縮刷版2000年1月上旬号


【1月10日】 エジムンドの回転シュートに感動しつつ中田ペルージャの不甲斐なさに憤慨しつつ寝て起きたら正午前だったんで洗濯はあきらめて千葉へ。千葉市美術館で開催中のジョゼフ・コスースってアーティストの展覧会「1965−1999 訪問者と外国人、孤立の時代」はコンセプチュアル・アートの第一人者だけあって見た目の美とか格好良さとかってな要素とは一切無縁の作品が並んで初見なんでサッパリ解らない。

 日本語による説明でもあればそれでも解るのに並べられているのが文字が書かれたガラスとかかた立てかけられた鏡とか「FIVE WORDS IN FIVE COLORS」と5色で描かれたネオンサインとか額に入れられた文字が書かれたカードとかそんなんばっかり。単純に活字とゆーものの視覚的効果を狙った作品なんだと見ればなるほど解らないでもないけれど、ものが活字ってことはそこに書かれている意味までも含めて理解したくなるってのが人情、けれども英語の壁が立ちはだかって理解に近づけさせてくれず、ガラスごしにご馳走を見ているよーな気分になって酷くイライラとした気分にさせられる。

 もとより結果を重視すべきとの教育から完成品としての美術作品を見せられて来た人間にとって、経過なり意義なり概念なりをも含めて理解せよってなコンセプチュアル・アートは難しく、それがデュシャンの「泉」だったら本意ではなくても笑いはとれるものを、物が英語の文章だったり日には一般の日本人にはははなっから理解するなと言わんばかりの作品と思われてしまう。これって何だかとっても不幸。場内の説明が野暮ってんならカタログで説明してくれるのが筋なんだろーけど、幸か不幸か今回の展覧会には日本オリジナルの作品があるため制作されたものを撮って説明しなくちゃいけない関係でまだカタログができておらず、来た人はなんじゃこれはってな気分を抱えつつ展示ホールを散策しなければいけない。

 同じ文字でもジェニー・ホルツァーだとワードが短いから理解もしやすいし、河原温の場合は日付だったりするからコンセプチュアルなりタイポであってもそこにある意味が何となく伝わるんだけど、ことコスースの場合は1つの作品に使われている言葉が例えば書物の引用であっても、あるいは辞書からの抜粋であっても英語2(10段階で)の自分のはちときつい。それでもネオンサインの「5つの色の5つの語」とゆー千葉市美術館が所蔵している作品は、見た目の綺麗さ使われている単語の単純さから概念と意味と結果が結びつけやすく、そーした「言葉」となり「文字」を見せる方法、伝える手段をも含めて試行錯誤のもとに作品へと結実させようとするアーティストなのかもと思えて来れば、世界の様々な地域の看板なり垂れ幕に長い文章を書いて飾る作品を作り続けて来たこととか、何とはなしに理解できそーな気がしてくる。勘違いかもしれないけど。

 今回のメインはカタログの制作が遅れた理由でもある新作インスタレーション「訪問者と外国人、孤立の時代」と題された、美術館の1部屋をまるまる使った作品で、借景とでも言うんだろーか既存の日本画なんかが飾られたウィンドーの上に攘夷だかを訴える文章をベタベタと張り付けていって、文字で現される思想によってウィンドーの中に観念の現れでもある日本文化が閉じこめられてしまっているかのよーな印象を、見る人たちに与えている。

 今もって「鎖国」なんてしている日本人なんかいないよ、そんな昔の記憶をほじくり返してコスースいったい何が言いたいの? ってな声もなるほど起こるだろーけど、かつてそーであった時代を振り返ると同時に、開放とか自立とかいったものと裏腹の関係になる閉鎖的・鎖国的状況が現出しよーとしている事を、この妙に民族意識を高めようとする輩が台頭して来ている時代にあって、告げよーとしている、のかもしれないけれどやっぱり考え過ぎかなー、単純にカッコ良いからやってるだけなのかも。

 明朝で並ぶ日本語って日本人だからなのかもしれないけれどホント見た目にジンと来る、流石に折れたり1文字だけ赤になってたりはしなかったけど、逆流する知の系譜に鑑みるならば「エヴァ」を見ていた人たちが日本語の文字の視覚的効果に気付いた後にこーゆー展覧会に来て、アートとしての可能性に目覚めたりするのかも。あるいは「真似じゃん」と笑うとか。どっちにしたって島宇宙のよーに独立して我関せずを決め込むよりは楽しいことのよーな気がする、んでアニメな人でも気にせずガンガンとのぞいてみよー。

 足下付近に延々と連ねられたテーブルマナーに関する文書の中の「サイドディッシュは『フォークだけ』で食べる」とゆー言葉が妙に記憶に残った展覧会場を後にしつつ、バーゲンで沸く「パルコ」へ。といっても衣装は買わず安売りビデオの店を攻めて妙に気になる懐かしアニメのビデオを仕入れる。1本は有名な「迷宮物語」だけどもう1本は実はこれまで記憶に掠りもしなかったアニメ「超時空ロマネスク 沙美」って作品。勘違いさせるよーなタイトルがパチもん臭さを放っているけど、キャスティングの方が主役に平野文さんで他に池田秀一さん、鈴置洋孝さん若本紀昭さんら有名所を揃えてて、スタッフもこれは後で調べたんだけど結構いろいろ仕事をしている奥田誠治さんが監督・脚本だったりするから、当時は(って何時なんだ?)結構マジに作られた作品なんだろー。その割に記憶にカケラも無いのが不思議。どーゆー状況で作られ受け入れられた作品なんだろー? ってーかこれがトラウマになってる世代ってどの辺り?

 折角なんで帰って早速観賞。時代を感じさせるキャラクターに時代を感じさせる作画に時代を感じさせるストーリーと、とにかく時代を感じたけれど今にして思えばであってこれが小学生なり中学生なり大目に見て高校生だった時ならば、たとえピストンが上下して動輪が回るよーなアナクロのメカだろーと、敵のボスキャラが角生やしててマント羽織っててアイパッチ着けていよーと、超人オババが変身した竜を倒す主砲に少女がケシ飛びもしなかろーと、平野文さんが声やってて池田秀一さんも出ていて歌が椎名恵でときどきパンツも見えてラストに登場する女神様の胸が大きいってだけで「オッケー!」と言っていたかもしれない。アニメについて作品論とか社会性とか大層なことを言っているよーだけど、その程度の奴だったんです僕は。今も多分にその気が残ってるなー。

 フツーの女の子が実は世界を救うだけの力を秘めていて悪に付けねらわれていて異世界に飛ばされて冒険を経て目覚めて……ってな今さら感のあるストーリーは、アリスの時代オズの時代「扉を開けて」の時代から、異世界少女冒険譚はファンタジーの定番なんでとりあえずは黙認。問題はどうアレンジを加えるかって点で、その辺りのヒネリの無さはたとえ時代を感じさせるアニメであってもやっぱり拙いか。ラスボスが存命でいつか復讐を的余韻が残されてたあたり、続編を意識していたのかも知れないけれど同じよーな展開が繰り返されるだけだっただろーから無くて正解。最近昔のアニメを今のスタッフでリメイクさせる企画が目白押しなだけに、知らず復活の企画なんで動いていたら凄いなー、まあ「コナン2」なんてものもアリなんだから「沙美2」なら主人公が美少女の分だけまだアリかも、声に平野文さん再起用、なんて企画があればなお良し、「だっちゃ」はないけど。

 近所の本屋で「通のSF」なんてな帯やらPOPでフェアをやっていたのを見て思いついた「痛のSF」は、30代中年男子がかつてハマったSF作品を並べてイタがる何とも自虐的な企画。当然入るのは平井和正さんの「幻魔大戦」角川文庫版全20巻で東丈のカリスマっぽい描写を舐めるよーに呼んで「幻研」もしくは「ゲンケン」「GENKEN」なんて作ろーかと考えた少年時代が思い出されて心がイタタタタタ。続いてやっぱりモトちゃん新井素子さんは「いつか猫になる日まで」あたりが入るかな、おっさんばかりだったSF作家の中にあってひときわ若くかつ女性だった新井さんとうーキャラクターを感じつつ作品の世界までをも肯定していた時代を振り返って……あんまり痛くないなー、今でもちゃんと読めるからなー。まあ人によっては「痛」ってことで入れておくのはオッケーでしょー。岬兄悟さんの「ラヴ・ペアシリーズ」なんかも「痛」ぶれる作品に入るかな。L・ロン・ハバートを「痛」って言う人は更正したってことですか?


