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05.12.30 他人を見下す若者たち
速水敏彦
講談社現代新書
2006

ちょっと気になっていたけど、自分の研究範囲ではないので買わないでいたが、新聞の書評に書いてあったので、ついつい買ってしまった。
話の流れは、いまの負け組に相当する若者は、自分に甘く他人に厳しいとか、努力せず成果がほしいとか、無気力で鬱になりやすいとか悪いと思っても謝らないとかそうした特徴を持っているという。
どんな人が書いているんだと著者の経歴を見ると、校長先生を経て大学院の教授やっている人。妙に納得してしまった。まぁ、大卒で校長とかの名誉欲で「のして」きた人かナァと推測。内容も、まぁ、キーワードとかは面白いが、実証やら調査は孫引きで、批判する論文に対しての読み込みがなく、自分の主張を裏付けるだけ。いまの子供はとかそんな書き出しである。
しかし、本書で述べている特徴をいまの大人や高齢者にも当てはめると、あっ、こんな人がいるナァというのがある。まず、他人を低く見て(けなして)自分を高くみせることで優越感に浸る人。それもかなり自己満足的に。
そして、些細なことですぐカッとなったり、怒鳴り散らすような人。あるいは、理不尽、だからこそヒステリーというのだが、そういう人。世に蔓延する無気力は若者よりも、中高年に多いのではないか。
とつっこみながら読ませてもらいました。

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05.12.18 上田敏『リハビリテーションの思想』(第2版)医学書院
初版:2001年

障害者や老人ではリハビリテーションについては少なからず知識として学習する。障害構造とかもそれなりに勉強をする人は知っているだろう。ICFとか…で、この本は、日本ではリハビリの第一人者であり、概念の紹介者である。社会福祉・介護福祉士の受験勉強とか研修で医者が話す類で知っている人もいるだろう。しかし、その根幹やどうしてその概念が必要なのかということは案外知られていない。
修士論文では、精神障害者の制度上の連関(医療・精神保健福祉・生活保護)についてまとめたが、理論上に何か据えないと空中分解してしまう。先に出てきたゼミの恩師の助言で、リハビリを概念に置いた。再び障害構造を勉強し直し、その奥深さに気づかされた。
医学書院は難しいので定評があるが、この本は上田先生の気ままなおしゃべりの様な内容ですごく読みやすい。あるいは、あまり肩肘を張らなくても良い講演で興に乗って話しているかのようである。いずれにしろ、好々爺の学者がこれまでのリハビリで苦労してきたことや学会での出会いとかを楽しそうに語っているのが目に浮かぶ。老人によく見られるあまり興味の無い人にとっては退屈な内容でも、お構いなしに語っているようである。しかし、興味がある人には、その中に歴史を感じ、ためになるという類である。
障害構造についても、単に解説に止まらず、それまでのエピソードを交えながら具体的に語られていて面白い。そこには、リハビリの本質にとって分かってほしいという真摯な姿が透けて見える。良い本である。
姉妹編として、『科学としてのリハビリテーション医学』がある。こちらはやや込み入った内容となっている。併せて読むとリハビリの理想型が分かる内容となっている。
ちなみに第2版ということで、第一版は1987年である。いわゆる古典である。さらに第一版とはないようもガラッと変わりほとんど書き直したような内容である。

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05.12.17 植田章他編『社会福祉労働の専門性と現実』かもがわ出版
初版:2002
講座◇21世紀の社会福祉3(真田是監修)

正面から福祉労働を述べているおそらく唯一の理論書である。現場に勤めるときには是非読んでほしい一冊である。学生のうちに読んでもピンとこない。まさに労働者のための論文集である。この本を見つけたとき、私はこれこそ読みたい本だと思った。自分たちがとりまく環境をグチにすることが出来ても、論理立てて何かを語るには、まわりにそうした言説がない。モヤモヤしたまま過ごしていたが、この本と出会って自分でも何か書けそうな気がした。
福祉労働とは何か、保育、児童養護、介護保健施設、ホームヘルプ、障害者福祉、医療と多岐に渡り、健康、労働時間、賃金、基本的な問題について網羅している。しかし、脇が甘い面もある。じゃ、どうやって改善していけばよいのか、運動としての取り組みはやや淡泊である。それでも、そうした脇の甘さを補ってあまりあるほど刺激的な本である。参考文献もどっさりで、その後の学習にも事欠かないし…
ところで、こうした労働意識を持って働いている人は少ないのも現場の現実である。ただ使われるままに流されている人も多い。彼らを責めてはいけない。この頃そう思うことにしている。
しかし、まぁ、この本は、生意気な職員になってしまう可能性がかなり大きい内容である。

