姫野カオルコ作品のページ No.3



21.ほんとに「いい」と思ってる?

22.ツ、イ、ラ、ク

23.

24.ハルカ・エイティ

25.コルセット(文庫改題:お金のある人の恋と腐乱)

26.ああ正妻(文庫改題:結婚は人生の墓場か?)

27.すっぴんは事件か?
   (文庫改題:ジャズをかける店がどうも信用できないのだが....。)

28.もう私のことはわからないのだけれど(文庫改題:風のささやき)

29.リアル・シンデレラ

30.ああ、懐かしの少女漫画


【作家歴】、ひと呼んでミツコ、ガラスの仮面の告白、A.B.O.AB、変奏曲、ドールハウス、喪失記、H(アッシュ)、ブスのくせに!、終業式、バカさゆえ・・・

→ 姫野カオルコ作品のページ bP


不倫(レンタル)、受難、初体験物語、みんなどうして結婚してゆくのだろう、整形美女、蕎麦屋の恋、すべての女は瘠せすぎである、サイケ、特急こだま東海道線を走る、よるねこ

→ 姫野カオルコ作品のページ bQ


昭和の犬、近所の犬、部長と池袋、謎の毒親、彼女は頭が悪いから、何が「いただく」ぢゃ!、青春とは、悪口と幸せ

→ 姫野カオルコ作品のページ bS

   


   

21.

●「ほんとにいいと思ってる?」● 


ほんとに「いい」と思ってる?画像

2002年09月
角川文庫刊
(457円+税)


2002/10/11

1991〜2002年にわたる長期間、あちらこちらの雑誌等に掲載したエッセイをとりまとめ、加筆訂正して1冊にしたエッセイ集だそうです。
ですから、話題として結構古い。また、映画に関するエッセイが多いことも特徴。
映画については、総じて一般的に評価が高かった作品が、ヒメノ式視点からみると、なんでこんな作品が人気あるのぉ〜?、ということになってしまう。
そこに姫野ファンの大いなる楽しみ、期待があるのですが、正直言って本書にはいつものキレがない。
ウ〜ン、姫野エッセイを読みなれてしまった所為なのか、それとも本書エッセイの賞味期限切れの所為なのか。その結論を出すためには、次回の新エッセイ集刊行を待つほかないでしょう。
ご本人筆名の「耐えられない軽さの重さ」を語る部分に注目しましたが、それにしても「ヒメノばあさん」「カオルコばあさん」とかそこまでご自分を揶揄しなくても...。

ブランドの烙印/やっかいな自意識/意義あり!/オススメ

    

22.

●「ツ、イ、ラ、ク」● ★★★


ツ、イ、ラ、ク画像

2003年10月
角川書店刊
(1800円+税)

2007年02月
角川文庫化



2003/12/07



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「今年度最強の恋愛文学」という帯文句に何と大袈裟なと思いつつも、姫野さんの渾身の恋愛小説という点に惹かれ、読み始めた一冊。
しかし、読み終える頃には、ただもう圧倒され、茫然とするばかり。たっぷりとしたその読み応えに、絶品!という他ない心持ちです。“最強”という帯文句は少しも誇張ではありません。

ストーリィは、小学生の頃から始まり、中学生時代を中心にその20年後まで。となれば、普通は清く少女らしい恋愛小説になる筈ですが、著者が姫野さんとなればそうはいきません。
小学生の時から、女の子は既に“女”らしく、仲間内同士の駆け引きあり。建前と本音があれば、常に本音の姿が当たり前とばかりに描く姫野さんの凄さ、魅力がそこにあります。
さらに、官能への興味から、官能の目覚め、性愛から真実の愛へという展開に、何度絶句したことか。
本書は、主人公・森本隼子のみならず、彼女の同級生たちの平凡に辿る恋愛模様を群像的に描くストーリィでもあります。
彼女等の20年後を描くエピローグも上質。手放したくなくなる恋愛小説と言えるでしょう。

佐藤多佳子「黄色い目の魚」、森絵都「永遠の出口と並べたい作品ですが、この恋愛小説を良しとするかどうかは好み次第。
姫野作品の中では終業式の延長線上にある作品とも感じますが、「終業式」が青春小説であるのに対し、本書は変奏曲に続く本格的な恋愛小説です。
なお、「OS」「ごみ箱」「log」 とか、姫野さん独特のユーモラス、解説風な表現は、相変わらず楽しい。

※本書題名は、石ノ森章太郎のマンガ「サイボーグ009」で、009と002が抱き合って空から落ちてくるシーンからきているそうです。なんともはや。

 

23.

