8月18日(上川→奥白滝) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全駅間歩き3日目(38.1km) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なにしろ、峠越えの区間ですから… 歩行距離は40km近く、高低差も400メートルあり、これまでの駅間歩きでも最も過酷なコースでした。 また、こんだけ歩いておきながら、現存する駅をひとつも通過しないという珍しい1日でもありました。それだけ人の気配のないところを歩くことになったたわけなのですが… 夜中ずっと降り続いていた雨も、朝起きる頃にはやんだので、予定通り6時半にキャンプ場を出発しました。 キャンプ場を出てまもなく、国道39号線を離れる分岐点にさしかかりました。 道標は「北海道らしい」といえばよく聞こえますが、歩く人間にはうんざりするような数字が並んでいます。 |
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![]() ![]() ![]() ※一番右の写真だけは、国道273号に入ってからのものです |
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白滝まで40km…。 車ならすぐなんでしょうねぇ… 歩いたら丸一日ですけど。 ![]() さて、層雲峡方面へと続く国道39号と別れ、国道273号に入りました。 国道273号に入ると、車がまったくと言っていいほど通らなくなりました。 それもそのはず。 すぐ近くを旭川紋別道(通行無料)が併走しているんですから。 みんなそっちを使ってしまうんですね。 交通量に不釣り合いな歩道が整備されてるとこからしても、昔は歩行者の往来もあり、車の往来も激しかったのでしょう。 日東橋を渡ると天幕集落にさしかかります。 天幕集落は、上川町内の廃止3駅(天幕・中越・上越)の周辺では唯一定住者がいる集落(のはず)です。 踏切を越えて集落に入ると、建設関係の基地やら何かの処分場が見え隠れするものの、住民が住んでいそうな民家は1,2軒くらいで、林や空き地、そして廃屋が続いていました。 線路に沿って続く道をしばらく歩くと、右手に空き地が見えました。天幕駅の跡地です。 |
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廃止となるまでは駅舎のある駅だったようですが、今、ここに駅があったことを物語るのは1軒の機械設備室と記念碑、そして駅前の空き地しかありません。ホームのあったところも雑草が覆い茂っています。 駅名の由来には、「〜線路調査のため当地に入った際、天幕三次郎なる人物に世話になった思い出から駅名を「天幕」とした」と記されています。 周囲に民家はほとんどありませんが、付近にある処分場の機械音が響き渡り、寂しい感じはありませんでした。 |
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![]() ![]() ![]() 左:天幕集落を線路に並行して伸びる道路 中:天幕小学校跡地(天幕駅跡近くにある) 右:もうひとつの天幕小学校跡地 |
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天幕駅を出発し、線路に並行する道路を東に向かって歩いてみました。 相変わらず、人の気配はほとんどありませんが、しばらくすると「天幕小学校跡地」なる場所が2カ所現れます。どちらかからどちらかに移設されたってことなのでしょうか。 さらに進むと、だんだん道路の様子がおかしくなります。 手持ちの地形図では、この道をまっすぐ進めば再び国道に合流できるはずなのですが、「車進入禁止」の標識につきあたってしまいました。歩行者は問題なく進めるのでそのまま進んでいくと、雑草が道路を隠していくようになります。2つめの「天幕小学校跡地」はそんなところにあったのですが。 …そして、ついに… |
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倒木による行き止まり、ですかね。 興味本位で、倒木をかき分け、もう少し進んでみることにしました。 この倒木を過ぎたあたりからまともな道ではなくなり、獣道に変わっていき、最後は踏み跡を判別するのも難しい状態になりました。 元来た道を戻ろうかと思ったとき、石北本線の線路とぶつかりました。線路を挟んだ反対側にも砂利道がありましたが、それをつなぐ踏切はありませんでした。 地形図では、線路をアンダークロスすることになっているのですが、そんな近代的な設備があるはずもなく… 地形図の嘘つき…。 利用が少ないから廃止されたのか、そもそも踏切なんかなかったのか…。 その後、なんとか国道まで戻り、東へ向かって足を進めました。 少し歩いたところで、車の交通量が急に増えました。旭川紋別道を利用していた車が合流してきたのです。 当時は、旭川紋別道の天幕(上川天幕・現在廃止)〜浮島までの区間は、まだ工事中だったのです。上川天幕インターチェンジは同区間開通とともに閉鎖されてしまいましたが、天幕周辺に人がほとんど住んでいないので、これは仕方がないことでしょう。 交通量が増え、歩道もない区間でしたが、歩きにくいほどではありませんでした。 今この区間を歩いたら、やっぱりほとんど車が走らない、寂しい区間に変わっているんでしょうね。 ![]() 1時間ほど歩くと、「中越(なかこし)」という集落表示が現れました。 中越の集落とされる部分からは狭い歩道が現れますが、人が住む気配のある民家は見あたりません。樹木が覆い茂った先に何軒かの廃屋が見受けられる程度です。もっとも、車通りも多く、工事関係のプレハブ小屋が建っていたので、先の天幕同様静けさや寂しさといったものは感じられませんでしたが。 |
