高い点数が付けられてる、よーみ見えるのも福田さんの分け隔てしないスタンスの賜か。とはいえエンターテインメントの中核っぽい鈴木光司さんへのコメントの辛辣さにはちょっとのけぞり、一体どんな話を描いているんだと逆に興味が沸く。「ループ」への「25点 文明論だとか……。何だか恐ろしいことになっている」ってなコメントを読むとほら、どんなにスゲー内容なのかって試したくなるでしょ、とかくなれ合い所帯な世界でかくも絶対の基準を持った男が暴れまくった果てに残るもにもは一体何なのか、昇華かあるいは排撃か。度量と姿勢がエンターテインメントには問われてる。17点の「バースデイ」も凄いけど、もっとすごい船戸与一さんへの評価が総じて20点以下でかつ「測定不能」となっているのには、やはり相当のアレやコレがあったからなんだろーか。


【4月3日】 サザエさんな総合電機メーカーによるアクセス制限措置は事実と判明でほかにも結構な有名サイトともどもな措置と聞いて嬉しさ100倍、PTAから俗悪と名指しされてなおいっそうの盛り上がりを見せた挙げ句に伝説となった「8時だよ全員集合」じゃないけど、ニッポンを背負って立つ真面目な方々から嫌われるのは逆にエンターテインメントにとっての栄誉なんで、折角頂戴した制限措置も褒め言葉と理解して有り難く受け取っておこー。記者と役員な人たちとの懇親会は確か冬に終わっちゃったばっかりなんで、今度の冬まで栄誉を頂いているよーなら、懇親会の席で直接御礼を言わせて頂きますので措置を講じられた方はそちら経由で御礼を受け取って下さいませ、っても見られないんだから伝わらないか、うーん残念だねぇ。

 月森聖巳さんて新人だけど年上な人のデビュー作にあたるらしー「願い事」(アスキー、1500円)を一気読み、帯の大森望さんの褒め言葉はいつもながらにいつもどうりのキャッチィさで、「ビリー・ミリガンと山村貞子が出会うとき、サイコサスペンスとスーパーナチュラル・ホラーがひとつに融合する」と聞くと「なるほどそんな話なのか」と瞬間思って内容を得心しつつ、だったら面白いかもってな気分になるけれど、よくよく考えると「それってつまりはパッチワークか何かなの?」ってな懐疑が浮かんでしまうから類例を上げての褒め言葉は案外痛し痒しかも。けど読み終えたらやっぱりビリー・ミリガンな山村貞子だったんでやっぱりピッタリだったと判明、しょーがない。

 ビリー・ミリガンすなわち解離性同一性障害つまりは多重人格な少女がどーやらあれこれ犯罪めいたことを行っているらしーと知った精神科医の主人公が、何とか直そうと努力する過程で浮かび上がって来たのが患者の曾祖父が大事にしていたらしー鏡に憑いた妖精「エレーヌ」の存在だった……ってな感じで進む話はやがて「エレーヌ」の正体めいたものやら何故に「エレーヌ」が大人たちを襲うのかってな過去やらに関するエピソードが挟まれ、朴念仁な主人公の精神科医が愛情に目覚めていくプロセスなんかも経た上で憎悪と快復の終末へと至る。読んでいるうちは主人公のキャラ、彼が救おうとする少女の多面性の描き分けなんかにハマって次へ次へとページをめくりたくなる、これはなかなかな作品です。

 よくよく考えてみると少女がどーしてそこまで母親のウラミハラサデオクベキカ的行動を取ったのかってな疑問が浮かんで、そーゆー育てられ方をしたせいで心が歪んでしまったのかとも思ったけれど、物忘れが激しくどこかに遠因となり記述があったのかも思い出せず悩む。女性そのものとゆー「エレーヌ」が生まれるのは心の中なのかそれとも現実だったのか、物語の中で「サイコサスペンスとスーパーナチュラル・ホラーがひとつに」されてしまっているのは事実としても「融合」と言われてしまうとそれは「どっちつかず」な状況も類推させてしまうから難しく、サイコサスペンスだったら楽しかったのに最後になってCGIなエイリアンが台無しにしてくれやがった某「雑音」ってなハリウッド映画を思い出しつつ、収まり所の苦さを覚える。タイトルの「願い事」もテイストとちょっと外れているよーな気が。和風でメタな雰囲気が僕的には浮かんでしまったんだよなー、月並みでも「闇のヘレネー」の方に○。ともあれ「読ませる」人であることへの異論はないから、その船出を讃えつつ「次」への期待を表明しよー。