【1月9日】 仕事用に「ベターマン コンプリートブック」(電撃アニメーションマガジン編集部、メディアワークス、2300円)を読み込む。地上波でやってたんで飛び飛びながらみ見ていた関係で、ほとんど見たことのないアニメを作品を各話解説や設定資料なんかから理解していかなくっちゃならなかった「星界」とか「エンジェルリンクス」とか「ブレンパワード」とか言った、最近の衛星アニメに比べればまだ了解はしやすかったけど、それでも詰め込まれた情報の多さやテーマの複雑さは一読による理解を寄せ付けない。行きつ戻りつ繰り返し本文やら説明やらを辿り、どーにかもってベターマンやら超人同盟やらアカマツ工業やらの面々の立場と話の目的が判明、なるほどそーゆー話だったのかってことを理解する。あの鈴振ってたジジイが最大のワルモノだったんだなー、って今頃解ったのかいお前は。

 同じアニメで言ったら「ニュータイプ」の概念でもって新しい能力を持った人間の登場を唄った「機動戦士ガンダム」があったし、「完全なる群体」になることで同一化を図り心の壁も人種の違いもすべて取り払った新しい生命体への変化という概念が持ち込まれた「新世紀エヴァンゲリオン」があって、人類の進化とゆーテーマはアニメでも珍しくはなくなっているけれど、ことさらに人間だけが”進化”しなくちゃいけないかのよーな扱いが多かったなかで、「地球生命」思想が伺えるとはいえ人類のみならずあらゆる生命体を視野に入れた上で進化の是非と扱った作品はやっぱり珍しい。タイトルロールの主役が決して人類の見方じゃないって訳で、単純明快なヒーロー物のよーには理解もされず支持もされにくい作品だったし実際そー思っていたけど、ムックを読み返して改めて興味が湧いて来たんで実購入のDVDでおさらい、してみよーかな。火乃紀ちゃんの艶姿もじっくり見返したいし(それが目的の8割だったりする)。

 さらに仕事に向けて新作の小説なんかを適当に。「ハリー・ポッターと賢者の石」(J・K・ローリング、松岡佑子訳、静山社、1900円)に「黄金の羅針盤」(フィリップ・プルマン、大久保寛訳、新潮社、2400円)に「ウィーツィ・バット」(フランチェスカ・リア・ブロック、金原瑞人・小川美紀訳、東京創元社、980円)と海外ファンタジーの邦訳物で目についた物が多かったけど、この「月の石」(トールモー・ハウゲン、細井直子訳、WAVE出版、1600円)も国際アンデルセン賞を授賞したファンタジーで、両親にあんまり可愛がってもらっていない少年を主役に神秘の月を巡る危機へと挑み打ち破る話が描かれている、らしいけど読み終えてないから解らない。婆さん父さん母さん少年に別世界の視点が入れ替わり立ち替わり登場する話だけど結構ワクワクさせてくれるから、それほど難渋せずに読み終えられるだろー。

 しかしかくも相次ぐファンタジーの出版は今の世に欠けている夢を代替しよーとする心理が働いてのものなのか、それともこれまでだって出版されていたのを気がつかなかっただけなのに、心理的に夢を欲して自然ファンタジーに目が行くようになった当方の事情なのかどっちだろー。小難しい科学的ガジェットに頭がついていかずSFをケーエンして同じくサプライズなカタルシスを味わえるファンタジーに惹かれてるって説もあるけれど、ともかくも面白い話がたくさん読めるのは嬉しい限りで、「ソフィーの世界」以来の超ヒットっぽい「ハリー・ポッター」の流れもあるから出版社には是非とも頑張って海外の秀作ファンタジーを泥鰌狙いでも良いからガンガンと刊行していって戴きたい。

 NHK教育でバレエの「ドン・キホーテ」が紹介されているのを見て本棚にあるはずに萩尾望都さんのバレエ漫画を読み返したくなって探したって人は手をあげて、をを1万人もいるぞ、ってそーはいないけどでも多分いたはずだよね、扇を持った赤い服のバレリーナの姿に思い出しちゃったもん蘇防さんの艶姿。けど山に埋もれてしまって出てこずタマコの32回転ともども読み返せないのが残念、明日の休みに頑張って掘り返してみよー。解説には何故なのかきっと昔バレエやってたんだろー佐伯日菜子さま様さまが登場で久々に「いーのら」以外のセリフを聞き、ジョニー・デップ級に迫力のある目を観賞する。

 黒井ミサと違って終始笑顔ではあるけれど、名バレリーナの写真を紹介するコーナーで後ろから手にもったパネルをのぞきこむ際の首の突き出し方目線の送り方に往年のミサ睨みを見た思いで懐かしくも嬉しくなる。単純に目が悪くって確かめる時に顔をパネルに近づけなくっちゃいけなかっただけなんだろーけど。近況では映画が相次ぎ公開の予定とかでさてはてどんな役柄で出ているのか。久々に「エコエコ」見返したくなったけどLDプレーヤーがぶっ壊れたままなのでこちらも不可能、やっぱ早く直そっと。


【1月8日】 6日の記者発表には行けなかったっちゅーか行かなかった(だって出てるなんで知らなかったんだもーん)けど、出席した同僚によると「キノトロープって何やってる会社なんですかー」と聞いたN経新聞だか雑誌だかの記者がいて、壇上にいたえらい人がフクザツな表情を見せたとか。7日付の新聞各紙に掲載された、ズラリ居並ぶイトーヨーカ堂のとてつもなくえらい人とかソニーのやたらえらい人とかNECの超えらい人とか三井物産のたぶんえらい人とか野村総合研究所の会ったことがあるえらい人とかJTBの会ったことないけどえらい人が壇上で手をさしのべて「ファイト、オーッ!」とやってる写真の一番左に写ってる、髭で輝くえらい人を見るにつて、客観的にはやっぱり「何やってる会社&人なんだろー」と思われても仕方がないって思います。

 ウチの担当記者が髭で輝く人種に抜きがたい不信感を抱いているのは、まだまだ足りないけれども輝いて髭な当方への不信感が重なってのことなんで、記事で「など」と省略された責任は僕にもちょっとだけあるのかもしれない。あと、「資本金4000万円でどーして1億円も出資できるんですかー」と聞いた人もいたそーでそれもなるほど。国内最大の旅行代理店と同じだけの出資比率になるにも関わらず、いわゆる渋谷系ベンチャーをハズカシくもこう呼ぶらしー「ビットバレー」の面々にあって、茶髪でもなければフェラーリが何台もガレージに並んでいる様子だってない比較的地味な会社で、「週刊アスキー」だったり「ビーイング」が「ビットバレーの神々たちぃ」ってな感じで取りあげるベンチャー企業のトップ大集合にも、顔を並べてなかったからね。

 しかし今回の発表は水天宮の孫おっさんが次々と繰り出す新規事業の、面子規模可能性のどれをとっても100倍(当社比、根拠は勘)のインパクトを持つ合弁事業だけに、そこの名前顔姿を連ねた意味は雑誌に登場するより天文学的倍数の価値がある。深夜早朝を問わずガンガンと電話が鳴って「小豆買いませんか」「ザクロジュースを飲みなさい」「アルミ鍋は体に良くない」「私は英国王室に連なる米空軍パイロットです名はジョナ・クヒオ」ってなオイシイ話が、これからもガンガンと入って来るでしょーから覚悟しといた方がいーです女王さま。何しろ某WEBマガジンの記事も出たその朝にベンチャーキャピタルから発行元にリサーチが入ったくらいで、今や「ネット」と冠がつけば投資先にしよーってな鵜の目鷹の目ベンチャーキャピタルが増加中。こーなったら嘘でも「ネット」を冠につけられるよーなインチキ事業を興してエンジェルな金を吸い取ってタヒチかバハマにでも逃げよーか。

 知性体ストーカーたる本領を発揮すべくロフト・プラスワンで開催された枡野浩一さんのイベント「作詞家・作曲家になりたい」を攻める。「君の鳥は歌を歌える」って全部自分で作詞してタイトルが全部自分の短歌になってるイベントを去年の11月に開いたら不本意なくらいお客さんの集まりが宜しくなくって、そのリベンジマッチを挑んだってのが時間をそれほど置かずにイベントを開いた理由、らしーけどその甲斐もあって開幕時点でフロアはほぼ満席に近くなっててまずは善哉、中にはきっと有名な人とか顔見知りの人とかもいたよーだけど、Uボートが伊号潜水艦なダイバー野郎、なんで黙って最前列で煙草ふかしながらコロナビール飲みながら横で枡野さんの身内の子供が喋りまくるのを聞きながら、スタートしたトークなんかにジッと耳を傾ける。

