武士道ジェネレーション

 「武士道シックスティーン」から始まり、「武士道セブンティーン」を経て、「武士道エイティーン」と高校の3年間を1年づつ描いては、甲本早苗と磯山香織という、まるでタイプの違った2人の剣道少女の邂逅から、離別を経て再会へと至り、競い合う姿を描いていったん筆を置いた小説を再開させて、その後の2人を描いたものとして、誉田哲也の「武士道ジェネレーション」(文藝春秋、1500円)はとても嬉しく、そしてとても面白い小説だ。

 剣道だけやっていれば何とかなった高校生の時代もいつかは終わり、直面する大学進学という問題に香織や早苗をまずは向かわせ、そして就職という問題にもしっかりと挑ませる。勉強がまるでダメで教職はとれず、就職もままならかった香織の剣道道場への“就職”を描き、1年生の時だけ通っていた高校の事務員に就職した早苗の、恋愛から結婚、そして出産を描いては、それぞれが人間として、女性として成長していく姿を読ませる。

 そこに、剣道というものに向き合う少女であり女性の姿を立て、剣道とはいったい何かを問わせ、武士道とは何かをしっかりと考えさせて感じさせる。読めばきっと分かるだろう。強くあれ、そして優しくあれということを。

 香織が通う剣道道場の主が倒れ、そのまま閉鎖という不安も浮かぶ中で、香織は自分が継ぎたいと願い、そのために必要な一種の形を、道場の先輩で早苗の夫となっていた男から学ぶ。早苗に黙っての鍛錬に不倫を疑わせる可能性もあったけれど、朴念仁の香織にそんな意識は毛頭なく、それを分かっている早苗も見ないふりを決め込む。そんな関係は、長くライバルであり友人という関係にあった2人ならではのもの。読んで微笑ましくなる。

 そうした鍛錬の中から掴んだ香織の境地が実に良い。相手のささいな動きに秘められた意味、その動きだけで対戦相手を押さえ自分を有利にするような可能性に気付いて、香織は自身でも強くなっていく。そこから生まれるのが一種のゆとり。相手の強さを認めつつ自分でも強さを誇りつつ、共に理解し合い高め合う関係こそが、もしかしたら武士道というものなのかもしれない。「武士道ジェネレーション」というタイトルを、この小説が持った意味がそこにある。

 だからこそ、そんな価値に陰りを与えるような描写がひどく気になる。早苗の口からなぜか語られる南京事件や従軍慰安婦の問題への論評。それは、南京事件で30万人が虐殺され、20万人もの慰安婦が徴用されたといった事象を語ることを“自虐史観”ととらえ、真っ向から否定しようとするものになっている。

 けれども、30万人の虐殺は数として多すぎるとしても、数万人といいった規模での殺害があっただろうことは歴史学者も認めているし、日本政府だって認識している。20万人という規模ではなかったにしても、強制性をもった徴用によって、慰安婦の人たちが連れられていったことも分かっている。そうした過去を過去として認めることは自省であって、決して自虐ではない。

 逆に、そうした事象を数が多すぎるからと言いつつ、全面的になかったことにする方が、日本という国に生きる日本人としての尊厳、人間としての矜持を損ねる所業に他ならない。にも関わらず、早苗に30万人も20万人もまるでなかったかのように語らせる“自尊史観”を持たせたことに納得がいかない。許容もできない。

 自分たちの加害を認めず、非難されるばかりの被害者のような姿に終始させる早苗にも不安を覚える。剣道を修行したいとアメリカ人が道場にやって来たのを好機ととらえて、原爆投下であり本土空襲といったものへの非難を口に出す早苗の偏狭さを認められない。

 確かに原爆は悲惨で空襲も非道だ。アメリカでも若い層にもそう考える人たちが増えているという。ただし、どうしてそういう状況に至ったのかを考えさせ、感じさせる言葉がなければ、ただの被害者に終わってしまう。加害があったからこその被害。それを書き記しておかなければ意味がない。

 けれども、早苗はそうした自省をせず問おうともしない。作者が女性は考える必要がなく、それこそ“ネットde真実”めいたことを語らせておけば良いとでも思ったのだとしたら、それは女性を侮っている。そういう人ばかりではないのだから。

 早苗はを誰か、なだめたり諭したりして相対的な立ち位置へと導く言説がないと、物語で語られる武士道も、ただの力の誇示になってしまう。強ければ良い。正しければ良い。そんな薄っぺらいものになってしまう。そんなことはない。絶対に。

 鍛錬を経て武士道への神髄に触れ、その道を歩み始めた香織の成長を目の当たりにした今、振り返って早苗にも少しだけゆとりというものを持たせて欲しかった。自省という心理を持たせてあげたかった。良いライバルであった香織との間に大きな隔たりが生まれてしまったことに、読み終えて戸惑いと寂しさを覚える。

 もっとも、人生はまだまだ続く。その中で早苗もいつか気付いてくれると思いたい。そうした気付かせを学問に弱い香織がやってくれるとは思えないけれど、まだ存命な道場主の先生が過去を知り、今を考え未来を見せる目を持たせてくれると願いたい。たとえ続きが書かれなくても、その生き様を想像する上で。是非。


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