木内 昇
(のぼり)作品のページ No.1


1967年東京都生、中央大学文学部哲学科心理学専攻卒。出版社勤務を経て、インタビュー誌「Spotting」を創刊し、編集者・ライターとして活動。2004年「新撰組幕末の青嵐」にて作家デビュー。08年に発表した「茗荷谷の猫」にて注目され、09年第2回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞を受賞。11年「漂砂のうたう」にて 第144回直木賞、14年「櫛挽道守」にて第9回中央公論文芸賞・第27回柴田錬三郎賞ならびに第8回親鸞賞を受賞。


1.茗荷谷の猫

2.漂砂のうたう


3.笑い三年、泣き三月。

4.ある男

5.みちくさ道中

6.櫛挽道守


7.よこまち余話

8.光炎の人

9.球道恋々

10.火影に咲く

化物蝋燭、万波を翔る、占、剛心、かたばみ

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1.

●「茗荷谷の猫」● ★★


茗荷谷の猫画像

2008年09月
平凡社刊

(1400円+税)

2011年09月
文春文庫化



2008/10/19



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御家人を辞して植木職人となり染井吉野という新種の桜を作り上げた徳造の話から始まり、黒焼き売りの春造、絵を描く主婦の文枝、上京したばかりで借金取りの真似をさせられる旋盤工、気侭な暮らしを望む耕吉、映画館の支配人と映画好きの青年、戦地から戻った俊男、東京で母親を迎える佳代子らを描いた小ストーリィ9篇からなる連作短篇集。

幕末の江戸から戦後昭和まで、茗荷谷界隈を舞台にした幾つもの人生のヒトコマを綴ることによって、東京と、そこに暮らす庶民の生活史が描き出される、という味わいを感じる一冊。
9篇のストーリィに特に繋がりはないのですけれど、会話の中に前の篇に登場人物の話が出て来たり、住む家やアパートが共通していたりと、どこか関わり合うところがあります。
ましてや、何篇かに跨って登場する人物もいるのですから、さて9篇を結びつけるキーは何だろう?と、つい謎解きに挑むような心持ちになりますが、狭い地域で重なり合う年月があればそう不思議でないことなのかもしれません。

借金の名人=内田百、その代表作「冥途」まで登場してしまうのですから、作者の木内さん、なかなか強かです。
その他、縁の下に不気味な何物かが潜む「茗荷谷の猫」や、前の篇で失踪した人物のその後が判る「庄助さん」も中々の味わいですけれど、秀逸なのは「隠れる」の篇。
父親の資産を整理して東京で気侭な生活をと望んだのに、次々と正反対の方向へ事態が進むばかりか、最後は主人公も読み手もそろって唖然!という可笑しさ。スピーディな展開も格別です。
なお、この篇には永井荷風の隠宅と同じ“偏奇館”という名前の古書店が重要な役割を担います。

何となく面白い、何とも言えぬ味わいがある、としか言いようのない一冊。読み終えた後は、ずいぶんと長い“時の旅”をしたような気分です。

1.染井の桜(巣鴨染井)/2.黒焼道話(品川)/3.茗荷谷の猫(茗荷谷町)/4.仲之町の大入道(市ヶ谷仲之町)/5.隠れる(本郷菊坂)/6.庄助さん(浅草)/7.ぽけっとの、深く(池袋)/8.てのひら(池之端)/9.スペインタイルの家(千駄ヶ谷)

    

2.

●「漂砂のうたう」● ★★★


漂砂のうたう画像

2010年09月
集英社刊

(1700円+税)

2013年11月
集英社文庫化



2011/02/09



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直木賞受賞作だからといって必ずしも素晴らしいと思う訳ではないのですが、本作品ばかりは文句なし! 質の高さといい、含蓄の深さといい、まさに逸品です。

舞台は明治10年の
根津遊郭。主人公は、その美仙楼で客との駆け引きを行う立ち番として世過ぎしている定九郎。元百姓だと名乗っているものの、実は徳川御家人の次男。明治維新により行き場を失った人間の一人、という訳です。
江戸という社会のおかげで暮らしてきた人間にとっては、生きにくい時代だったのかもしれません。維新、明治という一見華やかな表舞台とは対照的な、裏ぶれた世界で生きていく他なくなった人間たちの姿が、ここ根津遊郭に吹き溜まっているように感じられます。
それでも、定九郎が身にまとう深い絶望感は、目を覆うばかり。いくら払おうとしても払いきれないその鬱屈感を鮮やかに描き出しているところが、圧巻。
両側を山に挟まれ谷底のような町=根津、底の底まで落ちていくだけと思い込んでいる定九郎のような人間が居つくには、いかにも相応しい舞台設定です。
そんな定九郎らと同じように人間社会の底(遊郭)まで堕ちたとは言いながら、花魁の
小野菊芳里の姿はそれと対照的です。
要は、生きる上での覚悟の有る無しの違い、なのでしょう。

