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「紅萌ゆる」の歌詞について(3)

1997年10月3日21:47、旧制第三高等学校出身のTさん(@mbox.kyoto-inet.or.jp)より
※ Tさんのページが登場しています。題して、『三高私説』

私は三高を1948年に卒業しました。68才になります。
あなたが昔の寮歌に興味を持たれ、いろいろと調べられているのをありがたく思
います。私もいずれ三高の思い出を主としてホームページを作ろうとは思ってい
るのですが、実現にはほど遠いことと思います。目下HTMLの基礎勉強をはじめた
ばかりですから。三高の逍遙の歌について簡単にお知らせして置きます。お役に
立てば嬉しく思います。
紅萌ゆる
 1
紅もゆる岡の花       くれないもゆるおかのはな
早緑匂ふ岸の色       さみどりにおうきしのいろ
都の花に嘯けば       みやこのはなにうそぶけば
月こそかゝれ吉田山     つきこそかかれよしだやま
 2
緑の夏の芝露に       みどりのなつのしばつゆに
残れる星を仰ぐ時      のこれるほしをあおぐとき
希望は高く溢れつゝ     きぼうはたかくあふれつつ
我等が胸に湧返る      われらがむねにわきかえる
 3
千載秋の水清く       せんざいあきのみずきよく
銀漢空にさゆる時      ぎんかんそらにさゆるとき
通へる夢は昆崙の      かよえるゆめはこんろんの
高嶺の此方ゴビの原     たかねのこなたごびのはら
 4
ラインの城やアルペンの   らいんのしろやあるぺんの
谷間の氷雨なだれ雪     たにまのひさめなだれゆき
夕は辿る北溟の       ゆうべはたどるほくめいの
日の影暗き冬の波      ひのかげくらきふゆのなみ
 5
嗚呼故里よ野よ花よ     ああふるさとよのよはなよ
ここにももゆる六百の    ここにももゆるろっぴゃくの
光も胸も春の戸に      ひかりもむねもはるのとに
嘯き見ずや古都の月     うそぶきみずやことのつき
 6
それ京洛の岸に散る     それけいらくのきしにちる
三年の秋の初紅葉      みとせのあきのはつもみじ
それ京洛の山に咲く     それけいらくのやまにさく
三年の春の花嵐       みとせのはるのはなあらし
 7
左手の文にうなづきつ    ゆんでのふみにうなづきつ
夕の風に吟ずれば      ゆうべのかぜにぎんずれば
砕けて飛べる白雲の     くだけてとべるはくうんの
空には高し如意ヶ嶽     そらにはたかしにょいがだけ
 8
神楽ヶ岡の初時雨           かぐらがおかのはつしぐれ
老樹の梢傳ふ時            ろうじゅのこずえつとうとき
檠燈かゝげ口誦む           けいとうかかげくちずさむ
先哲至理の教にも           せんてつしりのおしえにも
 9
嗚呼又遠き二千年           ああまたとおきにせんねん
血潮の史や西の子の          ちしおのふみやにしのこの
栄枯の跡を思ふにも          えいこのあとをおもうにも
胸こそ躍れ若き身に          むねこそおどれわかきみに
 10
希望は照れり東海の          きぼうはてれりとうかいの
み富士の裾の山櫻           みふじのすそのやまざくら
歴史を誇る二千載           れきしをほこるにせんざい
神武の兒らが立てる今         じんむのこらがたてるいま
 11
見よ洛陽の花霞            みよらくようのはながすみ
櫻の下の男の子等が          さくらのもとのおのこらが
今逍遙に月白く            いましようようにつきしろく
静かに照れり吉田山          しずかにてれりよしだやま
                しずかにてれりよしだやま(くりかえし)
 以上が現在三高同窓会会報に毎号載せられている歌詞である。この歌ははじめ
一部三年乙のクラス歌であったが、やがて全校で謡われるようになった。沢村専
太郎(胡夷)の作詞、年代は明治三十八年九月から三十九年七月の間である。原
譜が残っており次に示したのがそれで、”神陵史”479ページで見ることがで
きる。作曲者は不明であるが歌詞メロディともほとんど変っていない。こまかく
見ると多少の変遷が見られる。この歌は三高の象徴として今なおドラマにも使わ