 アルバムでも歌を唄ってる橘いずみさんとの「芝生に入るな」看板をバックに流石に芝生には入らず石垣だかに腰掛けて話している場面を撮影したビデオを冒頭の30分くらい流していると、途中から入って来た赤い上下に赤い帽子のオッサンだか兄ちゃんが「ライブはまだか」とかブツブツと大声で喋りはじめて雰囲気がジトッ。そのうち質疑応答のコーナーになって何を勘違いして入って来たのか枡野さんに向かって「あんた喋りすぎだよ」と大声で叫んだところに「だってこれはトークショーですから」と口調は穏やかながら内心はどーだかったメラメラだっただろー枡野さんが、「いやだったら帰って下さい」と言明。「一日店長ですから帰ってもらえるんです」と言い切ると流石に場違いなのを感じたのか暴れ出しもせずおっさん伝票を取りお金を払って退場する、ハプニングにしてはちょっぴりスリルのある場面を見ることが出来た。

 絡み始めたちょっぴり怖い相手に向かって笑いとかを見せず最初っから「帰ってください」とハッキリと物を言うあたり、枡野さんの曖昧さを許さず嫌なら嫌でダメならダメと言う性格がこの一見で強く伺えました。とはいえ決して得意じゃなかった326(みつる)と対談して文句を言ったら「そうですね」と納得されて話が噛み合って仲良しになったってな話もするから解らないんだよなー、やっぱり「自分ずきー」(by室井佑月さん)ってことなんでしょーか。出てったオッサンが質問の枕で「学校に火を付けた奴がいて」ってな教育問題についての話をふってたんで、それが伏線になってガソリン缶でも持って再登場しやしないかと、しばらくはトークを見つつ入り口方面を気にしていたけど、流石に覚めたかそこまではせず、1番奥で蒸し焼きにならずに無事帰宅出来ました、でも残ってた人たちは無事にロフト、出られたのかな。

 イベントでは「セミくらい大きな声で鳴けたならモラトリアムが長かったなら」の作曲を担当したアベユミコさんとのトークがあって、2人が昔所属したとかゆーインチキな作詞事務所の話になってまず最初のクライマックス。「○○に学ぶ作詞レッスン」とかゆー本をいっぱい出してるおっさんに散々な目にあったことへの怒りが今の原動力になってるってな話をしたのに続いて、このおっさんに騙されないよーにと会場に集まって来ているだろー作詞家志望の人たちに向かって注意を喚起する気の使いよう。そのおっさんの実は年齢サバ読んでるとか手柄の横取りが凄いとかってな暴露をしつつ「名前を覚えて帰って下さい」と盛んに行っていたけど、鳥頭なんで帰りがけにはすでに忘れてしまってました、確か沢蟹がワイワイとかってなこを言っていたよーな記憶がうっすらと……。うーん誰だったっけ。

 イベントは聴いた記憶がないけど枡野さんが大リスペクトしているバンド「サイコベイビーズ」のメンバーだったドレミさんと黒須チヒロさんを交えて割とマジメなポピュラリティーとアーティスティックな要素との両立の難しさとか純粋に作詞家として仕事をしていく難しさ&楽しさなんかに関する貴重な体験談をタップリ。Misiaや深田恭子さんに詞を提供する売れっ子の黒須さんでも折り合いの付け方に苦労があるよーで、ドレミさんを作曲に起用したフカキョンの新作シングルでも美味しいところは別に持っていかれた話とか、ウズマキなゲーム機で一儲けした某眼鏡の作詞家の事務所に所属しているアーティストに関する意見の齟齬が決して幸福ではない方向へと向かってしまった話など、一筋縄では行かない音楽業界で生きていく難しさを体験でもって教えてくれる。

 そんな中でも才能があるからなんだろー、着実にやるべきことをやれる環境を作りつつある黒須さんだけに単なる愚痴になっていないところが為になる。見た目の楽しっぽさや喋りの巧みさ、詞で遊ぶイタズラ心等など「サイコベイビーズ」ってなバンド名から想像していた気むずかしいイメージとの乖離も面白く、一方で組んでいたドレミさんのエキゾチックな容貌とアーティスティックな雰囲気もあるから一体どんな音楽をやっていたんだと、逆に「サイコベイビーズ」への興味が湧いて来たんで今度探して聞いてみよ。もちろんフカキョンも。加えて何やら謎めいたプロジェクトを春にも立ち上げるみたいなんで、美形の無名な少年なんかがビジュアル面でクローズアップされたタイアップなんかがあったとしたら、ホントにホントかと疑って見ると良いでしょー、いや楽しみ。

 CDを購入して「カエルブンゲイ」なアライユキコさんに挨拶はしても、「SPA!」の同じ号で方や裏作詞ベスト10、こなた裏キャラクターベスト10の選者として同じページの左右に登場している関係であるにも関わらず(単なる無関係とも言えるけど)、枡野さん本人は遠くから眺める3時間半。坊主頭は従来どーりながらも髭を伸ばしてアヤシさ倍増しなっていてこれでは「326」は難しいぞと思ったり。でも結婚は出来たんだから男は顔でも雰囲気でもなく別のもっと純粋な「想い」なんかが重要なんだろー、汚れちまった僕にゃー無理な相談だ。しかし不思議なことに枡野さんも色こそパッチワークで派手ながらやっぱり丸首のセーターを来ていて、J知性な人たちはやっぱり丸首セーター或いはカットソーを着るべしってな了解が出来上がってしまっているんだろーかと深く考える。うーんやっぱり並ぶかラフォーレ原宿それとも丸井ヤング館。

 帰りがけの新宿駅でブレザー系の制服に黒いストッキングを会わせている女子高生の姿を見かけて、たまたまだったのかもしれないけれど細くスラリと伸びた脚にクラリと来て、未だに続く太いザク脚&ルーズソックスな組み合わせを打破すべしとの天からの啓示を得る。昔むかーしのまだ高校生だった時分には決して珍しくなかった制服&黒ストッキングの組み合わせだけど、まだ純真だった当時はヤンキーっぽさから眉を顰めてたっけか。けど今のあまりな太いふとーい足の氾濫は流石に拙い。何もナマ足が自分の物にならないからってな利己的な理由からでは決してなく、ストレートに日本の美しい景色を損なう非国民的存在であるとここに断じ、今年こそは細い美脚に黒ストッキングの組み合わせの復権を願い、新しい運動を興すことを強く宣言しよー。その名は「アシズム」、美しい足を讃える主義であってメンバーは「黒シャツ」ならぬ「黒ストッキング」でいついかなる時も身を装い、その美を体感しつつ体現しつつ世の女性に普及を訴えて行くのだ。讃えよ「アシズム」! 支持せよ「アシス党」! やっぱ「我が闘装」とか書かなきゃな。


【1月7日】 講談社の「群像」に東浩紀さんと阿部和重さんの対談が載っているんで知性体ストーカー2世(1世は成宮観音さん、らしい)としてはやっぱ買うっきゃないでしょ。内容については会社に雑誌を忘れて来てしまったんで検証が出来ないけれど、覚えている範囲でいけば掲載されている2人の写真の衣装がともに丸首なセーターで、新年早々の「朝まで生テレビ」に出ていた宮崎哲弥さんも含めていてロンダンな人たちには、ちょい前の宮台真司さんご愛用なソフィストケートされた知性を感じさせるハイネックもしくはタートルネックから、首筋がしっかと見えてカジュアルさ、アクティブさを感じさせる丸首へと趣味が移ってるんだろーかとふと思う。大晦日の「朝まで生アヅマ」ん時とは柄が違っているから何枚もきっと持っているんだろーか、当方1枚しか丸首セーターがないんで知性ストーカーを自認する以上はもう2、3枚、丸首セーターを購入して雰囲気に浸らねば。仙台エリ嬢の託宣に従ってやっぱ「ラフォーレ」のバーゲンに並ばなきゃいかんか。