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![]() ![]() ![]() ※左写真奥にプレハブ小屋があります(中央の橙色) |
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そんな中をしばらく進んで、中越信号所(以前の中越駅)につきました。 まだ信号所としての役割があるためか、以前の駅舎は閉鎖されているものの、しっかり残っていました。 反対側に回ってみると、改札の跡らしきものまで残っています。 中越駅のホームは撤去されていましたが(右写真の手前の線路とその奥の線路の間にホームがあったらしい)、構内には3線の線路があり、信号所として機能していることをうかがわせます。 ちなみに、中越は駅ができる以前から駅逓(鉄道以前の時代にあった、旅行者等の拠点となる施設)が設置されており、それを記した碑も信号所の入り口にありました。ちなみに、駅逓の跡は、この後もう一回お目にかかることになります。 中越を出ると、上り坂が目立つようになり、峠越えらしくなりました。 昨日の雨のせいか、道路の側溝には、これまで歩いてきた方向に向かって水が流れていました。 時折、自分の横を大型の観光バスが通過していきます。
歩くこと1時間あまり。天気はすっかり回復しました。日差しも戻ってきました。 まもなく浮島の分岐点(国道333号の起点)にさしかかりました。ここからは国道273号を離れ、国道333号で奥白滝を目指します。 ほとんどの車は分岐点で左折し、紋別方面に進みます。直進して、国道333号に進む車はほとんどいません。
国道333号に入ると、国道とは思えない(ほど少ない)交通量になりました。日差しはより一層照りつけ、上り坂も一層厳しくなりました。次のポイント、上越(かみこし)信号所の入口までは、分岐点からほんの1kmあまりに過ぎませんが、その1kmがこれまでの1kmよりもはるかに長く感じました。 やがて左手に上越信号所に繋がる砂利道が現れました。5分ほど歩くと、左手に小さな吊り橋が現れ、その奥に建物が見えました。上越信号所です。 |
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石北トンネルを間近に控えた、山の谷間に上越信号所はあります。 国道とは少し離れているので、旭川紋別道の橋脚がなければ、本当に秘境のような所にあります。 上越信号所もずっと昔は駅だったようです。 住民がいなくなり、駅としての役割を終えたようですが、こんな奥地にも人が住んでいたのが驚きです。 今でも信号所の機能は健在で、当時の駅舎が信号所の施設として使用されているようです。 ちなみに、駅舎もとい信号所施設の片隅には小さな人工池があります。こういった人工池は日本全国の駅に時折見られるものです。今や、駅周辺に人が住んでいた頃の名残を探すのは困難ですが、駅が確かに存在していたことを物語っています。 石北本線は、この先の北見峠を石北トンネルで越えますが、列車以外は北見峠に向かうことになります。 |
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上越を離れると、国道333号は山道をどんどん登っていきます。 峠を登るにつれ、日陰となる木々がなくなり、直射日光が容赦なく照りつけます。 ![]() 用意した水の量が少なく(全行程で1リットル強)、水を節約していたのが災いしたようです。 道路でわんさかバッタがひなたぼっこしていたことは覚えています。それだけここの交通量が少ないわけですね…。 …最後は、カーブを通過するたびに峠の頂点はまだかと思うばかりで、ほかのことをする余裕などまったくありませんでした(だから、途中の写真もない…)。 そして、ようやく北見峠の頂上に到着しました。 |
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北見峠の頂点を少し遠軽町側に入ったところに休憩所があります。 かつてはレストランや売店も営業していたようですが、旭川紋別道の開通でこの休憩所に立ち寄る車が極端に少なくなったせいか、売店の営業はおろか、水道すら出ていない状態です。 峠の頂上ということで、一応展望スペースもあるのですが、眺望は今ひとつという感じです。 最初は、休憩所入口付近にあったベンチで休憩しようとしたのですが、脱水症状寸前の身に直射日光はあまりにもきついものがありました。そこで、かろうじで日陰が得られる、売店(閉鎖中)の裏手階段に腰掛けました。水道が止められているため、見事に水分補給の希望はたたれてしまいました。残っている水を許容ギリギリまで使うことにし、この先にある道の駅で、改めて水分補給をすることにしました。 水を飲んでもめまいは続き、休憩時間中にできた食事はチョコパン1切れだけでした。 このとき、次回の全駅間歩きでは、水の種類と量はしっかり整えようと誓ったのでした(汗)。 おまけに、途中からスズメバチとおぼしき蜂が、頭上付近を飛び交い(逃げる気力もない)… ちなみに、50分の休憩時間で休憩所に来た車は1台だけで、通過した車も10台なかったような気がします。 |