 ○な新人と言えば「ボイルド・エッグズ・オンライン」で書評エッセイを好評連載中な三浦しをんさんのデビュー作「格闘する者に○」(草思社、1600円)の見本が出来たとかで村上達朗さんが三浦さんを連れて来てくれたので挨拶、なるほど「壇ふみ」ねえ、と言われてけれど女性の顔をマジと見られないことが1つに物覚えの悪さが1つで実はよく、お顔、覚えてないんです、だから次に道であっても知らん顔したなんて思わないで下さいね。折角なんで気になっていたタイトルに関わる主人公が某出版社での試験で耳にしたエピソードが事実かどーかを訪ねたら事実とのことで、日本語をことのほか大事にしなきゃいけない仕事にいての体たらくに、そんな会社を落ちてしまった悔しさたるやすさまじかろうと類推する、ってーか僕なら怒るね「どーしてそんな奴が受かって俺は落ちたんだ!」って。

KAKUTOU  出版社を山と受けて山と落ちた経験は事実のよーで、さぞや恨みもあるだろーからたとえひょんなきっかけだったとしても、こうして晴れて作家デビューした以上は、そのうち来るかもしれない自分を落とした出版社からの「先生是非に」ともみ手に対しては、「ふん」とけ飛ばしてやるのが夢でしょーと自分の願望も込めて尋ねたり、デビューしたきっかけが村上さんがいた会社を受験した際に書いた作文があまりに良い出来で、残念にも不合格となって他も全部不合格になっていた三浦さんに、こちらも会社を辞めてエージェント業務に載りだした村上さんが声をかけたことだったと聞いたり、挨拶モードが取材モードに切り替わってあれやこれや。表紙がノンフィクションの草思社っぽくないのも珍しく、聞くとソニー・マガジンズから出ていた「きみとぼく」で連載なんかしている漫画家の藤原薫さんが描いたそーで、持ち歩いていた単行本を見せてもらったら雰囲気が気にいったんで、探して今度読んでみよー。

 漫画では作中にあるよーに「花束」ならぬ「ぶーけ」が好きと言われて顔を見て納得したのも束の間、小説では誰がと聞いたら「中井英夫」と渋いところを言われて仰天、ちなみに村上さんがいた早川書房を受験したのも皆川博子さんの「死の泉」が好きだったからだそーで、みかけの飄々とした雰囲気ともデビュー作の妄想するギャグとも違う読書の趣味がさてはて、文章のどのあたりにどんな影響を与えているのかを見るのがちょっと楽しみになる。練習ですよとオドかしてしてもらったサインは何とゆーか不思議な味わいなニョロ文字で、例えば平塚ベルマーレに入団当時の慣れていない中田のサインが貴重と高値で取引されている前例に倣うならば、あるいはとてつもない値段になるかもと胸算用する、けどもしかしたらサインする機会がそれほどなく、10年経っても同じかもしれないから判断は保留、そーならないためにも、サインをしまくった挙げ句に簡単なサインへと切り替わって行く大ベストセラー作家になって下さいとお願いしておこー。