その時代、その場所だからこその物語を抉るように描きながら、同時にいつの時代でも変わらぬ普遍的な人間の物語としても描き出しているところが絶品。 お薦め!です。


※なお「漂砂」とは、波浪・潮流などにより流動する土砂のこと。

             

3.

●「笑い三年、泣き三月。」● ★★☆


笑い三年、泣き三月。画像

2011年09月
文芸春秋刊

(1600円+税)

2014年05月
文春文庫化



2011/10/10



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戦後直ぐの浅草を舞台にし、吹き寄せられるようにこの街にやってきた2人の男+1人の少年を主役に据え、その移り変わりを描いた好作品。

岡部善造は、戦後の東京で一旗揚げようと上京してきた旅回りの万歳芸人。ドサ廻りのおかげで空襲や食料不足を経験してこなかったために、どこか能天気。
上野駅でその善造に近づいたのは、空襲で家族を失った活字中毒の戦災孤児=
田川武雄
その2人が浅草で出会ったのは、戦地帰りで元撮影所勤めの
鹿内光秀
その3人が浅草でも粗末な部類に入る新設劇場(後にストリップ劇場)の
ミリオン座に入り込み、敗戦直後の日々を共に暮らし、共にそこで糧を得ながら過ごしていくストーリィ。
 
どこまでも能天気な善造にひねくれものの光秀、家族と離れてしまったことに悔いを引きずる武雄と、3人それぞれ。
さらにミリオン座の小屋主である
杉浦保、エレガントな口調を崩さないが実は・・・という踊り子のふう子こと風間時子にしても、敗戦を境に生き方を変えた人物。
主役の3人に負けず劣らず、このふう子という女性の存在感が抜群で、本ストーリィを魅力あるものにしています。
戦後の混乱社会の中でもその中で自分を昇華させ活路を見出して行こうとする人間と、そうした気持ちが持てないでいる人間とでは、社会の姿は違って見えるのではないか、と思わされます。
そうした登場人物の背後にある“
エンコ”と呼ばれる浅草興業街の変化、額縁ショウ、ギリギリ・ショウ(ギリギリ露出するの意)、ストリップ・ショウへの移り変わり、また漫才界の活気、食糧事情等々の変化が描かれているのも、戦後時代史として興味深いところです。
 
題名の
「笑い三年、泣き三月」という言葉は、義太夫節の修行に使われる言葉で、人を泣かせる芸は3ヵ月で出来るが、笑わせる芸には3年かかるという意味なのだそうです。
その言葉を本ストーリィに照らすと、ただ泣いているのは簡単だが、希望をもって新しく足を踏み出す為にはそれだけの時間が必要だったのである、という風に当てはめることが出来るのではないかと思います。
理屈は不要、まず敗戦直後の社会に入り込んでみることに、本書を読む意味があります。


井上ひさし「東京セブンローズを懐かしく思い出しました。

               

4.

●「ある男」● ★★☆


ある男画像

2012年09月
文芸春秋刊

(1600円+税)

2015年10月
朝日文庫化



2012/10/20



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明治初期、新政府や県令たちの強引なやり方に翻弄される庶民群像を描いた7篇。
漂砂のうたう」「笑い三年、泣き三月。と社会の底辺に生きる人々の姿を積極的に描いてきた木内さんとしては、本書も同じ流れにある作品と思います。本書に登場するのはごく普通の人々ですから、それを“底辺”と言ってしまうのは無礼かもしれませんが、強権を振るい、反対する人たちを力で弾圧することに何の痛みも感じていない新政府や県令の姿と比較するうえでは、底辺という表現が相応しいように感じます。
 
井上馨に談判しようと南部から上京してきた鉱夫、口舌をもって新政府の中の昇進だけを考える警官、新政府に抗するための資金作りにと贋札作りを頼まれた職人、新知事と地元民の板挟みとなって自分を見失う地役人、腰の据わらない知事に呆れる県官吏、暴動を留めようと知恵を巡らす元剣客、高い志をもつ農夫と、本書に登場する庶民の姿、立場は様々です。
特徴的なのは、どの篇の主人公も基本的に名前を与えられておらず、ただ“
”と記されていること(題名の所以か)。主人公以外の登場人物は皆名前を持っているだけに奇妙ですが、特定個人を描いているのではなく、当時の社会における群像の一つを描いているという姿勢を明確にするためでしょう。