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05.12.16 濱野一郎他編著『社会福祉の原理と思想』岩崎学術出版社
初版:1998年

卒業してしばらくして、ゼミの恩師の研究室に遊びに行ったときにもらった本である。自分が書いた論文が載っているからと言うことでもらったのを記憶している。サインまでしてもらった。というか、サインしたかったのかナァ。…おっと(..;)しかし、自分が書いたものが載っているからといって容易に勧める先生ではない。確か、まともな本だよとも言われて勧められた記憶が。
で、読んでみると確かに良い本である。社会福祉の概説書だが、それぞれが固有の論点で深い内容となっている。福祉国家、思想史、理論の系譜、政策、共生、自己実現、住民主体、ボランティア、宗教とその内容は多岐に渡り、じっくり読むことでかなりの部分で学習することが出来る。
一応体裁は、学生向けに「本章のねらい」とか文末に「ポイント」と挙げているが、お世辞にも内容は学生向けではない。いや、頭のいい学生には読めるかもしれないが…3年か4年…4年生ぐらいがせいぜい分かるかナァという内容である。現場に勤めて、少し読み込んでいくとなるほどと思うことが多い。するめのように味のある本である。または、現場に出てからも読める本であると言える。
ところで、先生の論文は、理論の系譜で、結構緊張して書いたんじゃないかナァという感じであった。ちょっと窮屈そうな感じである。しかし、内容は先生のエキスそのもので、かなり頑張られたという印象を持つ。先生のも良いが、個人的に勉強になったのは、政策論で、その内実について実に整理されていて目から鱗が落ちた。
ちなみに姉妹編で山崎美貴子他編著『社会福祉援助活動の原理と方法』がある。こちらは、これでもかという援助論で、ナラティブはないが、エコロジカル、ストレングス、エンパワメントまでは出ている。総合的な援助論で、これ一冊読めばだいたいの援助論のマップはかけると思う。

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05.12.15 尾崎新『対人援助の技法』誠信書房
初版:1997年

大学院に入ってから、しばらくして仲間内にメーリングリストが出来て、その中で作者が紹介された。とっても影響を受けた人という紹介に、最初は、へ〜ぐらいにしか思っていなかった。しかし、読んでみると、結構奥が深い。
最初は、同作者による『「現場」のちから』を読んで、こうした援助者論ははじめてだナァと思った。というのは、援助といえば、技法の紹介や技法の運用、あるいは援助者のあるべき姿〜マッチョが強調されているものが多い。しかし、作者は、利用者と援助者の間にあるゆらぐ気持ちや悩む関係性の深さに着目する。また、通り一遍の共感や対等といったキーワードを深く掘り下げる。人と関わるときの限界や引き際、ギリギリの洞察。案配やよい加減こそが専門性を発揮することであると述べる。う〜ん、結構深い。この点は、鷲田清一なんかも述べている。
アカデミズムのでもこの辺の関係性について述べている人が多い。援助(技術)論の今ホットな話題なんだろう。
この本は、作者が一人で書いている。先に挙げた「現場のちから」、「ゆらぐことの出来るちから」は共著である。基本の姿勢は上記の通りである。
この本は、章立てが面白い。「援助における曖昧さ・無力感と全能型幻想」「援助と大きなお世話の相違について」「援助者の自然体について」などである。分かりやすい文体である。しかし、丁寧に訳注をつけており、学習にもかなり役立つ作りとなっている。

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05.12.14 吉田久一・岡田英己子『社会福祉思想史入門』勁草書房
初版:2000

