9月7日(旧・穂別町 稲里→占冠村 ニニウ) 
 全駅間歩き3日目(37.9km)

距離 着時 発時
キャンプ場 7:05
穂別ダム 5.4km 8:02 8:20
福山PA 8.2km 9:52 10:50
名石PA 13.8km 13:45 14:15
赤岩青巌峡 4.2km 15:05 15:25
キャンプ場 6.2km 16:45
 今日は、むかわ町の「穂別キャンプ場」から
 占冠村の「ニニウキャンプ場」を目指します。

 昨日は5駅回りましたが、
 今日回る駅は1駅もありません。
 昨日から、陸上日本最長駅間(2015年現在)の
 新夕張−占冠間の駅間歩きに挑戦していますが、
 今日1日歩いても占冠駅にはまだ到達しません。

 今日は峠越えが2本も待ち構えているうえに、
 序盤に稲里集落を通過する以外は、
 人の住んでいる場所すら通過しないという過酷な1日です。
 もちろん公共交通機関もないので、何が何でも歩ききらないと大変なことになります。


 今回は宿泊もかねて、ニニウ地区へ寄り道することにしました。
 ニニウ地区は、かつては学校なども存在した集落でしたが、
 あまりにも不便なことから人口が減少し、とうとう無住地帯となってしまった地区です。
 その立地環境から、「人の手が加わった秘境」としても知られています。

 ニニウ地区は、その存在を知って以来ずっと行ってみたいと思っていた場所でした。
 今回、全駅間歩きもかねて、その念願がついに叶います。


 穂別、占冠の山々は、いったいどんな顔を見せてくれるのでしょうか。



 
 朝7時、キャンプ場を出発しました。

 ちなみにこの日は朝5時半前に起きました。
 結構余裕あるようにみえますが、食事の準備や片付けをしているとあんまり余裕がありません。
 ホテル泊なら、出発の40分くらい前に起きれば間に合うのですが。

 今回も、出発直前は結構慌ただしかった…。



 さて、昨日歩いた国道をさらに進みました。
 稲里集落に向けて、道は緩やかな下り坂が続いていました。
 沿道に民家はありませんが、集落までずっと歩道が続いていました。


 温泉施設の立て看板が見えてくれば、まもなく稲里集落です。
 集落の中心に日帰り温泉がありますが、この集落も決して大きな集落ではありません。

 昨日、割引チケット片手に温泉行ってたら、ここまで歩いていたわけです。
 う〜ん、いくら歩道があるといっても、この道を夜中に歩いて帰りたくはないなぁ。


 稲里という地名だけあって、集落の背後には水田が広がっていました。

 集落を抜けると、再び上り坂が始まりました。
 やはり民家は見当たりませんが、歩道は続いていました。


 キャンプ場から1時間ほどで穂別ダムに着きました。
 穂別市街で鵡川と合流する穂別川に設けられたダムで、堤高は約40メートルあるそうです。

 未舗装の駐車スペースと公衆電話、休憩スペースがありましたが、
 特に観光地化されてはいませんでした。


 この先に待ち構える峠越えにそなえて、ここで一休みしました。


 国道を少し進んで、穂別ダムのダム湖を渡りました。


 
 稲里集落から続いていた歩道は、ダム湖にかかる穂別大橋の先まで続いていました。
 どうやら、歩道は穂別川上流の長和(オサワ)集落に向かうために設けられたものだったようです。
 長和集落へは、橋を渡った先の角を左折して、2km以上進むことになります。

 長和集落は、かつては郵便局が設けられるほどの集落だったようです。
 また、集落近くの東オサワ信号場も、計画当初は駅として開業する予定でした。
 しかし、人口減少が進んだため、駅ではなく信号場として開業したんだそうです。
 郵便局も1970年代には閉鎖されており、その頃には現状に近い状態だったのかもしれません。
 清風山信号場のあるニニウとは異なり、現在でも民家が点在しており、
 2011年の道東道のむかわ穂別IC開設により、利便性は大幅に向上しました。

 寄り道したい気持ちは山々だったのですが、
 信号場まで歩くと往復で10km以上プラスになるので、今回はパスすることにしました。


 穂別大橋を越えると、峠越えの上り坂が始まりました。
 日なたを歩くと暑くなるので、なるべく日影を選んで歩いたのですが、
 日が高くなるにつれ日影も少なくなり、やがて汗も出始めました。