 ウイっすエクセルっす久々だなあ「エクセルサーガ」は年末年始好例の「総集編」を逆手にとった内容だったけど、毎回こらした趣向が明らかになっただけでストーリーの方は原作漫画と同様にまったく全然解らないから見てもお役には立ちません、でも優子嬢の巻き舌がペドロ絡みのコーナーでたっぷりと聞けたからそれだけでオッケー、どーせだったらナベシン「エクセルガールズ」の2人をアニメなんかにしないで実写で出すくらいの「実験」をしてくれたら、中途半端な声だけじゃなく実物の胸をいっぱい拝めたのにと苦言も少々。残り回数も少なくなって来て原作はますます深淵な謎ばかりをバラまきつつも進む気配がない中を、アニメとしてどーケリを付けてくれるのかってな興味ばかりで残りの時間をつき合っていこー、いよいよ六本松(ファーストバージョンかな、セカンドバージョンも出せよ)も登場みたいだし松屋美咲がイマイチ活躍しない残念さを、これで是非とも払拭していただきたいから「アニメージュ」2月号の付録の漫画のプロフィルにあるよーな甘く厳しい結婚生活に浮かれてるんじゃないぜナベシン。

 さて早売りのお店には並んでいた新年のアニメ雑誌は「アニメージュ」がミレニアムぽく密な活字で90年代を振り返る特集を掲載、したお陰で連載のコラムがすべてブッ飛んでいるのは1つの英断か。ちょーど小黒裕一郎さんと「アニメージュ」編集長の松下俊也さんが「90年代に対応する新しいアニメ誌」が出なかった点について「G20」みたいなアプローチに関心を寄せつつ話してるんで、末尾の「今後は作品の本質をとらえて、それを一歩二歩前に出た手法で表現することが、アニメ誌にとって必要になっていく」ってな松下編集長の言葉を踏まえて、グラビア特集コラムにソフト紹介に設定ってな1つの定型を、良い方向へと打破する画期的な雑誌を作って戴きたいものです。ってまさか柴田亜美さんの「チャンネル5」が1年以上の休載を復活させるのもそんな改革の一貫だったりするのかな? 「2号連続」でしかないってのが輪をかけて妙だけど。

 「ニュータイプ」は「無限のリヴァイアス」で艦内にヒッチコック的また出た感を与えてくれているコスプレ娘のキブレちゃんを、コマ小さいならがも密にフォローしてくれいているのがツボ入ってて好き。もちろん表紙のあおいの下からナめたカットも。話題の「フリクリ」関連でもハル子は「ニュータイプ」の版権が快活な凶悪さを感じさせてくれて良いです、が未だにどんな内容のアニメなのか良く知らない、色があって動いててくれればとりあえずはハッピーです。「電撃アニメーションマガジン」は「エクセルサーガ」のセーラー服エクセルが見えてて(何がだ?)大好き、けど表紙の「モンコレナイト」は美少女ぞろいの今月号の中ではいま1つ目立ちに欠けるかも、事情なのか「アニメディア」の方向をねらっているのか実はおじさんの知らないところで絶大な人気を「モンコレ」が保持してるのか。広告ではタカラのホームページで「ブギーポップ」のドールが売られてるってな告知があって仰天、やっぱちょい、目がなあ、緒方じゃないなあ。

 新刊では電撃文庫からオリジナル作品登場で期待も集まる秋山瑞人さんの「猫の地球儀 焔の章」(メディアワークス、510円)を読了、相変わらずのひねくれた文体で冒頭からしばらくは一体何が起こっているのか解らず相当に戸惑うけれど、読み進むうちにどーやら場所は地球をグルグルと回るコロニーだか宇宙ステーションで、住んでいるのはなぜか知性を持った猫ばかりで人間(猫たちは「天使」と呼ぶ)は死に絶えていて、それから時間も相当に経っているよーで場所についての知識も「地球儀」と呼ぶ本当は地球についての知識も失われているか隠されてしまっている、って状況が解って来る。で、外に出れば真空の宇宙で重力に惹かれて地上へと落下すれば燃え尽きる成り爆散するだろー極限状態にある猫たちが、自然身につけた「地球儀(ホントは地球)は魂の向かう場所」という教えに逆らって、現実の地球に行降り立ちたいと願う異端の猫をめぐって、格闘猫とか弱虫猫とかが登場してはそれぞれの思いなり信条を拠り所にぶつかりあったり助け合ったりして進んでいく。

 野尻抱介さんの「ロケットガール」が上へと行きたい話だとしたらこっちは下へと行きたい話で、って実のところは宇宙に上も下もなくスペースシャトルが背中を地表面に向けて飛んでいるよーに実は落ちることは上がることと同義なのかもしれないけれど、ともかくも果てない夢へと挑む人たちの無理解やら迫害にも屈せずに挑む前向きな魂、ってものを見せてくれる意味で「ロケガ」ファンを含めた宇宙へ行きたい派の人たちにも、目を通してマインドの共通点なり差異なりを聞きたいところ。知能だけじゃなく精神力も発達させた猫たちが、ロボットを操って戦う「スパイラルダイブ」ってな格闘イベントの描写とか設定も面白く、実際の「スパイラルダイブ」の場面も一瞬のスキを見逃さない格闘家たちの精神描写とか、ロボットどうしが戦う場面の迫力とかスピード感とかが巧みで凄い。

 それだけにイラストがなあ、と思うのはこーいった形式の文庫の常で、見かけの割に強いロボット「クリスマス」(甲賀製ってことはニンジャかな?)を含めて可愛くなり過ぎな感もあるけど、絵で読む話でもないし嫌いなら見なければ良いだけの話であって、逆にこーゆーイラストが好きな人をかくも面白く為になる話へと引っぱり込むためのアイキャッチだと考えれば、ミスマッチも立派に1つの「接続」に向けた戦略だろー。帯の「SFファンタジー」も「ファンタジー」は今のところ不要、猫の説明をつけてくれれば青背に入って右翼も左翼も納得させられる、と思うけどさてはて。

 そんな猫の謎も含めて舞台設定にまだまだ謎の多い物語だけに次巻でどんな展開になって行くのかに今は期待。例えばソルジャー・ブルーからジョミー・マーキス・シンを経て3代目まで言った「地球へ」みたく37番目のスカイウォーカーからさらに時代が下がって始めて夢が実現するのか、なんて妄想も浮かぶ。いずれ実現するだろーその日に得られる感慨も多分ひとしおだろーから、著者には焦らず畳まず走らずに物語を進めていって戴きたい、もちろん一足早く地表へと降り立ったルノアたちの結末を描く「E.G.コンバット ファイナル」も忘れずに。


【1月6日】 ジョン・G・モリスって人が書いた「20世紀の瞬間 報道写真家−時代の目撃者たち」(光文社)って本を課題図書なんで読む。キャパにブレッソンにユージン・スミス、エリオット・アーウィットといった錚々たる報道写真家たちが籍を置いた写真家集団「マグナム」で編集長を務めたほかに「ライフ」「ワシントン・ポスト」「ニューヨーク・タイムズ」と名前を聞くだけで日本の朝日新聞が100個重なっても足りないくらいの知名度を持つメディアで写真編集者として働いた著者の、報道写真家たちとの交流や写真報道のあり方に対する意見なんかで構成されてる。キャパが戦争写真をあんまり好まず出世作だったスペイン戦争での「くずれおちる兵士」について語りたがらなかった話なんかから、時に行き過ぎたセンセーショナリズムへと走る写真報道を諌め、真のフォトジャーナリズムの確立を訴える熱が伝わって来るけれど、出してる出版社がかの「フラッシュ」を出している光文社だって辺りになんだか説得力が減じられてる気がしないでもない。背と腹ってのは別だからなー。

 さらに伊秩弘将さんのエッセイと書いた詞をまとめた「アナザー・スゥイート・フィールド」(幻冬舎、1700円)なんかをパラパラとめくる。やっぱり「SPEED」に火をつけた音楽プロデューサーってことになるだろーけれど、昔から森高千里さんの楽曲なんかで目にはしてたし、自身デビューして歌ってたあたりに何度か聞いた記憶もあったし、何年か前にちょっとだけヒットしたユニット「ICE BOX」のメンバーでもあったから、小判鮫的な1発屋プロデューサーじゃないってことだけは知ってたし、言っときたい。字面で読むと甘いベタな詞が多いけど、踊って「SPEED」を見ながら聞くとハマるから不思議。そえられた旗手浩さんて写真家のニューヨークや東京を撮った写真が温かそうでけれども冷たく、優しそうでどこか寂しい複雑な大都会の一瞬を切り取っていて、ホンマタカシ、HIROMIXともちょっとづつ違う雰囲気があってなかなか良い。写真集とか、出ないかな。