まずは、私の心の師匠。吉田久一先生。2005年10月16日、90歳でお亡くなりになられた。合掌。
面識もないし、声も聴いたこともない。しかし、大学一年の時に親父からもらった『日本社会事業史』から、ずっと私は本の中で講義を受けていた。そのことについては、別のページでも述べているので、省略する。これから社会福祉を学ぶ人、もし社会福祉に従事している人で向学心のある人は是非、この本を読むことをお薦めする。岡田さんの書いている西洋史は飛ばしてよろしい。吉田先生の日本史から読んでください。
吉田先生の本は難しいというか、膨大な資料を読み解き、削りに削った文章なので、一見すると素っ気ない。情緒性を廃しているので乾いている。乾いているが温かい手をしている。文体の向こうで微笑んでいるのが分かる。って、妄想ではないと思うけど。
とにかく、圧倒的な思考の凝縮、確かな構成、明快かつ素直な文体。どれをとっても、論文として一級品である。学生の時から文章はこう書くんだと教えてもらった。また、こう思考するんだと教えられてきた。読み返すたびに、いかにすごい仕事をして来た人なのか思い知らされる。永遠の我が師である。
これはあくまでも入門書である。吉田先生の本当の仕事は、川島書店の吉田久一著作集(全7巻)である。しかし、膨大なため、次のステップは勁草書房から出ている『吉田久一社会福祉選書』(全4巻)のなかの「全訂版:社会事業の歴史」と「日本の貧困」を読んでいただきたい。

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05.12.13 社会福祉専門書:ベスト5
私は、論文を書くために割と専門書には糸目を付けないで買う方だが、書いてしまえば、あまり読み返すことは少ない。もし、本当のベスト5を挙げるとすれば、吉田久一の著作集全巻(川島書店)となるが、それだとあまり面白くない。なので、論文で度々使う本などを挙げていこうと思う。専門書には賞味期限というものがあって、10年も経つと価値観が古すぎたりして読むに絶えないものが増えてくる。特に、制度論などは5年ひと昔の状況である。援助技術の価値観もここ数年で刷新している。それでも、やはり、古典を読むことは大切だし、古典から基本を学ぶことはたくさんある。

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05.12.12 小泉義之『レビィナス〜何のために生きるのか』NHK出版
初版:2003年

哲学は概念を創造する学問である(ドゥルーズ)というように、全く新しい切り口で、世界を構築する。科学例えば、社会学や心理学は既存のシステム・価値観に則った新しい発見を提示する。しかし、哲学は、既存のシステムを放棄し、新たな価値を作り出す。といえば、どの学問でも新たな価値を作り出していると反論されそうだが、哲学の価値はより根本的なのである。それは、システムそのものを作り出すのである。例えば、マルクスは結果として社会主義という概念を構築した。しかし、それは国家として形あるものではなく、マルクスの内なる概念であった。それを国家が解釈し、システムとして全世界に席巻しただけのことである。マルクスは言葉を尽くし、概念を構築したが、そのすべてを国家が理解したわけではない。マルクスは、資本主義を批判し、それにかわる概念を構築したのである。
この本は、レビィナスの概念の一部を取り出し、作者が「何のために生きるのか」を解釈したものである。そして、いつしか自分たちの中にも、何のために生きるのかを考える契機を与える。もちろん、レビィナスだけではなく、この問いはどの哲学者の概念を運用しても考えることは出来る。しかし、とりあえず、レビィナスであったというだけにすぎない。こうした思考実験を通して、自分たちは世界が多様にあることを知る。これでいいのだということはない。この問いから様々な問いへリレーしながら、自分なりの概念を構築していく。
ところで、社会福祉業界でも、レビィナスへの関心度は低くない。まだ、アカデミックな世界でしかないが、連帯や倫理、関係性を語る上で、わりとレビィナスは分かりやすいメッセージを発している。この本は、そのとっかかりとして読みやすいと思われる。また、作者の小泉は、生命倫理やドゥルーズにも興味を持っている。また、結構過激な人であるが、分かりやすい文章を書く人である。



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05.12.11 セシュエー『分裂病の少女の手記』みすず書房
初版:1955年
少なくても1995年までは重版している。

