格闘する者に○

 「熱帯雨林の中にそびえ立つ石造りの堅固な塔から、王女は地上を見渡していた」−広場に集まったたくさんの男たちと、男たちが連れている象を見ている王女のエピソードが冒頭に掲げられた小説を読んでいったい何についての話だと思うだろう。エスニック王朝ファンタジー? 王室ラブストーリー? そのあたりの答えがおおよそ妥当だろう。

 と、思ってページを進めた人は次の瞬間「エッ?」と驚き目をしばたたかせることになる。三浦しをんのデビュー作、「格闘する者に○」(草思社)は、王朝絵巻もかくやと思わせるプロローグを経た後で、物語は漫画喫茶の妙に濃い描写へと続き、そのまま百貨店か出版社からいろいろな会社を回って試験や面接を繰り返す女子大生を主人公に据えた”就職小説”へと進んでいく。お姫さまはどこに行ったんだ? 自分を象徴する象(たぶんアレの大きさも含めて)を連れた求婚者たちを見て涙を拭う王女が、「せめて小さく可愛らしい象を選ぼう」と思った悲しいエピソードはいったい何だったんだ? と、誰もが大いに頭をひねることだろう。

 漫画喫茶で18冊の漫画を5時間のうちに読んで就職活動をサボる主人公の藤崎可南子は、どこにでもいるよりはちょっとだけ漫画好きな女子大生らしく、出版社をメインの志望にしながらも百貨店や自動車会社のような普通の会社も受験している。大学はそれなりに名前の通った所らしく、百貨店は筆記試験の点数にはそれほど関係がなくても大学名だけで通過できた模様。なにより父親が婿養子ながら義父の地盤を引き継ぎ政治家となっていて、実母の死んだ後に父親が迎えた後妻と母親違いの弟といっしょに立派な家に住んでいる。

 「藤崎」という家系の血を婿養子の父は引いておらず、もちろん後妻の義母に婿養子と後妻の間に生まれた弟も直接は引いていない。可南子だけが戸籍ではなく血統という意味では正統で、だからどうやら親戚一同は可南子に父親の後を継いでもらいたいようなのだが、一方では男子である弟を担ぐ向きもあっておだやかではない。ところが当の可南子も弟の旅人も2人して政治家になるつもりはさらさらなく、姉はひたすら出版社への入社に日々靴の踵をすり減らし、弟は人類学を学ぶために文学部目指して勉強している。

 傍目には豪奢で優雅に見える可南子だけれど、家にいない父親に義母という家庭環境の中でどこか孤独なニュアンスが漂う。はかどらない就職活動、突然の弟の家出、脚を気に入られてつき合っていた著名な書家でもる西園寺老人との別離など、物語が進む過程で起こる事態は決して明るいことばかりではない。そんな可南子の心情が、城の中で優雅に暮らしていながらも結婚すら思うに任せず城からも一生出られず嘆く王女の姿にどこか重なる。というよりそれは可南子の心情そのままだったのではないだろうか。何故なら。

 と、理由を開かすのは勿体ないから脇に置き、そんな寂しさを日常の中に漂わせながらも、だからといって省みず媚びずに前へとじりじりと進んで行く人々の姿に、先細りになって行くような未来に萎縮していた気持ちがやんわりとときほぐされる。就職難で右往左往する学生の、たかだか20過ぎの若造の癖にこのあと60年は軽くありそうな未来がさもすべて決まったかのようにうろたえる様を後目にして、70過ぎで中国に旅立った老人よろしく、可南子も、そして読者もゆったりとまったりと時間に身を漂わせる自然体の気持ちを手に入れられるだろう。

 どうしてこいつも一緒に合格なんだと思った野郎を「すれ違った時に(彼はもちろん私に気づかない)、思いっきりラリアートをかましてアスファルトにひきずり倒し、マンホールの落として蓋をしてしまう」妄想を可南子に働かさせる。また図書館にある「東映任侠列伝」が欲しくなった可南子に「追いすがる図書館員を『任侠列伝』で殴りつつ振り切って逃げる。(中略)しかし生まれてこのかた、百メートルを二十三秒以内で走れたためしがないのだ。(中略)何人も追って来たら、『任侠列伝』の猛威をくぐり抜けて私を捕まえる者も、一人ぐらは出てくるはずだ」と妄想させる。可南子も著者もなかなかなにしたたかに生きて行きそうだ。

 古本屋で安く売られていた「キン肉マン」に吃驚するエピソード、「アルペンローゼ」の場面やキャラを思い出すシーン、「ぶーけ」という漫画雑誌を出していた集英社を模した「集A社」という出版社を可南子が受験する時に、可南子に1番好きな漫画雑誌として地味であんまり売れてないものの文学的な漫画が載ってる「花束」を挙げさせるエピソードの一つひとつに、著者の漫画の趣味や造詣度が伺える。K談社の筆記試験通過者に対する面接が、古い講堂の壁に沿ってしつらえられた8つほどのスペースで実施されるという点も。なかなかの観察眼と描写力と言えよう。

 すると「該当」と「カクトウ」と読む若いK談社の社員もあるいは実在か? 「女の子相手にうかつなこと言うと、今はセクハラだなんだとうるさいから、やりにくいねえ」と、それがそのままセクハラになる言葉を平気で言う面接官なら、なるほど結構いそうだが。

 「該当する自分に丸をしなさい」。


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