8月30日(名寄→智北) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全駅間歩き1日目(19.1km) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
美瑛で駅前散策したのち、 旭川で列車を乗り継ぎ、名寄に向かいました。 乗り継いだ旭川11:15発の快速列車は、 宗谷本線を旅行するときによく利用する列車ですが、 昼のいい時間帯を走るためか、 いつも旭川出発時点で座席がすべて埋まります。 あの列車がなぜ1両なのかがいつも疑問に思うところなのですが、 折り返し等の都合を考えると、1両が適当なのでしょう。 12時35分、名寄に到着しました。 北に向かう多くの旅行者は、そのまま跨線橋を渡り、 47分発の稚内行きに乗り継ぎますが、今回はここで下車です。 ![]() 外では雨が降り出してしまいました。 …そういえば、この当時は名寄でも駅弁売っていたのですが、 今はなくなってしまいました。 待合室も、駅弁を販売していたスペースが物寂しく空いています。 少し時間があるなら、 駅前にある洋菓子屋さんで昼食を食べるのもいいかもしれません。 名寄の駅前には「なよろプリン」で有名なブラジルさんがあります。 昼食ほどの時間はなくとも、プリンは買っておきたいところです。 雨もいちおうやんだので、いよいよ出発することにしました。 名寄駅の駅舎は、北海道の駅舎の中でも古い部類に入る美しい木造駅舎が今も残っています。 全駅間歩きのスタート駅にふさわしい駅舎です。
橋を渡ったところで名寄の市街地は途切れ、周囲は農村地帯となります。しかし、民家も点在し、歩道もある区間なので寂しさはあまり感じられません。 道道のルート通りに足を進めると、 宗谷線との交点に最初の駅、日進駅があります。 名寄を出て最初の駅ですが、農村の小さな駅というムードが目一杯漂う駅です。 ホームに上がると、東の方向にオレンジ色の建物が見えます。 これが名寄のユースホステル(なよろサンピラーユースホステル)です。 旅行シーズンともなると、このユースホステルの利用者が日進で乗下車する姿をよく見かけます。 このユースホステルは、ずっと気になっていたのですが、実際に利用したのはつい最近のことです。 部屋は男女別相部屋ですが、会員でなくても2食付き6000円弱で利用できます。 YHのホームページでは、周囲の食事スポットを紹介していますが、YHの食事もとても美味しいです。 ちなみに、−30度以下になった日に宿泊すると、宿泊無料券がプレゼントされるらしいです。 談話室には、ツーリングガイドや山岳雑誌のほか、鉄道写真集や鉄道マンガまで揃っています。 宗谷本線で旅行する人にしっかりマッチした品(?)揃えです。 周囲には、温泉や天文台などもあるので、じっくり滞在しても良いところです。 |
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名寄方面に向かう列車を見送り、次の駅に向かいます。 今回歩く半年前までは智東駅が存在したのですが、廃止されてしまいました。 北星駅まで最短距離を歩いた場合も駅前を通過するので、寄ってみることにしたいと思います。 先ほど道道に沿って右折した角を北進すると、歩道は途切れます。 しばらくの間は、点在する農地以外何もない無人地帯を進みます。 ここからは車通りも無い田舎道…といいたい所ですが、国道のバイパスみたいな形になってるためか、 意外なほど車とはすれ違います。といっても、2〜3分に1台すれ違うかどうかといったレベルですが。 …そして、よく車内の人から乗っていかないかと声を掛けられます。 智東駅があったころは駅間歩きしていた人が多かったせいなのか、歩く人が珍しいからなのか…。 とにかく「駅間歩き」をしている以上は断らざるを得ません。 何回も断っていると、ほんと心が痛みます。 そんな道を1時間ほど歩くと、右手にロープが張られた砂利道が現れました。智東駅の跡地です。 砂利道は、駅跡に繋がっており、ロープは線路内立ち入りを防ぐためと考えられます。 駅廃止のかなり前から、智東駅を定期的に利用する人は皆無だったようです。 さらに智東駅前の道路は冬期になると閉鎖されてしまいます。 そのため、長らく智東駅は冬期閉鎖の臨時駅として存続していました。 駅廃止前は貨車を利用した待合室が設置されていましたが、撤去され、空き地だけが残っていました。 この智東駅の待合室は、そっくりそのまま美深町仁宇布のトロッコ王国の待合室に転用されています。 |