大学を卒業して、救護施設に勤務。そこでは分裂病の寛解期の利用者がたくさんいた。大学では、当然、そうした精神障害者についての勉強はしてこなかった。一見して、普通に見える人も狂気の渦に巻かれているときは制御不能になる。予兆を見極めることはかなり困難である。狂気は突発的に起こる。いつもは物静かで口数の少ない人であっても…。ひどい人で、自殺をした人もいた。その動機はさっぱり分からなかった。なぜ、こうしたことが起こりうるのか。
本屋で何気なく手に取ったこの本は、題名もさることながら、鉄格子に虚ろにこちらをみている少女がすごくインパクトがあった。何をみているのだろうか。彼女のいるところはどこなのだろうかと想像をかき立てられた。内容はさらに衝撃的であった。彼女が発症したと思われる5歳頃からの現実が狂気に犯されていく様を克明に自分の口で語っている。その時一緒に遊んでいた友達が友達だと突然分からなくなる。光の国の組織から命令される。人形を使った遊戯療法をしているとき、その人形はあたかも血の通った、知性あるもののように働きかける。
最期は、彼女の表現を借りれば「現実に戻っていく」のだが、日常、現実、この本は当たり前のことを深刻に考えさせられる。ところで、面白いのは、狂気に陥っているときですら、その時のことが言葉で説明され、記憶されていると言うこと。現実の会話、やりとり、その中における自分なりの考え〜これは若干狂気をはらんでいるが、それなりに思考されている。彼らなりに現実をみて、考えている。おそらく、一番きつい時期ですら、魂を保持し、記憶している。実は狂気の中にも正常な部分はたくさんあって、本当の狂気はほんの一握りであると。しかし、ほんの一握りがすべての行動をダメにしてしまう。この本は、1947年にセシュエーが出した論文の翻訳である。このころ、満足な治療法がなく、薬もなかった。こうした治療者の献身的でより添うような態度、観察、言葉かけはあらゆる意味で示唆に富んでいる。
一番分かりにくいとされる分裂病(統合失調症)この本は、この病気の内面を知る最良の教科書であり、古典である。

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05.12.10 ドゥルーズ『差異について』青土社
初版:2000年

サイトでも度々取り上げるドゥルーズ。しかし、いまだに代表著書の『千のプラトー』や『アンチ・オイディプス』は数十ページで挫折。まだ読み込めていない。
ここでなぜドゥルーズなのかを簡単に述べる。もともと哲学的雰囲気が好きだったが、本気で哲学を勉強したいと思ったのは大学を卒業する間近だった。通学制の院受験の研究テーマ(結局落ちたけど)は、ニーチェを素材にした(通時制・共時性)社会福祉の本質的なエキスを見極めることだった。まぁ、今となってはどうでも良いが。
または、あんまり卒業には関係がないけれど、好きな授業があって、それを4年間受け続けた。その先生は多分学校で唯一の哲学者だった。彼の論文だけは、不真面目すぎた学生生活の中でも唯一毎年目を通していた。彼の持つ厳しい思考の結晶は私にかなりの影響というか、腐りきっていた大学生活に張りを与えてくれていた。
で大学を卒業してから精神障害者と関わることになって、ナラティブアプローチが面白そうと紐解いていくとフーコーに突き当たる。で、まぁ、フーコーも一目置いていたドゥルーズに興味を持ったというわけ。って、あんまり説明になっていないけど、フーコーのような認識の柔軟性を押し進め、フーコーよりも社会的ではなくどちらかといえば生物学的な視点が好感が持てる。増殖し続ける思考、拡散する思考、欲望それらをつぶさに観察し、支配する言説から逃走し、世界を超えていこうとする。そんな身軽さを感じている。
この本は、普通の文庫にしても30ページに満たない。大型本では8ページぐらいの論文である。しかしこの本は行間をたっぷりと使い、上半分が本文、下半分が解釈と精緻な作りになっている。読みやすくかつ丁寧な訳注が付いている。しかし、内容はかなり難しい。しかし、何度も読める分量なので、分かるまで読むことが出来る。しかし、やはり難しい。そこで工夫をしてみた。ジャーゴンや人名は最初は一切読み飛ばし、最期まで読んでみる。それで、ニュアンスを掴む。次に分からない箇所をまた読み返す。まだジャーゴンや人名は無視。そうすると、わからないと思っていたものが分かるようになる。本を読んで理解することの楽しさを教えてくれる。それが難解でかつ思考のエキスに触れたと思えるものであればあるほど嬉しさが増大する。『差異について』なんとも奇妙な題である。何かと何かの差異について述べることがあっても差異そのものを論じている。なぜ、差異が問題になるのか。それはこの省察でねっとりとじっくりと論じられている。
分からないものが分かりはじめたとき、この本はシンフォニーを奏ではじめる。あるいは思考の流動性と深さにうなってしまう。人はここまで思考できるのかと。そうした喜びを与えてくれる本である。