 そーか三浦しをんさんのまんま先輩になるのかと学歴の早大一文の字を見つつ倉阪鬼一郎さんの新刊「ブラッド」(集英社、1500円)を読む。ファミリーレストランでウェートレスが女の子にフォークを突き刺し喫茶店では男が女の眉間にナイフを突き刺し刑事が拳銃を撃ちまくり作家が猟銃を乱射し批評家は妻と娘をくびり殺してタクシーの運転手は猫をひく、といった具合に冒頭から誰が主人公をも思わせないで出てくる人通りすがる人がバツバツと死んでいく描写が、グロいとゆーより何か気分爽快に感じてしまうのは自分の中にもそんな衝動があるからなのか、目の前の人の首にスパリとナイフを入れたら、階段を降りようとしえいる人の背中をパツンと押したらetc。いわゆるエクソシスト的な悪霊話がラストに来て人類的な問題へとパッと開ける感覚の「センス・オブ・ワンダー」ぶりに迷惑かもしれないけれど「これSFじゃん」と思う、いわゆる魂の解放って奴。「願い事」も憑き物に表を借りた内的な衝動の話と見てとれないこともなく、「虚の王」なり「サイレント・ボーダー」の理性が最初から不在な状況にある若者たちの暴走ぶりとも重ね合わせて「人間」の本質に迫ってみるのが今っぽいかも、「電撃」これで行こーかな、締め切りも近いし。


【4月2日】 明け方も近づく中を地元から参加の日本ファンタジーノベル大賞から出た作家さん2人、「オルガニスト」(新潮社、1600円)「オルガニスト」の山之口洋さんと「BH85」(新潮社、1300円)の森青花さんに例の大蟻喰の余韻について聞く。過去4年くらいの受賞者が第2作目を出してないのは厳しい出版事情もあるのかもしれないけれど、お二方ともちゃんとアイディアもあり書いていて山之口さんは夏から秋には刊行できそうなメドもあって頑張っておられるよーだから、やはり特定個人の作家VS編集者とゆー問題に帰結しそーな雰囲気。とかくクリエーターはセンチメンタルにセンシティブなものだから、生じた誤解が亀裂となって断絶に至る哀しいけれどままあるケースの1つと今は理解しておこー。

 森さんに聞きたかったのはどーして吾妻ひでおさんだったの? ってことで聞くと最初は人物は出さない暗めのイラストにして欲しいと要求を出してたのが何故か担当の人が漫画家で行きたいと行ってだったら誰だと聞いたら「吾妻ひでおさんです」と返って来たので前言撤回、1も2もなくオッケーしたんだとか、そりゃそーですだって吾妻さんですよ、仙人(酔仙だけど)ですよ、なるほど買う人を選びそーな表紙だけど、少なくとも「DASACON3」に来ている人はほとんどが 読んでいた訳だからオッケーってことなんでしょう。

 とは言え「MIYSCON」でも井上夢人さんが言っていたよーに、イベントでの読んでる率がまんまマーケットに当てはまったらミリオンだって夢じゃないのに現実は、って問題があって「BH85」も残念なことにベストセラーとゆーにはまだまだ縁遠い売り上げにしかなっていない。書評がほとんどの新聞雑誌に出なかったことにも森さん残念がってて、いくらなんでも関係している読売新聞には出たでしょーと聞いたらもう1冊の方は出たけど「BH85」は出なかったよーとのこと、うーんそれはちょっと残念です。ちなみに当方はちゃんと「電撃アニマガ」で取り上げてたんだけど、こんどは雑誌自体がアレだったりするんで本人の目には触れず、何故かたまたま手にとった「幻想文学」の酷評を目にして落ち込まれておられた姿に、殺し半分なのかもしれないけれど誉めてる我が評所収のアニマガを、宅より掘り出して送付しよーと決める。迷惑かなあ。

 生来の人見知りで車座になって話すプロの人たちの輪に加われず遠くからながめつつうたた寝しつつ朝までをボーゼンと過ごしてから解散、だらだらと長引く行列があれだけでもまだ話したり無いのかとゆー雰囲気で落ち着き場所を探す状況を後目に、やっぱり生来の人見知りぶりが禍してさっさと撤収、地下鉄を乗り継いで1度見ておきたかった天保山の「サントリーミュージアム」へと向かい今日から開幕の「エットレ・ソットサス展」を見る。イタリアのデザイナーで建築家らしーエットレ・ソットサスの業績を振り返る展示は建築のスケッチや図面、模型を中心にインテリア、エクステリアといった物が並べられてて、シンプルな箱型の構造を組み合わせて部分部分を黄色とか赤とか緑ってな色で縫ってしまう建築の、いかにもイタリアな雰囲気を味わう。