「蝉」で井上馨に簡単に会えると男が思っている部分は中々面白い。贋札作りに全力を注ぐ職人と生半可な考えで国事と言い騒いでいる男たちの対比を描いた
「一両札」にはユニークな面白さあり。
また、
「女の面」と「猿芝居」には、現代サラリーマン社会にも通じる、できない上司とそのために苦労する部下の悲喜劇という面白さがあります。
そのうえで歴史小説としても圧巻なのは、庶民の側からみた明治初期の混乱ぶりに視点を当てた
「道理」「フレーヘードル」の2篇。
明治という時代の裏面を眺める歴史小説。歴史小説としての面白さを含め読み応えたっぷり、お薦めです。

 
蝉/喰違坂/一両札/女の面/猿芝居/道理/フレーヘードル

                       

5.

「みちくさ道中 ★★


みちくさ道中

2012年12月
平凡社刊

2017年07月
集英社文庫

(520円+税)



2017/10/30



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木内さんの初エッセイ集。
エッセイ集を読むとその作家の人となり、これまでの軌跡を肌で知ることが出来る、というところが魅力なのですが、本書もまさにそうした一冊。

もっとも
「まっすぐ働く」「ひっそり暮らす」は日常ごと、周辺ごとについて語ったエッセイが中心なので、それなりに木内さんに触れたという感はあっても然程の印象はなし。
ところが、
「じわじわ読む」「たんたんと書く」へと進んでいくと、どんどん核心に触れていくという印象があって楽しめます。

「じわじわ読む」では、木内さんが感銘を受けた作品(司馬遼太郎「燃えよ剣」、林芙美子「放浪記」等)について。
その中、内田百先生の金欠病に共感を抱いているらしいコメントが愉快。

木内さんのこれまでの歩みが一篇で語られているのが、「たんたんと書く」冒頭の「いい気になるな」
高校時代はソフトボール部という体育系の部活漬け、大学卒業後出版社に入社し雑誌編集部に配属され、フリーになって何か書いてみませんかと誘われるまで、全く作家になろうなどとは思っていなかった、というところは中々楽しいです。
それなのに、どの作品も優れた小説ばかりですからねー。

「つづきの道草−あとがきに代えて」によると、人生の目標なるものを設定せず、その時々で思うところにしたがってここまできた、とのこと。いわば“道草の連続”というのが、本エッセイの題名の由来のようです。
ファンならきっと楽しめるエッセイ集だと思います。


まっすぐ働く/ひっそり暮らす/じわじわ読む/たんたんと書く/つづきの道草−あとがきに代えて

       

6.

「櫛挽道守(くしひきちもり) ★★★      中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞


櫛挽道守画像

2013年12月
集英社刊
(1600円+税)

2016年11月
集英社文庫化



2014/01/03



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幕末の木曽、中山道の宿場町である藪原宿が舞台。
その地で毎日朝から晩まで藪原名産の
お六櫛を挽き続けている職人が、主人公=登勢の父親である吾助
幼い頃から登勢は、妹の喜和と対照的に、勝手仕事より父親の板ノ間仕事の手伝いをすることが大好きな少女。
しかし年頃になるに連れ、職人を目指したい登勢の前に様々な難題が立ち塞がります。
本作品は、様々な困難や陰口に見舞われつつも、父の背を見ながらひたすらに櫛引職人の道を目指した一人の少女〜女性の姿を描いた物語。

ある事情を境に周囲から変人、いかず後家、女の癖にと陰口を叩かれ、不当な仕打ちを受け、さらには不本意なままに夫を迎えるといった不遇に負けず、父親の技を継承したいという思いを貫いた登勢。彼女は現代のワーキングウーマン、それも職人や技術者の道を選ぶ女性たちの先駆者と言えるのではないでしょうか。
また、損得について何も考えず、自分の願った道をひたすら歩もうとする登勢の生き方は、何の為に生きるのか迷い、自分の居場所を見失いがちな現代社会にその答えを示しているように感じられます。

なお、本作品においては主人公の登勢だけでなく、妹の
喜和、幼くして死んだ弟=直助、吾助の元に弟子入りした実幸、あるいは源次らをめぐる物語も無視できません。彼らもまた自分の居場所を見つけよう、掴み取ろうとしていた点で登勢と共通するのですから。

本書の最後を飾る静かさ、そこに静かで深い感動を覚えます。
是非、お薦め!