 影響されやす性格なんで早速朝イチにレコード屋に行ってスガシカオのアルバム「SWEET」を買う。「ブギーポップは笑わない」の主題歌になってスガシカオのファンも「ブギーポップ」のファンもともに驚かせた「夕立ち」の入ってる去年の9月に出た彼にとっては最新のアルバムだけど、スガシカオのページの掲示板を見ると「ブギー」知ってる人はおおむね好評だったりするからそれほどスガシカオの熱烈なファンでもない自分が感じた程度にはちゃんとハマっているんだろー。音楽のファンなら流れていればオッケーで、アニメのファンならテーマソングに愛着を持つってな音楽ファンとアニメファン間における「接続」が、そこで果たされるってことでいーですか東浩紀さん(違うか)? 関係ないけど業務連絡「多聞」の記事は明日でまーす。

 あちらこちらの掲示板なんかの反響でもやっぱり「lain」と比較しでどーした、ってな感じの意見が多いけど、中に「lain」に比べてイマイチってな声もあって、ここから想像を膨らませると、「もったいないアニメ」のナンバー1に挙げられるくらいにシビアな評判が山ほどあった「lain」が、相対的なのか絶対的なのか放映から1年半を経てそれなりな地位を確保している現れだと言えないこともなく、「ブギーポップ」のファンとして気分は複雑だけど、未だにカバーガールを変えず(描くのが面倒なだけって声もある)頑張ってる「lain」のファンとしてちょっち嬉しい。何時の間に「lain」の評価がそんなに上がったんだってな声(ツッコミ)もしたいけど。

 個人的には似て非なる作品へと発展を遂げるだろー(期待9割不安1割)「ブギーポップ」だって、「福耳」トリオの2人が揃ったオープニングとエンディングの後押しも加えてそれなりに良さげだと今のところは思ってる。まだちゃんと色あるし。あんまし動いてはないけど。「福耳」で残る山崎まさよしはどっかで登場するのかな、「サイベリア」ってライブハウスが出てきて中で唄っているのかな、なんて期待はちょっと出来ないけれど。確か中沢一登さんだったファーストCMが出色の傑作だっただけにセカンドCM及び本編はなあ、って声もナルホド。色ついて動いてるうちは贅沢言えるか、ってのは失礼だから心の叫びに止めおくとして、雰囲気は悪くないし絵より物語で見る口なんで(絵はそのうち慣れる、アキ電だって根性で見たし)、そっちがどーなるかにウエートを置いて見て行きたい。

 広告業界の合同年賀会に潜り込む。ナベツネさんウジイエさんノマサワコさん他、マスコミ界の重鎮が勢揃いした会合だけに居住まいを糺してメシも喰わずに冒頭の鏡割りだけを取材して逃げるよーに会場を出る、場違いだなー一介のヒラ記者には。もしもこの瞬間に天井が落ちて来て会場にいるマスコミ界の重鎮がすべて押しつぶされとしたら、果たして明日から新聞雑誌はちゃんと出るのかテレビ番組はちゃんと送出されるのかって考えたけど、事件として報道するってな忙しさはあっても意見の決定とか番組の送出に困るってことはなく、その意味で現場あってのメディアだってことを改めて認識する。むしろ余計な重しがとれて清々した、なんて思うメディアがあったとしたらよほど普段から口五月蝿く内容にツッコミを入れる言論の何たるかを考えない経営者だったってことになるから、それはそれであんまり好ましいことじゃないし、ね。ウチはどーだって? まだ天井落ちてないのに言えませんってば。


【1月5日】 うむむむむ単なる登社拒否症なだけなんだろーけど年末年始にあれだけ快調だった体調が会社始まったとたんにユラぎ始めて胃が痛い腸がひきつる胸が苦しい頭が痛い、あと眠い。眠いってのは家にいる時だと単純明快に「眠れば」解決する問題なんだけど仕事先とか出先にいるとこれがなかなかに解決の難しい問題で、それでもフリータイムだったら山手線に飛び乗りグルリ1周、1時間の旅をぐっすり眠って過ごすことも可能だし、中央線をはるか八王子から快速だったら高尾山? まで行って戻って来れば無駄に有意義な睡眠をとれるけど、会社だとやっぱり無理だわな、ってことで家に帰って麦酒を1缶、グビリとやると途端に頭はメスカリン・ドライブ(ってバンドがあったねえ)、眠りの渦へと呑み込まれ、かくしてページのアップも不規則になってしまうのであるスイマセン。

 一応はマジメな会社の1階にある本屋でのけぞるよーな表紙の本を見て早速購入、「コスプレーヤー」(松村昭宏、扶桑社、2381円)って写真集は主にコミケを中心に各種イベントで見かけたコスプレーヤーを撮影して並べた写真集だけど、いわゆるエロ系投稿誌にあるよーな下からあおったり上からのぞきこんだりしたよーな、見ている男に嬉しくやってる当人激怒な写真とは違って、おおむねキャラクターになり切ってポーズをとってる写真をストレートに掲載してて、それも当人を目立たせるために背景を切り取ってしまうワザも使ってる。とてもあの「国民の歴史」と同じ出版社から刊行されているとは思えない辺りに、いよいよ扶桑社も前後左右硬軟剛柔とりまぜて出せる総合出版社への道が開けたってことなのか。西尾センセイに御意見聞いてみたいねえ。

 なりきりな人たちの姿形を見ていて思うのは、あの喧噪の中でより目立とうと頑張る心理が働いているうちは良いんだけど、こーゆーピンで切り取られて掲載されている姿を写真として見返してみた時に、さても当人たちがどう感じているのか、ってこと。恥ずかしさとか自己嫌悪とか一切なしに、カッコ良い可愛いと思えて始めて立派にコスプレーヤーの仲間入りが出来ました、ってことになるのかな。つきまとう自己嫌悪を自覚しつつも「次こそは」と発憤できるのが正解なのかな、うーむ「でじこ」帽子くらいじゃ解らないコスプレーヤー心理の深奥、どーなっているのか知りたい。ぶばばっと見たけど「ブギーポップ」は見あたらず、知ってる人が見れば「をを」と思えるキャラでも写真家の目にはとまらなかったってことなのか。まあ元よりブキミな泡として浮かんでは消えるキャラなんで、その本質に迫れば迫るほど写真家の目から消えていってしまうのかも。

 とゆーわけでいよいよ始まりましたアニメ版「ブギーポップは笑わない」は冒頭からスガシカオの歌が流れてどこの何ちゅー番組なんじゃと一瞬にして居住まいを糺され、リアルさからは縁遠い平面系キャラに比してデジタル加工された素材をふんだんに盛り込んだリアルな小道具や、電線金網電車街並みといったリアルっぽさを前へと出した背景、雑踏の喧噪耳鳴りのするノイズを交えた音響が入り交じった画面に対して妙な懐かしさを覚える。って言い方がまだるっこしいからストレートに言えば「lain」と雰囲気がとてもそっくりで、好きだった人間には諸手を挙げて歓迎されそうだけど「動かない」「話が見えない」「キャラがブキミ」と言っていた人からは同様の、っちゅーか輪をかけて攻撃を受けそーな予感も浮かぶ。

 とはいえあちらが小中千昭さんならこちらは村井さだゆきさんと、ともにホラーやサスペンスに通暁していて同じ作品にも結構参加していながら、うーんはっきりとは言葉に出来ないけれどどこかテイストの異なる2人だから、見た目が似ていても連れていかれる先は結構違ったものになるんだろー。「lain」の場合は原作が無くどこに連れていかれるのかが全然解らず、一瞬たりとも画面から目が離せなかったけど、「ブギーポップ」は一応のキャラと設定は押さえつつもおそらくは解体され再構築されているだろー原作との差異を確認する意識が先に立つって意味でも、テレビ前での態度に差が出そー。ともあれ始まって早々に多大な期待をしょいこんでしまった「ブギーポップ」が、4話あたりで色が無くなり7話あたりでスライドショーとなり、12話ではラジオドラマと化していないことを祈りつつ、春までの水曜深夜を寒さに震えつつテレビに見入って行くことにしよー。「ちびちびブギーポップ」に「お天気こわれてる」やって欲しかったなあ。


【1月4日】 助教授んトコの若衆が卒業研究とかで『ガールポップに関するアンケート』を実施中、っても「ガールポップ」とゆージャンルがどこまではっきりしているのかってな自覚がないから、ズラリと並べられたアーティストを見ても「ガールポップ」と直に言い切れる人が思い浮かばない。リストでは谷村有美あたりがギリギリかな? アンケート実施者のメインページでテーマになってるくま井ゆう子さんはそれでも自分で曲作るっぽくて楽器も弾くっぽい(事実かは知らない)雰囲気があるところが「ガールポップ」かな??