 建築って風景ととけ込んでなんぼの物だから、いくらそれが単品で素晴らしくっても例えば瓦屋根の棟割り長屋が続く下町にいきなりソットサスのデザインするよーな構築的で色彩鮮やかな建築物が建っても困ってしまうだろーけど、写真として展示されていたのはイタリアだったりアメリカだったりする広い土地と豊かな自然があるランドスケープをトータルでプロデュースするよーな作品で、見た目は派手なのに風景とマッチしている様に、ソットサス自身の力量ももちろんだけど、こーゆー作品を堂々と作ることができる環境にあるクリエーターの幸せさを感じる。日本じゃー絶対に生まれない建築家だね、コンクリート打ちっ放しに行っちゃうからね、シンプルに。

 とって返して難波から「アメリカ村」をのぞくもアメリカ雑貨は近所で買えるし古着にも興味がないから何も買わず、さすがに大阪らしくファッションの派手目な人が結構見られたのは楽したのしい。新大阪駅から新幹線で一気に東京へ。年季入った現役バリバリおルポライターらしー永瀬隼介って人が書いた「サイレント・ボーダー」(文藝春秋、2000円)を一気に読む。フリーのルポライターが出会った少年は、渋谷の町を悪から守る「シティ・ガード」としてマスコミの寵児となっていた。けれども果たして少年は正義感から立ち上がったのか。ある事件がきっかけとなって追う者、追われる者となった2人が最後に見たものは、人間の心がある部分にぽっかりと空いた巨大で虚ろな闇だった。

 渋谷を舞台に少年の無軌道無感情な暴走ぶりに迫った馳星周さんの「虚の王」(光文社)が出たタイミングでの、渋谷を守ろうと立ち上がった少年とゆー設定が最初は一種の対比になるのかと思ったら、実は同じ問題を別の角度から描いていたことが分かって、こーゆーのが小説のテーマとなるくらいに人間って難しい時期にさしかかっているんだなーと実感する。ある面「大人はわかっちゃいない」とも見えるような押しつけがましい「理解」と言う名の「レッテル張り」ともとられかねない懸念もあるけれど、かといって現実に起こる山ほどの少年犯罪、その衝動性、無目的性なんかを考えるとあるいはそいういうことになっているのかもと思うしかない訳で、事実だとすれば空恐ろしいことと戦慄が走る。「虚の王」と「サイレント・ボーダー」で何かしら議論を呼びそーな予感。37年生まれがどうとか、言ってる場合じゃないって。

 ちょっと耳寄りなお話し。浜松町にある某電機メーカーでは当ページが社内閲覧禁止になっているとの噂が漏れ伝え聞こえて来ちゃたりしてるけどそれホント? だとしたら何とも栄誉な話ではあるけれど、ブラックでもなければアングラでもない単なるオタク兄ちゃんの日記のどこに、光る光る世界の某電機メーカーから唾棄されるべき内容があったのかを、逆に聞いてみたいものです。思い当たる節といえばうーん、例の事件の時にちょろりと触れたことかなあ、でも新聞雑誌だって書いてた話だし関係ないか。ああそうか幾ら書いてる本人がコンテンツな時代エンターテインメントな時代の先駆けになろーと集め分析した情報でも、高踏な目から見れば単なるサブカル&オタクな情報に過ぎず、そんな情報しか載っていないページを読むのは仕事に無関係な”遊び”だと思われたんだな、それなら仕方がない、戦うニッポンのサラリーマンには”遊び”なんて毒だもんね。最近は傘下のレコード会社も売っ払ってマジメ一辺倒に行こーとしている会社ならではの、”遊びが日本を救う”なんて戯れ言を吐いてネットやエンターテインメントを持ち上げては騒ぐ浮ついた今時の世間に対する魂の鉄拳、って訳でしょー、分かりました、頑張ってニッポンを救って下さませとお願いしましょー。