1.父の背/2.弟の手/3.妹の声/4.母の眼/5.夫の才/6.源次の夢/7.家の拍子

  

7.
「よこまち余話 ★★☆


よこまち余話

2016年01月
中央公論新社

(1500円+税)

2019年05月
中公文庫



2016/02/16



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長屋、路地、お針子仕事、本小説は古き時代(戦前?)に設定されているらしい。
主な登場人物は、この長屋でお針子仕事をしている30代半ば?の女性=
齣江(こまえ)、その向かいに住むトメという老女、近所で魚屋を営むおかみさんとその息子の浩一・浩三兄弟、齣江の元に注文された糸を届ける糸屋の青年という面々。

この長屋を主舞台にごく日常的な生活風景が描かれていくのですが、その日常光景の中に何気なく異次元世界に通じているのではないかと思われる瞬間、光景が入り込みます。
でもそれは決して禍々しいものではなく、むしろ穏かに共存していると言えます。まして魚屋の浩一・浩三兄弟について言えば、それぞれを励ましているかのような気配が窺えます。
齣江という一人暮らしの女性、その向かいに住むトメという老女の2人は親しげですが、果たして2人は現存する人物なのかどうか・・・・。

本作品の中に描かれる空間、たおやかで、とても居心地が良いのです。読んでいるこちらの胸の内にまでその気持ち良さが伝わって来るようです。
現世界、現時点だけに捉われず、他の異次元空間にも繋がっていることが示唆されているからでしょうか。何やら伸び伸びできる居心地良さなのです。

連作風の掌篇が積み重ねられ、その結果としてひとつの作品が成り立ったという風。
穏かで、こじんまりとして、それでいて深く懐に包み込むような居心地良さのある、大人向きに少々幻想的な寓話集と言って良いでしょうか。
※最後の新たな出会い場面は、絶品と言いたいくらい嬉しい。


ミカリバアサマの夜/抜け道の灯り/花びらと天神様/襦袢の竹、路地の花/雨降らし/夏が朽ちる/晦日の菓子/御酉様の一夜/煤払いと討ち入り/猿田彦の足跡/遠野さん/長と嵩/抽斗のルーペ/まがきの花/花よりもなほ/夏蜜柑と水羊羹/はじまりの日

  

8.
「光炎の人 ★★☆


光炎の人

2016年08月
角川書店刊
上下
(各1600円+税)

2019年09月
角川文庫
(上下)



2016/09/20



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徳島の貧しい煙草農家の3男に生まれた郷司音三郎が本書の主人公。
明治34年、12歳の時、幼馴染の
大山利平が働き始めた池田の煙草工場で煙草切りの機械を目にした時から、音三郎は機械、それを動かす電気の虜になります。
明治末期から大正〜日中戦争直前の昭和の時代まで、電気技術に捕われた音三郎の、身を焼き尽くす怒涛のような生き方を描いた長編。

音三郎の始まりは、電気が来たらみなの暮らしが楽になる、電気からきっとそれを叶えてくれる、という思い。
上巻は、そんな音三郎が生家を出て池田の煙草工場を皮切りに、大阪の工場へと移り、独学で電気を極めていくストーリィ。
そして下巻で音三郎は、大阪から東京の研究所へ転進し、さらに満州へと足を伸ばします。

前半は、音三郎がどんな可能性を切り開いていくのかと、音三郎の熱情に引きずられるようにして一気読み。そして後半では、狂気の如き音三郎の悲痛な運命にいたたまれず、早くこの物語から脱したいという思いでやはり一気読み。

技術の発展は善か悪か。それも本物語のひとつのテーマだと思いますが、技術が全てで良いのかどうか、と問う物語であったと私には思えます。

音三郎にとって不幸だったことは、技術ではなく、人間としての成長を指導してくれる人物に巡り会えなかったこと。

技術発展の是非、人間の真価とは・・・。自分こそ正しいと思い込んだ人間たちが刻んだ大きな時代のうねりを、まざまざと描き出した渾身の力作。お薦めです。

        

9.