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05.12.9 『知の技法』『知の論理』『知のモラル』『新・知の技法』東京大学出版会
初版:1994〜1998年

恥ずかしい話だが、免許が失効して自動車学校に通い直している時期、暇つぶしで全部読んだ本たちである。怪我の功名と言うには、代償が大きすぎた(費用など)が、この本らを飽きもせずに読み切ったのはやはり良かったと思う。
この本は、いわゆる教養本である。しかし、それもかなり高度で柔軟な部類に入る。大学の知の到達点がそれこそ雑多に集められているからである。
「新・知の技法」だけを取り上げても、日本人論、建築、ジェンター、歌謡論、微分積分、法律言語、哲学言語、情報、自然言語、スポーツ、文化人類学、身体論などである。それぞれに分かりやすくどういう事を論じるのかは述べられるが、それを受け入れるだけの幅が自分にないとそもそもが理解できない。このシリーズは、こうした雑多なものを雑多なままにのせているところが主目的である。つまり、知とは幅広く、どの領域にも目配せをしていくだけの柔軟性が必要であると。分からないなら分からないなりに理解をしようとする姿勢を持つ事が大切であると。
とにかく、自動車学校では退屈な時間が有り余っていた。何回も読み込み、その中で分かったことは、自分が専門で学んでいなくても、何かを必要としたときに分かる範囲で手を動かす事(実践)が大切であると。あれかこれかと試行錯誤を繰り返していくことで、教わる以上に実は様々なことを学んでいることを知る。知の技法は、つまり、そうした幅広いジャンルに目配せをし、必要な時に何を学べばよいのかを取り出す引き出しであると。
その中でも、面白いと思ったものを…
カッチャーリ「エチカとエートス」(モラル)
森政稔「学校的なものを問う」(モラル)
石田英敬「構造とリズム」(論理)
瀬地山角「ポルノグラフィーの政治学」(新・技法)
松浦寿輝「マドンナの発見、そしてその彼方」(技法)

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05.12.8 田島正樹『魂の美と幸い』春秋社
初版:1998

この美しいエセーとの出会いは、たまたま目に付いた新聞の書評だったと思う(滅多に書評は読まないが)。
一つ一つの論考は魂から滴った瑞々しい液の結晶である。何がどう瑞々しいのかを表現する術を知らないが、とにかくそうであるとしか言えない。
本の構成は、多岐に渡る。教育について、マルクスの恋愛論、カフカ、忠臣蔵、笑いについて、等々これらはそれぞれが独立している。また何かが共通しているわけではない。作者が、その時代に少しずつ書きつづってきた思考の軌跡である。文中にも書かれているが、そもそも哲学とは自分の思考の軌跡をたどるものであって、日記のようなものだという。ドゥルーズが、哲学は議論を必要としないというものと似ている。
しかし、エセーは、読者を意識し、読者からの何らかの反応(賛同でなくても良い)が得られてはじめて閉じられると述べる。それは読者に結論を押しつけず、私(作者)はこんな風に考えスケッチしましたと余白を残すことを意識したという。そういう意味で、この本は作者のこれまでの思考を読者に向けて差し出したものであると言える。
いずれにしろ、この多岐に渡る内容をゆっくりと読み解きながら、哲学的な思考はこのように作られているのかとはじめて教えてもらった本である。ある事象に対する解釈の多様性と深さを知った本である。

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05.12.7 人文書:ベスト5
人文書とは、いわゆる文系の書の総称として捉えている。私の場合、もしベスト5を挙げるとすれば、主に哲学書や教養書になってしまうので人文書という括り方は適切ではないかもしれない。哲学書といっても原著ではなく、その周辺の解釈や入門書になってしまうので哲学書ということでもない。
新書のように時々読んでしまうようなものを挙げている。繰り返し読める本は良い基準の一つになるだろう。しかし、確実に私にとって影響を与えてくれた本というものは人文関係に多い。小説に及ばないにしても。