【4月1日】 そうだ、京都に行こう。と思い立って家を出たのが午前9時。春休み最後の週末だから結構な混雑だろーろ東京駅について新幹線の指定席を探すと案の定の予約状況で10時ちょうどの「のぞみ」くらいしか空いてない。まあ良い新年度だしと勝手なご褒美を自分に与えて発の「のぞみ」に乗ったけど3人掛けだったしおしぼりのサービスもお酒の飲み放題も何もなくって拍子抜け、ってそんなもんを期待する方が贅沢か、グリーン車でもないんだし。けどさすがに速くって2時間ちょっとで京都到着は人間の時間節約に対する強迫観念をくすぐります。最近「ひかり」が「こだま」化してて有り難みが薄れているのもたぶん、乗客を焦らせて高い「のぞみ」に乗せよーとするJR東海の陰謀なんだろー、けどハマってしまう自分もやっぱりセカセカしたニッポン人、そんなに急いでどこいくの? さて。

 京都駅から地下鉄で今出川だかまでかけあがってそこから一気に目的地の「晴明神社」を目指してキックスケーターで走り出す。歩いたってさほどの距離じゃないんだけど小走り程度の速度を簡単に出せるキックスケーターはやっぱり便利で、おまけに山も谷もない平ぺったい京都の街はこーゆー道具に最適で、けりんこけりんこしてたらすぐに堀川通りにぶつかって、見えた西陣織会館の方へと左折してちょっと行ったら鳥居があってそこが「晴明神社」と判明、四谷の路地を行って奥まった場所にあって大きさもさほどな「於岩稲荷」よりは大通りに面して入り口が開いている分目立ちやすい、まあ賀茂神社に比べれば多分大きさではかなわないんだろうけど、やっぱりそれなりに大切にされてるってことなのかなあ、人気の急上昇ぶりってのもあるし。

 「電撃アニメーションマガジン」向けの記事では今時の「晴明ブーム」がいつから始まったかについては詳細な分析はしてないけれど、感覚としてはやっぱり夢枕獏さんの「陰陽師」があってそれから岡野玲子さんの漫画版「陰陽師」でのブレイクがあってってのがタイミングか。最近は加えて直接「安部晴明」ではないけれど陰陽道を駆使する憑き物落としの「中善寺秋彦」こと「京極堂」の活躍が、作者である京極夏彦さんのイメージも重なって女性の人気に拍車をかけているよーで、地下鉄から歩いたって15分程度だと思う場所にタクシーで乗り付けてくる女の子たちの結構多いこと、現地にいた数十分の間に数台、同じ様な光景を目にしてなるほど一種「聖地」めかして見られてるんだってことが伺える。

 その京極夏彦さん、さすがにやっぱりちゃんとお参りしているよーで拝殿に向かって左手の絵馬をかける場所に、ラーメン屋の関取の手形色紙よろしく京極さんの描いた絵馬が飾られていてこれで「晴明神社」、なかなかにミーハーお茶目な神社だねーと感心したり愁眉したり。絵馬にはほかに「晴明。」の加門七海さんや「火宵の月」の平井摩利さんのがあってあとは「筋肉少女帯」の大槻ケンヂさんのも小さい奴だったけど飾ってあって、夜中に行ってカッパラえば良い値で取引されそーに思ったけど場所が場所なんで夜に行ったら式神に追い返されて呪を打たれそーなんでやめておいた方がいいでしょー、いっそ資本主義にドップリつかった現代っ子らしく「京極絵馬レプリカ」なんてものを売り出せば? ちょっと欲しいかも。