●「 桃 」● ★★


桃画像

2005年03月
角川書店刊
(1400円+税)

2007年07月
角川文庫化



2005/04/16



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「わたしたちはさんざんいやらしいことをしてきた」というのが帯のPR文。
「桃」という題名といい、多少官能的な要素ある短篇集と思って読み始めたのですが、すぐにあのツ、イ、ラ、クと関わりあるストーリィと気づき、愕然としました。
姫野さんのあとがきを読むと、「ある長編小説と対になっています」とある。
そう、本書に収められた6篇はいずれも、「ツ、イ、ラ、ク」森本隼子河村礼二郎と、長命中学校の時間を共有していた同級生たち、あるいは教師を主人公にしたストーリィなのです。
そして、その時代を描くのではなく、今の時間からあの時代を思い返すという形で描かれています。

中学時代は、男子も女子も性に目覚める頃。しかし、そんな当たり前のことがこれまで余り書かれることはなかったと、本作品を前にして思います。
そして6つの物語において、隼子と河村のことが実際に関わりあったこととして、あるいは単なる噂話として知ったこととして書かれます。
隼子と河村を直接知っていたかどうか、噂を信じたかどうかも人それぞれ。同じように、性への関わりも過してきた時間も、人それぞれ様々であることが描き出されます。

長編小説を読んでいなくてもかまわないと姫野さんは言っていますが、「ツ、イ、ラ、ク」を読んでいるからこそ本書の印象もまた鮮烈なのです。
「高瀬舟、それから」は「ツ、イ、ラ、ク」の一部分を切り取ったような短篇。隼子と河村の2人が同僚、同級生に囲まれてしまった故のもどかしい思いは、短篇の枠を超えた読み応えがあります。最後の「桃」も、その後の隼子を描いた一篇。
本書は、2人が当時周囲からどう見られていたかを描いたサイド・ストーリィという要素もあり、「ツ、イ、ラ、ク」ファンには見逃せない短篇集です。

卒業写真/高瀬舟、それから/汝、病めるときも すこやかなるときも/青痣/世帯主がたばこを減らそうと考えた夜/桃

 

24.

●「ハルカ・エイティ So Happy life in case of HARUKA 」● ★★


ハルカ・エイlティ画像

2005年10月
文芸春秋刊
(1900円+税)

2008年10月
文春文庫化



2005/11/20



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あとがきによると、「ノンフィクションではないが、実在の人間の、戦場での体験をはじめ、事実をもとにした小説である」とのこと。
姫野さんには、見ているだけでなぜか励まされる伯母がいるという。「なぜだろう」と思ったことが本作品を書くきっかけになったそうです。

主人公の持丸遥(結婚して小野姓)は1920年(大正9)生まれ。本書は、戦前・戦中・戦後という時代を平凡かつ明るく生きてきたハルカという女性の物語です。
80歳を超えた伯母ハルカは、何故今もなお颯爽と若々しく、未だ男性にモテモテなのか。本書はその理由を紐解く物語と言って良いでしょう。
ごく普通の女性の人生物語ですから、全体を通じて大きな起伏がある訳でなく、途中ダレてしまったこともあります。それでも、娘時代から祖母と呼ばれる現在までを描いた物語ですから、読み応えはたっぷり。
ちょっと感覚がズレていてあっけらかんとしてるところは、姫野さんの登場人物に共通したところ。そんなハルカという女性を生物学的に観察し、戦中の夫婦の営みを「きわめて無味乾燥な実務だった」と表現してのけるのが、姫野さんならではの愉快なところです。
また、度々「200X」年の女性と比較し、当時と現代の女性のセックス観を対比してみせる辺りは、性風俗比較論の解説付きとでも言ったら良いのでしょうか。
さらに、姫野さん自身がモデルと思われる姪・秋子の風変わりな感性もオマケ的な楽しい部分。
読み終えた後は、死ぬまで人生は決して終わりじゃない、いつも颯爽としていようと、ハルカさんに励まされる気分です。

ハルカ80/少女/女学生/花嫁/姑/若奥様/母/女教師/人妻/娘/娘・その二/恋人

    

25.

