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9.獣の奏者1・2−闘蛇編&王獣編− 13.獣の奏者3・4−探求編&完結編− 14.獣の奏者・外伝−刹那− 17.物語ること、生きること 18.明日は、いずこの空の下 19.鹿の王 20.ほの暗い永久から出でて(共著:津田篤太郎) 22.鹿の王 水底の橋 |
【作家歴】、精霊の守り人、闇の守り人、夢の守り人、虚空の旅人、神の守り人、蒼路の旅人、天と地の守り人・第1部〜第3部、流れ行く者、「守り人」のすべて、炎路を行く者、風と行く者 |
精霊の木、香君 |
●「狐笛のかなた」● ★★☆ 野間児童文芸賞 |
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2006年12月
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“守り人”シリーズとは異なり、日本の伝承話的ファンタジー。
犬に追いかけられている子狐を少女の小夜が自らの懐に入れて救い、さらにその小夜を森の中の屋敷に閉じ込められている少年=小春丸が救います。 ファンタジー物語ですが、本作品が伝えるものはファンタジー世界に留まらず、普通の小説にも通じるものです。 エピローグにおける小夜と野火の姿は、幻想的な美しさを纏っていて、印象的です。 |
●「獣の奏者 1・2−闘蛇編&王獣編−」● ★★★ |
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2009年08月
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リョザ神王国の真王と、その神王国の攻防を担う大公。 その神王国と大公領を象徴するのが、政治的な獣とされる、王獣と闘蛇。 そしてそれは、決して人に馴れず、また馴らしてもいけない獣。 本作品は、その王獣とともに苦難の道を歩む少女エリンを描く、壮大な長篇ファンタジー。 【闘蛇編】 【王獣編】 壮大で奥深い、少女と王獣の成長物語。何といっても王獣という獣の存在、造形が圧巻。 ※なお、当初本作品はこの1・2巻で完結していたのだそうです。 |
●「獣の奏者 3・4−探求編&完結編−」● ★★☆ |
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2012年08月
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「獣の奏者」は1・2巻で一応完結した物語だったそうです。 それなのに続編が書かれることになったのは、佐藤多佳子さんの「もっと読みたい・・・。この完璧な物語の完璧さが損なわれてもいいから」という言葉と、アニメ化の話をきっかけにその先へと続く道を「発見」したからだったそうです。 前作が人と獣の間で気持ちを通じ合うことができるか、という物語であったのに対し、本作は人は何故争うことを止めないのか、そこに未来はあるのかといった、人の群れに関わる物語。 【探求編】 【結末編】 前作のようなビルディングス・ロマンから一線を画し、逃れられない宿命へ敢然と立ち向かっていくエリンの物語。 |
●「獣の奏者 外伝−刹那−」● ★★ |
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2013年10月
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壮大なファンタジー大作「獣の奏者」のサイド・ストーリィ。 「刹那」は、エリンが「堅き槍」であったイアルと結ばれ、息子ジェシを産むまでを描いたストーリィ。 「秘め事」は、エリンの良き理解者でカザルム王獣保護場の最高責任者であるエサルの、苛烈な青春時代とその許されぬ恋の思い出をエサルが回想する形式で描いたストーリィ。 そして最後の「初めての」は、ある日のエリン、イサル、ジェシの幸せな家族らしいひと時を描いた10頁余りの短い篇。 エリンは否応なく、一方エサルは自ら選んで、普通ではない生き方を選び取った女性。 あとがきで上橋さんは「自分の人生も半ば過ぎたな、と感じる世代に向けた物語になったようです」と語っていますが、2人の人生を描くという点で本書はまさしく大人向けの一冊と感じます。 刹那/秘め事/初めての |
17. | |
「物語ること、生きること」 ★★ |
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2016年03月
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私が初めて上橋さんの「精霊の守り人」を読んだ時に感じたことは、どうしてこんな子供も大人も夢中になれるような面白い物語を書くことができたのだろう?ということでした。 おばあちゃんが語ってくれたという昔話、ヒーロー好きだった幼女時代、本好きな少女時代、そして作家と文化人類学者という2足の草鞋を履くことへの選択、等々。 本書を読み終えた後には“守り人”シリーズをもう一度読み直したくなってくる、きっとそうなることでしょう。 はじめに/生きとし生けるものたちと/遠きものへの憧れ/自分の地図を描くこと/作家になりたい子どもたちへ(文・構成:瀧晴巳) |
18. | |
「明日は、いずこの空の下」 ★☆ |