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駅跡前の道をさらに北東目指して進みます。 実は、北星駅を目指すためには、地図上ではかなり迂回しなければなりません。 道なりに進み、天塩川を渡り、国道交点まで進んで右折、智恵文駅の手前で南西に折れるという 四角形の3辺を歩くような超迂回ルートを進まざるを得ないことになっています。 これでは総移動距離は智東−北星間だけで10km弱となり、かなりのタイムロスとなります。 天塩川を渡る東恵橋の手前に北方へ進む小道があるのですが、地図では途中で切れています。 なんとか良い案はないかと名寄市の電子地図を調べていると、 切れているはずの道が北星方面までつながっているではありませんか!! 今回は、折り返しに伴う大幅なタイムロス覚悟でこの道に賭けてみることにしました。 しばらく進み、例の小道に入ります。 途中で切れてしまうように表現されている道なので、道は車一台走れる程度の砂利道です。 さらに、それほど厳しくないものの、上り坂が続きます。 15分ほど進むと、駐車中の1台の車とすれ違います。こんな所まで来て、何をしているのでしょうか。 このあたりから道幅がやや狭くなるものの、途切れるような感じはありません。 途中で鹿を見かけましたが、鹿は私を見るなり甲高い鳴き声を残して逃げ去ってしまいました。 北東の方角目指して進むと、やがて前方の視界が開けました。無事北星側に抜けることができました。 北星側には民家が点在するものの、入り口が板で塞がれた廃屋も何軒かありました。
北星駅は、農家の脇にひっそりとその入り口がありました。 駅ホームから少し離れたところに木造の待合室と、トイレ小屋(ポットン式!)がありる駅です。 今日の目的地は、智北駅であり、智北駅の終列車発車(19:27)後に到着する予定としているため、ここから先の計画は随分余裕があります。 駅の待合室には、宗谷本線各駅の情報 や駅名の由来を示したA4の紙が貼られていました。 実は、この紙を写真で撮ったものを今でも時々参考にしていたりもします。感謝感謝。
私の右を幌延行きの列車が走り去っていきます。 視界の先に天塩川を渡る橋が見えるとまもなく集落に入り、その目の前が智恵文駅でした。 智恵文駅でも、待合室でしばらく時間をつぶしました。 待合室の窓から集落側を覗くと、駅前の 民家に明かりがついていました。2階の部屋からは、小学生くらいの子供が遊んでいる様子も見えました。 しばらくすると食事の時間になったようで、2階の部屋の明かりが消えました。 どういうわけか「今の自分は一人なんだ」と無性に感じ、強い寂しさを覚えました。 このあと、人っ子ひとりいない無人地帯を何度となく歩きますが、このときほど寂しさを感じたことはありませんでした。 智恵文駅を出る頃には完全に陽が暮れていました。 明かりのない闇の中を智北駅目指して進みます。 音威子府に向かう最終列車が発車する少し前に智北駅の前につきました。 駅前には1台の車が止まっていました。 やがて、音威子府行きの列車が到着すると1人の高校生が下車し、そのまま車に乗り込みました。 車は迎えの車でした。 もうこの日は止まる列車のない智北駅は静まりかえっていました。 今日は、この駅の待合室が「宿」です。 智北駅の待合室は、こじんまりとしていますが、駅移設の際に待合室も新しくなったので居心地は良かったです。 待合室で夕食を食べ、じっとしているとやはり寂しさを覚えました。 しかし、ラジオから流れる野球中継を聞くことで、その寂しさは少しずつ和らいでいきました。 明日は、美深町を縦断し、天塩川温泉を目指します。 |
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