 少し疲れてきたところで、稲里トンネルが見えてきました。
 ここが稲里峠の頂上です。

 稲里トンネルの長さは驚くなかれ、1,441メートル。
 昨日の登川トンネルの5倍近い長さです。

 このトンネルは、北海道で初めてNATM工法が採用されたトンネルです。
 NATM工法は山岳トンネルが多いオーストリアで提唱され、
 日本でも1970年代から山岳区間を中心に鉄道・道路トンネルで採用されてきました。
 このトンネルは1978年に着工し、7年後の1985年に完成したそうです。


 もちろん、坑口からはトンネルの出口は見えません。
 歩道スペースもほとんどなく、思わず入るのをためらいそうになりました。

 意を決して、トンネルに入りました。
 トンネルの中は、常に車の轟音が響き渡っていました。
 脇目も振らず、ただひたすら歩きましたが、このトンネルを抜けるのに15分以上かかりました。
 本格的な山越えに突入したことを実感しました。


 
 トンネルを抜けると、下り坂が始まりました。
 日影はほとんどありませんが、下り坂だと暑さも疲れもあまり感じません。

 途中、道路工事の現場にさしかかりましたが、
 係員付き添いのもと、工事現場の中を歩きました。
 こういう出会いでも、人に出会うとやっぱりほっとします。


 坂を下りきると、福山集落に入りました。

 現在、この集落に住んでいる人はいないようです。
 昔の写真を見ると、右手にガソリンスタンドがあるのですが、それも無くなっていました。
 道の両側に伸びる歩道と2〜3軒の廃屋のみが、往時を物語っていました。


 現在、ここから占冠に向かうとなれば、国道274号をさらに進む以外に選択肢はありません。
 しかし、数年前までは、左に折れて道道610号を経由するルートも存在しました。

 道道610号は、福山集落を抜けるとずっと鵡川に沿って進み、
 石勝線の清風山信号場、ニニウ地区を経由して、占冠市街へと続いていました。
 道東道の建設工事では簡易舗装がなされるなど大活躍した道だったそうですが、
 道東道が開通するとお役御免となったのか、崩落が起こって以来通行止めが続いているそうです。

 道の入り口に頑丈なゲートが設けられてるだけではなく、
 看板類も全て覆い隠され、国道の案内からも道の存在が消されています。
 一応復旧工事中という扱いですが、もう復旧させるつもりはないのかもしれません。

 廃道になっていないためか、ほとんどの道路地図にはこの道道610号が描かれており、
 新夕張から占冠までの道案内をさせると、この道を経由してしまうナビも結構あるようです。
 なお、清風山信号場から占冠市街の区間は現在も通行可能で、後で歩くことになります。


 今回は通行不能であることを事前に確認していたので特に問題なかったのですが、
 もし、下調べ無くここまで歩いてきて通行止めを知ったら、そのショックは計り知れなかった思います。
 国道経由は大回りになるだけでなく、峠越えもあります。
 この道が使用不能になったのは恨めしい限りです。



 とにかく、まずは目の前に迫った第二の峠越えに備えて休憩しないといけません。
 集落中央にあるパーキングエリアで、早めの昼食もかねて一休みすることにしました。
 パーキングエリアといっても、駐車スペースとトイレ、ベンチがあるだけですが。

 次の峠越えは、今回の全駅間歩き最大の高低差があります。
 体力全快で臨みたいところです。


 
 福山大橋を越えると、いよいよ今回最大の峠越えが始まりました。
 福山集落の標高は約170メートルですが、ここから530メートルまで一気に登ります。
 上り坂の距離も、これまでの倍以上あります。

 入口を見るだけで、厳しい展開になりそうな予感がしました。


 上り坂は予想通りの厳しさでした。

 北海道の峠道は10%を越えるような厳しい傾斜は少ないそうですが、
 その代わり、6〜8%の傾斜が長距離続くことが多いそうです。
 ここも例に違わず、5〜7%程度の上り坂が延々と続いていました。
 最初はそれなりに歩けますが、疲れてくると1歩1歩が見る見る重たくなりました。

 もはや日影らしい日影は無く、身体はオーバーヒート。
 水分補給するそばから、汗がどんどん流れていきました。

 今度ばかりは疲れてきても、上り坂が続きました。
 車だってエンジンふかして登る坂道です。歩いて疲れないわけがありません。
 時計を標高モードに切り替えると、その数字が少しずつ500メートルに近づくのが唯一のなぐさめでした。