●「コルセット LE CORSET 」● 
 (文庫改題:お金のある人の恋と腐乱)


コルセット画像

2006年09月
新潮社刊

(1300円+税)

2009年05月
新潮文庫化

2014年11月
徳間文庫
(改題)



2006/10/18

セックスを斜に眺めているような4人の女性を描いた短篇集。4篇の主人公の間には何らかの繋がりがあり、連鎖していくような展開に特色があります。

冒頭「反行カノン」は、親に命じられるまま結婚した夫は不能者で、夫に勧められた相手と性関係を重ねる田鶴子が主人公。
その田鶴子がむしろ熱を入れたのは、夫が選んだメンバーではなく彼女自身が見つけた相手だったという落ちが楽しめる。それでも、その年下の青年に田鶴子が深入りすることはない。青年のために自ら別れを告げるという行為にこそ田鶴子の快感があるようです。
次の「フレンチ・カンカン」は田鶴子の義妹・が主人公。栞の夫は同性愛者で、セックスのない夫婦関係に栞は満足している。
「三幕アリア」は当初高校生、後半大学生となって登場する牧子が主人公。彼女は田鶴子と義妹の家に通う家政婦・武田の義理の娘。女子高生であることに性的商品価値があると思っていたのに逸らされたことからかえって自分を売ろうとする。
最後の「輪舞曲」は田鶴子の遠縁であるが主人公。先の3篇に登場した人物が何らかの形で関わってくる展開が、本書の最後を飾ります。

セックスを物理的な行為としてしばしば捉える姫野さんらしい局面もありますけれど、総じては姫野さんにしてはちと珍しいタイプの短篇集です。姫野さんらしさの延長に生まれ得るストーリィではありますけれど、表面的に見てしまえば私にとって退嬰的で鬱陶しいストーリィでしかありませんでした。

反行カノン/フレンチ・カンカン/三幕アリア/輪舞曲

 

26.

●「ああ正妻」● ★★
 
(文庫改題:結婚は人生の墓場か?)


ああ正妻画像

2007年03月
集英社刊
(1600円+税)

2010年04月
集英社文庫化



2007/04/20



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主人公の小早川正人はいつも他人に対しておどおどした態度をとるのが欠点ですが、顔立ちは整っているし、老舗出版社の編集者で高給取り。会社の福利厚生は充実しているうえに本人の能力も人並み以上なのですから、もっと堂々としていれば良いのに何故こうもおどおどしているのか。
そんな小早川、見事にぶりっ子・雪穂の罠にはめられ、デキチャタ婚。クリスチャンだから・・・なんて、まるで探知機も持たずに地雷原へ足を踏み込むようなものではないですか! 余りの無防備さに呆れ、結婚後の雪穂の豹変ぶりに一方的に押しまくられる主人公に呆れ、歯噛みし、放り出してやろうかと思うものの、結果的に貪り読んでしまうという一冊。
ごくフツーに結婚しただけなのに、なんでここまで小早川は妻の横暴に忍従しなければならないのか。そして何故に雪穂はここまで傍若無人に振る舞うのか?、というストーリィ。
この小早川家の妻+娘に請われて買ったチワワ犬(ジョイフルと名づけられます)の運命にはもう唖然。なんて酷い!
時に真実は嘘より信憑性において劣るというのが、姫野さんのプロローグの言。

しかし、これだけで終わらないのがヒメノ節。
後半の章は、小早川と仕事上で親交のある川田教授を主役にして「しこめのいいわけ」というベストセラー(酒井順子「負け犬の遠吠えがモデルに違いない)を座標軸上で分析さえ、論評させてしまう。これがまた「負け犬」の優越性を肯定する内容となっているうえに、小早川夫婦の分析にもなっているのですから、あっという面白さです。
その他、小早川の先輩社員でブ男のくせにモテモテという吉見の謎、雪穂の同僚だったミコの結婚・恋愛の相違観も披露され、その余りの直截さには笑ってしまう。
しかし、ファンとして見逃せないのは、冒頭から登場する瓶野比織子(かめの・ひおるこ)という作家の存在。なんとまぁ、自分まで登場させてしまうのか、という面白さ。
その瓶野の「しこめのいいわけ」に対する感想が面白い。川野教授をして、作家のくせにひどい誤読だ!と驚かせるのですから。

“負け犬”になれない女性たちの結婚信仰の心底をヒメノ風に誇張(姫野さんに言わせればこれこそ真実か)して描いた作品かと思えば、予想もしなかった「負け犬」論を小説形式にて後半に加え、さらに姫野式分析をあちこちに散りばめるという、多層にわたる面白さ。
久しぶりに姫野さんならではの痛快さ、面白さ、堪能しました。

 

27.