 イメージとしては暗さや情熱とは正反対の軽さに明るさが「ガールポップ」のイメージに合致しているよーな気がしてて、その意味で情熱な渡辺美里は違うし川本真琴には軽さがないから違うかも。なんて条件から、ここで個人の独断と偏見を承知の上で、シンガーというには歌イマイチだけどアイドルとゆーにはポップ入って楽器も自分でこなす人を指す言葉でありかつ、80年代死語っぽい雰囲気を体現している人物及び楽曲を「ガールポップ」と言うと規定し、断じよーガールポップとはすなわち「河合夕子」であると、雀頭な眼鏡っ娘で唄う「東京チーク・ガール」のピアノの上の東京タワーがキュートだった。違う??

 仕事始めなんで行きたくないけど会社にへこへこ。来ていた年賀状を整理してどーやら今年もしばらくは朝日新聞にあってサブカルを権威のオブラートでくるんでパパさんママさんにも飲みやすくするよーな手練手管を使わず、真っ直ぐ直球な「オタク」っぽさで対象に突っ込む「アニマゲDON」が続くってな案内を戴き善哉と胸をなでおろす、ってもほとんど読んでないんだけどね。こーゆー仕事をたとえ針の筵(むしろ)でも続けていただければ、50年続いてこのほど終わった「ピーナッツ」がNHKまでをも動員してニュースとなったよーに、50年後の未来においてニッポンが世界に誇るオタクな国との認知を得た暁に、晴れて先見性(大メディアにしては、って面はぬぐえないけど)のあった企画として、担当者の名前ともども歴史と墓碑銘に刻まれるだろーと言っておこー。

 これが本日再開の「久米宏のニュースステーション」に新しいコメンテーターとして登場した清水建宇氏だったら、50年後に果たして歴史に残っているかな? 朝日のためにいろいろやって来た人っぽいけど、世のため人のために何やって来た人かぜんぜん解らんないんだよね、経歴を見るだけじゃ。かつてのホンカツチクシシモムラ級は無理としても、せめて世間のブンヤ志望者があこがれる「記者」ってな存在をキャスターに抜擢すれば良いものを、初代の小林一喜さんがテレビメディアへの登場で始めてそーゆー人がいるって一般に広く認知されたのに代表されるよーに、今にいたるまでテレビに出るまで新聞志望の学生にまで知れ渡っていた「記者」が登場したってな記憶がない、ってーか今の新聞業界に彼が何を言うのか誰もが注目している「記者」っているの? 記名性が尊ばれる言論機関ではもはや新聞がなく、無名性なり匿名性が求められる情報機関になっている、これも1つの現れなんだろーか。目立つと叩かれ伸びず消える、ってな風潮があるってことも或いはピンポンあるのかな。本業とは無関係の余計な仕事「だけ」が目立つ当方は論外なんだけどね。

 髭面の久米さんにも驚いたけど、テーマソングが雄叫びな福岡ユタカさんになっていたのに吃驚、懐かしさもあるけどむしろ最近の大和証券なんかで披露している叫びのテイストが出ている楽曲で、声とゆー楽器がプリミティブな雰囲気のあるメロディーにのって最先端のサウンドの上で融合していて(適当に言ってます)ちょっと良い感じ。しかしやっぱり久米宏が出ている時の場に漂う安心感はタモリが「笑っていいとも」に出ている時と出ていない時のそれほどあんまり違ってないぶりに比べると天地の差。あらためてその存在感と、その存在感を支えていた技能の凄みを知る。なるほど確かにワザとらしさは否めないんだけど、それすらも包含していつのワールドを作ってるんだよなあ、似てもワタナベノリツグはパチもん臭さがあったからなあ。

 「週刊プレイボーイ」で山崎浩一さんが前号に続いてキャラクターを取りあげていて、日本経済新聞も夕刊1面でニッポンのキャラクターが世界を席巻している様を紹介していて、マイナーなキャラクターばかりを掘り起こすにわか裏キャラクター評論家としても、かくなるキャラクター全盛の時代にどんな勘違いしたキャラクターが出てこないものかと、日々ドキドキわくわくしております。とりあえずはバーゲンのシーズンで西武百貨店の「おかいものグマ」がテレビに頻出しているけれど、もう5年くらいになる活躍ですでにメジャーの域に入っているからとりあえず対象から除外。むしろ見るべきは読売新聞社が125周年を記念して導入したとかゆー新ロゴに合わせて制定した「ヨミー」なんぞは、そのフヌケぶり勘違いぶりが食指をそそる。新聞社のくせしてテレビみたいな(それも昔の足つきアンテナ生えテレビ)形なのが、どうです良いでしょ? 電波の力でメジャーに押し上げたNHKの「ドーモ君」にさてはて勝てるか世界のヨミウリ、まずは携帯ストラップあたりからスタートしてみては如何。


【1月3日】 着物のえーちゃんな年賀メールが届いた喜びに部屋のどこかに埋もれて出てこない「ジオブリ」の5巻を買い直してテレビ塔倒しを楽しんだり「ちび猫奪還」のDVDを最初から見返してえーちゃんちょっぴしズン胴かもと思ったりカルボナーラをラーメン丼いっぱいに作ってむりゃむりゃと食べたりして、正月3カ日の最終日にして短い冬休みの最後の1日をでりゃでりゃと過ごし、これで果たして2000年にはシアワセが到来するんだろーか? と自問して、多分恐らく絶対に到来しそーもない! と自答する。休みの間に届いた電話の1本手紙の1通(メールはちょっとあった)すらないこのグウタラに、シアワセはどーこから来るかしら? トンネル抜けて山こえて??

 届く年賀状も中学は20年前、高校はすでに10年前から届かなくなっていたから無関係として、ついに大学も同級生からの年賀状が皆無と化したのは驚きはしないけれどもちょっとはイタい。(こらそこどーしてよこさない?)。このまま地元は愛知やら名古屋やら天白近辺で「あの人は今」的存在となって遠い夜空の星の下、公園に天然レゲエな方々の行列に並んで「神はアナタを愛シテまース」的な説教に続いて行われるスープヤやらパンやらの配給でも、実はコッソリ受けてんじゃないかと笑い話のネタくらいにしか取りあげられくなっちゃうんだ。けどまー、それも一つの人生、「のたれ死んでも私の人生ですわ」と言っていたのは昔よんだ木原先生のシマリンゴシリーズの外伝に出てきたロシア貴族のお嬢さんだったかな? ともかくも勝手気ままにやりますんでよろしゅうに。

 愚痴は適当にしてシアワセなカップルやら家族でごった返す銀座へと出向いてテリー・ギリアムの「ラスベガスをやっつけろ!」を見る。結局何がどーしてどーなったのかの一切説明がないままに、相変わらず目玉の縁起冴えまくりなジョニー・デップともう1人のサモアなおっさんとが繰り広げる乱痴気騒ぎを延々と見せられる奇妙な映画に、お屠蘇気分で寄った頭に棒を突っ込まれてそこから純度95%くらいのアルコールを案が仕込まれたくらいの酩酊感を覚える。とにかくラリっぱなしの登場人物がジャーナリストと偽ってるのかホントにジャーナリストなのかも1度見ただけじゃ判然としないなかを、ホテルに宿をとってはルームサービス頼み捲りクスリやりまくり、騒ぎ暴れ泣き喚く様が1度ならず2度3度と畳み掛けるように繰り返される。ふと我に返った時の部屋の散らかり様といったらまるえ足の踏み場もなく食べ散らかされた食器が散乱し部屋は落書きだらけで風呂も汚物で山のよー、まるで自分の部屋を見ているようで酷く心が落ちつきました、ってそれでいーのか正月なのに。

 冒頭とか合間に挟まれるテレビのモニターの場面とかでベトナム戦争の直接的な後遺症かそれとも時代に与えた後遺症っぽい描写があって、何かに向かって意志を表明し希望を抱いて突き進んでいた時代が過ぎて妙に落ちついてしまった時代への、空虚な感じと何かを忘れて来てしまった悔悟の念、けれどもどうしようもない焦燥感が別の世界へと逃避するクスリの世界となって現れた、なんて解説が果たしてあっているのかあってないんだろーな、だってデップも誰も彼もがてんで一切心のトラウマなんか見せないで、ひたすら適当にラリまくってるんだから。途中世界が歪んで1人隔絶された気分なり攻撃を受けている感覚なりを抱かされて戸惑うあたりの描写がギリアムっぽいのかな、でもてんで爆烈時空へと飛ばされることなく最後まで現実世界での描写に撤するあたりがSFな人の期待にはちょいそえないかも。