 上り坂を1時間以上みっちり登って、トンネル手前にある休憩ポイントに着きました。
 直射日光の下で350メートル登っただけで、もう疲労困憊でした。

 少し大袈裟に言えば、投げ捨てるようにザックを外し、
 倒れ込むように休憩に入りました。


 20分近く休憩して、ようやく先へ進める程度に体力が回復しました。


 まもなくオコタン橋を渡りました。
 足下には深い谷が広がっていました。

 長さ300メートルほどの橋ですが、
 この谷に橋を架けるのに多大な時間を要しただろうことは、容易に想像がつきます。


 いよいよモトツトンネルに入ります。
 長さは先ほどの稲里トンネルより短い924メートルです。

 ここで上り坂は終わりとばかり思っていたのですが、
 入り口からトンネルを眺めると、トンネルの中も上り坂になっていました。
 トンネルの中まで死ぬ思いしなきゃいけないのかと身構えてトンネルに入りましたが、
 先ほどまでのような急勾配ではなかったため、坂を登っている感覚はほとんどありませんでした。


 10分ほど歩いてそろそろトンネルの出口…と思ったのですが、なんだか嫌な予感。
 そう、次のトンネルとはシェルターで繋がっていたのです。
 この山深い区間では、そう易々と地上に帰してくれないようです。

 次に控える福山トンネルの長さは839メートル。
 結局、シェルター区間も含めて2km近くも、トンネルの中を歩くことになりました。


 長いトンネルを抜けると、そのまま福穂橋を渡りました。
 福穂橋の標高は約580メートルで、この橋の上で穂高峠の頂点を迎えました。


 その先には、穂高トンネルが待ち構えていました。
 長さは1,991メートルで、「石勝樹海ロード」では最長のトンネルです。

 1991年に穂高トンネルが完成し、「石勝樹海ロード」は完成しました。
 奇しくも、トンネルの完成年と長さが一致しています。


 20分以上かけてトンネルを歩ききると、占冠村に入りました。
 カントリーサインはトマムリゾート一色でした。

 トンネル抜けると、下り坂が始まりました。
 気分も思わず軽くなるような、のんびりした風景が広がっていました。
 どういうわけか、自衛隊の車がわんさか走っていましたが。


 
 占冠側は、標高400メートルほどで下り坂が終わるため、
 穂別側に比べると、下り坂の距離は短めです。

 この坂を下りきると、川端駅以来お世話になった国道274号に別れを告げます。
 国道の青看板にも「占冠市街」という表記が現れました。


 国道に別れを告げる前に、分岐点にある名石PAで休憩することにしました。
 先ほどの休憩から1時間半休み無く歩き続けましたが、さっきほど疲れませんでした。
 でも、日影を探すのに一苦労…。


 国道に別れを告げ、道道610号に入りました。

 この道は、先ほどの福山集落から延びていた道道610号とは逆に、
 地図に載りながらも長らく通行止めになっていた村道が、道東道のトマムIC開業に伴って再整備され、
 2007年に道道610号の枝線として開通したものです。
 つまり、国道274号と道東道の橋渡しをするために整備されたのが、この道だったわけです。

 2011年に道東道が全通すると、当初の役割は終わりを迎えましたが、
 今でも国道と占冠市街を結ぶ役割を果たしています。


 国道ほどではないにしろ、わりと整備された道が続きましたが、
 しばらく進むと、対岸が派手に崩落していました。
 道路も急なカーブを切って、道が川までせり出していました。
 おそらく村道時代は、このあたりが崩落していたために長期通行止めだったのでしょう。


 さらにしばらく進むと、左手に赤褐色の巨岩が見えました。
 実際は写真以上に赤色をしているため、おもわず「どうしてこうなった」と口走ってしまいました。

 実際に岩の前まで行ってみると、その大きさに改めて驚かされました。
 岩の隙間から、ロッククライミングを楽しむ人の姿が見えました。



 赤岩橋から眺める鵡川も絶景でした。

 ここは赤岩青巌峡です。
 先ほど見た赤色、青色の珍しい岩を目当てに
 多くの人が訪れる観光スポットで、
 ラフティングやロッククライミングの名所としても
 知られています。
 駐車場には、平日にもかかわらず
 何台もの車が止まっていました。



