9月6,7日(兜沼→稚内・ノシャップ岬) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全駅間歩き7,8日目(33.1km+4.5km) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
残る駅は4つですが、30km以上歩かなければなりません。 特に、抜海−南稚内間は、 筬島−佐久間に次ぐ長い駅間であり、 まだまだ油断はできません。 昨日早く寝たためなのか、 用意していた衣類だけでは寒さを防ぐことができなかったのか、 朝の5時に寒さを感じて目が覚めてしまいました。 昨日は22時前には寝ていたので、 それでも7時間は寝ていたことになります。 外は明るくなりかけていましたが、 昨日から降り続く雨はまだやんでいませんでした。 むしろ雨脚が強くなっているようにも感じられました。 昨日買ったサンドイッチを食べているうちに、 時刻は7時半になろうとしていました。 外の雨は相変わらず降り続け、弱まる様子はありません。 雨脚が弱くなるのを待っていたのですが、 ![]() しぶしぶ出発準備をすることにしました。 レインコートを着込んで兜沼公園(キャンプ場)を後にします。 このキャンプ場は飛び込みで入ったわけではなく、 あらかじめ予約をしていました。 それにも関わらずキャンプ用品を前日に送り返していたのは、 今考えれば愚策以外のなにものでもありません。 そんなことをしてなければ、 もっと快適な一夜を過ごすことができたのにと思うと 悔やまれて仕方がありません。 |
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昨日の夕方、兜沼駅に向かったルートと同じ道を進みます。 兜沼駅を遠目に見て、集落の中心道路と思われる道道に沿って北に進みます。 兜沼の集落は、人口100〜200人程度の集落だそうですが、 特急が通過する駅の中では比較的しっかりとした集落です。 昨日お世話になった足立商店を通過すると、まもなく集落を抜けます。 集落を抜けると、あたりは牧草地帯となり、丘陵地らしい上り坂が続くようになります。 ![]() 小高い丘を登り終えると、 稚内市のカントリーサインが見えてきました。 いよいよ、最後の市・稚内市に突入です。 …お世辞にも交通量が多いとはいえない道道にも、 しっかりしたカントリーサインがあるのは素敵です…。 昨夜から降り続いた雨も、ようやく弱くなってきました。 しかし、時折青空は見えるものの、なかなかやんではくれません。 |
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稚内市に入ってから歩くこと30〜40分ほど、いよいよ勇知の町に入りました。 勇知も比較的まとまった集落で、小学校や郵便局、スーパーやガソリンスタンドといった 生活に欠かせない施設が一通り揃っていました。 勇知駅は、そんな集落の奥にひっそりと建っていました。 勇知駅は、貨物列車の車掌車を改造した待合室が設置されている駅です。 こういったタイプの駅の中では、勇知駅は「日本最北」の駅となります。 待合室の中には駅ノートが設置されていたのですが、 1冊目ですら半分も書き込みが無いにもかかわらず、3冊目まで用意されていました。 この勢いだと3冊目がいっぱいになるのはいつの日になるんだろうか…。 駅マニアがこぞって訪れる糠南のような駅でも、そんなに凄い勢いで書き込まれる訳ではないのに…。 さて、このまままっすぐ抜海に向かっても良かったのですが、 2日前に下沼駅で見かけた観光案内でマークしていた場所があったので、寄り道することにしました。 来た道を勇知集落の入口にあたる踏切まで戻り、砂利道に入ります。 その先にある建物が目的地です。観光農園「悠遊ファーム」です。 到着した時は、ちょうどお店の方が「営業中」ののぼりを立てているところでした。 この「悠遊ファーム」には喫茶店が併設されています。 中二階の喫茶スペースに案内され、暖炉をつけてくれたのですが、その暖炉がなかなかつきません。 どうやら今シーズン最初の暖炉だったようで、まだ燃えかすが残っていたようです。 このときは、勇知いもドーナツ2つと紅茶を注文しました。 「勇知いも」は、勇知周辺でとれるじゃがいものことで、 かつては全道のみならず全国で高級品として扱われていたそうです。 前日から暖かい物を一切口にしていないこともあり、暖かい食べ物・飲み物はとても美味しかったです。 ドーナツを食べ終えた頃に、摘み立てのプチトマトを皿いっぱいに持ってきてくれました。 このプチトマトもとても甘くて美味しかったです。 久しぶりにネットで調べてみると、喫茶店は「キッチンゆうゆう」というそうです。 今は、農園で栽培された野菜を使ったピザやハンバーグ、オムライスといったメニューもあるそうです。 訪れた時に食べた「勇知いもドーナツ」も扱っており、昔よりもメニューが増えたようです。