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「小説現代」に2013年01月から約2年間に亘り連載されたエッセイの単行本化とのこと。 本書では、高校生時代に通っていた香蘭女学校の英国研修旅行でスコットランドを訪ね、「グリーン・ノウの子どもたち」の作者であるボストン夫人のマナーハウスにもお邪魔したことから始まり、フィールドワークでのオーストラリア滞在経験、アボリジニの人たちとの交流、母上と一緒した海外旅行等々での出来事が主な内容になっています。 ちょうど新長編「鹿の王」の刊行時期と合わせての刊行とあって、上記新作への期待が高まってくるような気がします。 本書の末尾には、今年 3月24日に国際アンデルセン賞作家賞の受賞連絡を受けた時のコメント掲載あり。 ※エッセイストの林望さんがボストン夫人のマナーハウスで暮らした思い出を語ったのが「イギリスは愉快だ」、ご参考までに。 |
19. | |
「鹿の王−上巻:生き残った者、下巻:還って行く者−」 ★★☆ |
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2017年06月
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壮大なファンタジー物語。 上巻では単なるファンタジー冒険物語、という様相でしたが、下巻に至るとストーリィのスケールはどんどん膨らみ、その壮大なスケール観には圧倒されるばかりです。この点が、まさに上橋ファンタジー叙事詩の魅力です。 支配する側、支配される側の思惑、故郷を追われた民の悲哀、そして諦観。そして家族とは何なのか、政(まつりごと)とはどうあるべきなのか。そのうえで、生きるとはどういうことなのか。本ストーリィに篭められた思いは、とても深く、とても大きなものがあります。 1.生き残った者/2.恐ろしき伝説の病/3.トナカイの郷で/4.黒狼熱/5.<裏返し>/6.黒狼病を追って/7.<犬の王>/8.辺境の民たち/9.イキミの光/10.人の中の森/11.<取り落とし>/12.<鹿の王> |
「ほの暗い永久(とわ)から出でて−生と死を巡る対話−」(共著:津田篤太郎) ★★ |
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上橋さんのお母上ががん治療のため聖路加国際病院に入院したことから、漢方医である津田先生と縁が出来、人間の生について往復書簡という形式にて語り合うことになったそうです。 上橋さんが実体験や自作「精霊の守り人」の世界観から“生”について語れば、津田先生は昆虫から始まり“生”について科学的視野から語っていくというやり取り。 一歩高い次元から“生”を眺め、考察している辺りが本書の魅力です。 余計な域まで成長してしまった故に人間は“不幸”を知ることになったのか。でも、“不幸”を感じるからこそ“幸せ”も感じることができるのか。 いくら“生”について語っても、人間が“死”を免れることはないのですから、何とも悩ましい問題です。 しかしいずれ人間は、AI(人工知能)との違い、共存可否、という問題にぶつかるのでしょう。単なるSF上の問題ではなく。 はじめに−思いがけぬ角度から飛んでくる球−(上橋)/蓑虫と夕暮れの風(上橋)/陽の光、燦々と降りそそぐ海で(津田)/見えるもの、見えないもの(上橋)/切り口を変えると、見方が変わる(津田)/母の贈り物(上橋)/私たちの輪郭を形作るもの(津田)/流れの中で、バタバタと(上橋)/日常を再発見する(津田)/春の日の黄昏に(上橋)/死と再生、人生の物語化(津田)/おわりに−奇縁に導かれる「最高の選択」− 津田篤太郎:1976年京都府生、京都大学医学部卒、医学博士。聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長、日本医科大学付属病院東洋医学科非常勤講師、北里大学東洋医学総合研究所客員研究員。西洋医学と東洋医学の両方を取り入れた診療を実践。 |
「鹿の王 水底の橋(みなそこのはし)」 ★★ | |
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「鹿の王」の続編、舞台は同じ東乎瑠帝国内に設定されていますが、前作の如き壮大なファンタジー物語からは一転して、医術のあるべき姿を問うストーリィ。 主人公となるのは、前作にも登場した古オタワル王国の貴人にして若いながら天才的な医術師ホッサル、その助手でもあり恋人でもあるミラル。2人が夫婦になっていないのは、平民であるミラルとの身分差ゆえ。 そのホッサルとミラル、従者のマコウカンは、安房那候の末息子で<祭司医>でもある真那に誘われ、安房那領へ赴きます。 真那の幼い姪が苦しんでいる病状を診る、という目的もあってのこと。 しかし、そこでホッサルたちは、東乎瑠帝国の皇位継承争いに巻き込まれます。 そしてその結果は、清新教の次期宮廷祭司医長の後継人事にも影響、ひいてはオタワル医術を異教徒の穢れた技だと決めつける新派の宮廷祭司たちから、オタワル医術師たちが迫害を受けることにも繋がりかねないという危機。 皇位継承争いに絡む権謀術数、ホッサルたちが陥った危機、ホッサルとミラルの行く末は・・・、ストーリィは十分にドラマチック。 しかし、本作の主題は、医術はどうあるべきか、という点にあります。技術に優れるオタワル医術、穢れを嫌い身を清らかに保つことを第一とする清新教医術が、対照的に描かれます。 この点は、現代社会にも通じる問題でもあります。お薦め。 序章.リムエッルの異変/第一章.真那の故郷/第二章.秘境 花部(かべ)/第三章.鳴き合わせ、詩(うた)合わせ/終章.春 |
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