 あんな現実なんてあるもんか! と思えないこともないけれど、ド派手なパーティーやらショウが毎晩のよーにどこかで繰り広げられて、中にとんでもない人間が混じっていそーな感じといい、ホテルの沙汰も警察沙汰も金次第でどうにだって切り抜けられそーな隙だらけの世界観は、あのアメリカだったらありそーな気がするんだよね、あんまり行ったことないけど。漫画みたいに誇張され自分の役割をしゃこしゃことこなしている人物が書き割りのよーな町を動き回ってる世界、ってのがそーか新世界アメリカなんだって、思うとなるほどあの国に住んでいる人間がどーして浮き世離れした映画を撮ったり政策を打ち出せるのかが解ってくる。さてもお伽噺の国アメリカ、頭のお利口な日本人にはやっぱついていけません。

 そーだ「ショイエルという名の星」の上にあったのは「星の書」だったけど売れていた「Nadiff」を経由して、こっちは圧倒的にシアワセなカップルでごった返す原宿から千代田線で湯島を経て秋葉原へ。こちらはケンコーな青少年がでろりんと集って電子電気電脳にフェティシズムのありたけををぶつけていて、ああやっぱ俺の町はこっちだったかと気分を同化させていっしょに電脳電子美少女(2次元)の香りに浸る。2月17日に「マトリックス」のDVDがコレクターズボックス仕様で出るってなチラシをもらったり、リメイクの方の「遊星からの物体X」がなぜか星野ひかるちゃんのDVDをセットになって「福袋」と称して9800円で売られているのを一瞬欲しいと思ったり、山積みの「セラフィムコール」はきっと4枚セットでバーゲンになるだろーから今は我慢を覚えたりして通り過ぎる。

 をを「ジャイアントロボ」もDVDボックス化が決定か、ふーん「マクロス」もボックスかあ、ってな感じでDVD化が進行中。LDからの逆転ぶりは黎明期よりその取り回し易さを訴え続けた当方にも、ちょっとは見る目があったってことになる。けどDVDひょーろんかとかってなものになって商売につなげてられないのは、結局は単なる後講釈の流行(なみ)乗り野郎に過ぎないことを現してるんだけどね。「宇宙海賊ミトの大冒険」はおまけが嬉しそうだけど、拡げたフロシキの割には話がこぢんまりとしていたり、魅力的なキャラの割には葵ちゃんの悩みにトランスセクリャスなもだえがなかったりした点が不満なんで思案中。やっぱ劇版「CCさくら」くらいかなあ。

 秋葉原デパートの本屋で露出の少なさがちょっぴり(とっても)気になる「ベターマン コンプリートブック」(メディアワークス、2300円)を仕入れ、ついでに某集会で熱の篭った議論が交わされた富沢ひとしさんの「エイリアン9」(秋田書店)を3巻まとめて仕入れ、読んでどっちも寄生なり細胞の改造による変容によって人類の未来を拓こうとしたり勝手に拓かれたり、ってな題材があるとでっち挙げ、遺伝子改造が施された髪の毛が増殖した「BH85」(森青花、新潮社、1300円)とか、精神寄生体の憑依が旧人類の防衛本能を呼び起こしたよーな「闇色の戦天使 ダークネス・ウォーエンジェル」(神野オキナ、アスキー、640円)あたりと束ねて「電撃アニマガ」に使えないかと模索する。「トリスメギトス」(角川書店)が善かった中崎達也さんが雰囲気を一転して描く空中活劇「ビート・ガンナー1」(角川書店)も寄生生物との共生があるから混ぜてもいーかな、「タイムボカン」依頼の悪女&のっぽ&でぶなワルモノ3人組も登場し、差別の重い問題もはらんでなかなかの傑作なんでピンで行っても良いかな。


【1月2日】 コンビニエンスストアが閉まっていて悲しいとかってなウロ覚えのマーク・コスタビの画集の題名が頭をよぎった午後の駅前に並ぶ百貨店は、ファッションブランドもアウトドアブランドも揃って福袋の「Lサイズ」が売り切れで、まあ我慢すれば着れないこともないんだけど、ことアウトドアの場合下に寒がりなんで結構着込むんでアメリカサイズでもLくらいのサイズが欲しいところなんであきらめる。ちょい前の「SRL」のロボット大サーカスでも思ったけど日本人、どんどんと背ぇ高くなってません? 前なら頭ごしにのぞけたイベントが全然カケラも見えなかったんだよな、あの時は。

 170センチちょいある自分が日本人の平均身長を超えてるよってほくそ笑んでたのも過去の話で、今だと10代20代に限定して言えば175センチは軽く行ってそーな気がしないでもなく、にも関わらず「Lサイズ」は巨大くんノッポくんウドの大木くん的認識で少ししか作らず店にも出さないってのは、商売をして決定的に先を見てないって思ったんですけどどーなんでしょーかアパレルな人、身体検査な人。ちょっと前にやせ形が増えてるからって従来のJISだか何だかのサイズに関する規格が変わったけど、未だに適当なSMLのサイズ表示もそろそろ認識を変えて戴きたいものです。ちなみに女性が10代に限って言えば軽く20センチは平均身長が高まっているのは理由がちょっと違うから考慮に入れなくっていーです。

 食料品売場でワインとチーズを所望、ってーと何やらハイソなご趣味のよーに聞こえますが、小学なんで目出たいんで奮発して数千円とかのワインでも買いたいところを、妙なところで貧乏性なもんで2000円どころか1500円以上ともなるとなかなかに財布の紐が緩まず、セールの値札がついてる1180円のイタリアもの(どっかのキャンティ)とこちらは日持ちがしてかじった時の野卑が味がチーズっぽい英国製のチェダーチーズって、まるで銘柄も味の取り合わせも無視した「おつまみセット」的セレクトとなってしまう。チリのサンライズも880円の割にはイケるんだけどケチでも正月なんで小銭ながらも上積みして、オーバー・ミレニアムな価格の品物に落ちつきました。

 年末の某所ではサントリー学芸賞を授賞した東浩紀さん宛に日本の有名論壇人から届けられたきっとシャトー物なフランスワインの幾本かを、もったいなくもオタク連中でガブ飲みするとゆー超建設的な一夜を贈ったばかりだけど、それで口が驕って「1000円ワインなんて呑めるかいつ!」てな感じになるどころか、見た絵読んだ本すら半日で忘れてしまう忘却力が進行し、味覚を記憶する回路の錆具合も進んでいるから、1万円が1000円だって実はほとんど区別がつかない。今にして思えば主人公たちが雪夜のアパートで激安ワインを近所のコンビニで買って持ち込み騒ぐってな花村萬月さんの「王国記」を真似るってのが粋だったかなあ、論壇系高級ワインとブレンドしちゃうってのも知性が平場に引きずり降ろされてもて遊ばれる、もしくは平場に降りて踊らなければ食えないし影響力も行使できない世の中を表現していた楽しかったかも。

 ワインは粋でも喋ると激な宮崎哲弥さんと福田和也さんの「愛と幻想の日本主義」(春秋社、1500円)を表紙の16弁の菊花の目出たさもあって買う。ムズかしいことは解らないけど、批評に関連して柄谷行人さんの態度を宮崎さんが要約した「文芸の善し悪しは、詮ずるところ好悪の間隔で決まる。(中略)そういう好悪の基準というのは、言葉にならない、論理的にリプレゼントできない」ってあたりを面白く読む。好き嫌いってのはやっぱ物事の基本だからねぇ、但し目利きとしての筋の善し悪しってのあるし、知り合いになった抗議を受けた好きなミュージシャンが一緒だった同郷だった美人だった胸が大きかったってな理由で、途端に好悪の基準がグラグラと揺れる自分とは全然一緒に出来ないんだけど。出来るかいっての。