気がつくと11時半近くになっていました。 気を取り直して抜海駅に向かうことにしました。 勇知の町を抜けると、 再び林と牧草地からなる丘陵地にさしかかりました。牧草地では牛が放牧されていました。 道の両側が牧草地という場所もあり、左の写真のような標識も所々に立てられていました。 本当にあり得そうに感じられるのは、 周囲が牧歌的な雰囲気だからでしょうか。 ![]() ゆるやかな丘陵を越えると、視界が開けたところに出てきました。 視界の先にも牧草地が続きます。 朝からの雨もやみ、青空が広がってきました。 視界のはるか先には、宗谷湾と宗谷丘陵が見えました。 ゴールが間近に迫ってきたと感じました。 丘陵を越え、しばらく歩くと抜海駅に到着しました。 駅は抜海集落から2km近く離れたところにあり、 抜海の駅前には民家が2軒あるのみでした。 |
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抜海駅は、最北の無人駅であり、木造駅舎が残る最北端の駅です。 しばらく停車する列車もないためか、駅構内に人の気配はありませんでした。 駅のホームを歩き回っていると、列車接近の警報音が鳴り、 稚内行きの「スーパー宗谷」がのっそりとした速度で通過していきました。 空を見上げると、晴れ空に綿雲が気持ちよさそうに泳いでいました。 朝方の雨が嘘のような、すがすがしい天気です。 |
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さて、もう少し休憩できそうなので駅舎に戻ることにします。 駅舎のホーム側入口には、大きく「抜海駅」と記された「看板」があります。 この看板、単に筆で書かれたものでなければ、黒い板を彫って作ったものでもありません。 貝殻を寄せ集めて作られているのです(確かそのはず。違ってたらごめんなさい…)。 ホーム入口の扉を開けると、待合室との間に扉で挟まれた小さな待合スペースがあります。 抜海駅周辺は、冬場は北海道有数の地吹雪の名所として知られています。 このような「二重防備」をしていないと待合室まで雪が吹き込んでしまうのでしょう。 もちろん正面入口も「二重防備」です。 待合室には、駅ノートが備え付けられていました。 抜海駅は、最北の地を目指す者が集う場所としても知られています。 旅行途中にふと立ち寄った人から、流浪の果てに流れ着いた人まで 様々な人が抜海駅まで来た思いを駅ノートに綴っていました。 駅は昔から出会いと別れの場と言われていますが、 抜海駅は無人駅になってもなお、人間交差点としての役割を果たしているようです。 (そんな「人間交差点・抜海駅」を、ちょっと前のドキュメンタリーで取り上げていましたよね。) |
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次の駅に向けて歩き始めることにしました。 次の駅は、南稚内。いよいよ、稚内の中心市街に入ります。 抜海から南稚内までは歩行距離で約13km。 今回の全駅間歩き2番目の長距離駅間で、やはり大変な距離ですが、 これまで歩いてきた距離を考えると、たいしたことのない距離に思えてしまうので不思議です。 抜海駅からまっすぐ続く道を進むと、日本海が目前に現れました。 数日ぶりに見る海は驚くぐらい目に青く映りました。 左手には抜海集落、その奥には利尻富士がそびえ立っていました。 利尻富士とはもちろん海を隔てているのですが、実際に見ると写真以上に大きく見えました。 そして、右手にはこれから向かう稚内市街へと続く道がはっきりと見えました。 ![]() 足の痛みはピークに達していました。 両足ともに豆ができ、歩く度に痛みが襲ってくるような状態でした。 それでも北へ北へと足を進めていきました。 途中の道端で休憩していると、 何組かのライダーが稚内へ向けて走り去っていきました。 彼らの旅も、そして自分自身の旅も大詰めを迎えていました。 ただただ北へと歩くこと約2時間。 ようやく稚内市街の入り口・坂の下に到着しました。 |