「球道恋々 ★★★


球道恋々

2017年05月
新潮社刊

(2100円+税)

2020年04月
新潮文庫



2017/06/28



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明治39年、草創期の日本野球に熱中する人々を描いた物語。

まず前半の舞台は、我らこそ学生野球の第一人者と強烈に自負していた
一高野球部が主舞台。
自負は衰えないものの実力が低下しつつある現野球部を憂慮したOBからコーチに引っ張り出されたのが、今は零細業界紙の編集長をしている
宮本銀平。この銀平がコーチになっても何となく遠慮がちなのは、現役当時ずっと補欠に甘んじていたから。
この一高野球部がとかく敵愾心を燃やすのが、かつては負けることなどありえなかった京都の
三高野球部
負けたら詰め腹を斬らせるとか、京都へ試合に出向くのを「都落ち」と言って嘆くとか、苛烈過ぎて仰け反る程可笑しい。

後半になると、当時「海底軍艦」等の冒険小説で人気作家だった
押川春浪が登場。彼の人もまた熱烈な野球好きで「天狗倶楽部」という野球チームを結成、銀平もまた引っ張り込まれます。
そこからは真剣勝負の学生野球と、春浪の好きにやりたい野球が並行して進みますが、そんな彼らの前に立ちはだかるのが野球など学生にとって害毒以外に何物でもないという
“野球害悪論”
主張者はあの
新渡戸稲造(巾着切りの遊戯)であり、それに組して東京朝日新聞が甚だしく害悪論のキャンペーンを張る、という次第。
そこにおいて、野球とは何ぞや、人生における野球の意味とは、という考察がストーリィ中において進められていきます。

地下足袋を履いての野球とか、野球害毒論の広がりとか、現在からすると信じられないような事々も描かれますが、それがあるからこそまた楽しき哉。
野球の中には人生の大事なものがいっぱい詰まっていた、という弁が語られますが、理屈ではなく、実体験としてそう語れるまでのストーリィとも言えます。
そう、本ストーリィの中には価値ある人生訓がいっぱい詰まっているのです。

主人公である銀平の他、その女房である
明喜(めき)や幼友達である良吉のキャラクターが実に好い。また実在の人物だという押川春浪や稀代の名選手だったという守山中野といった一高OBらのキャラおよびエピソードも楽しい限り。

とにかく最初から最後まで楽しく、中身も実に濃い、野球&人生ストーリィ。傑作といって過言ではありません。お薦め!


1.向陵健児意気高し/2.我が行き方は潮ぞ高き/3.旧き都に攻め入りて/4.世の人皆は迷うとも/85.剣と筆をとり持ちて/6.聞かずや空の球の音

                

10.
「火影(ほかげ)に咲く ★★☆


火影に咲く

2018年06月
集英社

(1600円+税)

2021年08月
集英社文庫



2018/07/25



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幕末を彩った志士、新撰組らの人々について、女性との関わりという舞台設定の上で、一人の人間としての側面を描いた短篇集。

高杉晋作や沖田総司、坂本龍馬という名前が登場すれば、歴史物語としては激動の時代における興奮尽きないストーリィとなるのでしょうけれど、本作においては彼らもまた一人の個人であるという視点から描かれています。
そうした視点から彼らを眺めると、激動の時代だからこそ個々の幸せを確かなものとして掴み取ることができない、そんな哀切感が本作には漂っています。

本書6篇の中で特に印象に残ったのは、相手となった男の生き方にまるで対抗するかのような生きっぷりをみせた女性を主人公にした
「紅蘭」「春疾風」の2篇。

また、坂本龍馬に対抗心を燃やしながら最後には敗北感に苛まれる岡本健三郎を描いた
「徒花」は、龍馬の奔放な魅力という面白さの一方、健三郎の凡人ぶりを共感させられて面映ゆい。

“人斬り半次郎”と称された中村半次郎の切ない胸の内を描いた
「光華」は、本短篇集の最後を飾るに相応しい、見事な一篇。

どの篇も、短篇という枠を超えた広がりをもつ短篇集。
お薦めです。

・「紅 蘭」:詩人の
梁川星巌と、その妻である紅蘭
・「薄ら陽」:長州藩士の
吉田稔麿と、料亭若女将のおてい
・「呑 龍」:
沖田総司と、同じ労咳の老女=布来
・「春疾風」:
高杉晋作と、祇園の人気芸子=君尾
・「徒 花」:
坂本龍馬・岡本健三郎と宿屋の美貌の娘=タカ
・「光 華」:
中村半次郎と村田煙草店の娘=おさと

紅蘭/薄ら陽(うすらび)/呑龍/春疾風(はるはやて)/徒花/光華

    

木内昇作品のページ No.2

         


   

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