武士道シックスティーン

 なぜ戦うのか。勝つために。なぜ勝ちたいのか。負けると悔しいから。でも負けることだってある。負けないために修行する。それでも負けることがある。次こそは勝つ。勝ち続けられるものではない。でも勝ち続けるしかない。それが生き方だから。どうして生きるのか。死にたくないから。人はいつか死ぬものだ。でも死ぬのはいやだ。どうして。

 どうしてだろう。どうして戦うのだろう。どうして勝ちたいのだろう。どうして生きたいのだろう。どうして。どうして。それは人間がこの世に生を受けて以来の悩み。戦いを始めるようになって以来の苦しみ。だから答えはなかなか見つからない。だから答えを欲して人は悩み苦しむ。果てに逃げ出そうとしてしまう。戦いから。勝負から。生から。

 違う。そうじゃない。戦いに理由なんてない。勝負に優劣なんてない。死だけが生の結果じゃない。戦う意味。生きる意味。それを剣道という武道に取り組む2人の少女の姿から、描き導き出してくれるのが誉田哲也の「武士道シックスティーン」(文藝春秋、1476円)という小説だ。

 かたや3歳から警察官の父に教わり、町の道場で修行し中学の全国大会で準優勝をするくらいに剣道を極めている上に、宮本武蔵の「五輪書」をバイブルとして熟読し、勝負は常に生きるか死ぬかを争うものだと信じ、剣道であっても相手を斬り伏せ勝利することこそが至上だと思いこんでいる磯山香織。

 こなた日本舞踊を嗜んでいたものの、町工場を経営していた父親が、発明した素材の技術を大企業に技術を奪われ、裁判をしたものの負けてしまい倒産した挙げ句、母親がムカし描いた絵本が当たってしまい居づらくなって出奔してしまい、お金のかかる日本舞踊は止めて進学した中学で初めて剣道に触れた西荻早苗。

 まるで正反対の2人が最初に出会ったのは横浜市の市民大会で、こんなところに敵などいるものかと確信して臨んだ香織は、けれども向かい合った早苗の動きに翻弄され、挙げ句に真正面からメンを奪われ敗北する。まさか。自分が負けるはずがない。負けるとしたら相手は達人に違いない。そう信じていた香織だったが、剣道を買われ推薦で入学した高校で、下の中学から進学してきた早苗と同じ剣道部に入り、早苗の剣道を見て驚き戸惑う。

 早苗は時々強いものの、たいていは弱い。自分とも手合わせをして弱さを確信した香織は、これが自分を倒した剣士とは思えない、手抜きをしているに違いないと思い、憤り続いて時折強さを見せるのは剣道に真剣ではないからだと怒り、早苗に対して暴言を吐き暴力も振るう。それなのに早苗は逃げず笑顔で香織の側を離れずつきまとい、そんな早苗の明るさと、依然として時折見せる剣道の冴えに、香織は早苗の力を認めるようになる。

 剛と柔。2人の強豪を得て躍進も期待された剣道部だったが、ふとしたことがきっかけになって、香織は自分がどうして剣道をするのかに迷いを感じ、試合でもめっきり勝てなくなってしまい、そして剣道部から離れてしまう。町の道場に戻ったもののそこでもふがいない様に師範から出入り禁止を申し渡されてしまう。

 剣道とは何か。勝負とは何か。生きるとはどういうことなのかという問いかけに、剣道という武道を挟んで向かい合った対称的な2人の少女が、彷徨と葛藤の果てにたどり着いた答え。それは、ただ勝つだけでもなければ、ただ楽しむだけでもなしに、剣道を続ける理由、相手と戦う理由、何より生きる理由というものがあるのだということだ。剣道に限らずあらゆすスポーツを嗜む人々、あらゆる勝負事に挑む人々、なにより生きているあらゆる人々にとってスポーツとは、勝負とは、生とはなにかを考えさせ、生きるすべての者たちの迷いを払い、心を前へと導くだろう。

 用具の説明から試合の運び方、そして試合中の選手の心理状態も含めて実に細かく、且つリアルに剣道を描写してあって、読めばいっぱしの剣道通になれそうで、さらには剣道ファンにすらさせられそう。どうして香織は早苗に負けたのか、という理由探しの部分もスリリングで、武士が打倒ライバルに燃えて修行する剣豪小説のシーンを想像させる。

 登場する人物も誰もが魅力的。香織に剣道とは、人生とは何かを気付かせる町道場の師範の道を究めた者だけが放つ存在感にしびれる。香織のわがままを排除せず、何とか一緒に剣道が出来ないかを考え導こうとする剣道部の顧問。後輩の傍若無人さに憤りながらもその心理、そして実力を認めて共に戦い歩んでいきたいと願う先輩たち。そして香織の父親。早苗の父親。それぞれがそれぞれの娘に時には居丈高に、時には下出に出ながらも本音では慈しみ、見守りたいと考えている姿が実にいとおしい。

 それらに輪をかけて強烈なのが2人のヒロインだ。武士道に染まり武蔵の著書をぼろぼろになるまで読み込み、休み時間も授業中も鉄アレイで腕力を鍛えながら、ひたすらに剣道に邁進する香織の強気で猪突猛進な様は愉快だし、そんな香織が壁を乗り越えられないまま崩れ落ちそうになる部分には、少女らしさが見えてなおいっそう好きになる。

 早苗も早苗で天然で無垢で純真で、どこまでも真っ直ぐな姿が好感を与えてくれるし、そんな早苗が香織を変え、父親を変え家族を変えて立ち直らせていく姿には、女神の輝きすら覚える。本当は大好きな日本舞踊を諦め、剣道に進みそこでも剣道を大好きになってあまつさえ強くなる。まったくもって格好良すぎる。早苗というキャラクターは。この物語で1番に。

 次々と出会いがあり事件があり、別離があり懊悩があってそしてクライマックスがあって、読み出したらもう最後まで一気に連れて行かれる。目的があって達成を目指すスポーツ物だからこその面白さ。佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、三浦しをんの「風が強く吹いている」、桂望実「Run!Run!Run!」、あさのあつこの「ランナー」等々、近年において隆盛のスポーツが主題となったエンターテインメント小説においても、他に負けない極上の面白さを持った作品として、喝采を浴びつつ迎え入れられることは確実だ。


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