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坂の下からは、一気に丘陵を登り、丘陵の反対側に広がる稚内市街を目指します。 頂点付近にある夕陽ヶ丘展望台から南を見渡すと、抜海の集落とおぼしき場所が遙か遠くに見えました。 西の方に目を向けると、海の向こうに利尻富士と礼文島が見えました。 西日が少しずつ傾き始めています。 展望台から少し歩くと、稚内の住宅地に入りました。 丁度下校時間なのか、ランドセルを背負って下校する小学生の姿が飛び込んできました。 「ようやく人のいるところに戻ってきた」と感じました。 ![]() 坂を下れば下るほど街は大きくなりました。 そして、道路を走る車の数も増えてきました。 稚内市の人口は、歩いた当時(6年前)で4万2千人でしたが、 現在の人口は、3万8千人弱です。 漁業の不振等のため、人口の流出が続いている同市ですが、 これまで小さな町ばかりを歩いてきた自分にとっては、 稚内は、まさに「光り輝く大都会」でした。 宗谷線の踏切を越えて最初の角で左に曲がると 小さな駅前商店街に入りました。 南稚内駅は、駅前商店街を越えた先にありました。 南稚内駅は稚内市街にある有人駅です。 市街地にあるだけでなく、駅近くに学校もあるため、稚内駅と同じぐらいの利用者数を誇っています。 南稚内駅の待合室に入ると、20人ほどの高校生が列車を待っていました。 駅に着いたのは、丁度下校時間の列車が来る時間でした。 改札が始まると、高校生達は、駅員と一言二言交わしてホームへと向かっていきました。 下校列車となる名寄行き普通列車を見送った後、駅の窓口で入場券を求めました。 すると、駅員さんは普通の入場券ではなく、硬券入場券を渡してくれました。 …あれ?普通の入場券が欲しかったのに… よく見ると、窓口の隣には自動券売機がありました。 その券売機は「入場券」も扱っていたのです。そっか、そういうことか。 そいや、自動券売機も久しぶりに見たなぁ…(笑)。 |
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いよいよ最後の駅間です。稚内市街を北に向かいます。 今回の全駅間歩きでたびたびお世話になった国道40号に合流します。この国道40号も稚内駅前が終点です。 稚内駅はもはやすぐ手の届くような場所に迫っていましたが、足の痛みは頂点に達していました。 悲鳴をあげる右足を引きずりながら稚内駅を目指します。 やがて、稚内駅右折を知らせる青看板が現れました。 この看板には、英語だけでなくロシア語も併記されています。 稚内はサハリンを間近に望む場所であり、 近年ではコルサコフ行きの旅客船も不定期就航しており、両者の交流が盛んに行われています。 青看板が示す四つ角が国道40号の終点です。 そして、角を右に曲がると、宗谷本線の終点・稚内駅が姿を現しました。 思わず「やっと着いた」という言葉が口から出ました。 ![]() これだけ到着に重みを感じられたのは今回が初めてでした。 この先にも後にも何回か列車で稚内入りしているのですが、 列車で訪問をすると、なんとなくあっけなさを感じてしまいます。 歩いて稚内まで行ったせいですかね…。 駅構内は、丁度札幌からの「サロベツ」が到着し、 札幌行きの「スーパー宗谷」がまもなく出発するところで、 到着客と出発客でごった返していました。 時刻も18時になろうとしていたので、 駅の窓口で最北駅到達証明書を購入し、 駅前で記念撮影を済ませてそそくさと宿屋に向かいました。 宿屋で休憩したのち、夕食と入浴のために外出することにしました。 夕食は、ホテル近くの食堂でとることにしました。その名も「ヴァンのとなり」。 実は、この食堂の隣には「ヴァン」というステーキ屋があって、隣だから「〜のとなり」。なんて安直な! とはいえ、なんだかんだで、稚内で泊まるときはよくここで夕食を食べます。 「ヴァン」は、ミシュラン1つ星に輝くほどのお店らしいのですが、まだ行ったことがありません。 今度行くときは、少し奮発して行ってみようかな…。 水分は歩きながら補給していたつもりだったのですが、 差し出された水はあっという間に飲み干してしまいました。