れ、1957年三高創立九十周年を記念して、吉田山上に唱い集う三高生をイメ
ージして「紅もゆるの碑」が建てられた。
 沢村は三高卒業後京大に進み、東洋美術史を専攻した。終焉の地は京都で時に
四十七才、助教授として活躍中であったが、逝去と共に京都帝国大学教授に昇
任。東山二条の仏光寺に眠る。
 1
紅もゆる丘の花       くれなゐもゆるをかのはな
狭緑匂ふ岸の色       さみどりにほうきしのいろ
都の春に嘯けば       みやこのはるにうそぶけば
月こそ懸れ吉田山。     つきこそかゝれよしだやま
 2
緑の夏の芝露に       みどりのなつのしばつゆに
残れる星を仰ぐ時      のこれるほしをあほぐとき
希望は高くあふれつゝ    きばうはたかくあふれつゝ
われらが胸に湧きかへる。  われらがむねにわきかへる
 3
千載、秋の水、清く     せんざいあきのみずきよく
銀漢、空に冴る時      ぎんかんそらにさゆるとき
かよへる夢は昆崙の     かよへるゆめはコンロンの
高嶺の此方、戈壁の原。   たかねのこなたゴビのはら
 4
ラインの城や、アルペンの  ラインのしろやアルペンの
谷間の氷雨、なだれ雪    たにまのひさめなだれゆき
夕べはたどる北冥の     ゆふべはたどるほくめいの
日の影、暗き冬の波     ひのかげくらきふゆのなみ
 5
ああ、故郷よ、野よ、花よ  ああふるさとよのよはなよ
此処にはもゆる六百の    ここにはもゆるろっぴゃくの
光も、胸も、春の扉に    ひかりもむねもはるのとに
嘯く水や、故都の月。    うそぶくみづやことのつき
 6
それ、京洛の岸に散る    それけふらくのきしにちる
三歳の春の花嵐       みとせのはるのはなあらし
それ、京洛の山に咲く    それけふらくのやまにさく
三歳の秋の初紅葉。     みとせのあきのはつもみぢ
 7
左手の書にうなづきて    ゆんでのふみにうなづきて
夕べの風に吟ずれば     ゆふべのかぜにぎんずれば
砕けて飛べる白雲の     くだけてとべるしらくもの
空には高し、如意ケ嶽。   そらにはたかしにょいケ(が)だけ
 8
神楽ケ丘のはつしぐれ        かぐらケ(が)をかのはつしぐれ
老樹の梢伝ふ時           ろうじゅのこづえつたふとき
穂燈かゝげ、吟む          すゐとふかゝげくちずさむ
先哲至理の教にも。         せんてつしりのをしへにも
 9
ああ、また遠き四千年        ああまたとほきしせんねん
血潮の史や西の子の         ちしほのふみやにしのこの
栄枯の夢を思ふにも         えいこのゆめををおもふにも
胸こそ躍れ、若き身に。       むねこそをどれわかきみに
 10
希望は照れり。東海の         きばうはてれりとうかいの
み富士の裾の山桜          みふじのすそのやまざくら
歴史をほこる二千歳         れきしをほこるにせんざい
神武の子らの起てる今。       じんむのこらのたてるいま
 11
ああ洛陽の花がすみ         ああらくようのはながすみ
桜のもとの健児らが         さくらのもとのをのこらが
今、逍遙に、月白く         いませうえうにつきしろく
静かに照れり。吉田山。       しづかにてれりよしだやま
            

二通目(1997/10/05、19:15)
先日送ったメールの内容に少し正確でない点があるので以下のように部分修正し
ます。

この歌は三高の象徴として今なおドラマにも使われ、1957年三高創立九十周
年を記念して、吉田山上に「紅もゆるの碑」が建てられた。三高寮歌の数々を象
徴するものとイメージして20個の石が配され、主峰の石に「紅もゆる 丘の
花」と彫り込まれている。石は四国吉野川の緑泥片岩で、文字は同窓会の当時の
会長阪倉篤太郎先生の筆になる。

えんたろうより:
メールいただきありがとうございました。
これで、「北溟(冥)」の読み方は、三高では 「ほくめい」 だということがはっきりしました。
では、「きたかた」という読み方の起源は何なのでしょう? 新たな疑問がわいてきました。

と書いておりましたら、仙台市在住の遊閑斎さんからメールをいただきました。ぜひご覧ください。


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