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峠を越えたので、あとはひたすら坂を下ります。 黄色いライン(追い越し禁止)が白いライン(追い越し可)に塗り替えられた道をひた進みます。 荷物の重さも手伝って、足が勝手に坂を下ってくれたので、走らない程度に、流れに逆らわないで下るととっても楽でした。雲が出てきたこともあり、上り坂の苦労がうそのようでした。 気づけば、あっという間に峠道を下りきり、奥白滝信号所が見えてきました。 |
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奥白滝信号所も、10年ほど前まではしっかりとした駅でした。 ところが、その奥白滝信号所の周辺にも民家はありません。 かつては、この周辺にもしっかりとした集落があったようですが、今となっては信号所周辺に広がる空き地と、開拓記念碑だけがそれを物語っています。 しかし、訪れたときは、なぜか「駅周辺に人家がない」ということを意識しませんでした。これまでずっと無人地帯を歩いていたこともあるでしょうが、駅周辺の空き地に、かつての集落をイメージできたからかもしれません。 駅時代のホームなどは撤去されてしまっていますが、「駅舎」は健在で、改札口の跡なども残っています。 さて、今来た道を少し戻り、今日の宿泊場所(白滝高原キャンプ場)に向かうことにします。 あと5kmも歩けば上白滝まで行くことができるのですが、上白滝の先にあるホテルは閉鎖されてしまいました。 上白滝で駅寝という方法もありそうですが、せっかくなので人里離れたキャンプ場で泊まることにしました。 (…と書くと、その場で決めた感じになるが、実は予約をしていた。)
途中から国道を離れてキャンプ場に向かいましたが、途中の道の駅で待ちに待った水分補給をしました。 すでに夕方を迎えていましたが、旭川紋別道に併設している道の駅には、それなりの利用者がいました。今、思い出せばそんなに賑わっていた印象はないのですが、この日一番の人混みだったのは確実です(笑)。 普段は飲むのに結構時間がかかる500mlコーラも、今日ばかりはあっという間に飲み干しました。 …にしても、ここから100km以上離れている名寄のユースホステルの案内が何故掲載されていたのか…。 さて、奥白滝駅の標高は510mですが、キャンプ場は標高690mの地点にあります。 実は、ここまできて、もう一度きつい登りがまっているのです。 確かに、上川ー北見峠間の標高差の半分しかありませんが、わずか3kmで180メートル登り、かつ35km以上歩いてきてからの登りですから、こっちの方が当然厳しいものがあります。 …結論を言うと、あっという間に疲れました。 道の駅から1km(キャンプ場まで1.5km位)くらい歩いたところで、後悔したのは言うまでもありません。距離が長くても、水分補給が無くても、ずっと下り道が続く、上白滝まで歩いた方が楽なのは明らかでした。 ところが、それだけでは済まなかったのです。 妙に空気が生臭くなったのです。 牧場が近くにあれば、そういったにおいが漂うのも無理ないのですが、この付近は牧場などもない無人地帯ですし、道路の両側は林が広がっており、牧草地も近くにはありませんでした。 「もしや〜」と思い、あたりを見回しながら先を急ぐことにしました。 後に、この話を他の人にしたところ、「それは絶対近くにクマがいたねぇ」と言われました。 予感的中って感じです。確かに、キャンプ場にも「クマ出没のお知らせ」なんてありましたし。 あのときクマが「ガバッ」と出てきてたら、あの体力で対応することは難しかったでしょう。 一応、クマよけ鈴ならしながら、クマ撃退スプレーなんかも持っていましたが。 こうして、なんとか白滝高原キャンプ場に着くことができました。 ![]() 今日もバンガローでの宿泊です。 上川のキャンプ場も、人がまばらでしたが、こちらも宿泊客は2組ほどしかいませんでした。 ここでは、五右衛門風呂に入浴します。 板を沈めて入浴するだけでなく、薪をくべてお湯を沸かすというところまでやる本格的な五右衛門風呂です。 …といっても、この疲れ果てた体で、薪の燃え具合やお湯の管理するのも嫌だったので、係の人に湯沸かしをお願いすることにしました。 1時間後には沸いているということだったので、1時間経って風呂に向かうと… なんと、冷たい水のままではありませんかっ!! 五右衛門風呂の真下にある炉を見てみると… 今にも燃え尽きそうな炎がちらっと見えるだけ…。薪もほとんど残っていませんでした。 (しかも、このキャンプ場は係の人が午後5時で帰ってしまい、以後の時間は宿泊客だけになる) これじゃ温まるはずもありません。 ここから先が大変でした。 薪を放り込んでみたり、バンガローからうちわ(備品)を持ってきて風を送り込んだり、 果てには新聞紙を放り込んで、火力を維持しようと試みたり…。 少しずつ風呂の水温も上がってきたのですが、気がつくと煙突から登る煙の量が少なくなり、慌てて炉に戻る…の繰り返し。炉の中が煙ばっかり(=火力は弱い)になってしまったこともありました。 ようやく入浴できたのは、風呂を沸かしはじめてから3時間以上(!)経った午後8時過ぎのこと…。 ガス湯沸かし器の偉大さを実感した瞬間でした。 ちなみに、最後は火力過剰になったようで、夜10時過ぎまで風呂場の煙突から煙が出ていました(汗)。 まぁ、風呂が沸騰したりとか空だきになったわけじゃないのですが。 |
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