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05.12.6 ノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」集英社新書
初版:2003年

チョムスキーは以前にも書いたが言語学の革命をもたらした人である。といってもその内容がなんたるかは私は分からない。しかし、私にとってチョムスキーとは、言語学であった。しかし、この人が反戦運動として有名であることは少なくても日本では驚くほど知られていない。かく言う私も店頭に並んでいるこの本を見つけるまで知らなかった。そういう意味で新書の一般性の影響は大きい。専門書よりも一般的で、文庫ほど一般的でないという類型は、大人のための教養という面で大きな役割を持っている。
大人のための教養として、この本はある意味爆弾のような内容である。特に日本においては、こうした考え方を持って反戦運動をしている人はいないと思わせる。小林よしのり「戦争論」とか右翼・左翼・保守とか今論じられている戦争を巡る論議もチョムスキーの強固な意志のもとで一笑に付されるだろう。彼は正義なき民主主義と国際社会を糾弾し、闘争によってしか言論の自由は獲得できないと喝破する。それによって脅されたりしたってそれが何だと笑い飛ばす。メディアによってコントロールされることなく、自分の赴くままに言論を闘わせ、自分の権利を守るのは学者ではなく、いつだって市民運動であったと。根源的な反戦・平和へ真っ直ぐに生きてきた70歳を越える学者の言葉は乾いており、しかしだからこそ信頼できるメッセージを発し続けている。
構成は、論文(といってもかなり読みやすい)、講演、辺見庸のインタビューの三部構成。チョムスキーの反戦思想を知る入門編として申し分ない内容である。また、現在批評理論としてさかんなポストコロニアルへとリンクしている。
ジャンルが違うが、アマルティア・セン『貧困の克服』集英社新書もお薦め。ある意味、反グローバルの視点でアジアの自立と反戦を訴えている。豊かになるには経済ではなく、教育であり、民主主義であると説く。経済学でノーベル賞を取ったセンの思想は、今後より重要性を増すだろう。

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05.12.5 盛岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書
初版:2005

新書は先にも述べたが、道具的な意味合いが強い。ちょっと便利になるとか見方が変わるといった本がよい本であると述べた。この本はためになるかといえばちょっと意味合いが違う。しかし、新書でこうしたジャンル(労働論)を探そうとすれば極端に少ない。また、こうしたジャンルは社会学とか労働論の専門書としては類書があるが、新書といういわゆる一般化されたものとしては少ない。さらにビジネス書ではこうしたことをトータルに書いた本は皆無である(いかに稼ぐかとかはいっぱいあるが)。
本の題名のまま、いわゆる働きすぎといわれる日本の状態について、かなり広範に述べられている概説書である。そして、労働者側に立った視点で書かれている点でも貴重である。専門書では調査結果が述べられる学者側の視点が強い。新書ならではの読者を意識した作りになっている。社会構造上や労働者意識の変化。グローバリズムから格差社会まですべてを結びつけている。そして、働き過ぎから身を守るための方法についてしっかりと処方箋を出している。また、膨大な参考文献の他、全国の労働局や労働基準監督署の一覧をつけているところまで、何とも涙ぐましい。これから働こうとしている人、働いているけど自分の権利がどこにあるのか知りたい人は是非持っていただきたい一冊である。
近いところで、渋谷望『魂の労働』青土社がある。

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05.12.4 谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文芸春秋
初版:2000年

筆者はもともとギャンブルの確率論に造詣が深い。『ツキの法則』(PHP新書)で宝くじ、競馬、競艇など、いわゆる国営ギャンブルが負けやすく勝ちにくいものかを明らかにしていた。この本では、さらに一歩進めて世に出回る社会調査がいかにでたらめなのかを明らかにしている。筆者がギャンブルにしても社会調査にしても共通して言いたいことは、一般に認知されている情報は鵜呑みにしてはいけないということである。
正しい手順を踏んでいない社会調査が、いわゆるメディアに乗っている。そのゴミのような社会調査の結果が引用され続け、ゴミがゴミを生産していく過程を克明に描いている。そして、そのゴミは世論調査や人気投票、生活指標、新聞の調査など隅々まで行き渡り、いまや社会調査の過半数はゴミであると筆者は語る。
副題は「リサーチ・リテラシー」のすすめである。リテラシーとは社会調査の何がゴミで何がゴミでないのかを自分なりに峻別し、信用に足る情報かどうかを判断する能力を身につけることである。そうした意味でこの本は格好のゴミ分別機の役割を果たしてくれている。
似たようなものとして、赤川学『子供が減って何が悪いか!』ちくま新書がある。こちらの社会調査についてである。
どちらもやや統計学や社会調査についての知識が必要であるが、分からなくても何となく身に付くように工夫された良書である。

