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Re[2]: 「紅萌ゆる」の歌詞について(2)

1997年8月24日16:47、仙台市在住の遊閑斎さん(@mb.infoweb.ne.jp)より
8月5日のメール8月21日のメールのフォローになります。
(前略−引用者)

 お返事ありがとうございます。紅萌ゆるの六番については、
やはり私も春から秋という方が自然な感じがします。
 今の秋から春というように変わった理由として
 (1)当時の三高近辺の風景がそうだった、つまり実際には岸に
  紅葉があり山に桜があった
 (2)入学時期の問題、当時は10月入学だったはずです。
  それが4月入学になったので、歌詞の順番も変わった
 (3)単なる誤植(身も蓋もないですが)
 (4)当時の三高生の感覚としていつしか変わった
を考えたのですが、実際のところどうなのでしょうか。

 ところで紅萌ゆるに似た歌ですが、こちらで作成したものを
お送りしようと思ったのですが、生憎MIDIファイルを送信する術が
分からないので、以下に譜面を書くことにします(すいません、
それも恐怖の数字式です)。

第一部選手応援歌(大正五年)

ハ長調2/4

ド ド ド ミ  レ ド レ ミ  ド ミ ソ ラ   ソ  0
-. =  -. =   -. =  -. =   -. =  -. = 
       ・ ・  
ラ ラ ラ ソ  ド ド ラ ソ  ミ レ ミ レ  ド  0
-. =  -. =   -. =  -. =   -. =  -. =
・ ・ ・ ・   ・ ・
ド ド ド ド   ド ド ラ ラ   ソ ソ ソ ラ  ソ  0
-. =  -. =    -. =  -. =    -. =  -. =

ミ ミ ミ ミ   ソ ソ ド レ  ミ ソ ミ レ  ド  0
-. =  -. =    -. =  -. =   -. =  -. = 

歌詞
 一 七州の野(や)に雲乱れ    二 紅燃ゆる太陽(ひ)の前に
   浪松島の江に狂ふ         群魔の呪今消えて
   勇士一度弓とれば         勇士は得たり永久のはえ
   矢は高鳴りて天をつく       輝の旗我にあり

 三 若き男子の舷に
   血の大旆をかざすとき
   潮も和するとどろきは
   一部の勝を告ぐるかな

 調は長調ですが短調の方があうように思います。
 曲について説明しますと、第二高等学校は、毎年、端艇競漕
があり、文甲乙、理甲、理乙の三部に別れて行われていました。
これはその第一部(法文科、または文甲乙)の応援歌になります。
第二高等学校歌集には作詞作曲者ともに記載がありませんので、
たぶん著作権については問題はないでしょう。
 これを見ていると、もしこの曲が紅萌ゆるから借りたとした場合、
すでに大正期には今の旋律がほぼ確定していたと類推できます。
あるいは他の高校にも伝わっているかもしれません。
 第二高等学校の、他の曲については、改めてMailをお送りします
(「散りにし花は」「肥馬むち打たせ」など数曲あります)。
 それではまた、よろしくお願いします。

(以下略−引用者)


えんたろうより:
このあと1997/8/27 に MIDI ファイルを添付したメールをいただきました。
ご本人の承諾をいただきましたので、公開させていただきます。
(原題:「第一部選手応援歌 大正五年.wrk」。ハ短調で作成されています。CAKEWALK のファイルを MIDI フォーマットに変換しました。)

「第二高等学校 第一部選手応援歌(大正5年)」[ 2c-cheer.mid、約 1KB、20秒。 ]

ご参考までに、「紅萌ゆる」 (これは、えんたろう作成の極貧 MIDI です)

『寮歌の極小部屋』にも収録しました

どなたか、「紅萌ゆる」の歌詞について詳しい事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご意見フォームからお知らせください。

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なお、日本寮歌祭で 遊閑斎さんご本人にお会いしてお聞きしたところ、

旧制第三高等学校は、大正9年 [1920年] までは 9月入学。
翌大正10年 [1921年] から4月入学になった。
とのことでした。『紅萌ゆる』が作られた当時は9月入学だった、という訳です。

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旧制三高出身のTさんからのメールもご覧ください。


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