 んでも「ファミ通えんため大賞」を授賞した荒井千明さんの「アンダートラップ」(アスペクト、640円)のイけてなさってのは直感を超えて理解出来る。メタフィクションって構造はさておき、ってーかそれが全然お話しの役にたってないから一向に無視して構わないと断じた上で、天才的なプログラマーがセキュリティソフトの開発を請け負ったもののその使途に違和感を覚えて雇い主に反攻するってな導入部も去ることなが、依頼を受けた武装ガードが戦いの渦中に指を折られて折角の腕前も銃身を切り詰めた「コルト シングルアクションアーミー」ってな骨董品を使いガンマンよろしく早撃ちを披露する場も1カ所で終わる場面とか、一般の人たちに素晴らしい夢を見てもらうんだって仕事の意義を語ったアミューズメントパークを運営する百戦錬磨の経済人のおっさんが、結局はあんたが見たがってる夢を押しつけてるだけじゃん、ってな小娘の一言で黙り込んでしまう体たらくとか、読んでいてちっとも胸がどきどきしない。あんたの夢を押しつけてるだけじゃん小説家。

 ソフト開発の仕組みとかってな本業にまつわる部分の異常なまでに細かい描写とか、クスリを飲む行為の行動心理といった部分のいちいち細かい部分までを書かずにいられない態度とかは、なるほど確かにディティールを思い浮かべたり、事件への理解を役立てる意味での効果は持っている。けど某70億円なゲームがフェッセンデンの宇宙もかくやと思わせる密な箱庭を作ったがために、かえって自由度の限界を見せ感情移入を疎外し虚ろな世界を提示していたりするのと同様に、描きこまれた描写に埋もれて主人公の男の意志も、ヒロインの姉ちゃんの目的も、悪役の悪辣さも見え難くなってしまっている、よーな気がする。

 針とかゆー用心棒が暴走して雇い主の運営するテーマパークを爆破してしまうなんてそんなのアリ? 最初のバトルで拳銃の腕前で負けたからといって、そこまでキれて主人公の武装ガードを追い回す異常さも納得力に弱いし、そんなヌけた奴等を間接的ながら雇ってしまったおっさんも、切れ者と評判の割には意外と脇が甘いってーか「世界カジノ化計画」ってな野望の割には闇の連中を押さえる力のなさにちょっと気をそがれる。まさか某70億円なゲームを真似て、そーしたゲームと共通の虚ろさ無理筋さと重ねてメタフィクションとしてこの小説を描いたんじゃなかろーか、だったら計算高さで作者が1枚上手だったってことになるけどね。それとも某70億円なゲームを金殿堂入りさせる目利きが選んだってことになる? うーんともかくも活字の密度では多々あるヤングアダルトの中では異色で異例の1本なんで、後学の為に皆さん目を皿にして読みましょう。


【1月1日】 和服のえーちゃんが和服のえーちゃんが和服のえーちゃんが和服のえーちゃんがぁぁぁぁぁ! 何故にと思ったけど有り難く査収させてい戴きました早速デスクトップ・ピクチャにして楽しんでます流石に振り袖じゃないんですねパンツはいてないのかな、えーちゃんそれ痛いよ。ってな元旦らしい話題はさておき始まりました2000年の1月1日は午前8時に就寝して午前11時半には起床して、テレビを付けて正月おせち保存食番組をダラダラと見ながら午後の1時が来るのを待って、我が(めーわくかも)名古屋グランパスエイトがフォード牡蛎紅葉饅頭なサフレッチェ広島と戦う天皇杯をテレビ観賞する。

 赤いユニフォームが元旦の国立の芝に映えるのも久しぶりだけど、トップに小倉こそいないもののトーレスが居てストイコビッチが居て去年に続いて山口素弘がいて楢崎正剛が居ておまけに呂比須まで輝くボーズ頭をふりふりトップを走ってる。まんま日本代表にしちゃいたいくらいのメンバーに、これは軽く勝利を奪って菊の御紋の入った杯を手に入れるだろーと思ったら、そーや世間が許さない、嗚呼神よ我に(ってテレビの前じゃんあんた)七難八苦を与え給えかなえのぞみちゃん。

 前半はシュートの1本も打てない体たらく、ってのもオーストラリアから来たとかゆーマッドマックスも仰天などデカいディフェンダーの深い読みと、トップを走る若い兄ちゃんの飛び込むタイミングの良さ突破する力強さもあったからサンフレッチェが押していたのも仕方がない、が、そこは百戦錬磨のストイコビッチ前半は前線に張り付いて体力を温存でもしてたのか、今日が最後のトーレスの頑張りなんかもあって凌ぎきったあとの後半に、一気に力を爆発させて右へ左へと縦横無尽にかけまわり、パスにドリブルにとやり放題を決め始める。

 そしてまず1点、右から出したセンタリングがボーズ呂比須のボーズ頭にどんぴしゃで合って1点をゲット、でもって今度はトーレスから出たボールをあれやこれやでストイコビッチが左でもらい、そこからキーパーをかわしディフェンダーをかわしかろうじて戻ったキーパーの右へと走って来た逆を付いてゴール左隅へと決める憎々しいほどの華麗な技、嗚呼その姿を国立競技場で見たかったことよと一瞬思ったけど、どーせ現場じゃ見逃しただろーから何度も繰り返しリプレイが入るテレビの前もまんざら捨てたもんじゃないと気を取り直す。

 これが負けたんだったら人間フットボール・コンピューターなストイコビッチに2000年問題でも発生したのかと心配もしたけれど、大丈夫だったところを見ると少なくとも日本では2000年問題は発生しなかってことになる、それともピクシー、真空管を使ってたのかな? 真空管と言えば、「ミグ25」に真空管の超最先端を搭載していたらしーと大昔に読んだ「リーダーズ・ダイジェスト」のルポに書いてあったくらい、古典的な技術を徹底的に突き詰めるっちゅーか突き詰めざるを得ないソビエト連邦の時代から様変わりしたのか、ロシア共和国では一応はコンピューターを使っているらしー事態が起こって半分安心半分意外。つまり2000年問題が起こったってことですね、実はすでに体力知力が衰え全身をロボットにしていたエリツィン大統領の電子頭脳に。

 間際の忙しい時の辞任を発表し、さらにはMr.ビーンも真っ当に見えるほど不思議な眼差しを持ったプチンを大統領代行に任命する不思議っぷり。その過激な言動で成る、誰かがきっと100編は言っただろう「血管プチンと切れてるっぽい」プチンを選んでチェチェンでの騒乱に油を注ぐよーな可能性、すなわちこの地上に騒乱を巻き起こす可能性を高めて止まない行動を、どーして2000年問題じゃないと言えよーか、直接ミサイルは飛んでこなくても間接にミサイルが何とかなっちゃいそーな予感を胸に、残り1年の間に起こればすなわち日本大学が沖の鳥島にあっても礼文島にあっても日本大学と言えるが如く、2000年問題と言って大丈夫な事態が起こるか否かを見ていこー。ニセ首相官邸のメカ総理が先にイっちゃう可能性もあるんだけど。本物の総理? あれはほら、真空管すら使ってない脊椎反射だけのアメフラシ級ナマモノだから壊れませんから大丈夫だいじょうぶ。

 1日からご苦労にも開店しているイトーヨーカ堂に行って音楽CDやらDVDやら新刊書やらを見て時間つぶしに使えそーな品物を探す。をを出ているじゃないか「機動戦艦ナデシコ劇場版」のドラマCDが。「特別編」って書いてあってこれが「完全版」ってことらしー惹句がPOPの煽りにあったけど、映像として既に発売されている「劇場版」よりも完璧なドラマCDにいかほどの意味があるのかってな疑問も同時に浮かぶ。切られた箇所があるってんならそれは映画の流れを損なわない箇所だったってことで、敢えて音声で聞く意味があるのかってことなんですわ、けどそーゆー部分が例えばルリルリの喋りだったりミナトの喘ぎユキナの怒鳴りだったら全然オッケーなんだけど。北辰の唸りだったら「滅!」だ。さてはてどーだか夜にでも聞こー。

 おまけのライナーには佐藤竜雄監督と「作家」の大森望さん「作家」の堺三保さんの3人による座談を収録、3人が3人とも黒いTシャツを着ているのがすなわちギョーカイっぽいって奴なのかな、今夏は僕も真似しよー、真冬のTシャツはさすがにキツいっすから。途中で佐藤監督が最近読んだSFとして野尻抱介さんの「ロケットガール」を挙げていて、すかさず堺さんが「おー、どうでしたか」と突っ込み「原作者の野尻抱介さんはアニメ化を希望している」とプッシュプッシュ、けど佐藤監督はシビアな部分とキャラとの折り合いが難しいかもってあんまし乗り気じゃないのが残念で、哀しいけれど野尻さんが原作者として仙台エリさんでも誰でも女子高生声優さん(眼鏡付き)を堂々指導する野望は、しばらく先になりそーな雰囲気。どーなることやら。


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