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05.12.3 小笠原喜康『大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書
初版:2002年

いろんな論文の書き方の本を読んだが、この本はもっともまとまっていた。引用文献の表記の仕方や注釈の取り方などかゆいところに手が届く。この引用の仕方や注釈の引き方って教えてくれるようで誰も教えてくれないことが多い。さらに、こうしたことを詳しく教えるような本も少ない。廉価でかつ丁寧に教えてくれる良書である。
なにより文章の書き方とかはさらっとしか書いていないのがよい。他の本では、筆者の癖が反映されやすく、しばしば偉ぶっている(こうした書き方が良い文章だとか)ことが多い。しかし、この本はそうしたことを極力排除して基本に徹していることがよい。単文で書く。「てにをは」は慎重に使うべきだとか。あくまでも作法に重点を置いている。論を組み立てるとは何かよりも、まず基本の作法を身につけようというあるようでなかった。そうした点で貴重な本である。
姉妹編として、同筆者による『インターネット活用編』もある。論文は、資料の検索から収集までが重要な仕事である。そうした意味で、この活用編も基本中の基本としておさえておきたいことばかりを書いている。やはり、こうしたことを丁寧に教えてくれる人も本も少ないのが今の日本の大学レベルなのである。

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05.12.2 難波江和英『現代思想のパフォーマンス』光文社新書
初版:2004年

哲学書は哲学者がどのような歴史をたどってきたのかといった概説的なものが多い。または、もったいつけたような学説の森に誘い込んで、その膨大な思索の量に圧倒させることが多い。つまり哲学はそれなりに体系づけられた積み重ねがないと読み解けないと思わせることが多い。結果として敷居が高い学者のための学問という印象が強い。また、社会学や心理学などと違い、あまり実用性のないものという印象もなきにしもあらずである。
この本は、そうした哲学の敷居の高さや実用性のなさをある程度否定させるだけの仕事をしている。この本には6人の哲学者が登場する。一人一人に案内編と解説編がある。哲学者が考えた思索の何をこの本では取り上げているのかは他の入門書でもだいたい行われる。しかし、そこから実践編があるのがこの本の面白い点である。実践編では「不思議の国のアリス」「エイリアン(映画)」「カッコーの巣の上(映画)」等を題材に解説編で行われた思索を結びつける。それはその素材(映画やテキスト)が哲学的思考によってあたかも別の次元の出来事や認識に変化する。哲学者の思索のエッセンスをたどることで、読者はいつの間にか世の中の見方には多様な方法があり、深いことを知ることができる。
哲学とは、世の中の見方の多様さや柔軟さを切り開く(創造する)エキサイトな学問である。と再認識させてくれる良書である。

近いところで、新書ではないが、NHK出版でシリーズ:哲学のエッセンスのシリーズも読みやすくまたそれそれの著者の興味とクロスさせた面白い読み物である。とはいえ、このシリーズも良し悪しがあって、個人的には『ドゥルーズ』『レビナス』『マルクス』あたりが読みやすかった。

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05.12.1 新書ベスト5
新書って、一度読んだらもう二度と読まないことが多い。
なぜなら小説と違って新書には物語性がないからである。物語性は、その中にいろんな自分の経験やイマジネーションを多様に喚起させる。だから、名作と呼ばれるものは何度読んでも感慨やら新たなストーリーを見いだせることが多い。
しかし、新書はいわば知恵本・実用本であり、分かったら必要のないものである。だから新書は使い勝手の良い道具のようなものや新たな現実への切り口を示しているものがよい基準になると思う。まぁ、ジャンルを限定しないで今でも時々使っている新書を5冊挙げてみました。

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