●「すっぴんは事件か?」● ★☆
 (文庫改題:ジャズをかける店がどうも信用できないのだが.....。)


すっぴんは事件か?画像

2008年11月
筑摩書房刊

(1400円+税)

2012年09月
ちくま文庫化



2008/11/29



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相変わらず、普通の人とは違ったところから発想してくるので、姫野カオルコさんのエッセイは楽しい。
ちょっと読書疲れしているような今、大いに気分転換ができ、また本を読もうという意欲が湧いてくるような、私にとっては有難いエッセイ本です。

「いつも危険日」は、女性はどこにエロを感じるのか?を追求していったようなエッセイ。
「実用書」といわれるエロ本の研究を通じ、女性のエロに必要なアイテムは○なのか?!と発見したり、女性の胸をどう表現するかは用語が少ないためにいつも私の悩みであると言いつつ興奮が盛り下がる表現を披露、楽しいなぁ。

「媚びれ!」に至ると、やたら自分は“初老”であると連発!
彼の名作ツ、イ、ラ、ク「自分が初老になったからこそ、全身全霊をかけて書けた長編の恋愛小説だった」とまで言う。
おい、おい、おーい、おいっ! 姫野さん、まだ私より年下なんだよっ。
表題になっているエッセイは、この章の中。
“すっぴん”ってただ化粧しないってだけのことでしょ、それが重大なことなのか、なんであんなにも重大視するのか、という姫野さんの展開する疑問。
さらに、この九年間一日も化粧したことがない、取材を受けて写真を撮られるときもしていない、というのですが、そんな人って普通いませんって。まぁ化粧に疎い男性読者の感想に過ぎませんけど。
すると7年前、某書店でのサイン会に行った時会った姫野さん、すっぴんだったのかなぁ。きれいでそうとは思えなかったけど。

「いかがなものか」では、現在の最初に単行本、3年後に文庫化というパターンを逆転させて、最初に文庫本、その後に解説・対談も加えて愛蔵版として単行本化、というアイデアを披露。
なるほどなぁ。でもそれだと私みたいに図書館依存派は困るんですけど。また書店は喜び、作家も喜ぶかもしれません。しかして姫野さんは作家の一人であると気づくのです。

斯くも楽しく、憂き世離れできる一冊。是非読んで楽しんでくださいませ。

いつも危険日/媚びれ!/いかがなものか

  

28.

●「もう私のことはわからないのだけれど」● ★☆
 (文庫改題:風のささやき−介護する人への13の話−)


もう私のことはわからないのだけれど画像

2009年06月
日経BP社刊
(1200円+税)

2011年07月
角川文庫化


2011/10/26


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父親、母親、舅、姑等の介護に明け暮れた人を主人公にした13の物語。
素直に読むとノンフィクションとしか思えないのですが、フィクションなのだとか。
介護をテーマにした短篇集、13篇。

13篇全体の傾向を見ると、若い時から介護に追われ、仲間や友人との付き合いも十分にできず、変わり者扱い。でも年を取ると、やっと介護を理由にして付き合いを断ってもすんなり受け入れられるのでホッとする・・・、介護(相手の死により)が終わってやっと開放された気分・・・等々。
いずれ介護という問題に向き合わなければならない、と思うし、他人事ではない、と思うので、そういう気持ちで読むのですが、どこか他人事に感じられる物語であることも事実。
辛い、悲惨、耐えられないという雰囲気は余りなく、どこかとぼけた味があるのは、やはり姫野さんらしいところと思う次第。

現代ノンフィクションらしいフィクション、という一冊。

同窓会−本多彩子(静岡県44歳)/やきめし−長森美智子(群馬県53歳)/エリザベス一世−内藤伸治(神奈川県49歳)/ハッスル−保木本ゆり(鳥取県44歳)/夢の超特急−水野千春(愛知県45歳)/衣斐さんと、衣斐さんの奥さんのこと−加藤麻菜(岐阜県22歳)/年をとってよかったこと−佐伯理恵(埼玉県50歳)/横浜なんかに住んでてすみません−赤江朋子(神奈川県43歳)/偽善者−越智淑絵(愛媛県47歳)/ぱたぱた−菊池典子(岩手県44歳)/スペイン語/嫁/三十六年

        

29.