 ここから鵡川を遡るように進めば、
 あと5kmほどで占冠市街です。

 しかし、今回はニニウ地区に向かうため、
 反対に鵡川を下る方向に歩きます。


 
 「夕張新得線」を通ってニニウへ向かいます。
 先ほどから話題の道道610号との重複区間です。
 「夕張新得線」を名乗っていますが、夕張まで通り抜けることはできません。
 鵡川が造る谷底に沿って続く道は、一部に未舗装路が混じっていました。

 周囲は一段と山深くなりました。
 目の前にいつヒグマが現れてもおかしくない雰囲気です。
 もちろん、クマ鈴は2重装備ですし、クマ撃退スプレーもすぐ手に取れる位置にあります。

 まさに、秘境へ続く道にふさわしい雰囲気です。


 これから向かうニニウに定住する人はいないと言われていますが、
 その割には、車がそこそこ行き交っていました。
 材木を輸送する車などは理解できるのですが、普通の自家用車もやってくるのです。
 キャンプ場へ向かう人達なんでしょうか。


 30分以上歩き続けてもなお、道は先へと続いていました。

 目指す秘境まであと少しです。


 ニニウ地区に入りました。

 ニニウは早くから入殖が行われたにもかかわらず、長年「陸の孤島」と呼ばれた地区でした。
 占冠村では標高が最も低いゆえに、最も温暖といわれたこの地区でしたが、
 交通が不便である故に、長年文明から切り離された生活を余儀なくされたそうです。
 そんなニニウの住民にとって鉄道の開通は悲願だったそうですが、
 石勝線の開通を待たずして、全戸離農してしまったそうです。

 「ニニウ駅」として開業するはずだった石勝線の清風山信号場は、
 今も地区の西端で列車の行き来を静かに見守っています。


 写真の直線道路は、かつての植民区画の名残といわれています。
 北海道のあちこちに方形の道路を造った植民区画ですが、ここニニウにも存在していたそうです。
 かつては、道の両側に農地が広がっていたそうですが、
 今は一部を除いて荒れ地となっています。

 道路の奥には、道東道のガードも見えています。
 この巨大人工物ができてもなお、秘境の雰囲気を十分に残しています。


 当時の民家はほとんどが取り壊されていましたが、
 荒れ地の中に作業小屋と思しき建物が残されていました。



 残された人工物は少ないのかと思ったら、近くにこんな看板が立っていました。

 これは明らかに新しい看板ですよね。
 一体どういうことなんでしょうか。

 もう一度調べ直してみると、最近になってニニウに移住してきた方がいるんだとか。
 放棄された農地や施設の跡地を使って、羊を飼っているようです。
 数十年の時を経て、ニニウが再び人が帰ってきたようです。



 さらに道なりに進むと「ニニウ駅逓の碑」がありました。
 僻地といわれていたニニウにも駅逓が設けられていたということは、
 昔から、少なからず人の往来があったということなのかもしません。


 今日の宿泊地・ニニウキャンプ場に着きました。
 すぐ隣を高速道路が走っていますが、そんなのを忘れてしまうほど静かな場所でした。

 ここから清風山信号場までは片道1.5kmくらいですが、
 陽もだいぶん傾いていたので、今回は諦めることにしました。
 時間的にも体力的にも行っていけない距離ではありませんでしたが、
 「夕方や明日の早朝歩きに行ってヒグマに遭遇」なんてことが本当にありそうな雰囲気だったので、
 万が一に備えた判断でした。

 実は、このとき信号場まで行かなかったことをしばらく後悔していたのですが、
 考えてみれば、ニニウ集落だって中途半端に回っただけだったので、
 もう一度ここに行く口実ができたとポジティブに考えることにしました。


 はて、もう一度ここに来るときは歩いてくるんだろうか。

 あと、誰と?

 また自分一人??



 1人で使うにはずいぶん大きめのバンガローで横になっていうちに、周囲が暗くなりました。
 星空を期待していたのですが、霧が出てしまい、星空を眺めることはできませんでした。

 隣のバンガローでは、男女数人のグループがバーベキューを楽しんでいました。
 ひとりぼっちが寂しいなんて思わないけど、正直羨ましかったです。
 その後彼らは、車で日帰り温泉に行ったようですが、
 こっちは、今日も風呂なしです。



 今日も早めに寝ることにしました。

 横になると、遠くから「ピィー」という汽笛が聞こえてきました。
 やがて、集落の住民が待ち望んでいた列車の音が山々に響き渡りました。


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