 これも何だかなーなステッカー状になった晴明桔梗紋のお守りを2枚セットで500円と、やっぱり桔梗紋が刻まれたペンダント状のお守りを1000円で買うあたり、神社のミーハーさを非難してる場合じゃないってことが分かって自己嫌悪、こーゆー客あっての神社のミーハー化なんだろーからね。ステッカーは早速キックスクーターに貼ってこれでいかな悪鬼が来ようとも我がスクーターに敵なしとばかりに京都を疾走、堀川通りを南下して何年か前に取材で京都の中西印刷を訪れた時にも入った「カレーハウスcoco壱番屋」で飯を喰らったあとで、府庁の前を横切り東へ向かいつつ南へお下がりやしてさらに東とけりんこけりんこけりんこけりんこ。いー加減疲れた辺りで何とか三条河原町に到着。距離にしたら相当あるけど時間的には30分もかかってないのはやっぱりさすがは文明の利器と讃えたい、動力は原始的だけど。

 知恩院から円山公園をなめて四条河原町に出て阪急で大阪へ、疲れた頭を眠って休めて到着した梅田から今度は難波へと御堂筋線を使って南下。降り立ったミナミは週末らしく束になってかかってこられたら誰だって逃げたくなるくらいの人間がワンサとあふれててけりんこするのにも苦労する。日本橋へと向かい時間までを近所で散策、電気街へと行ったものの入るのが「ゲーマーズ」で買うのが「デ・ジ・キャラット公式コミックアンソロジー」(メディアワークス、680円)ってのが何だかとってもナサケない。ガンダム屋は発見できなかってんでパス、まあ今度富士急ハイランドに「宇宙要塞 ア・バオア・クー」なんてライドが出来ていっしょに国内最大のガンダムショップも出来るから日本一もそれまでの命だ預けといてやるぜいと偉そうに捨てゼリフを心の中で吐いて会場となったホテルに向かう、けりんこけりんこ。黒門市場では活きのいい死んだ河豚がいっぱい見られて幸せ。

 初の関西開催となった「DASACON3」は作家率高くって山ほどの本をかかえてサインをもらっていた人多数、頑張るなあ。って重たいキックボードをかかえて来た奴にはあんまり言われたくないだろーけど。表舞台で見られる機会の滅多にない山尾悠子さんには貴重な本にサインしてもらえたのは嬉しかっただろーけど、サインが入ったばかり? の本が真夜中に確かもう山尾さんが帰った後でオークションに出てきたのにはちょっと吃驚。結構な値段になったのはサインが入ったからなのか、それとも本自体の価値なのか。競り落としてからサインをもらう(本人の目の前でオークションにかけるってのも度胸だけど、絶版本の流通って意味ではアリかもしれないから判断の難しいところ)段取りだったらどーゆー値段がついたのか、うーん悩ましい。

 メイン企画だった「昭和37年生まれには上佑とか新潟監禁野郎とかM君とかヘンな人が多いんでヘンな人っぽい昭和37年の人にヘンさぶりを披露してもらいましょう」的な企画では喜多哲士さんがやっぱり一番社会とコミットしてるっぽいのか進行役となって冬樹蛉さん北野勇作さん我孫子武丸さんらと話していくパターンで進行する。共通項として「万博」に代表される未来社会の輝ける姿があり、それが今、現実に21世紀が近づきつつあるのにおよそ実現していない虚しさがあり、「公害」なるものが誕生して科学が決して正義では括れなくなった時代を経験し、「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」が終末思想となって刷り込まれ、嫌悪しつつも変化を期待していたのに、やって来たのは自分が子供の頃とさほど変わらない、当たり前だけど過去と地続きの現在でしかなかったことへの安心感、それとは裏腹の裏切られた感覚が、フクザツに絡み合って人格なんかに影響しているのかもしれない。まあ人それぞれなんで結論は出ず。インタビュアーがいて時系列的なり文化社会的なキーワードを振って共通認識っぽいものを探り出していく方法だったらパネルとして面白くなったかもしれないけれど、そーゆーかしこまった場でもないからとりあえずは「何か」が抽出出来ただけで良かったと思おー。そんなこんなで夜は更けて(以下次号)


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