●「リアル・シンデレラ Real Cinderella」● ★★


リアル・シンデレラ画像

2010年03月
光文社刊
(1700円+税)

2012年06月
光文社文庫化



2010/04/20



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「シンデレラ物語」の向こうを張り、真の幸せとは何か? ひとりの女性の人生を通して語った長篇小説。

本人はいたって真面目なのだが、普通の人とはかなり感覚がズレているので、いつも浮いてしまう、食い違ってしまう、という姫野さんらしいキャラクターの持ち主が、本作品の主人公=倉島泉(せん)、1950年生まれ。
諏訪にある料理屋兼旅館「たからや」。家族で経営するその家で妹夫婦の長女として生まれるが、両親は1年後に生まれた病弱で美人、聡明な次女=深芳ばかりを愛する。
深芳は新調の洋服を買ってもらうのに、泉はいつもお下がりの古着ばかり。まさに生まれながらにして“灰かずら姫”といった位置づけです。その後も、すべからく泉は両親から放っておかれ、あるいは後回し。それなのに泉、妹を恨むどころか、むしろ妹のために喜び、自分が犠牲になっているとは露とも思わない。

現代感覚からすると確かに、シンデレラって幸せを手に入れた女性と言えるのだろうか?と思うところがあります。要は、金持ちの息子に見初められ、嫁に迎え入れられただけのこと。男に全面的に依存してしまう人生が、女性にとって幸せとは限らないというのは、現代ではもはや常識と言って良いのではないか。
シンデレラと意地悪な継母、義姉たち、彼女たちの価値観はまるで異なるところないのです。
その点、倉島泉はシンデレラとは対極にいる女性。次から次へと泉にとっては気の毒なことばかりというのは、世間の考え方。泉自身は、全くそんなことは感じていない様子。
泉自身は、他の人とは全く別の幸福観を持っていて、むしろ幸せでいるようなのです。
東京で、深芳と泉の両方を知った人物の感想が印象的。諏訪では美女と暗い無表情な女、という2人の人物像が、ただ可愛いだけの女と目の覚めるような美人、と一転してしまうのですから。
それ即ち、自立し自身に充足している女性の美しさか、と思う次第。
結局、幸せかどうかは自分次第、自分の価値観によるものであって、他人の価値観によって決まるものではない、足ることを知ることこそ幸せではないか、というのが本ストーリィから読み取れるメッセージ。

そうした理屈は別にして、本作品、読んでいてとても面白いのです。姫野作品では時に主人公のキャラが立ち過ぎて、ストーリィを引っ張られてしまうことがあるのですが、本作品では、主人公のキャラとストーリィがピタッと嵌った感じ。
何も考えず筋だけ追って読んでも十分楽しめるのですが、シンデラ物語と比較しながら読めばさらに味わい深い、という魅力ある作品。姫野ファンはどうぞ読み逃しなく。

                

30.

●「ああ懐かしの少女漫画」● 




2010年10月
講談社文庫刊
(648円+税)


2011/11/22


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姫野さんが、幼い頃に親しんだ少女漫画について、驚異の記憶力で語った一冊。
帯にある雑誌「なかよし」の表紙絵、目次にある少女漫画家の名前からして、さすがに中身に縁無いなぁとは思ったものの、著者が姫野さんだからこそ思い直して読んでみた、という次第。

しかし、やはり縁がないというのはどうしようもない。姫野さんの語っている漫画のこと、殆ど知らないのですから懐かしさもなし。
ただ、私が少女漫画に縁がなかったかというとそうでもなく、妹が昔買っていた「少女フレンド」「マーガレット」読んでいました。
里中満智子さん等々、中でも大和和紀さんは好きな漫画家でしたし、あと飛鳥幸子「怪盗こうもり男爵」等も懐かしいところ。楳図かずお「ミイラ先生」はホント怖かったですねぇ。スポーツものでは「アタック No.1」、これはかなり読みました。
姫野さんとは年齢が近いのですが、親しんでいた漫画にかなりズレがあるのは、親しんだ時期が異なっていた、ということなのでしょう。

※本書に取り上げられた少女漫画家のうち私として覚えがあるのは、楳図かずお、忠津陽子、大和和紀ぐらいです。

    

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