何杯飲んでも飲み足りませんでした。 夕食後は、バスに乗って稚内温泉に向かいます。 今は稚内駅近くの副港市場の中にも日帰り温泉がありますが、当時はまだ副港市場はなく、 温泉に入ろうと思えば、丘の反対側にある稚内温泉までいかなければなりませんでした。 バスに乗ると、明日のゴールであるノシャップ岬のすぐ近くを通過してしまうのですが、 暗くて見えないから問題ない…ということにしといてください。 駅前ターミナルからバスに乗ること20分弱、稚内温泉「童夢」に着きました。 中は少し大きめなスーパー銭湯といった感じです。 夜8時過ぎですが、多くの市民や観光客が入浴していました。 これだけ多くの人を同時に見るのは、ほんとに何日ぶりのことでしょうか。 東京にいればこれだけの人がいる光景などいつも見ているはずなのに、 「人がわらわらいる場所」という珍しいものを見ているような感覚になりました。 北海道を歩くと、感覚が変わってしまいます。 宿屋に戻り、畳の上にここまで使った地図(5万分の1地形図)を並べてみました。 一枚一枚の地図は大した大きさではないのですが、並べてみると部屋いっぱいのスペースを使います。 ここまで歩いてきた距離を改めて実感しました。 |
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翌朝、宿屋から今回の最終目的地であるノシャップ岬まで歩くことにしました。 当初は宗谷岬まで向かおうと考えていたのですが、 今日中に東京まで帰らなければならないため、今回は市街地に近いノシャップ岬を最終目的地としました。 北防波堤ドームを右手に見て、海岸線を見ながら北に進みます。 目の前に大きなダンプが止まっていたので、近くで工事をやっているのかと思うと、 ダンプから積み降ろされたのは、土砂…ではなく大量のホタテ貝でした。 ホタテ貝はコンベアに乗せられ、近くの施設へと消えていきました。う〜ん、漁業の町。 歩き出して約1時間。赤と白に塗られた大きな灯台・稚内灯台の横を過ぎました。 稚内灯台の先が今回の最終目的地・ノシャップ岬です。 |
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ノシャップ岬は、朝8時半という時間にもかかわらず、多くの観光客で賑わっていました。 ノシャップ岬からは、利尻島・礼文島のほか、約40km離れたサハリンも見渡すことができました。 全行程230kmにも及ぶ全駅間歩きが完成しました。 この8日間の移動距離は極端に短いですが、その分濃密な8日間となりました。 行程中苦しめられた、右足に3つ、左足に1つできた豆も、終わってしまえば良い思い出です。 |
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稚内駅への帰り際、もう一踏ん張りして、丘の上にある稚内公園まで足を伸ばしてみることにしました。 歩く少し前(2006年3月)までは山麓と頂上を結ぶロープウェーがあったそうですが、 なくなってしまったため、痛む足をこらえて麓の神社から丘を登ります。 途中の展望台からは稚内市街を一望の下に見渡すことができました。 別の機会に同じ場所から夜景も撮影してみましたが、やはりきれいな夜景でした。 続いて、公園の北にある「氷雪の門」に向かいました。 この氷雪の門は、樺太で亡くなった日本人の慰霊碑です。「門」の先にはサハリン(樺太)が見えます。 氷雪の門そのものは、樺太で亡くなったすべての日本人を弔うために作られたものといわれていますが、 近くに立つ「九人の乙女の碑」と併せて、第二次世界大戦末期の悲劇を物語っているといえるでしょう。 その後丘を下り、稚内駅まで戻りました。 7日間歩いた道のりを列車で戻ります。 列車は歩いてきたルートを戻る向きに進みます。 駅に着く度に、その場所での思い出がよみがえります。 そして、稚内駅を出発してからわずか3時間半弱で今回のスタート駅・名寄まで戻りました。 今回の7日間を振り返るには、あまりにも短すぎる時間でした。 |
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![]() お疲れ様でした。 長文におつきあいいただき、ありがとうございました。 |
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